南京留学記
1987年9月〜1988年8月,第一次天安門事件から第二次天安門事件の端境期であり,中国大陸の人たちが豊かになろうと一直線にひた走りはじめた頃,江蘇省の古都南京市にある南京大学に1年間語学留学してきました。初めての寮生活・外国での暮らし・入院騒ぎなど,自分のありかたに非常に大きな影響を与えた経験が沢山あります。当時の中国の様子・出会ったさまざまな事件などを御紹介します。当時撮影した写真が手元にありますが,おいおい紹介したいです。
目次
- なぜ中国を目指したのか(98/12/11改訂)
- 背景(98/12/11改訂)
- 出国(98/12/11改訂)
- 入国(98/12/22改訂)
- 冒険篇(1)内部書店
- (2)南京虐殺記念館
- 入院篇
- 料理篇(1)カツ丼
- 同学篇(1)日本人の同級生
- (2)北朝鮮 朝鮮人民共和国からの留学生達
なぜ中国を目指したのか(98/12/11改訂)
これについては本当によく聞かれます。全然予想もできないんでしょうね。 今でこそ将来性の固まりのようにいわれる中国ですが,つい最近までは社会主義 中国のイメージも強く,天安門事件もあって近くて遠い国というのが一般的な 日本人の抱く中国(大陸)のイメージでした。小生も中国の将来性を見込んだ から選んだというわけではありません。
中国に留学したかった主な動機は4つ:
- 漢字に興味があったので,中国語を勉強して将来漢字の勉強の道具にしたかった
- 資本主義とは違った世界を見たかった(当時の中国大陸はまだまだ社会主義の色が 強かったのです)
- 安く済ませたい(費用はかなり自分で準備したので。結局,渡航費用・宿舎・学費 などひっくるめて60万円/年位でなんとかなりました)
- 当時通っていた学校(国立の某工業単科大学)の生活があまりにつまらなかった (学生も教授陣もやる気のない人がやたら多かった)
帰国もそろそろという時期なのにレベルが伸び悩んでいた4月頃に決めたスローガンは 鑑三・漱石・鴎外の留学(信仰・学問・恋愛)を全部体験しよう!!という欲張ったもの でした。え,成果ですか?中国語はまだ少しは喋れますし,教会にも通っていますから少し はあったのでしょうかねえ。
背景(98/12/30改訂)
中国に興味をもったきっかけというのはよく憶えていません。本格的に中国に興味を もったのはそれからすると少なくとも高校2年まで遡る様です。当時の現代国語のノート を広げると,中国語の単語を使って書いてあります(デタラメな文法ですが)。その頃は すでに,朝鮮族の中国人の人と文通していたので,もう少し遡れるかもしれません。 NHKラジオでたまたま耳にした「パンダクラブ」、今はおそらくもう無いかと思いますが、 日本語で中国の人と文通をしようという民間組織で、今で言えばNPO法人みたいなものです。 文通相手を紹介してもらうのに、会費を納めるという仕組みでした
受験(2000/11/05改訂)
さて、中国への留学を決意したのが大学の2年生ごろでしょうか。早速本屋に行って、 いろいろ資料をあさったのですが、唯一ポピュラーだったのは日中友好協会が主催していた 中国(大陸)政府の招待する公費(中国政府が給費)・私費の留学生試験でした。試験を どこでやったのか、大阪の領事館だったか、東京の大使館だったか、あるいはどこかの 学校を借りてやったのか,今となっては何も覚えていません。国語や一般教養はそこそこ できたと思うのですが、何しろ中国語の聞き取りも書き取りも、読み取りもまったく できないレベルでしたから、公費留学希望で結局私費留学枠に引っかかりました。
留学先を先に選んでおくんだったと思いますが、北京と上海は希望者が多いから、 希望がかなわないと奥地になるかもといわれ、それではということで、当時すんでいた 名古屋と姉妹都市だった南京を選びました。「南京」といえば勿論南京大虐殺などが何 度も話題になっておりましたから、現地の対日感情はどういうものだろうかと周りは 結構気にしてくれたんですが,私自身は「友好!友好!」の時代しか知らないことも あり、まさか殺されはしまいとあまり気にとめませんでした。
出国(98/12/11改訂)
1987年8月、初めての飛行機・初めての海外・初めてのアジア...大阪伊丹の国際空港から 期待と不安を胸に上海へと向かいました。今でも憶えているのは,離陸・着陸の時,やたらきょ ろきょろしていたこと。思ったのですが,飛行機に乗るのが不安だった上に初めて尽くしのこと ばかりで,しかも新しい世界が開けるという興奮が重なってるんだからこうなんだろうなぁ, でもみっともないなぁと....結局上海紅橋空港につくまで落ち着けなかったです。この時手に していた旅券は1次旅券,これが後で騒動の元になるとは思いもよりませんでした。
当時同行したのは、同じ派遣元
入国(98/12/22改訂)
虹橋空港がいよいよ見えてきて、ようやく外国に来たんだなぁ、海外なんだなぁという実感 が湧いてきました。当時(1987年)の上海空港の周りは建物もほとんど無く、だだっぴろい平原 にぽつんぽつんと赤れんがの建物がみえるだけで,寂しい限りでした。