義経北行伝説の足跡を追う!(青森県編)
| 義経一行が船で太平洋岸を北上し、八戸に着いたのは文治4(1188)年4月中旬のことと「類家稲荷大明神縁起」は伝える。 八戸の浦に到着した義経一行が、最初に訪れたのは半七屋と呼ばれる有力者、現在の白金地区浜浦家の祖先の所と云う。浜浦家には、義経が出立にあたって書き残したと伝えられる古文書が保管されていたが、残念ながら昭和36年5月29日の白金大火で焼失してしまったとのこと。 又、白金地区には「法官」という姓の家がある。浜浦家同様、白金地区にやってきた義経の世話をした礼として、義経に「判官」を名乗ることを許されたが、はばかりありとして”法”の文字に改めた、尚、白金地区に残る「源氏囲内」の地名は、かつて法官氏の世話で義経が住んでいた屋敷跡の名残りであると云う。 |
その1 八戸市「小田八幡宮」
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しばらく白金に潜行した義経は、その後現在の館越に移り1年余り住んだ後、高館山に居を構える。”館を越した所”が、館越の地名の由来と云う。 高館山は、山というより丘といった方が似合いの百メートルほどの小山で、山頂付近は市営墓地になっている。薄暗い中、墓石が寒々と立っているだけで、義経を偲ぶ手がかりは今は何もない。 「高館山」という地名は、その地形が眼下に馬淵川を望んで南方が開け、遠くまで見渡せることから、平泉の高館を偲んでの命名と云う。 山の麓に小田八幡宮が鎮座する。 小田八幡宮は、義経一行が書いたと云われる大般若経の写経と、義経が鞍馬から持参したと伝わる昆沙門天像を所蔵している。写経は縦60センチ、横120センチ、高さ90センチの経箱六箱に納められ、約六百巻が残されており、一巻の長さは約11メートル、字体を見ると6、7人の筆跡とのこと。 又、毘沙門天像は高さ約1メートル、胸や脛当ての部分に金粉が塗られ、両眼には水晶がはめ込まれており、背中がくりぬかれ、中に小さな八幡像が安置してあると言う。 |
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冷気が感じられる広々とした境内の裏の斜面に、その像を安置する昆沙門堂があった。 「小田」の地名も又、義経に由来すると云う。曰く、 往時、八戸地方には水を引いて田を開く技術が普及しておらず、米作が盛んではなかった。そこで、毘沙門天の像を祀った小田八幡宮の近くの沢に目をつけ、流れる水を利用し、小さな田を段々に開かせたことから、「小田」と命名されたと…。 義経の住んでいた場所は、高館山の西方にあったと伝わる。 この地における義経の事跡を称える如く、神社境内の高館山へと続く小道の傍らに、まるで毘沙門堂と対をなすように、立て札に「義経堂」と書かれた小さな祠が建立されていた。 |
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| その他の義経関連地名 長者山 |