通 訳 ・ 翻 訳 ひ と り ご と
夏休みや春休み、学校の業務に支障のない範囲で、いくつか通訳や翻訳を引き受けてきました。そのほとんどがボランティアです。通訳・翻訳しながら感じたことを、当事者が特定できないよう適度にぼかしながら、かつ具体的に書いていきます。上に上にと書き足していくことにします。
<我は車内翻訳家なり>
毎朝の通勤電車。ちょっと早めの始発(我が家は大阪の端に位置するため、最寄の駅が始発の各駅停車もある)にのって車両の端に座る。おもむろにソニーVAIO-C1を出す。スイッチを入れる。休止モードにしているから立ち上がるのは早い。そして、目的の駅までの約35分間、わき目もふらず翻訳にいそしむ。気が散るときは、C1本体に録音している弦楽四重奏をイヤホンで聞きながら、翻訳する。これが日課。(わからないところは★印を打っておいて自宅で調べる)
一日35分で十分だ。ただとにかく例外を作らないように、それだけは注意して、継続は力なりと信じてVAIOに向かう毎日である。
翻訳して、ほぼ仕上がった段階でいくつか出版社に原稿を送って検討してもらうが、けんもほろろに断られるケースもある。現に手元に宙に浮いている原稿が何百枚もある。
今手がけている原稿が本になるかどうかはわからないけれど、訳す作業自体は楽しいので継続できる。いずれ本になる日を夢見て、明日の朝も車内翻訳にいそしむのである。
<一年後にわかった誤訳>
もう一年も前にやった通訳の誤訳が今日わかった。舞台公演の打ち合わせの通訳。出演者側がライトの色を指定した。「호박색」と。僕は迷わず「かぼちゃ色」。その後も、「やわらかい」、「素朴な」、「あったかい」などという形容詞がこの「호박색」に関連して出たと思う。色を確認する意味でも「黄色」「土色」という表現も出て、「かぼちゃ色」であることに間違いがないので、自信をもって「かぼちゃ色」で押し通した。何ら違和感がなかった。日本語でも「かき色」「もも色」「くり色」など果物の名前をつけていうこともあるから、ほんと、今日まで、何も疑問を感じなかった。
ところがどういうわけか「호박색」という表現だけはよくおぼえていて、今日偶然かぼちゃを見たので、ネイティブの先生に軽い気持ちで聞いてみた。「韓国では호박색という言い方よくするんですか?」「ウン?」
相手の反応を不審に思ってさっと辞書を引いてみた。
〔호박ーかぼちゃ〕の次に、〔호박색ー琥珀色〕!! うへっ。かぼちゃ色ではなくて琥珀色だったのか! シェーッ。はずかし〜い。1年後に初めて自分の誤訳に気がついた。
まぁ、色がよく似ているので、実害はなさそうだけど……。それがせめてもの救いか。ライトの色で琥珀色なんて、ちょっとなぁ、酷だよな。それにしても「かぼちゃ色」の素朴な田舎くささと、「琥珀色」という宝石に由来を持つ高級感のある色と。色は似ていても色合いが全然ちがうな。
これは大失敗。
<レジュメは必要? (掲示板から)>
(通訳にはレジュメはあるのが普通かどうかというNさんの質問を受けて)
通訳は大変ですよ。でも大変な作業を引き受けて、時には恥をかきながらやっていかないと、力がつかない気がします。地道な勉強とあとは場数ですね。
さて、レジュメのことですが、しっかりした場面の通訳ならたいていはレジュメ(原稿)があります。なければどんな内容になるのか依頼主にしつこく聞いて食い下がることです。大体の内容や、発表者の名前、会社名などとにかく事前にわかる情報は必死になって集めます。依頼主にもお願いして、それこそ必死の思いでノートをつくります。それで本番に臨んでさんざんな目に会う、というのが駆け出し通訳の実際でしょう。
特に商談など利害のからむものはこわいですよ。専門用語が乱れ飛ぶ商談はよほど自信がないかぎり引き受けないほうが無難です(僕はまだないです)。責任問題になります。責任問題といえば、裁判も心臓が飛び出しますよ。それほどおっかない。ただし裁判はふつうレジュメがあります。というか、型が決まっているし、事前に書類はもらえることが多いです。その点では楽ですが、とにかく緊張します。
ある程度大きな会の開会式などのレセプションも普通はレジュメ(原稿)があります。なければ要求することです。
以前そうしてもらった原稿を事前に予習して翻訳し、それを貼り付けたノートを後生大事に小脇にかかえスピーカー氏に従って舞台の上にあがって、ぶっ飛んだことがあります。
そのスピーカー氏、レジュメと全然違うこと話し始めたんです。うらめしかったな、そのスピーカー氏。通訳を使い慣れていない人ほど、通訳には配慮がないですね。
事前に通訳に原稿を渡して、一語一句たがえずスピーチしてくれ、ちゃんと間合いもとってくれたスピーカーさんもいたな。あれは嬉しかった。
そうそう、式が始まる前、スピーカー氏のところに挨拶にいって、「通訳をするもんですが、事前にいただいた原稿のとおりにお願いします。ゆっくりお願いします」なんて、お願いしたこともあったっけ。
<翻訳力は推理力>
翻訳の原稿がきれいで読みやすいことは、ラッキーなことで、読みにくい原稿にあたることが普通と考えたほうがいい。
戸籍の翻訳などはその最たるもので、済州島の田舎の面役場の事務員さんが何十年も前に手書きで書いた戸籍原本をFAXで大阪に送ってきて、それをコピーして翻訳会社に持ち込む、そのコピーが我が家のFAXに流れてくる。ひどい癖字に加えて字粒がつぶれてほとんど判読不能。これを虫眼鏡でじっくり見ているうちに、結局はほとんど判読できてしまうから不思議だ。
こりゃとても不可能と思える新聞記事もあった。新聞記事の縮小コピーのFAXのコピーのFAXで、もうとても字とも思えないほどの代物。字粒が2ミリ角程度。おまけにバックが網がけでもう読む気にもならない。しかし食らいついているうちに不思議と95パーセントぐらいは読み取れてしまう。
こういう作業をする時は語学力というよりは推理力。ただし推理力を働かせるためにはやはり語学力が必要なんだろう。特に語彙力。前後の文脈から単語を推測してピタッと当てはまった時の喜びは、ジグソーパズルがピタッと合った時の喜びに似ている。
判読、解読に苦労して印象に残ったものの第一は、済州島の戸籍係のオジサン(かどうかはしらないが)の癖字で、저사야동と書かれていたもの。저사야동と読むのも大変で、しかもそんな地名はどこにもない。その前に생야구とあるから生野区であることは間違いがない。大阪の生野区の저사야동。う〜ん、う〜ん。동は洞。
저사야がわからない。地図とにらめっこしてもわからない。語末が야だから野が最後につく地名を生野区とその周辺でさがしてみたが、何回見てもさがし出せない。
次の日、生野出身の人に聞いてみた。その人もしばらく首をひねっていたが、さすが生野出身。「저사야동」=「猪飼野」(いかいの)。なるほど。猪飼野という地名は今はなくなってしまったから、地図を見ても載っていない訳だ。
それにしても、日本の地名を韓国式に読み、癖字、FAX、コピーで字粒がつぶれ、今の地図にはのっていない地名……、やっぱり推理力の問題だな。
<結局名詞>
外国語習得上、中級から上級への壁は動詞の使いこなしの問題であろう。しかし翻訳の現場では90パーセントいや95パーセント以上は名詞、それも固有名詞や特殊な名詞をいかに適切に訳すかが問題になってくる。
戸籍の翻訳の場合は、ハングル表記の地名をことごとく漢字に置き換えなければならない。これは実際にやってみると結構大変。人物名も有名な建物、文物、そういったものが韓国語の文書の場合ほとんどハングル表記で、苦労させられる。どうしても分からない場合はカタカナ表記で許しを請うしかない。(もちろんもともと漢字がない単語だって多いのだが。)
人物名や地名はカタカナで許してもらえても、考古学の用語や陶磁器などどうしてもそれらしい日本語(漢字)をさがしてこないといけない。もうこうなってくると語学力ではなく、辞書を引く体力と根気の問題。
漢字表記に関しては失礼ながらネイティブもあてにならない。大きな辞書を何冊もそろえ、地名事典、人名事典、歴史事典ととにかくそろえ、ひきまくる。これが基本。しかしそれでもわからないのが専門用語。こういう領域になると韓国語もさることながら、訳出すべき日本語自体がわからなくなる。英語の翻訳者は自分の専門領域を定めて、その分野のものしか手がけないということができるが、韓国語の場合はまだまだそこまで市場が成長していない。今のところはなんでもござれ、だ。だから苦労する。
翻訳家なる言葉にあこがれた時期があったが、実際は<辞書引き人生>で、文体をどうこういう以前のところでもがき苦しむことになる。
<翻訳業界の内情>
ある翻訳会社から問い合わせの電話。
「韓国語のエクセル文書をある人に日本語に翻訳してもらった。その中で、突然『流刑』というのが出てくる。エクセルなので文脈は取りにくいが流刑はおかしかろう。一体これは何か?」
「なるほど、きっとそれは類型ですね。どうですか。ピッタリでしょう。」
ということで、一気に解決。
ここで流刑と訳した人のことを考えた。これはきっと韓国人に違いない。日本語が上手で、もしかしたら日本在住10年以上とかになる人なんだろう。しかし漢字に対する弱さがあって、ときどきポカをやってしまう。特に同音異義語に対する瞬間的な判断力に鈍いところがある。日本語ネイティブなら、流刑とは絶対にしないし、一回だけではなく数箇所同じ間違いがあったらしいから、単純な変換ミスではなさそう。
韓国語⇔日本語の翻訳は日本在住の長い韓国人インテリニューカマーが多い。通訳でも同じことが言える。翻訳通訳業界は韓国語に関しては日本語ぺらぺらの韓国語ネイティブと一部の在日韓国人がそのほとんどを占め、なかなか日本人が割り込んでいくすきはなさそう。通訳ガイドなんかはその最たるもので、韓国人留学生や在日のコネで依頼しているようで、無免許のガイドが横行している。
<ボランティアの語学力>
ボランティアが大流行。僕もボランティア団体に登録している。ボランティアでもいくつかの部門があって、僕の場合は語学ボランティアというところに登録している。ある日、その団体から電話があった。「韓国語を日本語に直す作業があるんですが、引き受けたボランティアの方が原稿を見て、難解だから辞退したいと言ってきて困っている。今からFAXを送るので、できるかどうか見てほしい」とのこと。FAXで原稿を見てみると、何のことはない、新聞の特集記事程度の普通の文章だ。結局僕が引き受けることになった。
ここで考えなければならないのは、語学ボランティアの語学力のこと。国際交流のある場面では、カタコトでもその外国語ができる人がいれば助かる場合があるのは事実。しかし、マイクを通す通訳や、活字になる翻訳の場合、カタコトやいいかげんな翻訳では困る。
これはボランティア団体にも言いたい。カタコトボランティアで間に合う場面なのかどうなのかを見極める目を持ってもらいたい。もちろん語学ボランティアにも語学力の高い人も登録しているはずだが、依頼内容に応えるだけの語学力の持ち主かどうかを見極めないと、国際交流の現場で信頼を損ないかねない。
語学ボランティア氏にも言いたい。依頼があるとついうれしくて引き受けたりしてしまうのだと思うが、自分の語学力をしっかり把握しておかないと、新聞程度の文章で難解と言っているようじゃ、引き受けないほうがいい。
少し傲慢に聞こえるだろうか。僕が言いたいのは、ボランティアはいいことだが、語学ボランティアはある種技術のからむ分野なので、他の技術を要求されないボランティアのような善意だけではダメだということ。それをボランティア団体も、また登録する本人も自覚しないといけないということ。
<打ち合わせ>
舞台公演の打ち合わせに通訳として同席したことがある。こういう経験の少ない僕ではあるが、常識的に判断して、出演者の代表が舞台装置関係者に時間やライト、幕などの細かい流れを伝え確認していく場面のはずだ。出演者は全員同席したとしても、確認のために同席しているにすぎず、ごく細かい場面では直接意見を言う場面もあろうが、発言の大部分はリーダーがする、と思っていた。ところが、ところが、どっこい。
韓国人らしいといってはしかられるだろうか? 6人いた出演者側の3人までが実によくしゃべり、実によく内輪もめをした。意見が二転三転して、なかなか進行しない。リーダーと思しき人が説明すると、若手の人が「ここまでまとめると」ともう一度繰り返すが、リーダー氏と微妙に違う。日本側が質問すると、サブリーダー氏がまた違うことを言う。と、まぁ、こんな感じ。
舞台裏スタッフとの打ち合わせの前に、自分たちの出し物のイメージがかたまっていない。もちろん、舞台の設備によって出し物のちょっとした設定を変更する必要が出てくるのだろうとは理解できる。が、どうも聞いているとそういう微調整の段階ではない。日本まで来る道中何をしていたのかと、通訳しながらだんだん腹立たしくなってくる。途中までは内輪の意見の対立も通訳していたが、やめてしまった。舞台裏のスタッフとしては結論だけがほしい情報だ。
出演者側の意見がまとまるまで、じっとペンを構えたまま待っている日本側のスタッフの誠実なまなざしを感じながら僕は居心地が悪かった。
明くる日の公演を残念ながら見ることはできなかった。が、おそらく本番に強い彼らのこと、きっと上手く行ったにちがいない。
<卒倒してしまった金(仮名)さん>
法廷通訳の経験はそんなに多くはない。しかし少ないなりにさまざまな貴重な体験をさせてもらっている。ここでは判決言い渡しの途中で卒倒してしまった金(仮名)さんのことを書こう。
金さんは裁判の前半から涙ぐんでいた。法廷に立つ女性被告人にはよくあることなので、このこと自体では驚かない。ただ気の毒な人だ。オーバーステイもそんなに長いとも言えないし、まじめに働いていた。韓国で離婚をし、子供を夫にとられ失意の中の渡日だった。日本に来て、そのままずるずると居続けてしまったという形で、決して意図的にオーバーステイし、日本でかせげるだけかせいでやろうといった人ではなかった。
拘置所に弁護士と一緒に行った時も、さびしそうだった。誰も面会に来てもくれない、はやく子供の顔が見たいとそのときから涙ぐんでいた。接見が終わって弁護士について部屋を出るとき、こちらをジーッと見ている金さんの心ぼそそうな目が忘れられない。
さて、裁判はお決まりの型にはまり、順調に進んだ。裁判官の良心的な配慮で、法廷の中で座ったまま5分の休憩があり、そのあと判決が言い渡されることになった。
裁判官はこのとき「通訳人は書記官の横に座ってください」と言い、僕は言われるままに金さんの横を離れた。判決の主文が読み上げられる。
「判決を言い渡します。主文。被告人を懲役1年6ヶ月に処する。この裁判の確定した日から3年間刑の執行を猶予する。」(数字は前田が勝手に変えています)
と、ここまで通訳し終えた瞬間、「あっ」と叫んで、金さんが卒倒した。
法廷のど真中に仰向けにひっくり返ったのである。
書記官がすかさず医務室に電話をかる。金さんはしばらく声もなかったが、そのうち「う〜う〜」とうなり始める。書記官が金さんの近くに行き、「金さん、大丈夫ですか? しっかりしてください」と声をかける。「通訳さん、ここに来て通訳してください。」と書記官に言われるまで、僕は呆然としていた。
僕は金さんのそばに行き、「大丈夫ですか?」と声をかける。呼吸は荒い。気絶ではない。腕をなでさすり、手を握り、「もうすぐ韓国に帰れるんだよ」、「牢屋に入らなくていいんだよ」、「韓国帰って子供の顔を早く見たいでしょ」、「あと5分で終りだから、しっかりがんばって」など、こちらも必死だ。金さんは体を横向けにしたり、泣き声がでてきたり、体がほぐれてくるのが分かった。この間、5〜7分か? 10分もなかったと思う。
この後、落ち着きを取り戻した金さんを抱きかかえるようにして被告人席に座わらせ、判決の言い渡しを最後まで聞いて、それで閉廷となった。
この法廷。いろいろ考えさせられる。
まず、執行猶予の意味が被告人にしっかりわかっていないということ。接見の最初と最後に弁護士が念を押して説明している。僕もゆっくり通訳したから、分かっているはず。金さんもうなずいていた。それなのにやはり分かっていないのではないか、ということ。判決主文の文言にも問題があるのではないか。「執行猶予○年」と言えば分かりやすいのに、「被告人を懲役1年6ヶ月に処する。この裁判の確定した日から3年間刑の執行を猶予する。」となると、結局どうなのか、一番知りたいところが曖昧に聞こえてしまう。特に被告が外国人の場合、もっと分かりやすい表現を用いるべきではないか。
もう一つ。これは金さんが卒倒してからの法廷内の動き。結局書記官しか動いていないということ。これは批判すべきことではないのかも知れない。もしかすると動いてはいけないのかも知れない。審議の進行中自分の持ち場を離れてはいけないという何かがあるのかも知れない。それはそうとしても、だ。いかにも冷たい感じがした。特に予定された時間になると次の裁判の被告人が廷吏に連れられて、倒れて嗚咽している金さんのすぐ近くに座ったこと。時間に厳しいのは分かるが、いかにも事務的な感じがした。せめて閉廷まで待てないものか。女性が倒れているというのに。
もう裁判所の批判は差し控えよう。
それより、僕は金さんの腕をなでさすりながら、通訳人の役割というものの大切さを痛切に感じた。自分が何をどうしゃべったのか、詳しいことは覚えていない。ただとにかく泣きながら震えている金さんの耳もとにしゃがみこんで、懸命になって「もうすぐ帰れるんだ、しっかり」と励まし続けた。金さんの耳には僕の韓国語しか理解できなかったはずだから。
執行猶予の説明をもっとしっかり確実に繰り返し説明すべきだったという悔恨と、法廷の中では被告人と同じ言語ができる唯一の人間としての心得を教えられた。
金さんが、韓国で子供たちと幸せに暮らしていることを願う。
<マイクと度胸>
別に通訳に限らず、日本語でもそうだが、50人の集団の前に出て、壇上にあがりマイクを持つと緊張する。当のスピーカー氏も緊張するだろうけど、通訳はもっと緊張する。
ある会でのこと。スピーカー氏が壇上に上がり、僕もついてその横に立った。マイクは一本。スピーカー氏の挨拶が始まる。ところがスピーカー(機械の方)、あるいはマイクの調子がよくない。ただでさえ舞台上はスピーカー氏の声が聞き取りにくい。必死になって聞いているのに、スピーカーの調子が悪くてブツブツ音が飛ぶ。もう何を言っているのかさっぱり分からない。スピーカー氏も言い直したり、ちょっと待ったり、とにかく、スピーカーの調子にふりまわされた挨拶になってしまった。
さぁ、僕の番。思い切って始めたものの、相変わらずマイク、スピーカーの接続が悪い。もう何を言っているのやら、自分でも確かめられないぐらい。頭もパニック、スピーカーもパニック。聞いているほうは、マイク、スピーカーの調子が悪いから分かりにくいのは仕方がないと思っただろうとは思うけど。うん、そう……。きっと……そうだよ。スピーカーの調子さえよければ僕だってもっとましな……。ああ、思い出すだけでも悪夢!
舞台を下りてきた僕をなぐさめてくれたのは同じ通訳仲間のYさん。でも実はこんな時両言語ができる通訳仲間が一番怖い。お互い力量が隠しようもなくさらけだされる。他の人はごまかせても、通訳仲間はごまかせない。でもYさん。あの時はほんと、仕方がなかったよね。ほんとにそう思ってくれてるよね。
舞台上にあがると、マイク、スピーカーの調子がどうであれ、ペースを乱されることなく、堂々とパーフォーマンスをこなすだけの、肝がほしいね。
<法廷通訳 きわめつけの悪文>
法廷通訳というのは特殊な世界。「2日前、いや3日前でした」という発言を通訳すると、普通は「3日前でした」と簡単に要点だけ通訳すればそれで十分だ。ところが法廷での通訳はそのまま「2日前、いや3日前でした」と被告人の言い直しや、言いよどみ、あるいはわざと答えをはぐらかそうとして曖昧な答えを言っているのか、ということまで含めて、とにかくそのまま訳さなければいけない。それが証拠ともなりえるわけだから。
それに、法廷通訳者は裁判官、検察官、弁護人、被告人、それに証人がいれば証人の発言も通訳しなければいけない。一人何役も引き受けなければならない。
さて、その法廷通訳。超弩級の文章語をそのまま音声に乗せて、早口でまくしたてるから、かなわない。例えば次のような感じ。
「近年、在留期間を徒過して、本邦に不法残留する外国人は後を絶たず、このような現状に鑑みると、我が国の出入国を公正かつ適正に管理するという法の趣旨を堅持し、我が国の治安を維持するためには、本件のような不法残留事案に対し、一層厳しい態度をもって臨む必要がある。求刑。以上の諸情状を考慮し、相当法条適用の上、被告人を懲役3年に処するを相当と思料する。」
文字でこうして読んでみると、意味はわかるけど、これをフルスピードで読み上げ、さぁ、通訳しろとこられると、こりゃもう不可能。まぁ、僕が引き受けた範囲では、あらかじめこの文書を手渡されているので、対応はできたけど。
これを耳で聞くと日本語を母語とする人でも正確に聞き取れないんじゃない? 「徒過って何?」「思料するってどういうこと?」 (通訳すると日本語のもっている堅さはやわらげられ、より分かりやすい韓国語となっているはずだが。)
初めに書類ありき、であったとしても、音声で伝達することをもう少し考えないと、到底聞き手のことを考慮した(伝わることを念頭に置いた)発話にはならない。本邦と本法、など、どうして「日本」「この法律」としないのか? 通訳する時は、本邦=일본、本国=한국、我が国=일본とする。通訳する時には解釈が入ってしまうので、原文より理解しやすいかたちになるけれど。「本法に違反し、本邦に不法に滞在し、本国に送金し我が国の秩序を乱し……」
音声として聞き取りやすい発話をしないと、法廷という音声言語を通して行なわれるコミュニケーションの場が損なわれる。しかしどうも、そんなことは考慮されていない。最初に書類ありきで、その書類を早口で朗読し、同じ書類をあらかじめもらっている通訳人が翻訳した原稿を読み上げるだけ。
僕の引き受けた範囲では、確かにそう。ただし争い事が含まれる事件の場合はまた別なんだろうと思う。僕が引き受けたものはいずれも不法滞在のお決まりのパターンの裁判。シナリオの決まっている裁判は、早口大会のようにフルスピードで文章語が飛び去っていく。
<通訳は雑用係>
あるビジネスホテル。というより研修用の施設。とにかく観光用のホテルではないことは確か。ある韓国人の団体の通訳として一緒に泊まった。ホテル到着が夜10時。あとは各部屋に分かれて寝るだけ。通訳としてはほっと一息。ところが、実はこれからが大変だった。
「ラーメンを作りたいけど、お湯はないか。」(えっ、ホテルの自室でラーメン作るの? ロビーまでお願いに)
「はしをもう一膳ほしい。二人で食べるんだ」(それならさっき言ってよ。またまたロビーに)
「普通ホテルのロビーには貸し出し用の花札が置いているはずだが、ここにはないのか」(そんなこと初耳だ。少なくともここにはないと思う)
「花札はなくともトランプならあるはずだろう。ロビーに聞いてくれ」(ないと思う。ここは研修施設ですぞ。)
「じゃ、売っているところを教えてくれ」(この辺にはないと思うが、よくわからない)
「部屋のテレビは有料か」(見ればわかるでしょ)
「カギを部屋の中に置いたまま外に出てしまった」(まぁこれはしかたがないね。実は通訳で呼ばれてパッとそのまま外に出た僕もやってしまった。ちょっと不便ね、これ。)
「ビールが飲みたい。自動販売機は何階にあるのか」(自分でさがしてみて。)
「この近くの飲み屋を教えてくれ。迷ったらいけないので地図を書いてくれ」(ああ、もう自分で行ってよ。子供じゃあるまいし)
僕の部屋にノックして聞きにくるし、電話までかかってくる。入れ替わり立ち替わりで、おちおち休んでもいられない。でもまぁ、考えてみれば無理もない。どんな小さなことでも、聞くとすれば通訳さんに聞くしかないのだから、ここはにこやかに笑顔で対応。いやな顔一つ見せずに丁寧に。通訳の仕事は二ヶ国語の置き換えだけではない。お世話係だ。特に宿泊がともなう通訳は、最初からそのことを覚悟しておかなきゃ。通訳としては2分の1。あとの2分の1は雑用係。
<通訳は眠れない>
その日は朝から関西空港の出迎えに行き、へとへとだった。初日はとにかく疲れる。明日からこの団体と一緒にあちこち廻らなければならない。体力を温存したい考えもあって、10時には自分の部屋にこもり(といってもユースの2階ベッド)寝てしまった。
ところが「前田さん、前田さん、寝ていますか?」と、日本側の引率責任者のS氏。「すみませんけど、ちょっとロビーまで。」時計を見ると11時半。
こういうこともあるだろうとは思っていたけれど……。とにかくロビーならぬ、ユースの食堂に。ああ、さもありなん。受け持ちの韓国の団体さん、20人あまり、ほとんど全員集合しているではないか。テーブルには韓国からこのために持って来たキムチやら眞露の紙パック、するめ類。そうか、あの大量の荷物はこれだったのか。もうかなりまわっている。日本側のスタッフもその勢いに押されて、僕に助っ人をたのみにきたということらしい。
僕の姿が見えると、待ってました、とばかりに盛り上がり、声がひときわ高くなる。真ん中の席をあけてくれて、「長寿酒」という韓国のお酒をなみなみと注いでくれた。しばらくは楽しく、通訳者としての喜びを感じながら通訳していた。ところがある時点からパタっと韓国語が耳に入らなくなった。
普段でもそうだけど、酔うと人の話が聞こえにくくなる。呂律が回らなくなる。それが、韓国語の場合、顕著に出ただけのこと、と後から気付いた。酔いながら韓国語でしゃべることは今までもあったけれど、酔いながら通訳というのは初めて。こりゃ、あかんわ。とにかく耳が利かない。頭のコンピューターがプッツン切れてしまった。自分の言いたいことを韓国語で言うのは酔っ払ってもある程度はいけると思うけど、通訳はまた別。人のしゃべる日本語を韓国語に、韓国語を日本語にという作業、こうしてみるとかなり高度な作業とみた。
どうも気付かぬうちにかなり飲まされたらしい。韓国式の飲み方も心得ているつもりだけど、なにぶん通訳をしながら、そのたびに紙コップにいろんなお酒をなみなみと注がれたのだから。
エイ、もうこうなると通訳としての役割放棄だ。どうとでもなれ。