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ゲーム(1997米)
2002.03.15.

「セブン」のデビッド・フィンチャーだ。
ラストの後味の悪さには定評がある。
でも、私は、セブンは好き。特に映像が好き。

で、ゲームだ。
48歳の誕生日を迎えた投資家でお金持ちのニコラス。
実は彼は子供の頃、今の自分と同じ48歳だった父が、
屋根の上から投身自殺したのを目撃してしまった過去を持つ。
しつこいくらいに差し挟まれる回想は、
そのことがニコラスのトラウマになっていることを示しているはず。
……なんだけどね……(ごにょごにょ)
まあ、単に、ビデオクリップ風演出と思えなくもない。

誕生日プレゼントに弟がCRSなる会社の
ゲームに参加しないかともちかけてくる。
登録してみると、その日から「ライブRPG」の始まりだ(笑)
家の前に墜落死体よろしく倒れていた等身大ピエロの口には
小さな鍵が……。
生活の全てを見張られ、ニコラスはどんどんゲームに巻き込まれていく。
しかし、それは実は、
彼の巨万の富を狙った組織的な詐欺であることが判明。
彼は、次第に命を狙われていく……。

……って書けば面白そうだよね。
確かに、プロットはそう悪くない。
主人公が危険な目にあって、追い込まれていくのも悪くない。
じゃあ、なんでこんなに見ていて気分が悪いのか、
ムカつくって言葉がぴったりくるような展開……。
これで「そういう終わり方」だったらマジで怒るぜ、と思って見ていた。

ただ、セブンのときもそうだったんだけど、
この監督の撮る画は、ときどき、モーレツに美しい。
たとえば、競売にかけられた我が家の門を乗り越えるシーン。
競売にかけられ中なのに門灯が闇の中に美しく輝いてる。
家人その2は「なんで電気がついている?」と言っていたけど、
それはきっと、監督の画に対するこだわりなんだと思う。
リアリティよりもイマジネーション。
さすが、ミュージッククリップなんかを作っていた人だよね。
だから、まあ、そういう些末な、
本筋に関係ない部分の嘘は許そう。

でもさー、お話のほうは、はっきり言って、やりすぎ。
だって、その場その場のアイディアに溺れて、
整合性とれてないんだもん。

ずーっと「そういう終わり方」だけはしないでくれと思っていたら、
……「そういう終わり方」をしてしまったんだ(^^;
どうしてもそういう終わらせ方をしないとダメだったんだとしたら……。
そう、これは、セブンの終わり方に文句をつけた人たちへの
アンチテーゼだったのかもしれないけど。
でも、だったら、こうしたらどうだったんだい?

ニコラスは、父の自殺というトラウマを抱えていた。
自分も父と同じ年で死ぬのだという強迫観念に怯えていた。
誕生日が近づくにつれ、心身症のような症状が出て、
自殺してしまうのではと、周囲を心配させる。
これを憂えた弟が、ひとはだ脱いでゲームを仕掛ける。
ゲームに翻弄される中で、偶然、父の死の意味を知り、
ニコラスは新たに生きる意欲を取り戻していく。

ってのを、フィンチャー流に綺麗な映像でうだうだと、
それでいて一応は納得できる話として成立させたら、
見終わったあとの後味の悪さも、
客をばかにすんな! と思う人も減るんじゃなかろーか?

物語ってのは、始まったときと終わったときに何らかの変化が
なければならないと言われている。
キャラの成長とか、組織をぶっつぶすとか(をい)
この監督の作品の場合、それが希薄だ。
迷宮でぐるぐるしたあげく、スタート地点に戻ってしまった
みたいなイライラ感と脱力感がある。
無駄なものは支持されにくいだろう。
無駄であるなら、スーパーエンターテイメントじゃないと難しい。
そういうことなんじゃないかな、と思った。

んが。
そんな作品自体の感想はともかく、
私的にはもの凄く気になったことがあった。
それは、作中後半でニコラスが
分厚い蔵書に仕込んだ銃を持ち出すシーンがあるんだけど、
そのとき、銃を仕込んであった本のタイトルが、
「To Kill a Mockingbird」
だったことだ。
そう。まさに、昨日放映された「アラバマ物語」の原作本である。
えーーーー? うっそー、なんで? なんで?
すごい偶然じゃん?
まして、原題なんか、作品検索しなきゃ知らなかったよー(^^;
とまあ、そんなことばかりが気になってしまって、
思わず深読みをして楽しんだりしていた。

ちなみに、この本は、ピュリッツアー賞も取ってるし、
シカゴの市長だかが「この1冊」にあげたりするほど有名な本なので、
監督が好きだったのかもしれないっすね。