さあてこんなタイトルで始まったこの文章。
何かというと、大分麦焼酎二階堂という焼酎、のコマーシャル、のお話です。(笑)
大分むぎ焼酎二階堂のテレビコマーシャル。
実はこれ、一つのアートとして、途轍もない大傑作ではないだろうかと私は思うのです。私が今まで見てきたコマーシャルで
感銘を受けたもの、心から興味を抱いたものはいくつもありますが、この二階堂のコマーシャルは
中でも群を抜いて説得力がある。
このコマーシャルのエッセンスは、「はじめてなのに、なぜか懐かしい」ということだそうです。
確かにそのとおりで、二階堂のコマーシャルは、時空を超えて語りかける透き通った懐かしさでもって
我々の心をガッチリつかんで離しません。
豊穣なる緑、零れ落ちるダイヤの如き水流、甘酸っぱい故郷の光景、古びた建物、人々の素朴な息吹、
さりげない音の合間を縫って流れる深みのある音楽(→註)、こういった一つ一つの要素が、
人を童心に戻らせてくれるような叙情的な概念を我々に語りかけてくれます。
この独特なあたたかさ、ノスタルジアがたまらない。思わず胸がじーんと熱くなるほど、美的センスを感じてしまうのです。
(註:このコマーシャルのBGMなんですが、製作用に特別に作られたもので、どこにも売っていないそう。う〜ん残念…。)
何気なくぽわんと浮かんだような無造作さ、しかし、すべてがあるべき場所に収まり、そしてその一つ一つの要素が
共鳴しあって、幻想的な息吹の光り輝く「ノスタルジア」という名の宝箱を、そっと慎ましやかに開ける。
それが、大分麦焼酎二階堂CMという壮大な世界なのかもしれません。
参考資料として、今まで放映されたコマーシャルの概要を列挙してみましょう。
毎年ヴァージョンが変わっているため、かなり多いものです。
(面白いのが、1991年以降に見られる、「白文字のワンポイント的な字幕が宣伝のエッセンスを伝える」というパターンの
定着化。これを見るだけで、いろいろなことが想像されてくるものです。)
過不足ない全セリフを見たいという人は、「〜篇」というタイトルをクリックしてくださいね。
※CMのロケ地に関しては、二階堂 酒造さんによるCM紹介のページにすべて掲載されておりますので、そちらをご覧ください。)
| タイトル | 放映年 | 受賞した賞 | コマーシャルの概要 |
| 「自然」篇 | 1987年 | 第28回 ACC地域CM部門優秀賞 | 雄大な自然を思いきりでかく映したあと、
自動車が行きかう忙しそうな夕暮れの街に画面が切り替わる。「自然も、街も、人も、みんなゆっくり…」のせりふが
しみじみとした響きを持って感じられてくる。 主な字幕:「いつ、来れますか……。」「いつ、逢えますか……。」「いつ、話せますか……。」「自然も、街も、人も、みんなゆっくり…」 |
| 「水の旅」篇 | 1988年 | 第29回 ACC賞 地域CM部門優秀賞 | 山に浮かぶ霧から始まって、小川、滝と、壮大なる水の旅を表し、「水はおいしく磨かれていく」という台詞が入る。キラリと光る麦のシルエットもGOOD。字幕は特になし。 |
| 「街の夢」篇 | 1989年 | なし | 商品のビンが、森をバックに、大都市のビルをバックに、猛スピードで飛んでゆく。そして長旅の最後、早回しに映される街の夕暮れ(with 日没)を バックにぴたりととまる。このリズム感が何ともいえずよい。字幕は特になし。 |
| 「刻のオブジェ」篇 | 1990年 | 第31回 ACC賞 地域CM部門奨励賞 | 海辺に佇む若い男性と、砂浜に落ちている古びた時計が映る。この男性が、海から帰ってくる魚を待って一杯飲む、という内容のナレーション。字幕は特になし。 |
| 「森のオルガン」篇 | 1991年 | 第32回 ACC賞 地域CM部門優秀賞、第31回 福岡広告協会賞銀賞 | 寂幕な森の中に佇むオルガンと木の机が映り、そして物悲しい三拍子のBGMが流れる。鳥たちはここで飛ぶことを学び、風は歌うことを覚えた、の台詞が印象的。 これ以後このコマーシャルの 定番となる、白文字の字幕がスタート。「人は誰も ここにくるたび不思議な力を思い出す」「ここで生まれてここにいる」の二つ。 |
| 「私の道」篇 | 1992年 | 第33回 ACC賞 地域CM部門優秀賞 | 線路が映り、そしてすぐさま夜行列車の画面に切り替わる。この瞬間、ホ短調のBGMで四度上の和音(「ラドミ」、ね)が響くのだが、それと、夜行列車の汽笛
の「ド♯ ラ」の響きが偶然だろうか絶妙のハーモニーを生んでいて秀逸。中間部に登場する、赤と黒の傘の舞いも印象的。後半で映るのは海、そして部屋に無造作に転がるビン…。 白文字の字幕:「風のみちが私のみち」 |
| 「文士」篇 | 1993年 | 第34回 ACC賞 地域CM部門奨励賞 | 文筆家、坂口安吾の写真が登場する(勿論白黒)。「いたずらがんこに、生きていく」という台詞が暗示するかのような、芯の強い顔をした彼が、
実にいい味出しているといえよう。 白文字の字幕:「誰にも似ていない、誰にもたどれない。」 |
| 「風が棲む町」篇 | 1994年 | 第35回 ACC賞 地域CM部門秀作賞 | 大きく映る坂を、かざぐるまを持って軽やかに走る子供。紙飛行機。温泉の湯煙。そして透きとおった神々しいコーラス。町の景観がいかにも風を連想させる大傑作である。ずばり、二階堂CM
の中で私が一番気に入っているものはコレ♪ 白文字の字幕:「風を操るのは誰だろう。」 |
| 「天文詩人」篇 | 1995年 | なし | 天文台とそこから見える満天の星、および人のいない古めかしい建物―――小学校。詩的な世界がそこにある。 白文字の字幕:「私のふるさとはこの星です。」 |
| 「シネマグラス」篇 | 1996年 | 第37回 ACC賞 地域CM部門ACC賞 | 今にも崩れ落ちそうな朽ち果てた小さな映画館、それに入り一人で映画に見入る若い男性…思い出に浸っているのだろうか? 白文字の字幕:「帰るべき刻と たどり着く夢…」 |
| 「木登り」篇 | 1997年 | なし | 白いドレスの女性が大きな木にのぼり始め、葉っぱの寝床でちょいと一杯、という、今までとは少し趣向を変えたコマーシャル。ナレーションも女性(因みにこの年以外はすべて男性)。「グラスに映るのは、本当の私です」の台詞が
決め手。 白文字の字幕:「心のふるさとにお帰りなさい。」 |
| 「刻の迷路」篇 | 1998年 | 第39回 ACC賞 TV-CM部門ACC賞 | 古い街並みや、一人遊びをする子供たちの描写など、映像の配置が素晴らしい。これも傑作といえる。(特に、忍者の格好をしておもちゃの刀を構える子供が面白い。(笑)) 最後に出てくる古本屋で主人公が本に挟まった映画の
チケット(?)に見入っているところなどは、やっぱりこのCMなんだなぁと感心する。(あと、そのチケットを見入るシーンで何気なく視界に入る本が
石川達三の「青春の蹉跌」なのが、心憎い演出といえよう。) 個人的には、94年版「風が棲む町」の次に気に入っているCMである。 文字の字幕:「置き去りにされた 刻の迷路…」 |
| 「旅人の車窓」篇 | 1999年 | なし | チョコレート色のこれまた古めかしい列車(因みにJR小野田線らしい)で旅する夫婦。埃っぽい列車に差し込んでくる陽光が特に絶妙。 白文字の字幕:「たどるのは風の道 誘うのは刻の余韻」 |
| 「風の海峡」篇 | 2000年 | なし | 郷愁に彩られた海峡と、変ホ短調BGMの重々しさがマッチしていて心地よい。黄昏時の建物で逢った男女が海峡で別れていく時に映る女性のシルエットなど、この物悲しさ、切なさが心を打つ。 これも、94年版「風が棲む町」に続いて私が好きなCMだ。 白文字の字幕:「海峡は―――夢の足跡でいっぱいでした。」 |
| 「雨宿り」篇 | 2001年 | なし | コートを着た男が、一人雨宿りをしている。雨の醸成したる薄暗さの中に佇んでいると、ふと彼の脳裏によぎったのは、昔の想い出。―――雨に濡れたる女学生の姿だった…。
雨に浮かびたるしっとりとした想い出と、雨上がりの爽やかな透明感との対比が見事。
白文字の字幕:「雨が連れてきた想いは、どこへ流れていくのだろう。」 |
| 「父」篇 | 2002年 | 「Brand of the year 2003 消費 者が選んだ今年のCM好感度ベスト1000銘柄」入賞(988位) |
「父親」という、かなり具体的にぐっと迫ってくるようなモチーフが
特徴的。(だが一方で、謎めいたセリフがさまざまな憶測を可能にしている。)
主人公は、成長した今の自分を知ることなくして亡くなってしまったであろう父親と、
まさに今、遥かなる時空を超えてすれ違う…。ノスタルジア溢れるセピア色の景観は勿論健在である。
白文字の字幕:「私の知らない父と 父の知らない私が 坂の途中ですれ違う。」 |
| 「遠い憧れ」篇 | 2003年 | 第43回福岡広告協 会賞TVCM(16秒以上)部門銅賞 |
バレエ教室の美しい少女を、外から眺めている少年。…そう、誰もが一度は経験したことがあるだろう、
幼いころの甘酸っぱい初恋である。場末の小さな店で、そんな思い出を肴にちょいと一杯呑んでいる、
男の背中。何だか文学的な薫りもする不思議な一品だ。
白文字の字幕:「囁きかけるのは、遠き日の憧れか…」 |
| 「詩人の島」篇 | 2004年 | 第44回福岡広告協 会賞TVCM(16秒以上)部門銀賞 |
洋上にぽつんと浮かんだ小さな島で、今日も、その男は一人ぼっちで気ままに暮らしている。海と空に心
を洗われ、無限の宇宙に想いを馳せながら…。孤独なる隠遁者という点ではシャミ
ッソー著「影をなくした男」と同じようなモチーフだが、暗さよりも、すっきりとした後味が
残る。なお、放映開始数ヶ月後、BGMが変更になっている。
白文字の字幕:「きのう見た波は、いつかここに還ってくる。」 |
| 「砂丘の図書館」篇 | 2005年 | なし |
想い出や郷愁を語るというところでは今までのCMと共通しているが、演出
のシュールさが特筆すべき点。砂丘に積み上げられた子供時代の思い出の
品の数々から、懐かしさに浸るというよりも、懐かしさの混沌の中へと引
き込まれるような錯覚を覚える。迷いながら、悩みながら、現在を懐かし
さの混沌の彼方へと置き去りにしていく人々の魂の叫びこそが、白文
字の字幕に記されているのかもしれない。 なお、作中で 朗読されている詩は、「風とらんぷ」という詩集からとった、「空のディレ クターたち」という詩だそう。(ここに全文を掲載しておきます) 白文字の字幕:「人生に、答えは必要ですか」 |
| 「未知の力」篇 | 2006年 | なし |
まさに初期の二階堂CMに回帰したかのような、“水の旅”の性格を帯びたCMといえるかも。ダ
ム、水道橋、虹色に彩られたコンクリートを流れゆく水。そして、仄暗いプール
に一人佇む神秘的な少女。想い出か、憧れか。めぐりゆく水の旅に、めぐりゆく人生を映し出
し、そして自らを見つめなおす…。
白文字の字幕:「そこから 未知の力が 湧き出している。」 |
| 「文字のかけら」篇 | 2007年 | なし |
タイトルのとおり、文字をふんだんに使った演出が特徴的なCM。今までは風景やオブジェが主だ
ったため、それだけ斬新である。心の中に生き続ける想い出のかけらたち、もう目に見えるかたち(文字)には
しておきたくないのだ。ずっと、ずっと、自分の心の中だけのもの。そう、大切なことは目に
見えないのである。(by アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ) なお私には、冒頭の「イエスとノー」の言葉が、とても官能的に響いて、英語なのにフランス語のようにも聴こ えた。学生の頃観た白黒のフランス映画をふっと想い出したのだった(笑)。あ、念のため、私は英語嫌いでもなんでもないです。(^-^;) 白文字の字幕:「時代という言葉が 少し耳ざわりです。」 |
| 「消えた足跡」篇 | 2008年 | なし |
今までと比較して登場人物が多い。修行僧、アイスクリーム屋(?)、そして、主人公の幼馴染や家族ら
しき面々。若き日に郷里を後にした主人公が郷里に帰って見たものは、変わらないところと、変わったとこ
ろ両方なのだろうか。昔と変わらぬ面影を残した小路、潮の流れに飲み込まれた小路。時の流れは常に二面性を持ちつ
つ、想い出や後悔もろとも、人々を飲み込んでいく。
白文字の字幕:「一生に何回 後悔できるだろう。」 |
| セリフ |
| いつ、来れますか…? いつ、逢えますか…? いつ、話せますか…? 自然も、街も、人も、みんな、ゆっくり、もっと、ゆっくり…。 大分むぎ焼酎、二階堂。 |
| セリフ |
| 人知れず、彷徨いながら、たゆたいながら、水は、おいしく磨かれていく。 大分の、おいしい水と出会って、私は麦だけの焼酎になる。 大分むぎ焼酎、二階堂。 |
| セリフ |
| 風の気持ちも、光の想いも、知っている。
すべてが隙間なく、
私の心に重なり合う。 街は今日も、ふるさとの夢を見ているのか…? 麦100%が、原点。大分むぎ焼酎、二階堂。 |
| セリフ |
| 海から抜け出した魚たちが、今夜帰ってくる。 大地の上で、彼らは一体、どんな夢を見たのだろう。 聞こえてくるのは、魚たちの夢の話。彼らの夢を肴(さかな)に、今夜も…。 麦100%。大分むぎ焼酎、二階堂。 |
| セリフ |
| この星が生まれたばかりの頃、鳥たちはここで翔ぶことを学び、風は歌うことを学んだ。 ここで生まれて、ここにいる…。 私は麦100%。大分むぎ焼酎、二階堂。 |
| セリフ |
| 風の道を辿って、旅は始まる。 忘れていた夢に出会い、見知らぬ刻(とき)に触れる。 私の旅は、終わりのない旅かもしれない。 風の道が、私の道。 麦100%。大分むぎ焼酎、二階堂。 |
| セリフ |
| 東にいれば、西へゆきたい。春が来れば、冬が恋しい。 いたずらがんこに、生きてゆく。そんな時代がありました。 誰にも似ていない、誰にも辿れない。 麦100%が私の生き方。大分むぎ焼酎、二階堂。 |
| セリフ |
| その呟きは、やがて街に温もりを宿し、ため息は、懐かしい時間を映し出す。 風が、描く。刻(とき)を、描く。私は、おいしい風を知っています。 麦100%。大分むぎ焼酎、二階堂。 |
| セリフ |
| 幾千、幾万光年の彼方から、星たちは、どんなメッセージを伝えようとしていたのだろう。 満天の星が、今宵も天文詩人たちを悩ませる。 いつも、新しい輝きと、新しい生命(いのち)。 私は麦100%。大分むぎ焼酎、二階堂。 |
| セリフ |
| 探していた想い出に、人は、どこで追いつけるのだろう? 人はみな、帰るべき刻(とき)があり、辿りつく夢がある。 夢から覚めて、ここにいる。 私は麦100%。大分むぎ焼酎、二階堂。 |
| セリフ |
| ただいま。 グラスに映るのは、本当の私です。 麦100%。大分むぎ焼酎、二階堂。 |
| セリフ |
| 風追い街、誘われ道。
置き去りにされた刻(とき)の迷路で、物語は今も続いている。 私の住処(すみか)は、ここにあります。 麦100%。大分むぎ焼酎、二階堂。 |
| セリフ |
| 生まれたばかりの風が、窓から飛び込んでくる。 旅人のほろ苦い後悔は、やがて美味しい溜め息に解きほぐされていく。 私は麦100%。大分むぎ焼酎、二階堂。 |
| セリフ |
| 確かな言葉は、誰も、持っていませんでした。 海 渡る。風 渡る。 懐かしさは、不思議な力を持っています。 私は麦100%。大分むぎ焼酎、二階堂。 |
| セリフ |
| 刻(とき)の我侭に流されて、私は、記憶の海に辿りつく。 ふるさとは、私の中に流れています。 麦100%。大分むぎ焼酎、二階堂。 |
| セリフ |
| 私の記憶に、いつも後姿で現れる人
がいる。 あの頃、あなたが口にしなかったことばに、いつか 私は、たどり着くのだろうか…? ずっと、麦100%。大分むぎ焼酎、二階堂。 |
| セリフ |
| 錆びついていた時計が、再び時を刻みはじめた。 縺(もつ)れた糸はほどけ出し、古びた迷路は、ひとすじの道になる。 麦100%は、私のふるさと。大分むぎ焼酎、二階堂。 |
| セリフ |
| 水平線をひいたのは、空があまりにも空だったから。 夜空に星をまいたのは、地球という星を忘れそうだったから。 私は、私のままでここにいる。 そして、麦100%。大分むぎ焼酎、二階堂。 |
| セリフ | 作中で朗読される詩「空のディレクターたち」全文 |
| 「夢を持て」と励まされ、「夢を見るな」と笑われる。 ふくらんで、やぶれて、近づいて、遠ざかって…。 今日も、夢の中で目を覚ます。 麦100%。大分むぎ焼酎、二階堂。 | ピュウ ピュウルル〜 いつまでも いつまでも 風は 吹き続けるのでした。 橡の実を運んできた 西の風も ガラスの絨毯を広げた 東の風も 《風の操縦士》たちの手によって それは見事に 鮮やかに 幾度も 幾度も 旋回を 続けるのでした。 ヴォン ヴォオオ〜 そして 鮮やかな茜雲が キラキラと光り始まる時間から せっせと 雲のグゥロウブに 柔らかい命を吹き込み続けていた 《雲の設計士》たちは とても疲れていて いつしか とても とても 深い眠りに落ちて行ったのです。 |
| セリフ |
| 逆らいながら、奪われて、 流されながら、見失う。 誰もが、その戸惑いの中から、学ぶのだ。 嗚呼…、本当の私に帰ってゆきます。 麦100%。大分むぎ焼酎、二階堂。 |
| セリフ |
| イエスとノー。その二つの間には、何もないのだろうか。 筆を走らせたのは、宙ぶらりんの想いでした。 想いのかけらは朽ちることなく、ざわざわと心を揺らします。 私はまっすぐ麦100%。大分むぎ焼酎、二階堂。 |
| セリフ |
| 近道は、遠回り。 急ぐほどに、足をとられる。 始まりと終わりを直線で結べない道が、この世にはあります。 迷った道が、私の道です。 大分むぎ焼酎、二階堂。 |
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