義経北行伝説の足跡を追う!(青森県編)
| 病に臥した浄瑠璃姫の身を案じ、鷲尾三郎経春を看病の為野内に残した義経一行が、次にその足跡を残しているのは、往時青森市油川にあったという円明寺である。 円明寺は、天正年間の大浦為信(後の津軽家初代当主)による外ヶ浜(現在の青森市油川付近一帯)平定に功有りとして寺領を寄進され、慶長11(1606)年に津軽氏の城下、現在の弘前市本寺町に移転、その後正保2(1645)年火災により炎上、慶安2(1649)年新寺町に移り、現在に至っている。 |
その6 弘前市「法涼山 円明寺」
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「円明寺縁起」によると、明応8(1499)年、”念西房宗慶”開基、京都本願寺の直末寺で、山号は「法涼(ホウリョウ)山」とある。 八戸市のおがみ神社も又、かつてホウリョウ社と呼ばれたことがあったと云う。”京都”、”ホウリョウ”…? 某か、因縁めいたものを覚えるのは考え過ぎか? 義経との関わりは他にもあった。開基の”念西房宗慶”が、源三位頼政の系譜に連なっていた。 <「円明寺縁起」より> 清和天皇−貞純親王−経基−満仲−頼光−頼国−頼綱−仲政−頼政−仲網−宗網−宗仲−宗重(法名蓮位)−来善−仙慶(法名性善)−長芸(識善房)−丹後慶来−丹後慶阿−丹後法橋(玄英)−筑前法橋(頼善)−丹後法限(頼玄、法名蓮応)−宗時(法名念西坊宗慶) しかし、開基が縁起の記載通りとすれば、残念ながら義経とは時代が開き過ぎる。あるいは義経が訪れたのはこの寺の前身で、その縁により宗時がこの地に下着したと解するべきか? |
| 円明寺には、弁慶が使用したとされる笈(経文等を入れて背に負う箱)等が残されていると聞く。しかし、境内には義経との関わりを記す案内板はもちろん、縁起の記載すらなく、弘前市にある現在の円明寺からは、義経北行伝説の連想は困難である…。 |