両親の住むスウェーデンに帰省する旅。いろいろヨーロッパはまわってきた(これまでに15カ国)のですが、なぜかイングランドには行ったことがなく、今回初めて訪れることができました。☆
第零日目 (埼玉〜横浜〜)
第一日目 (〜中部国際空港〜ヘルシンキ〜ロンドン〜ケンブリッジ)
第ニ日目 (ケンブリッジ〜ロンドン)
第三日目 (ロンドン〜ストックホルム)
第四日目 (ストックホルム)
第五日目 (シグチューナ)
第六日目 (ストックホルム)
第七日目 (ストックホルム〜ヘルシンキ〜タリン)
第八日目 (タリン〜ヘルシンキ〜)
第九日目 (〜名古屋〜東京〜埼玉)
第零日目 (埼玉〜横浜〜)
何とか定時までに仕事に目途をつけ、埼玉県から神奈川県へ移動して、とある音楽の集まりの全体練習(20時開始)。22時に終了、その足で横浜駅へ。24時過ぎに天理ビル前から出る夜行バスに乗って名古屋を目指すのです。中部国際空港でのチケット受け取り時刻が朝9時と早く、始発の新幹線でも間に合うことは間に合うのですが遅れが怖いためこうしたのでありました。えっ、なぜわざわざ中部国際空港かって? …成田からの便がタッチの差で取れなかったんですよ実は…。(^-^;) 成田発よりたしか3万円くらい安いしまぁ我慢。
東岡崎などの停留所で数回止まりながら、バスは予定時刻どおり名古屋駅に到着。名鉄名古屋駅まで行き(乗り換え距離が思ったより長かったです)、中部国際空港まで無事到着できました。中部国際空港は初めての利用です。チェックインをすぐにすませて搭乗ゲートへ。
雨は止み、英国のすかっと晴れた朝がやってきました。
この日は、ロンドンとくに大英博物館を観てから、両親の待つストックホルムに向かう日。
両親宅で目覚めたのは多分10時くらい。(笑) 朝寝坊さんですね…、時間がもったいないや。(汗)
この日は、ストックホルム郊外にある、シグチューナというスウェーデン最古の街を訪れます。父親は仕事のため母親と二人。
朝は遅く起床でした…。(汗)
今までとはうって変わり、朝5時に起床。
起床してホテルの食堂に行くと…多くのフィンランド人が既に並んでいました。そう、フィンランドに比べて物価の安いエストニアに、週末を利用してフィンランド人が大挙してやってくることがよくあるそうなのです。私の泊まったこのホテルは港に近いのでそれだけフィンランド人が多かったのでしょうけれど、こんなにたくさんいたとは思わなかった…。
セントレアには日本時間の朝8時台に到着。さあここから、急いで東京に向かい、会社の友人が出演するコンサートに行くのです。…が、出だしから少しつまづいてしまいました(汗)。道中でずっと借りていた携帯電話を空港に返していなかったことに、名鉄の特急に乗りこんでから気づきまして、急いで引き返したのでした…。
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横浜駅近くの松屋で遅い夕食をとってから、バスに乗り込み、すぐに寝入ります。
第一日目 (〜中部国際空港〜ヘルシンキ〜ロンドン〜ケンブリッジ)
乗る飛行機は、フィンランド航空による名古屋〜ヘルシンキ間、そしてヘルシンキ〜ロンドン間です。ヘルシンキでの乗り継ぎ時間が50分しかないのが少し心配といえば心配なのですが、同じフィンランド航空同士だし、それにフィンランド航空は遅れないという評判だそうなのでそれを信じたという便選択。(笑)
…なのですが、名古屋〜ヘルシンキ間の飛行機は予定時刻より10分ほど微妙に遅れて出発。(汗) 大丈夫かな…と思いつつ飛行機の中ではひたすら読書。読んだのはディヌ・リパッティの伝記、アマゾンで見つけたので電光石火で買ったものです(笑)。ウラル山脈上空くらいで完読。
因みに、フライト時間は10時間未満であり、パリ・アムステルダム・フランクフルトのときの約12時間よりはひとまわり短いことになります。着陸の30分ほど前になり、隣の日本人と初めて会話を交わします。女性の一人旅でフィンランドとノルウェーをまわるそうで、私と帰国の日が同じということで帰りももしかしたらお会いするかもしれませんねと話していたのですが、のちに実際に再会することになります。(*^-^*)
ヘルシンキ到着は予定時刻よりもたしか5分ほどの遅れ。これなら十分大丈夫、よかった。
ヘルシンキ〜ロンドン間の飛行機は両隣とも日本人、大学教授と高校の先生。私と大学教授、初めて席に座るとき「ここ座っていいですか?」と会話を交わそうとしたのですが、当初お互いがお互いを日本人でないと思っていたためしばらくの間英語で会話してしまいました…。(笑) 大学教授はOxfordで英国の教育学を視察するために3ヶ月ほど滞在するとのこと、高校の先生は英会話教室のホームステイとのこと。あ、この高校の先生とも、のちに再会することになります。(笑)
ロンドンに到着、時刻は17時過ぎ。英語が普通に書いてある国、すなわち英語圏の国は初めてなのであります。というか、これまでヨーロッパ15カ国に行っておきながら、その中に英国が含まれていなかったというのは何とも不思議であります…。
英国での狙いは主に、大英博物館、および、大学キャンパスめぐり。ある音楽の集まりで知り合ったViolin弾きのかたがCambridgeに住んでおられ、大学キャンパスめぐりに関しお世話になるのでした。 m(..)m
というわけでこの日のうちにロンドンからCambridgeを目指すのですが、電車乗り継ぎとバスとでどちらを選ぶべきか少し思案。バスだと乗り換えが一切なくCambridgeまでdirectなのがよいのですが、本数が少なく22時に到着する便が最速とのこと。電車乗り継ぎに決め、Heathrow Express でPaddington駅まで行き、地下鉄でKing's Cross駅まで行き、そこからCambridgeまで100キロ弱を特急。…なのですが、休日のためか地下鉄が予想外になかなか来てくれなかったことと、King's Cross〜Cambridge間の電車が予定時刻よりかなり遅れたことにより、結局Cambridgeに着いたのは22時ごろ。(TT) バス乗っても結果的には変わらなかったか…。
そして、Cambirdgeに近づくころから、いやな予感はしていたのですが雨が降ってきました。(涙) 私って比較的晴れ男のはずだったのだけど…年とると体質変わるのかなぁ。(汗)
雨のCambridge駅にて、友達と1年ぶりくらいの再会。夜のパブに行く予定だったのですがさすがに遅い時間帯なので開いてないだろうと判断、パブは明日の昼まわろうということに。彼の自動車にて、宿泊するB&B(小さな宿のこと)まで直接案内していただきました。m(..)m おにぎりとビールとウイスキーの小瓶までいただいてしまい、本当に本当にありがとうございます…。m(..)m m(..)m
第ニ日目 (ケンブリッジ〜ロンドン)
この日は、ケンブリッジの大学キャンパス群を見て周り、夕方ごろロンドンに向かう日です。
B&Bで English Breakfast を平らげてから、友達の車に乗せていただき大学キャンパスめぐりへ出発。(ほんとお世話になりっぱなし、重ね重ね恐縮です…。 m(..)m )
英国は、私が今まで訪れた国の中で唯一、日本と同じ左側通行の国でありまして、今までと何か違和感がありましたが、徐々に慣れていきました。そして車窓から見える英国の景色、これもやはり他の国と少し異なる感じがします。植生の差異がどれほどあるかわかりませんが、芝生や木々の質感がどこかしら今までのどこの国とも違うような…。鬱蒼としている、という表現が一番近いかも。
ケンブリッジというのはカレッジの集合体からなるとは聞いていましたが、もはやカレッジ群がそのまま街になっているという表現が適切かも。歴史を動かしてきた多くの人たちが、何百年も前にここで学んでいた…そんなことに想いを馳せていますと、すぐそこの角あたりからふいとニュートンやワーズワースやバイロンが出てきそう。(笑) まずケンブリッジで最古の建物のひとつという聖墳墓の前で軽く一礼してから、カレッジを歩いてまわっていきました。まわった順に、カレッジを以下に箇条書きにします:
・セント・ジョーンズ・カレッジ … 著名な卒業生:ワーズワースほか。美しい芝生の上をたくさんの大きな鴨たちが歩き、小川をゆく小さい舟(日本で言えば柳川の舟?)ものどか。いやはや静かでいいところ。(*^-^*) そして、新旧両校舎を繋いでいるのが、ヴェネチアの橋を模したという「ためいきの橋」。
・トリニティ・カレッジ … 著名な卒業生:ニュートンほか。植え込みおよび木立が先ほどの言葉を借りればまさに鬱蒼とした感じ。ここの小川でも柳川の舟が活躍中。ふと植え込みの看板に目をやると、「教授以上のみ入園可能」の庭あり。(^-^;) おやおや…。
・キングス・カレッジ … 著名な卒業生:ジョン・メナード・ケインズほか。これは建物の規模が一味違うなぁと。遠くからでも十分わかるゴシック建築。面している大通りにはかなりの人ごみ。
このへんまでまわってから、広場で一休み、バザールやお土産店などで少し買い物。
・ダウニング・カレッジ … 周囲とは一風変わった、ギリシャ風建築。かなり最近建てられたもののようで、調べてみるとやはりそうで1950年代建造とのことです。そして、そのギリシャ風建築のふもとに大きな花壇、ちょっと不釣合いかも…。(^-^;)
・エマニュエル・カレッジ … ぱっと見だと「めぞん一刻」の時計坂駅みたいな建築です。(笑) 時計台を真ん中に左右対称な構図はまさにそれ。芝生が一点の乱れもなく、人もほとんど歩いていず、何だか時が止まったような、ジオラマのような不思議なところ。
ここでまた一休み、友達と二人でジェラートを買い、食べ歩き開始。(笑) ペンブローク・カレッジなどを軽く見て周り、お待ちかねのパブへ行くことにしました。意外と昼の時間帯でもやっていて、何とも助かるものです。
私はローストビーフを、友達はフィッシュ&チップスを頼み、早速賞味。そうそう、英国の食事は(以下省略)という話はそこここから聞きますが、私はそこまでは思わなかったです。ただ、味がかなり薄い。友達曰く、味が薄いならばあとで足せるから、ある意味合理性を追求しているからなのかもとのこと。もしかすると、まずいまずい(あ、省略せずに言ってしまった…しかも2回も(汗))というのはこの味の薄さと摩り替わっているのかも??
食事後、ピーターハウス・カレッジという、窓という窓にすべて花壇がついていて建物の彩度と好コントラストをなしているところを軽くみてから、フィッツウィリアム博物館へGO。時間はそれほどなかったので展示物は一部しか見られませんでしたが、モネ・ルノワールなど印象派が多くてよかった!
そして、この博物館のもうひとつの醍醐味。…実は、無料コンサートが行われるという情報を当日キャッチしていたのです。プラハのときもそうでしたが、こちらはそこここに音楽が溶け込んでいて、毎日どこかしらで身近なコンサートがあって素晴らしいですね☆ 演奏者は中国人の Wu Qian さんという人で、博物館の大広間に置かれたピアノの周囲には開演10分前くらいから人だかり。
演奏曲目はBeethovenのOp.110、Rachmaninovの前奏曲嬰ハ短調、Chopinのバラード4番、などなど。最初のBeethovenは音色の変化もバランスも素晴らしく、スッと自然に聴き入り酔いしれることができたのですが、その後の曲は残念ながらどれもBeethovenのときほどの輝きが少し失われてしまった感じで、ちょっと息切れかな?とも…。それでも素晴らしかったです!(*^-^*)
フィッツウィリアム後は、ケンブリッジ最後の総仕上げとして、ニュートンのいわゆるりんごの木、の子供を見に行きます。恐らく立ち入り禁止であろう、小さく仕切られた芝生にぽつんと立った小さな木で、季節も季節ですし勿論実はなかったですが、見られてよかった☆
やがてケンブリッジを去るときが来、ケンブリッジ駅まで友達の車で送っていただきました。お忙しいところおつきあいしてくださり、本当にありがとうございました。m(..)m
ロンドンの Liverpool Street までの特急に飛び乗り、そしてまた地下鉄に乗って、今日のうちにできればロンドン塔に行っておきたかった…と思ったのですが、やはり開場時間的に厳しいかなということで、この日は夕食&夜の街歩きで終えようと決断。歩き回る前にとりあえず Paddington 駅近くにとってあったホテルへ行って荷物を預け、出発。
まずは夕食、どうせなら有名なところへ行ってやろうと思い、ヴィクトリア様式の装飾で彩られた豪華なパブへ行ってしまいました。(笑) キャッシュオンデリヴァリーという制度は人生2回目(1回目は外国でなく日本の新宿の某店(笑))で少し慣れなかったですが、イングランド・ドイツ・チェコ・ベルギーの4種類のビールを勢いに乗ってあっという間に平らげてしまいましたとさ。(^-^;)
この後は、トラファルガー・スクウェアの党とライオン像に群がる人々の多さに驚きつつ、遠くに臨むビッグ・ベンへ向かって一歩一歩歩き続け、行き交う2階建てバス群の多さに驚かなくなったころにはもうビッグ・ベンの麓。当然もう黄昏時なので中には入れませんが、ビッグ・ベン、ウェストミンスター寺院、国会議事堂の周囲を歩き回り、テレビなどのメディアではなかなか見られないような夕闇の青に映えたさまが見られてよかった☆
盛りだくさんの一日でした。ホテルに帰ってゆっくり就寝。
第三日目 (ロンドン〜ストックホルム)
大英博物館は10時から開館なので、10時までにまわれるところをまわっておこうと思い、ホテルを朝早く出てまずロンドン塔に向かいました。塔とはいいますが、横方向に長く、寧ろ城塞の趣です。大英帝国の繁栄を支えた軍事施設だけあって、観るべきものはたくさんあるそうなのですが、残念ながら中に入る時間がないため外観だけ観て終了。次来たときは中も観て回ろう。
そしてこのロンドン塔から程近いところにあるのが、テムズ川を挟んでたたずむ、ロンドン名物タワー・ブリッジ。(…誰ですか、ロビンマスクなんて言っているのは!(笑)) 油圧で橋を昇降させる機能は今も現役だそうで、歴史の重みを感じさせますね☆ 遠くから写真を撮るだけでなく、実際に渡り、橋の隙間からテムズ川を見渡してみました。(笑) 橋の隙間は…5センチ未満くらいかな? 広すぎるのは勿論、狭すぎてもいけないということでこのくらいの隙間になったのかもしれませんが、事故とかなかったかなと少し心配になりました。(…と心配していたら、この数日後だったでしょうか、アメリカで橋が崩落する大事故…(悲)。後日ストックホルムで見たCNNでは一日中このニュースでした。心よりお悔やみ申し上げます…。)
タワー・ブリッジを引き揚げ、地下鉄を乗りついで大英博物館へ行きます。あ、そういえばあのお馴染みの赤塗り2階建てバスにはまだ乗っていないなぁとここで気づきます(汗)。結論から言うと結局この日も乗らず、したがって今回の旅では乗らなかったのでありますが、次来たときに是非乗ろうと心に決めました。(さっきも同じようなこと書いたな。(笑))
大英博物館は、ギリシャ風の巨大な外観でした。そしてひたすら人だかり、予想以上の人口密度です。早速入ってみましたが、広い!! ルーヴル美術館も広いと思いましたが、それに勝るとも劣らない広さではないかな? 展示物は、ローマおよびギリシャ、中南米の文明、中国、古代エジプトなど、おおよそ時代・地域ごとに部屋わけされていてわかりやすかったのですが、いかんせん部屋の数があまりに多いため、部屋によっては駆けぬけるようにしか観られないところも残念ながらありました。全部を3時間で観るわけだからなぁ…。
意外と面白かったのが、中南米の文明に関する展示。時折、日本の着物や仮面などに不思議とよく似たものがあり、おおこんなのがあるんだなぁと初めて知りました。ほかにも、アラスカに住むエスキモーの展示や、ブラックアフリカの文明に関する展示、世界各国の貨幣の展示、古代ローマ・ギリシャの展示などを次々と観て回っていきます。
そして、敢えて後半に回ろうと思っていた、エジプトの展示にやってきました。ここは特に人口密度が高く、あちこちでストロボが明滅するような状況です。ミイラの棺の数々は勿論、ミイラそのもの、しかも保存状態がよかった(という表現でよいのか?)らしく皮膚がそのまま残っているようなものを拝むことができました。皮膚つきのミイラは、顔も四肢も痩せこけて黄色く変色して相当グロテスクでありまして、顔を背ける人も多かったようです。何千年も前、この人はどんな気持ちで暮らしていたんだろうなぁ。人生は短く、歴史は長い。何だか私の心の中に、諸行無常の響きが染み渡っていきました。さながらラフマニノフのピアノ協奏曲第2番の冒頭のように?! (^-^;;)
エジプトの展示ではほかにも、猫やワニや馬のミイラというものも観ることができました。人間のと同じように猫にもミイラの布を着せ、猫の仮面が被さっているさまは、見てみるとなかなかcuteなものを感じますね。(*^-^*)
この後は博物館内の食堂で昼食をとり(軽食なのに1500円くらいした…)、再びエジプト部屋の続きを観ていったのでした。かの有名なロゼッタストーンはガラスケースに入っており、お約束の人だかりで囲まれています。(笑) ガラスの映りこみが強くて、どれがハイエログリフでどれがデモティックでどれがギリシャ語とかの明確な相違までは残念ながらよくわからなかったです…。
大英博物館のすべての部屋を駆けぬけ、ロンドンを去るときがやってきました。時間があまりなかったこともありいろいろやり残したことも多いのですが、それは次回にとっておこうと思いなおし、 Heathrow Express に乗ります。飛行機の出る3時間前にPaddington駅を出発したのですが、さすがに少し早すぎたかな…。(汗)
空港にて手続きはすべて済ませ、ストックホルムへの短い旅。飛行機の中で、腕時計を1時間早めるのでした。(言い忘れましたが英国と大陸とは1時間の時差があるのです。ついでに、今回訪れるフィンランドとスウェーデンも、1時間差あり。)
夜のストックホルムに到着、やはり空気はひんやりとしています。すぐ Arlanda Express に乗りストックホルム中央駅へ、そこで待ち合わせていた父親と再会。地下鉄で両親宅に無事到着、例のごとく酒盛り→ぐっすり就寝であります。買い溜めしておいたマヨネーズ・煎餅なども無事両親に渡せました☆ 帰省のたびに毎回こうして日本の食材を個人的輸出しているなぁ。(笑)
明日はストックホルム郊外に浮かぶvaxholm島というかつての要塞を訪れます。
第四日目 (ストックホルム)
こうしてこの日の午前中はそのまんまのんびり過ごしてしまいまして、午後から始動開始。両親と、ストックホルム郊外にあるvaxholmという島の要塞に出かけます。1時間半という時間をかけて、大小様々な島の間を縫うようにして船は進みます。この島々に別荘を持っているスウェーデン人たちも多いらしく、彼らは短い夏の間ここを利用して釣りやクルージングに興じるようですね。(*^-^*) 船から見えるのはまさにそんな人たち。うらやましいなぁ。
vaxholm要塞およびその島は、思ったより随分とこぢんまりとしたものでした。向かいの島の、レストランやホテルなどが立ち並ぶ賑わいに比べて、明らかに閑散としています…。立ち並ぶ大砲の数々、そしてそのそばにはボウリングの球のごとき砲丸がピラミッド状に山積み。遠くから見ると少し正露丸のようでもあります。(笑) 島を一周するのにそう時間はかかりませんでした。
先ほども述べた、賑わっている向かいの島へ行って早速ビール三昧の昼食。(笑) そして暫く散歩と買い物タイム。ゆったり、のんびり。いつもいろいろ飛び回ることが多い私ですが、こんな滞在も楽しいなと改めて実感。
このあと船にて同じように帰途に就き、両親のアパートのテラスにてビールや食材を大量に持ちこんで大盛り上がりの夕食だったのでした。(笑) いやはや、のんびりはいい。
第五日目 (シグチューナ)
朝から郊外列車に揺られること約50分、メエシュタ駅に着き、更にそこからバスに乗り換えて数分だったでしょうか、何ともミニチュアのような小さな街があります。そこがシグチューナ。その建設された時期は10世紀終わりごろとされ、スウェーデンでは最古の都市です。
主な目当ては、ルーン文字などの遺跡と、北欧で最も小さいと言われる市庁舎。まずこの市庁舎に行ってみましたが、なるほど確かに小さい。6畳くらいの部屋が2つほど、入り口に対して左右対照になっていて、向かって右側は祭壇などがあり結婚式場としても使われることがあるそうです。高さ10数メートルの尖塔を備えていますが、登れる仕組みなどは勿論なし。遠くから見るとまたしてもめぞん一刻の時計坂駅舎に少し似ている? (笑)
この後は、人通りの多いストリートや、海沿いの道を一通り歩き回ってから昼食。久しぶりに屋内の店でした。
昼食後、先ほども述べたルーン文字の遺跡(石碑が多い)をめぐりにいきます。ルーン文字というのは主にゲルマン系の言葉を表記するべく作られた音素文字で、ルーン文字の一派はアイスランドで今でも使われているそうですね。ギリシャ文字の線をかくかくにしたようなところが何とも特徴的。シグチューナにはそこここにこのようなルーン文字の石碑があり、そして同時代に建てられた石造りの城塞(廃墟に近いものが多いですが…)があるのです。ひとつひとつを見て回っていきましたが、私が昔から思い描いていたようなゲルマン・ケルトの雰囲気がまさに出ていましたね。静かな森、木漏れ日が夏の風に揺らめく中、誰もいない石造りの廃墟の城に立つ…。不思議な体験ができました。
このあとも、廃墟となった教会や、そうでなく現役の(?)教会にも行き、最後にシグチューナの市庁舎をもう一度見て、海辺の道を歩いてから帰途に就いたのでした。
ストックホルム中央駅に戻ってから父親と合流。ストックホルム市庁舎の中を通り、地元のわりと有名なレストランへ行ってディナー。鮭のムニエルと生ガキです。あたると怖いという話はいろいろな人から聞きますが…、思い切って食べました。美味しい!!! (因みにあたらずに済みました、よかった〜。)
第六日目 (ストックホルム)
この日は家族といられる最後の日ということで、ストックホルムの隠れたレジャーと言われる、高速船に乗りに行きました。ものものしい救命着を着、ゴーグルをかけたうえで、時速100キロ近くを出す高速船にてストックホルムの運河をひた走るのです。乗ってみるとその迫力は予想以上でした、並みのジェットコースターよりずっとすごい!!(*^O^*) 体中にかかる水しぶき、曲がるときの五臓六腑にずっしりと響く遠心力。痛快なものです!! 一昨日も行ったvaxholm付近まで行き、スピードを落としてゆっくりと遊覧してから、再び水の上を心地よく滑走し始めます。緑に彩られた運河をつきぬけて、船は、走る、はしる。こんなストックホルムもいいなぁ☆
このあとは以前も何度も訪れたガムラ・スタンで遅めの昼食をとり、おみやげを買い、昨日も通った市庁舎を遠くに望みながら海沿いを歩いて帰ったのでした。
両親宅にて、母親の作った日本食にて最後の晩餐。私の帰省も終わりを告げようとしています…。しみじみ。
第七日目 (ストックホルム〜ヘルシンキ〜タリン)
この日は、まず経由地のヘルシンキまで行き、そこから少しだけ足を延ばし、エストニアの首都タリンに泊まる日です。
朝8時台の飛行機に乗るために、6時くらいに両親宅を出発。両親とは暫しのお別れです。また行くからね! (*^-^*)/~~
いつものようにアーランダ国際空港に行き、そしてヘルシンキへ行き飛行機に初めて搭乗。たった1時間のフライトなのですが、時差が1時間あるため飛行機の中で時計の針を直しました。ヘルシンキ空港到着…まではすんなりいったのですが、荷物がなかなか出てこず少し不安に。30分くらい待たされてしまいましたが最終的には無事出てきてよかった。
ヘルシンキ空港から市街まではバスで30分ほどの道のりです。ヘルシンキ駅前でバスを降り、駅近くのヴァイキング方式のレストランで昼食。昼食後、駅のコインロッカーに行き、大きい荷物は預けました。これからエストニアのタリンに行く船に乗るのです。
船の埠頭までは徒歩で10分ほど。途中に広い公園があり、たくさんの人でごった返していまして、大道芸人のひとたちのパフォーマンスなどを見ながら歩いていきました。タリン到着が最も早い便は20分後に出航する便だったので、すぐ予約しようとしましたが、普通の席は満席でビジネスクラスのみ空いているとのこと。(汗) 値段的にはそれほど変わらなかったので迷わずビジネスクラスを選びます。
出国審査などの流儀は飛行機のそれとほぼ同じ。タリンへ向けていざ出航、約90分の旅です。どんよりとした曇り空の下、静かなバルト海の上を、船はかなりのスピードで走っていきます。博多〜釜山の「ビートル」と同じくらいの速さかな? やがて水平線の向こうに陸地が見え、だんだん近づくにつれ建物などの細かい形がわかるようになってきて…着きました、エストニアの首都タリン。港の感想は…「閑散としてるなぁ」「さびれてない?」というものでした。(汗) 道も建物もコンクリートが古びていて、ほとんど誰も歩いていないし、このへん一帯が廃墟なんじゃないかと思ってしまうくらいです。かつてエストニアを支配していたソ連が引き揚げた「ゆめのあと」的な発想が私の頭をよぎります…。遠くに見える煙突も、草のぼうぼうに生えたレール(勿論列車は走っていないです)も、私の心にノスタルジアを喚起します。
それでも港を少し離れると、きちんと舗装された道の上を、決して少なくない自動車が行きかうようになりました。この道をわりと長く歩き、ホテルへ行ってチェックイン、荷物を置く、と。
こうして身軽になってから、タリンの旧市街へ出かけました。先ほどとは変わって市電が元気良く走る、状態のよい(草ぼうぼうでない)線路を越えると、そこはもう旧市街。ドイツ人やデンマーク人に長らく支配されていた、中世の街並みの面影を色濃く残した市街地なのです。
まずは、旧市街で最も高いという聖オレフ教会の頂上へ登りました。(因みにエレベータはなく、長い長い螺旋階段を歩いて登ったのです…。) タリンの360°の眺望ですが、近くには恒例の鮮やかな赤屋根、そして遠くのほうには意外と高層ビルなどが立ち並んでいました。よい眺めもあって頂上にはけっこう長い時間滞在。その間、同じくここを訪れていた家族(父母姉弟)に写真を撮ってと依頼されたので撮ってあげました。お父さんからの依頼だったのですが、渡されたカメラはNikonのフイルムカメラそれもかなりの年代物で、このお父さんきっとただものじゃないなと思います。(笑) 地元の人かなと思ったら意外や意外、メキシコ人だそうで、「去年東京と京都に言ったよ、京都が特によかったね」と言っていました。私:「ありがとう、私もそのうちきっとメキシコに行きますよ!」。今ごろメキシコで何してるかなぁ。
オレフ教会を出てから、ラエコヤ広場なる広場(中世の頃から市場が立っていたそうです)を通り、アレクサンドル・ネフスキー聖堂というところに行きました。この聖堂は何ともロシア的な建造物で、周囲の中世の街並みに対して全く調和せずといったところ。(汗) 調べてみると、やはり建てたのはロシア人で、時期は100年ほど前、帝政ロシアがエストニアを支配していた頃らしいですね。入ってみると中にはかなりたくさん人がいて、イコンといわれるロシア正教の絵画などがおみやげに売られていました。そうそう、日露戦争で沈没したロシアの艦隊に関するプレートも掲げられていました。
太陽はまだまだ高いのですが、時刻としてはどんな美術館・博物館も閉まる時間。なので暫くはどこへも建物には入らず街を歩き回ってみます。先ほどのネフスキー聖堂や、マクドナルドのような例外(汗)も僅かにあるものの、街中どこへいっても中世の街並みがそのまま残っているような外観の街。ドイツ人が観光で訪れた際に「これぞ中世のドイツだ!」とコメントした、という逸話があるそうです。
そして、夕食。オルデ・ハンザと言われる、中世の酒場を忠実に再現したという店に入ってみます。歴史家が監修しているらしく、店の外観も中世っぽければ、店員さんもすべて中世のいでたち(コスプレ?)。ビール1リットルと豚足を注文したのですが…豚足がすさまじい大きさでびっくり仰天です。(汗) チェコでラグビーボール大の肉を食べたという話を以前も書きましたが、多分それと同じくらい…。隣に座っていて仲良くなったオーストラリア人の夫妻(※)も相当びっくりしていました。笑いながら「写真撮らせてよ」と言って写真を撮っていました…。結局全部食べたけどね。(笑)
(※ 両方とも獣医さんだそうです。イングランドでの数年間の仕事を終えたところだそうで、いろいろなところをまわりながらオーストラリアに帰る途中とのこと。いいねぇ。)
漸く西の空が赤みを帯びてきました。かなり歩き回ったので、そろそろ帰ってもいいかなと思い、旧市街をあとにします。ホテルに戻るころには輝く夕焼け…。
第八日目 (タリン〜ヘルシンキ〜)
この日は、ヨーロッパの大地を離れる日。朝でひとけのほとんどない港に行き、すぐにチェックインを済ませ(チケットは前日に往復で買ってあったのです)、船に乗りこみました。行きもそうでしたが、帰りも結構混雑していました。
前日の曇り空とはうってかわり、からっと晴れた青空。もう一つの青、バルト海の上を、船は走り始めました。さようならエストニア、また会う日まで!!
ヘルシンキの埠頭に到着しました。飛行機の出発までそれほど時間はないので、ヘルシンキでは主だったところ…元老院広場とヘルシンキ大聖堂のみまわることにします。日差しの強い元老院広場にはかなりたくさんの人がいて、全身をペンキで塗りたくって微動だにしないパフォーマンスをしている人などもいました。(暑そうだな…。) 元老院広場からの急な階段を歩いてヘルシンキ大聖堂へ行き一通り見る、と。
この大聖堂の地下で、現代アートの展示をやっていたので、迷わず行きました。(^-^) 蝋燭を組み合わせたり、大小様々な模型の家を螺旋状に配置するなどのアート作品などがあり面白かったですが、少し驚いたのは、全体的に薄暗いこの地下展示室でいきなり喫茶店があったこと。早速ケーキと紅茶で一休みしたのでありました。
このあとは、ガイドブックに書いてあった、ヘルシンキでも有名という楽譜屋・CD屋へGO。(笑) 入り口のポスターがいきなり舘野泉だったのには少し驚きました…。入店してみると楽譜やCDだけでなくピアノそのものも数多く置いてあり、ホロヴィッツなどのポスターもそこここに貼られていましたね。入店記念に何か買っていこうと考え、かねてから欲しかったリパッティのバルトーク3番協奏曲のCDはないかなと尋ねてみました。で、店員さんはかなりいろいろ頑張って探してくださったのですが…残念ながら見つからず。(TT) まぁ仕方がない…。
ヘルシンキを去るときがやってきました。
ヘルシンキ中央駅に行き、前日預けた荷物をretrieveし、デパートでこまごまとした買い物をしてから、空港行きのバスに乗りこみました。私の旅も終わりが近づいています…。
空港でチェックインを済ませ、出発ゲート付近を歩いていると、ヘルシンキ〜イングランド間の飛行機で隣だった、高校の先生と再会!! そして、ベンチで休んでいたら、名古屋〜ヘルシンキ間で隣だった一人旅の女性と再会!! お互いの無事を確認し、そして双方のおみやげ話に花が咲き、出発までの時間はまさにあっという間に感じられたのでした。
帰りの飛行機では、途中まではだらだら過ごしていましたが、途中から藤原伊織著「テロリストのパラソル」を読み始めました。これが大変面白く、寝るのも忘れて一心不乱に読み続けます。太陽は落ち、偏西風に乗って飛行機は東へ、東へ…。
第九日目 (〜名古屋〜東京〜埼玉)
気をとりなおして、名古屋経由で東京へ向かいます。「テロリストのパラソル」、コンサート会場に到着する直前に読み終わりました。
長旅の最後に、ご無沙汰していた音楽仲間と再会でき、Chopin「Scherzo第2番」やBeethovenの「Op.111」、Debussy「喜びの島」など盛りだくさんの演奏が聴け、癒されましたね。(*^-^*) 喜びの島を演奏された会社の友達に、ストックホルム土産の生姜入りビスケットをプレゼントしました☆
以上、ここまで読んでくださったみなさま、ありがとうございます。m(..)m さあ、次はどこへ行こう。