義経北行伝説の足跡を追う!(青森県編)

十三湊を後にした義経一行は、夷狄島(北海道)の山々が目前に見える津軽半島の三厩へとたどり着いた。そこは人を吹き飛ばさんばかりの強い風が吹き荒れ、津軽海峡の潮の流れが恐ろしい勢いで流れる海の難所であったと云う。




その8  三厩村「義経寺」 

「竜馬山観世音縁起」は、以下のように伝える。
義経は、日頃身につけていた観音像を波打ちぎわの岩の上に置き、海上平安の祈願を込めた。こうして三日三晩一心に普門品経を唱え続けると、暁の頃、長い杖を手にした白衣白髪の老人が姿を現し義経に告げた。
「汝の願いを聞き届け、三頭の神通力を備えし竜馬をつかわそう。これに乗り海を渡るべし」
これぞ観世音のお告げと義経は感涙し、感謝の祈りを捧げた。
やがて岩から降り、近くの岩窟の近くへ来ると馬のいななきが聞こえた。中を覗くとそこには見事な駿馬が三頭つながれていた。ふり返って海を眺めると、あの荒れくるっていた海がいつのまにか嘘のように静かになっていた。
こうして義経一行はこの駿馬にまたがり、無事に海峡を渡ることが出来たと…。この岩窟は、馬一頭が十分入れる大きさであり、丁度三つ並んでいる。三厩の地名の由来と云う。


三厩岩



義経寺観音堂

一方、義経が岩の上に残したとされる観音像は、寛文7(1667)年、当地を訪れた諸国行脚の僧円空により発見された。円空は新たに観音像を彫り、発見した義経の持佛とされる観音像をその体内に納め、一草庵を営んだ。義経寺の起こりである。又、この観音像は、現在青森県重宝として文化財の指定を受けている。
義経一行が、観世音から授かった駿馬に乗って津軽海峡を渡ったとは、いくら伝承でも荒唐無稽に過ぎる。一方、伝承通り(?)に観音像が発見されたという話しも無視できない。
この伝承は、義経一行が海上平安を祈願した後、三艘の船に乗って津軽の海を渡ったと解するべきか…。
津軽半島の対岸下北半島にも、義経北行伝説は残されている。
曰く、北海道へ渡ろうとした義経一行が、潮の流れで下北半島は脇ノ沢村に流れ着いた。その際、常陸坊海尊が義経を案内したことに因んで常陸石、並びに海尊社があると…。


又、江戸時代の紀行家、菅江真澄の紀行文「遊覧記」にも、義経北行伝説が取り上げられている。即ち、下北半島の北端佐井村の海岸から、義経は夷狄島へ橋をかけようと材木を牛に引かせて集めさせた。あまりにもたくさんの大きな材木を集めさせられたので、牛は疲れて倒れてしまった。この牛が倒れた所が牛滝であり、材木が石になって材木石になったと…。佐井村の景勝地「仏ヶ浦」に伝わる義経北行伝説である。
一見他愛もないこれらの伝承は、鎌倉時代に北海道へ渡ることは容易なことではなく、それ故に寧ろ、三厩から北海道へ渡ったとされる義経北行伝説を裏付けているとは考えられまいか?





義経寺観音堂笹竜胆の額



義経渡道記念碑





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