野球帝国の危機

街から、笑いが消えた。

人々は、恐怖に慄いていた。

西暦2020年。平和な筈だった日本野球帝国に、重く恐ろしい影が圧し掛かったのである。

第三話「野球帝国の危機」


二大潮流

西暦2018年に巨人党が第一党となって以来、ダブル党首となった松井秀喜・高橋由伸の二人は、排他的な政治を進展させた。そして翌2019年には、全権委任法を国会で通過させ、両者で野球帝国大総統に就任、あらゆる中央集権政策を行う。巨人第一主義がとられ、他党はあっという間に解体させられる。反抗する者は悉く逮捕、監禁。……あの、野球帝国創立間も無い頃の警察政治が、戻って来てしまったのだ!!

2020年。街には巨人党の一党独裁を象徴づけるオブジェの数々が溢れるようになった。

街角の至るところに、あのYとGのマークの旗がはためき、あちこちに「ジャビットくん」の銅像が建てられた。時折道路を我が物顔で走行する戦車には、巨人軍ユニフォームに身を包んだ戦車兵の姿がよく見かけられる。

マツイズムとタカハシズムという、思想の二大潮流が吹き荒れていた。マツイズムは、筋力特に下半身の強化によって長打力獲得を目指す思想。タカハシズムは、バットコントロールを始めとする技術UPによって巧打者たることを目指す思想。マツイズムとタカハシズム両者の席捲は、二人の大総統の権力がうまくバランスされていることの証左でもあった。

街は常に、異様な緊張感に包まれていた。巨人党の一党独裁と時を同じくして始まった警察政治は、民衆を恐怖のどん底に陥れる。以下では、そのおぞましき残虐なる警察政治―――「ジャビット政治」とも言われる―――を簡単に解説しよう。


ジャビットくん

向こうから、三台の戦車がやってきた。やがて三台は、ある建物の前で止まる。前にいた二台のコックピットがそれぞれ開き、中から、巨人軍のユニフォームとヘルメットを身に纏いバットの形をした銃剣を持つ警察隊隊員が何人か現れた。

そして残りの一台から、同じくバット型銃剣を持ち、ぬうっ、と現われ出た者があった。

ジャビット君である。

松井・高橋の両総統は、かなり前からジャビット君のぬいぐるみを着て日常生活を営み政治活動をしている、と噂されているのだ。しかし、その本当の姿を見た者は誰もいない。

その、ジャビット君が、すなわち総統自らが、戦車に乗って登場したのだ。

周囲の市民は、畏敬の念を表し、直ちに後ずさりした。

―――おい、見たかよ、総統だ……。

―――総統御自身がか……。

―――何が起こったんだ、一体?

みなは、ひそひそとこのような会話を交わし、そして総統に敬礼した。

………暫くすると、戦車の横付けされているビルの入口から、若者が三人、警官の付き添いとともに、後ろ手に手錠をかけられてすごすごと出てきたのである。もう一人の警官は、彼らが所有していたと思われる、阪神の半被とメガホンを、押収物品として携えていた。


阪神党

総統自らも立ち会ったのは、未だに都市部を中心にゲリラ活動を繰り広げる、反巨人分子たる阪神党の残党の逮捕というイヴェントであった。巨人党の一党独裁と圧政に抗議して執念深く反乱工作や暴動を展開する阪神党は、巨人党の悩みの種なのである。

この時の阪神党の逮捕は、街角での抜打ち検査が端緒であった。

このあたりに阪神党のアジトがありそうだ、と睨んだ私服警官が、通行人に対して、恒例のテストを行ったのである。そのテストとは、1985年に阪神タイガースを優勝へ導いた偉大な人物、ランディ・バースの写真を、踏むという、所謂踏み絵。

あらゆる人々が、躊躇することなくバースの写真を踏みつけた。しかし、アジトの周りをうろついていた青年が、警官の「踏め」という言葉とともに、がたがた震えだしたのである。

―――うう……。

―――どうした、早く。それとも踏めないのか?

―――……。

―――……貴様阪神党だな?

―――……やっぱりだめだ!! バース様の写真は踏めん!! みんな、ごめん……。

ついに、彼は白状したのだった。

この後にもう二人同じ様な調子でひっかかり、合計三人が阪神党の残党として逮捕されるに至ったのである。


決して喋らない総統

総統、すなわちジャビット君は、全く喋らずに、手で二人の警官に何やら指図した。

警官二人は、

―――了解!!

と一言残して、戦車のコックピットを閉める。

ジャビット君も、手慣れた手つきでコックピットを閉めた。

阪神党の青年たちを乗せた三台の戦車は、再び発進した。

……ジャビット君は、決して喋らない。理由は謎なのであるが、おそらく、喋っても聞こえないのであろう。

そして、ジャビット君は、もちろんのこと表情を崩すことは全くなく、常にあのにこやかな顔をしててきぱきと警察隊に命令を下すのだ。

それらの要素が、総統の計り知れない恐ろしさを醸し出していた。

これが、「ジャビット政治」と恐れられる、警察政治……の、ほんの一部にすぎない。


阪神党地下組織

その日の夜のこと。

一人の中年男が、背広姿で、夜道を歩いていた。

こつ、こつ、こつ、という靴音は静かに響き渡る。

と、ここで突然、男の表情が劇的に変化した。

男は、さっと首を回し辺りに誰もいないのを確認すると、道路脇のマンホールのそばに駆け寄った。

そして、素早くマンホールの蓋を開けた。容易く開けられる仕掛けになっているのであろう。

男はすぐに穴へ潜り込み、蓋を戻すと、遥か下へとのびる梯子を急いで下って行った。

そこは、阪神党のアジトの一つであった。小さな部屋には、長いテーブルが数個と椅子が十個ほどあり、そこに厳粛な雰囲気を漂わせつつ座っているのは、皆、阪神の半被を着ている者たちばかりであった。そして、そのうち数人は、タイガーマスクまでつけていたが、上座と思われる場所に座っている一人だけが、あのタイガースのマスコットである「トラッキーくん」のぬいぐるみを全身に纏っていたのである。壁には、中央部にあのバースのポスター、左脇と右脇には新庄剛志や掛布雅之等いろいろなポスターが貼ってあった。

男は、背広を脱いだ……背広の下に着ていた阪神タイガースの半被があらわになった。

―――遺憾です!! 今日また三人、若い衆がパクられました!!

男は、開口一番、このように叫んだ。

―――なにぃ?

―――またしてもか……。

「トラッキーくん」以外の全員が、溜息をもらす。そう、トラッキーくんも、全く喋らないのである。理由はやはり謎。

男はこう続けた。

―――党の潰滅だけは避けねばなりません。しかし……。

―――このままずっと地下に篭っているわけにもいかない、ってんだろ。

タイガーマスクをつけた者の一人が呼応した。

―――そうです。

と男。

別の、タイガーマスクをつけた者が、そこで「トラッキーくん」にこう言った。

―――首領、そろそろ計画を実行してもいい頃ではなかろうかと思われます。

すると、トラッキーくんは、何も言わず、ただ大きな頭を揺り動かして頷いてみせた。

途端に、

―――そうだ、実行だ!!

―――にっくきジャビットを暗殺するんだ!! この神聖なる阪神タイガースのメガホンの一撃で、暗殺するんだ!!

―――賛成!! あの総統、松井と高橋さえいなければいいんだ!!

……と一同盛り上がる。

そこで、タイガーマスクをつけた一人が高らかに叫んだ。

―――そうと決まればぐずぐずしてる暇はない。早速計画について綿密な議論をしようじゃないか!!


暗殺計画

一週間後。

ジャビット二人の暗殺に起用されたのは、入党三年目の若者であった。

彼は、懐に阪神のメガホンの形をした棍棒を忍ばせ、首にカメラを下げて新聞記者のふりをし、何くわぬ顔で総統のいる国会議事堂に潜入した。

目指すジャビット君は、個室で、扉の開いた入口に背を向けて、スポーツ報知を読みながらひなたぼっこをしている。

絶好のチャンスだ!! 彼は、そう悟った。

彼は、ジャビット君の背後からそっと忍び寄り、懐のメガホンを咄嗟に取り出すと、………ジャビット君の脳天に一撃をお見舞いした!!

ガッッ!!!!!

……不意をつかれたジャビット君は、椅子から転げ落ちる。

若者の手には、じいんとした痺れが残った。かなり手ごたえが来ていた。

しかし、まだ息絶えていないかもしれない。若者はそう考えると、ジャビット君の反応を見守り、再びメガホン型の棍棒を上段の位置に構え、攻撃の姿勢をとった。

……ジャビット君は動かない。

その時、若者の背後に、ぬうーっ、と出現した、あのうさぎの耳の如き二つの長い突起をもつ影法師―――もう一人のジャビットくんの影法師―――に、彼は気づかなかった……!!

影法師は、バットを振り上げた。そして一撃が振り下ろされた。

若者は、倒れた。

―――む…ね……ん……。

その瞬間、何と、今まで倒れていた方のジャビット君が、ひょいと起き上がったのである。

ジャビット君の頭は鋼鉄製だったのだ。

二人のジャビット君は、やはり言葉を発することなく、「いっちょあがりっ」という調子で、にこやかに互いの手を打ち鳴らした。

……こうして、阪神党の総統暗殺計画は、見事に失敗したのである。


恐怖政治の終焉

2021年。

とどまる所を知らず勢力を伸長させつづける巨人党は、遂に、対外侵略を開始した。

韓国球団の併合である。あっという間の出来事であった。

そして次に、台湾も同じくして併合。

「野球ある所に巨人あり」のスローガンのもとに、今や巨人党は世界野球国家という野望の実現に邁進していたのだ。

アメリカ合衆国―――メジャーリーグ―――への侵攻も時間の問題、という所まで来た、その時。まさにその時、あの衝撃的事件は起こったのである。

その日の昼下がり、黒いシートを内部に張り巡らせたワゴン車が、国会議事堂の前で止まった。中から出てきたのは……何と、阪神党首領の、あのトラッキーくんではないか!! 一同、大騒ぎになる。

―――阪神党だ!! 首領だぞ!!

―――警察だ!! 警察を呼べ!!

周りの人は口々にこう叫び、そしてすぐに恒例の警察隊がやってきた。

超危険人物が白昼堂々と姿を現したので、警察隊はあのバット型の銃を構えて周囲からトラッキーくんに迫る。

―――抵抗すれば射殺する!!

警官隊の一人がこう叫んだ。

緊張感が最高潮に達する。その瞬間。

―――まぁまぁ、みなさんちょっとタイム、いわゆるひとつのタイムですね。

何と、トラッキーくんが喋った!! 長年全く喋ったことの無いはずだったトラッキーくんが喋ったのである!!

その声は、どこかしら聞き覚えがあるようなものであった。

トラッキーくんは、そしてぬいぐるみの頭の部分をスッポリはずした……その顔は、何と…

―――ミスター!!

―――巨人党の最高神と謳われるミスターじゃないですか!!

―――おお、どうして阪神党の首領などに?

いろいろな言葉が飛び交う。何と、トラッキーくんの正体はあの長嶋茂雄だったのだ!!

水戸黄門登場のシーンの如く、周囲の人々はいつのまにかみな額を地面にこすりつけるようにして一礼していた。

―――わけは、こうです。

長嶋は、切り出した。

―――まぁねぇ、何て言うんですか、いわゆる一つの社会実験をしたかったんですよ。それで、わざわざ敵の首領になりすましたというわけです。要するにね、松井と高橋によって巨人はどれくらい平和な政治を行えるか、と考え、思いきって私は阪神党の首領として身を隠し、二人の政治手腕を外から観察しようと思い立ったんです。

―――そして?

警官の一人……未だに呆然とした表情だったが……が聞き返した。

―――しかし、それは失敗であった。

と、長嶋。

―――なぜ?

―――それはですね、当の松井と高橋による「ジャビット政治」が、影武者ばかり使っていて、自分達は先頭にたって政治を行うことなく隠居してるからなんですよ。だから恐怖政治に陥ってしまったんですね。

―――ええっ? それじゃ、あのジャビットは影武者だったのか?

―――そのとおりです。ほら、二人とももういいだろう。ぬいぐるみを脱ぎなさい。

長嶋がそう言うと、ジャビット君の二人は、すごすごとぬいぐるみの頭部を外した……

―――仁志!! 二岡!!

―――松井と高橋じゃなかったのかよ!!

みなは口々にこう叫んだ。そう、今までジャビット政治の上にあぐらを掻いていた専制君主たる影武者とは、仁志と二岡の二人だったのである!!

―――いや〜、ばれちゃいましたね〜。

―――監督、じゃなかった長嶋さん、専制政治ばかり行ってごめんなさい。

しかし民衆は、口々にこう叫ぶ。

―――ごめんですむか!!

―――監獄にいる夫を今すぐ釈放して!!

―――ジャビット政治も終わりだ!! 貴様ら政治犯は、我々の手で裁いてやる!! 覚悟しろ!!

民衆の怒りは、今まさに爆発寸前であった。

しかし、長嶋はこう言った。

―――まぁまぁまぁ、私の仕組んだ一つの社会実験だった、ということで、どっきりカメラみたいなものだったとして、まぁねぇ、ここは私の顔に免じてみんな許してやって欲しいと思いますねぇ〜。水に流す、と言いますか、いわゆる一つの和睦です、はい。

民衆は、長嶋の顔、そして穏やかな語り口によって、今までの圧政のストレスもいつしか忘れ、平和な気持ちになっていた。まぁいいや、という気持ちが彼らの中に蔓延していった……。

そう、長嶋のこの一言によって、ジャビット政治はすぐにその幕を下ろしたのである。韓国・台湾からは、渚の波の如く膨大な軍隊が撤退し、街にはびこるYとGのマークやジャビットくんの銅像も撤去され、巨人第一主義の廃棄と多党の権利の承認、およびいろいろな事がこの長嶋の一言によって驚くべき速さでなされていった。

長嶋は、平和の神様だったのである。

おしまい


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