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二〇二拾年紀記

0401 (2012.2.5)
 自分のことしか考えられないような政治家ばかりなのはなぜか、と妻に問われた答。それはたぶん、有権者が自分のことしか考えていないからだ。ひとは自分の周りのことしか見られないものだし、その中で世の中がこうしたら良くなるというのは、結局自分の周りの狭いところだけしか見ていない。そうした人たちに選出された政治家は、やはり支持者のことしか考えない。
 となると、広い意味でどうしたら良い世の中になるのかという研究が必要だろう。USAにはシンクタンクがいろいろな政策研究をして、その成果を政党や政府に売っているらしい。
 でまあ、自分なりに広い意味で世の中が良くなるためにはどうあるべきかと考えてみたが。これが大変。ひとに発表できるためには、多少の努力では足りない気がした。

0385 (2012.1.20)
 1月13日に野田内閣改造が行われ、またもや素人防衛相といった批判が田中直紀氏に向けられている。閣僚人事も年功序列で行われるので、それなりに能力のある人が適切に力を発揮できないという批判もある。
 だが、年功序列と言われるものの政権内の年功は当選回数を反映している。当選を重ねてきた人が為政能力に乏しいというのはいくらか矛盾を感じる。
 地方で長く支持を得ている人が、大臣になって能力不足を言われるのは、近年になって政治家に求められる資質が変化したからではないか。思うに、これまでは支持基盤となる地元に利益誘導できる政治家が評価されてきたのでは。
 国が発展途上にあって、金の流れが盛んな時は少しでも多くの流れを誘導できる力が歓迎された。爛熟期を迎えて流れの増加を見込めないときの政治家には、別の資質が求められると思う。

0373 (2012.1.8)
 2012年はアメリカ大統領選挙があり、ロシア大統領選挙があり、日本の衆議院も年内解散とか言われ、中国、韓国、台湾でも首長が変わるかもしれない。アメリカでは配分の不平等を訴えるデモが盛ん。ヨーロッパは統一通貨が不安定。
 日本では自民党から民主党へと歴史的な政治構造の変化があったところ、民主党は選挙時の公約をほとんど達成できず、政権交代当初はマニュフェストの項目毎に達成率がどのくらいとか新聞が取り上げていたのが、最近は全く見なくなった。

 買った本読んだ本で取り上げた「イブン=ハルドゥーン (講談社学術文庫)」amazon.co.jp によると、ハルドゥーンは歴史の原理を見極めようとした。その中で、人間は共同作業をしないと富を生み出せない、個人ではできないことを集団で共同して達成すると言っているとのこと。政治が意味を持つのは、集団内での調整が必要なためだろう。
 集団調整の最大の目的は、集団の存続のはず。ある期間継続している集団や国家は、その意味で存続を危うくするほどの変更はできない。つまり大局的には、ほとんど誰も現状を変えることは望んでいなくて、現状がちょっとだけでも良くなって欲しいという期待を持つにすぎない。事故を起こした原発は、想像以上の被害を出してしまったが、原発をやめるとなると集団の存続が揺るぎかねない。それをできるだけ集団の原理を損なわないように変える必要がある。
 大局的には、あまり変わらないことに、大量の努力を傾けて変化を模索する。もちろん個人の生活はそれによって大きく変わるので、傍観はできない。それでも、国家の存続が政治の大前提としてあることを見失うべきでない。

0365 (2011.12.31)
 年の瀬まであとわずかというところで、1ユーロが99円台になり、ヨーロッパの信用不安はかなり重篤な状態と思える。
 年末のテレビ番組で、1年間のふりかえり映像が映される。3.11の津波映像はあらためて見て、やはり常軌を逸したほどすさまじいものだったと思う。目の前で町全体が波にのまれて端から崩され流されていく。そうなるとひとの力ではもう止めようがない。
 リビアをはじめいくつかの独裁政権が倒れ、社会的に強い影響力を発揮した何人かが死んだ。

 とどめようがない事象が顕在化することがあることが実例として現れた。ひとはそれを社会的に解釈して対応しようとする。破壊を止めたり死を止めたりではなく、その結果にどう対応するのかがひとのできることのようだ。

0359 (2011.12.25)
 大阪市長が橋元氏に変わり19日が初登庁。これに国政の担当者たちがすり寄っていくような反応。政治は地方自治からというのは民主主義の基本とは思う。強い個人が強い地方自治を作り、強い国になる。国が強くないと個人的には潤わないので強い国、強い世界を目指すべきと思う。
 ここでいう強さは軍事力ではなくて、現実の中で起きてくる様々な状況にも耐えるということ。
 国はいらない、世界市民がいれば良いという風潮が40年くらい前にあったが、今ははやらないようだ。個人の情報発信力は強まり、世界市民という概念がその中に溶解したと思う。
 個人、地方、国、世界という階層化は今のところ前提とせざるを得ない。

0355 (2011.12.21)
 気象庁が2011年の世界と日本の年平均気温について(速報)を発表した。2011年の世界平均気温は1891年以来史上12番目というので、地球温暖化に歯止めがかかったかと期待したが、具体的なグラフを見ると今回の値だけでそんな判断をするのはとても無理と思った。
 地球温暖化を実感するような高さよりも、いつにない寒さを耐えるほうがむろんましだが、温暖化の先行きに安心感を持つわけにはいかないようだ。

0354 (2011.12.20)
 昨日今日と気温が低下して、そのせいか東京電力管内の電力使用量が増加。そんなことがネット情報として確認でき、気になって見る、というのはやはり発電所の事故で電力事情がひっ迫しているから。計画停電をしなくてはならなくなって電力停止対象になるは1回で十分と思う。

0353 (2011.12.19)
 北朝鮮の最高指導者金正日総書記が17日に死去したとの発表があった。国境に特に不穏な動きはなく、外交筋にも特別な情報があるという話はない。国家として問題を抱えているだけに今後の動きが気になるところ。

0352 (2011.12.18)
 東京電力は、夏以降浮島太陽光発電の発電状況を毎日公表している。夏場は一日あたり3万5千kw程度の発電量だったが、当時に近い今は2万5千kw程度。もっと差が出ると思ったが。(4万5千だったか。それだとそこそこの差だが。)
 曇りの日は発電量が格段に落ちるので、晴れ間の多い冬も発電量を確保できるのかもしれない。実証実験の年間を通じた結果に興味がわく。

0351 (2011.12.17)
 福島原発は工程表ステップ2を完了したとして冷温停止宣言を野田総理大臣が出した。福島原発周辺ではまだひとが住んで良い放射能レベルではないとのことで、たくさん避難したままのひとがいる。
 私の周辺の放射能レベルは当初の70%程度に減っているようで、私のいるあたりへは取り立てて放射性物質が増えているようではない。
 ともあれ、放射性物質は崩壊以外に減らないので、一部にたまって環境に露出している放射性物質は拡散していく。一般には減る方向だろうが、手放しで安心できない。
 事故当初は、いつまでも一般人が立ち入れないほど大量の放出はなかったのかもと思っていた自分の判断は誤っていた。当初私が考えたのよりも深刻な事態で、長期の対策がいる。

0302 (2011.10.29)
 単純な期待に単純に答えられるかというと、そうはいかない。風邪にも、ガンにも効く、不老不死のための万能薬を求められても与えられない。暮らしを楽しくとか、子供をすこやかにとかいうのも、類似。
 往々にして、単純な質問なんだから、単純に答えてくれればいいでしょと言うほうは思うのだろうが、いろいろ場合分けがあってそれはなかなか。でもって、こっちが親身に考えてくれないとか、熱意がないとか責められてもねえ。

0296 (2011.10.23)
 iPoneやiPodを世に送り出したアップルのスティーブ・ジョブズが10月5日に56歳で死去。その後ジョブズをたたえるいろいろな表明があった。その中で、ジョブズが社会構造を変えたことをもって、その才能をほめたたえる意見があった。
 ジョブズは、音楽配信の課金構造を変え、それを持って社会の収入構造を変えた。

 それは確かにすごいことだ。より良い生活の方法を提唱し、社会がそれに従った。だが、電気器具と送電の仕組みを発明したエジソンと比べるのはどうか。マンガとか、飛行機とか、電話に比肩するほどに社会を変えたのかというと、ちょっと違うかなと思う。

0271 (2011.9.28)
 上着がいるくらいの涼しさになった。被災地の生活は暑いよりも寒い方が厳しいように思うがその根拠は。

0270 (2011.9.27)
 ギリシアの金融不安に端を発して、ユーロが暴落。一時は1ユーロ=160円くらいだったものが104円くらいになっている。1ドル=120円が72円くらいになったようなもので、これだけの価値の変化は世界の主要通貨間ではここ50年では例がないのではと思える。
 今、1ドル=76円くらい。世界の株価は1年前から20%くらい下落している。世の中にある品物の総数は変わらないと思えるのに、全体の評価額が下がるのはどんな仕組みか。
 ものの価値の一部には期待値が入っていて、その部分が下がったと思う。ともあれ、今の世の中は自分が消費するためではなくて、他者に売って換金しようという期待の部分が大きい。というよりも大部分が期待で、そもそも自分が直接消費できないものは他者に売る以外に使い道はないからすべてが期待だとも言える。

0266 (2011.9.23)
 1991年に軌道投入したアメリカの上層大気調査衛星(UARS)がもうすぐ大気圏に突入。現在の基準(1万分の1)よりも大きな3200分の1で、地表の人間を傷つける可能性がある。基準より大きくなってしまった危険物をなんとか安全に落下させたいという意図か、合衆国の宣伝活動が盛ん。
 今回だけ大きく宣伝するのもなんだかと思う。

0265 (2011.9.22)
 台風に起因する関東の交通障害は全域にわたったが、大声を出したり、誰かに詰め寄ったりというひとが見当たらなかった。3月の大災害で、災害対応への心構えが違っているのだと思う。
 こうしたことが、社会の成熟につながってくれると住みやすくなると思う。10年以上持続して文化と呼べるようになるかどうか。期待したい。

0264 (2011.9.21)
 強い台風15号が東海地方から上陸して、北海道へ抜ける。関東地方も直撃を受け、通勤電車が軒並み運行停止になる。
 運行停止は、3月の地震で経験済み。今回は台風が過ぎれば復旧のめどは大きいと、途中駅でおろされたものの、冷静に、諦観を持って対応できたと思う。乗り込んだ電車で座席を確保できずに2時間くらい立ちっぱなしだったのはこたえたが。

0255 (2011.9.12)
 2008年当時は1ユーロ=160円以上だったものが、今は105円くらい。2002年頃も同じくらいだったので、元に戻った感じはする。100円=1ドル=1ユーロというのが私の感覚だが、そこからするとドルが安すぎる。

0250 (2011.9.7)
 夜になると涼しい風が吹くようになった。被災地では暑い寒いもいずれにしろ都合が悪いところで、復興と健康維持を祈る。

0249 (2011.9.6)
 12号が3日かけてゆっくりと西日本を縦断。がけ崩れや堤防決壊で、死者、行方不明者を合わせると100人超。東日本大震災に比べればやや規模は小さいが、現代日本でこれほどの台風被害(平成で最悪らしい)が出るとは。
 これまでにない規模の大雨というのは、やはり怖い。

0240 (2011.8.28)
 台風11号と12号が発生。アメリカ合衆国ではハリケーン「アイリーン」がニューヨークを襲う。米連邦緊急事態管理局が活動している。日本には緊急事態を常時的に扱う政府組織は無いように思う。日本は常に安全に配慮しているから危険は異常で、アメリカ合衆国ではあらゆる災害に備えるよりは都度都度コストはかかっても自己責任で身を守るほうが良いという判断か。
 ニューヨークの映像を見るとなんとなく建造物が堅牢でないと思える。ともあれ災害対策に事前の万全対策を期すのが良いのかどうか、考えるべきところ。

0239 (2011.8.27)
 福島第一原子力発電事故で放出されたセシウム137(半減期約30年)と広島原爆のそれを単純比較すると168.5倍だと経済産業省原子力安全・保安院が報告したとのこと。16万テラベクレルとのこと。広島の復興が比較的短期に行われたのは、残留放射性物質の量のせいもあるのかと思える数字。168倍を2の7乗とみて広島並みの放射能量に減るのは210年。厳しい数字だ。

0236 (2011.8.24)
 リビアは首都トリポリが反政府勢力に掌握され、カダフィ政権は崩壊と伝えられるところ。拘束したと発表されたカダフィの二男セイフ・アルイスラムが表れて、政権は無事だ、トリポリは依然として政権支配下にあると演説して、これを取り巻く市民がカダフィ支援を表明しているニュースが印象的だった。
 メディアが行き届かずに、その場で自信を持って演説する人の情報の信憑性を評価できないと、聞く側の判断はその場で見るものに強く影響される。

0235 (2011.8.23)
 10月並みの涼しさの次の日は、暑いとはいえ過ごしやすい気温。季節の何が異常で、何が異常でないのかわからないが、50年前の気候は今年のものに近かったのではないかと勝手に思う。
 あの頃はエアコンがなくても生活できたというのが根拠だが、舗装道路やら高いビルやらといった地表温度を高める要因がなかったわけで、しかも50年程度の期間で気象の全体傾向を論じるのも短かすぎる。

0232 (2011.8.20)
 国としても、長期に住めない場所になったところがあるとの判断が出たようだ。

0231 (2011.8.19)
 福島原発の警戒区域(半径20km圏内)における50地点の積算放射線量の推計値が公表された。これによると、12地点で1年間暮らした場合の積算量が100ミリシーベルトを超えたとのこと。
 100ミリシーベルトは生涯のがん死亡リスクを0.55%上乗せする数値で、被曝回避の目安とされている。そうした長期に住みにくい場所が広範囲にできていることで、あらためて事故の影響の大きさを思う。

0230 (2011.8.18)
 草叢から虫の声を聴く。

0229 (2011.8.17)
 来年度から中学校教育に”放射線”記述が30年ぶりに復活というニュース。理科教育で”放射線”が30年も教えられていなかったことに驚き。核分裂とか核融合とかは太陽のエネルギーのもとは何かとか、宇宙規模の世界理解には欠かせないと思っていたのだが。
 原子力で動く超人的な能力を持ったロボット、なんてのも無くなって、原子レベルでのエネルギーに対する社会的関心も当節では失われていたということ。

0228 (2011.8.16)
 語るというのは、ひとそれぞれがそれぞれに語るのであって、それをどう捉えてどう社会に生かすのかはその後の話。生かし方を決めてしまったら、語りはもう必要ないということではない。
 社会の判断は、その時々で変わる。判断が変わった時にはあらためてもとの語りに戻らないことには判断のしようがない。かくして必要な情報量は増える一方だが、それを受け入れる速度や量には限りがある。ということで、判断を加えた情報だけが残り元の情報は消えて行く。この情報は大切だから、そのまま残したいと思ってもやはり消える。
 伝えるというのはつまりそういうことになる。判断ではなく、原理を残せるのなら圧縮の効率は高まるかもしれない。

0227 (2011.8.15)
 太平洋戦争終戦の日。戦争体験者の数が少なくなり、いかに体験を伝えていくかが大切という。何をどう伝えるかが画一化されてしまうと、それで多様性が失われてしまう。多様性を失わないようにまとめたいものだ。

0226 (2011.8.14)
 曇り空で、ペルセウス座流星群は観測できず。北海道では見れたという。暑さが続くよりは多少でも曇っていて最高気温が低い方が良い。そのためにペルセウス座流星群が見られないのは何となく理不尽な気がする。
 地表の天気と流星群の発生が異なる原因による。しかし、流星群の発生は1年のうち特定の日に起きるという意味で関連している。無関係なはずのものが関係してしまうと思う気持ちが理不尽を感じる理由のようだ。

0225 (2011.8.13)
 残暑。遠くに雷鳴が響き、空は曇っているが雨は降らない。気温は最盛期よりは少しだけ低い。ペルセウス座流星群が最大だが、雲があるから無理か。

0223 (2011.8.11)
 東日本大震災から5か月とのこと。震災と津波の影響は徐々に克服されているように思うが、福島第一原発事故による放射能拡散被害はあまり克服されていない。
 撒き散らされた放射性物質は容易に生活圏から消滅しない。それがどれだけ危険なのかも定見がない。あるいは安全なのかもと思え、あるいは危険なのかもと思える。確率的にしかとらえられず、それもかなり低いものをどう評価するのか。確率が低いから安全というわけでもない。
 確率が低くても、致命的なものならやはり避けなくてはならない。

0222 (2011.8.10)
 通勤電車がすいているので通勤が楽。

0221 (2011.8.9)
 原発は危険だから停めなくてはならないと言うと、では電力需要をどう賄うのかと反論してくる人がいるが、危険と需要は無関係だからそんな議論はおかしいと言う人がいる。
 自動車もある確率で人を殺す。自動車は危険だからその効用にかかわらずやはり停めるべきか。
 ナイフは人を傷つけ、車輪は人を轢き、火は人を焼く。危険性は効用と無関係に論じられない。

0220 (2011.8.8)
 8月6日は広島原爆の日だが、これにからめて原発への反発を見せる動きがあって、釈然としない。放射線の脅威をももたらす大量殺戮兵器に反対するのは人道的立場から理解できる。原発を人道的立場から論じうるのかわからない。
 非人道兵器という言葉はあるが、非人道技術という言葉があって良いかもしれない。それはたぶん人をある確率で殺したり、寿命を縮めたりするものだ。
 原発が誤って人を傷つけることはある。確定的に傷つけることと、とても高い確率で傷つけることは違う。また、過去に傷つけた実績があるというのとも違う。

 非人道兵器は、ひとを殺戮するにあたり多大の苦痛をもたらしたり、死滅させずに重篤な後遺症を残すような兵器のことだろう。あるいは意図しない犠牲者を確定的に出すようなもの。
 原発は運用するにあたり、ある人に大きな苦痛をもたらし、あるいは無関係な人に確定的に犠牲を強いるようなものか。そうは言えないように思う。

0219 (2011.8.7)
 自宅の庭で水を入れてある40リットルポリバケツに蜂が巣を作り始めた。6、7匹が巣に群がって拡張を図っている。きのうあたり、やけに蜂が飛んでいたのはこれかと合点がいった。
 蜂の巣の作りかけを、巣を作っているポリバケツもろとも洗濯屋の巨大ポリ袋で覆う作戦。一気に覆うのはうまくいかなくて、撤退を繰り返しつつも完遂。半数の蜂がポリ袋の中に入り、残りは周囲を飛行。飛行する蜂だけでも10匹はいたと思える。最初に巣に群がっていた蜂は群の半数程度であったか。

 飛行する蜂から逃れつつ、ともあれ巣を囲ってしまうと蜂はしだいに飛散していった。ポリ袋の中には閉じ込められて蒸された蜂が動かなくなっている。
 殺生は好かないが、生活防衛のためとなればやむを得ない。仮に巣が完成してたくさんの蜂が繁殖を繰り返しつつ家の周囲を飛び回るとなると大変なことになる。
 身勝手な殺生ができてしまう自分に向き合うのはちょっとだけ辛い。

0218 (2011.8.6)
 210で書いた精神の平穏が、連続休み中に十分獲得できなかったので、今日追加の獲得を図る。具体的には長い散歩と昼寝。
 同じ調子でずっといろいろやり続けることができる人も世の中にはいると思うが、私はある期間集中すると、ある期間はだらけないと集中が持たない。仕事あるいは生き方によってはあまり集中はそれほど要しないけど同じ調子で続けるのが大事というのもあるとは思う。

0217 (2011.8.5)
 世界のあちこちの株式市場で株が下がり、世界株安連鎖なのだそう。USAの成長懸念が表に出てきたというだけなので、それほど大きく崩れることはないのではと期待する。
 いずれにせよ、世界的な経済の低迷はある。その理由は、世界経済の拡大に伴う辺境の顕在化だと思える。質よりも量を求める市場だが、劣悪な商品の供給競争には参加したくないとすると、ある程度の富裕層狙いになる。それでは競争にならないから、品質を落としすぎずにどこまで対応できるか。
 周辺機能をそぎ落とすのは、特定機能に集中することになるので効率化と言える。

0216 (2011.8.4)
 USAでは国の債務が拡大し、あらかじめ法で定めた上限を超えることになり、法を改めない限りは債務不履行に陥る可能性があった。法の可決において、政党間での駆け引きがあってぎりぎりまで決まらなかったが、期限までに法を改めることができた。
 USAの債務不履行はとんでもない事態だが、まさか議会が法改正を承認しないはずもない。それでも市場は荒れたようだ。
 債務不履行は回避されたが、USAの経済状況が悪化しているのは多分事実で、その結果ドルが為替市場で下落し、日本は単独での市場介入を行った。

 世界的な経済の悪化。これは、先進諸国が稼ぐ以上に浪費してしまったということになるのか。浪費を可能にしたのは、金融技術の進展があったためで、まあなんというか世界的な”省エネ”が必要なのかもしれない。
 省エネとは、浪費をやめるという意味がある。すると、生産が抑制されて経済が不活発になる。生産はそのままで、エネルギーをもっと途上国に分配すると世界の生産性が上がる。しかしそれはエネルギー生産を抑制しないので、原発依存からは脱却できない。
 省エネをエネルギー生産の抑止と捉えらえるのは誤りかもしれない。

0215 (2011.8.3)
 ウガンダで2000万年前の類人猿の頭蓋骨が発見されていたというニュース。そのころから人生20年とすると、100万世代前のことだ。2000年前のクレオパトラは100世代前であって、まあ同時代的。そもそも現生人類のような姿をしていたのもそう昔のことではない。
 ひとつの種の存亡などそれほど長くない。

0211 (2011.7.30)
 散歩である寺の前を通りかかると、年忌法要の案内があって、大正元年没は100周忌だとか。ということは、今年は大正100年ということになる。
 しかも7月30日は改元詔書が出された日。こんなことに気付くとは偶然の符合にちょいと驚き。
 新聞やテレビでもそんなことは言っていないし、きっと気づいていても話題性が無いと判断されているのであろう。大正100年と知った最初の感慨が、ああ明治が終わって100年なのかだったものなあ。

0210 (2011.7.29)
 夏休み。今年の主題はひたすら精神の平穏を図る。

0209 (2011.7.28)
 自宅では寝るときエアコンを入れるが、あるいは今晩のように雨で窓を開けても風が入ってこないときはエアコンを入れるが、それ以外は使わない。
 今年はあまり暑くなくて過ごしやすいと感じるのは、エアコンを多用しないことからからだが暑さに適応しているのか。実際暑くない夏ということもありうるが、気象庁のデータだと平年よりも暑いようだ。

0208 (2011.7.27)
 このところ、雨がち曇りがちで最高気温が30℃くらいでとどまっている。地球温暖化は緩和傾向か、それとも局所的な傾向なのか、気になるところ。

0207 (2011.7.26)
 ホームセンターで売られる腐葉土からも高濃度放射線を検出。私の最初の印象以上に原子炉事故は広く放射性物質を撒き散らしたようだ。これだけいろいろなものに警戒しなくてはならないとなると、検査をすり抜けて一般に流通するものも多いのではないか。
 総合的な放射能基準を設定したうえで、個々の事象にこだわらない包括的な監視に切り替えていくのかどうか。それはもちろん困ったことだ。

0206 (2011.7.25)
 ノルウェーでは90人以上が犠牲になる、爆弾と自動小銃を利用したテロ、中国では高速鉄道衝突事故で40人以上が死亡。災害の規模が死者の数で測られるとすると、東北大震災が風化するのは、その後の事件の犠牲者の累積が災害犠牲者の数を上回った時か。
 犠牲者、関係者には申し訳ないが、やはり時の経過に伴う重要性の逓減はあるように思う。

0205 (2011.7.24)
 福島第一原発の冷温停止の定義は、圧力容器底部が100度以下で原発周辺の放射線量が年間1ミリシーベルト以下だそうだ。100度は大気圧のもとで水が沸騰する温度だが、沸騰しなくとも水は熱を受ければ蒸発する。100度が放射性物質の状態の区切りを示す数値とは思えない。とはいえ十分に低いという目安にはなりうるが、適切な目安かどうか。

0204 (2011.7.23)
 日本のテレビ放送は明日、東日本大震災の影響が大きかった一部を除いてアナログ放送が終了して、デジタル放送だけになる。
 デジタルテレビを求める人が商店にたくさん来ているとか。どたんばになってなんとかなると思っていた人がそれほどたくさんいるのは私の予想外。どういう心理が働いたのか気になる。

0203 (2011.7.22)
 日本の原子力発電炉は13か月ごとに定期点検を行い、地方自治体の許可を得て再稼働させることになっているとのこと。再稼働を認可する自治体がないと、あと1年足らずで日本の原子力発電炉は全部止まる。
 日本の電力をどうしていくのかの議論を加速しなくてはならない。

0202 (2011.7.21)
 爛熟した社会は外部に敵を持たないと思う。そうなるとひとは何を目標にするのか。なにかによらず一所懸命というのはありだと思う。ただ、何でも良いわけではないような気がする。

0201 (2011.7.20)
 一所懸命にとりくみ、至らない場合には切腹で潔白を示すという美学に共感を持つが、原子力発電のように大量の資金と、失敗した場合の影響の広さ、結果が出るまでの時間の長さを考慮すると、この方法には不足がある。
 規模が大きくなってしまったものは、情報公開と周知の結集が大切。とはいえ、どの家庭で電力がどういう用途にどれだけ使われているかを公開するのは、個人の権利を侵すものであろう。
 あらゆることを全て公開して、判断できるというのは妄想だ。不確定の中で、影響力の広いものごとにどう決断を下すのかという方法が求められている。

0200 (2011.7.19)
 国外からの脅威を意識しない態度は、江戸時代の感性に似ているように思う。理由はともあれ、懸命に生きるという態度はこの時期にはぐくまれたのではないか。
 一所懸命に美があると感じる。スポーツでも農作でも工作でも。
 原発作りも一所懸命という意味では同じ態度で行われたのではないか。ともあれ原発を成立させる。多少の非公開や、解釈の押し売りは目的のためにはあってもやむを得ないという態度。
 江戸時代的感覚では、使命感を持った人物が一所懸命にものごとを進める。不幸にしてものごとが失敗したときには、能力不足はともあれ、一所懸命のあかしとして切腹して身の潔白を証明する。

 原発事故も、高位の責任者が出てきて、すべては私の不徳の致すところと切腹したらもしかして、多くの人が赦してしまうのではないか。

 大災害直後に、多くの被災者が黙々と復興に向けて秩序ある行動を保ったのも、目の前の状況にひたむきに、一所懸命に対応しようという行動様式のあらわれではないのか。

0199 (2011.7.18)
 日本の原発はひたすら安全でなければ設置できなかった。USAでは、ある程度のリスクを市民が受け入れて継続的に安全の向上が図られる。
 USAがある程度のリスクを許容できるのは、世界競争と関わるのではないか。
 強い国を作らなければ外国からの侵略の危険がある。エネルギー事情に弱みを抱えて侵略の危険が増すより、原子炉事故のリスクを受け入れた方が良い、という判断はありうる。原子力艦船を保有するのも同じ判断の延長にある。
 日本が複数の危険に目をつぶって、ひたすら安心安全だけを最優先にせざるを得ないという状況であるのは、おかしな感じだ。

 女子サッカー・ワールドカップで日本とUSAが決勝を競って日本が優勝した。USAは社会的な意味での世界競争の枠組みで勝利を考えているが、日本ではサッカー試合での勝利だと捉えるひとが多いと思う。世界に冠たる祖国を目指すか、ひたすら一生懸命でサッカーをしようというのか、取り組み方にも国の在り方の違いが出てくると思う。

0198 (2011.7.17)
 東京都での放射線観測値平均値が0.05シーベルト台で落ち着いている。徐々に減少傾向にある。つまり、まだ平常値には復帰していないがまあそれでも新たな放射能源の発生よりは、半減期での減少が多いらしい。
 福島原発からの放射性物質放出はまだ継続しているようで、これの将来的推移が気になる。

0197 (2011.7.16)
 福島原発から100km離れた場所の稲わらを食べさせた牛からも規定以上の放射能が検出された。100kmが安全か危険かは行政が明確にすべき事項だと思う。今回は明らかに行政の手落ち。

0196 (2011.7.15)
 放射性物質で汚染された稲わらが飼料として流通したについては、戸外が放射性物質にまみれているということを積極的に発表してこなかった行政側の問題がある。
 避難とか、外出制限とかで当然推測はできるが、住民側としてもあまりはっきり知るのも不快という気持ちが働く。行政指示は具体的でなくてはならないが、その理由説明も十分にしておかないと応用動作が対応しない。

 8日間で辞任した松本復興大臣が、入院していて、躁の傾向がみられるとか。躁になっていたのならあの言動も理解できそう。要職に就いたことが躁の原因になっているのかどうか、やむを得ないところもありそうだが、大臣が任命直後に躁になるというのはある種想定外。

0195 (2011.7.14)
 原発事故当日戸外にあった稲わらを、飼料として出荷し、その飼料で育った各地の肉牛が規定外の放射能を帯びたまま市場に流通したようだ。
 直接人間の口に入る物資の移動を警戒するだけでなく、家畜の餌なども監視の対象にしなくてはならなかったという、気づいていれば当たり前のことに、ひとはなかなか気づかないらしい。

0194 (2011.7.13)
 暑い日が続くが、太陽の前に薄い雲がかかると、それだけでも日差しがやわらぐのが分かった。

0193 (2011.7.12)
 関東地方は暑い日が続く。なんとなく冷房装置を使わないようにと心がけている。電力需要ピークを外れているのなら良いのではと思うが、わからない。

0192 (2011.7.11)
 関東地方で流通した牛肉に基準以上の放射能が含まれていたであろうという話。
 いよいよ広範囲に原発事故の影響が出てきた。
 放射能は自然崩壊で放射能を帯びなくなる以外は扱う方法がないので(なんとかクリーナーとかいうのは架空の装置)、広く薄めて、個別の影響を抑えるか、とりあえず影響のない場所に押し込める以外に対策は無いように思う。
 どうすれば耐えやすくなるのか、そこを見据えていきたいと思う。

0191 (2011.7.10)
 東京電力の電気予報も、実績が5分間隔で示されたり、昨日の実績が見れたりと、だいぶ参考になるような表示になってきた。
 ピーク電力が最大供給可能電力を超えないようにするには、そのうえでなるべく快適な生活をするには誰が何をやめて、誰は何をしても良いのかがわからないとうまくいかない。
 それでも、それを確定的にしてしまうと不公平感がつのるので、みんな少しずつ過剰に我慢している。まあ私だけは冷房を使っても良いかななどという気には今のうちはならないが、そのうちみんな使い出して、さて盛夏の時期はどうなるやら。

0190 (2011.7.9)
 暑いが雲が厚い。そのせいか、関東甲信の梅雨明けはまだらしい。

 と思ったら、梅雨明けが発表されていました。

0189 (2011.7.8)
 東海地方まで梅雨明け。梅雨明けとは、それ以降に降雨が予測されない状態とのことだが今年は予測が難しいらしい。

0188 (2011.7.7)
 海江田経産相が辞意。ということで、最近は何かと理由をつけて責任ある立場から離れるひとが増えているように思う。沈む船からネズミが逃げ出しているのか。

0187 (2011.7.6)
 国政の在り方を問う声が多いが、被災地のために国政が何ができるのか、何を期待すべきかと思う。未来都市を描いてそれを被災地にあてはめられるのか。被災地の未来像はそれぞれに描かれる以外に適切なありかたは無いのでは。

0186 (2011.7.5)
 梅雨前線はまだ本州のどこかにいるようだが、私のいるあたりでは暑さが厳しく雨が降らない。今年の梅雨はめりはりのある降り方が多いようだ。

0185 (2011.7.4)
 通勤列車に行楽に行くのかと思える人が混じり始めた。

0184 (2011.7.3)
 鎌倉で観光した。繁華街の活気がちょっと少ないように思ったが、地震が原因の自粛ムード化と考えてしまったのは、そうしたことがまだ頭にあるから。

0183 (2011.7.2)
 水槽のアクアリウム化をはかる。地形に起伏を作り、水草を植える。
 水草の育成には、照明が必要なことがわかっていて、水槽用の蛍光灯をあらためて以前とはレイアウトを変え、脚を延ばしてより上方に置くことにした。
 悩みは消費電力。電力不足がうたわれているこの時期にと思う。LED照明は適当なものがなかった。水草による空気浄化を期待ししばらくは様子を見たい。

0182 (2011.7.1)
 原発事故当時周辺30km以内の地域にいたと思われる人の尿から放射性セシウムを検出というニュース。多少の放射性物質を体内に入れても健康に影響が出るとは限らないが、それにしても放射性物質は私の思いのほか広く拡散したのだなあ。
 比較的低いレベルでの放射線の人体への影響は良くわかっていない。わからないが、悪いことがあるかもしれない。現実のものとして起きてしまった。
 そんな場合の対応は、調べて対策するのがまともなやり方。ただ、それも限度はある。

0181 (2011.6.30)
 しっとりとして暑すぎない程度の暖かさ。吹く風が湿気と涼気を含んで心地よい。という、この時期にほんの数回あるような心地よさを朝晩味わった。
 日中の30度を超える暑さとの合わせ技は、全体としてうれしくないが、それでも一時の心地よさを味わって悪いことはない。

0180 (2011.6.29)
 原発に賛成するから、エアコンのスイッチを入れてくれぇというくらいの暑さ。しかし、177日にも書くように、暑さ寒さとは違う生産性や文化のありように根差した議論が必要なのは言うまでもない。
 個人の熱い寒いはそうした議論とはやや離れているので、死にそうになる前にエアコンはオンにするのが良い。

0179 (2011.6.28)
 気象庁がオゾン層観測報告:2010を公表。それによるとオゾン層破壊の原因物質が減少傾向にあるとのことで、グラフを見るとなるほど最大値から400ppmくらいまで徐々に減少している。
 2010年の南極オゾンホールは1990年以降で3番目に小さいとのこと。
 そう知って、少し元気が出た。大規模な自然現象でも人間の介入の余地が少しはある。
 クロロオロフルカーボン類はしかしCO2ではないし、放射性物質でもない。まだそうした類似課題が残っている。

0178 (2011.6.27)
 福島第一原子力発電所では、いったん原子炉冷却に使った高濃度汚染水を浄化し、ふたたび原子炉冷却に使うという、循環冷却を開始した。汚染水浄化の機能試験でもいろいろな問題が起きたが、循環冷却開始後に水路に水漏れがあるとかで短時間で停止。
 169日の項にもあるが、こうした初めての装置はいろいろあるのはやむを得ないと思う。すみやかな復旧を願う。

0177 (2011.6.26)
 テレビの原発議論。原発廃止には論議を尽くさねばという人に対し、夏の暑さを我慢するのとフクシマがもう一回起きるのとどちらが良いかというひと。議論を尽くさなくてはならないのは地方振興策や経済の在り方を定めなくてはならないためで、夏を我慢するかしないかという話だけで整理するのは良い議論の在り方ではない。

0176 (2011.6.25)
 夏に備えて、窓辺にゴーヤとキュウリの苗を植えていたが、大分伸びてきたので窓の前方に網を張って、いわゆる緑のカーテン化を進める。1株ずつなので、窓の前が覆い尽くされるほどになるかどうかがわからない。3年前にも一度試みているが網の張り方に改良を加えてさて今年は。

0175 (2011.6.24)
 小笠原諸島が世界自然遺産になる。有名になるのと、注目を浴びるのは良い面もあれば悪い面もあるが、全体としてはたぶん良いことだと思う。

0174 (2011.6.23)
 毎朝、放射線計測値を確認しないで窓を開けるようになった。福島第一原子力発電所の収束日程を見ると、汚染水の対策が難航しているとはいえそれなりに進捗しているように見えるせいだ。
 原子力燃料冷却のための送水が滞ればあらためて放射性物質の大量放出に至りかねないとは思うが、そこまで行くには時間がかかりそうと思えてきた。

0173 (2011.6.22)
 関東地方は夏日とのこと。

0172 (2011.6.21)
 関東地方は朝の雨が上がった後は強い日差し。夏至が近いことにふさわしい。節電で冷房装置(室内温度低下装置)が使えないとすると、装置に頼らないで室温の低下を図らなくてはならない。これからの工夫による。

0171 (2011.6.20)
 あと二日で夏至ということに気づいて、ちょっとショック。日没時刻が19時ごろというので日のあるうちに勤め先を出られて気持ちが良い。これが、この先次第に早くなっていくのが辛い。

0170 (2011.6.19)
 キッチンタイマーを新規購入。155日以来、先に使っていたものは機能しなくなっていた。2週間ぶりに復活させたのは、なくても何とかなるが、ないとやはり不便という圧力があったと思う。

0169 (2011.6.18)
 福島第一原発で運転開始した汚染水浄化装置がフィルタの汚染が激しいということで数時間で停止。これまでやったことのない技術課題を解決していこうとすると、いろいろなことがある。

0168 (2011.6.17)
 近隣の放射線値が公表されていないから不安だというひとたち。放射線数値が分かったとして、その危険度が判断できないのでは不安は解消されない。
 年間100ミリシーベルト以下の被曝についてはその影響が評価できていない。たんに100ミリシーベルト以下か以下でないかということなら十分に以下だという人がそんなことを言ってどうなるのか。
 なるべく被曝量を抑えたいというのなら、公表の有無にかかわらずその方面の努力に注力したいところ。マスコミのマイクを向けられて、公表されていないことを根拠に不安を言い立てるのは格好つけているだけのように思う。

0167 (2011.6.16)
 放射能被害について。子供が鼻血を出すようになったとか、のどが痛いと訴えるようになったとか。それは思春期にかかわる変化で、放射能とは関係無いのかも知れない。でも親心としての心配は理解できると思う。
 何か心配なことがあれば、つい最悪の結果につなげてしまう。成長期の子供を抱える親の気持ちを思うと大変だと思う。
 平穏な暮らしを続ける権利、なんてものがあるのかどうか。

0166 (2011.6.15)
 首相退陣時期と国会会期の関係に対する枝野官房長官のことば。「論理的には…と思います。」
 論理的な話であれば、思いますではなく断定すべき。別の識者インタビューでも「…かなあと思います」という表現。自己の感覚ではなくて、論理的帰結を示すことが求められているはず。突き詰めた思考の結果が希求されているのに、それに応えきれない専門家では困る。

0165 (2011.6.14)
 イタリアの国民投票で、原発反対の意見表明
 これを受けて、日本の政策に「一定の影響はある」という枝野官房長官。「直接の影響はない」という仙石官房副長官。
 ほぼ同じことを言っていて両者は矛盾しないが、肯定的な言い方の枝野さんの方に好感を覚える。

0164 (2011.6.13)
 気象庁のホームページに、気象警報・注意報を知らせるページがあって、警報・注意報が発令されている都道府県を日本地図上で色分けしている。
 私が見たとき、周囲の県は発表なしの色なのにそれに囲まれた形で、東京都だけ注意報ありの色になっている。何事かと詳細情報を表示すると、伊豆諸島に警報が出ている。伊豆諸島はもちろん東京都の一部だが、東京都全体に色を塗ってしまうのは誤解のもとではないのかなあ。
 実は、より詳しい地図では区域別の色分けになっている。そういうものがあるのは良いが、だからといって全国図は都道府県単位で色分けして良いことにはならないと思う。

0163 (2011.6.12)
 植物は花を咲かせ、散った後から大きく枝葉を伸ばす。ということを最近体験的に知った。野の草木を見ると3月頃から時のうつろいに応じて次々と違う種の花が咲き、野は緑に覆われていく。
 それにしても、生殖のあとで自身の体を大きくするというのはどういう生存戦略なのか。エネルギーを手に入れたらまず繁殖、それから伸長というのは、まず広範囲に広がり、条件の良い種子が体を大きくするということだろう。エネルギーの分布に差がある場合は理にかなっているようだ。

0162 (2011.6.11)
 朝起きると、ネットに公表されている東京都の放射線測定値を確認する。1時間当たりのマイクログレイ値で最近は1時間のうちの最大値が0.06台の下の方なのだが、今朝は、0.0680、0.0718、0.0731と上昇傾向ですでに10%くらい高い。わわわ、こりゃなんだか、と心配になったが、その後下がり始めて16時台の最大値が0.0629。
 過去の例を見ると、雨の日には10%くらい多めになることがある。0.06でも0.07でも影響は無いと言われる値で、過去の傾向としての一時上昇は冷静に見ていられるが、直近の値が10%も上がっているのを見ると、何らかのあらたな放出があったのではと気になるということが分かった。
 そうは言っても、10%上昇しているようなら窓を閉めて、それ以降で上昇が継続しないか確認回数を増やす行動を今後も取ると思う。

0161 (2011.6.10)
 週日は晴れていたが、明日から雨模様の予報。梅雨だからこんなものか。

0160 (2011.6.9)
 「欲しがりません、勝つまでは」は太平洋戦争中の標語だが、「欲しがれません、勝つまでは」となると意識発揚ではなくあきらめな感じ。
 みずから招いた原子力事故なので、終息まではあらた希望は持てないと思う。なんにせよ現実を受け入れてできることをするだけ。
 できることもできないと、へんな押しつけをしてくるひとも勘弁してほしい。

0159 (2011.6.8)
 福島第1原子力発電所の事故は、メルトダウンからメルトスルーの可能性があるということで事故の程度の認識がより悪い方向へ向いた。
 認識が高まっているのは良いし、終息に向けた作業が進捗しているのも良い。まだ放置可能になっていず、安心できないところが困る。

0158 (2011.6.7)
 ペルーの大統領選挙決選投票は、ウマラ氏とケイコ氏の戦い。日系人ということでなんとなくケイコ・フジモリ氏を応援してしまったが、余計な話だ。
 ウマラ氏が当選。ペルーの今後に期待する。

0157 (2011.6.6)
 6月6日が雨が降って、三角定規にひびがいって、コックさんな印象。三角定規にひびが入るなどという非日常的なはっぱがカエルでアヒルというものすごくわけが分からないが絵描き歌なら許されるのか。ということで、言葉遊びの奥は深い。

0156 (2011.6.5)
 規則に従うのは大事だが、それを当てはめて行って不幸になる人もいる。不幸になってもそれが不当な行為の結果であればやむをえない。不当ではない行為で規則により不幸になるのは規則が誤っている。
 規則は正義を具現化するものだが、具現化の過程で漏れることもある。不当か正当かは正義による判定であって、規則によるものではない。一般には、規則を意識せず正義にのっとって行動すれば良いが、何が正義かわからないときは規則を当てはめる。
 その結果おかしなことになるなら、規則と正義の関係を考え直す。それには時間がかかるがやむをえない。

0155 (2011.6.4)
 キッチンタイマーのボタン電池を入れ替えようとしたところ、同じ規格のはずなのに、先に入っていた電池の大きさが少し小さい。でもって、新しい電池が入らない。さすがは某国製。
 安かろう悪かろうで、使い続けているうちはまあ悪くないが、長くは使えない。製造時のコストを上げて製品精度を増すのと、そのままの製品精度で使い捨てするのではどちらが得か。  損・徳の問題にせず廃棄を嫌うのは日本の生活習慣で、でも私はやっぱりその方が気持ち良い。

0154 (2011.6.3)
 キッチンタイマーが機能せず電池を入れ替えても作動しない、電子レンジのスイッチが入らずコンセントを入れなおして復旧、インターネット接続がいったん止まったので光モデムの電源を入れなおして復旧。
 キッチンタイマーは3日前だが、後の2つは同日。いずれも設置場所は家の北側の壁に近い。瞬停が起きたかと疑るが、その他の機器の時計機能は維持しているのでそういうことでもないようだ。
 北側から強烈で一時的な放射線が来たかとも思うが、近くに放射線源はなく、仮に遠方の放射線源だとすれば北側だけに影響があるということでもないだろう。
 普通ならただの偶然と思うことが、原子炉事故が収束していない今、そんな心配につながる。

0153 (2011.6.2)
 管直人総理大臣への不信任決議が行われた。最終的には管直人が近いうちの辞任を表明して、事前取引に応じた鳩山氏等が不信任否決に回り、解散総選挙が避けられた形。民主党にとっては最善の形で決着がついたと思う。自民党は鳩山氏の奸計にはまったとも見える。

0152 (2011.6.1)
 5月31日の次が6月というのがちょっと驚き。いつのまにか寒い時期から雨の時期に。震災が起きた3月からずいぶん気象状況が変わったが、震災の影響は継続している。何かが起きても、時が経つと今とはかけ離れた話に…ならないことに違和感を感じるのは日本人的感傷か。

0151 (2011.5.31)
 福島第一原発2号機建屋で、燃料貯蔵プールの循環冷却開始。まだ他のプールとか、原子炉とかは循環冷却ができていない。それができるまでは少しも安心できないが、少なくとも循環冷却が可能だったということが分かったのは良い。

0150 (2011.5.30)
 政争が相変わらず活発。普通の状況なら、与党打倒の好機と思うが、今ここで実行するのはどうか。もしかして、普通の状況の論理をそのまま現在に適用してはいないか。それは適切なことかどうか。

0149 (2011.5.29)
 川崎市の東芝工場に研究用原子炉があるのだそうだ。最大熱出力は200ワット。熱出力というのがわからんけど。そこでの住民不安が高まっているというニュース。
 研究のためにはある程度の危険を冒すことも必要になってくる。当然ながら最大限の注意を払って。原子力に限らず、危険な実験は少なからずある。蒸気機関の開発においてボイラーの爆発事故などもあった。こうした危険を(程度はあるが)冒さないことには、技術の進歩も期待できない。
 あらゆる危険を排除することは望ましくないとすると、どこまでの危険なら受け入れられるのかが問題となる。そもそもどこまで危険で良いのかという議論が湧き上がるのは、人間が安心に慣れてしまっているからだと思う。しばらく前までは、川でおぼれたり裏山でイノシシに襲われたりと、地元社会で1年のうちに事故による人死にがあるのは当たり前だった。

0148 (2011.5.28)
 ゴーヤとキュウリの苗を買ってきて、窓の近くに植えた。今年は冷房を使えないかもしれない夏ということで、いわゆる緑のカーテンの準備だ。
 ただ、その程度で冷房不要になるほど室内気温が下がると思えない。霧状の水を水道からホースで撒くと温度が下がるのは去年の夏にやってみて分かったが、それにしても1日中水を撒いているわけにはいかない。どうなるやら。

0147 (2011.5.27)
 利口な人の資質として、考える速度が速い、知識が豊富、他人や社会の状況を理解している、考える方法を知っている、などがあると思う。
 全部が欠けていると愚か者になる。いくつかの要素では人に勝っているのに、一部の要素が著しく欠けると、一見利口そうな馬鹿になってしまう。普通の時は、利口で通っていても、環境が大きく変わる危機管理の場で、資質の欠如が悪い結果につながることもある。普段の行動からは判断が難しいところが困る。
 誰かがそうした意味で不適任だとしても、代わりになる人がそうではないということの判断が難しい。

 東海、関東甲信も梅雨入り。

0146 (2011.5.26)
 四国・中国・近畿地方が梅雨入り。中国・近畿の梅雨入りは平年より12日早い。平年値では、近畿の梅雨入りの次の日が関東甲信の梅雨入りなので、明日にも関東甲信が梅雨入りしてもおかしくない。今晩は雨の予報。

0145 (2011.5.25)
 台風2号の接近に伴い、列島全域で雨模様。このまま梅雨になだれ込む感じ。このまま暑くなるよりは良いが、雨は面倒なのがいや。

0144 (2011.5.24)
 九州南部が平年よりも8日早い梅雨入り。早い梅雨入りが早い梅雨明けに必ずしもつながるとは限らないが、梅雨明けが早まると暑い夏が長く続くことになるかも。発電力不足の折柄、電気冷房装置に代わる決定的な暑さ対策が無いのが困る。

0143 (2011.5.23)
 管総理大臣に退陣を求める管おろしというのがあるようだ。災害対策は誰がやってもうまくいかないことはある。必ずミスはあるし、後知恵でこうしたらよかったというのもある。
 いま大切なのは、領土やリビア・パレスチナでの外交ではないのか。災害対策はその場に即した対応が必要だが、領土や外交は先を見越さなくてはならない。災害も先を見た対応はもちろん大事だ。

0142 (2011.5.22)
 夏日のような暑さだったが、雨が降ってその後は肌寒くなる。雨のせいで空気が冷やされて涼しくなるのかとずっと思っていたが、暖気と冷気が雨の前線を挟んで入れ替わるというのがようやく理解できて来た気がする。
 それにつけても放射能が気になる。何もなければこのまま緩やかな減少を続けるだろうというのはわかるが、突然の事故で放射能値が跳ね上がり、それに気づかないままに外出や部屋の空気の入れ替えをしてしまわないかというのが心配。
 付近の放射能測定値がネットで公開されているからある意味安心なのだが、それだって30分程度は過去の情報だ。

0141 (2011.5.21)
 放射能は燃やしても消えないから困るのね。

0140 (2011.5.20)
 神奈川県の足柄の茶葉から規定値以上のセシウムが検出されたというニュースで神奈川県には4月4日以降セシウムの降下は観測されていないとのこと。都内での結果を見ると最近の多くの日は不検出だが、それでも5月14日には降下がある。
 3月22日の雨の日には、他の日と比べると3桁くらい違う降下があったから、この時と関係するのか。降下で観測された量から今回の検出は説明できるのか。見守りたい。

0139 (2011.5.19)
 菅総理大臣は安全な原発から稼働させていくと言う。安全な原発とは絶対に爆発事故とかを起こさない原発のことだと思う。今回の福島でわかったが、原発はあまりに大規模で日常的な理解の範囲を超えている。
 ひとたび事故が起きれば、広範囲の損害が出る。ひとたびの事故がどこまで絶対起きないと言えるか。大きすぎる設備、等身大からかけ離れた設備はやはり受け入れられないのでは。

0138 (2011.5.18)
 原子力発電所の安全とは、なにがどうなっても有害な放射能を発生させません、というものだと思う。できないような気がする。
 火力発電所の安全とは、なにがどうなっても10人以上の死者は出ませんというようなもの。電車の安全とは、なにがどうなっても1年間で死者はX人にとどめますというようなもの。
 原子力発電所の安全判断は、最悪の場合の死者数が多すぎるところに問題がある。最悪が起きるか起きないかはあまり問題ではない。

0137 (2011.5.17)
 環境放射線値は雨が降ると5%くらい上昇するように思う。とはいえ日に日に値は下がっていくようだ。

0136 (2011.5.16)
 電気釜の保温機能を使わなくても良いようにおひつを購入。おひつごと電子レンジで温めることができる。

0135 (2011.5.15)
 毎朝、窓を開ける前に環境放射線値をインターネットで確認していた。このところ、気温が高くなって、確認前に窓を開けてしまっている。慣れが恐ろしい。

0134 (2011.5.14)
 夏の節電に向けて家庭でできる対応。冷房の設定温度を2度上げると10%節電、冷房の代わりに扇風機を使うと50%節電、なのだとか。ここでなぜ扇風機が出るのか考えているのだがまだ理解できない。うちわであれば100%節電になる。計算のための計算をするのにあえて扇風機が引き合いに出る理由はなんだろう。

0133 (2011.5.13)
 投資家への影響を避けたいと言う東京電力。そうした危険を踏まえて行うのが投資ってもんでしょと言う枝野官房長官。あ、それはそうだ。国の責任と、個人(投資家)の責任はそうして分担するのがまさに妥当だと思う。
 どこまでが国の責任で、どこからが個人の責任か。電力を無自覚に使っていたことの責任は個々の国民にある。誰かが国民や投資家をだましていたのなら、だました側はそれなりの責任がある。だまされた側に責任が無いかというとだまし方による。

0132 (2011.5.12)
 福島第一原発一号炉で、水位計が機能回復して、水位が考えていたよりも低くて、どうやら燃料溶融が起きていたようだ、圧力容器に穴が開いているようだとのこと。これ以上は悪くならず状況は安定しているという見解らしい。
 状況がより明らかになったことは評価するが、状況は十分悪いのでこれが継続できると言われてもねえ。

0131 (2011.5.11)
 121日に、人の住む部屋の形はなぜ四角が基本かを考察して、分割のしやすさを挙げた。あらためて考えると、むしろ分割した結果部屋が四角くなったとしたほうが良いかもと思う。
 弥生時代の復元住居を見ると小判形の床で家の中は一部屋だ。もし、これの大型版を作って、中を区切ろうとすると平らな板を間に立てることになる。これを繰り返すと、部屋の形は次第に四角に近づく。
 結果的に後の増築なども考え始めると、はじめから家全体を四角の組み合わせで作っておこうという発想になると思う。
 逆に、四角でない部屋を作るにあたっては、区切らずに使うという前提を置くと良い計画ができるはずだ。

0130 (2011.5.10)
 静岡県で日中の気温が34℃だったとのことで、気象台の記録では5月の最高記録だとのこと。気象異常は引き続いているようで、化石燃料の消費が高まるのはまずいのではないか。

0129 (2011.5.9)
 東日本大震災に伴う地殻変動で、東京永田町の「日本水準原点」が移動した可能性があるとか。原点自体が動いちゃうのは困るなあ、というか地球の形が変わったわけだから赤道とか黄道とかにも影響が出ているに違いない。
 座標系自体はこうした変動も織り込んで定義ができてはずなので、これで世の中が混乱するとは思えないが、日常とは規模の違う話の場合は原点まで心配する必要があるというのは、言われればその通りと思うが意識していなかった。

0128 (2011.5.8)
 福島原発1号炉の原子炉建屋に空気浄化装置を接続して、建屋内の放射線濃度を低くして、作業員が入れる状況を作った。
 今回の原子炉事故に対応するためいろいろな機械が登場して、それぞれに興味深い。しかし”浄化”は価値観の関わる概念なので”浄化装置”と言われると胡散臭い感じになる。
 実態はおそらく大型原子フィルターで、セシウム原子を吸着する細かい網目のようなものだと想像する。ともあれ、暴走した複数の原子炉のうちのひとつに対して、より具体的な対策が取られるようになったことを評価する。

0127 (2011.5.7)
 地デジテレビにHDD録画機能があるので、いろいろな番組をタイムシフトして試している。ニュース番組を自分の都合に合わせて見られるのは重宝するが、それ以外はあまり時間を割いて見たいようなものはないかも。
 都度都度買い溜めているDVDも増えているので、そちらを見るほうが良いようだ。

0126 (2011.5.6)
 いろいろと話を聞いて、熟慮の結果浜岡原発の5号6号炉を停止する要請を出したという管首相。その熟慮の論理を明らかにするのが説明責任だと思う。

0125 (2011.5.5)
 病原性大腸菌O111に、焼肉屋のユッケ経由で感染して4人が死亡、他にも食中毒症状を示している人がいるとのこと。牛の生肉を国の食品衛生基準に沿って処理している業者はないのだそうで、ともあれユッケなんか普通に食べるよなと思うと、なんで今頃と感じる。
 感染した方はお気の毒だが、原因究明と再発防止が重要と思う。

0124 (2011.5.4)
 地デジテレビを手に入れてからすでに2週間たつが、まだ設定が続く。DVD再生装置をHDMI端子で接続。高い解像度を堪能できるのは良いが、昔のTV番組のDVD表示が画面いっぱいに広がって画像の一部が画面の外にはみ出す。
 これはDVD再生装置とのデータインタフェースが1080pになっているからで、HDMIインタフェースにするとDVD再生装置は自動的にこのモードになる。昔のTV番組はS端子などでは480p再生になる。この場合はTV側をフル表示モードに切り替えることができてこれだと画面の左右に黒い帯が出るが4:3の画像本来の比率で見ることができる。
 さて、HDMIのインタフェースは強制的に480pを指定することができる。これだとTV側はフル表示設定ができるのかどうか。TVの取扱説明書にはそこまで書いていない。その前に、最近の映画再生はやはり画質の高い1080pで見たい。いちいちDVD再生装置をいじるのも面倒だがさてどうすればよいのか。DVD再生装置をHDMIとS端子用のケーブル両方でつないだらどうなるのか、などと試し始めると終わりが見えてこない。
 この試みでインターレスとプログレッシブの2つのモードの使い分けを覚えた。こんどはこれをゲーム機の接続方式に応用して、あらためてゲーム機の設定を確認すると低い解像度設定のままで使っていたことがわかる。設定変更をしたならば、次は実際にゲームで遊んでみなくては。たいして複雑な使い方をしているわけでもないのに、複数の機器がそれぞれのインタフェース条件を持っていて、最適設定を探るとなるとやはり手間がかかる。

0123 (2011.5.3)
 横浜中華街を訪問。原発事故の影響で外国籍の人の多くが逃げ出して、閑散としているかと不安したが(安心したという言い回しからの連想)12時を過ぎると道も飲食店も満杯の様子。

0122 (2011.5.2)
 米軍がパキスタンで実施した作戦で、銃撃戦の末国際テロ組織アルカイダ指導者のオサマ・ビンラディン容疑者が死亡とのこと。2001年米国同時多発テロの首謀者を10年追いかけて殺したことになる。
 これで、アルカイダは勢力を削がれてテロ活動を控えざるを得ないのかどうか。かつての悪党だとしても、いま何の影響力も無いのであれば殺すのは正義に反すると思う。とはいえ、銃撃戦は一人ではできないので、ラディンの守護者がいたわけで、なんらかの影響力を持っていたのはあきらか。

0121 (2011.5.1)
 散歩していて四角い箱を積み上げたようなマンションを見る。人はどうして四角い部屋を組み合わせた家に住むのか、まだ明確な理由を思いついていなかった。
 二次元空間を埋め尽くす図形としては三角形、四角形、六角形がある。部屋割りを考えるにはこれらの図形から選ぶのが合理的だ。六角形の部屋はあってもよさそうだが三角形は狭い場所ができて住み辛そう。六角形の部屋を備えた家もあるとは思うが、めずらしい。
 構造的強度、あるいは壊れないものを簡単に作るには三角形を組み合わせるのが良さそう。限られた資源で大きな空間を囲むには六角形が良さそう。四角にはどんな利点があるか。
 あらかじめ作られている空間をあらためて区切るとする。六角形の空間を六角形で埋め尽くすように区切るのは正六角形以外を認めるとしても難しい。三角形を三角形に区切るのは線1本で区切るとすると細長い三角形になって部屋としては利用しづらい。四角形はいくつかの四角形に区切る場合はやりやすく、区切られた空間も狭い場所ができにくい。このあたりが人間住居が四角形を基本にする理由なのかも。

0120 (2011.4.30)
 先週なかばからゴールデン・ウイーク気分だったせいか、すでに休みになって何日もたったような気がする。実態は2日目。

0119 (2011.4.29)
 ゴールデン・ウイークの渋滞に会う。高速道路入り口付近の店に買い物に行こうとしたが断念。原発事故は収束していず、被災者は先行きも決まらないというのに、あり余る善意をうまく生かせないのは何が問題か。

0118 (2011.4.28)
 今年のゴールデン・ウイークは5月2日(月)と5月6日(金)を休むと土日・祝祭日とあわせて10連休になる。
 今週一週間、私はすでにゴールデン・ウイーク気分で、仕事はそれなりに忙しかったから、なんか変な感じ。特別な予定はないけど10連休予定。

0117 (2011.4.27)
 原子力安全委員会によると、福島原発は25日の時点で1時間当たり1兆ベクレルほどの放出があるとか。1兆ベクレルは1テラベクレルのはずで、102日の記述と比べると多い。102日の1日あたりが実は1時間当たりの間違いだったのかどうかわからない。
 このへんは毎日の詳しい報告が公開されているとのことだからそちらにあたればわかるとは思う。ともあれ、1時間1テラベクレルとすると最近だけをとってもレベル5程度の深刻さはあるので、早急の収束を期待したい。

0116 (2011.4.26)
 リビアではカダフィ政権が民主化の圧力の前にどうなるかという政治制度上の大きな課題が具現化していて、カダフィ大佐はNATOの攻撃にも無事ということで、東日本における地震の頻発とどちらが社会的に大きい結果になるのかよくわからない。
 ある種の思想が社会的に蔓延して、生産施設が影響を受けるのと、工場施設が地震の直接被害にさらされるのとどちらがどちらか。

0115 (2011.4.25)
 都内の環境放射線調査。1時間当たりの最大値も、最小値もその前の値より下がっているのに、平均値が上がっている。
 むむ。確かにそういった現象はありうると納得。

0114 (2011.4.24)
 一時的な大量出費に、継続的な仕組みとしての税金で臨むべきではないという議論に少し感心。

0113 (2011.4.23)
 雨。放射能雨でないのが安心。道行く人の何人かが傘をささずに平気で雨に打たれているのを見て平和な世界だと思う。
 私はというと、1時間ごとにインターネットで発表される直近の都内放射能測定値を見て安心。

0112 (2011.4.22)
 ここ十数年、阪神淡路大震災とか、中越大地震とか、震災被害が相次いだ。
 これがもしかして普通の状態かと思えてくる。震災・復興を繰り返さなくても良い生活を築くにはそれなりの強固な対策が必要だが、一方で個人の一生を超えた時間長でものごとを企画しなくてはならない。それが可能なことか確信が持てない。

0111 (2011.4.21)
 クレーンは crane だがこれは鶴のことで、paper crane は折鶴となる。最近は欧米で折鶴がはやりだそうで、平和祈願のしるしらしい。

0110 (2011.4.20)
 あらら、と地デジTVリモコンのなんだかわからないボタンを押す妻。
 画面が暗転して何が起きたのか。いろいろできるリモコンは便利だが、何が起きたかわからないのは困る。

0109 (2011.4.19)
 事実、解釈、対策と災害に対する対応姿勢が求められる。事実を把握するのも容易ではないが、事実があれば次に判断が求められ、当事者は能力以上の対応を強いられるようだ。
 事実はこうで、判断はこれからと言っても良いと思うが、事実と判断の間の時間が長すぎれば責任能力が問われる。急がされすぎずに能力の発揮に気を配ってほしい。

 地デジでNHK教育テレビが映らない。ほかのチャンネルも画面が乱れることが多い。放送エリアのめやすで確認すると、我が家は東京タワーのエリア内。我が家のアンテナは東京タワーを向いている。
 一方で、チャンネル設定の際に郵便番号で地域を特定するのだが、この地域設定はどのアンテナに対応するのだろう。我が家の近くには別方向に中継局がある。
 ためしに郵便番号を東京タワーの近くのものに変えてみた。なんと教育テレビが見られて、他のチャンネルの乱れも収まったように思う。

0108 (2011.4.18)
 まだ地震の余韻から抜け切れていないのか気分が高揚しない。本の感想とかをなかなか書く気にならない。

0107 (2011.4.17)
 東京電力が原子炉の状況終息に向けた計画を発表。あらためて長い道のりとは思うが、一定の見通しができて周囲の復興計画にも反映できると思うと、発表されたのはともあれ良いことだと思う。

0106 (2011.4.16)
 パソコン引越し。1日でホームページが更新できるところにともあれ来た。

0105 (2011.4.15)
 東京電力による原子炉災害で被害を受けた人に保証金の仮払いを始めるという話。
 対象は原子力発電所の放射能に起因する避難指示を受けた人たちということ。その圏内にいた人たちの中には津波で家を失い避難を余儀なくされた人もいるはずだが、その場合津波に対する国の補償を受ける人なのか、原子炉災害による補償を受ける人なのか。
 人助けに理由や区別がいるのかという議論はあるとして、津波被害を受けた人たちの多くに保証金が支払われていない中で、津波による原子炉の崩壊で被害を受けた人にはいま保証金が支払われるというのは、なんとなく違和感がある。
 災害が人為なのか自然なのか、人為に対しては加害者からの補償、自然に対しては一般的国家対応。自己責任のあり方において人為と自然を区別する論拠は何か。誰かが嘘やごまかしをしていて被害を受けたのが人為とすると、そうしたものがなかったときに状況が今とどう違っていたのかが問題になる。

0104 (2011.4.14)
 復興か復旧か。被害を受けた多くの人は変革を求めていないのではないか。今までどおりの生活ができれば良いと思う人が多いはず。だが、定期的に地震と津波が来ることを知って今までどおりに戻るという選択肢はあるか。
 あと1000年は大丈夫と思うと、1000年後の子孫はまたそれなりに考えてもらえばいいではないか、そのころにはもっと科学技術が進んでいるかもしれない、という選択はありうる。
 1000年後には地震予知技術や耐震技術も発展していて、なにも現在の技術水準で判断することはない。今の我々はせいぜい10年から100年先を想定すれば十分では。

0103 (2011.4.13)
 地デジテレビの設定に手を取られている。アンテナにつないで電源を入れればテレビ放送を受信できるのでこれだけなら簡単。受信レベルの最適かとか、ハードディスク録画の録画予約をするとか、DVD再生装置に接続して画面サイズを指定するとか、Wiiにつないでやはり画面を最適化するとか、入力選択のチャンネル名称をわかりやすいものに変えるとか、節電設定をするとか、設定した後はしばらく画面を確認し続けるからそれにも時間がかかる。

0102 (2011.4.12)
 福島原発事故は、新たな評価によると最悪レベルのレベル7となった。当初数十万テラベクレルの放射性物質放出があったことが理由だ。今も毎日1テラベクレル以下の放出があるという。
 当初の出てしまった話よりは、現在も放出が続いていることを憂慮する。レベル5の放出量が数千テラベクレルだということを考慮すると、レベル4(外部への大きなリスクを伴わない事故)相当の放射線が継続していると言えそう。
 現状のリスク増はほとんど無いという解釈ができるが、早期の放出停止は期待したい。

0101 (2011.4.11)
 地デジテレビが配送されてきた。

0100 (2011.4.10)
 夏の冷房をまかなえる程度に電力の自給を図りたいところ。夏熱いのは太陽のせいなので、太陽光発電は夏の暑さに対抗できると思う。地球に風が吹くのも主に太陽のせいなので風力発電も良い。北半球の夏は南半球の冬なので南半球から冷たい風を取り込むのももちろん効果がある。
 残念ながら、人為をもって自然の規模に対抗しようとするとまだ力不足。

0099 (2011.4.9)
 3月11日に起きた東日本大震災ではたくさんの農家、水産家、製造家が波に飲まれ、生産活動に必要な電力の25%が失われた。
 アメリカを始め国内外から多くの熱心な支援を得た。

 甚大な被害を受けたひとを助けるのは単なる憐憫ではなく、世界の生産経済がひとつにつながっているという意識にも裏付けられていると思う。
 日本が生産力の25%を発揮できないと、ものが作られない、お金を稼げない、物を買えないという経済の縮小サイクルが始まり、それは世界規模で波及する。そうした影響を最小化するためにも、ひとは普段の活動を越えた助け合いを提供しなくてはならない。
 そうした相互依存的利害をも意識して、非常時に助け合えるのが成熟した社会なのだと思う。単なる哀れみでなくて、自分の危機でもあることを意識できれば、必要な支援の用意に向かえる。

0098 (2011.4.8)
 資金確保のめどがついて、明日か明後日にチデ鹿(ちでじか)を我が家に呼び込もうともくろんでいる。
 地デジ化とは地上デジタル(TV)放送化の略だと思うが、テレビ放送の周波数変更で、アナログ放送で利用していた周波数を廃止して、別の周波数によるデジタル放送に切り替えるという行為を指す。このため、TV受信機の性能変更を個々のTV受信機で余儀なくされ、個人においてもTV受信機の買い替えをしなくてはならない。
 我が家でも8年間ほど利用していたアナログTV受信機に不調が出たことを契機にあらたなTV受信機を購入しようとしている。
 チデ鹿は、このための宣伝で使われた擬生物の名称。機械的装置変更を擬生物を表彰にして周知浸透を図ろうとする試みだが、似た試みはご当地キャラクターの創作などにも見られる。本質から目をそらして、ともかく説得してしまおうという姿勢は私の好みではない。

0097 (2011.4.7)
 今回の震災被害の復興に十年を想定するのだとか。拾年紀が震災復興拾年紀になるとは予期していなかった。まさに、予期せぬ事態。世の中にはいくらでも予想外の出来事がある。
 ひとは予想をして生きていく生き物だと思う。予想が外れても生きていくという前提が無いと予想して生きるという態度は成立しない。

0096 (2011.4.6)
 今は危機的状況。何の危機かというと、宇宙の危機でなく、世界の危機でなく、日本民族の危機でもない。
 日本国家の危機だ。

 日本国家と個人がどう関わるのかは個々の問題になる。国民として生きているからにはこれを支えようというのが普通の反応。国家なんかいらないという立場のひと、国家意識の乏しい人はどう反応するのか。
 苦しんでいる人がいるのはまぎれもない。だが人類の危機ではない。ひとがひとを助けなくてはというのは、苦しんでいる人がいるからということで十分なのか。
 そうではないと思う。なんらかの同胞意識、同族意識があると思う。

0095 (2011.4.5)
 あらたな放射能拡散情報の開示に、不安を募らせる妻。とはいえ、目の前で「ぐえぇええ。」などと苦悶の声を上げつつ倒れる人を見るでなく、環境放射線の数値も徐々に下がっていく状況。
 ここしばらくの体調変化もないところから、不安は主に先の状況に対するもの。

 放射能については、広島・長崎への原爆投下、その後の冷戦に関わる一連の原爆・水爆実験において人への影響を含めた知見とデータは豊富にあるはず。今からすれば人道を省みない内容を含むので公表しづらいところもあり、具体的な実例に対して数値が先行していると思う。
 ここまでになったときはこうなるけど、今はまだそれのはるかに手前とかいう具体的話が出るとわかりやすい。

0094 (2011.4.4)
 東日本大震災の私個人への影響はいまだ抜けない。私のこうむった直接の被害などは、たいしたことは無いと思うが、放射能への不安や多数の避難継続の人とか、復興への具体的なめどがまだつかない社会とか、気分が高揚しない。

0093 (2011.4.3)
 JRの駅舎の照明は薄暗く、エスカレーターも動いていない。電車内の暖房は入っているが空調は停めてある。
 デパートの宣伝用大型ディスプレイや、道路の混雑案内電気表示も黒い。デパートのエスカレーターの一部も他の経路がある場合は停めてある。
 電車はほぼ平常ダイヤに戻る。
 節電をどこでやってどこでしないか、だいぶめりはりが出てきた。停めているのは本来差し迫った必要性はなかったのか、反省の材料。

0092 (2011.4.2)
 原子力発電所もあちこちの具体的な被害があきらかになり、補修の手が入るようになって来た。また、被災地で避難した人も受け入れが落ち着き、復興に向けた動きが活発になった。
 一方で、JR西日本の電車が保守部品不足で運休が増えたり、電力不足で産業生産を縮小せざるを得なかったり、連携して機能していた社会のあちこちの影響がはっきりしつつある。
 復興しないという解はあり得ないので、具体的にどうして行くのか、怪しい政治主導などではなく多くの人の知恵を結集できれば良いと思う。

0091 (2011.4.1)
 今回の大規模災害について、特に福島第一原子力発電所は万全の対策を取っていなかったことで世論の批判を浴びている。
 ガス、水道、電気の供給はライフラインと言われ、生活に欠かせないものと認識されている。
 それらのライフラインは、やはり今回の災害被害で使えなくなった。これは、万全の対策をしていなかったと言える。
 仮に、ガスも水道も電気の供給も、問題を起こしていないのであれば、被災地の瓦礫を撤去して建物を建てれば、ただちに生活の再開ができる。実際には、建物の被害と同時にそれらの供給設備も破壊されている。
 原発の機能不全と、ライフラインの機能不全が同等に論じられいてないのは、ガスや水道は建物と同じ程度の保障で良いという社会的認識があるから。ではどうして原発だけがより強度の安全性を求められるのか。
 機能不全の場合の危険性が段違いだからだ。公共設備すべてがきわめて高度の安全性を保持すべきという意見は現実と整合しない。

0090 (2011.3.31)
 例えば、お酒は多量に摂取するとただちに影響のある悪い結果をもたらす。
 それでもその存在が許容されるのは、摂取の自由意志が前提となるからだ。
 本人のあたりまえの権利行使に即して、なんらかの悪い影響があるのは排除されるべきだ。
 あたりまえの権利行使とは、昔から住んでいた場所に住み、生存に必要な栄養や水などを摂取すること。また、今いる場所から移動すること。
 自然災害によって、住んでいられなくなったり、栄養が足りなくなったり、移動できなくなったりすることはある。それでも人為によりそうしたことがあってはならない。

 今回は自然災害が引き金になっているものの、人為を介して生活が圧迫されている。すべてを人為に帰すのは誤りだと思うが、人為を過小に評価しない対応が必要。

0089 (2011.3.30)
 原子力発電所事故に起因する放射能に、西欧諸国はかなりの警戒をしているとか。今回の原子力発電所事故は、前例の無い事態であるとか。
 日本は原子爆弾による攻撃で、放射能の影響を良く知っている。あのときの放射線被害があの程度であったから、今回はこの程度かとか比較して見当をつけることが(正しいかどうかはともかく)できる。
 原子爆弾の被害を考えれば、今回のことも前例の無い事態とは言えない。今回の欧米の反応には、国家的経験の差が表れていると思う。(一般の)ひとはそれなりの経験の範囲でしか物事を捉えられない。

 夕食にホウレン草が出てきて「この由来は」と妻に問うたところ、2週間前にゆでて、冷凍庫保管していたとのこと。若干のヨウ素131に起因する放射線は、そういう扱いをすればより安心かも。

0088 (2011.3.29)
 今日明日は2日連続して計画停電を行わないとのこと。昨日今日と暖かくなって、電力消費が落ちたのだとか。それで500万kWも違うのかと驚く。東京電力の本日のピーク供給力は3800万kW。
 電車の走行数は電力に比例すると思う。しかし感覚的なものが指数関数的に電力消費に関わるのなら、それは何かを知りたい。熱い・寒いはその有力候補。
 寒さはある程度の厚着でしのげると思う。

0087 (2011.3.28)
 情報とは、地点Aのある時刻の放射線レベルがいくつといった、個別の事象・状況に関わるものだ。それを危険と判断するか否かは知識によるもので、情報+知識→判断、となる。
 一方で、情報+基準→判断、というのもあるが、基準の妥当性について不安があるのは当然。ある事象に基づいたあるひとの判断の結果はやはり情報と呼ばれる。これは、判断の妥当性が問題となる。
 情報がたくさん集まって、やはり多くの支持するところがまともだろうという判断をするのは、こころもとない。できることなら、自分なりに判断できるだけの知識を自分なりに持つことが望ましいと思う。
 知識の妥当性は、それなりの検証によるわけで、世の中に確実なものが無いという意味で知識だろうが基準だろうが信じるところに従う。他者の意見は意見として、自らが何をどこまで確信するかは、自身の判断基準を試していくしかない。

 情報は個々の事象で、その中に矛盾を許す。知識は体系であり、その中での矛盾は許さない。知識が誤ることはあるが、知識が増えれば状況との親和性が増す。
 情報は増えれば増えるほど、対立する要素を増す。
 矛盾しない世界観を得るには、世界との関わりを通じて知識を研鑽するしかないと思う。

0086 (2011.3.27)
 朝の討論番組で、もと議員のひとが「情報を出して、不安を除け」と言っていた。情報の発信も、不安の除去も大切だが、この発言は情報を出せば不安が収まるという因果関係を前提しているように聞こえる。また情報が足りないので不安が増しているというようにも聞こえる。
 私の見解としては、情報の量と不安は必ずしも関連しない。
 単なる思い違いなら聞き逃せるが、政治的に影響力の高い人の言葉としては無責任に思う。「情報を出したが不安が増した」とか、「情報を制限して不安を収めている」とかの結果は執行者のせいになってしまう。「情報を出して、不安を除け」と指示するのであれば不安を除く情報の出し方も併せて示さなければ、矛盾した、いいとこ取りの恰好つけ発言になる。

 シーベルトだの半減期だのという言葉が耳慣れないというが、それをわかるためには情報ではなくて知識が必要だ(原子構造とか核分裂の仕組みとか)。知識不足を情報で補うという方法論は適当だろうか。

0085 (2011.3.26)
 習慣の休日散歩に出ると、空が不思議なくらい澄んで見える。何かの悪い兆候ではないかと心配したが、どうやら自動車の通行量が減るなどのせいだろうと思いついて、とりあえず安心。
 私の住む付近には森もあり、空気はずいぶんと良いと思っていて、普段以上に澄んだ空が見えるのは、ある意味予想外。早く内燃機関に頼らなくても良い世界が来て欲しい(この言い方はいつかはそうなることを確信する言い方だが、未来はそこまで確実ではない)と思った。

 空にはところどころに雲が浮かび、太陽光を浴びた部分を見ると、天使が降りてきそうなとはこういう状況を言うのだろうかと考える。雲は飛行機よりも下にあるから、昔の人がそのあたりに天使を見ていたのなら、天使のいる高度はそんなに高くない。
 では最高神(あるいは唯一神)はどこかというと、雲の合間に見え隠れするあの太陽の近辺だろうかと思う。太陽は私のいるところから8.5光分のあたりにある、というのは現代の知識であって、日常的な見え方から予想する太陽の位置は雲の高さのせいぜい5倍程度ではないかと思う。
 昔の人は神の座を現代的感覚に比べるとかなり近い場所に想定していたのではないか。

0084 (2011.3.25)
 自宅周辺が夜の計画停電になる。18時20分から22時くらいまで停電という予定。
 勤め先から帰宅したときJRの駅舎は照明されていたが、駅舎を離れると街灯も信号機もついていない。通行中の自動車や自転車、ところどころのマンションの階段(非常灯だろう)のあかりが頼り。足元が暗く、通行人の姿も良く見えない。
 停電に備えて自宅には懐中電灯などを用意したが、自分もあかりを携帯すべきとは考えていなかった。
 空がやや明るいこともあり、しばらく歩くうちに目が慣れてきて道路の識別はできたが、照明がほとんど無い夜の街は見慣れたものとは大いに違っている。

0083 (2011.3.24)
 東京都の水道水が乳児の摂取基準1リットルあたり100ベクレルを超えたとして、摂取制限を発表。1日後、ふたたび基準値以下の値になった。
 これを受けて都内のペットボトル水の品切れが相次いだ。

 今回の場合、水道水を1週間程度保管すれば問題となる放射性ヨウ素は半減期が8.1日であることから基準値以下となる。当面の水はともかく、水道水をくみおいて保管し、時間が経過してから飲むという対策がある。
 この先水道水がどうなるか不安というむきには、ペットボトル水の買占めでなく、水道水の貯蔵を勧めたい。

0082 (2011.3.23)
 妻が埼玉県産のブロッコリーを買うべきかどうか迷う。福島県産のブロッコリーに出荷制限が出たことを受けてのこと。
 政府は風評被害を防止しようと動いているようだが、風評とは根拠の乏しいうわさによる買い控え等を意味すると思うが、公式の報告を受けて個人的に心配して他の産地の物品を買い控えるのは風評ではなくて個々の過剰な心配だ。単なる心配による買い控えを抑止するには正しい認識の普及が大切だが政府の施策はそれがかけていると思う

0081 (2011.3.22)
 今回の原子力発電所事故で放出された放射性元素の大部分はヨウ素131であり、その半減期は8.1日だ。福島第一原子力発電所の周辺での放射線測定値の減少傾向は、ヨウ素131の半減期による放射線減少とほぼ一致しているらしい。
 これは、放射線源の多くがヨウ素131に起因するとともに、あらたな放射性元素の大規模拡散が起きていないことを示すように思える。
 このまま新たな大規模拡散が起きなければ、8.1日おきに放射線量は半減して、すみやかに健康に全く問題ない値になるだろうと思う。
 ほうれん草とかに付着した放射性元素も同じ傾向をたどり、食べても問題の無い範囲になるものと思う。この他にセシウム134とセシウム137が河口付近で基準値を超えて検出されていて、それぞれの半減期は2年と31年。
 コバルト60とかストロンチウム90とかはまだ基準値に達していなくて、報告が正しくてこのままなら早めの収束が期待できるように思う。

0080 (2011.3.21)
 1960年代は、大気中核実験が行われていて、大気中にストロンチウム90とかが含まれているとか大いに問題となった。ヨウ素の同位元素程度ではまああれだがストロンチウムはカルシウムと置き換わることがあっていろいろ。
 そうした時代を生き延びてきたことをふまえると、まだまだ冷静に対処していきたい。

 雨に触れない方が良いというのは当時もあって、雨に触れると放射能のせいではげるとか言われていた。

0079 (2011.3.20)
 散歩途上で熟年の2人の会話が耳に入る。「日本はもう終わりだ」。いやいや、数万の人口を失い、海岸線の施設や住宅の一部が壊滅し、電力供給能力の4分の1を失ったくらいでそうした見解は早計だと思う。年寄りがこぼす愚痴に目くじら立ててもしかたない。

0078 (2011.3.19)
 TDR(東京ディズニーリゾート)が、電力供給の関係もあって21日頃に営業再開時期を判断するという。電力が無いとアトラクションが動かない。
 これを解釈すると、TDRは電力をアトラクション装置でアトラクションに変換して商売をしている、つまり電力に付加価値をつけて再販していると言える。同じ構造は電車の運行にも言えるが、サービス産業はなんらかの形で電力をサービスに変換して売っているのであろう。
 コンピュータは電力を製品(サービス)に変換する装置で、製パン機は電力とその他の原材料をパンに加工する装置だ。
 今回の計画停電で、電気は非常に多くの工業製品の原料だということにあらためて気付かされる。

0077 (2011.3.18)
 毎日継続して計画停電を実施するという厳しい事態。停電時以外も節電対応が講じられている。電車の駅舎は照明が減り、駅構内は薄暗い。
 なんとなく30年前の風景はこんなだったのではないかと思う。
 自動車の通行量も、ガソリン供給が減ったせいか、半分程度。街路は暗く、通過する自動車も少ない。これまた30年位前の雰囲気。
 当時は、街路は今ほど整備されていなかったし、自動車の燃料効率も今ほど高くなかった。
 それでも懐かしい雰囲気を感じる。煌々と照明することにどこまでの意味があるのか、と思う。

0076 (2011.3.17)
 福島第一原子力発電所では、使用済み核燃料の貯蔵プールにめがけて水を投げ込む試みが4回行われた。放射能値に大きな変化は無いようだ。いずれにしろ水を投入していかなくては打開の道も開かれていかないように思える。
 臨界状態ではないようなので、ある程度時間をかけた対応も可能だとは思うが、それにしても数値を改善できないのは不安の種ではある。

 計画停電が行われ、一部地域では時間を区切って停電したようだが、あまり実感が無い。むしろ電車の通行が減って、果して通勤で目的地に着けるものやら先が見えないことに影響を感じる。こういう場合はなるようになると開き直るのが有効ではある。なるべくゆったりした気持ちで目の前の事態を受け止め、偶然を当てにしないで悪い予想になってもいちばん影響が少なくなるように行動する。

0075 (2011.3.16)
 福島第一原子力発電所では、燃料格納容器の損傷や使用済み核燃料の貯蔵プールでの燃料棒露出とかで、予断を許さない事態が継続しているとのこと。
 東京都内でも大気中の放射性物質が普段より多く検出されているらくし、落ち着かない。
 商品の品薄は昭和40年代のオイルショック当時のようであり、大気中の放射能増加はやはりその当時の米ソ冷戦核実験が盛んだったときのようである。地震による壊滅的被害は中越大震災のようでも関西大震災のようでもある。今回の東北を中心にした大震災に起因する事態はまたあらたな状況だ。非常事態は類似のところもありそうでないところもある。災害に類似点があるからにはある程度の備えはやはり可能なのだろう。

0074 (2011.3.15)
 火曜日。電車の到達範囲はやや拡大した。スーパーの行列も開店当初あたりに限定されていて、その後も商品在庫は残っている。関東西部は落ち着いて良い状況と思う。
 危機管理のあり方には反省事項もあるが、統一政体と自由主義政体でどちらの対応がより望ましいのかと考える。やはり混乱はあっても自由主義のほうが良い。統一政体で国家見解が発表され、それに沿わない状況はすべて見過ごされるなんてより。

0073 (2011.3.14)
 月曜日。昨日に付近の電車が”ほぼ平常どおり”運転していたので通勤の交通は確保されたものと安心していた。ところが、計画停電が行われるということで、朝はのきなみ電車が動いていない。
 こういうときこそ勤め先で先の計画を立てなくてはならないので、歩いて電車に乗れるところまで。結局3時間歩いてから勤め先に到着した。

0072 (2011.3.13)
 日々の営みの一環として、付近のスーバーに買い物に出る。若干は備蓄を兼ねて多めに日持ちする食料などをと考えたが、同じように考えた人が多数と見えて大目に買い込む人の列で普段は10分待ちくらいのスーパーのレジは1時間待ちくらい。スーパー側も在庫は店頭にあるだけなどと放送している。

 買占めはまずいが、個々の防災意識の高揚で自律性を高めておくのは良い。社会機構もすでに備蓄を放出して、次の災害が重なった場合にはさらなる救援を用意するのに時間がかかるはず。

0071 (2011.3.12)
 津波による東北太平洋側の浸水と倒壊、福島原子力発電所第一原発付近の爆発、炉心溶融の可能性と放射能の増加、1000人を越える犠牲者と信じたくないような事象や光景が報道されている。

 東京近郊の出先で、徒歩では戻れないような距離の位置で、すべての電車が不通になる事態に遭遇した。昨日は、小田急線が夜中の0時(発災から約10時間後)に開通(走行速度は遅い)したのでそれを利用して自宅に戻ることができた。
 被災後は、手元の資源とその場で手に入る(提供される)ものでなんとかやりくりをし、乏しい情報にもとづいて自分の身を安全に保つのが精一杯のところ。他者のためにできるのは、できるだけ自分は救援者に迷惑をかけないで、より切迫した別のところに資源を集中してもらうくらい。
 駅のアナウンスがもっと適切に(より具体的に示すとか)あって欲しいとか平時は思うのだが、適切な情報も思うように入らないという事態も被災時には想定し他者にいらだちを発散しないことも大切。
 手に入るもので、極力健康維持と体力温存を図って、他者に極力迷惑をかけず、過度の救援を求めないというのが被災者のなすべき態度だと思う。
 自らに余裕が生じれば、他者の救援・支援をこころがけるのはより良い。

0070 (2011.3.11)
 14時26分三陸沖を震源とする国内観測史上最大のM8.8の地震発生。津波被害もあり死者300人超。

0069 (2011.3.10)
 日本語と時間――〈時の文法〉をたどる(岩波新書) 著者:藤井 貞和 amazon.co.jp によると、古代日本語で「もの」は<動かない>、「こと」は<動く>というはっきりした区別が存在したとのこと。
 ローダンシリーズの翻訳の一部を特徴付ける「…なもの。」という言い回しは松谷健二氏の語感から生まれた名訳と思うが、その背景に確定的あるいは独断的な意味合いを感じ取るというのは、たぶん正しい。
 古代日本語もなかなかに興味深いもの。

 なかなかに興味深い。と言い切った場合と対照してどうか。

0068 (2011.3.9)
 昨日の政治の話のように、科学技術(社会科学を含む)が極限まで発展した状態を想定し、そこから現在を照射するというのがSF的発想だと思う。
 極限の発展状態がどういうものかという判断と、現在のどちらが変化してもその結果は変わる。SFが時代により変化していく理由だろう。

 日本で出版される最近のSF作品は、戦闘ものばかりが目立つ。科学技術の発展は悪い宇宙人との遭遇の可能性を含み、技術が発展しても戦闘状態におけるひとのありようはそう変わらない。この宇宙戦闘未来像はここ50年ばかり大きな変化が無いと思えるので、変わったのは現実のほうである。
 普遍の真実のもとにひとは力を結集しなくてはならない。微力であっても正しく努力を尽くしているうちに世界は良く変わっていく、などという観測が受けているのだとすると、現在は打開の可能性が見えない閉塞感が蔓延していると判断できる。
 誤って外に敵を求めるようなことが無いことを望む。

0067 (2011.3.8)
 昨日の宇宙バクテリアの話については、NASAが不支持を表明したようだ。そんなありきたりの手段でいまさら地球外生物が発見されるというのは疑わしいとは思う。

 65日の記事。投票の力は微力なので、反応が出るまでには時間がかかる。しかし、愚かな為政者が選ばれ、その結果投票した人に影響が出るというのは、微力なものの力を妨害するより大きな力が働いていないことの証拠になる。
 今回の社会作用を観察する限りでは、政治を影で牛耳る何者かを確認できない。投票による民主主義の原理が働いていることを確認できる。
 世の中を動かすのには微少な力を使う以外に方法が無い。その力の使い方を誤らずにうまく導く方法が見出せれば良い。
 残念なことに社会科学は物質科学ほど発達していないので、時計、自動車、テレビ受像機のようにうまく働く精緻な社会装置を設計できない状態にある。

0066 (2011.3.7)
 隕石を粉砕分析して地球外起源のバクテリアを発見したという記事。微少分析技術の向上は背景にあると思うが、なぜ今。ともあれ、真偽は今後議論されていくことだろうから期待して待ちたい。

0065 (2011.3.6)
 民主党菅内閣は、前原大臣の辞任表明を受けていよいよ崩壊と思うが、こうした事態を招いたのももとより国民の総意に起因する。
 無駄を省けば、予算の工面などいくらでもできると言った鳩山氏の言葉を、話半分としても信任を与えたのは国民だったと思う。私も、もう少しなんとかなるとは思った。政治家はつまりは国民が信じるところによって力を得るのであり、正論を言ったとしても信を得られなければ政権を依託されない。
 というわけで、最後は自分に戻ってくるというのが良くわかる。自らの力は微力であるからこそ結果が出るのには時間がかかってしまうが、少なくとも選択に寄与できるように思えるという民主主義の原理をありがたいものだと思う。

0064 (2011.3.5)
 57日の京都大学入試事件は2つの側面があって、ひとつはカンニングにケータイが使われたことで、もうひとつは回答を得るためにYahoo知恵袋が使われたことだ。
 一般に知恵袋のように他者に尋ねるのは、学習意欲の発露として悪くない。一方で、試験の際に他者に頼るのは悪い。
 大学入学試験は実力を試すものだが、実力とは何かとなると、正しい解答を得る力ではなくてみずから創造力を発揮して問題解決をはかる力とその前提知識であろう。ただ、試験は結果がわかっていることを問わざるを得ないので、前提知識は試せても創造力を直接的に試すことができない。
 ケータイを試験官にわからないように活用するのは、ゆがんだ創造力の発露で、社会的に許容されないのはしかたないと思うが、ゆがんだ表現にしかならなかったのは残念だ。

0063 (2011.3.4)
 一貫性はまた、恒常性であるが、周囲が変わっているのに自分が変わらないのは頑固おやじで、周囲にあわせて生存を図るのはホメオスタシスというか、動的恒常性だ。
 頑固おやじは滅び、ホメオスタシスのほうが多少とも長生きする。一貫とは、何かが変わらないことだが、何かを変えないために何を変えるのかとなるとややこしくなる。

0062 (2011.3.3)
 55日の項に書いたが、”悪いとは知りながら”と悪事を行うのは一貫性のなさの事例と思う。
 57日に京都大学の入試問題の解答をYahoo知恵袋という相談サイトに入試期間中に投稿した人がいたことが事件となった。一時は共犯者の存在が推定されたが、どうやら単独犯らしい。
 これもまた”悪いとは知りながら”なのかと思う。そんな馬鹿がいるとは信じたくないので、共犯者を含めた愉快犯説を採りたいところだが、そうではないらしい。世間を笑い飛ばそうとこれまでも多数の愉快犯行を繰り返した謎のチームの存在というのを多少でも期待してしまった私も一貫性を欠いているようだ。

0061 (2011.3.2)
 アラブ諸国と言うか、イスラム諸国と言うか、イエメンとオマーンでも反政府デモが拡大。
 イスラムはもとより自由主義ではないので、自由主義の影響を受けて自由主義を求めるデモが発生する素地はある(自由主義の日本でイスラムを求めるイスラム運動が発生する素地があるのと同じ)として、なぜ今というのは思う。
 イスラム主義とは違う、自由主義のありかたについて情報が手に入ってそれに傾倒するひとが行動を起こした。多数が支持することで行動が顕在化したが、いまのところは数の違いだけが目立つ。数が多いほうが正しいとは言えないのは、どんな主義にしろ最初から最後まで多数派であったことは無いということで証明されている。
 つまり、この場合の”正しい”は単にそのときの多数派であることを意味するだけで、論理的、絶対的、神学的、原理的にも(このうちのいくつかが同じことを言っていると思うのであればすでに思い込みに陥っている可能性がある)正しいとは言えない。
 多数派こそが正しい(はず)という自由主義的原理は、正しいものは常に多数派であるという誤った提議につながりかねない点で危険がある。
 自由主義は個人の尊厳を前提にできなければ、成立しない。自由を求める多くの人は、煽動されているのではなくて、自らの尊厳において尊厳を自認する多数の判定に自己を委ねる気持ちを持っているだろうか。

0060 (2011.3.1)
 リビア。カダフィ後が語られる情勢において、カダフィ政府軍が反攻。そもそも何を争っているのか(私には)不明な戦闘が続く。原油価格は安定化の方向で、投資家はどんな情報源から供給安定を読み取っているのか。
 もはや大勢は決まったというのが市場の見方なのか。ならば、数日前の原油先物取引高騰は先行きが不安定という市場の宣託か。数日前でもカダフィ氏の命運は決まっていたと思うが、カダフィ後が読めていなかったということか。
 とすると、今やカダフィ後も読めているということになるが、それは無理なように私は思うのだが。

0059 (2011.2.28)
 私の住んでいるあたりの日の出時刻がまもなく6時よりも早くなる。平日は6時起床で、起床時に日が昇っているのはありがたい。6時より後に日が昇るのは11月から2月までの4ヶ月間。6時半より後なのは12月と1月。
 5時半より早いのは4月から9月までのほぼ6ヶ月間。自分が起きる時刻より前のことは気にならないのは、もちろん自分の生活を中心に世の中を見ているから。

0058 (2011.2.27)
 私の住んでいる周辺では昨日からスギ花粉が大量に飛び始めたとのこと。暖かくなったせいか、近所の公園には多くの親子連れが見られる。スギにはスギの事情があり、親子には親子の事情がある。
 これとこれとこれが無ければ最高なのに、とか言ったところですぐにどうなるものではないが。

0057 (2011.2.26)
 「円の誕生」amazon.co.jp を読んで、江戸末期の官僚も取り立てて無能ではないという印象を持った。他人の犠牲の上にあぐらをかいていた無産階級が打倒された、というわけでは無いとすると、幕府崩壊の理由として何があるだろう。
 海外からの脅威、これに対抗しきれない旧体制。ばらばらな藩の支配から中央集権国家にならざるを得なかったということだろうか。

0056 (2011.2.25)
 ニュージーランドのクライストチャーチ市で直下型の地震が起きて、邦人を含む多数がまだ瓦礫の下に埋もれている。
 被災者の無事を祈るばかりだが、発生から72時間以上を経過してすでに多数の死傷者がいる。

 多数を瓦礫の下から出せていないという意味で、救出が滞っているが、技術的あるいは現実的なこととして可能であったことが達成できていないとは言えないと思う。
 大規模災害は、ひとの一般的な想像力を超えて起こるので、対応評価についても普通の価値基準では計りがたい。

0055 (2011.2.24)
 一貫性の無い人に、「あなたは馬鹿ですね」と言うことにしようと思ったが、それよりは馬鹿な人に、「あなたは首尾一貫してませんね」と言うほうが波風が立たないように思う。
 どちらも同じことなのだが、馬鹿と言うと本質を表しているようで、首尾一貫していないと言うと、結果を言っているように聞こえる。本質は変え難いが、結果は変えられるように思う。それもまた錯覚に違いない。
 本質は断定し難いが、結果は誰にとっても(だいたいは)あきらかだ。ひとは本質を悪く断じられるのを好まないらしい。
 普通ではないことを普通には評価せず、それなりの基準で評価するというのが成熟した社会として必要なことと思う。

0054 (2011.2.23)
 初等教育がそのひとの粘り強さ、自制心、首尾一貫性に影響を与え、IQには影響しないというWIRED VISIONの記事
 私が一般に”馬鹿”というのは首尾一貫しないひとのことであって、IQの低い、血の巡りの悪い、考えをまとめるのに時間のかかるひとのことではない。
 なのでやはり、教育はひとの生きざまに良い影響を及ぼすのだと思う。世の中の恒常性を信じられるというのは、経験や教育が物を言う。

 努力に意味があるのは、世の中が一貫しているという前提があるから。一貫して世界が継続するので、一貫した努力が報われる。
 世界は変転するのだから、それまでの積み重ねに意味が無いというのは悲しい。

0053 (2011.2.22)
 エジプトの革命に刺激を受けたのか、隣国リビアでも市民運動が政権を打倒する勢いを見せている。
 リビアの人口は629万人(2008年、世界銀行)、首都トリポリの人口は約150万人、宗教はイスラム教スンニ派。政体はジャマーヒリーヤ体制(大衆による共同体制の意)(外務省のページを参照した)というから、私の常識では市民うちのどのようなひとが何に反発・反対しているのか理解できない。せいぜい、簒奪者はどんな主義主張のもとでも市民から反発を買うのだろうと想像する程度。
 関連する解説を聞く・読むときには、政体や人口、生活習慣との関連などを気にしたいと思う。

0052 (2011.2.21)
 二〇一拾年紀の終わりごろ、グルーポンという広域通信網を利用したクーポンの共同購入事業が行われるようになった。
 手元の辞書(アメリカン・ヘリテイジ英英辞典 第3版)によると今日のようなクーポンが最初に使われたのは一八三拾年紀(1822年)だということで、その頃は世界規模の広域通信網はなかった。
 考えるに、クーポンの当初の姿は、顔の見えるサービスであり、おそらくは知名度の向上などを狙っていた。今日のような広域サービスにクーポンが使われるようになるとその意味合いもまた違ってくるのは予想されるところ。
 比較的小規模な商売をしていた鯛焼き屋が、グルーポンを介したクーポンサービスを中断せざるを得なかったというのも、新たなサービスの初期の失敗した試行のひとつということなのであろう。
 とはいえ、クーポンが本来の意味で定常化・広範化する商業社会というのは考えにくい。利用する側もちょっとしたお徳を楽しむ程度で、過度にクーポン利用にのめりこまないほうが良いと思う。

0051 (2011.2.20)
 「マハン海上権力論集」amazon.co.jp にもあるが、常備軍だけに予算を使うのでは有事の動員数が限られてしまうので、通常予算の一部は予備役兵の確保に当てる。予備役兵はつまり、ある期間訓練を受けた後、一般の社会生活を送る人たち。定期的な再訓練はもちろんある。
 一般兵と予備役兵の割合は、それぞれの事情によって違う。自衛隊にも予備役の概念はある。
 ともあれ、国が軍を維持すれば、予備役や退役を含め、一般社会にも軍事教育を受けた人たちが多く含まれるので、国のありようも変わってくる。
 軍は統率された作戦行動と規格化された戦闘を重視するから、そうした人たちも統率と規格化の必要を強く意識している。
 つまりは、社会が国際的な危機感を強めれば、軍を通じて統率と規格化が社会に浸透する。アメリカの自由主義とはその意味で現実主義でもある。
 今の日本には、現実を自己の意思だけでどうにでも簡単に変えられるもののように錯覚した捉え方が過度に蔓延しているように思う。

0050 (2011.2.19)
 「地球戦線」amazon.co.jp 読了。楽しんで読んだが、amazonのカスタマーレビューではさんざんに書かれている。
 プロフェッショナルの兵士は、軍の内部においてもさまざまな確執を抱え、なおかつ外部において困難な敵と向かわねばならない。最後に(そして生き残って)勝利を手にするのはプロに徹した兵士だ。
 というのは、なにもボスリーン・ウォーだけでなく軍隊物語に共通する話の筋に違いない。
 米国では、多くのひとが軍隊経験を持ち、社会的にも尊敬を集める存在だから、こうした物語が支持される背景があると思うが、日本の読者の多くはそもそも何の話なのかよくわからないということになる。

 軍隊もののパターンについては先日発売の「栄光の<連邦>宙兵隊 ミッション1 異星使節団を守護せよ 」amazon.co.jp のあとがきにあるとおりで、はからずも同書の評判に響かなければ良いがと思う。私は購入を見送った。

 ポスリーン・ウォーについては、問答無用の宇宙人が相手なだけに、むしろ軍隊ものの主題があきらかで、それだけを追求できるという意味で高い仕上がりになっていると思う。読者の反響を得られずに、続編の邦訳出版が実現しないとすれば残念。

0049 (2011.2.18)
 人類は滅亡への道を歩いているのか、という問いを、ひとは死にむかって生きているのかという問いと同じに捉えるのはたぶん違う。人類は集団であり、ひとは個人だ。ひとはいずれは滅び、人類の最後の一人が死滅するのは、宇宙の終わりよりもだいぶ早い時期に訪れる。
 それでも、ひとと集団は異なっているから、ひとの死と種の滅亡は分けて論じるほうが良い。それも議論の目的による。人類滅亡を論じても、宇宙の最期が自明だとするとそれ自体はたいした意味が無い。
 死や滅亡は、生と存続を論じるうえで意味が生じることが多い。

0048 (2011.2.17)
 民主党の一部議員が民主党会派を離脱する届出。党内をまとめきれないとなると、管政権もいよいよ末期の雰囲気。国家予算を国会通過させられないとなると、来年当初は役所は必要な契約を交わせなくて、国家運営が滞ることも。
 そうなったらどうなるか、というのも興味はあるが。

0047 (2011.2.16)
 生き方を模索して、安楽に生きる/裕福になる、ための方法を見出そうというひとが大多数だと思う。まれに、科学的真実を追究するとか、悟りを追及するとかというひとがいる。それでも生活は大切なので、科学的真実を追究しつつも生活が成り立つことを目指すというような生き方になる。
 なにをするにも社会的支持は避けられないところ。なにかを継続できるのは、社会的な容認があるためで、なにをするにも他者へのかかわりは必須ということ。

0046 (2011.2.15)
 昨日使った”熟”という文字は完成とか上手とかの意味。ひとが完成することはたぶんないので、やや不適切な使用と反省した。ひとは特定の方向に変化するのではなく、さまざまに変わる。
 ”未熟”ではなく未展開とか未発達のほうが私の言いたかったことをあらわしている。いまだ展開せず、発達していない人の数は、全人口のうち若い人の大部分を占めて、なおそれ以外のひともふくんで過半数だと思う。

0045 (2011.2.14)
 昭和46年末、それまで対ドル交換レートが1ドルあたり360円だったものが、308円と円の切り上げが行われる。
 そんなところから話が始まる「円の誕生 近代貨幣制度の成立」(講談社学術文庫)amazon.co.jp だが、そんなことがあったのをすっかり忘れていた。
 ある事実を知っているのと知っていないのでは、本の読み方もかなり違ってくる。読者によって読まれ方が違う本は、意図してではなくて、書かれた経緯でもそうなることがある。
 当然ながら、特定の事実であっても、受ける側の事情が異なれば変わる。読者に配慮しない著者が悪いのだと著者のせいにできるのは、自分が大多数に属していると思える若者(若者は多くの場合多数の側にいる、それは若者には未成熟者が一般に多いからだと思う。)か、みずから成熟を選択しないひとだと思う。
 未成熟者を読者として想定しない本もあるということ。

0044 (2011.2.13)
 二〇二拾年紀も44日目。拾年紀の1.2%が経過。区切りとは何か。人生60年とするならその1%はほぼ220日。44日はその人生の0.2%だ。
 人生120年とするなら、もう少し余裕があるかも。

0043 (2011.2.12)
 エジプトのムバラク大統領が辞任表明。仮に、悪い奴を排除したとして、それに変わる良い奴を当てはめられなければ物事はうまくいかないと思う。あいつ以外なら誰がやっても今までよりはまし、などというほど世界は甘く無いだろうと思う。

0042 (2011.2.11)
 「マハン海上権力論集」amazon.co.jp で、議会にはそれなりの利害関係者の代表が送られるとある。民主主義はより多くのひとが支持する政策を実行するというあまりにもあたりまえの原則。
 すべての人の福利を主張するのは、結果として多くの人に支持されるかもしれない政策のひとつでしかない。共同体の利益の最大化のにつながるのが民主主義で、そうではないと思われる政策には支持が集まらない。
 何が最大化なのかは衆議で決まるが、それについて誰にも見極めが難しい状況で、民主主義は機能を発揮できるのかと疑問になる。

 どの政策でもともあれ実施したほうが良いのだが、一番を決められないとどの方向へも進めないというのは民主主義の弱点かも。

 戦争か懐柔かとか、進出か防衛かとか問題がひとつに絞られていれば良いが、複数の公約をした党派が、すべての実現は無理となったときにどこに絞り込むかで身動きが取れなくなる。
 そもそも公約が矛盾していたとなればなおさら。

0041 (2011.2.10)
 自動車は高速大容量の移送手段だ。一方で、快適な輸送手段だ。快適さを基準にすると、ごく近い場所へも自家用車を使う理由がわかる。
 私は、1km以内なら歩くほうが自動車よりも快適だと思う。それでも、たくさんの荷物を持つとか、体が不自由だとかすると、ごく短距離でも自動車のほうが快適という気持ちはわかる。
 東京から九州だと自家用車よりは飛行機利用のほうが快適な場合が増える。
 東京から京都だと新幹線が快適だ。
 自動車が快適になる理由は、飛行機や電車よりもより大きな空間を確保して移動できることだと思う。
 空間に起因する快適さと、移動速度の関連で選択が変わる。

0040 (2011.2.9)
 ”人間味”というのは感情がこもっているように思う。「電車が来ます」というアナウンスもあまりに人間風だと、へんに誤解があるのでは。
 役所の窓口の役人も、規則どおりにしか対応できないのだから、あまり”親身”な対応ではなくてどこかで機械風味を出すほうがよいかも。「おじいちゃん、ごめんなさいねぇ。でもそれはできないんですよぉ。」などというよりも「規則ですから、そうはいきません。」とかのほうが誠実かも。
 できないことを遠まわしに言うのではなくて、これはできないけど相手の身に一番良いこととしてはこういうことは提案できる、ということまで言えるのなら人間的対応と言える。
 「発車します。黄色い線までお下がりください。」に対して「わわわっ、連れが体が不自由で、ちょっ、ちょっと待ってくれればあの、その、なにがほら」とかいうひとに対応できないのでは、人間風の対応をする十分な意味が無いような。

 ”人間味”とは相手の身をおもんばかって対応するということで、それがうまくわかっていなくてもそれでも”人間味”になる。
 おもんばかれるキカイはいまどれくらいある/いるだろう。

0039 (2011.2.8)
 この後夜には雪が降るという予想。今年は日本海側の地方は大雪とのことで、大変と思う。大変というのは予想外というよりも、備え外ということで、新燃岳の火山灰も備え外で大変なこと。
 供える投資よりも、供えないほうが得ということで備えていないが、そうした場合には自衛隊の災害出動などというさらに別の安全網が働く。生活の備えに対する周到さと、個々の対策が起動する段階の違いをどう設けるのかは、社会構築の課題だ。

0038 (2011.2.7)
 大相撲が春場所中止に。相撲協会の説明によると、本場所とは技能審査の場であるから、審査が適切に行えない(八百長疑惑のある)状況において、実施できないとのこと。
 審査の厳密性にそこまでこだわる理由がわからない。仮にそこまでこだわるとすると、今後の厳密性をどう保障してくのか。単に八百長を証明できないというだけでは不足だと思う。

0037 (2011.2.6)
 アメリカ人の学位保持者で軍に勤めた経歴のあるひとが多くいる。国の研究主題として軍事に力を入れている証拠だろう。
 日本は軍事には力を入れないので、文化のありようも変わってくる。日本の近代産業における文化的貢献というと、快適なトイレ設備が挙げられる。暖められた便座や、健康判定などが国際的に高い評価を受ける。
 アメリカでは宇宙産業が突出している。宇宙活動は人類の新たな知見を獲得する上でおおいに役立っている。
 快適な生活追求か、軍事的優位を続けるための未知の探索か。動機はともかく未知へと突き進むアメリカの傾向に魅力を感じるのだが、一方で宇宙開発は民間平和主導では発達できないことの証明でもあり、複雑な気持ち。

0036 (2011.2.5)
 真剣勝負を売り物にしていたのに八百長が混じっていた、というのは嘘をついていたことになるからまずい。星の売買がどこで行われるかと思うに、あとひとつ勝たないと陥落とかいう場面においてだろう。すべてを買った星でまかなうわけにはいかないだろうから、あるところまでは自分で勝たないといけない。つまりは、そこそこの実力はある。
 結果がすべてです。八百長があって嫌だと思うのなら見なくて結構。という説明を以前からしておけば問題はないと思うのだが、ではどうして嘘までついて八百長は無いと言わなくてはならなかったのか。うまい説明が思いつけない。

0035 (2011.2.4)
 立春を迎えて気温が上昇傾向だが、これがこのまま猛暑に直結となることを懸念。
 世界の気候が不安定なのをふまえ、安定化こそ望まれることだが、安定していないことの証左としての酷暑を恐れる。
 つまりは猛暑が来ようが来まいが、それとは一線を画して気候安定の証拠が欲しい。安定とは一定傾向の継続だ。仮に、異常が見られるのなら対策が欲しい。確実な対策ができないところが不安の要因。

 暑い夏は不愉快の要因だが、それが人類の滅亡につながるのではさらに困る。温暖化→生活崩壊→人類滅亡と連鎖するとして、一般にひとが憂慮しているのはどれか。
 今はまだ人類滅亡の問題として温暖化が論じられている以前と思うが、では何を問題視するのか。

0034 (2011.2.3)
 大相撲の力士が野球賭博をしていたことの捜査で押収した携帯電話に、野球賭博は関係ないが、八百長取り組みをうかがわせる情報が入っていて、捜査容疑とも起訴とも関係のない情報だが、社会的に見て適当ということで、警察が情報を公開した。
 特定の目的で収集した情報に、目的とは関係のない情報が含まれていたが、社会的判断として、公的機関がこれを公開した。

 そもそも該当する公的機関は、社会的判断をする立場にあるのかは大きな問題だ。

 一方で、ある行為をしておきながら、公表が権利の侵害だと言えるのかどうか。ひとは特定の行為を秘匿する権利を持つのか。
 ひとは生活していて裸になるときがあるが、その裸を公開されても文句は言えないのか。今のところひとは他者に見られていないと思うから服を脱いで風呂に入るのだが、あらゆる情報は他者にさらされる可能性があるとしたとき、ひらきなおってやはり服を脱いで風呂に入るのか。
 あらゆる情報と前提するなら、服を着ている着ていないにかかわらず、からだの境界は常に情報となりうるわけで、何かをするしないで公開を免れるものではない。

 何かを公開したくないと思っても、技術的に難しい。何を公開されても問題ないという生活態度(公明正大とか、神の前に正直だとか言われる態度)以外に社会的正統に沿う方法は無いようだ。

 さらしものという概念がある。下世話な興味だけで裸を公開されたくない。さりながら必然性があれば裸を公開しても良いように思える。つまりはどんな理屈か、理屈の正当性が問われる。

0033 (2011.2.2)
 嫉妬というのは、自分とあまり変わらないひとが、自分より高い位置にいるときに起きる感情だと思う。格の違う人が高位にいてもすごいとは思って、うらやんでも、なりかわろうとは思わないと思う。
 自分のほうがうまく、あるいは同等程度にできるはずなのに、なんであいつが。
 とはいえ、嫉妬する人はものごとの一面だけを見ていて、自分の知覚外のことは見えていないことが多いので、本当はその人の観察は誤っていることが多いのだろうと思う。

 0031の記事に追記した。

0032 (2011.2.1)
 エジプトの反政府デモがかなりの勢い。自由化を求めるデモとのことだが、世界的な情勢不安がある。やはり、インターネットによる情報の氾濫が根底にあるのか。
 過去の支配は、民衆への情報制限を手段としていたと言っても間違いではない。間違いではないが、旧来の観念ではそもそも民衆は情報を知る立場にない。立場にない者がそれ踏み込むとは何事か。
 知らない者が知るようになった、できないことができるようになったというのは、権力者が制約を加えていたというよりも、単に技術進歩とか事態の流れとかいうものであろう。
 権力者が、手段として情報を制限していて、図らずも技術の進歩がそれを覆したという図式ではないと思う。権力者は状況を生かして必要なことをしていたが、状況の変化が手段を無効化したということだろう。

 誰もが、これまで接し得なかった情報に触れられる条件が出てきた。これまでそうではなかったのは、権力者の陰謀ではなくて、単に技術手段が追いついていなかったせいだ。

 時代の弱者が、状況の変化に応じて台頭してきた。これが解決されれば、弱者はいなくなるのかというと、きっとそうではない。
 強者よりも弱者のほうが少ない時代は、弱者にとって住みにくい。弱者ばかりでは社会は立ち行かないと思う。強い弱いの話はしかるべき社会構造とは別の話だと思う。

0031 (2011.1.31)
 地球温暖化と寒波の関係をチーム森田の”天気で斬る!”の記事 で読んだ。赤道と極の間の温度勾配が緩やかになるせいで、偏西風が弱まってブロッキングが起きにくくなるからとのこと。
 エネルギーの格差が大きいと、両者間を均一にしようと激しい混ざり合いが起きるのは日常的な話だが、規模が大きくなると、エネルギーの交換機構(この場合は大気の移動)が交換できる最大のエネルギー量に規定されて、均一化が起きにくくなる。
 逆に、エネルギー格差が小さいほうが、エネルギーの移動が起きやすい。ということであろう。
 気候は、そうした単純に全体的に低下したり、上昇したりしないとなると、温暖化が進んでいるのかいないのか、大規模な観測と総合がないと見極められない。

 追記2011.2.2 エネルギー格差が小さくなると、大量のエネルギーの場合には効率が良かったエネルギーの交換機構は、もっと小さい場合には別の機構によるほうが効率が良くなる。これまでは安定していた機構が、別の機構に変わる条件が近くなって、不安定化してきたということ。エネルギー交換の絶対量としては、これまでのほうが大きいのは変わりないとして、その安定がゆらいでいる。エネルギーの交換量が大きいのは、格差が大きいほうだというのは普遍的に言えるはず。

0030 (2011.1.30)
 ちくま学芸文庫のユダヤ戦記は、どこかで目にしたことがあったが購入したいというのは今回が初めて。発売から日がたっていて、しかもそれほど数が出るはずのない本をリアル書店で求めるとなれば、大きな書店、学術書なども十分な数を置いているような書店をたずねるのが早い。
 あらためて、学術書を含めて充実した書店となると、買い物でよく利用する、マンションなどが立ち並ぶ住宅地区の駅前周辺では不足だ。食事どころや、衣料品、ペット用品などは充実しているが。
 そういえば昔から大型書店(時期によって大型の定義が変わるが)には比較的接しやすい環境で暮らし続けているように思う。ひとは大量の書籍に親しめる環境にもっと住むべきだ。

0029 (2011.1.29)
 西田幾多郎はもとより鬼太郎ではない。きたろう連想で、太平洋戦争から日本経済が復興する時期になぜマンガが発展したのかと疑問になった。
 経済の発展が少しの生活余裕を生み、安価な娯楽を求める世相がマンガの発展につながった、と考えてみる。現在の安価な娯楽は、カラーハイビジョンテレビと、携帯ゲームであろう。安価とはいえ貸本漫画とくらべるとずいぶん高価だ。
 状況の変化に従い、マンガは紙媒体を離れ、他の媒体においても表現手法のひとつとして認知され、架空世界の物語としてまた表現のいち手段として、画像ドラマや、ゲームシナリオへと形態が多様化している。

 だからなんだ、というとマンガも変化しているのだなあということ。かつての自身の理解は、そのままでは現在のマンガ理解には足りない。年齢を重ねて表層的な文化よりも、より内奥的なものに興味が向いてきているのだ、という解釈もある。

0028 (2011.1.28)
 現生人類(ホモ・サピエンス)が約20万年前にアフリカ東部に出現した後、約12万5000年前にはアラビア半島東部に居住していた可能性が高いことが分かった、という報道。人類があるときアフリカの2000人程度の集団にまで縮小した時期があるという話以来、人類の発展過程には興味を持っていたが、人類がある時期に複数の経路を持って増殖していたという話にはなぜか心強い思いがする。
 現在の世界人口は70億程度だと思うが、70億という数字は今後の生存を保障する意味で十分なのか。
 昆虫とか、細菌とかは桁が遥かに違った個体数を地球上に展開している。昆虫というと生物分類上は網で、現生人類は種だから数を比較するのは不適切だが、地球規模の災害に対する生存可能性の観点からは70億はとても少なく思える。

0027 (2011.1.27)
 こうのとり2号、国際宇宙ステーションへの日本の補給機が到着した。HTVとも言う。ヨーロッパの補給機はATV。TVはとらんすふぁーびーくるで、補給機だが、ヨーロッパのAはアリアンで、日本のHはH−2とのこと。
 補給は大規模な作戦では欠かせない要素で、いわゆる兵站線が確保されるのは結構なこと。

 国際宇宙ステーションは大規模な人類の試みだ。わずか数人を地球周回低軌道に滞在させることが、なぜ大規模なのかと問うのは、宇宙のスケールを意識できていないひとだろう。南極大陸や、エヴェレストの頂上にひとが継続的に滞在するのと比べてもはるかに違う。
 なしとげたことは快挙だ。必要性は別の話。

0026 (2011.1.26)
 WIRED VISION の記事 によると、ひとは予測不可能なパターンにぞくぞくするのだそうだ。最初に安定した形が示され、次にそのパターンを慎重に避けるような展開があって、最後にふたたび安定したパターンが強化されてあらわれる。
 小説の書き方、あるいはさまざまな演出につながる話だと思う。最初は安定していて、途中でばらばになり、最後にはなんらかの安心や安定につながる、そういう物語をひとは求めるのだと思う。

0025 (2011.1.25)
 エウセビオス「教会史」 (下) (講談社学術文庫) amazon.co.jp 。ローマに疫病が生じて、キリスト教徒は自分に疫病が感染することを省みず、病人の看護をする。教徒でないものは病人や死体を疎んじる。
 この世界は、神が愛をもって作ったものであり、ひとは他者を愛すべきことがキリスト教では規定されている。
 疫病感染者を看病した人もまた、疫病に感染して死ぬ。他者を遠ざけようとした異教徒もやはり疫病に感染して死ぬ。いずれも同じような結果になる。
 ひとは他者を愛したいと思っている。そこに、神は愛をもってこの世界を作ったのであり、あらゆる者が他者を愛すべきだだという教えがあると、ひとは他者を愛そうという動機を強化される。

 私は神が世界を作ったとは考えないが、良い世界のためにはひとが他者を愛するのは効果があると思う。そうした中で、愛がこの世の普遍の原理だと説く教えにはなかなか対抗しがたい魅力があると思う。

0024 (2011.1.24)
 日本は製造業も頭打ちであるから、知的産業に向かなくてはならないという論評。
 私のホームページも”考えよう”という表題ではあるのだが、考えることを商売につなげるのは別の話。考えることは誰にでもできる。それでも知識は時間と金がかかっていて、知識に基づいた思考は希少価値を持つ。
 とはいえ、積み上げた知識に創造力を加えることで産業基盤にしようというのはどんなものか。抽象的な知識や認識に、経済価値を持たせられるのかどうか。少なくとも、知識はコピーしやすい。認識は金に変えにくいのでは。
 となると、認識に基づいた具象物を生むのがあらたな産業への道か。金融商品は認識を金に変える手段ではありそう。

 電気自動車は、破滅的な化石燃料消費という認識に基づく、具象物であろう。パソコンとインターネットは、情報流通と情報処理能力という認識に基づく、具象物だろう。
 内燃機関は、力を発揮できるものは強いというとで、やはり認識なのか。
 棍棒は、硬いものは強いということか。

 直裁的な認識から、入り組んだ認識へ。認識を金にするというのは普遍の原理のようでもある。

0023 (2011.1.23)
 朝鮮中央通信は、昨年12月末から厳しい寒さが続き、「人民生活と春季の営農準備に少なからぬ被害を与えている」と伝えたとのこと。このような情報が伝わるのは、よほどのことがあるのだろうと思う。春季云々はともあれ、人民生活のほうは不憫だ。
 権力には責任が伴うはずで、ともあれ誰に対する責任なのか。無作為の責任があるとして、私にその責任はあるのかどうか。なんらの効果も及ぼせなければ責任の持ちようが無いが、私にまったく何も効果的な手段が無いのかというと、何億分の1程度の負い目はあるようにも思う。

0022 (2011.1.22)
 新聞広告の雑誌タイトルに”春メイク”と出ていて、この1年で一番寒いこの時期では早すぎるのではと思った。しかし、一番寒いというのはこの数日先までで、その後の平年値は日を追って高くなっていく。そうなると気分は春に向かう。
 最低を過ぎれば、もう次の状態への移行だというのは、ひとつの捉え方だ。

0021 (2011.1.21)
 太陽光球を観測するペアの人工小惑星STEREOがついに太陽の左右180度の位置に間もなく到達する(STEREOの現在位置)。それで、太陽光球の全体観測図が見られるようになる。
 むかしから、太陽観測と言えば地球の方向から見られる半球に限られていたものが、ついに全球観測が可能になる。太陽は約27日で(地球に対して)回転しているので裏側の活動状態を知ることは未来予測には重要な要素だ。太陽活動を気にするものとしては興奮せずにいられない。
 太陽はもちろん地球に対して熱と光を送るが、その活動状態によって人工衛星の高度低下率(大気抵抗の多少)が変化し、また放出する放射線の強弱は電子機器に影響する。つまりは人工衛星に関わる者としては太陽活動を見過ごせない。それが未来を見通す上で重要な情報をこれまでに増して得られるようになるわけで、これはすごい。

0020 (2011.1.20)
 大寒が過ぎて、私の住むあたりの平年ではこの先2週間が1年のうちで一番寒い時期らしい。たいして意識していなかったが、いつもより寒い日があるとこんな状態がいつまで続くのかと気になった。
 日の入りはすでに日々遅くなっているところだが、日の入りはようやく早くなりだしたところ。最近は朝晩で日光を見る機会もあり、それなりに気する生活。

0019 (2011.1.19)
 エウセビオス「教会史」 (上) (講談社学術文庫) amazon.co.jp 読了。識者によるエウセビオスの文体は、後世の賞賛を博するものではないとか。
 名文で書かれていなくとも、書物の価値は、文章自体とか、わかりやすさだけで決まるものではない。ではなんで決まるかというと、書いてある内容にもよる。
 希少であるだけでなく、後世への影響も価値だ。
 価値は常に相対的なわけで、書物は伝達の手段で、伝達の価値は相互関係に依存するから、受け手によって価値が変わる。
 本を読み返す意味はそこにある。本は読む時期によっても価値を変える。

0018 (2011.1.18)
 宇宙航空研究開発機構がはやぶさカプセル内の微粒子の初期分析の開始についてを発表。組成、形状、構造などを確認して、これを総合するというなかなか大変なものだと思う。

 人類の平和共存とは少しおもむきが違うが、国際連合食料農業機関(FAO)が2009年に2050年における食料需要の予測をしているようだ。この報告では2051年以降の予測はなくて、つまり当面の危機感を表明している。
 当面の話だけでは、総括的な解決には至らず、昨日の話題にかたくなにこだわる視点からすれば、十分な報告ではない。

0017 (2011.1.17)
 いろいろと政治がもめているようだ。そもそも何十億という人類が平和共存できるのか。これを合理的に証明した理論というのを聞いたことが無い。
 国家の話は、他国の干渉を排除するとか、国民の権利とか、そんなところから始まっている。本質的に不可能な課題に挑んでいるのではないか。
 仮に、不可能であるという証明があって、それで誰も納得しないから、そもそもそうしたことの証明には意味が無いという理屈ではないだろう。たぶん多くの人がそうしたことに興味がないのだ。でもなんか、大切なことのように思えてきた。

0016 (2011.1.16)
 気象庁によると、青森県平川市で氷点下15・6度、山口県宇部市で氷点下5・8度と観測史上最低を記録するなど各地でこの冬一番の冷え込み。暑くても寒くても、地球温暖化に起因する異常気象と思えてしまう。
 人工衛星と通信網の発達で、気象観測も10年前とはずいぶんと変わり、そもそも比較するデータが無いのに何が異常かということも良くわからない。ともあれ気象制御まであと一息な気もしてくる。
 ベン・ボーヴァの「天候改造オペレーション」(創元推理文庫646-1)に、気象制御には正確な予想が不可欠というような記述があったのを思い出す。

0015 (2011.1.15)
 買ったSF読んだSF開始。ノンフィクション系とは分離しておかないとやはり見にくいかなということで。

0014 (2011.1.14)
 ベルゼブフ、蝿の王。ベルゼブブは蝿に君臨するが、蝿を愛しているのか。愛せない対象を強いて支配させられるのは苦痛だ。被支配者が敬愛を持って王に親しんで来るとき、それを愛せないなら、「うじむしども、寄るな」と言いたくなるかも。愛することのできないものを、支配し続けなくてはならないとすると、それはベルゼブブに課せられた天の業なのかも。
 人間を統治するものとして、人間を愛せないというのは考えにくい。少なくとも人間生活の一部を、たとえば人間的な享楽などを少なくとも愛しているはず。人間のあらゆる面を憎んでいるのでは、人間を統治することに興味を持てないであろう。
 武器商人は、人を憎んでいるのかというとたぶん違う。人間的な享楽を愛している。武器を売ると、人間は殺し合いをする。それは人間の滅亡を望むのではなくて、ひとが武器を持たなくなったとして、それでより良い社会が来ると信じていないだけではないか。

 民主党の新しい内閣が発足した。民主党も人としての享楽を望んでいるはず。しかし、どうしたらより良い社会が来るのか、争いのもとをなくせばそれで良いのか、特定の悪を絶滅させればそれで良いのか、その見極めが難しい。

0013 (2011.1.13)
 買った本読んだ本に”買”が登場。本を買ったときの動機と、読み始めるときの動機は時間のずれもあって少し違ってくる。こうして買った動機を記録しておくのも面白そう。まだ机の上に読み終わった本が残っているので混乱はもう少し続くはず。

0012 (2011.1.12)
 星飛雄馬も登場。まあ、ぶれが大きくなればいろいろ出てくるであろう。

0011 (2011.1.11)
 かつての人気漫画「タイガーマスク」の主人公伊達直人を名乗る人物から、恵まれない(こういう言い方ははやらないようだ)子供たちへの新品のランドセルの寄贈などが相次いでいる。
 矢吹丈、桃太郎を名乗る人物からも似たような寄贈。
 のらくろ、星飛雄馬、金田正太郎、のびのび太、東八郎などでなく伊達直人その他であるところに注目したい。なんとなくその時代に実在していた感のあるキャラクターなところに雰囲気を感じる。

0010 (2011.1.10)
 買った本読んだ本の記述が爆発してしまった。おかげで机の上に出ていた本の山がだいぶ低くなった。何らかのメモがあればあとから本を探すのが楽になるので、机の上から本棚へ移動させる気持ちになる。
 特に気に入った書籍に☆を付けることにしたが、基準をゆるくするとほとんど全部に☆が付いて意味がなくなる。「博覧会の政治学」も内容は楽しんだが、主題が偏る点で辛うじて付けるのをやめた。主題が偏っていても「ことば遊び」には付いているのは、思想的な広がりを感じたからか。
 とすると、私はあいかわらずさまざまな思考法を渉猟することを目指して本を読んでいるようだ。

0009 (2011.1.9)
 グルーポンとは、グールプ+クーポンで、インターネットで購入者をまとめて、お得なクーポンを手にするというサービスだ。最近、グールーポンで購入したおせち料理が見本と乖離していたり、腐って届けられたりして社会問題となった。
 ビジネスモデルとしてのグルーポンが正統なものかどうかが私の関心事だ。顧客を大量に集めて、その数の多さを利用して値引きを交渉する。これは販売元の営業を肩代わりしているのだから、まっとうな商売だと思える。
 届けられたものが見本と違う、腐敗しているというのは、通信販売やインターネット取引あるいは個別販売にも共通の問題だから、グルーポン独自の問題ではない。
 私はグルーポンはまっとうなビジネスモデルだと思う。

0008 (2011.1.8)
 買った本読んだ本を開始。読書記録をしておかないと、自分としても困るのはわかっている。なるべくページに来てくれる人にわかりやすいようにと、感想をまとめるための試みを何度かしていたが、いま少し簡潔にしないと続けられない。
 今回のほうが、自分の思考過程をより直接移すことになるので、継続を期待している。

 記録を取っていないのではっきり言えないが、購入から読書まで平均で1ヶ月くらいはかかっているはず。未読本が増えた時は購入を絞るので、興味を失い始めた未読本も時間を置き過ぎない程度に読み始める。あまりに興味が離れたときは斜め読みになる。「ダルタニャン物語」のように購入から読書開始までの時間が20年くらいになるものもあるが(購入後興味を失っていたが、斜め読みでは意味が無いので)。
 「真田太平記」(池波正太郎)が第5巻のなかばで停まっている。これはSFが切れたときのための避難先。

0007 (2011.1.7)
 エウセビオス「教会史」(講談社学術文庫)amazon.co.jp 。使徒時代を読んでいるところ。キリスト教会がみずからをどう認識しているかをうかがえるという点で興味深い本だが、ここでイエス・キリストに対立するものとして描写されるヘロデ王は、ユダヤの王としてローマから指定されたはじめての王だとされる。また、当時のユダヤの大祭司もローマが選任していたと言う。
 塩野七生のローマ人の物語では、キリスト教がローマから迫害された理由として、多神教との折り合いの悪さを言う。ローマは多数の神を認めていて、キリスト教にも寛大な対応をしていたのだが、キリスト教が他の神を認めないことから対立したと言う。
 特定民族の王や宗教の司祭を中央政府が選任していて、特定の神を信仰する集団に対する対応が寛大と言えるのか。

 私はここでどちらの主張が誤っていると表明はしない。それでも二つの主張は矛盾していると思う。さまざまな立場からの主張を吟味する機会を得るためには、複数の本を読むとか、さまざまな意見や主張に触れることが大切だと思う。

0006 (2011.1.6)
 一般的には、義務を認識するものの、義務を果たすべき状況を認識しないひとが多いように思う。つまり、状況の認識を否定することで義務の遂行を怠るという態度を取る人が多いようだ。
 典型的には電車の”体が不自由な人のための優先席”に健常者が座って寝たふりをして、席を譲るべき人の存在に気付かないという状況を演出する。
 義務は多くの人が意識しているらしい。しかし、義務を果たすべき状況に在るか無いかについて、認識が無ければ行為の必要も無い。こうして無関心・不認知を装う人が増える。

 かつては情報への感心は生活の成否に関わる問題を含んでいた。物資の配給が限られていた時代では、生活物資の販売や配給の情報は死活問題で、誰もが周囲の状況認識への必要に迫られていた。
 そうした中では、状況に無関心なふりはできなかった。現在は状況への感心を断ち切ることが生存の条件でもある。その結果、無関心を装って社会的な問責を免れうる状況になった。
 社会が豊かになれば、他者への無関心が許容される。弱者が辛い思いをするのはあいかわらずということになる。

0005 (2011.1.5)
 夜に灯火をつけない自転車が脇を通り過ぎて行って怖いなと思う。実のところ、学生のときに無灯火で坂道を下ってきた自転車とぶつかった経験がある。ぶつかった場所である右太もも脇でズボンが破れていたが、それ以外は特に問題もなく、当たり所がまことに良かったと思う。
 夜走る自転車が灯火をつけるべきだというのは、他者に対する義務、他者を不用意に傷つけないための義務ではないかと思う。法律以前の問題としてそうした義務があるように思う。

 ひとは存在するだけで、他者に対する義務が生じるのか。
 他者と共存していることを思えば、共同体の一部を不用意に傷つけることは避けるべきだ。

 一方で、義務は認めても他者を傷つける危険が少ないと認識する場合がある。無人の野を無灯火の自転車で疾走するのはこの意味で義務を怠っていない。
 要するに危険なのは(1)義務を認識しない、(2)危険を認識しない、という二通りがあってどちらにしろ認識が必要だが認識に至る方法は状況により異なるかもしれない。

0004 (2011.1.4)
 考えるというのは、いろいろな視点からものごとを吟味することだと思う。そのためには多数の視点を持つのが前提で、視点を増やすのが必須。
 視点を増やす一つの方法は、比較することだ。
 例えば先の拾年紀に、それ以前と違うどんなことが起きたのか。
 環境維持を目的とした燃料節約の機運が高まった。エコロジーとはつまり環境重視だが、環境保護がどう燃料節約とつながるかというと、燃料の多用で環境が圧迫された。
 環境はなにも燃料多用のせいだけで圧迫されているのではない。もともとは人間が増えているせいで、人間削減があからさまにうたわれないのは、人間中心主義が前提になっているから。

 とはいえ、人間の際限ない増殖を認めれば破綻は目に見えている。せめて人口非増殖をということになるが、生まれる可能性を奪うとすると、「生めよ、殖えよ」というキリスト精神にぶつかることになる。あらたな神学的解釈を示すのか、キリスト教否定に向かうのか、選択肢は多くない。
 増殖はまた民族覇権にもつながる。増殖の権利を認めないのは今は少数でいる民族の覇権を否定すること。環境問題としての人類存続は民族対立と直結している。

0003 (2011.1.3)
 キリスト紀元にこだわる理由は無いが、なんらかの識別がなければ時刻を見極めることができない。二〇二拾年紀にしても、地方時で区切りをつけるのだから説得性に乏しい。記述者のいる場所に対応する時刻系にどこまでの合理性があるのか。
 太陽と地球表面の関連で時刻を表せるのは、太陽−地球の対応関係が十分に安定しているためだ。これは、万有引力と時間の関連が強固で、万有引力の効果を観測して時間を計測することに由来する。
 万有引力と時間との関連は一義的ではないと私は予想するので、厳密さは乏しいと思うが、当面の用にはもちろん十分に足りる。

 宇宙のいとなみを正確に時刻毎に記述しようとすれば、たちまちその困難さに直面する。

 そんな話を持ち出すのは、ホームページの更新を少し活発にしようという気持ちがたまたまある時間的区切りの近傍で起きたというだけのこと。


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