義経北行伝説の足跡を追う!(番外編)

 藤原泰衛が、逃亡先である比内郡贄柵の領主河田次郎に殺害され、平泉藤原氏が滅亡した戦塵がまだ覚めやらぬ文治六(1190)年、早くも奥羽に新たな戦いが勃発した。秋田県南秋田郡北部から山本郡南部に至る一帯を領していた平泉の遺臣、大河兼任が起こした乱、いわゆる「後平泉の役」である。
 吾妻鏡は記す、「或は伊予の守義経と号して出羽国海辺の庄に出で、或は左馬守義仲の嫡男朝日冠者と称して、同国山北(せんぼく)に起(た)ちて」…云々。




その4 義経を名乗った安倍氏の末裔”兼任”最後の古戦場…青森市「善知鳥崎」


  大河兼任は、現在の秋田県五城目町大川付近を本拠とし、その出自は安倍貞任の弟正任の4代後の子孫とされ、父の武嗣と伯父の武任は、先の平泉の役で泰衛軍と共に討死している。一方弟の二藤次忠季は、この乱の時既に鎌倉の御家人となっており、兄兼任に背き追討軍に加わった。忠季の兄新田三郎入道も又同様と云う。
 しかし兼任は、嫡子鶴太郎、次男於畿内次郎、並びに一族郎党他七千余騎を引き連れ山北(仙北)に決起した。そうして河北・秋田城を落とし、大関山(有耶無耶の関)を越え、多賀城を狙うと見せかけて、その実大方(八郎潟)から志加の渡(志賀渡)を通過しようとした。ところがここで悲劇が起こった。湖の氷が割れ、何と五千騎もの兵が溺死したと伝えられる。
 消沈した兼任は、ここで己が領地の北部を領していた橘公業と、南部を領していた由利維平に使者を送った。その書に曰く、
「古今の間、六親もしくは夫婦の怨敵に報いるは、尋常のことなり。未だ主人の敵を討つの例はあらず。兼任独り其の例を始めんがために鎌倉に赴くところなり」



八郎潟(跡湖)を望む



善知鳥崎の古戦場碑

 だが、両名は助成を断ったばかりか、逆に兼任討伐に出陣した。ところが、一旦は深い痛手を被った兼任軍も、源家の支配を嫌う平泉恩顧の武士の結集に成功し、勢力を回復していた。こうして両軍は小鹿島の大社山毛々左田(大森山)の辺で激突、兼任軍の勝利となり、由利維平は討死している。
 その後、兼任軍は南下せずに津軽を目指して北上、勢いに任せ、鎌倉方の宇佐見平次実政、大見平次家秀、石岡三郎友景以下御家人、及び雑色沢安等を討ち取った。こうして津軽の鎌倉勢を駆逐され慌てた奥州総奉行葛西清香は、急ぎ鎌倉に注進し助勢を乞うた。そこで頼朝は、海道大将軍に千葉介常胤、山道大将軍に比企籐四郎能員を任命して追討軍を編成、さらに足利上総介義兼他近国の御家人結城七郎朝光以下、奥州に所領のある御家人にも出陣を命じ、続々と征討軍が北上することとなる。
 一方、津軽を制した兼任軍も、平泉の残党の再結集に成功し、一万余の軍勢に膨れ上がっていた。ここでいよいよ兼任は南下を始め、平泉を占拠して磐井から栗原郡に布陣した。そしてここの一迫で、足利上総前司義兼、小山五郎宗政、同七郎、葛西三郎清重、関四郎俊平、小野寺太郎道綱、中條義勝法橋、同子息藤次家長以下の追討軍と衝突することになる。しかし、鎌倉方にはさらに千葉新介胤正等も馳せ加わり、兼任軍に襲いかかった。こうした鎌倉方の猛攻に、さしもの兼任も武運つたなく終に敗北、その後衣川で防戦に努めたが、残る味方は僅か五百余騎を残すのみとなり、ここでも兼任軍は敗れ、再び北へと敗走した。 
 その後はるか本州の果て、糠の部、外ヶ浜迄敗走を重ねた兼任は、多宇末井(兜味)に引き籠もった。しかし、この風聞を察し駆せ付けた足利上総前司義兼等鎌倉方はこれも打ち破り、兼任は逐電、郎従等は帰降した。いよいよ進退迫った兼任は、花山(気仙)、千福、山本等を経て亀山を越え、栗原寺に出た。しかし、錦の脛木を着け、金作りの太刀を帯びた兼任を怪しんだ樵等数十人が兼任を囲み、斧をもって打ち殺した後、事の由を千葉新介胤正等に告げ、哀れにもその首は実検される破目となった。



善知鳥崎の海岸



善知鳥崎の明治天皇巡行碑

 主家の仇討ちを計った兼任の戦いは夢と消え去った…。僅か二ヶ月余りの戦いだったと云う。
 兼任は、その蜂起に際し何故”義経”を名乗ったのか? この兼任の行為と義経北行伝説は、果たして某かの関連があるのだろうか?
 漠然とした疑問を胸に、在りし日の兼任を偲んで、その最後の古戦場”兜味”(青森市善知鳥崎付近)を訪れた。国道4号から善知鳥崎海岸へと続く草生した小道の片隅で、小さな古戦場碑を見つけた。小道をさらに踏み込み海岸部に達すると、今度は明治天皇巡行碑が建立されていた。ともすれば見落としがちな先の古戦場碑とは打って変わって、こちらは大きく立派な作りだった。
 奥羽の正当な支配権をかけ、中央に最後の反抗を試みた兼任と、明治の混乱期にあって、その伝統的権威をかさに陸奥の民心の掌握を画策した明治の中央政府。奇しくもこの両者に関する記念碑が同一の場所に建てられていた…。




義経伝説へ!

トップページへ!