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ルアー関連のメディアにたまに顔を出したり、爆釣チャンネルに連載したりしている私について、お客さんに尋ねられる事が多いのでちょっと自己紹介ページを作りました。
まぁ自分でもルアー業界に色々と小石を投げてきたので、自叙伝的にも記録しておこうと思ったページです。
基本的に自慢話ですから、興味ない人は1秒で戻るボタン押して下さい(笑)

店長のメディアネーム
マダラ
ぷぷぷっ、このヘンテコな名前は何だ?
という事で、名前の由来なんですが・・小学校の時からあだ名が「まだら」なんですよ・・。
幼い頃、野菜嫌いで顔に白いあざが出来てしまって、ついたあだ名が「白黒まだら」
今の時代だったら、完全に差別用語だよな(笑)

てことで、このメディアネームで様々なメディアへ執筆、企画提供などを行ってます。
現在はタックルボックスDVDに出演したり、入れ食いネットネタ提供、また爆釣チャンネルは初期の頃からコラムニストとして参加させて頂いております。
バス界ではルアーマガジン誌やロッドアンドリール誌に企画提供させて頂いた事もあります。

主に夏の間はレンタルボート屋のオヤジをしながらバスフィッシング、冬はエリアJの経営で仕事と称してトラウト釣り三昧な日々を過ごしております。
私の仕事を手伝ってくれている親父や私の奥さんは店長の気まぐれに毎度プチ切れ状態にあります。
釣りキチな家族を持ってしまったのが運命というものですよね。
そんなにカリカリしなさんなって。
仕事だから新しいロッドとリール買って!(笑)

店長の釣り人生暦
(毎晩のアルコール消毒により正確な年月は覚えてません。1〜2年ずつずれているかも?)

釣りを覚えたのは保育所時代。5〜6歳くらいですね。
今の子供にゃ信じられないだろうが、当時は何処の親も忙しくて子供をほったらかしにしていたので、5歳、6歳くらいで自転車乗り回して遊んで、釣りも子供だけでやっていた!

駄菓子屋に売っていた「釣りセット」¥50がマイブームだった。
セット内容は、糸とハリとおもりと浮き。餌は現地でミミズ調達、竿は自分で木を切れ、という事だと思う。
当時の小遣いは1日¥30。幼馴染の「ケンボウ」と一緒に小遣い出し合って、神社の池で釣り三昧な幼児期を過ごす。

この頃から生物への興味が高く、様々な生物や魚類飼育をしていた。

やがて小学生になり、土浦の亀城公園で釣り三昧。
今はこの公園は釣り禁止らしいが、当時は釣り推薦の場所で、なんと小学校の授業の一環として「釣り」があり、全校釣り大会なんかもあった。
当時のターゲットはヘラブナ。
ここでは私を差し置いて、幼馴染のケンボウが大活躍だった。

私は小4で食用カエルを売るアルバイトを始めた。
ガンガン儲かって、高級な釣具を買いまくった。
そして小5からルアーへの道を目指し、当時バスは居なかったのでライギョを狙う。

中1くらいからバスが釣れだし、バス釣りにのめりこんだ。しかしあまり釣れなかった・・。
中学の同級生には釣りが趣味だと言う事を黙っていたので、私が釣り好きだとは誰も知らなかったらしい。
やがて高校に入り、学校をサボっては土浦駅の東口の野池群(当時は土浦も田舎で、東口は野池が多数あった)で釣り三昧。
私が作ったルールで釣りをする野池まで存在していて、私はそこのヌシだった(笑)
お陰で単位の取得が足りず、落第を言い渡されたが追試に合格してギリギリセーフ。

1989年にアルミボートを買ってカスミや北浦でバス釣り三昧。
当時、仕事→野宿して釣り→釣り場から出社→また野宿という釣行を頻繁にして、当時の愛車にはカップラーメンが箱で積んであった(笑)

1990年には船舶免許の無い友人がバスボートを購入し、免許所持者の私は常に同船して釣りが出来るという環境になった。
釣りの為にオフロードバイクを買い、三菱パジェロ(ウィンチ付き)と三菱ジープJ54を所有し、野池めぐりに精を出した。
道なき道を走破して新たな釣り場を目指していたが、ガケからジープごと転落し、九死に一生を得る。
フルオープンで走っていたのでロールバーが無かったら死んでいたと思うとゾッとして、野池めぐりをやめる。

この頃に趣味の観賞魚飼育が段々と熱を帯び、飼育繁殖させた魚を小売店へ卸し始める。
出荷する魚や水草の種類は30種にも及んだ。


トラウトとの出会い
トラウトは1992年ごろから毎年の冬だけ、バスのオフシーズンの遊びとして釣りに行っていた。
栃木県の養魚場系の釣り場が多かったですね。

その頃のカンツリは、イスに座って酒を飲みつつ、バス用のドデカイルアーを「ドボーン!」と豪快に投げてくる釣り。
1日に数匹釣れりゃあOKで、後は酒を飲みつつオヤジ連中と釣り談義。
しかも子供達が横で餌釣りしたり、小石を投げて遊んだりで、なんかアバウトな釣堀だった(笑)

まだ全然流行ってなかったから、ハイレベルなトラウトマンは少なかったね。
みんなフライマンで、たまにバスマンがルアー投げてる感じ。

バスブームの頃でも毎年冬だけトラウトフィッシングしてました。
今みたいに流行ってなくて、どこのカンツリも空いてたなぁ。


1995年から、家業の貸し舟部門の船にエレキ、エンジンを搭載して釣りマニアに貸していた。
友人と桜川のトップでのバス釣りにハマり、背中にルアーが刺さったり、ギルに飲まれたトリプルフックを外そうとして刺さって怪我したりしてバーブレス人生を肝に銘じた。

1998年にバスブームも段々激しくなり、貸し舟を増強して20艘のエンジン船を用意して「J−BOAT」を立ち上げ。
バス釣りのボートガイドも開始。沢山の初心者に釣りの楽しさを教えられた良い仕事だった。
この年、数社のルアーメーカーからテストの依頼を受けてルアーテスターに。

マーキュリー、トーハツ、ミンコタのディーラー登録。
ハミンバード正規代理店開始

当社オリジナルバスボート製造の企画、設計を始めた。

1999年に釣具の開発、販売、輸入、通販の店として「プロショップJ」を立ち上げ。
同年、ルアー界の人気雑誌「タックルボックス誌」に連載を開始した。
タックルボックス誌編集長とは今でもお付き合いさせて頂き、色んな釣りの企画を考えたりしています。

2000年にオリジナルバスロッド「サクラリバー」スピニングとベイト1機種ずつ発売し、大好評を得る。
小型ボートやチョイ投げのオカッパリロッドとして便利な5ftというこのモデルは、当時6ftが基準のバスロッド界にショートの便利性を知らしめるヒットとなった。
その後、続々と有名ブランドのショートロッドが発売された。
田舎の店のオリジナルロッドとしては異例のセールスを記録し、大好評を得たロッドでした。

このロッドの製造はテンリュウ製。今でも私はテンリュウファン。


プロショップJはバスフィッシングのメッカ霞ヶ浦湖畔にあり、数々のムーブメントを発祥したショップでした。
国産ビッグルアーが無い時代、ラパラの14やアメリカの大型ルアー「キャスティーク」などを輸入してデカバスを釣り、当店にのみ出品していたブランド「シュガークラフト」のボラ型ビッグルアー「ロングB」がコアなバスマニアの間で話題に。
様々なルアー雑誌に「シュガークラフト」が紹介されはじめる。
ロングBに続き、大型スピナーベイト「クリックスピン」が話題になり、本格的なビッグベイトムーブメントが起こり、国産ビッグベイトが多数出現した。

シュガークラフトの伝説的ルアー「ロングB」

今でこそ普通に使われている「威嚇喰い」というアタックの仕方を、私がメディア(タックルボックス誌)に登場させて以来、威嚇専用のルアーなども有名ブランドから発売されるようになった。

この年、携帯釣りサイト「爆釣チャンネル」が開設し、コラムニストとして参加、現在も執筆させて頂いています。
(片G君、間違ってたら連絡ちょうだい)

2001年頃から釣堀事業への模索を開始し、色んな土地の視察を始めた。
同年、ついに造船業認可を取得し、翌年の2002年にオリジナル小型バスボート「シャドウ」を発売。
質実剛健なバス釣り漁船を作りたい、という願いから、トライ&エラーを繰り返し、何艇ものプロトタイプを壊し、試用レンタルでデータを集めて完璧なボートが完成した。
購入して頂いたユーザー様からの評価も高く、各メディアでも傑作との評価を頂き、各ボートメーカーが視察に来るほどの高性能ぶりを発揮した。
が・・国産の為に人件費や材料費が高く、同クラスのボートの価格帯にまで下げることが出来ずに次期モデルを待たずして計画を凍結。


シャドウ完成型
同クラスのボートはほとんどが海外生産であり、純国産で全て手作業で作成するオーダーメイドのこの船は価格も下げられず、生産に時間も掛かるために販売戦略で苦戦を強いられた。
価格競争の波に飲み込まれ、莫大な開発費が予想されるハンドル仕様、そしてさらに小型の「シャドウJr」の図面が完成した時点で造船業を休業した。

J−BOATとプロショップJの運営に精を出しつつ、釣堀の実現へ向けて着々と準備を進める日々が続く。

そして2006年1月、構想5年目にして「フィッシングエリア★Jジェイ」がオープン。


幼い日々より釣りに親しみ、気がつけば釣りの仕事をしている自分が居る。
叔父は現役で霞ヶ浦でも腕利きとして名を馳せる漁師、近年亡くなったもう一人の叔父は腕利きのハンター(銃による猟)。
親父は総理大臣賞を何度も受賞した犬のトップブリーダーもしていた。

魚を取る、扱う漁師の遺伝子、獲物を追い詰めるハンターの遺伝子、生物の繁殖や生態を知るブリーダーの遺伝子。
全てのDNAが私を釣堀事業へ導いてくれたと感じ、まさに天職を得たという思いで釣堀の仕事に取り組んでいます。

魚の養殖やルアー、ロッドの製造、造船等、多岐に渡って「物を作り出す」仕事もこなしてきました。
これからも、もしかすると職人魂が再燃してトラウトルアーやタックルの製造をしちゃうかも知れません。
でも今はお客様が楽しめる釣堀にする事が最優先だから快適な釣り場環境を目指して行きたいと思います。

でもやっぱりルアーという物へのこだわりも強い。
機会があればまたどこかのメーカーさんのルアーテスターでもやらせてもらおうかな。

10月〜5月はトラウト釣堀経営、6月〜9月はレンタルボート屋。
ずーっと水辺に居る仕事、そして自宅は川の前。
釣りに汚染された「釣り脳」です(笑)

皆様に愛される釣堀を目指して、「フィッシングエリア★Jジェイ」は私の釣り人生の集大成として、今後も発展し続ける所存です。
どうぞ皆様、よろしくお願い申し上げます。


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