| ユリイカ 2001年10月号 |
うつせみ 大下さなえ蝉が鳴いてる。喉の奥からそんな言葉がつるっと出てくる。油蝉、みんみん蝉、つくつく法師。いろんな種類の蝉の鳴き声が混ざっている。窓の外には緑が揺れていて、見たことのない風景のように見える。祖父の古い家の木目と、祖母と行った銭湯が、フィルムのとなりあうコマのようにあらわれて消える。長い間、何を書いても、何も書いていなかった気がする。水面の皮みたいなところを言葉がすべっているが、遠い水底から覚めて見ている。こぼれ落ちるどの言葉も、自分の息とずれている。風がまた通っていった。フィルムのなかで踏み台にのぼり、できたばかりの家で父といっしょに天井のげじげじをはたき落としていた。そいつらは黒くてたくさん足があり、じゃらじゃらしながら落ちてゆくので、じゃらじゃら虫と呼んでいた。かつてさわっていたはずのものが遠い場所ではためいている。疎開先で妙義山を眺めながら、あの山の上に行けば死んじゃえるのかなあと思った、と母は言った。フィルムはいつも断面で、コマとコマの隙間に何があったのか見ることはできない。子どものころ『日本沈没』という本があった。『ジョニーは戦場に行った』という映画があった。冷戦とか核兵器という言葉があった。給食の牛乳のように、テレビの中の怪獣のように、それらはどこか知らない場所から毎日届けられた。広い校庭に立って、世界から拒まれているように感じた。なくなってしまう、あるいはなくなってしまっているわたしと、わたしたちの生活のことを思っていた。遠くで、もうひとりのわたしが声をあげていた。夏になると完全な形の蝉の抜け殻を探した。薄い殻の背中には必ず長い切れ目があった。死んだ蝉もよく拾った。抜け殻と同じように中が空っぽで、音はいつも肉からではなく空洞から出るのだと思った。世紀は変わって、わたしはここに生きているままだ。なくなってしまっただれかがどこかに潜んでいるような気がするときがある。虫が鳴いてる。その響きが繰り返される。イマナイテオカナイトモウダメダトイウフウニナイテル。蝉ではなくて虫だった。ようやくその言葉がずっとむかし読んだ詩の一節であったことを思い出す。窓の外で緑がふくらんでいる。 |