円小角伝承の聖地…石塔山
| 石塔山は、他に魔ノ岳、立法山、魔神山、法隆山、神のこし山、小角山、小角平、正覚平、等々の呼び名を持つ不思議な山である。 |
| 竜飛崎で有名な津軽半島の背骨ともいえる中山山脈の一角を占め、その分水嶺手前の西腹、壷化沢の山峡に、誰がいつ建てたのか全く不明で、明らかに人口と思われる石塔群がある。あたかも石器を突き立てたような形態で、中央に古代文字と思しき記号のような石刻があったとも伝えられる。 古来より津軽の聖地として崇められ、又、中近世には修験のメッカとしても栄えた。 |
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人口の石塔群 |
| 数々の伝承が残されているが、特筆すべきは石塔山の麓、飯詰の大泉寺に残る「大泉寺誌」の記載であろう。何と、大宝元年、役行者が石化嶽(石塔山)で往生したと記載する。役の小角(行者)は、奈良時代の人で修験道の祖と云われる。舒明天皇の御落胤で、晩年母と共に唐へ渡ったとも伝わるが、生没年代、等は不明である。 飯詰の伝承によると、小角は母の遺骨を抱いて唐へ渡ろうとしたが、海が荒れて大宝元(701)年津軽へ漂着、その後飯詰へ辿りつき、修験宗のお堂を建てた。同年の秋、石塔山へ登り母と一緒に埋葬してくれるよう頼み、生身で火中往生、母の後を追った。高弟の大角正祥は師の遺骨を石塔山へ埋葬し墓標を建立、小角の後を継ぎ、名を法明坊と改め修験念仏宗を開宗した…、とのこと。 尚、大泉寺こそ、小角が建てたお堂の後身であると云う。 |
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