決まり切ったコメント 〜「訴状を見ていないので」 
 
2002.9.12

      新聞やテレビなどで報道されるような注目を集める事件では、「本日○○に対する訴訟を提起」などという記事の最後に、訴えられた被告のコメントが載っていることがよくあります。ところが、肝心のコメントについては、判を押したように決まって「訴状を見ていないのでコメントできません」という簡単なものの場合が多いです。記事を読んでいる側からすると「なんか逃げてないか?」とか「やっぱり○○が悪いのか」などという印象を持つかもしれませんし、「なんで自分が訴えられているのにコメントできないんだ!」と憤ることもあるかもしれません。そこで今回は、なんでこういうコメントが出てくるのかを説明してみます。
今回の事案
   このところしばらく大きな案件もなく、つまり平穏な毎日を送っていた彦一弁護士ですが、先日相談に来た中島さんの知人から電話がかかってきました。「彦一先生、今から事務所に伺いますのでなんとか、1分でもいいから時間下さい」(ガチャリ・・・)とだけ言って電話は切れ、しばらくして血相を変えた富士山さんが事務所にやってきました。彦一弁護士が事務所のドアを開けると、突然フラッシュの嵐にマイクがにょきっと出てきます。唖然としてしまった彦一弁護士ですが、どうやら富士山さんを追っかけてきたどこかの報道関係者のようです。
   あわてて取材陣らしき連中を事務所から閉め出して富士山さんを招き入れましたが、どうやら富士山さん、とある有名人に訴えられたようです。
※  言うまでもありませんがすべてフィクションです


その1  訴えられた・・・!

   世の中、さまざまなトラブルがどうしても発生してしまいますが、数多くのトラブルの中には新聞やテレビが好んで取り上げるような事案もあります。政治家や官僚の汚職疑惑なんかがそうですが、芸能人が関係する案件などもそうです。当然、マスコミ報道陣が連日のように関係者を取り囲み、ワイドショーなどでとりあげられたりします。そして、トラブルが裁判にまで発展すると、夕刊紙の一面を飾ったり、一般紙であっても三面記事に載ったりします。
   民事事件として、例えば損害賠償請求を提起したなどの場合には、当然相手のある話ですので、取材する人間は訴えられた側=被告のコメントも記事にしたくなります。そのため、被告関係者へも取材に出向くのです。

   彦一弁護士が富士山さんから事情を聞くと、どうも富士山さんの経営する出版社から発売した雑誌に、とある有名芸能人光物好男さんの暴露記事が載っていたとかで、名誉毀損で訴えられたらしいということでした。そういわれてみれば、以前事務所に相談に来たときに「今度うちの雑誌ですっぱ抜き記事を出すけど、これは絶対売れますよ」なんていう雑談をしていました。今ひとつ芸能界にうとい彦一弁護士はその後のワイドショーでこの芸能人が連日取り上げられているのも知らなかったのですが、どうやら、富士山さんの雑誌が発信源だったようです。
  この記事のおかげで富士山さんの雑誌は創刊以来の記録的売上となり、傾きかけた経営も一気に立ち直ったのですが、問題の光物氏とその事務所からは「記事の内容が不適切であったと謝罪しろ」などの要求がきており、その後は光物氏の代理人弁護士からも内容証明郵便で名誉毀損行為に対する謝罪要求と出版した雑誌の回収の要求などが来ていたということでした。そして先ほど光物氏が富士山さんの会社を相手に裁判所に訴え提起をしたようなのです。このことが記者会見で公になったため、記者たちが富士山さんの会社に押しかけてきたというのが事の顛末のようです。


 

その2  訴えられたとは言っても

   民事裁判には、当然ですが訴える側と訴えられる側がいるわけです。訴える方は、どういう理由で、どのように訴え、何を求めるのかは当然に分かっています。ところが、訴えられた側=被告は、訴状が来てみないことには何で自分が訴えられたのか分からないという場合もあります。訴訟になる前に話し合いやら交渉やらをしていれば、大体何で訴えてくるのかは分かりますが、それでも訴状を見てみなければ詳しいことは分かりません。

   今回の富士山さんの場合でも、従前弁護士から内容証明郵便もきているので、自分の会社で出版した雑誌によって名誉を毀損されたから訴えられたのだということは察しがつきます。しかし、具体的に何を求められたのか、どういう理由によるのか、は訴状を見てみなければ分からないのです。名誉毀損と一言で言っても、「事実に反するでっち上げ記事で名誉を害された」、「事実は事実だが、これまで長年に渡って公にしていなかったことを暴露された」、「事実を記事にしてはいるが、その内容は極めて好色的であり著しく歪曲された表現である」など様々な形態があります。また、訴えた内容についても「名誉回復のために謝罪広告を出せ」といものから「名誉を毀損された賠償として金2000万円を支払え」とか「出版物を回収しろ」「出版物を販売するな」など、いろいろあります。手続としても、訴訟の場合もあれば保全処分の場合もあります。
   単純に「訴えられた」と言ってみても、どのように対応すればよいものかは訴状を見なければ分からないのです。

   刑事事件の場合には、無罪判決がでることはありますが、有罪判決がでる事件だとの判断で検察官は起訴しており、無罪と分かっているものは事実上起訴されません。民事事件の場合には、訴状の形式がきちんと整っていれば内容の真偽いかんに関係なく訴え自体は提起できます。全くの虚偽を述べたものであっても、訴えとしては取り上げられて裁判手続が始まるのです。訴えれば勝てるというものではなく、裁判を起こしてみたものの負けてしまったということも珍しくありません(昭和59年から平成10年の15年間の統計では、原告の勝訴率は約76%であり、訴えては見たものの4件に1件は敗訴していることになります)
  富士山さんの場合でも、光物氏の言い分がとおるとは限りません。訴状を見てみたら、「これならこちらは負けない」という場合もあるのです。

  いずれにしても、訴えられたからといって敗訴が決まっているわけではなく、また、どのように対応すればよいのかの方針も、どういう訴えなのかを精査してみなければわかりません。なので、訴状をみてみなければコメントのしようがないのです。   


その3  いつ訴状は手に入る

    「訴状をみてみなければコメントできないならば、さっさと訴状をみてコメントせい!」と思われるかも知れませんが、これが1日2日でできる話ではありません。訴訟に際して原告がわざわざ「これが訴状の内容です」と持ってきたりするならば別ですが、裁判所から訴状が被告に届くのは、訴えを提起してから1週間とか2週間も経ってからなのです。
    なんでそんなに時間がかかるのかなのですが、これは裁判所の内部手続が次のようになっているからです。
訴え提起 (裁判所に訴状を提出する)
裁判所の事件受付係が訴状の内容を確認し、記載漏れや印紙の不足がないかをチェックする
問題があれば訂正した方がよいむねを指導し、問題がなければ受理する。
(この時点で裁判所に訴えが提起されたといえる)
裁判所の事件受付係から実際に裁判を担当する部に配転される
これに数日かかる
配属された部で書記官が訴状の記載内容などをチェックし、問題がなければ裁判官に回す
裁判官が訴状を確認して、補正すべき点が有れば書記官を通じて補正を命ずる
同時に担当書記官から原告(代理人がいる場合にはその弁護士)に電話やFaxで裁判進行に関する照会をする
原告あるいはその代理人から照会の回答がくる
これにも数日かかる
書記官が期日簿をみて第1回の期日の候補日を選んで、原告(代理人弁護士)に電話やFaxで照会する
原告(代理人弁護士)が法廷に出廷できる日程を選んで期日を決める
(場合によると弁護士が不在だったりして1日では決まらなかったりする
第1回期日が決まったところで、送達の準備をする
書記官が訴状を被告にも送達する
訴状の送達は特別郵便なので、郵便局員が届けて受領の判子をもらう
相手が不在の場合には再度届けるなりする
これにもまた数日かかる
被告が訴状を受領する
この時点でようやく訴訟が係属する(裁判をすることができる状態になる)
第1回期日
   
   という具合なのです。
   こうなると、訴状が裁判所の中をくるくる回っている内に数日が経ち、被告に届くまでにはどうしても1週間や2週間はかかるのです。


   

その4  コメントを求められると・・・

   訴えた側は裁判所に訴状が受理されたその日に記者会見をして「本日訴訟を提起しました」と発表します。しかし、被告が訴状を見ることができるのはまだまだ先です。この段階でコメントを求められても、既に説明したように、実際のところ応えられようがないのです。

   富士山さんも彦一弁護士に「記者達になんて言えばいい?」と質問されて「今はまだ訴状を見ていないので、内容についてはコメントできません。訴状が届いた時点で内容を弁護士と検討の上で対応します」とだけ応えなさい、と言われています。弁護士としてはこれ以上言いようもありません。「不当な裁判だ、受けて立つ!」とも言えないし「私が悪うございました」などとも言えません。訴状を見てみたら、こりゃ負ける、と考えることも、不当な裁判だ、と思うこともありますが、とにかく見てみないことにはどうとも言えないのです。

   そこで、大体どんな裁判でもコメントを求められた被告は紋切り型の回答しかしないし出来ないのです。

   ちなみに、決まり切ったコメントとしては「見解の相違」というものがよく出てきます。脱税だなどとして追徴課税された人(会社)がコメントを求められると、「税務署との見解の相違があったが、税務署の指示に従って納付した」というコメントがでることが珍しくありません。誰が考えたのか忘れましたが、うまい口上だと思います。税法というのは税理士であっても時として判断を誤ることがありますし、通達などで毎年扱いが変わりますので、適法適切と判断して処理していたのがそうでないと指摘される場合も少なくありません。(本当のところはともかく)意図的に脱税したわけではないが結果としてそのように取り扱われてしまった、というニュアンスを出すためにも「見解の相違」というコメントが使われたりします。 . 


その5  そもそも報道もせっかち

   被告がなぜきちんとしたコメントをできないのか、という事情を知らないで新聞記事を見ると、「コメントができない、何をふざけている」と思う読者も出てきてしまうのです。「あれだけやっておいて未だしらを切るのか」とか「不誠実きわまりない」などと、どちらかというと悪い印象が出てしまいます。これは読み手が悪いからではないのですが、あまりフェアな話ではありません。報道関係者は、いち早く記事にしたいという思い、熱が冷めないうちに記事にしたいという考えがあるのでしょうが、コメントできようのない被告にコメントを求めて、「コメントできない」と応えられたのを単純にそのまま掲載するのですから、ある意味ではマスコミが被告の悪印象を醸造しているとも言えます。

   また、よくあることですが、マスコミは「訴えを提起した」という記事は案外大きく取り上げますが、その結果がどうなったのかについては取り上げなかったり、取り上げても小さく結果だけ載せるということもあります。社会が情報を渇望している時には大々的に取り上げて、熱が冷めた頃には扱いも変わるというところです。マスコミも慈善活動ではなく営業行為の一環ですから読者のニーズとの関係で仕方のない話だとは思いますが、訴え提起時は訴えた側の主張が中心となるため、結果として訴えられた側の主張はあまり取り上げられないで終わってしまうというアンバランスなことにもなりかねません。報道と人権の関係でもよく問題として取り上げられるところです。  


その6  最後に

   彦一弁護士、帰宅途中に夕刊紙を買ったところ、富士山さんの写真も入って記事がでていました。やはりというか当然というか、「今回光物氏から名誉毀損で訴えられた○○出版株式会社の富士山氏は『訴状を見ていないのでコメントできない』とだけ述べている。写真は、富士山氏の代理人弁護士事務所から出てきて報道陣にコメントを求められている富士山氏。」と書かれています。思わず苦笑いをしてしまった彦一弁護士ですが、この件を受任してしまったのでしばらくは彦一弁護士もマスコミから何やかんやと質問されることになるかもしれません。

   訴えられた側の弁護士としては、決まり切った回答をすればいいと考えている訳ではありません。出来れば、被告側の主張についてもマスコミにきちんと取り上げてもらった方がいいとも考えます。ただ、積極的に自分の主張をコメントできない場合の方が得てして多いというのは事実です。はっきりと主張してしまいたいが、訴状の内容も確認しないで無責任なコメントも出来ない、弁護士としても頭の痛いところです。