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スタンド・バイ・ミー(1986米)
2002.8.22.bs2
いわゆる、これは、大半のオトナがノスタルジーに浸って、
涙を流すような、名作と位置づけられている作品。
印象的なテーマソングと線路を歩いていく少年達の画は、
永遠の少年時代。
リバー・フェニックスが、いいんですよね〜。
なんだろうね、この存在感。凄いよね。
ただ、彼らの動機ってどうだろう?
いかにも子供らしいっていえば子供らしいんだけど、
「死体」を捜しに行くってどーよ?
しかも、本当の死体を見つけちゃうんだよ?
ここに意味がなかったら、なんだかなー……な映画じゃないか!
というわけで、私は、この、彼らの目的である「死体」に、
非情に深い意味を感じてしまいました。
少年時代を共有した彼らのその後がラストに語られるんだけど、
そこにも、「死」の匂いが充満していて……。
それは、演じた役者が夭折してしまったという事実を知っているから
でもあるんだけど……。
セピア色の、まだ希望を信じることができた少年のメモワールとしては、
あまりにも重いんだよね。
それは勿論、彼らが既に12歳という、人生の岐路を迎えているからであって、
トム・ソーヤではいられないからなのかもしれないけど。
なんというかね……。
人間は、どんなに幼くても、生まれ落ちた瞬間から「死」に向かって、
一歩一歩歩いていくんだなぁ、と、
線路を歩く彼らの姿が、そんな感じにも見えてしまう私はひねくれ者?
この映画って、いいトシしたお父さんたちが、
少年の日を思いだして涙するものなのかな?
もうやり直しのきかない自分の人生を憂えて、泣くだけ?
そうじゃなくて、もっともっと深い、
あの、レールってのは、人生そのものなんじゃないのかな?
映像の中の少年たちも、それをスクリーンで見て泣くお父さんたちも、
同じ目標「死」へ向かって歩いてるんだよね。
だからこそ、彼らが捜しに行くのが「死体」なんじゃないかなぁ。
この作品だけ、キングにしては異質だとか、
自伝的なものだから異質なんだとか言われてる場合もあるみたいだけど、
彼の作品に一貫して流れている「死」の匂いが、
これほどリアルにストレートに描かれているのも珍しいと私は思う。
商業的にはノスタルジーを狙った作品で、
それは見事に当たったんだと思うけれども……。
人は死から逃れられないっていう「裏テーマ」みたいなものは健在だと思う。
でも、そうであれば、だからこそ、
少年の日がそうであったように、
オトナになったからって全部を諦めてしまうんじゃなくて、
どんなに小さな希望でも夢でも持っていないと、
「つまんない死を迎えるだけだ」
と言われているような気がした。
そんなこと考えてこの映画を見てるのって、私だけかも(笑)
ただ、なんていうか……。
私自身、そこそこの年齢で、
子供の頃をちゃんと懐かしく思ったりもしてるんだけど……。
あのころは良かった……とだけは浸れないんだよね。
多分、それは、現在進行形で、真剣に、
目的を持ってトライし続けているからじゃないかと、思う。
子供の頃って、攻め続けてるよね。
自分のあるかないかわからない可能性に賭けて、攻める。
やっぱ、守りに入った人生って、
攻め続けていた頃を懐かしく思うものかもしれない。
どんなちっちゃなことでもいいから、
攻め続けて生きて行けたら、いいね、って思ったさ。
……って、これのどこがスタンド・バイ・ミーの感想文?(笑)
世間様とのギャップに、自分でも笑っちゃいます……。
ははは。