「平和のための祈り」
2002.1.10
2001年はテロ事件や不況の影響もあり、21世紀の幕開けにしては重苦しい1年でした。昨年1年間の世相を表す漢字は「戦」、まさに「戦々恐々」、何が起こるかわからない、何が起こってもおかしくない雰囲気ですね。
一方そんななかで、何が本当の幸福なんだろうか、大切なものは何だろうかということを見つめ直す一つのきっかけになったのではないかとも思いました。ハイジャックされた飛行機の中から携帯電話で、家族に「愛しているよ」と言い残して亡くなった方たちの話には感動しました。米国はキリスト教の国ですが、人の少なかった教会が、事件後は祈る人であふれているとも聞きました。
近年の一連の出来事を見て、私は目に見えない力が強烈に働いているような気がしてなりません。人と人の間に不信感を生み、自分に対しては自己嫌悪で落ち込むように、そして人間関係を分裂させるように働きかける、まさに「魔」の力とでも言う べき作用があるように感じるのです。
誰が正しい、誰が間違っているということ以上に、見えない力、「魔」の働きに負けていないかということです。宇宙船地球号という言葉があるように、私たちは共に栄えるか、共に滅ぶかしかない運命共同体のようなものです。互いに貴重に思う心が不可欠です。戦争に勝ち負けはない。共に勝つか共に負けるか・・・。
もっと身近な次元では、例えば夫婦間を考えればよくわかりますね。けんかをして幸せな夫婦はいないでしょう。共に傷つき、共に言いようのない苦しみを味わいます。
ぜひ、感情を荒立てる前に、自分が「魔」のそそのかしに負けようとしているのではないか、チェックしてみましょう。「魔」が去れば、福運が来ます。
私が昨年、自分自身に言い聞かせた、大好きな言葉を紹介します。アッシジの聖フランチェスコという、13世紀カトリックの修道院を開いた人の言葉です。
「平和のための祈り」
わたしを あなたの平和の道具として
お使いください
憎しみのあるところに愛を
いさかいのあるところにゆるしを
分裂のあるところに一致を
疑惑のあるところに信仰を
誤っているところに真理を
絶望のあるところに希望を
闇に光を
悲しみのあるところに
喜びをもたらすものとしてください
慰められるよりは慰めることを
理解されるよりは理解することを
愛されるよりは愛することを
わたしが求めますように
わたしたちは 与えるから受け
ゆるすからゆるされ
自分を捨てて死に
永遠の命をいただくのですから