仙台っこ論壇より


 「仙台っこ」というタウン誌があるのですが、その中に「仙台っこ論壇」というコーナーがあり、2月号から連続で共学化の問題を取り上げ、各号2人の意見が掲載されています。現在10月号が発売中で、合計10名の意見が採り上げられたことになります。

 賛成反対1人ずつと比較的公平に取り上げられており、特に反対の方の意見は皆さんにも読んでもらいたいと思ったのですが、仙台市内で10数店(チェーンがあるので実際にはもう少し多いと思います)しかおいている書店がないようで、特に県外、海外の方は入手が難しいかと思います。

 そこで、ここのページで引用して私が批評する形で、皆さんの目に留まるような形で残しておこうと思います。

 なお、4月号には管理人の投稿が掲載されました。


 なお、仙台市内にお住まいの方は、金港堂、高山書店、宝文堂、丸善、紀伊国屋、ジュンク堂、八文字屋で買えるようなので、買うことをおすすめします。インターネットではここで買えるようです。(ちなみに私は金港堂泉店で買いました。)

 仙台っこのホームページがオープンしたそうです。仙台っこ論壇もこちらで読めます。


仙台っこ4月号掲載の管理人の文章

単に共学化でなく、教育の中身の議論を

宮城県の高校の共学化を考える会 芳賀宣明

 宮城県の高校を考える会では、宮城県が昨年秋に発表した高校将来構想素案の中の「男女共学化の推進」に疑問を持ち、情報公開請求、開示された資料のインターネットによる公開、公開質問状の提出などの活動を行ってきました。今回の共学化のどこを問題ととらえているかを簡単に述べたいと思います。
 第一に、先述の素案の中では、共学化を進める理由は「男女共同参画社会の実現のため」としか述べられていません。しかし、共学化が男女共同参画社会の実現に即寄与するものではありません。
 例えば、各県ごとの公立高校における別学の割合(宮城県教委調べ)と、各県ごとの女性の社会進出の度合い(男女共同参画白書 資料編より)との間に相関は全く見られません。共学化という「形」だけが先行しても、何も意味をなさないことは、戦後すぐ共学化した他県が証明してくれているといえます。
 また、具体的にどのような共学校を作ろうとしているかが全く見えないため、今の学校を変えたところでよりよい学校になるという希望が持てません。
 男子高・女子高での異性がいない生活は、「男女の暗黙の役割分担」から解放される、現在の教育制度の中では数少ない機会です。また活動を学校内だけで完結させてしまわず外向きになり、他校との交流も盛んで、また文化祭等も盛り上がるという良い面があります。安易に共学化してしまうのでなく、今
ある学校の良さを積極的に活用していく道もあるのではないでしょうか。
 第二に、この問題に関する県教委の進め方は拙速に過ぎます。地域の将来を担う人材を育てる高校を大幅に変えるという重要な内容であるにもかかわらず、県民からの意見吸収が不十分です。
 二月二十日に行われた意見を聴く会では、発言時間は一人二分に限定され、しかも県教委への質問にはほとんど返答がありませんでした。県民の意見を吸収し、考え方を共有化しようとする姿勢が見えません。
 情報開示も十分でありません。県民に広く公開されたのは素案のみです。情報公開請求をして開示された資料も黒塗りだらけでした。広く考える材料を提示し、県民全体で将来の高校のあり方を考えていくべきではないでしょうか。
 第三に、「伝統」「歴史」を「ノスタルジー」と評し、男子校・女子校を「過去の遺物」「時代遅れ」と単純に決めつける論調には賛成しかねます。伝統と歴史に育まれた素晴らしい教育環境の中で学び、母校を愛し、支援してきた卒業生を侮辱しているだけでなく、現在男子校・女子校に通っている生徒をも深く傷つけ
ていることを認識すべきであると思います。
 はじめに共学化ありきではなく、まず50年間も維持されてきた男子校・女子校を正当に評価した上で、どういう人材を育成していくのか、そのためには高校
はどうあるべきなのかといった根本から議論を深めていって欲しいと思います。この財政難の中お金をかけるのだから、十分に議論を尽くすべきです。


仙台っこ2月号より引用

●公教育において、 安易に男女別にすべきではない

東北学院大学教授 遠藤 恵子

 公立高校の男女共学に賛成する私の論拠はいたって単純。公教育において、安易に何でも男女別にすべきではない、というだけのことである。とかく社会では、これまで、あらゆる領域で男女を別々に処遇することが多かった。教育の場においては、男女別名簿に始まって上靴の色や習字道具入れの色にいたるまで、無用の区別がたくさんあった。公立高校の男女別学はそうした無用の区別を助長するだけである。なぜ、わざわざ公教育の高校で男女を別々の学校にしなければならないか、という明確で積極的な根拠がない。むしろ、女子高(あるいは男子校)が、「男子である」(あるいは女子である)という、その個人に責任のない生まれながらの属性を理由に初めから受験の機会すら与えないのは、憲法違反ではないかとさえ思われる。企業等
の募集採用も、女子のみ(あるいは男子のみ)の募集は禁止されている。「多様な選択肢」の論議とは別の次元の問題である。
 男子校あるいは女子高の気楽さや居心地の良さが全くわからないわけではない。私自身、女子高の出身だし、その上、知る人ぞ知る茶畑短大に在籍したこともあるので、一高生がいかに自由気ままに伸び伸びと高校生活を楽しんでいたかは垣間見ている。しかし、同性同士が群れていて気楽で自由でよいというのは、公教育の場ではなく、サークルとかクラプのような私的な集団や組織で実現すればよいことである。
 私の出身校の伝統は、自主責任に裏付けられた自由と主体性の涵養であったと記憶しているが、共学化したからといってこうした伝統が変化するとは思えない。よき伝統を共学化によつて変えるべきではないし,共学化によって変えなければならないような伝統を持つ高校があるとしたら、それこそが問題であったというべきだろう。
 男の子にもいろんな子がいるし、女の子も多種多様である。十把一絡げに女だ男だと括ってしまうのはやめた方がよい。従来の世間一般は、あまりにも男女の区別(これがしばしば差別につながっていた)にこだわりすぎていた。また、かつて女子大の存在理由として、女性がリーダーシップを学んだり、全てのことに女性が責任を持って運営処理することが学べるというようなことが言われていた。しかし、もうそろそろ高校でも男女共学にして、性別にこだわらずにリーダーシップも責任の取り方も学べるようにすべき時が来ているのではなかろうか。

管理者コメント

 わりとわかりやすい、「いかにも」なご意見です。「安易に何でも男女別にすべきではない」、確かにその通り。当然「安易に何でも男女一緒にすべきではない」んですよね。

 高校生に対して、どのような教育を行うことがいいかという点に全く触れられておらず、いかにも上っ面だけで、形式論で話しているような印象を受けます。「公立高校の男女別学はそうした無用の区別を助長するだけである」って、何で決めつけられるんでしょう??宮城、福島、栃木なんかでは「無用の区別」が他県より多いんですか? 

 全体として、「抑圧されていた女性」の観点からキリキリした大袈裟なことをいっているような印象を受けます。ただ、別学存続を望む人たちを攻撃していないのは特筆に値します(最近そういうくだらない文章が多いので)。


仙台っこ2月号より引用

●選択肢の中に男女別学が残ってもよい将来の子にもあのすばらしい高校生活を

弁護士 豊田 耕史

 私は、もともと宮城県の公立高校に関しては、漠然と、当然共学化すべきなのだろうと思ってました。そもそも、共学化に反対するのはOBの懐古趣味のようなもので、そんなものを現役の学生諸君に押し付けるのはいかがなものかと考えていたのです。
 その前提として、今の学生は皆共学校を望んでいるのだと私は勝手に思いこんでいました。なにせ、もともと男子校だった私立高校が軒並み共学化していく時代ですから。
 しかし、先日我が後輩である仙台一高生が、伝統的校風が失われる可能性から「共学化反対」決議をあげたという記事を見てから、少し考えが変わりました。「本当に今、みんなが共学化を望んでいるのだろうか」という疑問を抱くに至ったのです。なぜ、今になつて共学化なのか。
 それが時代の流れなのだという人がいます。確かに戦後教育の流れとしではその通りでしょう。封建的思想の一掃のため、教育は徹底した平等化・均一化が志向され、それはその時代としては十分な意義があったことと思われます。しかし、戦後50年以上が経過し、むしろ画一化教育の弊害が叫ばれるようになった現在なお、無批判に「時代の流れ」ということ自体時代遅れのそしりを免れないでしょう。
 こと高等教育において、均一のカリキュラムによる詰め込み教育よりも、生徒一人一人の個性を生かす教育の方に重点を置くとすれば、さまざまな個性の学校の中から、生徒が自らに合った選択ができるシステムの方が望ましいことはいうまでもありません。
 そして、その選択肢の中には、世の中にニーズがある限り、男女別学校が残っていてもよいと思うのです(私立高校の共学化が進んでいる現在なおさら、公立だからこそできることでしょう)。
 また、現在残っている男女別学校の大半は地域において「伝統校」と言われていることと思いますが、教師が変わり、生徒が入れ替わってもなお続く伝統ないし校風というものがあるとすればそれはその学校の立派な個性であり、志望する生徒のための選択肢として今後も生かしていくべきものが多いはずです。
 ともかく、せっかく現在まで男女別学校が残っているのですから、安直になくすことを考える前に、21世紀的な積極的位置付けを模索してみてもよいと思いませんか。
 もちろん現在残っでいるすべての男女別学校をそのまま残せとまでいうつもりはありません。地域二ーズや未来の教育制度のあり方等を考慮の上個別に慎重に検討していく必要があり、その上でたとえば共学校増設の声が大きいのであれば、選択の幅を広げる観点から、別学校からの転換も当然検討すべきでしょう。しかし、少なくとも、少子化に伴う学校統廃合の隠れみのとして一律に「共学化」のお題目を唱えることには反対します。

管理者のコメント

 (私の目からは)非常にバランスの取れた意見であると思います。

 「せっかく現在まで男女別学校が残っているのですから、安直になくすことを考える前に、21世紀的な積極的位置付けを模索してみてもよいと思いませんか。」という意見、まさにその通りと思ってしまいます。

 今あるものを本当になくしていいものなのか、もう少しみんなで考えることが必要ではないでしょうか。


nob@haga.com