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第二章 妖しいグルメになっちゃうゾ!

「バックします。ピーピー。バックします……」
 日曜の朝っぱらから巨大なトラックの「バックします」という人工音が響いていた。
 香織は窓際に置かれたベッドの上で、うだうだと毛布を抱き込んだ。美咲と今話題のクレープ屋さんに行く約束をしたのは十一時だ。まだ、たっぷり時間はある。
 少しでも長い時間、惰眠をむさぼろうと布団に頭から潜り込んだとき、聞き覚えのある声が耳に飛び込んできた。
「あー……。それは〜、こっちお願いしますー……。あ、やっぱ、こっちがいいかなぁ……。いやまてよ……」
 香織は、ガバッと跳ね起きた。
 この間延びした、ボケボケした口調。イライラするような天然寝ボケの優柔不断さ。
 香織は、出窓のカーテンを引き開けて、窓におでこをくっつけるようにして外の道路を見下ろした。サラサラの少し茶色い頭のてっぺんに、ちょこんと巻いた無防備な旋毛をさらけ出して、そいつは居た。
 香織は、衝動的に窓を開け放った。
「ちょっと! あんた、そんなところでなにしてんのよ?」
 安眠を妨害されたせいか、思いのほかキツイ口調になった。
「あ〜……。香織だぁ〜。おはよー……」
 くるんと上を見て、天然寝ボケの礼二郎はひらひらと手を振った。
 香織だぁ、もないものである。
「だから、そんなところでなにしてんのって訊いてんだけど!」
「あ〜……」
 上を見上げたままヘラヘラと笑った礼二郎は、何事か答えようとして身を仰け反らせた。そのままふらりとよろめき、その場にストンと尻餅をつく。
「あ、あれれ?」
 なんって……ばか!
 香織はやれやれとため息をつくと、バタンと窓を閉め、手近なトレーナーとGパンに素早く着替えて部屋を飛び出した。
 香織が着替えをして部屋を出、階段を下りて玄関から外に出てくるころ、地面に尻餅をついていた礼二郎は、ようやくノロノロと立ち上がったところだった。
「転んじゃった……」
 まさに寝言のようにつぶやいた礼二郎を見て、香織はやれやれと首を振った。
「ところで、この荷物、なんなのよ?」
 香織はイライラと側面に大きな数字が書いてある引っ越しトラックを指さした。
「ああ、ぼく、ここに引っ越してきたんだ」
「引っ越しぃ?」
 香織の声がオクターブ跳ね上がる。
「香織こそ、なんでここにいるの?」
「って、あんた、日曜の朝にあそこの出窓からパジャマで顔を出すってことは、どういうことだか考えなくてもわかるでしょうっ!」
 礼二郎は、くりくりと首をかしげる。
「……同棲?」
 礼二郎は上目遣いに言った。
 ボゴッ! 考えるより早く、香織の「ぐー」が、礼二郎の顎に炸裂した。
「ぐが」
「ここがあたしの家なのっ! ばかなこと言わないでっ!」
 香織は、腰に両手を当てて仁王立ちだ。
「香織ぃ、機嫌わるすぎだよう」
 涙目になって顎を押さえ、礼二郎はふにゃふにゃと泣き言を言った。そんなポーズでうるうるされると、香織の心はチクンと痛む。なんたって、この礼二郎、顔が可愛いから始末に負えない。しかも、香織好みど真ん中のファニーフェイスだ。
 うるうるとうるんでいた礼二郎のメガネ越しの大きな瞳から、ポロッと大粒の涙がこぼれ落ちた。
 香織は、礼二郎の顔を見ないようにくるっと背中を向け、ずんずんと自分の家の玄関に向かって歩いた。なんだか、今朝は、メチャメチャ機嫌が悪かった。そもそも数日前に学校で起こったあの事件からこっち、気持ちが晴れないのだ。正直いって、昨夜もあまりよく眠れなかった。ロボットだった生徒会長、麻生礼一郎の右手が首に絡みついて、締め上げられるような悪夢を何度も何度も見た。
 怖かった。秘密結社ナナバの秘密を香織が知っていることがわかったら、きっとまた狙われるに違いないと思った。そんなこんなでイライラしているのに、朝っぱらから引っ越し騒動だ。しかも、越してきたのは天然寝ボケの礼二郎。
 麻生礼二郎……。ふと、その名前を反芻して、ゾクリと背筋が凍った。
 あの生徒会長の名は麻生礼一郎といった。既に生徒会長と寝ボケの礼二郎は兄弟ではないと学校では証明されたはずだったが、他人の心が読めてしまうような薬を開発できる組織ならば、身元を誤魔化すくらい簡単かもしれない。この時期に、香織の家の隣に越してくるなんて……。香織を見張る目的のナナバのエージェントだろうか?
 もしかしたら、礼二郎もナナバの一員?
 あの、天然寝ボケの礼二郎が?
 食事中もそんな疑惑が頭の中をぐるぐるして、香織は朝御飯がどこに入ったのかわからなかった。

 十一時に小泉通りで美咲と待ち合わせしているので、香織は十時前に家を出た。
 外にはもう、引っ越しトラックの姿はなく、隣の三階建ての小振りなワンルームマンションの三階のベランダに、あの、サラサラの茶髪が見え隠れしていた。
 礼二郎はナナバのエージェントだろうか?
 このあいだの学校の事件の時手に入れたココロミエールは、いつも鞄にしのばせていた。
 確かめたければ、あの目薬をさして礼二郎に触れてみればいい。いつも無防備な礼二郎に近づくことはたやすいのだから。
 でも、香織にはそれをする勇気がなかった。もし、礼一郎のときみたいにノイズ音が聞こえたらと思うと、怖くて怖くてたまらなかった。本当のことを知るのが怖い。あの、いつだってのほほんとしている礼二郎が、本当は別のことを考えているなんて思いたくもなかった。間抜けで、たよりなげで、どこかネジが外れているからこそ、香織も遠慮なくポンポン言ったりできるのだ。
 礼二郎……。
 後ろ髪を引かれるような思いで、美咲との約束を果たすべく駅への道のりを急いだ。

 香織は、電車を乗り継いで小泉通りまで来た。日曜日の小泉通りは縁日のような人出だ。でも、この通りのなかほどのクレープ屋さんが今、学校では大評判だった。
 香織は、美咲と改札口で落ち合い、はぐれないように小泉通りの人波を泳ぎだした。
「すっごい人ぉ〜」
 美咲は、うんざりしたように言った。
「いつもよか多いよね、そのクレープ屋さんのせいかな?」
 香織も、うんざりしたように言う。
 噂のクレープ屋にたどり着くと、遙か彼方のほうに「行列最後尾」と書かれたプラカードが見え隠れしていた。
「え〜?」
 二人は同時にため息をつき、互いの顔を見合わせると、意を決して「行列最後尾」のプラカードを目指した。
 結局、二時間近く並んで、やっとのことで目当てのクレープをゲットすることができた。既にお昼を回っていたので、めちゃくちゃお腹がすいていた。
 ファッションビルの前の小さな噴水が吹き上げる広場のベンチに、香織と美咲は並んで腰を下ろした。見ると、周りに座っているカップルも、親子連れも、おじさん二人の妙な組み合わせの人たちでさえ、香織たちが抱えている包みと同じものを持っていた。
 黄色を基調とした、おしゃれなデザインの小箱だ。テイクアウト用の箱だった。
 ご多分に漏れず、香織もテイクアウトを注文した。せっかく二時間も並んだのだから、この場で食べるぶんだけを買うのはもったいない。美咲も勿論、同じ箱を持っている。
 香織は、黄色に赤いリボン模様がついた箱をかかえ、クリームのたっぷり乗ったバナナクレープをかじった。
「うっわー」
 びっくりして、香織は思わずマジマジとクレープを見つめた。
「メチャ美味だよ、これ……」
 美咲も驚いたように同意する。
 二人は、ガツガツと夢中でそれをたいらげた。女子高生の常として、色んな噂の店に出向いたが、これほどのアタリに遭遇したのは初めてだった。

「ところで、そのクレープ、誰へのおみやげ?」
 ウインドウショッピングをしながら、美咲が香織に訊いた。
「え? 誰……って」
 思わず香織は答えに窮する。
「香織、好きな人のこと教えてくれないんだもん。だけど、クレープ四枚買ったでしょ?」
 香織はギクッとする。美咲は目ざとい。
「お母さん、お父さん、自分でもう一枚……。香織、兄弟いなかったよね?」
「さらに自分でもう一枚……」
 美咲は不審な目で香織を見た。
「あっやしぃ〜」
「な、なによぉ。もう……」
 拗ねたフリをして香織はごまかしを決め込んだ。本当は、帰ったら礼二郎に差し入れてあげようと思っていたのだ。あの、ボケボケした礼二郎のことだ。きっとろくなものを食べずに荷物の片づけをしていることだろう。
「あっ」
 突然、美咲が、夏物のスリップドレスを物色しながら声を上げた。
「そういえば、香織って、あの居眠り少年と仲良しだよね?」
 ギクギクッ。
 香織は、あのいつもボーっと寝ている、冴えないクラスメイトのことがちょっと気になっているということは、誰にも知られたくなかった。礼二郎が可愛い、なんて言おうものなら、たちまちみんなにばかにされるに決まっている。
「やだ。仲良くなんかないよ」
「そう? ならいいけど……。あいつだけはカンベンって感じだもんね」
 やっぱり……。香織は胸の奥のドキドキを押し隠して訊いた。
「なんで?」
「だってー。普通、高校生にもなってヨダレたらして寝る〜? いっつもボーっとしてシャキッとしないしさ、体育なんかボロボロでしょう? クラスの男子からも髪の毛引っ張られたりしてるし。それでも、ヘラヘラ笑ってるんだもん、気色悪いよ」
「そ……れは、ちょっと酷いんじゃない?」
「は?」
 言ってしまってから、香織はしまったと思った。
「やだー。もう、香織ったら、やっぱりぃー」
 うりうりと、ひやかすように、美咲は香織を小突く。
「ばか言わないでよ。あんな天然寝ボケ男」
 美咲は、クスクスと笑った。
「そっかー。香織は、ほっとけないタイプが好みなんだ〜」
「んなことない。ぜったいない!」
 強く断言して、香織は自分自身にもそう言い聞かせた。

 香織は、家に戻って家族の分のクレープを置き、自分の分と礼二郎の分を持って隣のマンションに出向いた。
 三階、南向き。ワンルームとはいえ、家賃はそう安くはないだろう。ワンルームということは、彼が親と離れて一人で住むということだ。そんなに裕福な家庭のボンボンなのだろうか。だから、あんなにボーっとしているのだろうか。
 それとも……。ナナバの工作員だから、お金の心配なんかない……とか……。
 また、そんなことを考えてしまって、香織は辛くなった。
 ピンポーン。思い切って呼び鈴を押す。
 しかし、返事がない。試しにカチャと玄関のノブを回してみると、ドアは簡単に開いた。
「礼二郎? いないの? 鍵かけないと物騒だよ?」
 部屋の中に向かって声をかける。狭いワンルーム、部屋に居れば聞こえるはずだ。
 香織は、そろっと玄関に入り、中を見回した。段ボールの箱の間からピンク色の靴下が見えた。ピンクとオレンジのシマシマだ。なんて色の靴下をはいてるんだ……と思いながらそっと歩み寄った。段ボールの箱の向こうをのぞき込むと、段ボールの迷路の狭間に、体を曲げ、はまりこむようにして礼二郎はスヤスヤと寝息をたてていた。
 それがまた、窓から差し込む夕陽に照らされて、童話の中のお姫様のように愛らしい。
 ヨダレをたらしてさえいなければ、天使の寝顔だ。
 香織は、しゃがみこんで、ゆさゆさと礼二郎の体をゆすった。なんだか、彼を起こすのは自分の役目のような気がしてきた。
「あー、香織だぁ〜」
 幸せそうな顔をして、礼二郎はムクリと起きあがった。
「朝、殴ってごめんね。おみやげ買ってきた。クレープ。いっしょに食べよう?」
 手近な段ボールをテーブルがわりにして、香織はクレープを置いた。ついでに、コンビニで買ってきたおにぎりと、缶コーヒーをふたつ、並べる。
「はい。礼二郎には、カフェオレね」
 なんとなく、こいつがブラックを飲むとは思えなくて、ミルクたっぷりのものを買ってしまった。
「うんうん」
 コクコクとうなずいて、礼二郎は嬉しそうにカフェオレを飲んだ。
 広い窓からぽかぽかと光が射し込んで、フローリングの床を照らしていた。
 引っ越し段ボールに囲まれた、ささやかなディナーだった。

 それから一週間もしないうちに、不思議なニュースが流れ始めた。
 バナナが品薄だというのだ。バナナは輸入果物の代表だが、産地や流通過程に問題がないのに、店にバナナの姿がないなどという事態は、明らかに異常だった。
 それと同時に、香織が二時間並んだクレープ屋が、街のそこここに次々とオープンし始めた。それこそ、コンビニのように次々と生活圏の便利な場所に店ができていくのだ。しかも、開店した店、開店した店はいつも長蛇の列。周囲の飲食店に閑古鳥が鳴き始めた。
 人々は、この異常な事態に気づくどころか、その異常さを助長するかのようにクレープ屋の列に並び、こぞってクレープを求めた。
 やがて、日々の食卓や、学食にまでクレープが並ぶようになったが、毎日毎日、同じ物を食べているのに、誰も飽きたと言い出す者はいない。
「バナナが品薄ってさ、このクレープ屋さんが買い占めてるんじゃない?」
 放課後、おやつのバナナゼリー・クレープを食べながら、美咲が言った。
「バナナか……。そういえば、ツナバナナ、チャイナバナナ、バナナバーグ、クッキーバナナ……。メニューは全部バナナだねぇ」
 美咲と並んでクレープをぱくつきながら、香織は気楽に笑った。
 バナナ、バナナ、バナナ……。
 バナナって、さかさに読むと……?
 香織は愕然とした。
 このクレープチェーン店は、秘密結社ナナバと関係があるのだろうか?
 今まで疑問に思わなかったのが不思議だった。ナナバのロボットに殺されかかった香織でさえ、疑問を感じないようなカラクリがあるのかもしれない。

 香織は、ココロミエールを使って、クレープ屋の本店の前に立っていた。
 このココロミエールは、人の心が読めるようになる目薬だ。だが、香織は色んな目薬をさしすぎて特異体質になってしまったせいか、目薬をさしても相手に触らなければ心を読むことができない。正面から乗り込んで、スタッフの誰かれかまわず触りまくる作戦で、どこまで情報を得られるだろうか。
 香織は、客を装って店の中に入っていった。店内は、独特のバナナクリームの匂いで充満していた。見回すと、驚いたことに、窓際のカウンターの席で、丸スツールに腰をひっかけた礼二郎が、幸せそうにクレープをほおばっている。
「礼二郎?」
 一瞬、香織の胸に不安がよぎった。偶然というには、あまりにもタイミングが良すぎる。もし、彼がナナバの工作員で、わざわざ引っ越しをしてまで香織を見張っているならば、香織がナナバの陰謀に気づいてここに来ることは予測ずみかもしれない。
 香織は、ココロミエールを使っているのを思いだした。礼二郎にちょっと触れて、彼が考えていることを覗いてみればいいのだ。
 香織は、礼二郎のほうに歩み寄った。もう、確かめるのが怖いなどと言っていられる状況ではなかった。
「香織?」
 礼二郎は、驚いて目を丸く見開いた。
「香織、なんで、こんなとこまで来たの? 家の近くにお店あるのに」
「あんたこそ、なんでよ?」
 礼二郎は、うふ、と首をすくめた。
「んー、なんとなく」
 香織は、礼二郎の隣のスツールに腰を下ろして、礼二郎の顔をのぞき込んだ。礼二郎は、小さい子供みたいに、口のよこにクリームをつけている。
 思わず香織は、礼二郎の口許のクリームに手を伸ばし、指先ですくった。
 ――香織、かわいい……。
 突然飛び込んできた礼二郎の心の声に動揺して、思わず香織はクリームのついた指をパクッと口の中に入れる。
 香織は、自分の行為に愕然とした。
 これではまるで、恋人同士だ!
 香織は焦って立ち上がると、今のは気の迷い、と自分に言い聞かせて、本来の目的に立ち返ることにした。
 香織は、意を決し、スタッフオンリーと書かれたドアを開け、中に入り込む。
 そこで出会った人、出会った人を、残らず触りまくった。
 ――あー、忙しい。休み欲しいな〜。
 ――なに? この子……。
 店の関係者ではない香織の存在を確認してから触ると、相手の興味は香織に移行してしまい、本音は見えてこないようだ。
 香織はコソコソと、厨房の偉そうな人の後ろに回り込んだ。
 既に、アヤシイ女の子が紛れこんだことは、責任者に告げられているだろう。向こうのほうから背広を着た偉そうな人が血相を変えてやってくるのが見えた。
 香織は、厨房の偉そうな人の後ろから、腰にちょっとタッチした。
 ――マッタリンジン。マッタリンジン……。
 コショウのような調味料の缶をわしづかみにすると、彼はクレープ生地の種の中にそれをパッパパッパと振りかけた。
 マッタリンジン……?
 どうやらそれは、アヤシゲな調味料の名前らしい。
 香織は、かけつけた背広を着た偉そうな男に腕を掴み上げられた。
 ――こんな小娘が産業スパイか? マッタリンジンで従順に飼い慣らされているはずなのに……。
 香織は、奥の事務室にひきずられていく途中で、腕を掴んだ男の心の中から驚くべき情報を得た。
 ナナバが開発したマッタリンジンは、人の味覚を狂わせ、その意志さえもコントロールする魔法の薬だ。街にナナバクレープだけが氾濫する状況を疑問にも思わないような、飼い慣らし現象を起こすことができるらしい。オサルニナールで人を猿化し、支配する計画が失敗したあと、今度はナナバクレープで人を支配しようというのだ。
 香織はビルの七階の空き部屋に放り込まれ、ガチャリと鍵をかけられた。ためいきをついて部屋の中を見回すと、そこには先客が居た。情けない顔をして床に座り込んでいる礼二郎だった。
「あんた、なにやってんのよ?」
 やはり、出てくる台詞はこれだ。
「中に入っていった香織、どうしてるのかな? って思って、覗いてたら怒られちゃった」
「怒られたぁ?」
 香織が産業スパイと思われているのなら、その仲間と勘違いされたのかもしれない。
 香織は、礼二郎の側に歩み寄った。床にちょこんと並んで腰を下ろす。
「あんたね、ここでどんな陰謀が繰り広げられてるか、わかってる?」
「陰謀?」
 礼二郎は驚いた顔で香織を見た。
「そう。陰謀よ……。こないだ、2ーBのクラスの子が全員入院しちゃった事件と同じ」
「なんで、そんなこと、香織が知ってるの?」
「うん……」
 答えを濁して、香織はそっと礼二郎にもたれかかり、その肩に頭をあずけた。
「かっ……香織……?」
 焦って礼二郎は、体をこわばらせた。
 ――香織……やわらかい……。香織、いい匂い……。香織、護ってやる……。
 香織は、ガバッと立ち上がった。
 近寄ったり離れたりの香織の不審な行動に、礼二郎は戸惑う。
「どうしたの? 香織?」
 ――香織、護ってやる……。
 香織は、自分の行為に恥じ入っていた。そんなことを、本心から思っている礼二郎を疑って、無断で心を読んでしまった。このひ弱な寝てばかりいる礼二郎が、香織を護ろうとしていたなんて……。
 じゃあ、隣に越してきたのもそのため?
 人一人護るのは容易なことではない。実際、この礼二郎には無理だろう。でも、その気持ちが香織には嬉しかった。
「ごめん。あたし、礼二郎のこと誤解してた」
「だいじょぶだよ。ぼく、香織が嫌がること……襲ったりとか、しないよ?」
 なにを勘違いしたのか、礼二郎はトンチンカンなことを言う。
 それが、香織の心を和ませた。
「うん。わかってる」
 そのとき、だしぬけにドアが開いた。反射的に振り返ると、見覚えのあるロボットが立っていた。
「01郎……」
「あ、生徒会長だ」
 香織と礼二郎が同時につぶやいた。
 そこには、学校の屋上で爆発したはずのナナバのロボット01郎がいた。ロボットだから、かわりがいてもおかしくはないが、一度、壊れたものが復活しているというのは気持ちのいいものではなかった。
「ちっちっち……」
 01郎は、指を一本立てて舌を鳴らした。
「そんな低俗な名前で呼ばないでくれないか。ぼくは、01郎の体験と記憶をそのまま受け継ぎ、よりパワーアップされたナナバの誇るヒューマノイド・ロボット、続01郎だっ!」
 説明が長かった。
「あ、そう」
 ギャラリーの冷たい反応に気を悪くしたのか、続01郎は無言で香織を拘束し、部屋から連れ出した。
 香織は、別室で椅子にしばりつけられた。
 薄ら笑いを浮かべる続01郎が、椅子の周りをゆっくりと歩きながら尋問する。
「なにが目的で、ここに潜入したんだい? 国枝香織くん」
「べつに」
「君は、ココロミエールを持っているんだね? あれを使って、従業員の心を読もうとした。違うかな?」
「わかってるなら訊かないで」
「交換条件といこうじゃないか。君のことは見逃そう。そのかわり、ここで知ったことは黙っていてはくれないか?」
「えっ?」
「それだけ? という顔をしているね。そうだよ。君は、もう既に、我々ナナバの協力者として考えられている。ココロミエールを自在に使いこなせる特別な体質の人間としてね。少々のオイタは大目に見ようじゃないか」
 香織は、唖然とした。ナナバの秘密を知っても、特に狙われたりしなかったのはそういうカラクリだったのか。
「嫌よ」
 続01郎は、余裕の笑みをうかべた。
「実際に君は、ココロミエールを使ってここに来た。そもそも、他人の心を読もうとするなんて、卑しい行為じゃないか。相手に気取られず、自分だけ得をしようというんだからね。つまり、君は、着々とこちら側の人間になりつつあるということさ」
「そんな……」
「ココロミエールの誘惑に勝てる人間などいやしない。君はすぐにナナバの幹部になれるよ」
 香織は、ふるふると首を横に振った。でも、確かにそうかもしれない。ひ弱なくせに、せいいっぱいがんばって香織を護ろうとしてくれている礼二郎を疑って、勝手に心を読んでしまった。酷く嫌な思いをした。罪悪感にさいなまれた。ココロミエールを持っている限り、これからもそんな思いをするのだろうか。
 と、そのとき。
 ガッシャーンというガラスの割れる音とともに、窓からなにかが飛び込んできた。
 窓際に居た続01郎が、吹き飛ばされて部屋の隅に転がった。
「きゃぁ!」
 椅子にしばりつけられたままなので、体を庇うこともできず、香織はただ首をすくめた。
 ここは六階だ。ナナバクレープの本社ビルの窓から、いったいなにが……?
 そう思って恐る恐る顔を上げると、真っ赤なマントが吹き込んだ風に翻っている。
「ロケット・ライダー、推参!」
 ポーズを決めているロケット・ライダーを見つめて、香織は心が沸き立つのを感じた。
 ロケット・ライダーに期待している自分を知った。
「現れたな、ロケット・ライダー」
 続01郎は部屋の隅で立ち上がり、不敵に笑うとライダーに向かって身構えた。
 ロケット・ライダーは、じゃん! と左手を前にかざす。その五本の指の先に、白い妙なものが取り付けられていた。それは、お琴を弾くときの爪に似ている。
 ロケット・ライダーは、無駄に手を振り回してポーズを取り、歯切れのいい声で叫んだ。
「電脳昇天! 必殺・呪詛悪魔の爪!」
 きききききぃぃぃぃぃ〜〜〜……。
 指の先につけた爪で、ロケット・ライダーは窓ガラスをひっかいた。
 強烈なノイズが発生し、香織は頭がおかしくなりそうになる。
 でも、そんな香織よりも壮絶な苦しみ方をしたのが続01郎だ。あの爪を装着することで、ロボットに絶大な効果をもたらす電磁波でも発生させられるのだろうか。
 頭を押さえて床を転げ回る続01郎。やがて、続01郎は、白目を剥き、プスプスと湯気を出し始めた。
「……っぶねぇ」
 ロケット・ライダーは急いで続01郎に近づくと、続01郎の体を抱え、窓の外に放り投げた。
 ドッカーン! 巨大な爆発音が空中で轟いた。
 ロケット・ライダーは香織に近づくと、縛り付けられていたロープをほどいた。
「あの、ありがとう。ロケット・ライダー」
 香織が必死に礼を言うと、ロケット・ライダーはにこっと笑って、来たときと同じように、窓から消えていった。
 香織は、ぼうっとその後ろ姿を見送って、ハッと我に返った。
「あ、礼二郎、助けなきゃ!」
 慌てて部屋を飛び出し、七階の空き部屋に向かって非常階段を駆け上がった。
 外で爆発が起こったので、ビルの中は騒然としている。香織の監視に時間を割いている余裕がなくなったのか、邪魔も入らずにさっきの部屋までたどり着いた。
 ドアノブをひねる。鍵がかかっていない。
「礼二郎!」
 室内に飛び込むと、そこに緑と赤のシマシマが見えた。
「うわ、今日はクリスマスカラー……」
 礼二郎の靴下だった。ご丁寧に、靴を脱いで、床に転がって眠っているようだ。
 この状況で、ぐーすか眠れる強靱な神経に半ば呆れながら、香織はゆさゆさと礼二郎の体をゆさぶった。
 ココロミエールの効果が切れたらしく、眠っている礼二郎に触れても、彼の心の声は聞こえなかった。少し残念のような気もしたが、もとに戻ってホッとした気持ちのほうが大きかった。

 それから数日。ナナバクレープの店は、閉店が相次ぎ、アッという間に消えてなくなった。そして、街の人々は、何事もなかったかのようにクレープづけの生活から普段の日常に戻っていった。

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