蝋人形の館 パリには、ロンドンのマダム・タッソーと同じような蝋人形館がある。グレヴァン博物館というところである。ここは劇場も持っている。蝋人形館という、日本人から見ればゲテモノとしかいいようのない場所からは想像もつかない、すばらしく美しいホールなのである。ぼくが持っている「インサイド・パリ−時代を物語るインテリア発見の旅(邦訳あり)」という美しい写真集にも出ている。ちなみにその本によれば、パリ中で最もかわいらしいもののひとつだそうだ。パントマイムのマルセル・マルソーを始め、多くのスターがここでデビューした。350人しか収容できないが、1900年完成という時代の名残を残している。 ここではしばしばクラシックのコンサートがある。今回われわれは、ヴィオラ・ダ・ガンバの演奏会に行って来た。曲目は、マラン・マレである。フランスでは、マラン・マレは本当によく演奏される。「めぐり逢う朝(1992)」という映画があって、これはマラン・マレと師匠のサント・コロンブの葛藤を描いた作品だった。フランスでは大変ヒットした映画である。音楽はジョルディ・サヴァールが担当した。古楽ファンにはおなじみの男で、これに続いて「ジャンヌ(1994)」の音楽も担当している。こちらもジャンヌ・ダルクの時代の音楽をうまく使っていた。 さて、この夜の出演は、最近人気のアンタイ兄弟のアンサンブル。そこに、クイケンとの共演で知られる日本人ガンバ奏者・上村かおりさんも加わっていた。最後のメインの曲では彼女がリードを取るなど、さすがであった。まだ若いんだけど。ガンバの音は決して大きくないので、こういうでこぼこの多いホールはどうかと思うが、たいへんフランス的な空間でフランス的な音楽を聴くというのは、気分がいい。 ところで、ホールへ到るまでには蝋人形館を突っ切って行かなければならない。おもしろいと言えばおもしろいが、かなり違和感がある。スターや政治家たちはまだいい。何でマラン・マレを聞きに行く途中で、笑うロナウドやジダーヌにお目にかからねばならんのだ。 |
オペラ・コミック パリのオペラ・ガルニエから東へメトロで行くと、「リュー・モンマルトル」という駅がある。正確には、あった、というべきか。この駅は最近、「グラン・ブールヴァール」という名前に変わった。かつてこのあたりが最も華やかだった時代、そう呼ばれていた。ブールヴァールというのはもちろん「大通り」という意味だが、それに grand が付くわけで、華やかさが加わる。往年の名称にあえて戻したわけである。 実は、この呼び名は複数形である。オペラから一本の大通りが名前を変えながら続いている。オペラから行くと、まずキャピュシーヌ通り。フランス語で言うとかっこいいが、実はカプチン修道会の意味で、あのカプチーノと同じ語源である。続いてイタリアン通り。ここまでの間には、劇場やホールが連なっている。オペラ座は当然として、上に書いたグレヴァン劇場もここにある。そして、今回「カルメン」を見に行ったオペラ・コミック座も、この通りから少し引っ込んだ所にある。通りはさらにずっと続いて、しだいにかつて場末の劇場街だった方へつながる。映画「天井桟敷の人々」の舞台も、その場末の方である。 オペラ・コミック座は、今となっては小規模な劇場である。しかし、装飾は往時を偲ばせる豪華絢爛なもので、かえってかつての雰囲気が味わえる。ぼくはモダンなオペラ・バスチーユはもちろん、オペラ・ガルニエよりも気に入っている。今シーズンはここで「カルメン」「ペレアスとメリザンド」などを上演する。音楽に詳しい人なら知ってるかもしれないが、この2つは、他ならぬここで初演されたオペラである。 そういうわけで、今夜は「カルメン」初演の場で「カルメン」を見るという、感慨深い経験をしてきた。超モダンで象徴主義的な舞台装置、服装もほとんど現代で、スペイン情緒たっぷりのカルメンを期待すると肩すかしを食う演出だったが、ぼくはよかったと思う。まあ、内容はいちいちここには書かない。ドン・ホセがステテコはいた中年オヤジのようだった、ということだけ記しておこう(笑)。何しろ巨大な積み木を舞台にころがしたようなステージなので、彼の腹では山あり谷ありで息が苦しかったかもしれない。 ぼくは、実はオペラは別に好きでもない。でも、始まる前と終わった後の雰囲気が好きなのだ。そういうわけで、まだ行きたいと思っている。 |
自宅でオペラ またまたオペラの話題である。わが家で契約しているケーブル・テレビのチャンネル(約60ある)の中には、音楽専門がいくつかある。クラシックのチャンネルではしょっちゅうオペラをやっていて、その気になれば1日4〜5本見ることができてしまう。テレビならではのおもしろさは、本編の前にリハーサル風景とか、指揮者たちのインタビューとか、いわゆる「メイキング・オブ」がよく放送されることだ。日本ではあまり見られない、音楽家たちの生の姿を見ることができる。 そんな中で、このところ興味をそそられたのが2つあった。どちらも古典で、リュリの「テゼー」とモンテヴェルディの「オルフェオ」である。 前者は「アティス」の上演で名を上げたウィリアム・クリスティの演奏で、この「テゼー」も二百数十年ぶりの上演だそうだ。彼がまずヨーロッパ中を回ってオーディションをやるところから、応募者たちの横顔やインタビューなど、大変楽しい内容であった。後者はルネ・ヤーコプス。こちらも、上演にあたっての彼の解釈や、振付師のコメント、きわめて厳しいリハーサルなど、こちらも1時間ほどのドキュメンタリーを見せ、オペラ本編がそれに続いて放送される。 近年の古楽演奏の中心人物とも言える2人であるが、ステージの方は、われわれが古楽に対して持つ典雅なイメージを見事に否定してくれる。たいへん現代的なステージである。大道具の類は全くない。衣装も時空を軽く飛び回る。リュリの方は、舞台中央(!)にオーケストラがいて、その周りを歌手たちが回りながら歌う。モンテヴェルディはステージ後方に巨大な月が出ているだけで、歌手は歌いながら現代の舞踊のような演技を披露する。象徴主義の極みのようなステージである。そういえば、ヴェネツィアは仮面の町であった。 彼らの古楽演奏が復元ではなく解釈である、ということを、あらためて思い知らされる。 |
弦楽四重奏二題 上で紹介したチャンネルで、別のプログラムにも興味を引かれた。どちらも弦楽四重奏である。 ひとつは、有名なクロノス・カルテット。ぼくの大好きなカルテットである。今回はドキュメンタリーである。彼らの演奏する現代音楽と、それに合わせたシュールでヘヴィな映像が、耳と目から攻撃してくる。ほとんどトリップ状態である。もちろんドキュメンタリーであるから、彼らが飛行機で移動したり荷物を積んだりする姿、過去を振り返って語るインタビューなどもある。彼らと関わりが深い現代作曲家も生の姿で登場する。なかなか見られない映像である。 もうひとつは、ブロドウスキー・カルテット。彼らは、著名なロック・ミュージシャン、エルヴィス・コステロと共演した「ジュリエット・レターズ」で知られている。このアルバムの、クラシック・サイドからの位置づけはぼくは知らないが、ロックの世界では話題になった作品である。コステロは歌しか歌わない。バックの弦楽は、ある時はアバンギャルドに、ある時はロマンチックに伴奏をする。 などなど、ケーブル・テレビでは興味深いプログラムが目白押しで、これぞというのはビデオに撮っているのだが、テープがいくらあっても足りない。クラシックだけでもこうなので、ぼくの専門であるポピュラーの方はもっとあるのだ。持って帰っても、忙しい日本ではたして見る時間があるだろうか。第一、録画方式が違うので、日本で見るにはマルチ・スタンダードのビデオを買わなければいけない。これが種類がない上に高いのだ。とは言え、こちらのビデオデッキは電圧が違うので、持って帰ることはできないし。さて、どうしようか。 |
ジェラール・レーヌ 今日はジェラール・レーヌとイル・セミナリオ・ムジカーレのコンサートに行って来た。場所はわれわれが去年のクリスマスを過ごしたサン・セヴラン教会である。 レーヌというのは、フランスが誇るカウンター・テナー。実力もさることながら、彼が有名なのはそのキャリアにもよっている。彼はもともとロックとジャズをやっていた男で、確かに黙って立っていればロック・スターのような風貌である。その後なぜか、カウンター・テナーとして正規の教育を受けないまま古楽の一流グループを渡り歩き、今日に至っている。現在42歳、当代随一と言ってもいい人気古楽アーティストである。ちなみに今でも、ロックのアルバムも出したりしている。 彼の声は本当に艶がある。歌っているときの、宗教曲らしい「高み」を仰ぎ見るような顔がいい。特に、口の開け方。彼のいかにもヨーロッパ人らしい面構えから、表情のある高音が出てくると、ああこれは本当に西洋音楽だ、と感じる。合唱タイプのコンサートではなくて、彼と、チェロ、オルガン(ソロでも有名なジャン・シャルル・アブリツェルである)の3人だけの演奏である。レーヌが引っ込んで、残りの2人各々のソロもある。サン・セヴランはけっこう大きな教会なのだが、さすがにレーヌとあって超満員であった。教会のコンサートで終わりに「ブラヴォ」の声がかかるのは珍しい。 ここには書かなかったが、1月にあったサン・ロック教会でのア・セイ・ヴォーチのコンサート(例の雪が積もった夜)、グレヴァンでのマラン・マレ、そして今日のコンサートは、すべて同じシリーズなのである。ほぼ、月に1回あるようだ。片っ端から予約したので、シリーズであることは知らなかった。同じ体裁のプログラムがきれいに揃ってきたので、楽しい。来月エルヴェ・ニケとコンセール・スピリチュエルという今勢いのあるグループの演奏がある。これもこのシリーズ。 ちなみに、フランスではクラシックに限らずいかなるコンサートも、プログラム売りは同じ発音というか、同じ抑揚で会場を叫び回る。「プログラーム」というより「グラーン」としか聞こえないが・・・。 |
テ・デウム 古楽シリーズも佳境を迎え、上記で予告したとおり、コンセール・スピリチュエルの演奏があった。場所はおなじみサン・ロック教会で、曲目はシャルパンティエの「モロワ氏のミサ曲」「テ・デウム」であった。今回は古楽オーケストラ+合唱隊、ラッパに太鼓の鳴り物入りということで、サン・ロックの大きなドーム(この教会はフランスには珍しく丸いドームがある)がよく似合う、華麗な音楽である。どちらかというとヴェルサイユの方が似合うという説もあるが・・・。 このアンサンブルは、シリーズで見たどのグループよりも平均年齢が若い。その分若々しいかというとそうではなくて、服装に関しては最もクラシックであった。男は全員上下黒で揃え、白いYシャツに蝶ネクタイ着用。前回のレーヌがパンクだとすれば、こちらはモッズだな(笑)、という感じの、スタイリッシュでナルシストな格好良さがあった。立ってる姿勢が実にしっかりしていたし。 演奏の方はとにかくうまい人たちばかりなので、何も言うことはないのだが、今回初めてその名を聞いた「モロワ氏のミサ曲」という作品、これが予想外にすばらしいのだ。この時代としてはかなり長い大作であるが、一瞬たりとも飽きる部分がない。曲がいい上に、それを生かせる演奏と来ているので、例によって教会の椅子で尻が大変痛いにもかかわらず、それを忘れさせてくれる出来映えであった(笑)。指揮者のニケも、パリの聴衆相手ということで、一段と力が入っていた。彼はとても気さくな人で、演奏前にしきりに客のところへ現れ、地元と言うことで知人が大勢来ているのだろう、握手したりとなりへ座って話をしたりしていた。楽屋ではなく、客席である。こういうの珍しいと思う(笑)。 一方、「テ・デウム」であるが、ぼくがこのアンサンブルと出会ったのは、実はシャルパンティエの不倶戴天の敵、ドロドロのライバルであるリュリの方の「テ・デウム」をCDで買ったのが最初である。それ以前のいくつかのCDと比べ、何とモダンな解釈でテンポの速い演奏をする連中だろうと感じていた。古今「テ・デウム」というのは名曲が多いのだが、この2人に関してはリュリの負けである。シャルパンティエの作品はいつ聞いても華麗で、心が踊る。 ところで、教会でのコンサートは時々おもしろいことがある。というのは、ホールではないから、外の音が聞こえるのだ。例えば、飲食店街のまっただ中にあるサン・セヴラン教会では、演奏中に扉が開くと、向かいのギリシア・レストランの呼び込みの声が聞こえる(笑)。救急車のサイレンが聞こえることもある。ここサン・ロックは、日本でも有名なブティック街サントノレ通りに面しているのだが、ここも車がよく通る。今回傑作だったのは、演奏前の音合わせの最中、それもトランペットが合わせているまさにその時に、クラクションの音が実に微妙な音程で飛び込んできたのである。客に大受けであった。 コンサート会場にクラクションが入るなど、言語道断のように思えるが、別に顔をしかめる人はいない。これはこれでまた楽しいのである。特に今回のような絶妙のタイミングで入って客席が和むと、これはもうテ・デウムと言いたい。 |
巨漢 これはミヨーのことである(笑)。ミヨーというのは近代フランスの超多産な作曲家で、フランス語を知らなければなぜこれがミヨーと読めるのか、という不思議な綴りでも知られる(MILHAUD と書く)。 ぼくが定期購読している音楽雑誌に "Le Monde de la Musique" というのがあって、以前、フランス音楽とは何か、というより、フランス音楽と言えるものがそもそも存在するのか、という卑屈な特集(笑)があった。その中で、フランスにおける交響曲の歴史、みたいな記事が掲載されていた。そこには、オネゲルやミヨーが登場し、記事の著者はそれなりに彼らの交響作品を評価している。ぼくはオネゲルの交響曲は何曲かCDを持っているが、ミヨーはないので、今日買いに行ったところ、売ってないのである。フランスだけで知られるミニャールという交響曲の作曲家がいるのだが、これもほとんどない。売り切れと言うよりは、そもそもCDがないのだろう。掘り出し物は、ルーセルの交響曲があったこと。カップリングがラヴェルの管弦楽付き歌曲で、これがまた素晴らしい。 ところで、なぜ今日ミヨーを買いに行ったかというと、昨日、テレビで彼のドキュメンタリーが放送されたからだ。見ものはむしろ後半の、夫人のマドレーヌの思い出話の方であった。ストラヴィンスキーなどの音楽家はもちろん、コクトーやクローデルなどの作家の名も次々登場し、彼女自身もたいへんな芸術理解者・実践者なのである。 さて、前半は、アメリカで作られたミヨーの活動記録。動くミヨーを見られるのはこれが初めてなので、大変期待して見たのだが、ここに登場するミヨーは、太りすぎてほとんど動かないのであった(笑)。 |