もっと情報

(1)基本概念
 最近はコンピュータが情報を取り扱う機械として広く普及し、そのための環境が一層整備されつつあるが、その機能は照合と判定だ。情報の照合と判定は人間生活の根幹にかかわるものであるが、情報理論の基礎は1940年代から1950年代にかけて確立された。特に押さえておきたいのは情報量の概念。情報理論では次のように定義される。

 情報量:あたりまえじゃないことがどれだけ表現されているかを示す指標。確率1/2で起きる事象が”起きた”ことを表す情報の量が1ビット。1/e(eは自然対数の底)で起きる事象が起きたことを表す情報の量が1ナットと呼ばれる。
 だから「ちきゅうはまるい、ちきゅうはとてもとてもまるい、ちきゅうは球体だ。」という信号はあたりまえのことしか言っていないので情報量はほとんどゼロ。「宇宙人が地球に電波信号で友好メッセージを送っていることは確認されていない。」という信号も情報量は乏しい。
 逆に「宇宙人が地球に電波信号で友好メッセージを送っていることが確認された。」とかの情報量は大きい。

 情報論では質や価値の定義は無い(はずだ)が、楡岡流として次のように考える。但し、厳密な定義にはしない。

 情報質:真実がどれくらい入っているか。
 だから「ちきゅうはしかくい」という信号の情報量は「ちきゅうはまるい」に比べて高いが、質は低いということにする。

 情報価値:必要な情報がどれだけ入っているか

(2)情報の現在
 現在の情報技術は量の確保。未来の情報技術を考えるのなら質や価値をどう織り込むのかが鍵になる。とは言っても近未来についてならまだまだ量の確保について実現すべきことが多いと思うけど。大量の情報をどう確保するか、短時間にどう判定するか、単位あたりの情報価格をどう下げるか。

(3)情報の価値
 本とか辞書は、情報を求めるために買われることも多いけど、辞書に載っている言葉一つあたりの値段は只みたいなもの。とはいえ、参考にする情報が一冊の中に10件あるとすれば、その10件のために辞書を買うと考えることもできるので、個々の情報の価値は平均値よりはだいぶ高いかもしれない。
 同じ辞書でも、使う人によってめいっぱい利用されたり、数件の情報しか求められなかったりするとなると、新しい情報の価値はもともと調べる人が持っている情報量と正の相関があると言えそう。
 ほとんどあらゆることを知っている人や社会が、さらにあらたなことを知ろうと思えば大量の出費がいる。逆に何も知らない人なら(その人にとって)価値ある情報は只同然で大量に手に入る。

 価値のない、あるいは有害な情報というのもある。そういう価値判断をどうやるかという話。たぶん、体系の中で矛盾のない情報が良い情報。若いうちは矛盾をいっぱい抱えている状態。歳を取ると矛盾はあっても芯になる部分はもうできあがっているから、根幹のところで判断に迷うことはない。
 では、初期の矛盾ばかりの状態をどうやって克服するのか。そりゃ、納得のいくまで情報を比較検討するしかないでしょうねえ。焦って安易に特定の体系を受け入れてしまうと、結局間違っていて人生を棒に振るという危険がある。 (2000.2.12)


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国際宇宙ステーション(写真提供:NASA)