
河北新報に、またくだらない意見が載りました。こんなのを載せる河北新報の見識を疑います。(沼崎氏の方が解釈はともかくまだ論理的な文章だった)
そこで、ここのページで引用して私が批評する形で、皆さんの目に留まるような形で残しておこうと思います。太字で色の付いた文は私が書いたものです。
2/9の河北新報より引用
宮城県立高校の男女別学校の共学化について議論が盛んになっている。本欄にも、三氏の論文が掲載された。私は共学は当然との立場から意見を述べてみたい。その前に、三氏とも憲法論を展開しておられるが、これについて、私は自治体による諸改革は憲法の理念を基にするのは当然だということを、まず最初に述べておきたい。
さて別学問題だが、別学校の大半は戦前に母体が設立された。それは根底に「男女七歳にして席を同じうせず」の考え方があり、封建思想のたまものである。男女別学とはそんな戦前の遺物である。だから戦後の民主主義による改革で、全国的には多くの都道府県で廃止され共学となった。
ところが東北、北関東では存続した。理由はそれそれあろうが、結局は憲法の基本理念である平等権に反しての、なし崩し的な存続と言えよう。最も憲法を尊重すぺき自治体の設置であるにもかかわらずである。いわば公立の別学は五十数年前に無くなっていて当然のものなのである。本当にそうですか?大半の別学校の母体は確かにそうです。しかし、当然ながら現代の民主主義に則った教育が行われています(あったりまえじゃん)。
しかも、仙台三高のように戦後作られた別学校も存在します。
戦後50年以上、何故別学校が存在し得たのか、その結果宮城県は他県と比較してどうなったのかということについて、もっと考える必要があるのではないでしょうか。
次に、共学化に対する反対諭が根強いが、これを検討してみたい。これには一見、合理的に見える二つの論がある。
一つは別学を望む生徒の希望にどうこたえるのか、という論である。これに対しては次のことを言いたい。そう考えるのなら、その要望をなぜ小中学校で出さないのかと。子どものために別学を希望するというのなら、小中学校においても出すへきだろう。小中学校は一校一学区だから無理というなら、クラス単位でもとの要望があってもいい。
だが、そのような声は聞かない。それとも小中学校は共学でいいが、高校だけは希望する者のために別学が必要と言うのだろうか。ならばその合理的な理由とは何なのか。この場合、義務教育なる言葉は意味がないということをあらかじめ言っておきたい。義務教育だからに決まってますよね。そういわれると身も蓋もないってわかってるからこんな前置きして見苦しい。
全員に均質な最低限の教育を施すことが目的の義務教育と、個人が進路を選択していく高校と同じはずがないのに。
小中学校に理数科とか音楽科とか農業科を設けろとかいいますか?普通。
ちょっと考えればこの人の考えのおかしさに気付くはずなのに……二番目に個性論がある。個性という言葉は、今や時代の寵児(ちょうじ)の感があるが、別学校で高校教育を受けたいというのも個性であり、その個性の発揮の場を無くしてしまうという意見である。だが、そうだろうか。個性とはその人が持つ、他の人とは違う特質・特性であって、共学・別学とは別の次元で議論されるものであると思う。
人間には両性があり、その両性が社会を形成している。それが有史以来の実態である。その社会の中にいる時、特定の期間とはいえ自分が属する性の集団の中だけで教育を受けたい、能力を磨きたい−というその考えを、個性と言うのだろうか。私は否だと思う。
多少乱暴な言葉を使わせていただくなら、それはわがままである。ましてや、それを公の機関に望むのはいかがだろうか。これは前述の「小中学校に別学あるいはクラス別」と要望したときのことを考えれば、お分かりいただけると思う。
もっともそれは今、私立を含め別学校へ行っている高校生、あるいは卒業生がそうだと言うのではない。なぜならその人たちは、別学でなければという理由での高校選択を、ほとんどしていないからである。あくまで制度的に行ける学校の中から成績、その他で選んだだけにすきないはずだから。ここでも論理が破綻しています。
まず、「男子高だから」「女子校だから」という理由で別学校を選択している人が(確かに公立では多くはないかもしれませんが)現実にいるということです。
そして、卒業生の多くが男子高、女子校で良かったと語っているということです。
男子高、女子校は今現在現実に存在し、卒業生の多くが(特に若い人ほど)支持している、有効なシステムだということを無視してはいけません。
以上のことから、別学支持の意見に合理性があるとはどうしても思えない。ならば真の理由は何か。それは「伝統」なる言葉で代表されるが、それを母校とする人たちの郷愁であり感情であろう。そのような目で改革を見、異を唱えるのはいかがなものだろうか。
はい、あなたの意見に合理性があるともどうしても思えません。
しかも、郷愁や感情で反対している人ばかりではありません。
現に、私は母校が共学化されることに必ずしも反対ではありません(ただし、それが母校自身が選んだ選択であるならですが)。
今回の共学化のプロセス、議論の底の浅さに疑問を感じ、「本当に全部無くしてしまっていいの?」と疑問を持っている人も多いのです。
教育には取り組むぺき課題が多い。共学化はそのうちの一つでしかない。従って共学化によってすべてが解決するわけではないし、男女平等が完全に達成されるわけでもない。なぜなら男女の不平等は、社会・文化・歴史などの中に深く根付いてのことだからだ。
初めてまともなことをいいました。
しかし、いじめや不登校、学級崩壊の解決策が五里霧中であるからと言って、共学化を進めないことの理由にはならない。
真の男女平等社会を実現する上で教育の力は大きい。多くの意見を聞きつつも早急に進めるぺきであるう。共学は五十数年前にそうなっていて当然だったのだから。でも結論が頂けない。途中が変だったから仕方ないか。