義経北行伝説の足跡を追う!(青森県編)
| 六ヶ所村平沼を後にし、途中東北町石文に立ち寄った義経一行は、目指す北海道への航海安全を祈願する為か、青森市野内に鎮座する貴船神社へ参拝したと伝わる。 貴船神社は、この際に義経が京都鞍馬の貴船大明神を勧請したとも、大同2(807)年、坂上田村麻呂が勧請したとも云われるが、「貴船宮別当花言坊覚」(1686)や、紀行作家菅江真澄の「外ヶ浜づたい」(1788)には、義経のことだけが記され、田村麻呂については触れられていない。 |
その5 青森市「貴船神社」
| 御祭神は「タカオカミ」、何やら、八戸市のオガミ神社を連想させる御神名(タカオカミの”オカミ”とオガミ神社の”オガミ”は、雨と龍を組み合わせた同じ漢字)である。何か関連があるのだろうか? 慶長年間までは小さな祠だったが、慶安2(1649)年、野内村(当時)の庄屋「蛯名万助」と村民によって再建されたと言う。 元禄9(1696)年、津軽信政は郡内四社の一つに貴船神社を選び、農業神として五穀豊穣、風雨順調を祈願している。 鳥居を潜り、小山の石段を50段ほど上った正面に稲荷神の祠が鎮座しており、主神である貴船神の本殿は、稲荷神の祠の正面右側に、神社としては珍しく(?)山を右手に西に面して建立されている。 もちろん地形等の影響もあるのだろうが、これだけを見れば、立地的には明らかに主客転倒の感を否めない。 |
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又、本殿とは別に、嵐の前に浄瑠璃姫の霊がやどると云う奇妙な言い伝えが残る、貴船神を祀った石神が建立されていた。浄瑠璃姫が、今なお義経の航海の無事を念じて現れるのだと云う。 浄瑠璃姫は、三河の国矢矧の長者の娘と云う。それが何故、この地で祀られているのか? 伝説は語る。義経は金売り吉次の手引きで平泉へ向かう途中、長者の館で一夜を過こし、浄瑠璃姫と恋を語り合う。姫は再会を信じ待ち焦がれるが、やがて届いた義経自害の知らせにいたたまれず、みちのくへと旅立つ。こうしてこの地でようやく義経にめぐりあえたが、その喜びも束の間、長旅の疲れから病に臥し、むなしく息を引き取ったと…。 石神には、義経が京都の鞍馬寺で過ごした時代の逸話を連想させる天狗の像が彫られていた。 もしかすると、貴船神としては本殿よりもこちらの方が古いのかも知れない。 |
| 神社正面の鳥居脇の小道を100メートル程海側に進んだ所に、貴船神社の境内に隣接して弁財天の祠が鎮座している。浄瑠璃姫の亡骸を火葬にした地に建立したものと云う。 貴船神社本殿同様、やはり西に面して建立されている。まるで、貴船神が高みから浄瑠璃姫を見守っているかのような位置関係である。 小道を挟んだ向かい側には、貴船川が流れている。地元では、かつてこの川を鷲尾川と呼んだと云う。又、付近には「鷲尾」姓を名乗る人が現存する。 何やら、旅を急ぐ義経が、徒者の鷲尾三郎経春に浄瑠璃姫の看病を命じてこの地に残したという伝説を彷彿させ、興味深い。 |
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