1998.8.15 Update

「世間さま」の話をした続きを。人の目を気にする日本人・・・ということですけど、そこから来るやっかいなものが実は優越感、そしてその裏返しの劣等感です。両方とも自分の目を基準にした考え方なんですね。自分より劣っているものを見ては優越感を感じ、自分より優れたものを見れば劣等感を感じる。しかしこれは何とこころ落ち着かない不安定なものでしょうか。
こんなたとえ話があります。ゆりの花は、バラの花を見ながら、「ああ、バラはなんてきれいなんでしょう。あの真っ赤で情熱的な花びら。いいわねえ」と。バラはバラで、「ああ、ユリさんはなんてきれいなんでしょう。あの真っ直ぐで清楚な雰囲気。それに比べると私なんかこんなトゲがあって・・・。ああいやだ」と。
花はこんな気持で咲いているでしょうか?きっとそうではないはずです。バラはバラなりに、ユリはユリなりにそれぞれが、懸命に花を咲かせているでしょう。人が見ていようと見ていまいと、天から自分に与えられた価値を一生懸命に生かそうとがんばってるにちがいありません。天はちゃんと、それぞれの花に素晴らしいものを与えてくださってるんですね。相対的ではなく、絶対的ということです。
私が学生の頃の話です。近くにパスタ専門店ができたということで、友人とさっそく食べに行きました。珍しがってボンゴレか何か食べたんですけど、帰り間際にそこのレシートを見て驚きました。裏に「この道より我を生かす道なし、この道を歩く。店長」という言葉が書いてあったのです。(あとで武者小路実篤さんの詩とわかりました。)「うわあ、ここの店長はパスタに人生を懸けてるんだ」と。「そして、誇りと自信を持ってつくってるんだなあ」と感心しました。パスタに懸ける人生、それは少しさびしいような気もしましたが、「では、自分にとっての道はなんだろう。ここの店長のように人生を懸けるだけのものを持っているだろうか?」と深刻に考えてしまいました。忘れることのできない衝撃的な出会いです。
「天職」という言葉が私は好きです(たしか歴史の宗教改革で習ったカルビンの言葉)。仕事自体に貴賎があるのではなく、天がそれぞれにふさわしいものを与えてくださってる。だからそれぞれの天分を生かしながら、誇りを持って仕事をする。だからこそ勤勉、勤労は素晴らしいことだし、その天職によって得る報酬、貯蓄は天の栄光であると・・・。そして蓄えられた資本はより公的なもののために用いられる。
これがそもそも(ルター、カルビンによる宗教改革以来の)資本主義の原点でしょう。小説家の五木寛之氏が、いつかTVでこんなことを語っておりました。「宗教はブレーキのようなもので、経済はアクセルだ。宗教のない経済は暴走する。神の見えざる手・・・それを信じているから欧米の市場経済は成り立っているし、資本主義は成り立っている。それがなければ弱肉強食、血なまぐさい草刈場になる。」
また、19世紀の終わりから20世紀にかけて巨大な富を築いたロックフェラーは、「私は神様に愛されたから大金持ちになった。神様にこれからも愛されるために、このお金を寄付しなければならない」 と言っていました。 マイクロソフトのビル・ゲイツ会長も、 「私は死ぬまでに、全財産の95%を寄付する」 と言っています。 これがアメリカに根付いてるキリスト教の精神なんでしょう。
ちょっと話が大きくなりましたが、横を見て生きるのではなく、天を見つめて伸び伸びと生きたいものです。
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