<日本中央碑>
| 「日本中央」と刻まれ、「つぼのいしぶみ」として数々の伝説と謎を呼んだ石碑が、現在、青森県東北町の「日本中央の碑保存館」に鎮座している。 所以としては諸説あるものの、「日本」は「日の本(ひのもと)」と読み、往時大和朝廷の支配に屈しなかった先住民の居住地を指す呼び名で、大和朝廷の支配地が北進するにつれ、その地域も北へ北へと次第に狭まり、陸奥の「都母」がその中心(中央)であったとする説が妥当と考えられている。 |
<つぼのいしぶみ伝説> 九世紀初頭、大和朝廷による蝦夷征討が北上し、坂上田村麻呂征夷大将軍が陸奥の奥地、蔀母(つも・つぼ−現在の東北町、天間林村を中心とした上北地方とされている)の地に、大きな石の石面に弓の矢で「日本中央」と彫り、建立したと云う。その後、「つぼのいしぶみ」として都に知れ渡り、多くの歌人に詠まれた。 |
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<「碑」発見後の報道記事> <昭和24年6月29日(東奥日報)> <昭和25年9月27日(東奥日報)> |