■ シエナ料理学院 〜スローフード食事会 そしてスローフードを考える〜


 11月13日、ジャンルーカに誘われてスローフード協会シエナ支部の食事会に参加する機を得た。思いがけず本場のスローフードを体験できる喜びに、ジャンルーカを好きになってしまいそうだった(?)。

 研修が始まり、2週目に入った頃、こっそりとこのスローフードの食事会の話をいただいた。こちらに来て間もなくジャンルーカがスローフードの活動をしていることを知り、私も会員であり(思うところあって会費滞納中ですが)興味があることを知らせていたからだろう。その話をした日はちょうどスローフード食事会があるということで、その場で今日行こうすぐ行こう!と誘われたが、研修の当番でもあったし、帰りのこと等イロイロ考えてしまって断ったのだ。

 そんなこともありながらまた誘って下さったのはとても嬉しかった。皆に知られるとウルサイから別行動する適当な理由を考えておくように、とのことだった。今回は即OKしたものの、何を着ていけばよいのか?帰りはどうやって帰ってくるのか?等とひとり真剣に悩んでいたら、何のことはない、会場はこちらの学校であり、料理講習会付きの食事会とのことだった。安心安心。

 当日午後の研修はシエナのピッツェリアでピッツァの講習会を受けることになっていた。私は言われた通り適当な言い訳をして宿舎に残る。17:00にエプロンを着けて厨房に行き準備を手伝った。ジャンルーカの他にはセレナもいる。彼女はフィレンツェの語学学校の料理部門の主任教授だ。キビキビしていてカッコイイ。料理もとてもおいしいので、この2人と一緒に仕事ができるのは嬉しかった。
 スローフードの会員達が来る前にほとんどの事は準備を済ませた。私はウサギや鴨をさばいたり、香味野菜の用意。参加人数は26名と大勢だが、皆銀行員とのことで料理は全然できないとジャンルーカは言う。本当だろうか。参加者は男女半々。18:00、バラバラと会員達はやって来た。しかし銀行員にハ…イヤ、頭の毛の無い方が多いのはなぜなのか?疑問に思っても半分以上はそうなので誰にも聞けなかった。不思議だ。

 大体集まったところでワイワイと賑やかに分担を決める。皆は積極的に作業に取りかかろうとするものの、班毎に何をすれば良いのかどうやって作ったら良いのか等、口だけ動かし手は全然である。ジャンルーカやセレナが手本を見せてからようやく料理は始まるのだった。そして始めたら始めたで、料理「だけ」に集中してしまい、包丁もまな板も鍋もボウルも使いっぱなし。もう大変だ。結局端から片付けて回るセレナと私であった。何だかイタリアには研修というより仕事に来たような気が…気のせいではなく、本当に仕事をした。
 イタリア人は皆食べることそのものが大好きで料理するのも好きだ、というのはほぼ当たっている。ただ、それをそのまま「料理ができる」と勘違いしてはいけない。実は少し勘違いしていた私は、拍子抜けしたと言うかちょっとビックリした。まさかこれ程出来ないとは…それでも料理が仕上がる頃には慣れたけど。スローフード協会会員=料理のプロと勝手に思っていたが、考えてみればそう信じ込んでいた自分がおかしい。どちらかといえば食に関係のない仕事を持つ人々が会の大部分を占めているのである。日本でもそうだろう。つまり、普段スローでは無い生活を送り、スローの必要性を感じている人々の運動、ということなのだ。
 そして私もその必要性を感じる悲しい生活を送る1人なのである。



 どうにかこうにか準備が整い、食事は始まった。メニューは前菜:鴨胸肉のオレンジ風味、パスタ:ポルチーニ風味に仕上げたトルテリーニ、メイン:ウサギ背肉のチリメンキャベツ包み・黒キャベツのピュレ添え、ドルチェ:栗のファゴティーニ。ちょっと高級で現代風、そして凝った仕上げである。私達の講習の時とは全然違うタイプの料理。

 鴨はローストして蜂蜜を塗る。ソースはオレンジ果汁と鴨の出汁を煮詰めて生姜を加え、トロミはコーンスターチでつけた軽いもの。フランス料理のオレンジソースとはまた違うのだが、鴨に果物を合わせるのは昔から良くあるスタイルだし、この料理も一見現代風だがクラシックが土台になっているのは明らかだ。前菜と言うにはちょっとゴージャス。揚げた野菜を散らすところはちょっとフランス料理風。

 パスタはトルテリーニ。銀行員達の手によるトルテリーニはかなりバラバラで、作るのも茹でるのも大騒ぎで大変だった。ポルチーニとポルチーニ風味のブロードで仕上げてあるので軽く、ツルリとしたトルテリーニは口当たりも楽しくとてもおいしかった。仕上げにのせるはずのポルチーニ揚げは全員に行き渡らず、残念。

 メインのウサギは骨を外した背肉でパンチェッタやハーブを巻き、茹でたチリメンキャベツで包んだものをロースト。付け合わせは茄子のバットゥータ(たたき)。ウサギの下に敷いた黒キャベツのピュレがとてもおいしかった。ウサギの淡白で軟らかい肉は今回の研修で見直したものの一つであり、日本の皆に味わってもらいたいなあと思うもの。残ったモモ肉は後日セージとローズマリーの香りをつけて唐揚げに変身させたが、こちらもとてもおいしかった。

 ドルチェのファゴティーニとはクレープ包みのこと。実は1週間程前の授業時に作ったものと同じだった。ジャンルーカは私達の授業で試作したようだ。栗は油で揚げて皮を剥きピュレにする(すごく大変だ!)。これをクレープで包んでヘーゼルナッツ風味のソースで食べるのだが…栗の苦労の割にはヘーゼルナッツのおいしさがまず先に来てしまい、とても残念なのであった。クレープの巾着包みの口を留めるのは茹でたポロ葱。これはちょっと抵抗がある。せめて砂糖で甘く煮て欲しかったな。また、授業時もそうだったがクレープに表裏があることを気付かない人が多いのも残念。ちょっと考えればすぐ分かるのに。

 このファゴティーニ、その時焼き上げたものだけでは足りず、冷蔵庫の奥から1週間前に残ったクレープを引っぱり出して使っていた。…味はそれなりにおいしいのだが、それを知っている私は無邪気に食べられない。チョビチョビとスプーンでつつきながら隣でお代わりを続ける銀行員達の明日を心配するのであった。

 スプマンテで始まり、白ワインを軽く流し込み、誰かが持ってきたキャンティのマグナムボトルはアッと言う間に空になった。戸棚の奥の新しいワインがジャンジャン空けられ、食事は延々と続くのであった。パンも食べる食べる。銀行員達は英語もできる人が多く、私も伊語英語そして時々日本語も混ぜて何とか場に馴染むように努力。話す内容はほとんど食べ物のことなので理解にはあまり困らず、充分楽しめた。ジャンルーカやセレナも近くに座っているので安心していられる。時々心配そうにこちらを見る彼等の気遣いは有り難い。良い人達である。
 食事の後半は次回のメニューを皆で話し合ったのだ。しかし全員がそれぞれに「僕はドコドコのナニナニという地方料理がイイナ」「私は絶対に古典料理」等、勝手なコトを言うのでまとまらない。中には私に気を遣って「サシミにしよう」という人も。日本人に同じ話題を出したらどうだろうか?多分5分と続かないだろう。日本人だって食に興味が無い訳ではないと思うが、レベルが違うのである。食が生活の大きい部分を占め、大きな楽しみになっているのがイタリアなのだ。これはフランスも同じ。
 結局決まらないまま23:30、同日内に終了。お皿を洗って床を磨いて、いやー長い1日でした。



 今回参加したこの銀行員の料理教室兼食事会はスローフードの会であることは間違い無いのだが、その言葉はほとんど聞かなかったし、「私達は頑張ってこんな活動をしています」という意気込みのようなものも感じなかった。ただ皆で楽しく料理を作って、それをああダこうダと言いながら楽しく食べただけ。食材はドコソコのダレダレさんが作った由緒正しいものを用意しました、なんてことも一切ナシ。おしゃべりの中心は家庭や出身地の料理自慢がほとんど。同じ職場である彼等なのに、仕事の愚痴やら同僚の悪口で盛り上がるのとはもう全然違う。

 スローフードって何なのだろう?数年前から協会の会員となり、季刊誌や書籍を読み重ねてきたが、何だか日本スローフード協会や日本の雑誌に出てくるそれらはだんだん姿を変えてきているように思う。いや、私が変わったのかもしれないけれど、このところスローフードはある種の「商品宣伝の為の言葉」として一人歩きしているように感じている。全てがそうとは言わないが、外れてはいないだろう。
 先に述べたようにスローフードの必要性を感じる人々の大部分は日頃そうでない生活を送っている。日本ではスローフードという分かりやすい「響き」がマスコミにとりあげられ、徐々にでは無くかなり急速に意味よりも言葉だけが一部ではあるけれど先に広まってしまったような気がする。ファミリーレストランにスローフードのナントカ〜なんていう雑誌が置いてあったという話を聞いたこともある。スローフードというコピーがつくインスタント食品やファミリーレストランの料理が存在する時点でおかしい。それよりコンビニエンスストアやファミリーレストランが増え続けることに疑問を抱いている人が少ないのではないか?スローの必要性なんて感じていないのではないか?
 そんなこともあって、会費は払わないことにしたのだが、私自身は「丁寧に作ってゆっくり食べる」ことの必要性を強く感じており、またそれを大切にする気持ちを変えてはいない。

 言葉だけではなく、生き方としてもっと食を大切にすることが大事ではないのかと思う。健康食品やダイエットブーム、身体に良いと言われればすぐに信じ、次々と新しいものに飛びつく人の多いこと。そんなに自分の生活や健康に自信が無いのだろうか?
 全ての食物は必ず一つ以上は身体の役に立つものである。だからこそ人間はそれを食べてきたのだ。その食物をもっと大事にして、少しでもおいしく楽しめる工夫をすることをもう少し見直すべきではないか?これに時間をかけることがそんなに惜しいのか…時間やお金は一体何のために遣うのだろうか…と、考えはじめるとキリが無い。これを人々に伝えるにはどう説明すればよいのか?もともと何かする時は大義名分をムリヤリにつけたり探してしまう方で、スローフード活動も自分の考えに近いと感じ、その言葉を借りて多くの人に広めるようにアチコチで口にしてきた。しかし、今回の食事会でスローフードという「言葉」だけに頼るのはもうやめようと思った。
 口先で何かを伝えようと思っても限界がある。自分自身で「感じた」ことは人々にも同じように「感じてもらうこと」こと無くしては伝わって行かないのだ。私は食べることを通して「あ!」と思う瞬間「ハッ」とする瞬間がたくさんある毎日を送りたい、そして多くの人もそうあって欲しいと願っているのでである。たとえ余計なお世話と言われても。

 目からウロコが落ちた気分。かといって急に何かを変えるつもりはない。今していることを自信を持ってそのまま続けていくだけだ。


 食卓で楽しい時間を過ごすこと。その体験を持つ人はいつかその楽しさを思い出し必ず同じものを求め、そして再現してくれるはずだ。急がず焦らず、可能な限りゆっくり動いてきたいと思う。


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