第二回ヨーロッパ旅行記 第二回欧州旅行記


第一日目(成田〜フランクフルト)
第ニ日目(ロマンティック街道、ミュンヘン)
第三日目(ノイシュヴァンシュタイン城など(ロマンティック街道続き))
第四日目(ミュンヘン〜インスブルック〜ヴェネチア)
第五日目(ヴェネチア)
第六日目(ヴェネチア〜フィレンツェ)
第七日目(フィレンツェ〜ピサ〜ミラノ)
第八日目(〜成田)


第一日目(成田〜フランクフルト)

いに私は、2002年夏、第二回目のヨーロッパ旅行を敢行するに至りました。
今回のコースは、南ドイツ、オーストリア、そして北イタリアという、前回 通ったところとは全く重ならないところ。そして、前回とは大きく違うのが、 宿や飛行機を旅行会社に頼むことをせず、完全に自由な旅行であるということ。 そして、一人ではない家族旅行であることです。(ついでに、行きと帰り以外 は移動手段に飛行機を使わなかったことも前回と違うところかな。)

(日本列島を抜ける瞬間(新潟県あたり))

行きの飛行機は前回と大体同じようなコースを飛びました。日本とドイツとの 時差は7時間なので、成田を昼下がりに出てフランクフルトに夕方につく、という感じです。
さて飛行場に降り立って驚いたのが、(フランクフルトに限らないのですが)街が昼間 でも非常に明るいことでした。前回行った時期よりも夏至に近いのと、ヨーロッパ特有の 緯度の高さ&サマータイム制によるものなのですが、夜の八時でもまだ太陽が明るいまま というのは、理屈でわかっていてもいざ自分が体験してみるとかなりびっくりで す。(当然、冬は昼が極端に短い。 もっと緯度が高くなると、所謂「夏に白夜、冬に太陽が全く昇らず」という世界に なるわけです。日本はなんだかんだいってヨーロッパのほとんどの国々よりも 低緯度地域にあるので、なかなかピンとこない話ですよね。)

(文豪ゲーテ)
フランクフルトの飛行場からホテルまでは地下鉄で数駅の距離。荷物を預けた後、 早速、家族ともども名物のソーセージ&ビールの賞味に繰り出す支度をします。(笑) 
(余談ですが、駅からホテルまで歩いていく途 中、
こーんな日本語表記を発見。(笑)  文字がさかさまですが、日本語を知らない現地のスタッフが間違えたのかも?)

さて、フランクフルトは戦後西ドイツの経済を支えた商業の街として有名であり、道路は広く 高いビルも立ち並ぶ、かなりの大都会です。しかし、古い町並みも場所によってはかなり 残っているもので、今回はそちらへ行ってみることにしました。フランクフルトに 住んだという文豪ゲーテの銅像を左手に見つつずっと歩き、ライン川の支流マイン川のほ とりの立ち飲み屋に入って、早速一杯。ビールの 印象はというと、「重たいわりにすっと喉にはいりやすい」ような、独特の心地よさを もったビールでした。(やはりこれが本場の味?) そしてソーセージのほう はというと、これはもうボリューム満点!! 日本で一般に売られているいわゆる 一般的なソーセージよりもずっと図体がでかく、コクがあります。マスタードを景気よく 大量につけてくれるあたりも嬉しいところ。ビールの重さによくマッチしていて、 素晴らしいの一言でした。

ほどよく食べ&呑んだあとは、一家揃っておとなしくホテルへ帰って寝ます。
そうそう、途中で入ってみたデパートの書籍売り場には、予想通り、 ワールドカップの雑誌やオリヴァー・カーンの写真集が置いてありました(読めない から買わなかったけど…)。四年後の開催国であるドイツは、きっとまた健闘してく れることでしょう!! 



第ニ日目(ロマンティック街道、ミュンヘン)

食はヴァイキング方式で、期待通りヴォリューム満点。(笑) 内臓のスペックが人の何倍もある 私は、朝からいきなりたくさん食べてしまいました。(^-^;)  特にスモーク サーモンがおいしかったですね。あと、ひとつだけナゾなメニューがありました。 家族は「ヌードルもどき」と呼んでいたのですが、要するに、 ラーメンスープみたいなものです。銀の大鍋に、薄いスープと少量の麺が入って いるというただそれだけのものなのですが、ためしに食べてみるとこれが なんとも味が薄い!! おまけに、麺が柔らかすぎてまるで流動食のようで す(伸びちゃっただけかもしれないけど)。食べた気があまりしないようなシロモノでありました。

(ヴュルツブルクの美しき花壇)
ロマンティック街道をみてまわる観光バス(日本の運営している観光バスはめちゃくちゃ 高額ゆえ、現地の観光バスを予約していた)に乗るために、指定されたバス停へ 七時半に行きます。ところが、ガイドブックの手違いなのか、どうやらこの バス停には何も来ない模様。あわてて一家揃ってバスの予約取扱所に確認しに 行き、漸く正しいバス停を探り当てることができました。(スーツケースを引き摺りな がらの移動は、予想以上に大変。)
こうして乗ったバスは、フランクフルトを出、既に高く日が昇ったヨーロッパの 大地を、南東へひた走ります。

二時間近く走り、バスは漸くロマンティック街道の起点であるヴュルツブルクに 到着。この街は大学都市&会議都市として有名だそうで、のどかに走る市電と、 広場を彩る鮮やかな花壇が特に印象的でした。自由時間はたった15分しかなか ったのですが、とりあえず歩きまわってみたのでした。

申し送れましたが、ロマンティック街道について少しだけ説明させていただきましょう。 ロマンティック街道とは、中世のころに発達した「ドイツ〜イタリアを結ぶ幹線道路」 であり、その沿線に残された中世の古城などの遺跡が今でも多く残っているのが 一番の魅力であります。起点は前述のヴュルツブルク、そして終点はアルプスの 麓のフュッセン。約350キロに渡る街道です。
因みに、日本版ロマンティック街道というのもあって、こちらは 小諸―草津―沼田―日光市を結ぶ約230キロの街道だそうです。 (この「日本ロマンティック街道」、何でも1988年に本場ドイツロマ ンチック街道と「姉妹街道」を締結したみたい。「姉妹都市」ならよく聞くけど、 「姉妹街道」というのは初耳であります。)

(指貫博物館)
ヴュルツブルクを切り上げ、バスはひたすら南へ。約30分後、ヴァイカースハイムに 到着します。ここは、ホーエンローエ伯爵の居城で、ヴェルサイユ式の植え込みが 有名とのことだったんですが…残念ながら時間がなくてあまり見られませんでした(悲)。

バスはまた走り出します。12時を少し過ぎたところで、クレグリンゲンという小さな街 に着きました。ここのヘルゴット教会では、16世紀の南ドイツで活躍した彫刻家である リーメンシュナイダー(1460〜1531)の手による、マリア祭壇を見ることができました。 いつも思うことなのですが、彫刻の中でも特に木の彫刻、一体どうやったらあれだけ 美しく整った細密なものが創造できるんでしょうねぇ…驚嘆させられるばかりです。 石と違って木というものは、 生きているものであり、それだけにものすごく繊細な材質なのでしょうが、そこから あれだけのものを創造してしまう人類の叡智とでもいうべきものに、私は心から 敬意を払いたいと思っております。
また、道路をはさんでヘルゴット教会の反対側に、指貫博物館という珍しい博物館が ありました。この地方は、陶器でできた指貫の生産が盛んらしいのですが、こんな 博物館まであるとは知りませんでした。(時間がないから入れなかったけど…。)

バスは漸く、今日の目玉であるローテンブルクに入ります。ローテンブルク…それは、 「タウバー渓谷に光り輝く中世の宝石」と謳われる、中世都市景観の集大成ともいうべき 美しき街です。ここでバスは二時間近い休憩時間を設けてくれました。
街はすべて城壁で囲まれています(中世当時の都市は自衛のための城壁を持つのが 常)。ひとたび城壁の門をくぐると…一面に広がる中世の建築が我々を待っていました。 どこまでも続く蒼穹の下に広がるカラフルな家々、まるでおもちゃの街のよう!!  幼い頃はまったLEGOブロックを思い出してしまいました。(笑)

(ローテンブルクの家々)
さて、そのローテンブルクの街を見下ろすべく、見晴らしがいいときく ローテンブルクの市庁舎の鐘楼(実際に鐘が設置されている)に登ることにします。 しかしこの市庁舎が思ったよりもかなり手ごわいものでした。どういうことかというと、 上に行けば行くほど、階段が急に&狭くなっていくのです。(しかも長い!!) 鐘楼の 手前付近の階段に至っては、あまりに狭いため一方通行にせざるを得ず、かなり 人の流れが遅滞しておりました。 
それでもやっとのことで鐘楼までたどり着きました。―――我々の目の前に 広がったのは、日本ではまず考えられないような、360度ずっと山らしい山が見えない というあるがままの平原の姿と、赤い屋根をしたおもちゃの家の数々…。 もう何も言うますまい。
(そういえばこの鐘楼、観光客による落書きが相当たくさんあってちょっと がっかり。有名になってしまった観光地だからかなぁ。結構多かったのは、日本語の落書きと、 そしてハングル語の落書きです。日本語の落書きの中には、ワールドカップが 終わったばかりということで、「NICE カーン!」というものがありました。(笑))
(鐘楼からローテンブルクを見渡す)

そういえば、この旅行全体を通していえることなんですが、ほんと、「晴れてよか ったなぁ」と私は強く感じています。なぜかというと…ひとつには、ドイツ東部および チェコやオーストリアのザルツブルクなどにおいて、ちょうどこの時期に100年来の 大洪水が起きているときいていたこと。そしてもうひとつには、日本にいる時分に見た インターネット天気予報によると雨が多いかもしれないときいていたことです。 とくに前者に関しては、日本のメディアでも連日連夜、大洪水に見舞われて 濁流につかりながら避難する人々の映像が流されており、気が気でありませんでした。 (そういえばある友人は「洪水に気をつけろよ〜」と忠告してくれまし た。(汗))
もし、この旅行において運悪く大雨とぶつかっていたら、このローテンブルクから見 下ろす壮観も、後述する神秘のノイシュヴァンシュタイン城や高雅なインスブルック の街並みや光り輝くヴェネチアの漣もすべて、その魅力を失っていたでしょう。 ありがたいことです。私は日ごろの行いに関しては自信が持てませんが(笑)、 運が我々に味方してくれたようです。

おみやげを買ったり、ヂェラートを食べたりしているうちにもう時間がおしてきてし まいました。仕方なく一家で軽い昼食をさっととり(勿論ビールを飲むのは忘れ ませんでした)、バスで旅を続けます。一時間ほどして着いたのは、ディスケン ビュールという小さな街。やはり時間はそれほどあるわけではないので、街を 象徴する建物であるという聖ゲオルク教会に入り、一通り見て回ります。
(余談ですが、ここで見かけた雑貨店の店頭販売にて、「おにぎりあります」という 日本語とともに、明らかに人間の手で握られたと見られる(ラップに包まれた)おにぎりが (日本円換算で)一つ200円という値段で売られていました。日本人観光客対象の商売がここにも…と 思うと同時に、「200円かぁやっぱり高いね」と感じたひとときでありました。)

そしてまたバスは走り、ネルトリンゲンという街でわずかな停泊。この街、 かつて帝国都市として力を振るっていたこともあって、堅固な城壁がきちん とした円を描いていてそれはそれは美しいそうなのですが…上空から見たかったなぁ。
ネルトリンゲンのおつぎは、歴史上有名なアウグスブルク(これもわずかな停泊)。 帝国議会がマルティン・ルターの信仰を容認し、各国の領主によって宗教の自由を 認める、という結論に達したのは、ほかならぬこの街です。駅舎や街並みを見渡しただけで 時が過ぎてしまいましたが、なかなか栄えている街のようです。さすがはフッガー家の 拠点。

こうしてバスはついに終点のミュンヘン―――バイエルン州の州都に到着。 いやはや、ミュンヘンの駅はどでかかったです。人も多い…そして、やっぱり いましたいました、サッカーのユニフォームを着ている人々。(笑) さすが、 バイエルン・ミュンヘンは世界に名だたる名門チームです。早速、「BALLACK」(ドイツのMF)の ユニフォームを着ている人を発見したのでありました。

(巨大なビア・ホール。老若男女が陽気に騒ぐ)
この日の夕食はもう前から決めていました。何かというと…世界的に有名な ビア・ホールであります。何でも、1923年のミュンヘン一揆の際にヒットラーが 演説を行った(しかし一揆自体は一日で鎮圧されるのであった)という、 巨大な老舗ビアホール。(多分19世紀からあるんでしょう。) 食べ物も飲み物も 勿論おいしかったですが、それ以上に異様だったのは、ドイツ人たちの、ほとんど 無礼講のようなばかさわぎっぷりです。彼ら/彼女らは、隣や向かいの席の 知らない人々と意気投合してわいわい騒ぐのですが、私たちアジア人観光客に対し てもそれは同じ。 私たち一家がいざ店に入った途端、目が合った老夫婦がいきなりグラスをかざして私 たちに乾杯のポーズをして、全くわからない言葉で叫んでげらげら笑います。私たち が食べ&飲んでいる最中も、知らないドイツ人がどこからともなく乾杯をしにやって きます。もう、このノリはドイツ人ならではとしか言いようがありません。昼は真面目に働く ドイツ人は、息抜きの方法をちゃんと知っているのでしょうね。
あと、ちょっと面白かったのが、このビア・ホールで生演奏をしている小規模な ブラスバンド(四〜五人くらいかな)の演奏でした。このひとたち、演奏しないときは 何十分も演奏しないのですが、演奏しはじめると立て続けに五曲くらいは やってくれます。日本でも有名な「フニクリ フニクラ」や、多分ドイツの民謡と 思われる威勢のいい曲、そしてアメリカを讃える歌である「星条旗よ永遠な れ」(誰ですか、Horowitz版が…なんて言っているの は!!(笑))など、いろいろ聴きましたが、突然このバンド、W杯準決勝で共 に戦った相手を讃えるためなのでしょうか、韓国のア リランを演奏し始めたんです。ドイツ人たちがこのアリランを知っているの かいないのかはわかりませんが、演奏が終わると例のごとくやんややんやの大拍手& 乾杯の雄叫び。至福のひと時でありました。
それにしても、南ドイツ産のビールは重くて美味い!!(笑)



第三日目(ノイシュヴァンシュタイン城など(ロマンティック街道続き))

(ミュンヘン市街(バス停のそばから撮影))
のミュンヘンは八月なのに結構涼しいものでした。さてこの日は、 ロマンティック街道の最果てへと向かう観光バスに乗るべく、駅から少しだけ歩いて バス停へ。それにしてもミュンヘンは大きな都会です。戦災から見事な復興を遂げたとこ ろは東京と同じですね。

さて、この日のキーワードは、そのワーグナー狂ぶり・築城狂ぶりに始まる数々 の奇行ユニークな行動で有名な、バイエルン国王ルードヴィヒ二世。彼の手によって 築かれた城をめぐります。
…というわけで最初に到着したのは、ミュンヘン近 郊にあるリンダーホフ城。この城は、ルイ14世を崇拝していたルードヴィヒ二世 がフランスのロココ様式で作らせたという城で、かなりの時間並んだのちやっと のことで中に入れましたが、相当個人の趣味が入っているというか、彼の生き ていた1800年代後半という時代を考えるとあまりに懐古的な古めかしいもの (のように私には見えました。絵画、ベッド、彫像、その他もろもろ)が延々と陳列 されていて少々異様な光景でした。(因みに、城の内部は写真撮影禁止。) それ にしても、こんな山奥に個人の趣味一点張りの 城を只管築き続けるのって大変なんでしょうね。ワーグナーのタンホイザーの世界をそ のまま実現しようとして作られたという洞窟(ヴィーナスの洞窟という)なんてものまであ りました。

(ノイシュヴァンシュタイン城(つり橋から))
さて、バスは再び走り出し、ついにこの日の目玉であるノイシュヴァンシュタイン城 の麓に到着。この城は、ルードヴィヒ二世が17年もの歳月をかけて作った(実際は未完)、 人生の集大成ともいえる城で、見た感じはまさに中世の城(前述のとおり建築されたの は19世紀後半なのにね)。
例のごとく城の場所は山の奥、しかも高台にあるのですが、麓からは道が二つ 出ていて、一つは送迎バス専用の道(ちゃんと舗装されている)、もう一つは徒歩と馬 車(因みに馬車は登りのみしか運行されていない)専用の道(砂利道に近い)となってい ました。一般の車が城まで直接行け るようにしようと思えばできるのでしょうけど、あえてそれをしてないような気も少 しします(私は)。考えられる理由としては、 一般の車が簡単に直接行けるようになってしまうと駐車場のスペースがないため交通 量の点でパンクしてしまうからというのと、あと、観光馬車を存続させるためかな?(笑)
我々一家は、行きにバス、帰りに徒歩という手段を選びました。(バスは予想通り超満員。)  城の近くに到着後、高いところから城全体を見下ろせるというつり橋へ行ってその姿を拝みま す。…いやはや、真っ黒な森に突如聳え立つ真っ白な城、コントラストが見事。しかし、 健康的な美しさとはちょっと違う、怪しい光沢を持った美しさというか、どちらかといえば そういうものを私は感じました。 (そういえばディズニーのシンデレラに出てくる城に何となく似ているなぁ…とも思った のですが、実際にシンデレラ城のモデルとして参考にされた城だそうですね。)

さて、お次はそのノイシュヴァンシュタイン城の中へ入ります。整理券を渡されて、 電光掲示板に自分の番号が出たら入れるという、銀行や郵便局の受付と 同じ方式が用いられていました。ここでもかなり長い時間待たされた後、漸く中に 入ることができましたが、展示物はこれまた彼(ルードヴィヒ二世)の趣味が 満載といった感じ。やれワーグナーの オペラのシーンを延々と書き綴った壁画だの、やれワーグナーのオペラを 上映させるためのステージだの、特にワーグナー関係が目白押しでした。(因みに ここも、内部の写真撮影は禁止。) これだけのものを、趣味で創造してしまう とは…ルードヴィヒ二世恐るべし。

じっくりルードヴィヒ二世の世界を実感したあと、徒歩でバスまで帰還。
ミュンヘンに戻っての夕食は、またしてもあのビア・ホールです。この日は日曜日だったため、 前日(土曜日)よりも人はかなり少なかったのですが、それでもやはり 盛況でした。いつもこんなビア・ホールに行けたらなぁ〜。(笑)



第四日目(ミュンヘン〜インスブルック〜ヴェネチア)

(鈍行列車から見たオーストリア・アルプス)
の日は、いわば移動日です。オーストリア・アルプスの 景色をゆっくり見るため、ミュンヘンからあえて鈍行列車で南下。オーストリア第三の 都市、チロル地方の街インスブルックを通って、一路ヴェネチアを目指すというルートです。
そしてこれが私にとって人生初の、外国における列車体験(地下鉄を除く)になりました。 私が乗ったこのドイツの列車は、車内は結構埃っぽくて、やはり日本の列車ほど 綺麗なわけではなかったのですが、後で乗ることになるイタリアの列車(鈍行)よりは 清潔でした。(イタリアの特急はすごく綺麗。だけど鈍行列車は、中も外も結構がさつな イメージです。とくに外は、スプレーでめちゃくちゃに落書きがしてあったりとか…。)

朝早くにミュンヘン駅を出発。駅を過ぎてわりとすぐに、所謂郊外ののどかな風景が 広がってきます。やがて、緑におおわれた日本の山とは全く違う、切り立った岩の剥き 出しになった鋭い山々が我々を包みこみました。少しずつ家がまばらになり、 まるでアルプスの少女ハイジの世界に。(←古いぞ!!) 

到着したインスブルックはなかなかシックな街で、乾いた青空(山地特有というべき か? 日本では冬の上州に広がる空のような)を背景にして、堂々たる姿を我々に見せ てくれました。滞在できる時間はそう長くはなかったものの、街を歩き、 おみやげを買い、そして最後に街全体を見渡すべく塔に登ります。いやはや、 当初心配していた雨も全く降らず(というか快晴に近かった)、眩しいくらいの 屋根、屋根、屋根。しかし、ローテンブルクで見たような「街と平原しか見えない」 風景ではなく、はるか向こうには蒼き山々が屹立しています。有史以前から人間 たちを見守っているあの美しき山々は、一体どんな 気持ちで我らを見ているのだろう…。

(塔からインスブルックを見渡す)
塔から降りた後、ヂェラートを食べつつ歩いていたのですが、ここで ちょっとした面白い事件が。…向こうの車線をゆっくり走っていたバスの 運転手のおじさんが、「コニチワー」と 言って、窓から身を乗り出して手を振ってきたのでした。外国における日 本人というのは、外見だけで日本人とわかってしまうのですねぇ、やはり(笑)。
そうそう、これに関連して―――実はこのインスブルック、比較的日本人観光客を見かけない 街なのです。(少なくとも私はそう感じました。) 道を歩いているのはひたすら、 肌の真っ白な、そして髪の毛も真っ白に近いコーカソイドばかりで、アジア人らしき 人は殆ど目に止まりませんでした。オーストリアというとみんなウィーンや ザルツブルクに行ってしまうからなのか、それとも、ちょっぴり交通が不便 だからかな? 
あと、ドイツでも同じことがいえるのですが、こちらの子供は、髪の毛も肌の色も ほとんど同じ色すなわち真っ白で、男の子も女の子もとっても可愛いですね。  特に女の子は、まるでお人形のようです。(因みに彼女らはよく、本当にお人形を持ってい たりします。両手で大事そうに持っているそのお人形にそっくりのあどけない顔は、 見ていて心が和みます。(^O^))

時間がほとんどなかったのと、ミュンヘンにて二夜連続で重い夕食をとったこと もあり、家族会議の結果、昼食はスーパーで少しだけ買った食糧を列車内 で食べるという ことにあいなりました。そしてヴェネチア行きの特急にいざ乗ろうとしたので すが…既に取ってある特急券を見ると、何号車に乗ればよいのかが不明瞭で、ホームの どこに並ぶのかよくわかりません。結局、特急が来てから探すという あわただしいことをしなければならなかったのですが、日本の特急のように きちんと「○号車」というふうに書いてくれないものですかねぇ…。
で、一難さってまた一難というべきか、乗ってから指定席のところへ行くと、 なぜか既に初老の女性何人かが我々の席を占拠していてちょっとびっく り。(汗) 「ここの席は我々が取ってます、このとおり指定席券もありま すよ」ということを英語で伝えると漸く彼女らは去っていきましたが、 意思疎通がうまくいってよかった…。(こういう旅先でのトラブルは極力 避けたいですしね。) それにしても、なぜ検札を掻い潜って占拠できたんだろう?

(夕暮れのヴェネチア。駅前の運河)
かくして、列車は走り続けます。 オーストリア・イタリア国境のブレンナー峠を超えてイタリアに入り、 車内には次第にイタリア語の会話が満ちてきました。ドイツ語とは違う あの独特の鋭利な発音。そう、三年の時を経て、私は漸くイタリア に戻ってきたのです。
ロミオとジュリエットの舞台ヴェローナを過ぎ、ついに列車はヴェネチア市街に 接近。ヴェネチアの中心部に位置している鉄道の終着駅「ヴェネチア・サンタルチア駅」 は、陸地から数キロだけ橋を渡ったところにあります。このサンタルチア駅 の一歩手前の駅(まだ地上にある駅です)近くに宿をとっておいたので、ひとまずそこ で荷物を降ろし、そして 夕暮れのヴェネチアを堪能すべく、普通列車に乗ってひたすら橋の上を疾走。 さぁ、いざ最果てのヴェネチア・サンタルチア駅へ!!
街全体が世界遺産という、「アドリア海の女王」ヴェネチアは、ついに 我々の前にその姿を見せてくれました。―――歩道や橋を行き来する人々、 のどかに運河をゆくゴンドラや水上バス、赤い煉瓦の建物、すべてはそよ風 と漣に揺られて夕暮れの空に溶け込む……。

駅からは、ここヴェネチアで最も一般的な交通手段となっている水上バス に乗ります。そう、自動車が一台も走らない(というより、走 れない)ヴェネチアでは、歩道や橋づたいに歩くか、大小さまざまな運河を 船で行き来するしか方法がないのです。因みに、かの有名な「ゴンドラ」 という移動手段もあることはあるのですが、残念なことに、観光客めあて なためか非常に値段が高く(日本円換算で一万円はくだらないそう…)、 しかも速度が水上バスよりずっと遅い。それゆえ、ゴンドラに乗って移動するのは専らワリ カンの効く大勢の団体客か、ムード重視のカップルであることが多いらし いです。(汗) もっと気軽に乗れるものだったらいいのになぁ…。
というわけで水上バスで運河を下り、市街地を歩き回った後、運河に 面したストリートの店で夕食。店頭にどでかいロブスター(本物)が置いてあったり するという、かなり目立つ店だったのですが、ちょいと残念ながら値段の ほうは(量に比べて)幾分高め…。しかし、「まぁ夕暮れの運河を見ながら 食べられたんだし」と前向きに考え、我々一家は このあと更にもう一軒ピザ屋に入って思う存分食べ&呑み、ついでに その隣の店でヂェラートも食べてから、漸く帰途についたのでありました。(^-^;)



第五日目(ヴェネチア)

がな一日ヴェネチアを見て回ります。昨日と同じように、ヴェネチア・サンタ ルチア駅の一歩手前の駅から、一駅だけ電車で移動。昨日の夕方に見たあの橋は、満ち溢れたる 朝の光に映えて、今日もまた、あの輝かしきアルカディアへと続いているのでした。
ヴェネチア・サンタルチア駅に到着。そういえば到着したホームの近くで、「ブタペスト行きの国際 特急」を目にすることができました。恐らく、スロヴェニアをかすめてオーストリアに入り、ウィーンを 経てハンガリーに着くのでしょうね。

(サン・マルコ教会。ビザンチン風建築)
昨日から効力の続いている「水上バス24時間乗り放題」(24 時間というのは結構珍しい?)の券を利用して水上バスに乗ります。町全体を「逆Sの字」に貫く 大運河「カナル・グランデ」を下り、船はサン・マルコ広場に到着しました。
わりと朝早くだったのですが広場は人でいっぱい。そう、このサン・マルコ広場とは、 12世紀頃から早くも原形が確立したというヴェネチア観光の目玉で、今ではサン・マルコ 教会、ドゥカーレ宮殿、高さ96メートルの鐘楼や500年前から変わらず時を告げ続ける時計塔 などの建築物が犇く、ヴェネチアの一大中心地なのです。まずこのサン・マルコ教会に 行こうと決めていたのですが、やはり同じことを考えている人は多いもので、さっそく 教会のそばで長蛇の列を作ることになってしまいました。しかしこうして並んでいる間を利用して、 見事なビザンチン式建築を誇るこの教会の外観をしっかり拝むことができたので、まぁよし(笑)。
(あと、並んでいる最中、南フランスのニーム(マルセイユの北西あたり)から 車を飛ばして観光にきたばかりという、フランス人の旅行者と話しました。曰く、「高速道路 をひた走れば結構すぐなものだよ」ということでしたが、それでも1000キロ近くはあるわけで、 すごいものですねぇ。まぁ南フランス〜北イタリアの移動ならば、アルプス越えをする代わりに モナコとかがある南の海岸付近を通ればあとは平原ばかりだから比較的に楽なのかもしれないけど、 どうなのでしょうか?)

さて、ようやくサン・マルコ教会の内部に入ります。(中は勿論写真撮影禁止。) 街の聖人である聖マルコの遺体を祀るために11世紀に作られたそうなのですが、 やはりその時代らしく、東洋的な丸屋根が非常に印象的。そして、拝廊には 眩いばかりの黄金のモザイク画!! (写真でお見せできないのが残念です…。)
更に、階段をのぼって教会のバルコニーへ出て、正面と右手に、鐘楼とドゥカー レ宮殿を見渡します。そして左手には…初めて上空から見渡す、運河と船と人々の ゆるやかに溶け合った、まるで絵のような光景…。ここで歩くのをやめてほっとひといき。(笑)

サン・マルコ教会を見終わったあとは、同じ広場に聳え立つドゥカーレ宮殿に行きます。 こちらは先ほどとうってかわって壮麗なゴシック式建築で、 ヴェネチア共和国歴代の総督が住んでいた&政治や司法の中枢として 機能していた、敷地面積がかなり広いというシロモノ。
(「嘆きの橋」の小さな窓から外を見る)
入場料は少し高めでしたが構わず払って突入します(笑)。 オスマン帝国などとの地中海貿易が盛んだった頃のものと思われる 古(いにしえ)の海図が描かれた壁や、時とともにヴェネチアがどのように 移り変わってきたかを表した絵の数々など、その広さを利用してものすごく たくさんのものが展示されています。入場料のモトは十分すぎるくらい取れたと 感じた地点が、全工程の半分くらいだったように思えますねぇ。(笑)
ほかにも、このドゥカーレ宮殿で見たものとしては……えんえんと展示されたる 中世の武器&防具や、議員が集まって議論したという広大な「大評議室」と、 その天井に描かれた「天国」(画家ティントレットによるものだそう) という名の天井画。そして、宮殿と牢獄とを直結させている堅固な石の 橋。―――実はこの橋、「嘆きの橋」という名前がついているらしく、囚人がこの 橋を通って牢獄に行くときに窓から外を見て「この美しい光景もこの橋からこうやって 見るのが最後なのだなぁ」と言って嘆いた、という故事から名づけられたのだそうです。 なるほど、囚人が通る橋ならば、逃走を防ぐために石でがっちり壁と天井を固め なければいけないわけ で、自然、小さな窓ができるわけですね。囚人たちはその小さな窓から「最後のシャバ」を 目に焼きつけたのでしょう…。
(そうそう、 この「嘆きの橋」を通って、ちゃんと牢獄へも行きました。電灯のない時代は 文字通り真っ暗だったんだろうなぁと思わせるような、陰惨な場所です。当時の 囚人たちが残した落書きも展示されていたのですが、玉石混交というべきか、 子供の落書きみたいなものから、思わずはっとさせられるような極めて写実的な ものまでいろいろあって楽しめました。)

(鐘楼から見たサン・マルコ教会とヴェネチアの街並み)
そして、最後の総仕上げとして高さ96メートルの鐘楼に登ります。(これも、 相当並ばされることになったのですが、エレヴェーターがついている分まだ ましというべき?) どこまでも広がる赤い屋根とアドリア海。はるか彼方の 黄金の国ジパングは、きっと古(いにしえ)のヴェネチア人の想像力を大いに掻きた てたことでしょうね。
昼食はサン・マルコ広場の路地裏にある小さなレストランで食べました。 昼から早くもビールを飲んだのですが、ドイツ産に比べると軽くてすぐ飲めてし まいます。(まぁ昼から重いのばかりがばがば呑むわけにもいかないか…。(笑))

そして昼食後は更に水上バスに乗って、市街地から少し離れた島である「ムラーノ島」 へ行きます。このムラーノ島で有名なのは、何といってもヴェネチアン・グラス。 13世紀にガラスの製法が伝わって以来ずっとその伝統と技を守り続けていると聞いたので、 是非行ってみようと思いたったのでした。
というわけで水上バスは運河を離れて、海に出ます。 船の通り道を示す(もしくは限定する?)ためなのでしょうか、運河には高く突き出た杭が はるか向こうまで並んでいて、水上バスはほぼそれに沿って運行されているよう。杭の高さ は結構高いみたいだけど、海面の高い時期に水没しないかどうかちょっと心配でした。
(そう、ヴェネチアは、高潮の時期になると水没する箇所がかなり多いのです。 特に、前述のサン・マルコ広場の付近などは、ヴェネチアの中でも最も海抜が低いため、 高潮のときにはまっさきに冠水してしまうそう。これは、20世紀になってから70センチ以上も低くなった という地盤沈下によるものらしく、1.40メートル以上の高潮になるとまず間違いなく ヴェネチア全域が冠水し、市民も観光客も外出すらできなくなってしまうというから 恐ろしい…。)

到着したムラーノ島のガラス工芸館では、ガラス職人の技をその場で見せてくれるという サービスをやっていました。サングラスをかけたおじいさんが、火にくべて熱くなったガ ラスを、すいっ、すいっ、と傾けては曲げて、そしてときたまペンチでつまんで細工する …すると、あら不思議!! あっという間にそのガラスは、両足で立ったポーズをとった、 手のひらサイズほどの馬の置物になってしまうのです。胴体も足もすごく細長くて、しか も鬣(たてがみ)の流れもちゃんと象られた、そして顔の表情もしっかりした馬の置物を あっという間に作ってしまうというこの離れ業に、私たち観光客は拍手喝采。こういう、 人類の叡智ともいうべき伝統芸には、ただただ畏敬の念を抱くばかりであります。
こうして、ガラス工芸館にてワイングラスや日本の湯呑みや先程の馬をはじめとした さまざまな置物などの作品集を見て回ったあとは、再びヴェネチア市街へ水上バスで 帰り、一家揃っておみやげ購入タイム(謎)となりました。そして、夜の帳が落ちる前に 夕食。イタリア料理にしては珍しく(?)、ほうれん草をそのまま調理したような (おひたし、ではないけれど)ものがあったので、迷わず頼んでしまいました。(私からみると、 ヨーロッパの料理はやはり相対的に野菜が少ない気がします。緑黄色野菜が是非とも食べたいな と思っていた矢先だったのです。(笑))

(ヴェネチアの夕暮れ…物悲しい)
食事のあとは、ヴェネチアに最後の別れを告げるべく、水上バスではなく徒歩でゆっくりと 街並みを見ながら帰ることにしました。先の「嘆きの橋」をシャバ側から(笑)見たり、 相変わらず行き交う人々でごった返している夕暮れのサン・マルコ広場で写真を 取ったりと、この地中海の女王の姿を今のうちにたくさん拝んでおこうと思ったわけです。 やはり夕暮れのヴェネチア、別れの迫るヴェネチアは何だか物悲しい…。しかし私は、 「いつかまた来る」と、心の中で誓うのでした。私の心には、いつしか、 CHOPINの舟唄Op.60が流れていたのでした…。(この曲は楽譜を買ったことがあるだけ。 実を言うとまだあまり弾く気にはならないのだが、まぁそのうち…。私がこの舟唄を弾くの と、私が再びヴェネチアに来るのと、どちらが先になるだろうなぁ。)

帰りの列車は、めちゃくちゃ混雑するかなと思っていたのですがそうでもありませんでした。 ヴェネチアはやはり観光一本槍の街などではなく、ちゃんと住んでいる人が結構いるのでしょうね。 (こんなことを言ったら住んでいる人に怒られてしまうかもしれないけど)常時水上で暮らす 、そして常時船という交通手段を使う(車が一台もないし、そして、驚くなかれ先の大運河には 橋が三本しかかかっていないのです!!)というのは結構大変そうだよなぁと感じました。
そうそう、帰りの列車内で、またしても子供と会話することに。(笑) 降りるときが近づいて デッキに並びたった私を見止めた幼稚園児くらいの女の子が、私に興味を持ったらしく、全 くわからない言葉できゃぁきゃぁといろいろ言ってきました。 勿論、こちらはまもなく降りる身ですのでほとんど会話はできませんでしたが、私が降りるだん になると彼女は私に向かって一生懸命手を振ってきました。嗚呼、一期一会。私は 彼女ににっこり笑い、そして同じく一生懸命手を振るのでした…。



第六日目(ヴェネチア〜フィレンツェ)

ネサンス発祥の地であるフィレンツェへ、朝早くから電車で出発します。 八時台にヴェネチアを出て、フィレンツェに着いたのは十一時台というわけで、なかなか速いものですね。そして、 やはり特急は外観も内装も華やかでありました。満足満足。

フィレンツェの駅でまず思ったのは、北イタリアのヴェネチアとはやはり雰囲気が違うということでした。 ヴェネチアでは多くの人が真っ白な肌&金髪だったのですが、 ここフィレンツェでは、褐色の肌をした人、浅黒い髪の毛の人の割合がヴェネチアより 多いのです。そう、イタリアは、北と南で人種(というか民族)の隠然たる違いが ある。北からのインド・ヨーロッパ語族、南からのセム語族。悠久の時を経て、 民族のもつ顔から浮き彫りになってくる都市景観…。
こういったことを考えつつ、とりあえず駅前のピザ屋で昼食を取り、そしてホテルへ先に チェックインして荷物を置いてこようということにあいなりました。今回フィレンツェで泊まるホテルはそう 高級なところではないということを聞いていたのですが、いざ地図を頼りに行ってみると、入り口 こそ小さいけど部屋ひとつひとつは実に立派でした。よかった。
(そういえば、このホテルへ行く途中、路上に出店している万屋(サッカーのユニフォームとか、 コミックとか、お菓子やミネラルウォーターなどを売っていることが多い。イタリア中どの 都市に行ってもこういう路上の店を目にすることができます)のお兄さんと 話す機会に恵まれました。W杯イタリア代表のユニフォームがずらりと並んでいるその 万屋の棚に、ひとむかし前の背番号10「ROBERT BAGGIO」があるのを私が 見て取り、「Oh, 8 years ago?」と尋ねたのがきっかけです。今のイタリア代表の 背番号10は勿論フランチェスコ・トッティですが、1994年のW杯で惜しくも準優勝に 終わったイタリア、あのとき活躍した名選手がロベルト・バッジオなわけで、ちょいと そんな質問をしてみたというわけです。懐かしいねぇ。)

ドゥオーモ内部。天井の壁画
さて、荷物を置いたあとは市街地に繰り出し、街を象徴する大聖堂「ドゥオーモ」 に入ります。非常に暗い空間(文字通り「空っぽ」というべきか)の広がっている場所なのですが、 ひとたび上を見上げると、天井まで精緻に描かれた壁画に太陽の光が差し込んでいるさま が見て取れ、そしてステンドグラスの輝きが我々に光を与えてくれました。
ひととおりこのドゥオーモを見終わった後は、すぐそばにある「ジョットーの鐘楼」に 移動。(建物として繋がっているわけです。) この鐘楼、非常に高いのですが、「恒例の赤レンガ」を多用した重たそうな外観ではなく、 白地ですらっとしたなかなかエレガントな鐘楼でした。先のドゥオーモのてっぺんと どちらが高いかというと実はドゥオーモのてっぺんのほうなのですが(笑)、なぜか ドゥオーモのてっぺんにのぼる人はあまりいなくて、ジョットーの鐘楼のほうが ずっとメジャーだとのこと。実際に階段をひたすらのぼってみるとやはりそうで、 行き来する人の姿がたえることはありません。それにしても長い階段をのぼ るのはちょっと疲れました…(汗)。
頂上から見たもの―――それは、ヴェネチアと似ているようで全く違う、低い山に囲まれた赤レン ガの横溢。そして、ヴェネチアにはなかった、赤レンガの市街地のところどころに 偏在する緑の斑点…。ただ、この鐘楼のてっぺん、人が落っこちないようにと360度全部に針金 が張り巡らされていて、こういった絶景の魅力が失われてしまっている面があり少し残念。(安 全を重視してのことだからある程度はしょうがないのかもしれないけど…。)

鐘楼から降りたあとは、この日一番楽しみにしていたウフィッツィ美術館まで 徒歩で行きます。(もともとインターネットによって予約をとってあったので、 指定された時間に美術館の入り口に到着していなければならないといわれたため、 ちょっとだけ早足。)
このウフィッツィ美術館、またしても写真撮影禁止(当たり前かな?)だったのですが、 ここで見ることができた物に関してはもう言葉では語り尽くせません。ボッカチオの 「春」「ヴィーナスの誕生」、ダ・ヴィンチの「受胎告知」、などなど、美術 好きの私にとってはたまらない傑作ばかり。実際に近くに寄って見てみないと わからないような、手足の指や髪の毛の微妙な色使い、空の色彩の移り変わり から伝わってくる漣のような揺れ動き、今にも動き出しそうなくらいに立体的な四肢の躍動感 ―――見たあとに自分の中で確かに何かが変わった、そんな実感を湧かせるような 力を持つ、芸術という名の大伽藍。それがウフィッツィにはありました。

ウフィッツィからヴェッキオ橋を見る
ウフィッツィにはかなり長く滞在し、日の光が少しだけ弱くなってきたかなという頃 にようやく退出。今度は、ウフィッツィの中からもその姿が見て取れた、フィレンツェ で最も古い橋「ヴェッキオ橋」へ行きます。この橋、ただの橋ではなくて、写真の とおり橋と店が一体化しているのがミソ。もともとローマ時代に存在していた 木造の橋が何度か作り直されて現在の石の橋になったそうなのですが、頑丈な石の橋になってから もやはり水害による被害は絶えなくて、1966年の洪水のときには、橋そのものは持ちこたえた のですが橋と一体化している貴金属店の貴金属がほとんど水に流されてしまうという 事件があったそうです。(洪水の後川底をあさる人っていたのかなぁ?(汗))
実際に行ってみると、貴金属店はやはりあったのですが、それ以上に、ブランド品 の店が結構多かったような気がします。因みに、黒人やジプシー(らしき人)が道の脇に 絨毯を広げて鞄をたくさん並べて売っている、という光景も 見られましたが、見た感じではどうもブランド品のようには見えないというか、 少々贋物の雰囲気も感じられました…(汗)。
結局このヴェッキオ橋では、ヂ ェラートを食べつつ雑踏の中を歩いただけで、とくに物を買ったりはしなかったのでした。

夕食は、おいしさもヴォリュームも抜群といわれる、フィレンツェで高い人気を誇る 小さな店。非常に長いこと並ばなければならなかったのですが、待っている間も、サーヴィ スとして店員がチーズやワインを一人一人に手渡しして振舞ってくれるという親切ぶり。素晴らしい!! 
そして、やっとのことでテーブルにつき、いざいろいろ頼んで食べてみると…どれもすごく 量が多くて、そのおいしいこと。食べ終わった後ワインを一瓶くれるというサーヴィスま でついて、もう至れり尽せりでした。フィレンツェへこれから行くという人で、この店に行って みたいという人は、
までご連絡ください。 詳細を連絡させていただきます。

至福の夕食のあとは、明日すなわち最終日に備えてぐっすり寝るばかり。
嗚呼、あと一日か…。



第七日目(フィレンツェ〜ピサ〜ミラノ)

いに、今日がヨーロッパ旅行最終日。
そして、結論から先に書いてしまうと、この最終日に四度もの「ウルトラC」を 体験することになったのです…。

ピサの斜塔。だんだん傾いてきているそう
この日はピサの斜塔にのぼるためにピサへ行く予定でした。というわけで、フィレンツェから ピサへ行く列車(因みに鈍行)に乗るために、予定の時刻にフィレンツェを出発したのですが…この電車が、 途中でなぜか意味不明の停滞を繰り返します。(汗) ピサの斜塔は、やはり一度にたくさんの 人がのぼると危険だからでしょうか、インターネットによる予約制をとっていて、その予約の際に 指定された集合時刻までに斜塔の麓に到着していないと斜塔にのぼることができないのです。遅れたら大変だ〜!!
電車は何度も停滞を繰り返して漸くピサ駅に到着。時間がない〜〜〜!! 急いでタクシーを 拾い、運転手さんに英語で「ピサの斜塔まで!!」 …こうして斜塔の麓に到着したの は、集合時刻の五分前。無事 事務室で予約の確認手続きを行うことができました。危なかった〜ぎりぎりセーフ。
これが、第一の「ウルトラC」。しかし、ここからもっと恐ろしいウルトラCが 連続して起きるとは、まだこの時点では 夢にも思いませんでした…。

続いて、第二のウルトラCは、斜塔にのぼる際に起きました。予約の確認手続きの時に、塔にのぼる 時間を指定されるわけですが、いざその塔にのぼる時間になってのぼろうとすると、係員が呼び止めて、 「荷物を預けてなくちゃだめ」。ええっ、そんなこと聞いてないってば〜!!(汗) しかしここで ぐずぐずしていると、塔にのぼっていられる時間には限りがありますから時間の無駄というもの。 一家揃って急いで事務室のそばのコインロッカーに荷物を預け、一刻一秒も無駄にはしないと ばかりに電光石火の早業で再び塔の入り口に取って返します。これが第二の「ウルトラC」
肩で息をしつつ、塔の階段を一段一段踏みしめながらのぼります。勿論階段は螺旋状になっているの ですが、やはり歩いていると塔全体の傾きが予想以上に強烈に感じられました。(ちょっと でもぼさっとしているとふらふらっときてしまいそう。) 写真を見れば、どれくらい 傾いているかがご覧になれると思います。外から見てもこれだけ傾いているわけで、 実際に二本の足で踏みしめて立ってみると、ましてや階段を歩いてみると、すごく傾 いているように感じるもの。スキーで、横から斜面の角度を見ていても とくにきつそうだと感じないけど、いざ自分がすべるとすごく恐ろしく感じるのと同じような ものかな?(因みに私はスキーはあまりやらないのですが、30度は一応大丈夫。 でも40度は遠慮したい。(汗))

ピサの斜塔の頂上から
ピサの斜塔の頂上 は、思ったよりも手すりが低くて、そして何よりも傾いていてバランス感覚に気をつけないと いけないため、かなりこわかったですね。(写真の手前の黒い棒が手すり。) しかし、 明るい陽光の中に輝く小都市ピサの姿は、二度のウルトラCで慌ただしかった私の心を 和ませてくれるのに十分なものでした。

さて、指定された滞在時間はそう長いものではなかったので、まもなく傾いた階段を下 って塔から脱出します。…そしてここから、三度目のウルトラCが始まったのです。 これからの予定としては、ピサからフィレンツェに(鈍行で)戻って、そこから特急で ミラノを目指さなくてはいけないのですが、フィレンツェに戻るために乗らなければな らないその鈍行電車の時間に間に合うためには、タクシーかバスが必要なのでした。 なのですが、タクシーはピサの付近を全然通ってくれず、更にバスの路線図がどうなって いるかの情報が全くなく、ピサ駅までの約二キロの道のりをどうしたらよいか、 途方にくれてしまったのでした。
そして出た結論としては―――「約二キロという道程と、残り時間を考えれば、 多分歩いて何とかなる」。こうして一家は、暑いピサの街を早足で歩き出します。 斜塔付近を出て閑散とした界隈に入り、ひたすら地図を頼りに、曲がりくね って入り組んだ道を進み続けます。静かな通りを早足であるくアジア人に、 道行く人は思わず振り返る。…ああ、あと15分。…あと10分。…あと5分。おお、駅だ、 駅が見えてきた!! というわけでどうにかこうにか間に合ったのですが、あと3分遅れていたら フィレンツェに予定時刻どおりに到着する電車を捕らえられず、飛行機の便も変更せざるを えない状況に陥っていたかもしれません。いやはや、危ないところでした。 (というわけで、これが第三のウルトラC。無事乗ることができたフィレ ンツェ行きの鈍行列車の中でぐったりしつつ、二度あることって三度あるんだなぁ…と、 実感した私でした。)

フィレンツェに到着し、預けていた荷物を取りに行ったあとは、時間がさしせまっている ためマクドナルドで手早く食事。ビッグマックを頼んだのですが、蓋を開けてみると、 日本のビッグマックのように太い紙の筒で囲んでレタスや肉がこぼれないようにすると いうことがなされておらず、ちょっと形が崩れていました。でもおいしかったからよし。(笑)
そして最後のウルトラCを、ここでまた体験してしまいます。フィレンツェからミラノへ ひとっとびするための特急列車―――このヨーロッパ旅行で最後に乗る特急列車が どのホームに停車しているかの情報は予め掴んでいたのですが、出発時刻近くになってそのホー ムにそってずっと歩いていくと……なぜか、自分のいる側のドアがいつまでたっても開かない のです。(汗) !!!! (←ドラゴンボールのセリフではない。(笑)) もしや、逆 側のドアが今ごろ開いているのかな? でも確かに今自分たちのいる側のホームから 乗車するはずなんだけど…もしかして手違い?! 
大変だ!! そう察知するや否や、すぐさま一家そろって、今いるホームと(電車を挟んで)反対 側のホーム目掛けて一丸となって走り出します。重い荷物を持ったままですが、そんなことは もうお構いなし。(火事場の馬鹿力?) 今ここで電車に遅れたら、今までの 三度にわたる大ピンチを切り抜けたことが無駄になってしまう、飛行機の便も 変えなければならなくなってしまう…!! 

最後のウルトラCは、こうして始まり、そして何とか間に合って、有終の美を飾る ことができた(?)のでありました。(笑) あと2分遅れていたら、特急列車は我々を残して フィレンツェ駅のホームを後にしていたことでしょう。三度あることは四度ある?(汗)
無事に乗れた特急列車では、四度に渡るウルトラCの疲れを癒すべく、ミネラルウォーターに お茶のパック(日本から持参)を入れて飲みました。(笑) ヨーロッパでは 私の大好きな緑茶を飲む習慣が殆どないので、飲んでみるとすごくおいしく 感じたものです。ヨーロッパで緑茶が欲しくなったら、みなさんもやってみ てはいかがでしょう?(笑) 

ミラノのドゥオモ。輝くステンドグラス
到着したミラノでの滞在時間はほとんどなかったのですが、僅かな時間を縫って、 地下鉄でドゥオモ(大聖堂)へ行きます。このミラノのドゥオモ、行ってみ るとおもいきり工事中でちょっとがっかりしたのですが、 中に入ってみると工事の雰囲気は全くなく、ヨーロッパ旅行の最後を飾るに 相応しい荘厳な内装を見ることができました。写真のとおり、ステンドグラスも 素敵なものです。 神秘的な、宗教的な雰囲気を盛り上げるこういった美とともに、人々の心の拠 り所としてのキリスト教は、これからも 生き続けていくのでしょう。

ドゥオモをこうして僅かに見、ミラノ駅に戻ってからバスで空港へ。 因みにミラノ駅から空港まではバスで一時間もかかるのですが、成田空港よりは ましというものかな?(笑) 気がつくと私は、バスの中で、「さらばヨーロッパ、 また会う日まで…」と、心の中で念じ続けていたのでした。

搭乗する客が三人ほど遅刻したため飛行機は予定時刻より40分ほど遅く ミラノを出発。これで第二回ヨーロッパ旅行も終わりなんだ…。
私は念じ続けます。「また来る!!」



第八日目(〜成田)

行機にて、ビール&ワイン&ウォッカと三連続で飲み、 ぐっすり寝ているといつの間にか成田。到着した成田では静かに 雨が降っていました。
そう、ヨーロッパでは一度も見なかった、雨の光景です。 本当に我々は運がよかったのだなぁ。

帰りはバスにしました。首都高速が大渋滞しているとのことなので、アクアラインを 通ることになったのですが、これがいわば、ヨーロッパ旅行のおまけみたいなものかな。

第三回ヨーロッパ旅行記? まぁそのうち。(笑)
ここまで読んでくださったみなさま、ありがとうございます。


戻りたい方はこちら

このページに関するご意見・ご批判等は、

zhuangzhou@nifty.com
までお願いします