交配ユリのできるまで 涙のリストラ編

 俺が入社した都築紡績(株)は、いわゆる「バイテク事業」を細々とやっていて、まんまと入社した俺は好き勝手にユリの交配とかして遊んでいた。
 しかしバブルは既にはじけていた。本業と関係ないバイテク事業は真っ先にリストラの対象となり、俺は入社まる3年で退職することになったのです。
 その時、交配したユリはまだ小さい苗 or フラスコの中でした。諦めきれない俺は自宅で咲かせる決心をしたのだ。

 ここで言いたいのは、ぼくは決して会社を恨んでいない、本当に感謝してるってこと。
 N工場長、S村さん、Hさん、テラちゃん、見てますかーっ!?  
2000.7.24

91年4月1日 都築紡績(株)入社 希望通り祖父江工場の「バイオ事業部」に配属になったけど、実際の仕事はキノコの人工栽培でした。それでえいが「花の仕事もやらせてほしい」とわがままを言い、そのわがままは受け入れられた。
 それ以来えいは、給料ドロボーと呼ばれた。

92年6月18日 はじめての交配 とりあえず球根とか、鉢植えの開花株を買ったりして、本を見ながら花柱切断授粉とか試みた。

92年9月4日 はじめての胚培養 これも本を見ながら恐る恐るやってみた。膨らんだ子房を切開してタネからを取り出して試験管で培養するのです。 * 詳しくはまたそのうちアップいたします。

今はなき都築紡績(株)祖父江工場
92年10月 来年の交配に備えていろいろな種類の球根を入手。調子に乗ってカサブランカとか100個注文したりしたけど、この頃から既に工場閉鎖のウワサが・・

93年6月〜9月
 2年目の交配&胚培養 だいぶ要領が良くなって近縁の交配はバッチし。でも違う系統間の交配はほぼ全滅でした。92年に交配したものは、この頃はまだフラスコの中です。
< 93年7月24日 100株のカサブランカを咲かせて大満足のえい。実際に交配に使ったのは20株ほどで、殆ど鑑賞用になってしまった・・ それにしても会社の金使って悪い奴。

93年9月 祖父江工場閉鎖・バイオ事業撤退が大決定! 翌3月の工場閉鎖が大決定。以後は自宅で育てることを決意し、着々と準備を進める。

93年12月8日 はじめての馴化 92年に交配した個体で、大きくなったものから馴化開始。馴化とはフラスコで培養した苗を外の環境に馴らすことです。

93年(たぶん)12月 退職を決意 祖父江工場閉鎖後の配属先として出雲工場を提示されたけど、結局退職することにしました。 

94年3月26日 都築紡績(株)退職

辞令・退職を命ずる 失業保険とかの関係もあって、このような辞令になったんですけど、勤続3年なのに退職金もタンと貰って、ほんといい会社でした。

94年3月28日 瀬戸の実家へ引っ越し 瀬戸の実家へユリの鉢と共に大移動。狭いベランダが鉢でいっぱいになって、父親に「ここは人間の住むところやぞ! 」とか言われてしまったー! !
 左・94年4月29日 大きいものはこのくらいに育ちました。
 右・94年6月12日 フラスコ苗はとりあえず即席の培養棚を作って育成。

94年11月13日 

 秋に葉が枯れたところで堀り上げてみました。コレはいちばん良く育ったものですけどが。これなら来年咲くかも・・??

95年6月6日
  交配ユリ第一号開花

 遂に咲きましたー! 咲くとしたら92年に交配したやつだと思ったけどが、最初に咲いたのは予想に反して93年組でした。この年は合わせて6種類咲きました。

96.6.8
 93年に交配してから丁度2年で開花した。つぼみが見えてからは、水切れとかでつぼみが飛ばないよう最善を尽くした。そして毎日「早く咲け! 」とハッパをかけた。
 そして遂に咲いた花は、こんな八重咲の奇妙な花だった。

96年5月〜7月 交配ユリ次々開花

 この年は写真のテル・ア・ライをはじめとして15種類くらい咲きました。でもとりたててセンセーショナルな花が咲いたわけでもないです。

97年夏 アブラムシが大発生 この年は、出不精のえいにしては珍しくあちこち遊びに行ったりしていて、水やりとか花の世話が「おろそか」になりました。そしたらアブラムシが大発生したのです。
 そして多くの株を枯らしてしまいました・・

 

2000年6〜7月

 ユリは病気に弱いし何年も咲かせるのは難しいと思っていたので、死滅するのも時間の問題と思っていました。でも前のページで紹介した3種類はまだ生き残っている。そして、適切な育て方をすれば(たぶん)もっと長いこと生存するのだと気付きました。
 そして交配からまる7年にして、右の写真のような変異株も見ることができた。
 この3種類のユリは、今後も大事に扱いたいと思う。

2000.7.14


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