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真昼の決闘(1952米)
2003.04.23.

腰を据えて見たのは初めてです。
これ、私、勘違いしていました。
ヒロイズム満載の、かっこいい保安官の話だと思ってました。
違いました。
そういった西部劇とは対極にある、リアリズムな話だったんですね。
だからこそ、こんなに語り継がれているんでしょう。

これって、
フレッド・ジンネマン監督自身が、
赤狩りを傍観した人々への嫌悪の情を表明したという、
社会派のウェスタンなんだそうです。

そんなわけで、主役のゲイリー・クーパーは、
護ろうとする街から、人々から、疎まれて、
早くどっか行け、と言われ続け……。
決闘の直前に喧嘩ふっかけられちゃったりして、
もう、とんでもない四面楚歌の状況で、
命がけで孤軍奮闘してました。

正午に迫った決闘の時間までに、
助っ人を捜してあっちへフラフラこっちへフラフラする保安官は、
なんとも言えず、ヒーロー像からはほど遠く、
街を護ろうとしてる彼に対する住人の冷たい反応が、
あまりにリアリティがあって、空恐ろしく……。
思わず唸ってしまいました。
なんて渋い映画なんでしょう。
所詮、世間はこんなもんさ……みたいな、
ちょっと絶望しちゃいますね。ええ。

終わり方も、えっ? それだけ? みたいな幕切れで、
何とも言えず……。
ただ、14歳だというあの少年に、
志は受け継がれていくんだろうなぁ、という部分を匂わせたのは、
パンドラの箱を開けたあとの最後に残った希望だったんですかねぇ?
うーん。

この軟弱な保安官像を批判して、
プロフェッショナルな保安官の映画(リオ・ブラボー)を作ったという、
ハワード・ホークス監督とジョン・ウエイン派かなぁ、私(^^;

いや、社会派は結構なことです。
映画という媒体は、庶民に訴える力もありますし……。
だけど、娯楽としてそれを楽しもうと思っていたら、
人間の醜悪な部分をつきつけられるってのも、救いのない話だと思うんですよね〜。
同じように、人間の差別だとか、卑怯な部分だとかを描いた話は多々あります。
小説なんかでもあるんですけれど……。
切り口を少し変えただけで、ぐっと深みを増す場合もあるんですよね。
この映画の場合は、西部劇にする必然を見失っているような気がするんです。
周囲に理解を求めて助っ人探しをするっていうのは……。
別の設定の話でもいいんじゃないかって思っちゃいました。
保安官じゃなくてね、もっと普通のお父さんとか。
まあ、同時代性を持っていない私が生意気なことを言っても仕方ないですが(^^;

若くて初々しいグレース・ケリーが出ていました。
監督が彼女に惚れ込んで、意味のないアップを多用したようですが、
そんなプッシュにも関わらず、
私の目には、昨年亡くなったケティ・フラドのほうが、
めちゃめちゃ魅力的に映りました。

映画的な手法としては、リアルタイムというか……。
映画の中の時間の流れと実際の時間の流れをいっしょにする……という
興味深い方法がとられていましたが……。
そこを誉めている人も多いですが、
本当のことを言えば、
そのせいで、中身はスカスカです(^^;
映画には映画としての情報量があるべきで、
それが実際の時間の流れと同等では、ひどく間延びした感じがしました。
でも、それは、今の時代の映画を見慣れているからであって、
当時だったら、これで凄く画期的なのかもしれないとは思います。