鑑定医 
 
2001.5.15

   今回も我々法律の世界に関わる職種の人を見てみましょう。
   犯罪が起こった際に犯人を特定するものとしては、現場の遺留品や目撃者の証言などいろいろな証拠があります。しかし、これといった遺留品もなければ目撃者もいない、ただ死体だけが見つかったような場合には捜査は極めて難航します。こういうときに裏方で活躍する人の中に鑑定医という人たちがいます。今回は鑑定医とはどういう人なのか、どういうことを鑑定医は鑑定するのかを見てみましょう。

 

その1  鑑定医の出番

.   例えば殺人事件が発生した場合で、目撃者もいないような場合には、誰が犯人であるのかを突き止めるのは至難の業です。被害者が死亡することで利益を得る者が容疑者となるのですが(ex妻が自宅殺されればまず夫が疑われる)、最近新聞でも大きく報道されている浅草の事件のように、(おそらくは)無関係の犯人によって突如殺害されたような場合には、被害者から犯人を推測することも困難になります。さらには、焼死体とかバラバラ殺人などでそもそも被害者が誰なのかすら特定しずらい場合にはなおさら容疑者の推測は困難です。
   このような場合に被害者の特定や、犯人の割り出し作業に携わる専門家に「鑑定医」という職業の人がいます。
   刑事事件に限らなくても、民事事件の領域でも「親子関係不存在」「認知」の訴えのように、相続人であるのかどうかが争われる場合にも、やはり鑑定医が登場することがあります。

   警察・検察などの捜査機関ではおなじみの職業の人ですが、一般にはあまり知られていない職業でもあります。そこで、今回は「鑑定医」というものをクローズアップして見てみます。
   


その2  鑑定医という職業

   鑑定医というのは、医師であることはいうまでもありませんが、専門分野を「法医学」とする人たちのことをいうのが通常です。法医学というのは、応用医学の一部門である社会医学に属する医学であり、法律上問題となる医学的事項について研究することによって適切な法律の運用に助力する医学といわれています。ですから、文書の研究(筆跡鑑定、インクの特定)や薬物の研究(麻薬の検出、薬物の性質の研究)もすべて法医学の扱うテーマであるといえます。「鑑定をする医師」というのだから、例えば「薬物汚染に関する鑑定を行う」医師であっても「鑑定医」となるのですが、一般に鑑定医と言うと主として死体の解剖などを行う医師といえるでしょう。これは伝統的に死体解剖などを行い、死因を特定したり、被害者の特徴を調べたりという鑑定が刑事裁判においては中心にあったからであり、実際の法医学においても死体に関する研究が中心になっているからでしょう。


   

その3  科捜研と鑑定医

   最近はドラマに登場したりするようにもなりましたので、「科捜研」というものも世の中に知られるようになりました。もっとも、呼び名は知らなくてもニュースなどでも指紋を採取したり(耳かきのふわふわの大きなものを持ってドアとかをポンポンやっている)、DNA鑑定をしている映像はなじみがあると思います。警察の内部組織に科捜研(科学捜査研究所)という名称の部署があり、指紋の鑑定とか偽造パスポートや偽札の鑑定などをしているところです。科捜研に行くと、文書の鑑定を専門に取り扱う部署や、薬物の鑑定を取り扱うところなど、まるで大学の研究室のような模様で様々なラボがあります。
   科捜研と鑑定医とはその職域が重複しているところでもあります。例えば、血液型の鑑定とかはわざわざ鑑定医がでるまでもなく科捜研の警察職員が行っています(DNA鑑定などは通常科捜研が行っており、弁護人が法廷で争う場合に大学の研究者が鑑定人として出てきたりする程度でしょう)。また、覚せい剤の検出などは科学者がするまでもなく科捜研が行っており、弁護人も別途研究者に鑑定を依頼するようなことはまずないでしょう(実際には、尿の覚せい剤検出の場合にはサンプルが費消されているので、再度鑑定するような場合もないのですが)。
   しかし、科捜研はあくまで警察内部の組織であり、その目的は犯罪の捜査にあります。医師として医学的見地から主として人間という物に関する鑑定などを行う鑑定医とは、その目的も本来の業務内容も異なるものです。また、同じ「死体解剖」であっても検察官が行う(あるいは警察職員に代行させる)のは「検視(司法検視)」(または検証の一方法)として行うものであり、死亡が犯罪によるものなのかどうかが判らないときに、その状況を見分するために行うものにすぎません。これに対して、鑑定医がおこなう「死体解剖」は、医師としての資格に基づく鑑定であり、死因を医学的に特定することが目的になっています。本来的には、死体が他殺体かどうかを判断するのが検視で、それについて死因がどうであるとか殺害時刻はいつであるとかを医学的に解明するのが医師の行う鑑定なのだといえるでしょう。ただ、現在ではちょっとした大学などの研究期間よりも科捜研の方が設備も整っていることもあり、また、科捜研は警察内部の組織でありながら半ば独立して鑑定を行うこともあり、人が殺されれば医師が鑑定したという時代でもなくなっているようです。実際、犯罪捜査規範第187条(鑑定の嘱託)においても「捜査のため、死体の解剖、指紋又は筆跡の鑑別等専門的知識を要する鑑定を科学警察研究所その他の犯罪鑑識機関又は適当な学識経験者に嘱託するに当たつては、警察本部長又は警察署長の指揮を受けなければならない」として、解剖においても科捜研の担当者が鑑定を行うことができる規定になっています。


その4  犯人の特定はまず被害者の特定から

   何か犯罪が発生した場合、通常は被害者から事情をきくことで犯人の目星がつくことが多いでしょう。しかし、被害者が殺害されている場合には「死人に口なし」 となり、一番重要な目撃者(被害者)からの供述を得ることは不可能です。
   犯人が誰であるのかという推測をたてるには、基本的には「この被害者が殺害されることによって一番利益を受けるであろう地位にある者」を検討することです。例えば、殺された人に多額の保険金が(それも第三者によって)かけられている場合には、保険金の受取人が一番に疑われます。また、自宅で妻(夫)が殺害された場合には、まず真っ先に夫(妻)が捜査の対象になります。殺人という事件が発生した場合には、「誰が殺されたのか」によって「誰が殺したのか」が明らかになる場合が非常に多いのです。
    しかし、殺害されてかなりの月日が経っている場合、水死体で腐敗が激しい場合、バラバラ死体で頭部が見つからない場合、などにおいては、被害者が誰であるのかがすぐには特定できません。このような時には鑑定医の出番となります。

    中学・高校の保健体育でもある程度は勉強するはずですが、男と女では骨格に違いがあります。骨盤をみれば一目瞭然ですが、手足の関節だけでも男女の特定は出来ます(新体操が女性の種目というのも生物学的に根拠のある話なのです)。また、歯を診れば年齢も(若干の幅はあるものの)推定できます。年齢と性別が判れば、次は個人的な特徴です。歯の治療痕・骨折の経験・身長骨格などによってかなり個人の特徴が絞られます。最近は、頭蓋骨から(肉と皮膚の着いている)顔をある程度再現することも可能です。
    また、内臓に残っている食物によっても個人の特定のための大きな手がかりがつかめることがあります。タンパク質は胃によってかなり消化されてしまいますが、野菜など、特に皮・種については消化されなかったり、消化されていても品目を特定できるものもあります。消化されずに残っていたブドウの種から、ある地域に植わっているヤマブドウを食べたことを特定し、被害者の生活圏が特定されるようなこともあります。
    このような鑑定作業を通じて、被害者を特定するための要素を次々と明らかにしていくのも鑑定医の仕事です。そして、行方不明者(家出人)の情報と照らし合わせるなどによって被害者が割り出されると、捜査は大きく進展します。


その5  犯行時刻の特定 〜 容疑者のアリバイ

    殺人などが行われた場合、「いつ殺されたのか」がきわめて重要になってくる場合があります。
    私が若干関わっている刑事事件(殺人)においても、被害者の殺害時刻が大きな争点の一つとなっているものがあります。被告人には午後10時以降翌朝までのアリバイがあるところ、死亡推定時刻は当初午前3時以降翌朝までとされました。この鑑定結果によると、被告人には殺害当時のアリバイがあるので冤罪のはずです。しかし、その後3度も鑑定が行われ、その都度死亡推定時刻が遡り、最終的には午後9時以降翌朝までと広がったのです。これも一つの要因となって1審では有罪認定されました。この点だけではないのですが非常に不合理な判決であり現在控訴審で再び争われているものです。
   さて、死亡時刻は容疑者・被告人のアリバイや、「どこで殺害されたのか」(死亡推定時刻に近接する時刻の被害者目撃情報により、別の場所で殺されて死体が運ばれたのではないか)などなど様々な要素を明らかにするものとなります。それだけにきわめて重要な事項といえ、鑑定においてもしばしば争われてくるものです。
   死亡推定時刻については、殺害されて間もない死体の場合には「死後硬直」「胃腸内の食物消化状態」「直腸内温度」「角膜の混濁」「尿量」などなど様々な要素から総合的に判断されることとなります。人間の身体は死亡(ここでは人の死亡は呼吸停止・心臓停止・瞳孔拡大の3要素という伝統的な扱いによります)して血液の循環も止まると、徐々に筋肉が硬直していきます。また「角膜」も酸素の補給が途絶えるために徐々に混濁していきます。勿論、体温も徐々に低下して最終的には外界の気温と同じになります。これらの程度を観察することによって、何時間前に殺害されたのかを推測することができるのです。
   一例を挙げますと、やせ形の体型の人が死亡すると、最初は1時間につき1℃ずつ体温が低下し、10時間を過ぎた頃からは0.5℃ずつ体温が低下していきます。遺体発見時に直腸内温度(直腸内が最も正確な体温を測定できるとされています)が仮に26℃だったとします。人の平均体温は約36.5℃くらいですから、10.5℃体温が下がっています。そうすると、死後約10時間ちょいといえます。これに季節による修正を加え(夏場は気温も高いので緩やかに体温が下がることから、1.4倍するとか)、さらには当時の気温による修正(気温より低くなることはない)、着衣による修正(布団にきちんとくるまれている場合には、体温の定価は半分以下に下がる)、などなどを加味して「死後約14〜18時間」と推測する、などとなるのです。
   この体温による死亡からの経過時間の推測も鑑定医の判断する重要な要素ですし、これらは鑑定医の研究の成果によって導き出されているものです。


その6  犯人の特定 〜 血液型・DND鑑定 

   犯罪でなくても、親子鑑定などで血液型鑑定、DNA型鑑定は良く行われますが刑事事件では犯人の特定(厳密には容疑者が犯人であるのかの特定)において重要なものとなっています。指紋と同様に犯人の特定においてよく使われるのが血液型鑑定・DNA型鑑定です。なお、一般に「DNA鑑定」といわれていますが、科捜研などでは「DNA型鑑定」と言います。DNAそのものを鑑定しているわけではなく、血液型と同様にDNAの「型」を鑑定するのだから「DNA型鑑定」であると説明されています。この呼び名については異論もありますし、新聞報道や裁判でもDNA鑑定と呼んでいますが、ここではDNA型鑑定と表記します。

   さて、まずは血液型の鑑定について少し説明しましょう。一番よく知られているのがABO型の血液型検査です。親の一人がAB型であれば、O型の子供は産まれるはずはない、などの説明は中学校の遺伝の授業でも行われていると思います(実際には極めて希な例としてAB型の親からO型n子供が産まれることもあります)。これらのABO型に加えて、MN型(NN型、MM型、MN型に分類される)、Rh-Hr型(Co又はc型、D又はd型、E又はe型についてCCDEE〜ccdeeまでの2の5乗の組み合わせになる)、HLA型(白血球の区分)などの血液型を組み合わせて個人の特定や親子関係の有無を判断することとなります。ABO型のA型の人間は日本人の約6割と言われますが、Rh型、MN型、HLA型をそれぞれ加えて検査することでより細分化して個人を特定することができるようになります。
   次にDNA型鑑定です。DNAは究極の個体特定方法と言われることもありますが、それは2億とも言われているDNAの塩基配列をすべて解明すればというものであり、現在の科学及び倫理においては困難きわまりないものです。現在て行われているのDNA型検査はフィンガープリント法やPCR法など多種多様です。MCT118 法では435通りの「型」に分類できます。いずれにしても、DNAのある一部分の性質に着目して判断するものであり、血液型検査の延長上にあるものといえるでしょう(血液型もDNAによって決められるものであるとすると、血液型鑑定も一種のDNA鑑定に他ならないことになる)。

   検査の種類はこの程度にして、刑事事件などで鑑定人がわざわざ鑑定するのは何故かということに移りましょう。現在はDNA型鑑定などは民間の研究機関においても行われており、家事事件における親子関係の鑑定などでは99.5%以上の確立という高い精度の鑑定が2、30万円で行われるようになっています。ならばわざわざ医師による鑑定は不要とも思われます。
   親子関係などの場合には、親と子(と思われる人)の血液なり皮脂細胞(口の頬の裏側)などのサンプルを使いますが、これは鑑定のために採取する新鮮なサンプルであり、その量も十分確保できます。しかし、刑事事件の場合には、例えば着衣に付いている体液のシミ、たばこの吸い殻、はては浴槽に付着していたアカなども鑑定の対象となります。およそ人の体組織の一部であれば理論上はDNA型を判定することができると言えますが、実際にそれを鑑定する作業は極めて困難なことが少なくありません。虫眼鏡でようやく見えるような爪のアカから親子関係を鑑定してくれと頼んでも、民間の鑑定業者では「サンプル不足」で受け付けてくれないでしょう。しかし、刑事事件ではこのような「証拠」についても犯人特定の唯一の客観的な手がかりとなることもあるのです。そこで、鑑定医の出番となるのです。被害者の膣腔内にわずかに残された精子の破片(精子は膣腔内に射精後約50時間で死滅し、鑑定が困難になる)からでも、容疑者が犯人かどうかの決めてとなることもありますし、当然、冤罪であることが明らかになる場合もあるのです。


 

その7  犯行態様の特定その1 〜 凶器の特定

   また、凶器が何であるのかを特定する場合に鑑定を行うこともあります。人が殺害されているのは明らかであるが、何でどのように殺害されたのかが今ひとつ明確にならない場合には、凶器の特定が重要になることがあります。例えば、容疑者の自宅で発見された草刈り鎌の刃渡り、刃の角度などが、被害者の切創と一致する場合には、これが凶器である可能性があり、その容疑者が犯人である可能性がでてきます。逆に、容疑者が捜査段階で自白した供述では「かっとなって机の上にあった長さ16cm程度の青銅製円筒型の文鎮で頭部を殴打した」とあるのに、鑑定をしてみると「頭部の打撲は、材木の様に角のある四角柱と思われ、その角柱の1辺は約10cmの幅であると考えられる」というような鑑定意見がでたとします。そうすると、被疑者(被告人)の自白は何者かに強制され、または誰かの身代わりとなってなした虚偽の供述であり、真犯人は別に存在するという可能性がでてきます。
   このような凶器の特定が現実に大問題となった有名な事案があります。成田闘争で死亡した東山薫氏の頭部を直撃して死亡させる結果となった「もの」が反対派の投げた石なのか、機動隊員の発射したガス弾なのかが大きな争いとなりました。もしガス弾によるものであれば、そのガス弾を発射した機動隊員が特別公務員暴行虐待致死に問われるのに対して、投石によるとすると反対派(東山氏にすると同胞)の誰かの過失致死となるため、凶器の特定が非常に重要な問題となったのです。鑑定医の中には、頭骨の陥没跡の形状などからガス弾が凶器であるとの鑑定意見を出した人もいましたが、検察の処分は石塊が凶器であると判断して機動隊員は不起訴となりました。その後の付審判請求においても、裁判所はガス弾による殺傷ではないとして付審判を却下しています(このときは独立した5人の鑑定人のうち3人がガス弾を凶器とする鑑定意見を出している)。まさに、凶器が何であるかによって犯人が誰であるのかが180度変わる事案です。

   これまでは「容疑者が犯人か否かの特定」のための鑑定方法をみてみました。しかし、容疑者が犯人であるとしても、なおかつ鑑定をすることの意味がある場合もあります。一定の犯罪を犯していても、裁判所が刑を宣告するにあたっては「どの犯罪」なのかを特定する場合に鑑定が必要となることもあるのです(なお「犯行態様その2」参照)。
  刃物を使って人の胸部・腹部を刺した場合でも、鋭利な刃物では、死亡の危険も高い行為といえます。同じ棒状の凶器で殴りつけても、鉄パイプと箒では被害の程度が当然変わってきます。被害者の「刺創」から凶器が鋭利なものなのか、刺されたのか斬りつけられたのかが見えてきます。肉の断裂跡や骨の陥没の程度、形などから、凶器の形状や殴り方が浮かび上がります。
    同じ凶器でも、その使い方が変わってくれば、殺意の認定それ自体だけでなく、情状についても影響を与えることになります。「包丁で人を傷つけた」場合であっても「刺す」と「切る」では生命に対する危険が大きく変わることがあります。「一歩間違えば殺人になっていた傷害」と「どうやっても傷害でしかない傷害」とでは自ずと刑罰の重さも変わってくるのです。同じピストルを使って人に傷害を負わせても、銃口を被害者の身体に密着させて発砲している場合(この場合には発射された際のガスで体の中から風船のようにふくれるような銃跡になる)とか、遠距離から発砲している場合では、生命侵害に対する危険性の度合いが異なることが通常でしょう。これらは情状にも影響してくるところです。


その8  犯行態様の特定その2 〜 刑罰の重さが変わってくる

     いうまでもなく、殺人と傷害致死などでは刑罰の重さが違います。また、強盗致死や強姦致死はきわめて刑罰が重くなっています。同じ死亡という結果を招来していても、どういう形で殺害されたのかは捜査機関にとっても重要ですし、それ以上に弁護人にとっては重要なものとなります。
    例えば、交通事故を例にとってみます。最初っから殺すつもりで自動車で轢いた場合には、「殺人」となります。殺人であれば死刑も無期懲役もありえますし、最低でも懲役3年です。しかし、例えば道路に人がいるのを不注意で見過ごして轢き殺してしまったときには、「業務上過失致死」なので、一番重たくても懲役5年です。場合によっては罰金50万円ということすら(法律上は)あり得ます。
   あるいは、路上に死体があって、頭を石で割られていたとします。強盗がお金を奪って更に(自分が盗んだことが判らなくなるように証拠を隠滅する目的で)石で頭を殴って殺したとすると、強盗殺人となり「死刑か無期懲役」しかありません。しかし、例えばがけの上で草刈りをしていた人が誤って足を滑らせたところ、弾みで足下の石が落下してがけの下にいた人の頭を直撃した結果死亡してしまったとすると、過失致死となり「罰金50万円」が最大となります。
   同じ死亡という結果を招いているのに、法定刑の差は驚くほど大きいものです。勿論、今挙げたような極端な事案で争われることはまずないのですが、「殺人」(死刑・無期懲役・3年以上の懲役)と「傷害致死」(2年以上15年以下の懲役)との争いが行われることは少なくありません。片や死刑を法定刑に含み、他方は重くて15年とは大きな違いがあります。実際の判決でも殺人では7年以上15年以下の刑を宣告するのが約50%であり、10年程度の懲役刑が平均といえるのに対して、傷害致死では5年以下が80%以上で執行猶予がつく割合も殺人の約2倍になっています。 このようなことを考えると、犯行態様の特定は「殺人」と「傷害致死」とを区別する上でも非常に重要なものとなってきます。

   さて、犯人が包丁で人を1回刺したところ、被害者は死亡した場合、それが「殺人」なのか「傷害致死」なのかは、その犯人が「殺す意思を持っていたか否か」に帰着しますが、「殺すつもりはなかった」「ただ痛めつけようと思っていただけだった」という主張がされることは少なくありません。そのようなときにも鑑定医が登場することがあります。
   包丁が体内にどの程度突き刺さったのか、どういう形で刺さったのか、刺さった後包丁はどうなっているのか、などなどによって「客観的に見て人を殺す意思に基づいて包丁で刺したといえるのか」の判断材料を裁判所に提供するのです。例えば深さが10pを越えているいとか、逆刃で刺しているとか、包丁を刺した状態でグリグリと回しているとか、いろいろな状況が解剖によって明らかになります。それらを客観的に鑑定して結果を述べるのが鑑定医の仕事です。あとは裁判所が故意の有無を認定するのですが、鑑定医の意見がなければ正確な認定は難しい場合があるのです。また、検察官は殺人で起訴してきていても、鑑定医の鑑定結果によっては「殺意が認められない」ということになる場合もあります。

参考 〜死亡を要件とする犯罪の刑罰
    人の死亡を招来する犯罪においても、故意犯と過失犯では大きな違いがあります。わざと殺した場合がより重い刑罰になっているのは明らかです。また、故意の殺害においても、単純に殺した場合と他の犯罪に伴って殺害した場合では、後者の方が更に重くなっています。
    ここでは、参考までに「故意犯」「過失犯」「結果的加重犯」のマークを付けて、刑罰の重たい順序に並べてみます。

死刑と無期懲役しか規定されていないもの
第126条(汽車転覆等及び同致死)
現に人がいる汽車又は電車を転覆させ、又は破壊した者は、無期又は三年以上の懲役に処する。
2 現に人がいる艦船を転覆させ、沈没させ、又は破壊した者も、前項と同様とする。
3 前二項の罪を犯し、
よって人を死亡させた者は、死刑又は無期懲役に処する。
第240条(強盗致死傷)
強盗が、人を負傷させたときは無期又は七年以上の懲役に処し、
死亡させたときは死刑又は無期懲役に処する。
第241条(強盗強姦及び同致死)
強盗が女子を強姦したときは、無期又は七年以上の懲役に処する。
よって女子を死亡させたときは、死刑又は無期懲役に処する。

※ 我が国の刑法において人の死亡に関する犯罪のうち最も重たい刑罰を科しているもの。なお、240条241条は強盗(強姦)殺人(故意犯)と強盗(強姦)致死(結果的加重犯)、とをあわせて規定しているものとされています(学説上はいろいろ争いのあるところですが)。


死刑・無期懲役と有期懲役刑が規定されているもの
第146条(水道毒物等混入及び同致死)
水道により公衆に供給する飲料の浄水又はその水源に毒物その他人の健康を害すべき物を混入した者は、二年以上の有期懲役に処する。
よって人を死亡させた者は、死刑又は無期若しくは五年以上の懲役に処する。
第199条(殺人)
人を殺した者は、
死刑又は無期若しくは三年以上の懲役に処する。

無期懲役の規定もあるもの
第181条(強制わいせつ等致死傷)
第百七十六条から第百七十九条までの罪を犯し、
よって人を死傷させた者は、無期又は三年以上の懲役に処する。
第205条(傷害致死)
身体を傷害し、よって人を死亡させた者は、二年以上の有期懲役に処する。


有期懲役の規定があるもの
第124条(往来妨害及び同致死傷)
第145条(浄水汚染等致死傷)
第219条(遺棄等致死傷)
前二条の罪(遺棄)を犯し、よって人を死傷させた者は、
傷害の罪と比較して、重い刑により処断する。
第221条(逮捕等致死傷)
第219条(遺棄等致死傷)
※  傷害罪(第204条)の法定刑は10年以下の懲役または30万円以下の罰金もしくは科料
第214条(業務上堕胎及び同致死傷)
医師、助産婦、薬剤師又は医薬品販売業者が女子の嘱託を受け、又はその承諾を得て堕胎させたときは、三月以上五年以下の懲役に処する。
よって女子を死傷させたときは、六月以上七年以下の懲役に処する。
第202条(自殺関与及び同意殺人)
人を教唆し若しくは幇助して自殺させ、又は人をその嘱託を受け若しくはその承諾を得て殺した者は、
六月以上七年以下の懲役又は禁錮に処する。
第213条(同意堕胎及び同致死傷)
女子の嘱託を受け、又はその承諾を得て堕胎させた者は、二年以下の懲役に処する。
よって女子を死傷させた者は、三月以上五年以下の懲役に処する。
第211条(業務上過失致死傷等)
業務上必要な注意を怠り、よって人を死傷させた者は、
五年以下の懲役若しくは禁錮又は五十万円以下の罰金に処する。重大な過失により人を死傷させた者も、同様とする。

罰金のみが規定されているもの
第210条(過失致死)
過失により人を死亡させた者は、五十万円以下の罰金に処する。
※  人の命を失わせているのに余りに軽いのではないのかという批判もあるくらいに刑罰が軽い


その9  鑑定医の意見だからといって鵜呑みには出来ない

   さて鑑定医が行う様々な鑑定についてみて来ました。冒頭でも「法医学」の定義について「法律上問題となる医学的事項について研究することによって適切な法律の運用に助力する医学」としているように、鑑定医は「適切な法律の運用に助力する」ことがその使命といえます。しかしながら、鑑定医も人間であるが故の誤りを犯すことは多分にあります。また、法医学も日進月歩の世界であり、現時点においては「最も適切」と思われる鑑定方法が、いつひっくり返るかもしれません。更に、表向きはあり得ない話となっていますが、医師の世界のヒエラルキーや鑑定医のメンツ・プライドも看過できないところです。

   例えば科捜研におけるDNA型鑑定は、同じMCT118方式による鑑定でも、その鑑定のためのマーカーが123マーカーというものから、アレリックマーカーに変更されるとか、出現頻度(どの程度の正確さが担保されるのかを示す指標といえる)の記載を取りやめるなど、運用方法の変更による鑑定結果の信憑性の問題が指摘されています。また、サンプルの取り扱い方法や管理体制も問題となります。極端な例ですが、犯人の遺留品として証拠提出されていた「陰毛」(これが犯人特定の決め手になっていた)がいつの間にか「毛髪」にすり替わっていたことなどによって無罪判決がでた事案もあります。
   また、良くあるのが権威ある鑑定医の意見に逆らわない鑑定意見というものも否定できません。医者の世界は未だに徒弟制度とヒエラルキーが色濃く残っており、自分が教授を受けた師匠・先輩に逆らうような鑑定意見を出すことで、自分の医師としての将来が無くなるとの危惧感から、公正な鑑定がなされていないと思われる事案もいくつも指摘されています。そのため、鑑定をした医師がどの大学の出身者であるのかを確認して、その鑑定医としがらみのない別の医師に再鑑定させるなどの措置も必要になってきます。更には、鑑定医としての自分の権威にかけて、一旦意見を出したらそれに固執するという場合も存在ます。これらが場合によっては、冤罪を招来するなどの重大な結果を引き起こすことにもなりかねないのです。
   従って、鑑定医の意見であるからといって鵜呑みには出来ず、つねに何らかの形での検証が必要になります。特に、その世界で名声を博している医師などの場合には、その鑑定意見に逆らう意見を述べることの出来る別の鑑定医を探し出すのも大変になったりします。
   このように、鑑定医についても極めて人間的な側面から、その鑑定意見に重大な疑義を生ずることがあるので、鑑定医の意見に対しても(正当な意味での)批判的な姿勢を忘れないことも必要になってくる場合があります。


その9  最後に

   鑑定医というのは、確かにそれ相応の経験と学問的知識を有する専門家であり、その鑑定意見は尊重するべきものといえます。しかしながら、鑑定医もまた人間である以上、自ずと限界もあれば間違いも犯します。鑑定医の意見をすべてうのみにするのは問題だといえます。しかし、それ以上に問題となるのは、鑑定医の鑑定意見の中から自分に都合の良いところだけを取り上げ、都合の悪いところについては「評価しない」という扱いでしょう。実際に裁判においては(裁判官は「そんなことはない」と否定しますが)裁判官が考えた結論にあうように都合の良いところだけをつまみ食いする扱いがまかり通っています。弁護人としては(少なくとも私が多少関わった案件の限りでは)断じて許せない扱いであり、鑑定医の意見はおよそすべて尊重するか、あるいは問題があるのであればすべてにおいて評価できないという扱いをするべきでしょう。鑑定医においても、裁判所がそのような扱いをするのを黙っているのではなく、鑑定人として忌憚ない意見を裁判所にも言うべきでしょう。
    また、鑑定医も自分のプライドと権威によって、客観的に不合理と思われるようなものであっても「正しい判断である」と押し切る傾向がある場合もあります。しかし、何のための鑑定人なのか、何のために法医学を研究しているのかは常に脳裏にとどめ置いてもらいたいと思います。