| 明空3号収録 |
石をつなぐ男 大下さなえ真っ白い壁と高い天井、光が揺れ動く水槽の底のような場所で目覚めると、わたしはカツ丼が食べたかった。広い部屋だね、ものも何もない。ここはヒサシの父親の別荘。アリゾナ州フェニックスのはずれにある。僕も以前三、四回来たことがある。ここだとこうなるんだ、たいていのものはいらない、執着するのがおかしいと思う。でも日本に帰るとなぜかものがたまっていく、知らないうちに部屋が埋め尽くされてる。父親も同じようなことを言っていた。旅行のあいだ会話する相手がヒサシだけだからだろうか、わたしはヒサシが話していても自分が話しているような気がしてしまう。天井まで何メートルくらいあるんだろう。隅から順番に乾燥豆をつめていったら、何個くらいつまるんだろう、と考えると息苦しくなった。でもどうしてカツ丼なんだろう。いつもは揚げ物なんか食べたいと思わない、しかもおとといからお腹を壊して、何を食べても吐いてしまっているのに。 アメリカに来てからミミコが風景の中から浮かび上がっているように見える。光がちがうせいだろうか。フェニックスの街は何もかも新しい。くっきりとあざやかで、角がはっきりしている。古くなったものは取り去って捨てるか、修理したり塗料を塗りなおしたりしているんだろう。サボテンや岩の山も巨大なおもちゃのように見える。こんなふうに風景がちがうのに、ミミコはどうしていつも眠そうなんだろう。外に関心がないのだろうか。それならどうして旅行なんかに来たんだろう。こっちの人と話そうという気もないみたいだ。まったく話せないわけではないのだろうから、買い物とか食事のときくらい自分で交渉してくれればいいのに。通訳は面倒だ。ふたつの声を同時に耳の中で鳴らすことはできない。声を文にしてほぐして取り替えてつなぎ直す。会話はしだいにそういう単調な作業の連続になって、内容のことを忘れてしまう。 砂漠の中の街、とヒサシは言っていたけれども、飛行機の中から見えたのは、限りなく平べったくのびひろがった建物の群れで、砂漠がどこにあるかわからなかった。もともと砂漠だったところに街を作ったんだ、だから広くて平べったいだろう、この十年どんどん景気がよくなって不動産バブルで家がどんどん建てられて売られて、街も外にどんどん広がった。むかしは砂漠の中に島みたいに浮かんだ街だったのに。はじめに来たときとは景色がちがう。むかしは父親の別荘のあるあたりはちょっといくともう一面砂漠だった。ずいぶん遠いところから用水路をひいて、人工的に作った街。家やリゾートホテルはたくさんあるが、畑とか工場とか、ものを作り出すところはどこにあるんだろう、そういうものはすべて外から運んで来るんだろうか、と不思議に思ったものだったのに、今は車を走らせていると畑も工場もたくさん見つかる。この前来たのはどれくらい前だったのだろう。そのときここは何だったのだろう。街の外の荒野だったのかもしれない。窓の外に車の音がする。ヒサシは起きあがってバスルームに行く。わたしはまだ起きる気にならない。 ヒサシの声がしなくなくなると、頭の中がしんとして、広くて真っ白いこの部屋みたいだ。車の音とか風の音、そんなものをぼんやり聞いている。音と声は同じようでちがう。音には触られるように叩かれるように引っかかれるように感じるけれど、声は図形だから見るようにして感じる。頭の内側に声を見る目がついているのだろうか。東京の街を歩いていると、頭の内側で自分以外のいろんな声が喋り続けているのに、アメリカに来てから何も聞こえなくなった。起き出してとなりの部屋に行くと、机の上に何冊も本が並んでいる。ほとんどは英語の本。日本語の本を見つけて開くと、文字が生き物の標本みたいだ。「回」とか「爽」とか、そういう形の生き物がいて、そこに貼りつけられたまま生きている気がしてならない。文字も目からはいって、頭の裏側の目で感じるらしい。頭の中に文字がうじゃうじゃはいってきて、気もち悪いのに気もちいい。アメリカの文字だとどうしてこうならないんだろう。空の上の方で鳴っている雷みたいに見える。アメリカ人にはそうじゃないんだろうか。 シャワーをあびて洗面台の前で身体を拭く。自分の姿が鏡に映る。真っ正面に立っている人間の形の像。僕はそれを直接見たことがない。だからだろうか、それが自分だと思ったことがない。自分が何かと考えるとき、具体的な形など浮かんだことがない。僕は、どちらかといえばむしろ、自分とされている像の外側に広がっている背景の方にいるような気がする。広い部屋だね。さっきのミミコの声を思い出す。耳の入り口のちょっと内側のあたりで。鏡を見る。こちらを見ている男が自分だとは思えない。僕はどこにいるのだろう。記憶の中の声。僕の中の声が外の空間にはみ出して、僕の中が、身体の中にあるのか外にあるのかわからなくなる。僕は、声の漂う空間の中を移動してふるえる膜にすぎないのかもしれない。音が鳴っているとき、空気も身体もいっしょに波打っている。中でもなく外でもない、身体でも空気でもない、波にぶつかってふるえる場所、僕はそこにいるのかもしれない。 ヒサシに連れられてミヨシさんの家に行く。ミヨシさんはこの別荘地のオーナーのところで働いている庭師で、ヒサシの父親宛ての手紙を預かっていてくれる。若いころに世界中の人と歌を歌うとかいう会に参加してアメリカに渡ってきて、会の上の方の人の経営している不動産会社で庭師として働くようになったんだって言ってた、それまで日本庭園なんて知らなかったのに、本を見て、金持ちのためにいくつも日本庭園を作ったらしい。ミヨシさんは、日に焼けて歯が白い。ハイスクールに通う子どもがふたりいて、男の子がムサシ、女の子がゾーナ。もう何人かわからないでしょう、ライク・インディアン、よくまちがえられる。ところどころ英語がまざった変な日本語。英語の方もかなりあやしい。アメリカに渡ってきたときは、OKとイエス、ノーしか知らなかった、OK、OK、何とかなる、ノープロブレム、だいたいわかれば問題ない。子どもは英語はうまいけれど、日本語を話そうとしないのが悩み。もうすぐ男の子は徴兵されるかもしれない。ミヨシさんは自分に陪審員が回ってくるのがこわい。ミヨシさんはふだん考えごとをするときって、何語で考えているんだろう、と僕は思う。考える? 考えているとき、もつれあった糸の束のようなものをたどっている。でも、糸をたどることで考えが進むんじゃない、糸は、ただ考えのあとをたどっているだけだ。糸の向こうに、糸を束ねている人がいるのだろうか。僕には、糸の束の全体を見ることはできず、話すように書くように、一本一本たどっていくことしかできない。ミヨシさんとヒサシはピザを食べているけれど、わたしはやっぱり食欲がない。カツ丼が頭に浮かんで離れない。ミヨシさんはフェニックスでもいくらでも日本食は食べられる、グッドレストラン、と言って地図を書いてくれた。ミミコはどうして急にそんなこと言い出すんだろう。いつもは油っぽいものはきらいとか言ってるくせに、カツ丼なんて。海外旅行中に日本食を食べたいなんて老人みたいじゃないか。僕はなぜかうんざりする。 車で北の方に小旅行に行く。フラッグスタッフを越えて、ユタ州との境にあるパウエル湖まで行く。グランドキャニオンのような入り組んだ渓谷に水を満たして作った巨大な人造湖だ。あの大きさを見れば、いくらなんでもミミコだって驚くだろう。ヒサシに地図を渡される。アリゾナの気候のこととか、ルート六六という道路の歴史のこととかいろいろ聞かされる。道は砂漠の中をずっとまっすぐ進む。はじめは、今地図のどのあたりを走っているのか追いかけようとしていたけれど、やめてしまった。走っている場所を地図で把握しても、自分を実際に上から見られるわけじゃない。景色もあまり変わらない。植物は数も種類も少ない。はえているのはサワロというサボテンばかりだ。サワロは、ちょっと人間に似ている。サワロたちの中にわたしというサワロがいるような気がしてしまう。サボテンを人だと思ってはいけない。外の植物とか景色の中に自分がいると思ってはいけない。その中に自分の一部がはいっていると思ってはいけない。ものはそのものでしかない。だれかがミミコに話しかける。もうすぐサワロがなくなるよ、とヒサシが言った。ここが北限なのか高度のせいか土質のせいかわからないけれど、この道を北に走っていると、あるところで急にサワロがなくなってしまうんだ。そこから先は葉っぱが小さい低木ばかりになる。あ、あれだ、あれが最後のサワロだ。ヒサシの声がする。大きなサワロが立っている。通りすぎると本当にもう一本もサワロはない。振り返っても最後のサワロは遠ざかってしまってもう見えない。 途中で昼食のためにフリーウェイを下りる。道路のわきにインディアンの露店が出ている。降りてみる? ヒサシが言った。木でできた露台の上にアクセサリーが並んでいる。アクセサリーなんてほしくなかったけれど、そばに立っているインディアンたちを見てみたかった。ネックレスやブレスレット。どれも小さな石をつないで作ったものだ。きれいな色の石。顔の大きい男が近づいてきて、何か言った。早口で聞き取れない。天然の石だって言ってるみたいだ。ヒサシはわたしにそう言って、インディアンに話しかける。どこに住んでいるのか。町の名前らしい答えが返ってくるがよく聞き取れない。僕はポケットから紙を出して、ここに書いてくれ、と言った。文字は書けない、と男は言った。店の奥を見ると、椅子に座って石をほぐしてはつないでいる男がいる。もうずいぶん年に見えるけれどもインディアンの年はいつもよくわからない。ほぐして、ぶつぶつ文句を言いながら、別の色の石をつないでいる。僕はその動きから目を離せなくなる。ヒサシがじっと動かないので店から離れて景色を眺める。インディアンの男が話しかけてくる。しゃがんで土をさわりながら、歌のようなものを歌う。土を指して、空を指す。母親も祖母も死んでその骨が土になった、と言う。急にそこだけ聞き取れて、ぎょっとする。前後はわからない。これは娘、と言って財布の中の写真を見せてくれるが、雑誌の切り抜きにしか見えない。ミミコは何も買う気がないらしい。男が、安くすると何度も勧めるから、買わないわけにはいかなくなる。ヒサシは何でもいいから三つ選べと言う。店の奥の年老いた男が僕をじろりと見る。どこかで会ったような気がする。 このへんはリザベーションなんだ。車に戻るとヒサシが言った。リザベーション? インディアンの居留地だよ。地図で見てごらん。地図を開くと、アリゾナ州には何箇所も広いリザベーションがある。広いけど、痩せた土地ばかりだよ。最近リザベーションの中にカジノができて、大儲けしているらしいよ。アメリカでカジノが許可されているのは限られた州だけだ。だけど、リザベーションの中は完全にインディアンの自治が守られているから、取りしまることはできない。だれか頭のいい奴がはじめたんだろうな。今じゃ、アメリカ中のリザベーションにカジノがある。マクドナルドにはいる。店員はインディアンのようだ。顔が大きく、赤黒い。注文すると、おそろしいほど早口で何か訊かれる。聞き慣れない発音で、一瞬英語に聞こえなかった。店員がメニューの紙を指しながら、僕の目の中をのぞく。さっきのインディアンの老人。石をほぐしたりつないだりしていた年老いた男の姿が頭の中によみがえる。ソースの種類らしい。指さして答える。店内でハンバーガーを食べる。頭を使うのをやめると、まわりに漂っている声が意味のない雑音に聞こえる。ときおりはっと単語が丸のまま耳からはいってきてぎょっとする。 インディアンの町の建物はみんな古く見える。フェニックスの街とはちがう。塗料がところどころはげているし、小さくてぼろぼろのあばら屋みたいなものもある。スーパーマーケットの中は、乾物のような匂いがする。中国系のマーケットの匂いと似ている。前の広場でフリーマーケットみたいなことをやっている。机の上に古着や日用雑貨がどっさり並べられて、屋台も出ている。肉を煮込んだものが皿に盛られている。歌みたいなものが聞こえる。さっきの人が歌っていた歌と似てる、とミミコは言った。ふたり連れの男が、何人か、と話しかけてくる。日本人。中国に行ったことがある、と男が言った。ほかの部分は聞き取れない。もうひとりが、湾岸戦争で戦闘機に乗っていた、と言う。飛行機の操縦の真似をする。何とかを持っているか、と訊かれる。何とかというのが何なのかわからない。何かを売りつけようと言うのだろうか。ヒサシは急に緊張した顔になって、手を振って、ない、ない、と言った。男たちはにこにこ笑って、もう一度話しかけてきたが、ヒサシは足早になり、わたしもあとについていった。何を訊かれたの。わからない、と僕は答えた。 車に乗って、どんどん北に行く。日本ではひとつの町が終わると、次の町がはじまる。境は、町と町のあいだにある。でもここでは、人のすんでいない土地がえんえんと続く。町といっても、家らしいものが数軒立ち並んでいるだけの場合もある。そういうとき、道沿いにポストみたいな箱がいくつも並んでいる。あれは何。ポストだよ、とヒサシは答えた。郵便車は、一軒一軒の家までやってきてくれない、ああやって、街道沿いのポストにいれていくんだ。そのかわり、郵便を出すときも自分の家のポストに入れておけばいい。出してほしい郵便物がはいっているときは、自分のポストの上に目印の石を置いておく。どんな田舎でも、郵便車はちゃんと定期的にやってくる。そんなので大丈夫なの。郵便は神聖なものだから、ほかの人の郵便物をとったりするようなことはないらしいよ。こういう広いところに住んでいるのってどんな感じなんだろう。東京にいると、境が身体にはりついてきてしまう。満員電車に乗り、繁華街の近くのアパートに住む。仕切っても仕切っても、境は身体のごく近くまで迫ってきて、ついには身体の中にはいりこんでくる。わたしはどんどん後退しなければならない。あたりが暗くなりかかってから、車はパウエル湖のダムの近くの町にはいる。この町には教会が百もある、人口は数千人なのにね、同じキリスト教でも宗派がちがうのがいろいろあるんだよ、前に電話帳で見て知ったんだ、バーの数より教会の方が多い、そういう町はロクな町じゃない、みんなが拠り所を求めてる、貧しいからだよ、それにやる気がない。 町のはずれのモーテルに泊まる。街道を通る車の音が聞こえる。一日中運転していたせいか、つかれていてすぐ眠ってしまった。頭の隅に小さな穴があいているようで、そこから石の粒がぽろぽろはいりこんでくる。昼間インディアンの店で見たような、きれいな石だ。粒がどこかからやってくる。どうつなぐのかわからないそれを、必死につなぎあわせている。つなぎあわせているうちに、何を作っているのかわからなくなる。粒のかたまりが人間くらい大きくなると、それが自分のように思えてきた。ちがうよ、とうしろから声がする。振り返るとインディアンの老人がいる。あんたは、俺だ。僕の身体の皮の中に、老人がもぐりこんでいる。そいつが僕の手足を動かして、粒を全然ちがう形につなぎかえようとする。ちがう、僕はそんな形じゃない。僕は叫ぶ。そうだ、もともとこれはあんたじゃない。老人はそう言って粒をばらばらにしてしまう。僕は、と言おうとして、僕は口が開かなかった。かわりに、粒たちがそれぞれ勝手なことを喋り出した。僕は何を言おうとしているのかわからなくなった。僕は何がわからないのかわからなくなった。僕はわからないということがわからなくなった。ヒサシが寝言を言っている。光る自動の極限に向かわなければならない。変な宣言が行われ、わたしは思わず笑ってしまった。夢の言葉というのはこういうものなのかもしれない。自分の夢の言葉は聞いたことがない。テンポは投影機械を設立するかもしれない。なぜなら墨汁のシンセサイザーが充満している。聞き取れても、覚えていることはできない。わたしも眠くなってくる。目を閉じると、背中から根っこのようなものがたくさんはえて、のびはじめた。たくさんの根から、水が身体のなかにはいりこんでくる。わたしの身体はもつれあった細かいトンネルだ。たくさんの穴に外から水がはいりこんでくる。水は細い筋になって、どんどん細く枝分かれして、身体じゅうをめぐる。身体は水に浮かんだスポンジにすぎない。満ち、通い、流れ出す水こそわたし自身だ。身体は、通過されるだけの器。だれかがミミコにそう話しかけた。 湖は不気味なほど青い。まわりの岩は赤かったり灰色だったり、植物はなくむき出しで、変な形をしている。舟に乗ってみても、入り組んでいてどこまで続いているのかわからない。コロラド川にダムを作って、渓谷に水をためたんだからね、満水になるまで何十年もかかったらしいよ、とヒサシが言った。観光舟にほかに白人の老人のふたり連れが乗っている。広いけれども、海の広さとはちがう。枝分かれしたたくさんの筋の中に水が満たされている。二時間くらい舟に乗っても、回れるところを地図で見ると何十分の一にもならない。細かい筋の一本一本にまではいろうとしたら、何日もかかるにちがいない。こんな大きいもの、よく作っただろう、とヒサシは言った。この舟の下だって、かなりの深さがあるはずだよ、何百メートルはあるだろう。その深さのことを考えると、僕はいつもこわくなる。水ばかりがぎっしり詰まった空間を想像して、息が詰まりそうになる。湖の中に潜っていったらどんな感じだろう、とわたしは思った。入り組んだ崖が水の中にもずっとつながっているのだろうか。枝分かれした筋がさらに枝分かれしてどんどん枝分かれして、岸をのばしたらどんな長さになるのだろう。人間の身体の中もこんな感じかもしれない。細かい突起や、しわしわにたたまれた襞々。わたしは湖が身体のように思えてきた。湖にはいるみたいに、自分の身体にはいってみたい。湖みたいに、身体に自分を入れてみたい。わたしはわたしをはらんでみたい。だれかがミミコに話しかけてきた。知らない人の身体の中で、勝手に形作られるのって気持ち悪い。それはわたしの身体じゃない。どうやってそんな身体の中に押し込められたのか、どうしてもそれが思い出せない。声は話し続ける。だれ、と思ったとたん、ミミコは声のことを忘れてしまい、急に母親のことを思い出す。わたしを妊娠しているとき、お母さんはふだんは好きでもなかった豆腐ばかり食べたくなったらしい。妹のときはお好み焼きとかタコ焼きみたいなもの。わたしは豆腐が好きで、妹はソース味のものが好き。偶然だろうか。そういうことって、ほかの人にもあるのだろうか。ヒサシに訊いてみようか。ミミコは湖面をじっと見ている。舟の通ったあとに波紋ができる。ミミコは何を考えているのだろう。ダムができる前、この底に住んでいた人たちもいたんだろうな、インディアンとか、と僕は思った。 来た道を戻る。町をずいぶん離れたところで、ミミコがトイレに行きたいと言い出した。まわりには建物なんかない。我慢できないから外でする、とミミコが言った。小高い見晴らしのいい場所で車をとめる。ミミコは車を降りて小さい木の陰にはいっていく。心配になって、僕も車から降りる。まわりにはだれの声もしない。乾いた平原が広がって、どこまでも見渡せる。街も高い木も家も見えない。視線をさえぎるものは何もない。地平線が三六0度、その上を覆うように空が広がっている。下の方に道がすっと一本だけ見えて、ときどき車が通る。それがなければ、世界に人が住んでいることも信じられなくなるかもしれない。車の方を振り返ると、突然道の反対側にあのインディアンの老人があらわれた。こっちに向かって歩いてくる。お前はどこにいるのだ。老人はすぐ近くまでやってきて、僕の耳に指を突っ込む。がさがさと乾いた音がする。指は耳の穴を通り抜けて、頭の中にはいってくる。ぼそぼそとくずれ、小さい石の粒になって、老人はやがて、僕の頭の中にすっかりはいってしまう。俺たちはたくさんいる。お前の中で増えてゆくのだ。お前を見ることはできないまま、お前の中で死んでゆくのだ。僕の頭の中から、老人の声が聞こえてくる。同じ声がいくつも重なりあって聞こえる。だれだ、とつぶやくと、喉から粒がこぼれ落ちて、土になってしまう。僕は、老人たちをはらまされてしまったのだ。そう、いま突然にじゃない。生まれてからずっと、少しずつはらまされてきたのだ。胎児ではなく老人たちを。成長して腹から出てゆくことはなく、ただ限りなく増えてゆく。数人があふれて外にこぼれおちても、僕の中には同じようなものたちがぎっしり詰まったままで、また増えてゆくにちがいない。僕の中。僕というのは俺たちのことではないか。いいや、僕というのは俺たちが住む器にすぎない。いいや、全部俺たちでできているのだから俺たちに決まっている。老人たちが口々に主張しはじめ、うるさくてたまらなくなった。僕は、と言いかけて何を言おうとしていたのかわからなくなった。僕の声は老人に奪われていた。老人たちが勝手に玉をほぐしてはつないでいる。僕は息苦しくなって、ミミコ、と呼んだ。どうしたの。ミミコの声が聞こえる。内側に開いていた耳が外に裏返る。老人たちの声は聞こえなくなり、風の音に身体の中身が吸い込まれてゆく。何でもないよ、と僕は言った。ミミコの尿が砂に弾ける音が聞こえてくる。ヒサシにも音が聞こえているかもしれない。でもしょうがない。我慢できなかったんだから。それにおしっこしている最中に水を流すような習慣って変。おしっこするのがはずかしいって言ってるみたいだ。はずかしいけど、どうしてはずかしいんだろう、身体から水を出すだけなのに。勢いよく出ているとますますはずかしい。出していることがはずかしいんじゃない、出してる音がはずかしいんだ。尿の音を聞いていると、僕は急にミミコの顔を見たくなった。ちっとも思い出せないのだ。さっきまでずっといっしょに車に乗っていたというのに。思い出そうとすると、ミヨシさんの顔がなぜか一瞬くっきりと浮かび上がった。そうだ、あの老人はミヨシさんに似ていたんだ。ずっと年をとっているけど。僕はミミコとこれからもつきあい続けるのだろうか。もし別れて会わなくなったら、顔をすっかり忘れて、思い出すことができなくなるのだろうか。僕の中にはいったい何がはいっているのだろう。僕という場所はなくて、あの老人たちこそ僕なのかもしれない。身体にはいり、増え、こぼれ出し、土の粒になる。足元に土がどこまでも広がっていた。僕はどうしようもなくさびしくなって、もう一度、ミミコ、と呼んだ。何、もうちょっと待ってよ。わたしは答えた。砂の中に尿が吸い込まれていく。乾いているんだ、この土は。砂粒のなかに光る尿を見ていると、もっとかけてやりたくなる。祖母も母も死んでその骨が土になった。インディアンの男の言葉を思い出す。立ち上がってあたりを見直すと、植物はまばらで、自分の身体を強く自分で守っているのだった。適応できる環境が決まっているから、ひとつの場所には同じ植物が集まっている。お互いにからまりも、もつれもしない。ひとつずつ立っている。きっと水を集めるために根は深く広く、砂の中に下りていっているのだろう。尿は砂の中に枝分かれしながら、深く染み込んでいっているのだろう。 木の陰から出てきたミミコは、きのうインディアンの町で聞いた歌を口ずさんでいた。きのうのインディアンの町って、日本に似ていたね、スーパーマーケットとか。日本っていうよりアジアの町ってどこでもああいう感じかもしれない、でも、似ていると思っても、それはちがうんだ。世界には僕たちが見たことのないものが、まだまだいくらでもあるんだ。ミミコの耳の中の僕の声。僕の耳の中のミミコの声。それは耳の中だけに響いているんじゃない。空気の中でふるえているんだ。僕たちが死んでしまっても、ふるえ続けているんだ。ミミコの腕にきのう買ったブレスレットが巻きついていた。そういえば、たしか南米の方に記録するのに文字ではなく縄の結び目を使っていた文明があったと何かで読んだことがある、と思い出した。 |