比較思想研究の立場から、仏教の誕生に焦点を当てた説明。苦行や輪廻思想がどこに起源を持つのか、それがどのように仏教に取り込まれたのかなどが興味深い。
釈尊の誕生や生涯の説明は、一般によくあるもののようで私に新鮮味はなかったが、知らない人にはわかりやすいと思う。
古事記に書かれた様々な話は、どんな起源をもつか。日本書紀との関わりは。少数民族に伝わる神話調査の最近の成果も取り込んだ古事記研究の現在にも触れる。
食べるギリシア人――古典文学グルメ紀行 (岩波新書) 著者:丹下 和彦amazon.co.jp
古典ギリシア作品の中で、英雄や人々は何を食べていたか。主題としては興味深いが、残念ながら手掛かりが乏しい。文学研究は主題によっては十分な成果に至らないこともある。ヘラクレスの焼肉作りはなるほどそうなのかという点で興味深かったが、おいしい料理作りの参考にはならないようだ。
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東京の地層はどうなっているか、どこに断層があり、どこの地盤がゆるく、どこが沈下しているか。 防災の観点をふまえ、地層を見るというある意味実用的だが、時代を数万年さかのぼっていくのは、学究的側面が強いとも言える。 地震や災害にかかわる関心が高まる中、わかりやすく専門的に踏み込んだ解説はありがたい。 東京23区を中心として、関東平野に焦点を当てている点はあまりに局所的で、その意味で難解だが、時代をさかのぼるにつれて地層をどう読むかという一般的な話になっていく。 青梅、浅草、錦糸町と固有の地名が出てくるところは東京の全般にわたる土地勘がないとなかなかぴんとこない。東京在住の人でもそれだけの広さにわたって具体的な感覚は持ちにくいように思う。一方で、海進や海退にともなう地形・地層の変化がどう読み解けていくのかは一般的な意味で興味深い。 地震に強い住居を定めるにあたり、断層と地盤をどう見ていけば良いかの指針を得られる。また国土交通省の主題地図の都市圏活断層図はまさにこの観点から作られていて、本書を読むとその見方がよくわかる。 |
仏教が当時のインド思想に対してどう革新的だったかを説くという点に興味を感じた。当時の思想がどう仏教に取り込まれ、またどう違っているのか。
伊藤博文に興味があるのではないが、当時の政治的選択にどんなものがあったのかがわかりそうなので。
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1897年の著作。ドラキュラと言えば誰でも吸血鬼を思い出す。「吸血鬼」のことを「ドラキュラ」と呼んでしまうこともある。 解説によると、吸血鬼作品としてドラキュラは最初のものではなくて、「吸血鬼カーミラ」は「ドラキュラ」よりも古いものだそうだ。それ以上に古い作品もある。 ともあれ、すでに100年以上前の著作がどこまで現在の鑑賞に堪えるのかは心配。構成は、手紙や日記を連ねるもので、いかにも古い。
ドラキュラの敵役としてヴァン・ヘルシング教授が登場。この名前には覚えがあるが「ドラキュラ」の登場人物だったとは。トランシルバニアのドラキュラ城から、ドラキュラがロンドンへと移動してくる。犠牲となり吸血鬼としてよみがえる美女。
ヘルシング教授はすみやかに吸血鬼退治の方法を見つけてきて、いかにも都合良いと思えるところがある、活劇がいくらか物足りないという感じだが、展開は面白い。 |
江戸時代の著名人が、どんな思想を持っていたのかをたどる国文学者のエッセー集。国文学者が歴史に言及する、あるいは歴史的事象の背景にある思想について語るのは、本業と離れていることと、総合的な視野を提供しないことからなるほどエッセーと呼ぶべきものと思った。
とはいえ、国文学を研究するにおいて、思想的背景につい深く知るのは必須の事項であることを鑑みれば、その研究の一端を担う歴史的思想についてエッセーであれ、興味深い。
内容的にはやや統一を欠く。取り上げられている人物もさまざまな意味での著名人で、現代的な意味で直接参考になるような思想ばかりではない。
松平定信の朱子学と、新たな方法論を開く荻生徂徠の対比が特に私の関心を引いた。古来の儒学が宗教に分類されうる理由を知ることができた。
「吸血鬼ドラキュラ」の流れで購入。これだけあればしばらくはフィクションが無いと嘆くことはなさそう。
芭蕉には興味を持っている。ともあれ俳諧師が俳諧によって評価されているのであれば俳諧を通じて理解するのが適切な方法だと思う。芭蕉の発句973句を注釈する本書がその期待を満たしてくれるものと思う。
シリーズについて否定的なことを書いた直後だが、しみじみとした雰囲気は好き。人情捕り物帳が歴史大河小説になる状況も確認したい。時間のあるところでじっくりと読み進めていきたい。
官僚はヨーロッパでは18世紀頃からあって、福祉社会を求めるにもかかわらず官僚不信があるという構造はむかしからあまり変化がないようだ。官僚は必要だが官僚は信用できないとなるのは、何が問題でどうしたら良いのか。
歴史的な視野を意識したうえで政治学の立場からはどういう答えが出るか、また、政治主導が必ずしも本意ではない小さな政府へとむかう理由は何かと、現在の社会を解釈する視点の一つが得られたと思う。
38巻まで続きその後も次のシリーズへとつながる、人情捕り物帳(と1巻の説明にはあるが38巻では歴史大河小説と書かれている)。読みたいフィクションが欠乏しているところでやはり長く支持されているシリーズなら期待できそうと読みはじめた。だが、なかなか進まなくていったん7巻途中で停止。最近読み物がなくなって、とりあえず買い溜めていた8巻まではと再開した。
どこが気に染まないのかと池波正太郎との比較を試みた。あちらの主人公は修行を極めたある種の超人で、こちらは腕も立ち洞察力も優れているとはいえ、超人ではない。超人の行動は道を究めた者の深い認識に基づく。そこが関心を引くが、実際には現実を超えている。かわせみは、そうしたくどさが少ないぶん印象が薄くて淡泊になっている。
フィクションに快刀乱麻の爽快感を求めるのならちょっと刺激が足りない。
フィクション系の読み物が乏しくなって、ふと目についたところで購入。そういえば「フランケンシュタイン」も買ってあることを思い出した。先日本を移動させる必要があって山に埋もれていたところから取り出した。
城はしばしば焼失し、また作り変えられて現在に至るから、一般に新旧の入り混じる建造物だ。城の構成要素や成立の事情などをいろいろな要素を取り出して解説してくれることから、現在の城をどう見れば良く理解できるのかがわかる。
堀の長さはどう決まっているとか、石垣の積み方はどうかとか。
後半は、各名城ごとの成立の歴史を含む解説。山里丸とか風雅をも含む城の構成は興味深い。
当面気になる話なので、他の本を読みさして読んだ。
法律の立場から、今回の事故はどう解釈されるのかという話。まず前提になるのが「原子力損害の賠償に関する法律」(原賠法)で昭和37年から施行されている。
これに加えて、一般の損害賠償法とか憲法とか。
しばらく前の新聞記事に、放射能をばらまいてひとに迷惑をかけているのは電力会社だから、放射能を回収して回るのも電力会社の責任だろうという主張に対して、電力会社側は放射能は無主物で、土などと一体化していることから回収の責任はないと反論しているというものがあった。
この本を読む前は、会社による放射能回収は当然と私は思っていたが、そういうものではないようだ。無主物だからとか、一体化しているからというのは正当な主張なのかどうかはわからないが、何にしろ、損害があれば(認定されれば)それを保証するというのが事故を起こした側に課せられる責任らしい。
すみやかに、社会的に正当とされる保障を得るためには法の枠組みを知らなくてはならない。その意味で大いに役に立ちそうな本だ。
原発事故で放射能を振り撒いた東京電力の責任の在り方がどうもよくわからず、新聞書評でこの本を知って、もしかしたら参考になるかもと思った。
発売日が去年の9月で、事故から半年のあたり。今はそれから4カ月たっていてもう旬を外している可能性があり、新潮新書というのも警戒を覚えるところだが、警戒心よりは興味が先行している。
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計算をしたおして結論を出す19世紀数学を、概念を扱う数学へと変化させる契機を開いたガロア。数学に親しむ身としては、ガロアが何をしたかとかどんな生き方をしたかについてはいくらか知ってはいた。 しかし、どのような環境でその業績を上げたのかは知らなかった。ガロアの先輩にあたるコーシー、フーリエ、リーマン、ラグランジェ、ポアソン。同輩になるアーベルなどは数学史の中にどう位置づけられるのか。ガロアの生きたフランス革命期にひとはどんな生き方をしていたのか。そこでガロアの論文はどういう扱いを受けたかなどが興味深い。 だがしかし、ある時代の数学の発展を扱うという意味で、多少とも数学史に興味を持っていないと読み進むのはつらいかも。 |
浄土真宗の開祖親鸞。私は仏教徒というわけでなし、親鸞に特別な思い入れはないが、教養として、あるいは好奇心として親鸞がどんな人でどういう教えを残しているのかには興味がある。そうした意味で、伝記小説は軽い気持ちで読めるのでありがたい。
経典に書かれていることの解説も多く含まれていて、満足できる物語だった。
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14世紀のイスラム世界は、イベリア半島から北アフリカまで広がっていたが、そこではカリフの座をめぐる戦いが頻発していた。王朝が起こっては滅びる、とはいえ土地の有力者のすべてが王朝と運命を共にするわけでもない。 キリスト教圏からの巻き返しも激しさを増す。
そうした中で、歴史の原理とは何かを追求したイブン=ハルドゥーン。 本の後半は、イブン=ハルドゥーンの主要著作「歴史序説」の抄訳が紹介され、現代思想へのつながりが説かれる。 |
曽我物語を端緒に、土地に根付いて家を築いていく中世武士団を時代に沿って追う。小早川の系譜と朝倉の一乗谷の構造については、戦国末から江戸期へとつながる意味で強く感心を惹かれた。
魯迅の生涯はなかなかに複雑だと思う。革命家としての面だけでなく売文家としての面もある。特定の面を強調すると国に称揚されたりもするのだろう。日本からのまた日本への影響もあり、その時代を知る意味でまた現代の中国文学の傾向を知る意味で興味深い。
心理学は学問的に何を目的として、どういう方法論を取るのか。歴史を振り返り、現在のテーマを紹介する。
初期に試みられた有名な実験など、心理学に関する知識をいま一度整理する意味で良い。
曽我物語というと、江戸時代にも愛読された物語だが、その世界観となるとよく知らない。ということで、中世の武士がどんな行動原理を持っていたかは気になる。
昭和18年の連載をまとめたもの。当時の国威発揚の雰囲気の中で、民族的特徴というような話を交えて、日本海海戦を当事者の人となり、戦略といった視点から語る。
最初のあたりの、戦争は生産、研究、資源とあらゆる国力を結集して行うという記述に圧倒される。研究者を含めて戦闘技術を国を挙げて磨き上げていくという国家感は私には新鮮だった。
時代の変遷をあらためて考えてしまう。
存在論だけでなくて、学習の仕組みとか、社会の起源とか、ひとに自由はあるのかとか考える主題は尽きない。個々の記述はあまりに短いが、それでも生活の基本的なところにどんな課題があるのかをあらためて気づかせてもらえるところが良い。
十字軍と言えばエルサレムを目指すものと思ってしまうが、コンスタンティノープルへ向かうものもあり、今一つよくわからないところ。本書によると北欧に向かっても十字軍と同様の許しが与えられるとのこと。支配しなくても貢物を取れる領主と、支配下に入れなくては税を取れない教会。様々な思惑の中で教会の浸透が進む。
キリスト世界以外は、悪魔の支配地なので、そこの住民を殺戮しても悪事を働いたことにはならないとか。崇高な使命を帯びて地獄を征服に向かう中世騎士の気持ちを思うと何となく共感してしまう。
欲しいかなと思った本はあまり抵抗しないで買う。心理学の学問としての体系に興味がある。世の中には心理学と称して世俗的な興味を掻き立てるものがあるが、個別の話には特別惹かれない。この本の見開きにトランプの写真があり、その意味で警戒心が起きた。
しばらく本を買っていなかったところで、衝動買いに近いかも。兵器としての城にどんな配慮がなされているのかというのはとりあえず興味がある。渋沢栄一の商売哲学が読み取れると良いと思う。期待と合っているかどうかはよく見極めていない。
現代につながる江戸の思想の流れを示す、というのが著者の意図に含まれているとのことだが、おわりにに書いてあるようにいささか無理な課題だったようだ。思想の中にはほとんど現代とのつながりのないものもおそらくは大量にあって、それらをも含めて総体を見たときに、ある種の流れが見えてくるのかもしれない。
流れの本流だけを見ても、それが流れなのか、あるいはよどみなのかを知るのは難しいと思える。
ある作為を持って選ばれてはいるものの、思想の個々の様相を知る妨げではない。それぞれに著名な思想、思索者が取り上げられているところは私のように前提知識の乏しいものにはありがたい。私の場合、とくに江戸初期の朱子学や儒教の受け入れ方に興味をひかれた。
「ユダヤ戦記」に続いて、よくもがまんして読んだと自分で思える。中世のキリスト教圏では広く流布し、旧約聖書のわかりやすい解説であり、新約聖書の同時代的記述であり、十字軍のためのパレスチナ案内にもなったという、その時代の常識的書物であるからには、当時の他の資料を理解する上での前提になる。
そのうえ、旧約聖書に何が書いてあるのかは、現代のキリスト教文化圏の資料を理解するにも前提となる。
私のレベルとしては、出エジプトとバビロン虜囚はどう違うのかとか、ダビデとソロモンはどういう関係かとか、そのあたりを漠然と理解したというあたり。
あとは、「ユダヤ戦記」の補強。
それぞれの社会環境に応じた哲学に触れるのは、自己の哲学を深める意味で大切と思う。イスラムの哲学はどのようなものなのか興味がある。
「ゲド戦記」はゲド(という人物)の戦いの記録だ。なので、ユダヤ人の戦いの記録かというとそうとは言えない。「ガリア戦記」はカエサルがガリアと戦った記録だ。なので、誰かがユダヤと戦った記録かというと、これもまた違う。
戦争がなかなか始まらない。三冊のうちの第一冊はユダヤの王ヘロデにかかわる年代記でこれだけで100年くらいの期間がある。
そもそもこれは何を書いた本なのかが、読み進んでもはっきりしてこない。とはいえキリスト教における重要な文書だということで、単なる楽しみのためではなく、教養・知識を探索する上で、避けて通らないのが良さそうだ。
そんなわけで、ともかく読み通した。読んでみて、全体がわかればこれをどう読んだら良いのかがわかる。そこであらためて内容を振り返って納得するという、てごわい文書だ。
ともあれ、ローマがローマ人以外をどういう考え方で従わせていたのかとか、ローマ人はどんな戦争をしたのかとか、ユダヤ人はローマとどう関係したのかとかが具体的に書かれている。きわめて興味深い内容だったと思う。
ダイジェスト版みたいなものを2冊も買ってしまった。「ユダヤ古代史」と「戦争と平和」を並行して読むという、大作に取り組んでいるところなので買いが低調。
SF枯れで、読みさしていた真田太平記を再開。八巻にはいったので最後の2冊を押さえておこうということ。
魯迅には「阿Q正伝」の著者だ、中国の人だ、20世紀に文学活動をした、という程度の知識しかない。それなりに現代に関わる文学的業績を収めたと思うがそれはさて。というように気になって購入。
問題のあるタイトル。貴族はそもそも世襲で、財産を含めて世襲してその地位を維持してきた。
明治期に高等学校を卒業し、そのまま帝国大学から政府の要職に就くという機構があったのは事実で、政府要職の師弟がまた高等学校へ進学する機会に恵まれたのも事実だと思うが、それが継続したのは50年程度で、これでは連綿と続く貴族の系譜を作る期間には足りない。
高等学校という学歴の価値がその期間に称揚されまた低下したのも事実だが、それが栄光あるいは挫折という表現にふさわしいかどうか。
20世紀60年代の学園紛争は何を問題にして、どう終わったのかを歴史的に解き明かしたという書物のようだが、それに至る過程の描写が長い。
明治期の高等学校は社会の発展にとって有意だったのか否かという問題意識には答えてもらえなかった。
江戸時代の貨幣体系が、それまでとはずいぶんと違った体系に思える10進法の円に変わる。書名を見たときに、確かにそこにはなんらかの理由が無くてはならないと思った。
著書は、江戸時代の貨幣体系の変遷をたどり、日米通商条約の内容とそれに関わる日本側の思惑に踏み込む。
アメリカ総領事のハリスはなるほどこういうことをしていたのかと納得する。
いわゆる不平等条約を受け入れてしまう幕府役人は、条約の深い内容を理解することもないほどに無能だったのかというと、武装脅迫を受ける不利な条件の中で、それなりに考えつくした対応を行う。
幕末期の役人がここまでできたのかと驚かされる。明治維新には腐敗堕落した幕藩体制が新政府によって打倒された、という印象を持ってしまうが、これを見る限り幕府役人は腐敗などしていない。となると、かなり堅実な官僚体制を残していた幕藩体制が倒れる理由に体制の腐敗以外の理由を求めたくなる。
当時の候文体文書が現代語訳をつけずに引用されている点で、読むには苦労したが、認識を新たにできた。
思想史の魅力には弱くて、あまりなじみの無い江戸期の話なので買った。研究がどこまで行き届いているのか、読むにおいて満足な内容かとの不安もある。
19世紀末から20世紀初頭における、アメリカの海軍戦力整備の必要性を訴えるマハンの論説集。これが支持されていたことから、当然ながら社会的な認識もそうした傾向にあったと思う。
理路整然としていて読みやすいが、あとがきによると訳者泣かせの難文とか。翻訳・編集の努力の成果であろうか。
マハンの戦略論は日本にも強く影響した。海軍の戦備において主張するところは、拠点を制した上での制海権確保と敵艦隊撃滅を目指すものだ。
複数の国家が制海権を争ってついには太平洋戦争、という構図は一般に広く流布されているように思うが、マハンの主張は単なる戦略ではなくて、どこに制海権を広げるべきかという政策に踏み込む内容を持っていると思う。
特に、ハワイの確保については、商業上の拠点を守ることがアメリカにとって有利になることが主張されている。
海外拠点との商品流通の航路を守ることの重要性、また、アメリカがハワイを確保していると他の国家のどこよりも利潤を上げられると主張する。商業上の利益があるからこそ、そこを守る艦隊にも多大の費用を掛けられる。
となれば、制海権は常にその海域での商業利益を最大化できる国家が手にすることになる。
仮に大日本帝国がハワイを手に入れて、アメリカよりも大きな商業利益を確保できることになっただろうか。マハンの戦略論ではなく政治力学に従った場合、太平洋戦争でハワイの艦隊を壊滅させるという緒戦の作戦は正当性を失うようにも思う。
他にも、予備役兵の意味や確保の方法など、軍事において配慮しておかなくてはならない問題に触れられていて、政治と軍隊の関連において興味深いことがいろいろとある。
学歴の価値とは何か、という疑問から購入。未読本が増えているので、強く興味を引かれる本以外は買わない方針だが、これについては基準越え。
序章 西田幾多郎とは誰か は興味深く読んだ。京都学派、あるいは日本のその後の哲学者はどのような人たちだったか。その後の幾多郎の思想の解説は飛ばし読みになった。解説にもあるように、幾多郎の哲学は追及の甘さがあると思う。とはいえ、日本の当時の社会情勢を鑑みると、そうした事情の中で考えることを追求した幾多郎の著作には魅力を感じる。
哲学がどこまで広範囲に対象を設定できるのかを知る端緒として、幾多郎を知る、あるいは本書を読むことがあって良いとは思う。
購入を先延ばしにする理由も無いので、早速行きつけの大型書店へ。近場のやや大きめの書店ではさすがにそろえるのは無理だった。
「ユダヤ戦記」の横に並んでいた「ユダヤ古代誌」にも思わず手が伸びてしまった。リアル書店のそうしたところが楽しい。久々の大量購入で快感がある。
新渡戸の「武士道」は1月9日の項で触れて、やはり読んでおこうかとついでの購入。
しかし、これから読み始めるのは「西田幾多郎の生命哲学」になりそう。連続して同じような主題の本は読まないことを基本にしている。
1700年も前の著作をこうして読める、というのがまずはすごいことだ。ただ、より古い時期の「ガリア戦記」amazon.co.jp は、著者の勝手な解釈が強くあるのだろうという思いで、多少惹かれるものはあるのだが、手を出していない。
「教会史」も著者にとって都合の良いことだけが書かれているには違いないが、記述の範囲が広いことから、比較的事実に近いことも読み取れるのではないかという期待がある。
いまひとつは、キリスト教会が自分たちを社会に位置づけるあたって、よりどころになる文書なので、キリスト教会のありようについて理解の手がかりになる。キリスト教会は西洋文化を通じて私自身の文化的背景の一部だから、その理解につながる。
迫害、疫病、異端といった現在とはかなり異なる事情の中で、ひとびとはどう生きていたのか。訳者によれば”天下の悪文”らしいので、訳者の努力があっても読みにくいところは多い。
訳者によればこれに「ユダヤ戦記」 1 amazon.co.jp 2 amazon.co.jp 3 amazon.co.jp を併せることでこの時代に対する一層の理解が深まるようだ。「ガリア戦記」はひとまず置いておいて、こちらは近いうちに手に入れておきたい。
西田幾多郎の思想にもいつかは触れてみたいと思っていたが、これが良い機会かも。一瞥ではわからないこともあるが、買う前にページを開いたところでは追及が甘めな印象。西田幾多郎思想に対する私のイメージがもともとそんな感じ。
江戸の貨幣単位から明治の貨幣単位への切替がどう起きたのかというのは、斬新な着眼点のような気がする。
ヨーロッパ思想の変遷にはもとから興味があり、特に北へ向かうキリスト教思想は目新しい。キリスト教に追われる北欧の神々の話は「北欧神話と伝説」amazon.co.jp で読んでいるから、キリスト教側から同じ話を追うことになるか。
講談社学術文庫の新刊で3冊は、現状の未読量からするとやや買いすぎだが、主題がそれぞれ気にかかるので思い切った。
フランスから始まる万国博覧会の歴史的意味。明治政府の使節はそこでどのように扱われたか。大阪万博や上海万博はその流れのうちにどう位置づけられるか。
展示内容の変遷も興味深い。(2011.1.10)
中国からの視点にとどまらないモンゴルの歴史。西洋世界にも大きな影響を与えたモンゴルが元が中国大陸の政治的支配から手を引いたとしても、それはモンゴルの滅亡を意味しない。モンゴルは、中国をいかに支配下に置き、またどれだけの領域を支配したのか。その世界的な意義は。(2011.1.10)
家の神には表側に祀られる公的な神と、裏側に祀られる私的な神がある。裏の私的な神に注目し、地方の分布やそれに関わる信仰についての論文集。民衆の歴史をそのようなところに読み取るのも良いものだ。(2011.1.10)
西暦936年の朝鮮統一までの歴史いまだ韓国の考古学研究は十分ではないようだが、何があきらかで何があきらかでないのかを示すことも大切だ。
大和朝廷とかかわりの深い百済、新羅、任那の三国はどうなったか。中国や高句麗との関係はなど。(2011.1.10)
著者が冒頭で語るとおり、ことばの可能性を探るにはことばの遊びが必要だ。歴史的に見て、日本語がどう可能性を試されてきたのかを時代を追って紹介する。
「歌舞伎年代記」の二世市川団十郎によるういろう売りのせりふが好き。(2011.1.10)
構造主義で名高いレヴィ・ストロースの著作であるからと期待したが、デビュー作のせいか、それともアマゾンの評価に書かれているように訳が悪いのか、まとまったなにかを読み取れなかった。全体が紀行文のようであり、発表時にかなりの評判を呼んだというのは時代性があったのかどうか。
レヴィ・ストロースの経歴については読む前よりも理解が進んだ、と思う。(2011.1.10)
表題に”新”とあるとおり1989年に前著が著されている。今回と前著の間に重複は無い。高々20年の間に、歴史認識がそこまで変化するのもなのかというのが最初の驚きだ。確かに、取り上げられているさまざまな史観を読んでいくと、歴史観にもさまざまな変化があることがわかる。
一般の人が歴史を語ると、たいていの場合はこうした多数の歴史観のどれかに落ちていくであろう。これと議論するためには、相手の寄って立つ歴史観を明らかにしなくてはならないが、中には多様な歴史観のあり方など意識していない人もいるものと思う。
有用な議論のためには、みずからさまざまな歴史観に触れておく必要があるので、こうしたまとめはとても役に立つ。(2011.1.10)
能楽師の稽古方法から、特に子供の身体能力向上を目指すトレーニングを紹介する。柔軟体操時により体を伸ばす方法、大腰筋の鍛え方が具体的に書いてあってよかった。(2011.1.10)
もともとは国鉄職員向けにまとめられた資料。黎明期においては鉄道に対する人々の捕え方も違っていた。初期の鉄道線路の敷設にあたり、そうした事情がどう反映されたかというあたりが私には印象に残る。(2011.1.10)
フランス二月革命後に外務大臣を務めたアレクシス・ド・トクヴィル。アメリカ旅行を通じてデモクラシーのあり方を考察する。アンシャン・レジームからフランス革命へつながる中での、デモクラシーの連続性はどのようであったのか。
デモクラシーの黎明期にあって、それがどう捉えられて現在へつながるのかを示す点で興味深い。(2011.1.10)
角川文庫でこの手の本が出るのは異例と思う。18世紀初頭、世界航海を行っている艦船には経度を知る手段がなかった。緯度であれば、例えば北極星の高さを測れば知られる。
イギリス議会は1714年に実用的な経度計測方法の開発に莫大な賞金をかけた。経度計測方法の開発が活発化するが、対立したのは天体観測に方法論を求める学者たちと、精密な機械時計を作ろうとする時計職人。
技術上の問題に加えて、職業的プライドをかけた政治的対立が生じる。
精密時計作成にはどんな技術が必要か、天体観測で時刻を知るにはどんな方法があるか、作成された精密時計H−1は今どこにどうしているか、というあたりが私の興味の焦点だが、適切な問題提起で読者の興味をつないでいく著者の手腕もなかなかのもの。(2011.1.10)
同名の著作で新渡戸稲造の「武士道」amazon.co.jp が有名だが、「甲陽軍鑑」や「武家諸法度」、「吾妻鏡」などの多数の文献を論拠として武士の思考に迫ろうとした点で、掲書は客観的な議論を導いている。室町時代の武家から、江戸時代の武士まで時代による考え方の変遷があるのは当然のこと、また地方的な変移もある。
武士道については、偏った知識や、思い込みや、誤った教育の結果、あるいはその再生産でしか語れない人が多いように思うが、掲書は単なる資料の表層や一部を扱うのではなく社会的背景にまで踏み込んだ全体的考察を通じて、武士の論理をあきらかにしていこうとする。学問の資料としての文献の扱い方にも感心させられる。(2011.1.9)
うわ、また岡田温司だったのか。買った後で著者名に気付いた。この人のテーマの取り方は私の知識欲と妙に合っているようだ。最近読んだところでは「マグダラのマリア」amazon.co.jp 、「処女懐胎」amazon.co.jp 、「キリストの身体」amazon.co.jp 。絵画に表された時代精神を読むのはポランニーの「暗黙知の次元」amazon.co.jp にもつながるところだが、時代精神を通俗的次元で読み取る手段として適切なのではないかと思う。
著書は、いわゆる18世紀貴族のグランドツアーの中身に触れるものだ。グランドツアー自体は一種の流行であって、現代の観光旅行に通じるので、それ自体としては深い意義を表すものではない。ともあれ、サロンの構成とか関連する人名とかはこの時代を読む上での知的背景として機能すると期待できる。(2011.1.9)
民俗学は、私としてはのめりこみたくない分野だが、古典という意味では一度は触れておくのが良い著作。
日本国内にとどまらず、類似の説話を探して比較し、そこに意味を求めようとする、また意味らしきものがありそうに思えてくるところがすごい。
古代の人たちがあちこちで似たようなことを考えたのか、それとも一つの物語が伝播したのか。重要なのは、伝播したものだとしてもそれがその地で生き延びたのは、物語のどこかにその地の人たちに受け入れられる要素があったということだろう。それが何であったのかは本書の記述を越えているようだ。(2011.1.9)
中国の書の時代的造形の枠組みから、日本における漢字造形の変遷と和様形成の意味を見つめなおすという本。日本古代の名筆を取り上げて、比較文化学的観点から評価する。
私は、書には感心があるが、学校時代のお習字は嫌いだった。あの習字の手本というものに特別な根拠を見出せなかった。そもそも良い文字とは何か。
本書の最後に取り上げられる、小野道風(平安時代)において和様が完成されたと言われているとのことだが、著者によれば、その技法は中国の書では未熟とされるとのこと。
ある時代にもてはやされる書法も、別の観点からは無知や未熟でしかないようだ。
日本に書の論理は確立されていないのではないか。王羲之の書は以前から私はすごいと思っていたが、この著作に会うまでその論理の一端に触れることもなかったと思う。結局のところ書きたくなるような文字を自分も書けるようになるためには、直接その文字に学ぶのが良いのだろうと信じた。(2011.1.9)