不在の鳥は霧の彼方へ飛ぶ

 「不在の鳥は霧の彼方へ飛ぶ」パトリック・オリアリー ハヤカワSF文庫<SF1444> 2003.5 原作2002


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 SFには大きく二つの路線がある。科学技術の発展など科学性のある虚構によってあり得なかった状況が実現するところまでは同じ。
 一つの路線では、登場人物の価値観は、現在の我々とあまり違わない。文化的な変化があって、同性愛が当たり前だとか、殺人は罪ではないとか、規範のいくつかが変わっていることもあるが、それらは本筋に強く関わることはなくて、登場人物は正義や自由や忠誠や発展を標榜して活躍する。
 つまるところ、SFの仕掛けは、現在の我々と同じ規範に対する試練の場を提供する。途中のはらはらどきどきはあっても、最終的に規範の正当性が保証されて物語が終わる。
 もう一つの路線では、ある種の変化が、人間の価値観に大きく影響する。我々は、大切に考えている規範が、意外にもろい前提に立っていることを思い知らされる。SFは多少とも既成概念を取り崩す機能を備えているのが普通だが、この路線ではもっとも基本的な規範が切り崩される。
 結果として、楽しい読後感は期待できないのだが、人に深く考えさせる効果はある。

 規範を崩すという方法からは、崩れた規範を道具にして、現在の規範を間接的に揶揄したりもできる。ここまでくると、SFと普通小説との区別が曖昧になって境界文学などと呼ばれることもある。

 さて「あり得ない鳥」という原題を持つ本書だが、冒頭においては根本的な規範が崩されているような印象を受ける。また、特定の視野からの現代生活の批判的描写のようなものもあり、どうやら二つ目の路線に沿った作品のように思う。持ち出された仕掛けは、エントロピーの増大という、それこそ我々の存在の根本をなす法則を取り崩してしまう。

 とは言いながら、中盤を過ぎたあたりでいきなり話が分かりやすくなってくるのは、話の視点が二人の兄弟の考えていることに絞られてくるからだろう。
 そして、最後には二人の持つ日常的規範へと戻ってくる。
 そのように結末に対して安心させられるところがあるのだが、あのエントロピーの増大法則が崩れた世界で起きた混乱が提起した課題は読者の中に残るわけで、物語の構造としては分裂している。

 でもって、読者としては分裂した構造それぞれから読後感を引き出すことになる。ひとつめの、エネルギー第二法則が破綻した(とされる)世界。うーん、それはそれで楽しいと思うんですが。
 それからもうひとつのあれ。あれが必要なのは別に兄弟に限ったことではなくて、人間同士どういった関係でもあり得ることで、でもそうしたことが出来るのはすてきなことだ。そのことを示せたというのは結構なことでしょう。


 初稿:2003.8.19

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