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SFして考よう



 「銀河北極 レヴェレーション・スペース 2」アレステア・レナルズ ハヤカワSF文庫<SF1645> 2007.12
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 レヴェレーション・スペース完全版短編集の後半。「カズムシティ」で描かれた事件を契機に人類史は後退局面へ。そんなわけで、時代が進んでもかわりばえしない社会がだらだらと続く。そのぶん凝った(微細な状況の差が結果に大きく影響する)事件もあるようで、前半の短編と同じようなできばえの作品群が続く。

おすすめ度:★★★
 レナルズの作品がどんなものかは、短編集第1巻で大体見当がつきそう。あれが好きならこちらも好きになれると思うが、飛びぬけてすごい話があるわけでもない。

この本にもとづく随想:
 「カズムシティ」は人類発展の契機ではなくて、停滞の契機だったらしい。遠い将来を扱ったこの本の最後の(今のところ宇宙史の最後の)作品と、最近の人類発展振りがかみあわなくて、どこかに後退期を入れないとつじつまが合わなくなった、という事情はわかるが、私としては認識がさらに深まっていく世界を期待したい。同じ未来史に含まれなくてもいいのだから、そうした作品ができたようなら思わず”買い”なんだけどねえ。
 (2008.2.2)

 「火星の長城 レヴェレーション・スペース 1」アレステア・レナルズ ハヤカワSF文庫<SF1630> 2007.8
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 レヴェレーション・スペース完全版短編集の前半。レヴェレーション・スペースは啓示空間で、別に「啓示空間」という長編があって、要するに舞台を同じくする宇宙史。もう一つの長編「カズムシティ」に至るまでの短編が収められている。
 「啓示空間」にも「カズムシティ」にも読み辛そうな印象を持ったが、これはこの手の長編がシリーズとして特定の前提を置かないと理解しづらいということにもよる。レナルズの長編を読む前提として、手に取った。

おすすめ度:★★★★
 レナルズ入門としては、たぶん最適。この第1巻だけを読めば「啓示空間」も「カズムシティ」も読む準備が整ったと言えそう。但し、私はこの手のごちゃ混ぜ宇宙は好きでないから、よほど読む物が無い状態にならない限り手を出さないと思う。

この本にもとづく随想:
 作品「火星の長城」で、情報機械と人間精神の融合が人間の認識に何をもたらすのかという思弁が、作品の主題になっているのは私としては大いに楽しめる。この時代はまだそうした融合が始まったばかりだから、ほんのわずかな最初の変化だけが取り上げられている。この調子で、時代が下るにしたがって起きる巨大な変化まで描かれていく(その上で読者の支持を得ている)のならば、すごいことになるなあと期待を持ってしまった。
 短編集全体としては、そうした歴史の大きな流れに沿った人間精神の変化を扱うのではなく、時々の技術と生活の乖離がもたらす登場人物の葛藤が描かれる、ということで大きな歴史的流れとはあんまり関係ない宇宙小話。最後の話「ダイアモンドの犬」は構成も良くできているしガジェットも楽しいのだが、誰が何のために作ったかわからない”試練の塔”が登場という最初の設定からうかがえる、面白ければなんでもありという姿勢は評価できないなあ。

 最後の作品は長編「カズムシティ」と時期がかぶっていて、これがどうやら人類史の転換期であるようだから、この後は思弁性の高い作品が数多く登場ということになるのかもと期待しつつ第2巻へ。

 (2008.2.2)

 「盗まれた街」ジャック・フィニイ ハヤカワSF文庫<SF1636> 2007.9 原作1955
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 作品の映画化に伴う再出版。1950年代のアメリカの町を襲う宇宙からの侵略。迎え撃つのは結婚に一度失敗した、中産階級のおじさん(と美人で幼馴染でやはり離婚暦のあるおばさん)。
 ひそやかに侵攻する異形の生命体を相手に、そして何も変わりませんでしたという定番の結末に導くことはできるのか。

おすすめ度:★★★
 古典です。定番です。他の作品を読むための前提になります。

この本にもとづく随想:
 火星人よりも恐ろしい相手に、太陽系を越える宇宙的なスケールを背景に、襲われたある街。というか、他でも似たような街があちこちで襲われていたようだが。
 それにしても、すでに人間社会に深く浸透した侵略者たちを相手に、いったい何ができるのか。
 でもって、襲われたのがイギリスではなくてアメリカだったのが良かったのかもしれないなあ。文化的背景が無いと結末に納得するのは難しいかも。
 とはいえ、ウェルズの二番煎じでは誰も納得しないところで、似たような始まりと、似たような終わりでありながら、全然違った物語にするというのはやはり偉業というにふさわしい。
 (2008.1.30)

 「軍犬と世界の痛み―永遠の戦士フォン・ベック〈1〉」マイクル・ムアコック ハヤカワSF文庫<SF1632> 2007.9 原作1981
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 17世紀、キリスト教徒であり、前の歩兵団長、二挺拳銃(1発撃つと弾込めが必要)の使い手、ウルリック・フォンベックはルシファの手下として聖杯の探索におもむく。
 特に邪悪でもないフォン・ベックがなぜ地獄の主ルシファに見込まれたのか、その理由は不明ながらも、フォン・ベックに対するルシファの説得力はさすが。著者のメッセージはむろん聖杯の正体に反映されているが、いくらかあからさまに過ぎる。
 リアリティの強い(我々の世界と論理の多くを共有する)世界で、永遠の戦士がどうやって活躍できるのかが見ものだが、と言ってもちょっと現実から隠れたところに普通の人間には見えない世界が広がっている、というのは好き嫌いがありそう。

おすすめ度:★★★★
 永遠の戦士が、どこへどう行き着くのかを知るにはフォン・ベックの運命を見極めることが大事かも。

この本にもとづく随想:
 地獄の公爵アリオッホは、この地獄の階層では当然ルシファの下位に位置づけられる。そしてまた、ルシファを地獄行きにした神もまた世界の中に組み込まれる。そのあたりを永遠の戦士全体に対して、どう整合させていくのか、アリオッホとは一味違うルシファの邪悪さがどう表現されるかというのが読む前の期待だ。
 歴史小説は、その時代に生きた人の価値観をいかにもな形に(かつ、現代の読者にウケるようにして)描き出さなくてはならないから、作品としては難しい。その意味ではフォン・ベックの全体像はいかにも現代人的だが、それがまた彼がルシファに見込まれる原因の一つだから、ある種の突然変異(あるいは永遠の戦士の家系の特徴)なのだろう。
 その他の人物も開明的過ぎるようだが、まあやむをえない。私の興味は、他の戦士たちの世界とこの作品世界がどうつながるかに集中する。
 全体として破綻の無い構成は、さすがに著作に慣れきった頃のムアコックと思うが、いくらか力技が過ぎるところも。テーマ性の強い作品だからそれもやむをえない。

 特別な超能力もない、いわゆる普通の人間が、どう地獄の神々とその使徒たちと伍していくのか、そのあたりが楽しみどころ。

 (2008.1.30)

 「雄牛と槍―永遠の戦士コルム〈2〉」マイクル・ムアコック ハヤカワSF文庫<SF1641> 2008.1 原作1973、1974
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 コルム後半三部作。リンの眼とクウィルの手という、圧倒的な魅力の仕掛けもなく、あらたなコルムの冒険がありうるのかという不安を感じる後半三部。
 未来からの召還に応えてあらたな戦いに挑むコルム。今度の相手は神ではなくて、異形の存在。それでも人間の力ではとうていかなわない。地精の助けを借りた戦いの行方はいかに。

おすすめ度:★★★★
 前半三部作についで良くまとまっている。永遠の戦士のありようがほの見える。

この本にもとづく随想:
 コルムの動機はもはや私闘ではない。やみくもに戦いと、人類の救済を求めてみずから召還に応じる。戦うことを自分の運命と定めて戦うヒーローというのはなにか怪しい。

 ものごとは予定調和的に、魔法の道具やら、異世界の生物やらを巻き込んで、危機に陥るコルムを都合よく助けていく。それこそがアイルランド神話の面白さと、楽しむべきところ。それでもコルムがいなければ物事はうまく働かないのであるから、コルムこそが事態を変化させるかなめの存在だ。それこそが永遠の戦士なのか。何か大きな変化が必要なとき、その変化を実現させるべく何者かによってそこに置かれ、不要になれば取り除かれる。

 戦い続ける宿命を担うとはまさにそのことであり、それを知りながらも自分の意思を通すものこそ永遠の戦士の条件にかなうのだろう。

 世界がどうあろうと自分の行き方を通す、それは美しいが、戦いこそが仕事というのでも良いのかなあ。

 (2008.1.27)

 「剣の騎士―永遠の戦士コルム〈1〉」マイクル・ムアコック ハヤカワSF文庫<SF1641> 2007.11 原作1971
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 コルム前半三部作。混沌の神々を、騎士、女王、王の順番に倒していくという主題がはっきりした構成の永遠の戦士。行き当たりばったりに書き継がれるエルリックとは対照的。そのぶん著者の表現したい世界が良くわかる。
 ムアコックが魅力を感じる神話的・伝奇的世界にどっぷりとのめりこめる。作品全体の鍵になるリンの眼とクウィルの手の怪しさが嬉しい。

おすすめ度:★★★★
 ムアコックの作品の中では美しくまとまっている。美しければ良いというものではないけど。

この本にもとづく随想:
 人間の挑戦を受ける神々、はある種の自然力の源泉としてあらわされ、ひとは実体不明のちからを神に仮託することで、それに挑戦しやすい条件を作り出す。この意味で神はひとの想像力の産物であって、強大な力を持つとは言っても、いったん具現化してしまえば打倒されることもある。
 ムアコックが作品中にほのめかすように、混沌の神々も人間が作り出した存在なのかもしれない。打倒できる相手とはいえ、それができるのはやはり半神的な者であって、しかも打倒する側として人間的な条件を備える必然がある。

 人間が神を打倒するには、さまざまな条件を整えなくてはならない。時には、怪異の助けを借りることも。この結果、神を倒すという大きな目標を達成した側も、相応の犠牲を払うことになる。その犠牲を覚悟しながら、やはり神を倒すという目標をあきらめられない強い動機が倒す側には必要だ。
 この三部作でのコルムの初期の動機は、個人的復讐と同族探しであり、世界の救済などという高邁なものではない。それがいつのまにか複数の次元界を神々の支配から解き放つ結果にまでつながる。
 コルムは私闘を通じて、本当の相手は敵を作り出した宇宙の根幹に関わるものであることを知り、最終的には宇宙を救う役割を果たすことになる。

 むかしばなしに源泉を持つ物語のおもしろさは、ドミノ倒しに似た形でものごとが動き始め、ついに思いもよらぬ結末に至るところ。ドミノがあますところなくすべて倒れ切って、静かな美しい形が残されているというのがこうした物語の完成度を評価する基準になる。ムアコックの作品の中でも、その意味で特によくできた作品だと思う。

 (2008.1.27)

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