事業用賃貸借と原状回復特約
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2006.8.5revival (2003.8.5)

   建物賃貸借でしばしばトラブルとなるのが、明け渡しに伴う原状回復であることは今更いうまでもありません。原状回復と敷金に関する問題は特約その他でもかなり詳しく取り上げていますが、今回は賃借人が企業・事業主である場合の原状回復特約の効力と問題点をまとめなおしてみます。
    なおこのテーマは、原状回復に関する特集(「オーナー・管理会社のための原状回復と敷金返還・アパマン編」)の作成によっていったん掲載から外していた「原状回復義務」から、特集に掲載されていない「事業用物件」の部分の説明を抽出して改定したものです。また、このテーマはオーナー・管理会社向けで編集しており、借主の立場には立脚していません。
その1   原状回復義務の発生根拠〜おさらい

   知識箱の「原状回復における回復させるべき『原状』』や特集の「オーナー・管理会社のための原状回復と敷金返還・アパマン編」でも説明していますのでかなり重複することになりますが、 建物の破損等の修繕については「賃貸人ハ賃貸物ノ使用及ヒ収益ニ必要ナル修繕ヲ為ス義務ヲ負フ」(民法606条1項)となっておりオーナーが負担するのが原則です。オーナーが収受する賃料は、賃借人の通常の使用・収益に対する対価として修繕費用なども含まれているはずであるという建前によるものです。したがって、賃賃貸借契約において特約がない限りは、賃借人に原状回復義務は発生しません。
    しかも、賃貸借契約書に原状回復の特約条項を記載したからといって、賃借人はどんな原状回復義務でも負担するわけでもありません。本来はオーナーが負担するべき修繕費用などを借主負担とするものですから、通常の使用収益に伴って生ずる自然的消耗は原状回復義務の対象とはならないことはこれまでの判例でも何度も確認されています。しかしながら「賃借人が賃貸借契約終了により負担する賃借物件の原状回復義務には、特約のない限り、通常損耗に係るものは含まれ(ない)」(平成17年12月16日最高裁判例)として、その特約の有効性判断基準が定立されています。そこで、特約についての明確な説明をした上での合意がなされているならば、原状回復特約によって自然損耗・経年劣化についても賃借人にその修繕費用を負担させることは不可能ではないのです。
    適切な説明と合意がなければ、原状回復特約はいわゆる例文解釈がなされて効力が認められない場合があります。また、いくら当事者間で合意があったと認められても、例えば「賃借人は、本物件をその費用と責任で、本物件の竣工当時の状態に復した上で賃貸人に明け渡す」などという明らかに社会的妥当性を逸脱するような内容では公序良俗違反(民法90条)として、その合意は無効とされます。賃貸借契約においては、実際はともかく、賃借人の立場が弱いのだ、という発想で借地借家法の規定がされているように、賃借人に不利な内容はその効力を喪失するという扱いがされることが少なくありません。また、賃借人が消費者(居住用住宅などを個人で賃借している賃借人など)の場合には、信義則違反としてあの消費者契約法で原状回復特約の効力が否定されることもあります。

原状回復義務の発生根拠となる合意の注意事項
@ 原則 = 賃借人に原状回復義務はない
A 例外 = 特約による原状回復の合意
<特約の有効要件>
(1) 特約により賃借人に原状回復義務を負わせる必要性・合理性があること
(2) 合意内容による賃借人の負担内容が著しく賃借人に不利でないこと(信義則に違反する特約条項については制限解釈されて合理的な範囲内に義務を縮小される)
(3) オーナーから、具体的な修繕費用の範囲が契約書などに明記されており、その「通常損耗」についても賃借人が負担するものであることの適切な説明がなされ、賃借人が原状回復義務の内容を認識して了解したこと(不動活字による形式的文言は例文解釈されて効力を有しない危険はある)
(4) 合意内容が公序良俗に反しないこと(特約条項は無効となり、原状回復義務そのものをすべて否定する扱いがなされることもある)
<例文解釈>
     契約書や約款などにおいて記載されている定型的な文言などによる約定について、その規定を文言とおりに適用すると不当な結果を招来する場合に、その定型的な文言は「単なる例文」であるとした取扱をする解釈。簡単にいえば、契約書に記載はあるが当事者の合意はなされていないから法的な効力がないとするもの。
    賃貸借契約書や身元保証書、請負約款などでは、予め当事者の一方が用意した契約書や、市販されている定型書式による契約書などを使用することが多いが、そのような契約書などでは契約書などを用意してきた当事者にとって一方的に有利となるような文言があったり、あるいは定型的な書式を用いているために双方にとって不利益となる規定が含まれていることがある。にもかかわらず、契約書の文言をそのまま適用とすると、明らかに不当な扱いを受けることとなったり、双方共が意図していない規制を受けることがある(例えば、当事者双方が北海道の住人であるのに、管轄の合意で「東京地方裁判所を排他的な専属合意管轄とする」などとなっていると、わざわざ東京に出なければ裁判も起こせないなど)。このような結果の不当性を回避するために、問題となる約定については、当事者間で合意がされているものではないのに定型的に盛り込まれてしまっているだけの例文に過ぎないとして効力を否定するのが例文解釈。賃貸借契約における原状回復義務をめぐっても、一方的に相手方に不利となる契約条項を例文とした事例がある(「敷引」の例だが大阪地判平成7年2月27日参照)。
 


その2   事業用賃貸と国交省ガイドライン

   さて、賃貸借といっても居住用の住宅賃貸に限らず、オフィスや店舗などの事業用の賃貸物件もあります(事業用賃貸借といっても、そのような法律上や契約上の区分があるのではなく、賃借人が事業者であるということです)。また居住用住宅であっても、個人居住ではなく法人借り上げ(社宅の類)もあります。このように、賃借人も事業者である場合には、よく言われているような原状回復特約の効力の問題が大きく変わってくるといえます。
   まずは、国交省のガイドラインを見てみましょう。
   このガイドラインでは原状回復特約がある場合に、どの程度の修繕等が賃借人の負担になるのかについての区分も提示しています。しかしながら 国交省のガイドラインは、

   @  賃料が市場家賃程度の民間賃貸「住宅」を想定し、
   A  賃貸借「契約締結時」における参考にすぎないもの

でしかありません。Aのとおり、実際の裁判例でもガイドラインに違反した費用請求をされたのでその分を返還しろとという訴訟が起こされたもので、ガイドラインは行政が定めた指針でしかなく拘束力はない(横浜地裁平成12年4月28日・東京高裁平成12年12月27日)と判断されたものがありますが、それ以上に今回意味があるのは@です。民間の賃貸「住宅」を想定しているというのは、その意図において事業用賃貸借を外していることは明白です。従って、事業用賃貸借の場合には国交省のガイドラインはほとんど無視して構わないと結論づけられます。


   

その3   事業用賃貸借と消費者契約法

    消費者契約法では賃借人に不利な原状回復特約が信義則に反する場合にはその効力を否定します。賃貸人は通常は業として賃貸を行っておりますので(例え個人オーナーであっても、一定の収益を計るために賃貸しているのですから事業者になります)、賃借人が個人の場合には、賃借人にとって不利益な約定となっているものについては効力が認められないという扱いがされることがあります。しかし、事業用賃貸借の場合にはこの消費者契約法の適用は無視できます。同法では「『消費者』とは、個人(事業として又は事業のために契約の当事者となる場合におけるものを除く。)をいう」「この法律において『消費者契約』とは、消費者と事業者との間で締結される契約をいう」(消費者契約法第2条)としていますので、企業・団体や個人事業主が賃借人の場合には適用されないことが法文上も明確にされているからです。
    オーナーにとって一番やっかいな消費者契約法の適用がないということは、それだけでも大きなアドバンテージを持つことになります。また、原状回復特約の効力については、基本的に前出の最高裁判例(平成17年12月16日最高裁判例)のみを意識しておけばよいということになります。
 <消費者契約法第2条>
 この法律において「消費者」とは、個人(事業として又は事業のために契約の当事者となる場合におけるものを除く。)をいう。
2 この法律において「事業者」とは、法人その他の団体及び事業として又は事業のために契約の当事者となる場合における個人をいう。
3 この法律において「消費者契約」とは、消費者と事業者との間で締結される契約をいう。
 


その4   オフィス賃貸借に関する裁判例

  さて、以上を前提に事業用賃貸借の場合に原状回復特約がどのような効力を有するのかを過去の裁判例でみてみましょう。企業が賃借人となっている場合の裁判例を探してみますと、件数自体は極めて少ないのですが、個人住宅における事案とは正反対の結論が出ています。
     まず東京高裁昭和60年7月25日では、

@営業店舗用建物の賃貸借契約では、賃借人が自己の営業目的に合わせて内外装工事等を行う例が多く契約締結時の原状に回復することが常に合理的であるとは限らない、
A原状回復が賃貸人にとっても格別の意義がないことが多い、

ことから「原状回復義務の履行に当たっては、賃借人としては、賃貸人との協議の結果と社会通念とに従って、賃貸人が新たな賃貸借契約を締結するについて障害が生じることがないようにすることを要し、かつ、そうすることをもって足りるものというべき」との判断を示しています。前提として賃借人に(通常損耗以外の)原状回復義務があるとの判断だと考えられます。
   
   この裁判例の後にも、新築のオフィスビルの賃貸借契約に付された原状回復条項に基づいて、賃借人は賃借当時の状態にまで原状回復して返還しなければならないとした裁判例が出ています(東京高裁平成12年12月27日)。この裁判例では、「原状回復費用を賃料に含めないで、賃借人が退去する際に賃借時と同等の状態にまで原状回復させる義務を負わせる旨の特約を定めることは、経済的にも合理性がある」と判断しています。その理由をまとめると次のようになります。

< 東京高裁平成12年12月27日の判決理由>
@ 一般に、オフィスビルの賃貸借においては、次の賃借人に賃貸する必要から、契約終了に際し、賃借人に賃貸物件のクロスや床板、照明器員などを取り替え、場合によっては天井を塗り替えることまでの原状回復義務を課する旨の特約が付される場合が多い
A オフィスビルの原状回復費用の額は、賃借人の建物の使用方法によっても異なり、損耗の状況によっては相当高額になることがあるが、使用方法によって異なる原状回復費用は賃借人の負担とするのが相当である
B 原状回復費用を賃料の額に反映させるのは、賃料額の高騰につながるだけでなく、賃借人が居している期間は専ら賃借人側の事情によって左右され、賃貸人においてこれを予測することは困難であるため、適正な原状回復費用をあらかじめ賃料に含めて徴収することは現実的には不可能


    オフィスの賃貸借では、スケルトン状態で賃貸して賃借人がOA機器や通信回線の設置、内装造作などを自己の利便に併せて改装し、躯体部分にもかかわる設備工事が多いことが住宅の賃貸借とは異なるものです。また、住宅賃貸借では「オーナー対消費者」という当事者構造であるのに対して、オフィス・店舗賃貸借では当事者双方とも企業・事業主として対等であるという点も根本的に異なっているためと考えられます。結局、オフィス・店舗の賃貸借の場合には、オーナー側の工事費用が適切か否かの問題は発生しても、原状回復特約の効力そのものを真正面から否定されるリスクは低いと考えられます。この裁判例に従えば、オフィステナントや店舗などでは原状回復特約に基づき、通常の使用による損耗、汚損をも除去する原状回復義務を負わすことができることになります。
    事業用賃貸の原状回復特約の効力が争われた裁判例はその後もあるのでしょうが、公刊されている記録からは、上記の平成12年裁判例を否定するようなものは見あたりません。また、冒頭で引用した最高裁判例も民間住宅に関する事案ですし、特約の効力そのものを否定しているわけではありません。従って、様々な批判は受けていますが、現時点においてはこの平成12年裁判例が事業用賃貸借の場合の先例価値を持ち続けていると言えます。
 
その5   民間住宅と事業用賃貸借の違い

   原状回復費用の負担をめぐる敷金返還請求訴訟などの傾向をまとめると、(個人が賃借人となっている)居住用住宅の場合と、(企業などが賃借人となっている)事業用建物の場合とでは大きな違いが出てきていると見て良いでしょう(下記の一覧参照)。居住用住宅として賃借する場合と、オフィス・店舗として賃借する場合とでは原状回復特約の効力の有無に違いがあり、消費者保護法の後ろ盾のある居住用賃貸借と違って、事業用賃貸借の場合には原状回復特約の効力は広く認められていると考えて問題はなさそうです。

<原状回復特約の効力をめぐる裁判例の分析>
賃貸借の種類
(用途)
原状回復条項の効力の傾向 (理由)
居住用
(住宅)
例文解約、信義則、公序良俗による無効など、効力を制限・否定する傾向が強い 賃借人(消費者=社会的に弱い立場にいる)を保護するべき社会的要請が強い(消費者保護法が制定された社会背景事情)
事業用
(オフィス・店舗)
原状回復特約の成立と効力を肯定し、私的自治と経済原理を重要視することで、通常損耗を超過する原状回復義務まで肯定する事案がある @ クロス・床板・照明器具や天井塗替えまでの原状回復特約が付される慣行が多い
A 原状回復費用が、賃借人の建物の使用方法で異なるので賃借人の負担とするのが相当
B 原状回復費用を賃料額に反映させることは金額の予測が困難であり現実的には不可能
C 当事者双方が共に企業・事業主という対等の立場にある


その6   最後に

    原状回復特約の効力をめぐっては今でも様々な訴訟が起こされていますが、個人用居宅住宅の賃貸借に関する裁判例だけがクローズアップされている感じがします。そのためかかなりの裁判で敷金の全額返還を認める判決が出たり、ほぼ全額の返還をする内容での和解が成立しているものと思われます。オーナーが(あるいは実態としては管理会社が)、多少でも強引に押し切れば改修費用くらいは敷金を全額充填できると考えてあれもこれも請求(差引)してきているという事実もあるかも知れません。そのこと自体が許されるはずはありませんが、企業が賃借人の場合には、原状回復特約の有効性を認めた高裁レベルでの明確な判断があり、オフィスや店舗の賃貸借の場合には原状回復特約の効力についてそれほどシビアになる必要はないと考えられます。
    もちろん、最高裁判例があり、この射程が居住用住宅だけなのか事業用賃貸借の場合も含むのかが明確ではない以上、事業用賃貸でも適用されるという前提で対応するべきです。従って、原状回復特約によってテナント(賃借人)が経年劣化・自然損耗も含む修繕費用を負担する特約になっていることを明確に記載・説明し(管理業者であれば必ず重説にも記載しなければなりません)、その上で契約締結をさせることは不可欠です。
    今回は、「特集」に掲載されていない事業用賃貸借の場合に絞ったので比較的簡潔なまとめになっていますが、このページだけみても原状回復特約の効力の正確な理解は難しいと思いますので、是非「特集」(オーナー・管理会社のための原状回復と敷金返還・アパマン編)も参考にしていただければと思います。