サイレジア偽装作戦

 「サイレジア偽装作戦」デイヴィッド・ウェーバー ハヤカワSF文庫<SF1447>、<SF1448> 2003.6 原作1996


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 サイレジアを偽装する作戦ではなく、サイレジアにおいて展開される偽装船作戦。
 マンティコアの友邦国グレイソンで提督の地位についたハリントンだが、本国のマンティコアでは政治的に失敗して半給休暇の状態におかれていた。でもって、いよいよ本国での失地回復の話。提督からふたたび上級宙佐となって、主力艦を使わず、半端仕事をこなさなくてはならない。
 ありがちというか、お約束の展開だが、物語の範囲が際限なく広がってしまうのを抑制するみごとな構想。

 シリーズ第6巻で、私はシリーズを通したテーマを読みとったような気になっている。ハリントンの職業軍人として、民間人を守るため自分と部下の命を懸けて戦うというきっぱりとした態度をこの巻で意識した。
 民間人を守るという使命を全うするためとはいえ、確実に部下を失う形で(被弾箇所によって誰になるかはわからない)の指示を、職業倫理に従うとはいえためらいなく下すというのは、私としてかなりの違和感と衝撃を覚える。軍人を職業としてとらえるという感覚が私に無いことが原因で、その背景には軍隊に対する取り扱いの日本の姿勢がある。
 そうした意味で、このシリーズが日本で広く受け入れられるというのは、逆説的状況を除けば難しいと思う。

 もう一段抽象化して捉えるなら、これは職業倫理に沿って自己を規制する形を貫くという、プロフェッショナル物語であり、そうした物語はスパイとか科学者とか殺し屋とか探偵とかさまざまな職業について成立する。
 物語の軸は、その職業に徹した主人公で、それと対比する形で、徹しきれない同僚とか、プロ意識の欠如した上司とかが登場してさまざまな軋轢をもたらす。一般人の視点は、その職業の特異性を際立たせ、プロ同士の対決は高度な駆け引きに発展する。

 主人公が(宇宙)軍人であることがこのシリーズの第一の特徴であって、その意味で戦闘あるいは死の状況描写はかえって抽象化されているのかもしれない。
 第2巻「グレイソン攻防戦」の感想で、私は戦闘描写の抽象性に不満を書いているが、作品の焦点がまだよく掴めていなかったということだろう。シリーズを読んでいくことには、そうした意味で作品自体への理解を深めていくという楽しみがある。


 初稿:2003.8.6

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