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Miwa's bicycle trip around Tibet & India

9 Jun 2002, Miwa started bicyle trip from japan to India via Yungnang,China, Tibet,Nepal. The trip is still going on! Please stop by Miwa's real time funky column! Origenal Blog from http://homepage1.nifty.com/ kunori/miwa.html

土曜日, 12月 29, 2007

「チベット鉄道」

ラサから北京へは2006年に開通したあのチベット鉄道に乗っての移動。
超期待していたのだが結果は・・・、うーん、いまいち。
理由は明瞭。
暖かい車内にいて、その車窓から見る部分的に切り取られた風景というのは、まるで家でテレビでも見ているようなもので、既に幾度もあの大地を自転車で走り、フルパノラマの風景をこの目で見、寒さをこの肌で感じたことのある者にとってはすべてが物足らなく感じて当然なのだ。
未だチベットに行ったことの無い人が初めてラサに向かうときに乗ると本当に楽しめると思う。
実際他の乗客らも、もうこの風景には見飽きたか寝てる人ばかり。

この列車の売りの一つは、高地を走るため飛行機のように車内を与圧する装置がついていることだ。
密閉されているので全面禁煙のはずなのだが、なんと車掌が窓を開けてタバコを吸っていた・・・。
外の方が気圧が低いため煙は自動的に外へ流れていくので理にかなっているといえばかなっているのだが・・・。

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.: posted by kazumoto 4:41 午後


「お土産」

今回でラサ訪問は4回目。
当然行けば行くほど知り合いは増えてくる。
毎回ラサを離れるときには各家庭を訪ねお別れの挨拶をするのだが、その際「餞別に」とツァンパをいただく事が多い。
私が自転車旅中にはツァンパを常食していることを知っているからだ。
でも今回はそうじゃないので断るのだが「またまたそんな遠慮して!」とどうしても押し付けられてしまうので仕方なくいただくこと約10回。
出発前夜いざパッキングしようとしたところで青くなった。
「お、重すぎる・・」
貰うにまかせたツァンパ袋はいつしか10数kgに。
45Lのバックパックが完全に白い粉で一杯になってしまった。
仕方ないので農民ご用達のズダ袋にその他生活用品を入れ持ち帰る羽目に。
今回往路は中国人チベット人へのお土産で一杯で、すべて渡し切った復路は軽々と帰って来られるはずだったのに。
うれしい誤算?!

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.: posted by kazumoto 4:33 午後


「チベットの恩返しその5『父と娘』のその後」

今回のラサ訪問最大の目的は3月に訪れたインド・ダラムサラの学校で撮った娘の写真を父へ手渡すことにあった。(これについては9つ前のコラムをお読み下さい)

5:00PM
オヤジに電話。ラサに来たことを伝えると「すぐ宿まで迎えに行く!」
5:10PM
オヤジに再会。立ち話は何なので飲み屋へ行こうと言われる。
5:20PM
席について娘の写真を渡す。
ダラムサラで娘に会った時のことを話す。
両親を想い涙を流したこと、ラサへ戻って一目でもいいから会いたいと言ったこと、学校の様子、寮の様子、日々の生活、などなど私が見たこと聞いたことをそのまま伝えた。
オヤジの目から涙があふれた。
男泣きを見た。
5:40PM
「ありがとう、ありがとう」とビールやチャンをつがれる。
7:00PM
「ありがとう、ありがとう」とビールやチャンをつがれ続ける。
8:00PM
「ありがとう、ありがとう」とビールやチャンをつがれ続ける。
9:00PM
「ありがとう、ありがとう」とビールやチャンをつがれ続ける。
10:00PM
「ありがとう、ありがとう」とビールやチャンをつがれ続ける。
11:00PM
「ありがとう、ありがとう」とビールやチャンをつがれようとしたら店の女将から「アンタ達いい加減にしなさい。もう閉店よ」と追い出される。
11:10PM
他の店をいくらかあたるがどこも閉まっているので、ならばうちへ来いと言われお邪魔する。
11:20PM
部屋に飾ってある娘の写真を見ながら「ありがとう、ありがとう」とビールやチャンをつがれる。
0:00AM
「ありがとう、ありがとう」とビールやチャンをつがれ続ける。
1:00AM
「ありがとう、ありがとう」とビールやチャンをつがれ続ける。
2:00AM
「ありがとう、ありがとう」とビールやチャンをつがれようとしたが、さすがに2人とも飲みすぎで眠くなりそのまま倒れこむように寝る。
・・・・・・
11:00AM
目が覚めてそのまま出かける。どこへいくかと思ったら飲み屋だった・・・。
そして「ありがとう、ありがとう」とビールやチャンをつがれる。
12:00AM
「ありがとう、ありがとう」とビールやチャンをつがれ続ける。
2:00PM
「ありがとう、ありがとう」とビールやチャンをつがれ続ける。
4:00PM
「ありがとう、ありがとう」とビールやチャンをつがれそうになったが、これ以上感謝されたら死ぬと思い、おいとまする。

以上計約13時間口に入れたのはビールとチャンのみ。
感謝してくれるのは全くもって嬉しいことなのだが、はじめの2時間以降は苦痛でしかなかった・・・。

ちなみに今回も娘に送るためにオヤジの写真を撮ったのだが、写っているのは酔っ払ってる姿ばかり・・・。

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.: posted by kazumoto 4:12 午後


「トラップ」

今回のラサ入りは雲南省から2泊3日の直行寝台バスにて。
このバスのフシギなところは、雲南のバス停では外国人だろうが何人だろうが誰でもチケットが買える(窓口の係が英語で対応してくれる)のに、「やったー!これで安くラサへ行ける!」と喜んだのもつかの間、途中に外国人狩りの検問があること。
見つかると5000円程度の罰金を払わされることもある。
窓口と公安の連係プレーとしか思えないのだが…。

私が乗車した時は、40人乗りの車内に外国人は私一人だけ。他に中国人旅行者が2人で、あとは全員チベット人だった。
しかしそのチベット人のうち10人くらいはこれからインドへ亡命するつもりという人で、更にそのうち4人はインド帰りで身分証無し、というかなり見つかるとヤバイ人々。
運ちゃんもチベタンで、そういう人らの対処は慣れているのか、早朝に検問所に着いた時にその訳アリな人々(もちろん私もその一人)を起こして「1kmくらい向こうまで歩け」と指示し車から追い出し、その後公安を起こしに行って乗客全員の身分証チェックを済ませたあと再び我々を拾ってくれた。

鉄道によるラサ入りも、パーミット代払った人払ってない人まちまちで未だ統一されていない。いかにも中国的。

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.: posted by kazumoto 12:59 午前


「お久し振り」

久方ぶりの書き込みで、もう読んでくれている人もいなくなってしまっているかもしれませんが、2007年秋に再び訪れた中国・チベット旅行についていくつか書いてみようかと思います。
元々今年また中国に行くなど考えてもいなかったのですが、夏の終わりにうちの家族が突然中国旅行に行くことになり、コーディネーター兼ガイド兼通訳という形で同行することになったのでした。
上海・北京と家族で観光し、皆が帰国した後もせっかくここまで来たのだから、と一人大陸に残り、広西・雲南・チベットに知人への挨拶回りをしてきました。
今回は自転車ではなく、列車・バスを使っての移動です。
計3ヵ月半の旅でした。

.: posted by kazumoto 12:49 午前


金曜日, 4月 13, 2007

「ボクが日本に帰りたくない理由 その後」

東京ではマスクをかけている人を多く見かけたにもかかわらず、自分には何の異常も起こらなかった。結婚式の超豪華メニューも存分に満喫できた。やはり暇なとき散歩ついでにマニ車回したりするような信心深さが効いたとみえる。花粉症はなったら一生お付き合い、の定説を覆し、我が身に奇跡が起こった!!

で、名古屋に向けて自走中、浜松辺りでキコキコやっている時。そう言えばさっきから何か目が痒い。ゴミでも入ったかな?いや待てよ、この口辺りのモゾモゾ感……、これはもしや?!?!

あーあ、一年で最も快適なはずの季節は、やっぱり不快な季節のままだった…。

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.: posted by kazumoto 7:22 午後


「16年ぶりの東海道」

今から16年前、大学一年の私は夏休みに東京→名古屋の自走帰省をした。東京を深夜3時に出発し、夜は静岡掛川で一泊、翌日昼には名古屋に着いた。空荷であったが真夏だったのでさすがにバテた。

あれから時は流れ、私も「中年」印の棺おけに半分(全部?)体を突っ込み、白髪も増えた。その老体に鞭打ってこの長い旅のラストを締めくくるために久々の自走を決行した。全舗装・峠一つとはいえ約400kmの距離がある。まあ3-4日もあれば充分だろうと出発したのだが…。
軽い軽い、体が軽い!インドから帰ったままの重量級荷物に加え、礼服・引き出物まで持っているのに、東京朝8時発、宿泊無しの徹夜で翌日の午前9時に名古屋に着いてしまった。我ながら凄いと思う(自我自賛ですみません)。

それにしてもチベットを横断するサイクリストは世界に数多かれど、礼服・引き出物をぶら下げてツーリングする人はそうはいないとみた。

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.: posted by kazumoto 7:11 午後


「浦島太郎」

日本に帰って驚いたこと。

●自転車で走るのがえらくおっそろしいこと:車道が狭く、車がスレスレを凄いスピードで通り抜けていくので、インド・中国の荒っぽい運転よりも遥かに圧迫感を感じる。

●町が静かなこと:車は多い、人も多い、店も開いている、でもシーンとしている。車は無用なクラクションを一切鳴らさないし、人々はケータイに夢中、話し声も囁くような小声。まるでゴーストタウンのよう。

●そして最も驚いたこと、それは驚くような変化がなかったこと:もちろん細かい所では変化がある。しかし中国の1-2年で古い町並みが一掃され、全く面影もない新しい町が忽然と出現するような変化をこれでもかと見せられた今では、日本の変化など無いに等しい…。

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.: posted by kazumoto 7:03 午後


「最後の関門」

タバコみたいだけどそうじゃなくて幻聴が聞こえたりするような枯草を持っている人、写真集のようだけど写っている人が全然服を着ていないような本を持っている人、彼らにとって最も怖いもの、それは世界最高の眼力を持つと言われる日本の税関。あのヘビのような無表情の目で睨まれれば、何もやましい物を持っていなくてもこちらはすくみ上がったカエルも同然。
今回怪しいものは全く持ち帰ってないんだけど、さすがに5年日本を離れ、うちインドに3回、一年半も滞在しているのだから、問答無用の別室送りは免れないと覚悟していた。

係:どちらへ?
私:中国とチベットとインドとどことそことあそこと…
係:え?それ全部自転車で行ったんですか?!しかも5年ですか?!?!すごいですねー!!お疲れ様でした!はい、パスポート。
私:…。

以上。
やはり日本の税関は善悪見極める世界最高の眼力をお持ちのようで!!

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.: posted by kazumoto 6:53 午後


火曜日, 4月 10, 2007

「帰国報告」

2007年4月7日、5年間の世界(といってもチベットとその周辺諸国だけなのだが…)自転車旅を終えて日本に帰ってきました。
日本に帰ってきてまずは吉野家で牛丼を食べました。
牛丼(ほぼ)復活、おめでたいことですね。

それではこれからもよろしくお願いします。

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.: posted by kazumoto 6:57 午前


火曜日, 4月 03, 2007

「ボクが日本へ帰りたくない理由(わけ)」

この旅を始める直前の2002年春、過去にない体の不調を感じた私に、担当の医師は死刑宣告にも等しい告知をした。
「花粉症ですね」
風邪でもないのに鼻水が止まらず、悲しくもないのに涙が流れていたのだ。

しかし以来5年間日本で春を過ごすことがなかったためにあの苦痛は忘れかけていた。だが間もなくの帰国は恐らく花粉真っ只中の4月7日。しかもその翌日は友人の結婚式に出ることになっている。ツァンパやターリーじゃなくて、舌鼓をポンポコ200回くらい打ちたくなるような美味しい料理を久々に味わうことができるはずなのに鼻グズグズに詰まって味なしではあまりにも悲しい・・・。

私にとってはインド大都市の地獄の大気汚染よりもスギ花粉の方が大敵なのだ。

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.: posted by kazumoto 7:56 午後


「チベットの恩返し その5『父と娘』」

それはラサでの馴染みのチベタン飲み屋から帰ろうとした時だ。帰り道一緒になった客のオヤジがこっそりオレに告げてきた。
「実は私の娘が今インド・ダラムサラの学校で勉強している。6年前に亡命させたのだが、それ以来娘の姿を見ていない。お前はこの後ダラムサラへ行くのだろう?娘の学校を訪ね、成長した姿を写真に撮ってラサへ送ってくれ。」
この手の頼まれ事はもうお手の物だ。二つ返事で承諾し、オヤジの写真もそこで撮っておき、オレはダラムサラへ向かった。

そしてその亡命チベット人の子どもが多く寄宿している学校へやって来た(実はその学校はダラムサラにはなく、100kmくらい離れた所にあって探し出すのに随分苦労したのだが・・・)。そこの先生に事情を話し、その娘の名を告げるとすぐさま連れて来てくれた。15歳の小柄な女の子だった。
ラサであなたのお父さんに会いましたよ、と写真を渡すとそれだけで止め処もなく涙が彼女の頬を伝った。思わずこちらももらい泣きしてしまいそうになるのを堪え、彼女の話を聞く。
「少しの間だけでもいいからラサに帰ってお父さんお母さんに会いたい」
パスポート無しの亡命の身分ではそれはちと難しいかも・・・とはとても言えず、ご両親はあなたがここで頑張って勉強し続けることを望んでいるはずだよ、と言うと、
「じゃあ頑張って勉強して大学卒業してからラサへ帰る!」
と力強く答えてくれた。

彼女が立派に学を修め、堂々と祖国へ凱旋できることを強く願いつつ、オレは帰路についた。獅子の描かれたチベットの国旗がポタラ宮の上にはためくことを夢見ながら・・・。

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.: posted by kazumoto 7:41 午後


「あとは帰るだけ」

涼しく快適だったダラムサラをあとにし、インドの首都デリーにやって来た。
山から下界へ下りて来てみると既にそこは40℃近い灼熱地獄。
2ヶ月間ダラムサラで充分すぎる静養をとってしまったために、この暑さは体にこたえた。
しかしこれでもうお仕舞いだ、と思うと多少無理も効いて、その炎天下の中150km以上を連日走り続けた。さすがにバテた。
でももうあとは日本に向けて飛ぶ日を待つだけだ。

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.: posted by kazumoto 7:35 午後


火曜日, 3月 20, 2007

「真説・法王に謁見」

それは乾季にもかかわらず冷たい雨の降り続く日だった。
私を含めた日本人30人、他に韓国・台湾・ベトナムなどのアジア仏教国の人々のための特別謁見が王宮で行われた。普段は固く閉ざされた門の奥深くにある謁見の間に通された我々は、法王の到着するのを祝福のカター(白い布)を手にじっと待つ。やがて侍従に付き添われ法王が現れた。優しい笑顔で有り難いお言葉を頂く。
「皆さんの国の仏教の歴史に比べ我々チベットの仏教の歴史は短い(チベットに仏教伝来したのは7世紀)ので皆さんの方が先輩です」と言って深く頭を下げられた。その姿に自称仏教徒の私をはじめ一同驚いてしまい慌てて頭を垂れるが、顔を上げてみるとまだラマは深々と頭を下げており、更に驚いて頭を下げた。

して国ごとに一緒に記念撮影。撮影が終わるとみなラマに群がってその手を握る。ラマの手は73歳とは思えぬくらい柔らかく福よかで、そして温かかった。
その手を握った時、私の5年弱の旅もこれで本当に気持ち良く終わることが出来るな、と思った。

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.: posted by kazumoto 8:20 午後


日曜日, 3月 18, 2007

「チベットの恩返し その4 『幸せ配達人』 」

私がダラムサラに来た目的の一つが小包配達であった。
その荷物は、ラサのお寺にいる尼さんに私がこれからダラムサラへ行くということを話した際、「それなら私の兄(僧侶)が亡命してそこの寺にいるので荷物を届けてほしい」と託された物だった。

チベット(中国領)⇔ダラムサラ(インド領)でも電話で話すことはでき(もちろん中国当局により盗聴されている)、手紙も送れるし(もちろん検閲される、そしてたまに消える。私が以前インド→ラサで出した手紙は届いていなかった)、荷物も送れる(がやっぱり開封される)。しかし何といっても確実なのは郵便局を通さず人の手を通しての配達だろう、ということで私に白羽の矢が立ったわけだ。

果たしてどんな大切な物を託されるのだろう?とドキドキしながら取りに行ってみると、渡されたものは何と「豆」。しかも小型枕くらいの大きさでかなり重い。これからヒマラヤ越えねばならぬのに…と少々たじろいでしまったが「この豆はロサール(チベット正月)のお供え物として欠かせないのですが、インドでは採れないものなのです」と説明され俄然やる気が起きた。絶対届けます!!

という訳でその豆担いでヒマラヤ越えてタライ平原を西に突っ切って標高1800mのダラムサラへ到着した。あとはその人のいる寺へ行って渡すだけなのだが、数千人規模の亡命僧のいる寺もいくつかあるくらいなので探すのに四苦八苦するかも、と心配していたが、その寺内でブラブラしていた坊さんに名を告げるとアッサリ見つけ出してくれ、アッサリ手渡すことに成功した。通じる言葉がチベット語しかなかったので説明するのが大変かと思われたが、その妹(ラサの尼)の写真と共に渡すとすぐ理解してくれた。どうもありがとう、と出してくれたコーヒーはインド風のとても甘い味だった。

9年振りに添えられた豆と共に2月18日、チベットの新年は明けた。

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.: posted by kazumoto 6:32 午後


「法王に謁見」

重厚な扉には50数年前この地球上から公式的に姿を消してしまった国の国旗がモールドされていた。私は緊張に手を震わせながらその扉をノックした。中から低い声で「どうぞ」と聞こえ、私はその重い扉を開いた。

彼はゆったりとした椅子に深く腰掛けたまま静かな笑みをたたえていた。私達はしばらく近況を報告しあった。話題が途切れたのを見計らって、私は以前からあたためていた事を意を決して切り出した。

「法王!2008年の北京オリンピックの開会式にはぜひインド選手団の旗手となってチベット国旗を掲げ堂々入場してください!忌まわしき中国共産党の度肝を抜き、チベット独立を世界にアピールする最大のチャンスです!」

あまりの唐突な申し出にさすがの彼も驚きの表情を隠せず、沈黙のまま遠く東の方を見つめた。それは、そう、本来彼の住むべき天空の城のある方角だった。

どれくらいの沈黙が続いたろう。私はまんじりともせず彼の返事を待っていた。やがて彼はその遠くを見つめたまま、あの静かな菩薩の笑みを取り戻し、ゆっくりと、そして深くうなずいた。

(了)

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.: posted by kazumoto 6:21 午後


「非行よ非行よ」

ついに最終目的地ダラムサラに着いた。
その足で私は郵便局に向かい局員に告げた。
「電報を打ちたいんですけど…用紙はどこにあるんですか?」
しかしカウンターのヒゲ面の太った典型的インド人のその男は、まるで私の声がまったく聞こえないかのように新聞に目を落とし続けている。私は台をバンバン叩き、足でボコボコ蹴って注意を引こうとした。さすがにうるさく思ったか、男はモッソリ顔を上げ面倒臭そうに言った。
「君はここから電報は打てない」
私は、どうしてなのか、と少し強い調子で訊ねた。
「ここは電話局じゃない」
「えっ?」
私には彼の言っている意味がわからなかった。
「電報は電話局から打つんだよ」
「あっ!」
ようやく私は自分の誤りに気がついた。電報は郵便局からではなく、電話局から打つのだという。言われてみれば当然のことだった。私は恥ずかしくなり小さな声で訊ねた。
「電話局はどこにあるんでしょう」
すると相手は本物の笑い顔になって言った。
「どこでもいいんだよ」
「どういうことでしょうか…」
「電報は電話から打てるんだよ」
「!」

歩きながら次第に私はおかしくなってきた。電報は電話のあるところならどこからでも打てるらしい。ということはダラムサラのどこからでも可能ということになる。いやもうそこがダラムサラである必要はないのかもしれない。
クックックッと笑いが洩れそうになる。私はそれを抑えるのに苦労した。これからまだ旅を続けたって構わないのだ。旅を終えようと思ったところ、そこが私の中央郵便局なのだ。

私は近くの電話屋のボックスに入った。そして受話器を取り上げると1ルピーも入れずにダイヤルを廻した。
<725872-7258>
それはダイヤル盤についているアルファベットではこうなるはずだった。
SAKURA-SAKU
<サクラ咲ク>と。

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.: posted by kazumoto 6:03 午後


火曜日, 1月 02, 2007

明けましておめでとうございます。

2002年6月に始めた旅も既に4年半が経ってしまいました。
まだやってるのか?!まだやるつもりなのか?!
と言われそうですが、まだやってるし、まだやります。
・・・と去年も書いたような気がしますが、今年もまだやってます。

チベット高原を横断すること3回、現在はインドの聖地の一つバラナシにいます。
ここで年を越すのもこの旅の中で3回目を数えることとなりました。
しかし私の旅も残すところあとわずか。
この後北インドのダラムサラへ行って、
ダライラマに会ってこの旅を締めくくろうと思っています。
日本帰国は3月頃になるでしょうか。

それでは2007年が皆様にとってよい年であることを祈ってます。
本年もよろしくお願いいたします

.: posted by kazumoto 11:25 午後


木曜日, 12月 14, 2006

「西南西に進路を取れ!」

今年の夏ごろから、どうやってこの旅を締めくくろうか考えるようになった。3度目のラサへ向かうことは決めていたので、東からのラサ入り(川蔵北路・南路)と西から(新蔵公路)、そしてネパールへ抜ける道(中尼公路)をすべて通ったことになり(北からの青蔵公路は全線舗装なので除外)、チベットの旅もこれで一区切りかな、あとは新しく出来た鉄道にでも乗って上海から日本に帰ろうかな、と考えていた。
しかし4年以上に及ぶ旅の最後が鉄道ではなんとも締まりがないなあ、と思っていたところへ、天の声が下った。(8つ前の「4年振りのチベットの恩返し」をご覧下さい)
そうだ!ダラムサラへ行ってダライラマに会おう!これだけチベットに惚れ込んだんだから最後の締めくくりとしてこれ以上の場所はない!!

・・・という訳で3たびインドへ向かうことに決めたとさ。

.: posted by kazumoto 6:36 午後


日曜日, 12月 03, 2006

「ラサ観光都市化計画」

今年のラサは鉄道開通、内外の観光客ワンサカいらっしゃいませ、に向けて都市改造したところが随所に見られる。

特にポタラ宮周辺は激変。まず正面の広場に「平和的開放記念塔」なる巨大な塔が建てられた。チベットが『平和』的開放なら、南京にも虐殺博物館なんかじゃなくて「日本軍入城熱烈歓迎記念塔」でも建ててもらいたいものである。

その広場は夜になるとライトアップされるのだが、池や橋につけられた紫やピンクのライトがチカチカ(ゲスに)輝いてまあきれい!極めつけは池の周りにグルリと「卍」のマークのライト。「中国では信仰の自由が守られています」アピールのつもり??
ちなみに五体投地していい場所というのが決まっていて、それ以外の場所ですると逮捕されてしまうとかしないとか。(未確認情報)

ポタラ宮の周りにも巡礼路があって、以前は一休みのためのチベタン茶舘や露店がズラリと並んで賑やかだったのだが、今は全て撤去されてしまって植木遊歩道になっていた。してそこかしこにスピーカーがあってチベット語で歌われている中国の流行歌が(ゲスに)ガーガーピーピー流されていてまあいい雰囲気!「中国では言語の自由が守られています」アピールのつもり??

もしダライラマ法王が50数年ぶりにラサ帰還!成ったとしても、この変貌振りを見たら「インドの方がマシじゃ」と帰っちゃうかもしれない。

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.: posted by kazumoto 12:55 午前


木曜日, 11月 16, 2006

「昨日の敵は…」

とあるチベットの小さな町で子供らと遊んでいた。一緒に家へ戻るとその子供らが母親に「日本人って悪い奴だと思っていたけど、この人はいい人みたいだよ」と話している。いい人、と言われたことは嬉しいけれど、やはりフクザツな気分。

しかしこの子がこういう感想を持つのも致し方ない。テレビをつければ24時間必ずどこかのチャンネルで反日番組やっているし、学校では低学年の教科書に「日本鬼子(日本人に対する蔑称)」の文字が堂々と出ている。こういった徹底的な対日感情悪化洗脳政策にあっては、純粋な子供らが何の疑いもなくそう信じてしまって当然だろう。

しかしここはチベット。
君らの本当の敵はもっと最近の、もっと身近にいるんだよ、ということを誰かが語り伝えねば、やがてその歴史は風化し忘れ去られ、別の歴史にすりかえられてしまう…。
チベットの将来を担う子供たちが今こんな状態にあるとダライラマ先生が知ったらさぞ嘆き悲しむことだろう。

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.: posted by kazumoto 3:10 午後


「ダイエット中」

風邪気味だったその日は朝からあまり食欲がなかった。
あるキツイ峠を越えようとしていた時、未だかつて経験したこともないような強烈なハンガーノックに見舞われた。自転車から下りて押すどころか立っていることさえできず、そのままその場に倒れこんでしまった。しばらく休めば復活するかも、と2時間くらい道端で寝転んでいたが、まったくその兆しなし。

その時フト思い出した。以前にバスに乗った日本人のツアーグループに会い「これでも食べて」と日本の飴をいくらかもらっていたのだった。
そうだ、それを食べて気合を入れなおして頑張ろう!
はいつくばりながらバッグからその飴を取り出したところでガクゼン。その袋に記されていた文字は…
「シュガーレス」「カロリーゼロ」

ちなみに7月に再始動して10月にラサにたどり着く間に失った体重は13.7kg。

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.: posted by kazumoto 2:59 午後


日曜日, 11月 05, 2006

「御用だ!!」

今回でチベット滞在都合9ヶ月。ずっと許可証なしの非合法旅行をしてきたのだが(自ら出頭したアリは除く)、ついに今回公安に捕まってしまった。場所は東チベット非開放の町、昌都。

鉄道開通したせいか、間もなくチベット入域許可が必要なくなる、という噂が外国人旅行者間を駆け巡った。実際雲南省方面からのラサ行きローカルバスは中国人料金で外国人も乗れるようになり、道中数ヶ所あるチェックポストはゲート開きっ放しで見張りは居らず、こりゃいよいよ本当か?!とまったく何の警戒もなくその町の宿に泊まっていたのだ。
して滞在4日目の深夜2時…。
突然ドアを激しくノックする音で飛び起きた。強制的に鍵を開けられ中に入ってきたのはMP含む公安5人。「身分証を見せろ!」どうやら違法外国人旅行者狩りではなく、安宿に潜む不穏分子チェックのようで「なんだ、外人か」とさっさと帰ってしまった。そこで機転の利く者ならその後に起こりうる事態に備え素早く手を打つところだろうが、何しろ真夜中で公安に対してもナメ切って考えていたので、のん気に二度寝に入ってしまった自分が今となっては恨めしい。
して数時間後の朝8時、またしても激しいノックの音。入ってきたのは紛れもなく中華人民共和国公安部外事課の男。「この町は非開放だ。パスポートをよこせ。そして今すぐ署へ同行してもらう。」万時休す。パトカーに乗せられ、向かった署内でアーだコーだ説教され、有無を言わさず罰金400元(6000円)の刑。これだけで済めばまだよかった。何しろ法律を犯しているのは明らかなのだから。しかし外国人、特にサイクリストや徒歩旅行者が最も恐れているのは「追放」。ここまで何日もかけて必死に頑張ってきたのを全て無にしてしまう恐怖の宣告。まさにそれを受けてしまった。
「即刻バスターミナルへ行き、即刻チケットを買い、即刻雲南行きのバスに乗り、即刻チベットから出て行け。」
親切な公安さんはパトカーに乗って一緒にバス停まで行ってくれ、国家権力を利用し窓口前の行列に横入りし、240元(3600円)のチケットを買わされた。合計一万円の大出費、それ以上に「追放」という処分の重さのショックに倒れそうになっていた。

しかししかし。
やはり毎日あのまずいツァンパを食べ続けるような信心深さが天を我に味方させた。その日のバスはすでに満席で明日のしかない、と言われたのだ。悔しそうな公安は窓口の女に「もしこいつが払い戻しに来ても取り合わないように」と言い残し去っていった。去ってゆく公安の背中は心なしか寂しそうだった…なんて気にするはずもなく、すぐさまダッシュで宿へ戻り荷物をまとめてチェックアウト。そして一路西へ、逃げろや逃げろ。しばらくは後方からの車が逃走した私を追ってきた公安ではないかとビクビクしていたが、十数kmも離れればもはや堕落した公安が追ってくるはずもない安全地帯。
いやはや、とんだ捕り物劇かな。

ラベル:

.: posted by kazumoto 2:53 午後


「グレートジャーニー」

地方のチベタンは農閑期に入るとラサへの巡礼の旅に出る。ある者は家族と、ある者は友人と、またある者は村総出で。行き方も、飛行機で、ランクルで、バスで、トラックの荷台に乗って、トラクターで、歩いて、など様々。中でも、最もチベットらしく、最も皆から尊敬されるのが、五体投地で尺取虫のように少しずつ進んでゆく巡礼だ。

彼らの方法は、五体投地部隊と荷運び部隊に分かれ(役は日替わり)、荷運び部隊は大八車、トラクターなどに生活用品全てを積み込み先行し、水のあるところでテントを立て、牛の乾燥ウンコ(焚き火の燃料となる)を集め火をおこし、茶を沸かし食事を作って後続の巡礼部隊を待つ。そう分業しても五体投地前進は絶望的に遅いので一日に移動できるのはせいぜい10km。ほとんどのグループは、ラサまで半年近くかかると言っていて、その長さに唖然とさせられたものだが、さらにその上をゆく物がいた。

それは「一人」五体投地巡礼。

17歳の少年僧が行っていたそれは一人なので全ての作業を自分で行わねばならない。まず荷の積まれた大八車を100m引っ張る。そこに車を置いてさっきの所まで戻って五体投地を開始し100m前進。また大八車を100m引っ張って…をひたすら繰り返す。もちろん水汲み・テント立て・食事作りも自分でやらねばならない。食料がなくなれば托鉢も行わなければならない。そのため団体巡礼者に比べ一日に移動に費やせる時間もはるかに少なくて、丸一日使って移動できる距離は平均で4km、上り坂だと3kmくらいしか進めない…。赤ちゃんのハイハイより遅いのでは??
出発してからすでに一年少し経った、と言っていたが、彼の田舎からラサまでは約2500km。平均4km/日で二年弱かかる訳だ…。

エベレストに登ることが冒険でもなんでもなくなった現在、身の回りの者以外特に認められることもなく、世に知られることもなく、チベットの山奥でひっそりとこんなハードな冒険をしている者がいたとは!!彼から「自転車だと一日どのくらい進めるの?」と聞かれ答えるのが恥ずかしかった。

「地球一周一人五体投地!」
これを成し遂げれば冒険史に残る大偉業になること間違いなし!!しかし一日4km進むとしても地球一周4万kmにかかるのは約30年…。やっぱり無理か。

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.: posted by kazumoto 2:32 午後


「魔法の食べ物」

食べても食べても減らない不思議な食べ物ってなーんだ?
3.2.1.ブー。
答えは「ツァンパ」。

今回バアちゃんの家に居候したのは2週間。何でそんなに長くいたのかというと、ちょうどその時ツァンパの原料となる大麦の収穫の時期でそれを手伝っていたから。
出発の時には餞別としてサイドバッグ一つが丸々いっぱいになるほどの大量のツァンパ(推定5kg)、バター、チーズ、ヨーグルトを頂いてしまった。あまりの多さに困惑したが、せっかくの頂き物を粗末にすることなどできるはずもなく、その後は朝昼晩、約1ヶ月間ひたすらツァンパを食べてひたすら荷物減量に努める。道中道端で休んでいる巡礼者などに呼ばれ「ツァンパ食うか?」と言われた時も「自分のがあるから」と自分のを出してお茶だけ頂く。そうしてあれだけあったツァンパも徐々に減っていった。
が、泊めてもらったり、一緒に野営したりしたお礼にラマの写真を渡すと、さらにそのお返しに「せめてツァンパでも持っていってくれ」とまたドサッと増えてしまうこと3回。結局ラサに到着した今でもサイドバッグ一つは丸々ツァンパの入ったまま…。ラサに居てまでも朝食はツァンパ食ってます。
こりゃあと数ヶ月はもちそうだ…。

とあるチベタン曰く「大麦は種さえまいておけば勝手に成長するのでタダみたいなもんだ」(もちろん畑の準備・収穫などは大変な作業だけど)

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.: posted by kazumoto 2:20 午後


金曜日, 11月 03, 2006

「ツインズ」

中国で施行されている一人っ子政策は誰も彼もが子供一人だけ、という訳じゃなくて、省ごとにいろいろ細かいところで違いがあって、漢族以外の少数民族はおおむね2人までは認められているようだ。チベタンも2人。しかしそのバアちゃんちには子供が4人もいる。

一番上(女17歳)は在家の尼さん。2番目(女13歳)は小学生。しかし3番目(女8歳)は学校には行っておらず、放牧担当で朝早くから牛羊を追って草原へ行き、夕方それらを連れて家へ戻ってくる。ああ、やっぱり3人目じゃ多額の罰金を払わされるので出生登録しないで戸籍のない子供となってしまい学校には行けないんだな…と思っていた。
しかしある日その家庭の戸籍手帳を見せてもらってビックリ。なんと3番目の子もしっかり戸籍があるじゃないか。さらにその中身をよく見てみて2度ビックリ。なんと2番目と3番目の子の誕生日が同じ日になっている!!
その2人は5年の年齢差があり誰が見てもとても双子とは思えないのだが、こんな裏ワザがあったとは…。登記された誕生日は上の子の日になっていたので3番目が生まれたときに局で「ゴメン、そういやうちの子双子だったんだけど一人申請するの忘れちゃってさあ」とでもやったのだろうか?!

しかし残念ながら4番目(男3歳)の戸籍はなし。しかも現在母さんは妊娠中…。やっぱり「ゴメン、そういやうちの子4ツ子だったんだけどさあ」ってやるのかな?

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.: posted by kazumoto 5:17 午後


「4年振りのチベットの恩返し」

(まずは「チベットの恩返しその2 母の想い」http://homepage1.nifty.com/kunori/miwa2.html をご覧ください)

オレはあの村へ戻ってきた。あの老婆のいるあの家へ。この4年間、ただ気がかりだったのは67歳だったあの老婆が既に天に召されてしまっているのではないか、ということだった。しかしそれは杞憂に終わった。しっかり健在だった老婆は、突然現れたオレを温かく迎えてくれ、あの時と同じようにバター茶を振舞ってくれた。まずは4年前のお礼に、これまでバッグの奥深くに大切に隠し持ってきたダライラマの写真をドサッと渡した。目を丸くして驚く姿を期待したのだが、返ってきた言葉は逆にオレの目を丸くさせた。
「アンタもダラムサラへ行ったのかい?」

4年前は確かに「もう老いてしまってラサにも行けない」と言っていたはずなのに?!聞けば去年子供たち(10人)がお金を出し合ってインド巡礼ツアーに招待したのだそうな(亡命ではなくてもちろん合法ルート)。しかも夏…。そしてさらにその後カイラス巡礼にも行き、カイラスコルラを五周(一周52km、最高5630m)、マナサロワール湖を一周したんだそうな。オレが正直に「カイラスは行ったが一周だけでヘバッて、湖は見ただけ、インドは何回も行ってるけどダライラマに会ったことはない」と言うと「若いもんがダメだねえ。もしまたインドに行くなら絶対ラマに会いに行きなさい」とお説教されてしまった。

この調子ならこのバアちゃん、100歳までは大丈夫そうだ…。

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.: posted by kazumoto 4:55 午後


「A列車で行こう!」

青蔵鉄道が開通し1ヶ月ほどして「既に線路の沈下が起こっている」と耳を疑うような話を聞いた。「標高4000mの高原の永久凍土の上に鉄道を敷くという難工事を、偉大なる中華人民共和国の土木建築技術を結集して成し遂げた世紀の大事業」と謳っていたのに?!

今回通ってきた道のうち、ラサ手前約300kmは鉄道と併走する。白く雪の被った山々をバックに3輌の気動車が16輌の客車を引っ張って進んでゆく姿はまさに圧巻。しかしふと下を見るとアチコチの橋げたを補修工事している…。やはりその噂は真実?!
しかも橋は無数に架かっている。チベット独立要求過激派の爆破ターゲットとしては格好の対象ではないか!やはり世界中にアピールできる北京オリンピックあたりが狙い目か?!

鉄道ファンの皆さん、青蔵鉄道ご乗車はできるだけ早目をお勧めします。

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.: posted by kazumoto 4:45 午後


「僕らのアイドル」

ダライ・ラマ14世。
チベット仏教界において政治面・信仰面、両面においての最高権力者。1989年にはノーベル平和賞も受賞し、世界にも認められる大人物であるが、残念ながら中国にとっては「偉大なる中華人民共和国分裂をもくろむ第一級政治犯」的人物。そのため国内ではダライ関連のニュースは一切流れず、インターネットでも規制に遮られ閲覧不可能。写真なども手に入れることができない。外国人が国外から持ち込み、チベタンに渡すのも法律に引っかかってしまう。
……と知りつつ持ち込んでしまいました、150枚。もちろん闇で売りさばいて一儲け!なんてするわけはなく、お世話になったチベタンへの御礼にするつもりで。道中、泊めてくれた一家、ツァンパ・バター茶を振舞ってくれた農民、つらい巡礼の最中声をかけてくれ一緒に野営した巡礼者、などなど。「どうぞこれを」と差し出すと、まるで長年恋焦がれた人についに巡り合ったかのように一様に目を丸くしてそして頭にかざします。肉体はチベット本土から遠く離れたところへ行ってしまったけれど、彼の精神はしっかりと皆の心の中に留まっているようです。

ある一人の巡礼者が言いました。
「私たちは辛い巡礼中、苦しくなると彼のことを頭に思い浮かべるのです。」

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.: posted by kazumoto 4:33 午後


火曜日, 10月 31, 2006

「ラサに着きました」

2002年秋、2004年夏に続いて3度目のラサに着きました。
今回は雲南省から入って、東側からラサに向かう2本ある道の北側(川蔵北路)を通ってのラサ入りです。チベット人からも「その道は寒いし、道も悪いから止めとけ」と言われるくらい寒いことで有名な地帯でしたが、その通りほぼ毎日雪が降り、早朝は零下20℃近くまで下がり、越えた4000m以上の峠は15個、とハードな旅になりました。しかし親切な農民・遊牧民・巡礼チベタンに助けられ、楽しくここまで来れました。
今年7月にラサへ通じる鉄道が開通し、ラサは確実に大観光都市へと変化してしまいましたが、知り合いの人たちに温かく迎え入れてもらい疲れも吹っ飛んでしまいます。

ラサは、そしてチベットはこの先どこへ向かっていくのでしょう?

.: posted by kazumoto 1:48 午後


土曜日, 8月 26, 2006

「チベットに来ました」

現在雲南省の北の端(標高3200m)にいます。
ここは行政上は雲南省ですが、すでに完全にチベット文化圏です。
草原が広がり、ヤクが放牧され、チベット民族衣装を着た人が農作業をしています。
ここからは川蔵北路を通ってラサへ向かいます。
そして再び隠密行動開始なのでしばらくは連絡おあずけとなります。
それではごきげんよう!

.: posted by kazumoto 4:03 午後


火曜日, 8月 15, 2006

「自転車王国」

4年前初めて中国を訪れた時、観光地にいる中国人観光客がみな高級一眼レフカメラやビデオカメラなどをもっているのに驚いたものだが(今思えば彼らは公務員で公費使い込みの可能性大)、今ではそれらが全てデジタル化し、私のカメラを見て「おや?お前のカメラには液晶がついてないのか?」とバカにされてしまう始末。

まあそれはさておき、国内団体旅行→個人旅行→若者バックパッカー旅行という変化とともに、長期自転車旅行というのもまだまだ少ないながら確実に広まっているようだ。4年前にはほとんど見かけることはなかったが、今年はそこかしこで中国人サイクリストに出会う。しかも乗っている自転車が日本で買えば10万円以上しそうなShimanoXTフル装備の高級車だったりして…。すごいのは自転車だけじゃなくて、1000mアップの峠が連続する平地のない貴州省を毎日200km走ってきたというレーサー車に乗る65歳とか、青海→チベット→雲南の大高原地帯5000kmを3ヶ月で走ってきた60歳とか、カシュガルからチベット高原完全横断してきたカップルとか、やってることも超難度。

さすが自転車王国、ツール・ド・フランスを中国人が中国製人民号で制する日もそう遠くないとみた!

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.: posted by kazumoto 10:17 午前


土曜日, 8月 05, 2006

「抗日戦争大勝利記念日」

「ああ言えば上祐」の中に書いた「日中戦争で5000万人の中国人が殺されたために…」というのがもし仮に真実だったとした場合、10数年の期間でこれだけの人を殺すためには一日に大体一万人殺さねばならぬ計算になる。一発一発手動で装填する三八式歩兵銃でこんなにも殺すにはメシ抜きで頑張ってもちょっと無理なような…。
もしかすると旧日本軍には歴史の闇に葬られた秘密特殊部隊が存在し、とっくに核開発を終えていたのかも。「少年」とか「肥満男性」とか名付けられた新型爆弾を中国各地で250発くらいピカドンピカドン。そういうことなら日本(の一部)の言う「南京大虐殺などなかった」という主張と、中国の言う「南京で30万人が殺された」という主張の矛盾が矛盾でなくなる。
それにしてもなぜ中国でそんな華々しい戦果をあげられる戦力を持ちながらインパール作戦では出し惜しみしたのだろう?
もったいないことだ。

まもなく8月15日。果たして小泉さんは靖国神社に参拝するのだろうか?するとまた鬼の首をとったかのように中国人にいろいろ議論を吹っ掛けられるんだよなあ。いやだなあ。

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.: posted by kazumoto 7:40 午後


「四年大昔」

自分でも忘れつつあったが、今回の中国再訪の最大の目的は以前お世話になった人々を訪ね歩くことにあった。が、3年ぶりに訪れた中国の町は変化が大きく、居なくなって会えない人が多い、というのは去年の今頃書いた。

そしてさらに一年が過ぎた現在。再訪する街する町、こんなに大きなところだったかなあ?というくらい横へ横へと拡張され、ボロ宿ボロ食堂などはきれいサッパリ取り壊され巨大なビルに変わっていた。再会成ったのは開発から取り残されたような途中の小さな村の人くらい。おかげでここまでの再会率は20%を割ってしまった。あの時笑顔で見送ってくれたあの人たちはいったい今どこで何をしているのだろう…?

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.: posted by kazumoto 7:28 午後


「点灯虫」

中国の建物の廊下や階段などには音感知式の電灯があって、パタパタと足音高らかに歩いてゆくとパッと点灯ししばらくして消える。
とある安宿に泊まっていた時のこと。
その建物は建築費をケチったか部屋の壁の上方が開いていて隣の部屋や廊下と筒抜けだった。
そして草木も眠る丑三つ時…。
どうやらここは夜のお仕事をするお姉様方の職場でもあったようで、私の隣の部屋へ男を連れて入ってきた。一応声をひそめてはいるものの、安レンガの壁で上が開いているので声も音も筒抜け。あんなことやそんなことをしている様子が手に取るようにわかってしまう。いやはやタダでこんなに聞かせてもらってラッキ、じゃなかった、うるさくて眠れやしないじゃないか全く!
そしていい汗かいて二人は出てゆき、やっとこれで安眠…と思ったとたん、一階のロビーでそのお姉様がなにやらママさんに訴えている。理由はさっぱりわからないのだが、絶叫・怒号・号泣。ウギャギャギャー!ビェー!ビェー!ウギャギャギャギャー!ビェー!ビェー!そのあまりの声の大きさに三階の廊下のセンサーまでがいちいち反応してしまいパカパカ点灯。それが約2時間くらい続いたところで泣き疲れたかやっと静かになった。
もう今日は寝坊でいいや…と思ってしばらく、そこはバスターミナルの近くであったため、始発を知らせるバスのクラクションがブー!ブー!ブー!またその音で電気がパカパカ…。

このスリルと興奮こそが安宿の醍醐味。

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.: posted by kazumoto 6:19 午後


水曜日, 7月 12, 2006

「今は山中 今は浜」

7月1日、チベット高原北部を縦断しラサへ到達する青蔵鉄道が開通した。当日はテレビでは朝から晩まで特番が組まれていて、式典の様子、一番列車の発車、こんな難工事をやり遂げた中国は偉大です、これでチベットの経済も飛躍的に発展しチベット人も大喜びです、的報道をひっきりなしにやっていた。

確かにこれは偉大な難工事だったろうし、経済も少しは発展するだろうが、2年前ラサを訪れたときに知り合いのチベット人にこの件を尋ねたところ「きっと中国人がもっとたくさんやってきて私たちの住む所が無くなっちゃうかも…とっても心配している」と言っていた。私の聞いたのは3人だけなのでもしかしたらその他の599万9997人のチベタンは鉄道大歓迎しているのかもしれないが、やっぱりきっとしてないとみた。実際、この鉄道の目的はチベットで産出される鉱物の輸送(←これはテレビでも言っていた)とインドとの有事の際の軍隊の輸送(←これは私の勝手な予想)にあると思われ、チベット人のことなんかハナっから考えてもいないだろう。以前新疆カシュガルのウイグル人が「鉄道が開通してから中国人がどっと押し寄せ我々の町をメチャメチャにしてしまった」と怒っていた。結局のところ、中国政府がチベットやウイグルにしている政策は、大日本帝国が中国の地に勝手に満州国を作って富を貪った行為となんら変わりないのだ!

…と知ったような口を利いてしまいましたが、小難しい政治的思想的なことは抜きにして、4000m以上の高原をひた走る列車に一度揺られてみたいなー。「世界の車窓から」もビックリな雄大な風景が見られること間違いなしだろうしね!

追伸:鉄道開通に伴い、ポタラ宮入場料が120元(1800円)から一気に最大300元(4500円)まで上がったそうだ。ヒエー。

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.: posted by kazumoto 7:36 午後


月曜日, 6月 26, 2006

「世界杯開催中!」

今回のW杯には中国は出場していないにもかかわらず、テレビでは全試合完全生中継を含め朝から晩まで24時間、足球、足球、足球。
それは大変よろしいのだが、ただ一つ不満なのは試合終了のホイッスルが鳴って30秒くらいで「ご視聴ありがとうございました。再見」とスタジオに返してしまうこと(これは先のオリンピックのときもそうだった)。自分としては勝って喜びに沸く姿、負けてうなだれる姿など、悲喜こもごもの様子を試合の興奮の余韻に浸りながら見てみたいと思うのだが…。

映画館でもそうで、最後のクライマックスシーンが終わると、エンディングシーンを見ることもなく観客は一斉に帰り始め、スタッフロールが始まるころには客席には私一人、何てこともしばしば。
傑作だったのは「キングコング」を見た時。島でコングが生け捕りにされたところをラストシーンと勘違いした観客らがその後のニューヨークシーンを見ずしてドワーっと帰ってしまったこと。

君らそんな1分2分を争って早く帰らねばならないほど時間に追われる生活してるわけじゃなかろうに…、と言いたいところだが、この現象は中国に限らずアジア・中東・アフリカ諸国で映画見たときも同じで、もしかしてスタッフロールを最後まで見るような奇特なヒマ人は日本だけ?!と心配になってきた。
ヨーロッパとかアメリカとかではどうなんだろう?
誰かそちらでの経験のある方、教えて下さい。

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.: posted by kazumoto 9:02 午後


火曜日, 6月 20, 2006

「ああ言えば上祐」

中国人と話していて日中関係のこじれについての話題が出たとき、以前は無条件で「私ら日本人が悪うございました、すみません」と謝って済ませていたのだが、最近は謝るばっかが能じゃなくてやっぱり言いたいことは言うべきだな、と考えを改め反論、というか話題すり替え・問題はぐらかし作戦をするようにしている。
こんな風に…

・南京大虐殺についてあやまれ、の話題が出た時……確かに日本人は謝罪すべきだ。しかし中国も元寇の時対馬で大虐殺を行っている。我々は750年近く待っているが未だ中国政府は謝罪していない。謝るのはそっちが先だ。そもそも中国の歴史教育では南京についてはこれでもかと教えるのに、自分らの行った殺人についてはほとんど言及していない。不公平な教育方針だ…と話題を逸らせてゆく。

・南京大虐殺で30万人(中国発表)も殺すなんて、の話題が出た時……天安門事件の死者数は諸外国メディア発表が1万人なのに対し、中国政府発表は5人(第一回の報告)。つまり中国政府は2000倍のサバを読む可能性がある。おそらく南京でも30万人ではなく実際は150人程度だろう。その程度の死者なら戦争じゃなくても当時の南京なら自然に発生してるよ。そもそも政府発表の数字をそのまま鵜呑みにする方がおかしい…と話題を逸らせてゆく。

・靖国神社参拝の話題が出た時……靖国には確かに戦犯も祭られているが何百万人という一般兵も祭られているのだ。首相が参拝するのは当然だ。それなのに中国のニュースでは首相が戦争犯罪者を英雄視している、そればかり。中国のニュースの内容なんてごく一段面からしか見ていないウソっぱちだ…と話題を逸らせてゆく。

・中国の偉い誰かさんが言った「日中戦争で5000万人が殺されたために中国の発展は50年遅れた」の話題が出た時……もしかしたらそれは事実かもしれない。ならば文化大革命と共産党一党独裁のために中国の発展は1000年遅れたね。もし毛沢東がいなけりゃ今頃中国は宇宙を支配し、タイムマシンも光速ロケットも発明していただろうね…と話題を逸らせてゆく。

・尖閣諸島の話題が出た時……うむ、もしかしたらあそこは日本の領土じゃないかもしれない。その時は諦めて放棄するが、その時は台湾に返すよ。そもそも台湾は中国の一部、なんて思っているのは世界中で中国人だけ。もし台湾に行ったら本屋で世界地図を見てみな。そこには「中華人民共和国」なんて国はどこにもないんだぜ…と話題を逸らせてゆく。

・歴史教科書の話題が出た時……もし教科書に「進出」と記してあったところであの行為が「侵略」であったことくらい日本人の誰もが理解している。帝国主義は許されない、批判されて当然だ。しかしその帝国主義を批判し続けている中国が、チベットに対して行った行為(派兵・破壊・虐殺・強制労働・言語統制)こそ帝国主義そのものではないか?まもなくチベットに鉄道が開通するがこれを歓迎するチベット人など皆無であることを知れ!…と話題を逸らせてゆく。

…などなど。これによって相手を黙らせることができるか、火に油を注ぐことになるかはあなたの話術次第!
しかしなあ、731部隊についてはだけは逃げ道が全く見つからないんだよなあ。ありゃやっぱり日本人が悪いわ。日本政府は即刻中国人に謝罪すべし。

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.: posted by kazumoto 9:15 午後


土曜日, 6月 17, 2006

「無題」

前々項にて腐敗はイカン!との内容を記したが、社会主義国である中国においては、あくまで主役は政府であり、民衆はその引き立て役。そこが我々の民主主義国とは根本的に違う。
だからその国の人がその制度をフルに利用し利益や幸福を手にしようとするのはその国に生まれてしまった人々の一つの知恵であって、一概に非難もできないのでは、と思う(もちろん汚職を肯定しているわけではない)。

というのは、ある公務員から「日本人が中国を旅行するのは簡単だが、中国人が日本を旅行することは大変難しい。日本人はちょっと働くだけであなたのような長い旅ができるが、我々には絶対不可能だ。不公平だ!」と言われたこと(腐敗者に言われたくはなかったが)。

確かに私は日本という経済的に恵まれた国にタマタマ生まれたおかげで、他国(特に貧乏国)との経済格差を利用することによって今のような旅ができている訳で、不公平だ!といわれると返す言葉がない。
(本当は、1945年(抗日戦争勝利)とか1989年(天安門事件)とか豊かになれるチャンスは幾度となくあったのにそれを全部お上が潰した。君らの貧困の原因は全て「一党独裁」にあるのだ!という返す言葉があるのだが、ちょっと危険思想なのでまだ言ったことがない)

つまるところ何が言いたいかというと、私の旅というのは決してひけらかしてはならぬ、どちらかというとちょっと恥ずかしい旅であるのだなあ、と5年目に突入した今、思う。

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.: posted by kazumoto 8:02 午後


「これぞ中国!」

バスターミナルでバスを待っていたときのこと。
広い待合室の中にテレビが一台。W杯の試合が放送されていてテレビの前には多くの客が観戦していた。するとそこへ切符モギリの服務員(若い女)がテレビのリモコンを持ってツカツカと現れ、チャンネルを連続ドラマに換えてしまった。当然客からはブーイングが起こるが「チャンネル権は私にあるのよ!」と言わんばかりに完全無視で腕組みしてドラマに熱中していた。もちろんこれ公務中の出来事である。
そういえば香港に向かう時乗ってきたバスは途中お客を拾わない特急バスだったのだが、突然ある所で停車。何事かと思ったら運ちゃんが道端の農民直売のスイカを2玉買っていた。

中国のバス会社で働きたいなー。

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.: posted by kazumoto 7:29 午後


「フハイ」

4年前に知り合った友人を訪ねていったところ、こりゃまいった!と唸ってしまいそうな素晴らしく豪華な接待を連日連日怒涛のように受けてしまった。というのもその人の家族、友人たちが皆揃って公務員だからである。

中国の官僚・公務員の腐敗ぶりはつと有名だが、この度その実態を目の当たりにしてあらためて中国の一般庶民に生まれなくてよかった、と思った。
まずその豪華接待の後一度もお金を払っているのを見たことがない(サイン一つで全部公費もち)。車であちこち連れて行ってくれるがその車は公用車である。広い自宅は公務員特権で半額で購入できる。各人毎年一回一万元(15万円)クラスの旅行がタダ。これすべて人民の税金によって賄われている…。
中国でも中央に近い地域ではそれなりに取り締まっているらしいが、ここは地方都市なのでナアナアの野放し状態、汚職は当然の権利だと思っているフシがある。

まあしかし2000年以上昔の話である「項羽と劉邦」なんかを読んでも役人の腐敗は既に存在しており、ということは、汚職は即ち故宮や万里の長城よりもはるかに長い歴史を持つ中国の一つの伝統文化といってよいだろう。
ここはひとつ中国政府に開き直ってもらって、汚職の歴史を集めた「腐敗博物館」を開設し、参加料を払って食事からジキジキまで各種様々な使い込みを体験できる「汚職実体験コーナー」を設け、更には毎年最も汚職を働いた役人を国の重要無形文化財として表彰する…なんてのはどう?

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.: posted by kazumoto 6:46 午後


金曜日, 6月 02, 2006

「自由」

中国に変換されながらも今なお自治を保っている「自由」の土地、香港。
「自由」、ああなんという魅惑の響き!
「集会・結社・言論・宗教の自由」、ああこれこそ人間の住むべき本来の姿!
約一年振りに不自由な世界から自由の世界に舞い戻った私はスピーカーを準備し、惑うことなく人々の集まる公園に行き大声で叫んだ。

「毛沢東主席・中国共産党万歳!!」
「社会・共産主義だけが真の平等な世界を築けるのだ!」
「人民公社は生産の雄!」
「打倒帝国主義!チベット・ウイグル、全民族一致団結して植民地支配を叩き潰せ!」
「進め人民解放軍!日本鬼子を皆殺しにせよ!」

あ、そうだ、あとひとつ。

「中国政府は直ちに元寇の際の大虐殺について日本国民に謝罪せよ!!!」

ふう、すっきりした!

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.: posted by kazumoto 2:28 午後


「ビザ延長」

今中国ビザ再延長のために香港にいます。
普通ビザ取得のためには専用の紙にいろいろ記入して写真張って…と面倒なことこの上ないものですが、なぜか香港だとお金と写真一枚とパスポートをエージェントに渡すだけで翌日にはアッサリ長期ビザがとれてしまうのです。
なんだ、つまりは金がほしいだけのことかって気もしますがね。

ちなみに過去、ビザ・入国書類で「えっ?そんなこと書かせるの?!」って思わせたベスト(ワースト?)3は…

第3位:宗教を書け(1996年シリア 入国カード)
無難に「仏教」と書いておいたが、もし「ユダヤ教」と書いたら入国拒否か?!

第2位:瞳と肌の色を書け(2003年ビルマ ビザ申請)
「肌色」じゃ答えになってないし、さりとて「黄色」と書くのもなんか嫌だったので「茶色」と書いておいた。実際日焼けしていて真っ黒だったからね。

第1位:ここ3年納税している現地人2名の名前を記入し納税レシートを添付せよ(2004年バングラデシュ ビザ延長)
「ツーリストなのにそんな都合のいい知り合いがいるわけないでしょう!」と係官に文句を言うと「なら諦めな。それとも…」とワイロの請求。なんだ?ユスリのネタか?!無論拒否。クサレバングラ役人。

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.: posted by kazumoto 2:10 午後


金曜日, 5月 26, 2006

「下から読んでも山本山」

中国のスーパーで味付け海苔を発見。
5枚1組で包装されていて、味も大きさも日本のと全く同じ。
しかしその大袋の裏側に書かれている内容が・・・。
そこには「こんなときにどうぞ」の絵と説明が載っていて、1つはベランダで音楽を聞きながら本を片手にクールに海苔をつまむ男の姿。
もう1つは、若いカップルが公園でイチャつきながら楽しそうに海苔を食べる姿。

日本人のカップルがデートの時「ちょっと待ってて、ジュース買ってくるから」のノリで、中国では「ちょっと待ってて、味付け海苔買ってくるから」ってやるの??
と中国人の友人に問えば、
「別に普通だよ」の答え。
ホンマかいな!?

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.: posted by kazumoto 12:28 午後


水曜日, 5月 10, 2006

「中国と私」

私が中国という国を初めて意識したのは、幼き頃テレビでドリフのやっていた人形劇「飛べ孫悟空!」を見て「あの加トちゃんというキャラは何者だろう?」と思ったことだが、二番目に意識したのは中国残留孤児のニュースを見た時だったろう。

姉(日本に帰れた)と妹(中国に残された)感激の再会!の映像で、妹の方が姉より20歳くらい老けてしまっているのを見て
「ウウム、中国で生活するとこんなに老化が早いのか…。くわばらくわばら」
と幼心に強い衝撃を受けたのを覚えている。
それから時は流れ、急激な経済成長を遂げた今の中国にいて、そういうのはもう過去の話、と思っていたのだが…。

私の泊まっている宿で働く農村出身の服務員さんたち。私よりはるかに年上と思って「おばちゃん」と呼んでいた人が実は同い年、あるいは年下だったりして…。
(そりゃ個人差ってもんじゃないのか?!というツッコミはなし)

貧しい農家の子は中卒後都会へ出て3Kバイト(含ジキジキバイト)に身をおく苦労の生活。実際この前参加した田舎の誕生日会でも、お客はチビッコか中年以上の人ばかりで、20-30代は皆無に近かった。

中国貧富の差解消の道はまだまだ険しい…か?

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.: posted by kazumoto 8:42 午後


「八十大寿」

知り合いの人から「今度うちの田舎のバアさんが80歳の誕生日でお祝いするからアンタも来るかい?」と言われたので参加させてもらうことにした。
親戚一同集まって、おめでとう!ってやるのかと思ったら全然規模が違って、

参加者200名以上(そこの村人ほぼ全員)!
食材になる動物:豚七頭、牛一頭、鴨十数羽!
各テーブルにはあふれるほどの肉肉肉料理(野菜ゼロ)!
飲め飲め白酒(焼酎)!
これが朝昼晩三回!
そして三日間続く!

最後には、ううっ、もう肉は当分いらない…ってなってしまった。
「まあ田舎の生活は普段娯楽が少ないのでこういう大イベントは楽しみなんでしょうね!」と主催者側に問うと、
「とんでもない!金はかかるし、準備は大変だし、本当はやりたくないのだが、さりとてやらぬとケチな一家だと陰口たたかれるし…ブツクサブツクサ」
ううむ…。

ならば同じ質問を参加者側に問えば、
「とんでもない!毎年のようにアッチコッチで同じような会があって(結婚・出産・60歳・70歳・80歳…)、毎回ご祝儀出さなきゃならんし(500-1000円程度)、参加しないと付き合いの悪い奴だと言われ、さりとて三日間全て参加するとズーズーしい奴だと言われ…ブツクサブツクサ」
ううむ、ムラ社会…。

ちなみにこういう習慣があるのはこの辺りの少数民族の一部(トン族・ヤオ族)で、漢族の人に言わせれば「そんな面倒なこと漢族はしないね」とサラリ…。

ラベル:

.: posted by kazumoto 8:40 午後


「求人広告 その後」

実は女子大生にムフフな家庭教師をしてもらっていたのは旧正月休み前後の計2週間だけで、その後地元でブラブラしているネーちゃんを雇ったところ、これがとんでもなく使えない代物で、自称堪忍袋の尾の長い私をわずか3日でキレさせクビにし、更にその後「私は元教師で標準語が話せます」とバリバリの訛り言葉で自己紹介するおじさんを雇ってしばらく勉強してました、というか雑談してました。

そういう訳であんまり中国語の上達には役立ってないですが、この最後のおじさんは文化大革命の時農村で強制労働させられた経験を持つ苦労人で、当時の話とか、毛沢東から今の政府までをボロクソに批判する話(外では絶対できぬ)とか聞けてなかなか興味深かったです。
私もお返しに、生中継で見た天安門事件の真実とか、去年新疆成立50周年式典に独立要求組織から爆破予告が出てた話とか、一般中国人が知ることのできない中国国内の重大ニュースをたくさん教えてあげてたいそう喜んでもらえました。

めでたしめでたし。

ラベル:

.: posted by kazumoto 8:38 午後


土曜日, 5月 06, 2006

「コネなき者は去れ!」

龍勝から30kmくらいの所に「温泉」という地名そのまんまの温泉街があって、今まで行くことはなかったのだが、まもなくここを去るにあたりどんなところか見ておくだけでも悪くなかろう、と体慣らしついでにひとっ走り行ってみることにした。

で、到着。
日本の山の温泉街と大して変わらぬ風景で、1分後には、ハイ満足、帰ろ、と思ったところ「イーユエーン(一元)」と誰かが私の名を呼んでいる。振り向けば以前龍勝の私の泊っている宿でコックをしていた男で、今この温泉街の食堂で働いているという。
「今日はここに泊っていきな。飯も宿もタダでいいから」
もちろん断る理由もないので即決。
言われるままについてゆくと、いくつかのホテル前を通り過ぎて「ここだよ」といわれた所はなんとこの温泉街NO.2の4ツ星ホテル、最低の部屋が850元(=13000円)!しかしそれは満室だったのでさらにグレードアップした1500元(=23000円)の豪華部屋にタダで泊らせてもらえることになってしまった。
こんなラッキーなことはないのだが、まさかこんなことになろうとは夢にも思ってなかったので、私の服装はいつもの自転車乗る時よりもさらにひどい格好(短パン・洗濯のし過ぎで肩に虫食いみたいな穴のいっぱいあいたボロTシャツ・ワラジ並みに底の擦り切れたビーサン)。案内してくれるボーイに運ばせる荷物すらナシ。
情けないやら恥ずかしいやら…。

してメインの露天風呂に行くぞ!ということになり、ここも顔パスでスルー(入湯料100元=1500円)。
中国人はみな海パンかパンツのまま風呂に入るようだが、まさかこんなことになろうとは夢にも思ってなかったので、パンツの替えなどもっていようはずもなく、仕方ないので一人だけフリチ○で入っていたところ、あまりのお粗末なブツに見かねたか、従業員が「これ穿きな」と商品の海パンをタダでくれた(推定10元=150円)。
情けないやら恥ずかしいやら…。

その後夜の温泉街をブラブラしているとその一角にアヤシゲな桃色の蛍光灯の光る「保健中心(センター)」なるものがあったので、
「隊長!自分はあそこで健康診断を受けたいでありますが、あれも顔パスになるのでしょうか?」と問えば、
「ウーム、タダはチト難しいが、観光客料金200元(=3000円)を地元料金50元(=750円)にしてやることはできる」とおっしゃる。
「据え健康診断受けぬは男の恥」と論語にもあるので、いっちょいきますか?!と思ったが、まさかこんなことになろうとは夢にも思ってなかったので、私の財布の中には17.2元(=258円)しか入っておらず
「やっぱり病気の問題とかあるし止めときます」
と言い訳して断念。
情けないやら恥ずかしいやら…。

ラベル:

.: posted by kazumoto 6:53 午後


「秒読みW杯!」

中国でもサッカーW杯は注目を集めている(バクチの対象としてだが)。
テレビでは各出場国のサッカー事情を紹介する一時間番組がやっていて、先日、日本のも紹介されていた。

で、番組のラスト、川淵チェアマンが日本のサッカーの将来を語るインタビューシーン。
放送では川淵さんの声(小さくだが聞こえる)に中国人ナレーターの声で翻訳をかぶせてあるのだが、川淵さんはずっと日本チームについて語り続けているのに翻訳のほうでは途中から
「いやそれにしても中国も大都市を中心にサッカー熱が高まってきているので将来アジアサッカーの中心は日本と中国になると思いますよ」
なんて訳されているではないか!
オイオイ川淵さんはそんなこと一言も言ってないぞ!

恐るべし情報操作・プロパガンダ大国、中国…。
サッカーおじさんの話まで操作するか…。

ラベル:

.: posted by kazumoto 6:46 午後


「男の夢(最終回)」

私が男塾塾長江田島平八であある!
久しぶりの登場かと思えばなんと最終回であある!!
(以下読みにくいので平文)

一年前に開講した男塾ですが、この度塾長の旅立ちに伴い閉塾することと相成りました。
初めは遊び半分で始めたつもりがいつしか受ける方も教える方も結構本気になってきて、別に専業でもないので教えるのに四苦八苦…。
日本語って普段気にすることもなく話していることをいざ説明しようとすると(助詞「は」と「が」の使い分けとかね)自分でも何でか全く分からん、という情けないこともしばしばでしたが、まあ何とか楽しく一年やってこれました。
まもなく卒業する高三の生徒の一人はこのまま大学の日本語学科へ進むことに決めたようで、助力できてうれしいことこの上ないですが、今まで教えた文法とかがテキトーであることがすぐバレてしまいそうで…。

まあ小さな日中友好になったかな!と思う江田島平八であある!!(完)

ラベル:

.: posted by kazumoto 6:40 午後


「再始動の辞」

中国に来てまもなく一年。ビザももう切れてしまうので、そろそろ日本へ帰るか…と思っていましたが、ふと思い返せば一年もの長いビザを取ったのは最後にもう一度ゆっくりじっくりチベットへ行くためであったのに、ここで帰ってしまってはなんか尻切れトンボになりそうな気もするので、ちょいとビザを延長して一年ぶりに自転車野郎に戻ることにしました。

で最近はサビサビに固まってしまった自転車を必死に整備し直して何とか元通りにし、衰えてしまった体に鞭打ってトレーニングしているところです。

.: posted by kazumoto 5:40 午後


金曜日, 2月 10, 2006

「求人広告」

昨年12月。
半年経っても一向に上達しない己の中国語に、このままじゃいかんとふと思い立ち家庭教師を雇うことにしました。
そこで紙に「教師求ム」と書いて宿の入り口にペタッ。
ちなみに私の今住んでいる所は、東京でいえば銀座にあたる商業地域のど真ん中(規模は100万分の1くらいしかないけど)にあり、この町の人の多くが前を通るため、2時間も経って散歩に出ればアチコチから「おう、先生探してるんだってなあ」と声がかかるほどです。
早くも翌日には数名の希望者が現れ、面接して厳正な審査のうえ一人を選びました。
その理由はその人が上手な普通話(共通語)を話せたからです、というのは表向きの理由で、真の理由はその人が女子大生だったからです。

で授業開始。
すると開口一番「アナタの発音はひどいアルネ」。
半年以前、CDを聞きながら自学自習していたときには確かに話せたはずの普通話の発音は、この半年間でいつしか南方方言に完全に侵されてしまったようです。
よって翌日からは小学校1年生の国語の教科書を使って基礎の基礎からやり直し。トホホ・・。

ラベル:

.: posted by kazumoto 5:39 午後


「ドラフト一位指名」

1月29日、旧暦の元旦。
中国でも年が明けました。
新年快楽!!

この半年間一ヶ所に定住したおかげで友人・知人も多数でき、年末にはいろいろな方々から「年越しはうちに来て一緒に過ごそう」の声をかけてもらってうれしい限りでした。
しかしここで新たな問題発生。
年越しというのは、23:59:59→0:00:00の一瞬一度限りであり、私の体も一つしかないので誰か一人を選ばねばなりません。
私がどこにしようか決めかねていると「あの家はケチだからやめとけ」とか「あの家の料理は不味い。うちのは美味い」とか本音トーク炸裂の悪口合戦になっていき、その中で一つを選ぶと私の立場まで危うくなる恐れがあると心配になってきました。
いつしか小さなムラ社会に私も組み込まれてしまったようで・・・。

よって最終的に私が選択したのは町から遠く離れた小さな農村で、中国の伝統的正月を迎える、というものでした。

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.: posted by kazumoto 3:36 午後


木曜日, 12月 15, 2005

「男の夢(日中友好編)」

私が男塾塾長江田島平八であある!!
(以下読みにくいので平文)

先日私の塾生らの通う高校と、私が卒業した中学校の生徒を、数十人レベルで文通交流させるよう計らうことができました。(実際は日本に居る家族がほとんどやったのだが・・・)
日本からの手紙は、まとめてこちらの学校のクラス宛で届いたので、着いたときには「何だ?何だ?キャー!キャー!私にも見せて!そこはダメ!」と狂乱の事態に陥り、死者・重軽傷者・行方不明者合計235人の惨事になったようです。
今その手紙と返信の手紙の翻訳作業で大わらわ、うれしい悲鳴です。

でも説明するときに「この中学は私が18年前に卒業した・・・」のところで「そうか、その時には日本側はもちろん、中国側の生徒も誰一人として生まれてもいなかったのだなあ・・・」とちょっと感慨深いものがありました。

この功績を称え、校庭に銅像が立つのを夢見る江田島平八であある!!

ラベル:

.: posted by kazumoto 5:40 午後


「水質汚染」

ちょっと前に中国東北部の河に工場排水が流れ込んで大騒ぎになり、それをきっかけに地方役人の腐敗ぶりまでが海外に流れる間抜けな事件があって、ざまあ見ろって感じであったが、それよりはるか前に我が身自身にも災いが降りかかっていた。

5ヶ月前、ここ龍勝に到着してからのこと。
シャワーを浴びた後、普通なら石鹸のいい香りが残るはずのところ、なぜか体から異臭がする。石鹸が体に合ってないのかと思い、変えてみたが同じ。むう、これが老齢臭ってやつなのか・・・とブルーになったが、その臭いというのが硫黄(温泉)の臭いで、どうも老齢臭とも違うっぽい。一体これはどうしたことなのだ?!としばらく奇妙に思っていたある日、その臭いの発生源が、以前インドでもらった銀の首飾りにあることに気づいた。なんとピカピカだった銀がいつの間にやら真っ黒に変色しているではないか!
それに服も洗濯するに連れ、白いシャツがなぜか少しずつ青く染まっていく。今では白シャツが青くなっていった、というより、青シャツが色落ちした、といってもいいくらいになってしまった。私は化学についてはあまり詳しくないのだが、水道水に何か混じっていることは間違いないようだ。

地元民はわかっているのか水道水は決して飲まず、地下水を湧かして飲む。その地下水も果たして大丈夫かどうかは怪しいもの。恐いねー。

ラベル:

.: posted by kazumoto 5:38 午後


「男の夢(事業拡大編)」

私が男塾塾長江田島平八であある!!
1ヶ月の昆明研修を終え、再び元の場所で本業老師に戻ったのであある!
(以下読みにくいので平文)

私の泊まっている宿には数人の服務員(掃除とか食堂で皿洗いしているバイト)がいて、ほとんどが農家出身の、貧しくて高校に行けなかった16?18才の次男坊とか娘。早朝から夜遅くまでの超激務で、超激薄給。しかも女主人は、客には愛想が良いがバイトにはハンニャの形相を見せる鬼ババ。むう、「おしん」の世界そのまま・・・。

そんな過酷な環境で働く彼らからも、わずかの休憩時間を使って日本語を勉強したい、との要望があったので「服務員のための日本語特別講座」(いらっしゃいませ、ご注文は、とか)を開設しました。もちろん目的は若い娘っ子を手なずけて・・じゃなくて、こんな地元向けのショボ宿じゃなくて、外国人も泊まるようなしっかりした宿で雇ってもらえるようにするためです。

そして「桂林」という世界的に有名な観光地のそばにあるので、ツアーガイドの生徒もできました。そこで「観光ガイドのための日本語特別講座」(右手をご覧ください、とか)も開設しました。

この調子で更に、
「ビジネスマンのための日本語特別講座」((お世話になってないけど)お世話になっております、とか)
「寿司屋に行くための日本語特別講座」(銀シャリ、オアイソ、とか)
「漫才を見るための日本語特別講座」(いいかげんにしなさい、とか)
「歌舞伎役者になるための日本語特別講座」(いよお、とか)
「日本人と結婚して合法的にビザを手に入れるための日本語特別講座」(君が好きだ!ビザが目的じゃないんだ、とか)
「同性愛者のための日本語特別講座」(そこはダメ、とか)

と事業展開していくつもりであある!!

ラベル:

.: posted by kazumoto 5:36 午後


火曜日, 11月 29, 2005

「漢字テスト 第2弾」

以下の中国の意味を答えよ。

<初級>
1.羽毛球 2.将軍腹 3.猫和老鼠(ヒント:「和」は「and」のこと) 4.筆記本電脳 5.愛人
<中級>
6.餅屋 7.加油! 8.李小龍 9.新聞 10.勉強
<上級>
11.卓球 12.麺包車(ヒント:「麺包」は「パン」のこと) 13.大頭貼 14.小人

<解答>
1.バトミントン。
2.太鼓腹・ビール腹。今中国では肥満急増中。テレビではダイエット番組や痩せるための通信販売CMがしょっちゅうやっている。
3.トムとジェリー。中国語版ではトムは「大地瓜(ダーディーグワ)」、ジェリーは「小不点児(シャオブーディアル)」と呼ばれていた。
4.ノートパソコン。
5.旦那・嫁。夫婦が自分の連れ添いのことを話すときに使う言葉。おばちゃんが旦那のことを「私の愛人」と、聞いている方がこっぱずかしくなるようなことを普通に言う。日本で言う「愛人」の意味もある。
6.パン屋・ケーキ屋。中国にも「餅は餅屋」ということわざがあるかどうかは不明。
7.頑張れ!オリンピックなどで中国人の観客が「ジャーヨー!」と叫んでいるのはこれ。
8.ブルース・リーの中国名。中国人に「ブルース・リー」とか「ジャッキー・チェン(成龍)」とか言ってもまずわかってもらえない。
9.ニュース。新聞のことは「報紙」。
10.無理やり、嫌々すること。日本人の「勉強」もある意味嫌々しているのかもしれないが…。
11.ビリヤード。テーブルテニスのことは「ピンパン球」という。
12.乗り合いライトバン。多分車の形がパンの形に似ているからだと思うが…。
13.プリクラ。
14.つまらない奴。日本に来た中国人が入場料表示で「大人200円 小人100円」とか見たらきっとビックリすることだろう。

<判定>
14-11:あなたの前世は孔子です。
11-8:あなたの前世は諸葛孔明です。
7-4:あなたの前世は鑑真です。
3-0:あなたの前世はゼンジー北京です。

ラベル:

.: posted by kazumoto 11:15 午前


「中国ハマリ度テスト」

以下の質問の答えがYesならそれぞれ加点・減点せよ。

1.中国(含台湾・香港)に行ったことがある。(+行った回数×10点)
2.行ったことはないが行ってみたいと思う。(+10点)
3.中華料理はフランス料理に勝ると思う。(+3点)
4.餃子といえば当然水餃子だ。焼くなんて邪道。(+10点)
5.2008年のオリンピックがどこでやるか知っている。(+3点)
6.現在の中国の人口がどれほどか知っている。(+5点)
7.「西遊記」「三国志」「水滸伝」「項羽と劉邦」を読んだことがある。(+読んだ本の数×5点)
8.体の調子が悪くなったらまず漢方に頼る。(+10点)
9.今着ているシャツはユニクロ製だ。(+3点)
10.少林寺拳法を習ったことがある。(+10点)
11.女子十二楽坊のCDを持っている。(+3点)
12.上野動物園でパンダを見たことがある。(+3点)
13.麻雀で役満であがったことがある。(+5点)
14.「731部隊」について知っている。(+10点)
15.チャイナドレスを着てみたいと思う。(あなたが女なら+10点、あなたが男なら-20点)
16.山崎豊子「大地の子」を読んで(あるいはドラマを見て)泣いた。(+20点)
17.「中日友好」という文字を見ると「ドラゴンズのファンクラブのこと?」と思ってしまう。(-20点)
18.「中国」という文字を見ると反射的に「広島県」「鳥取県」…と思ってしまう。(-30点)
19.30年くらい前のテレビドラマ「西遊記」で猪八戒に扮していたのは西田敏行だが、続編では配役が代わった。それが誰だか知っている。(+80点)
20.中国国歌が歌える。(+100点)
21.「ブルース・リー」というのは「青三号」つまり「ブルー1(ワン)、ブルー2(ツー)、ブルー3(スリー)」のことだと思っていたことがある。
あるいは「テレサ・テン」というのは「テレサ十号」つまり「テレサ1(ワン)、テレサ2(ツー)…、テレサ10(テン)」のことだと思っていたことがある。(-60点)
22.「知っている中国人」と言われて真っ先に思い浮かぶのはゼンジー北京だ。(-100点)

<注釈>
4.中国に餃子屋はそこら中にあるが、普通水餃子・蒸餃子で焼くのを出すのは極まれ。
5.もちろん北京。
6.公式発表は13億人、実際は14億15億とも…。
14.太平洋戦争中旧満州国で毒ガス兵器を開発していた部隊。未だに中国が日本の戦争責任を追及する最大の要因の一つ。
17.日本では「日中友好」だが中国では「中日友好」という。「早慶戦」と「慶早戦」みたいなものか。
19.左とん平。
22.自称広島県出身なので「中国人」と名乗ってもあながち出鱈目ではない。

<判定>
201点以上:ハマリ度100%。あなたこそ師父(マスター)!今すぐ中国行き片道航空券を買いに行きましょう!
151-200点:ハマリ度80%。師父まであとわずか!一度中国に留学してみてはいかが?
101-151点:ハマリ度60%。あなたなら次の休暇も中国旅行でしょうね。
51-100点:ハマリ度40%。中国・香港にも良質の映画がたくさんあります。お試しあれ。
1-50点:ハマリ度20%。近所のラーメン屋じゃなくて、本格的な中華料理を一度味わってみて下さい。
0点以下:ハマリ度0%。中国とは縁がないようです。来世で会いましょう。

<ちなみに>
自分でやってみたら、左とん平と国歌が効いて292点!

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.: posted by kazumoto 11:10 午前


「中国でホームステイ」

昆明にやって来た目的の一つに、3年前ここらを走ったときに知り合った中国人サイクリスト親子を訪ねることがあった。引っ越してしまって行方不明になっていることが心配されたが、実際引っ越してしまっていて探し出すのに四苦八苦したものの、何とか再会に成功。3年振りということで熱烈歓迎祝賀行事目白押しで、結局そのままそちらのお宅に10日間ほどホームステイさせてもらった。

……とここまで書いて思ったのだが、「ホームステイ」と英語で言うと「言葉の勉強と文化交流のためやってきました。オーそうですか!それは遠いところようこそ!」と歓迎ムードいっぱいなのに、これを日本語で「居候」と言ってしまうと「このお呼びでない無駄メシ食いめ、いったいいつまで居やがるんだ。とっとと帰りやがれ!」と、突然肩身の狭い、三杯目にはそっと出すような存在になってしまいますね。後者にならぬよう努力したいところです。

まあとにかく実際に現地の人と寝起きを共にするとやっぱり学ぶところは多いことを再確認しました。

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.: posted by kazumoto 10:00 午前


金曜日, 11月 18, 2005

「男の夢 休暇編」

私が男塾塾長江田島平八であある!
塾生たちの本体の学校が中間試験シーズンに入ったのでそっちに集中させるためしばらく男塾は休講にし、雲南省昆明に来ているのであある!
知人がここの大学に語学留学しているので、そのつてを使って中国語講座に参加しているのであある!(モグリ受講なのでタダ)
無論将来の男塾のライバル学校の敵情視察が真の目的であある!

だが・・・
そこでショーゲキを受けたのが、みんな高だか2ヶ月そこそこの勉強でペラペラ中国語を話していること。外国人相手だからといってまったく容赦することのない近所のおばちゃんの爆裂的中国語を必死に聞き取りつつ何ヶ月もかけてやっと身につけた私のレベルを遥かに凌駕していた。
それに教える方もプロだけあって、ポイントを押さえた無駄のないしかも興味の持てる内容の授業をやっている。
自分の話すレベルも教えるレベルもぜんぜんなってなかったのだなあ…と意気消沈。

お、いかん、ショックで言葉が普通になってしまった。
フム!
ここでの体験を生かし、男の夢実現に向けて江田島は更なる精進をすることを誓ったのであある!!

ラベル:

.: posted by kazumoto 7:06 午後


木曜日, 10月 20, 2005

「男の夢 その後」

私が男塾塾長江田島平八であある!
開塾以来3ヶ月が経ち、第一期塾生らが日検四級レベルに達したので(たった3ヶ月だけど本当だよ。塾長うんぬんより塾生らの努力と才能による)
そろそろ閉塾し元の旅人に戻ろうと思っていたのであある!
とその時、第2期・第3期塾生希望者が現れたのであある!
「NOと言えない日本人」である私は「次の年越しはラサで」
という目標をかなぐり捨てこのままここで老師生活を続けることを決めたのであある!

という訳で現在は、
正午・学生の部(初級)、午後・社会人の部(初級)、夕方・学生の部(中級)
の三部制でやっているのであある!
言うまでもなく塾生は女性限定であある!
男性が来ても門前払いであある!!!

以下求人広告:
日本語教師求ム。
条件:日本語堪能。漢字が書けること。年齢・国籍・性別・容姿一切問わず。
勤務場所:中国 広西省 龍勝鎮
待遇:時給0円。交通費・必要経費など一切支給せず。
希望者は以下まで。
kazumotomiwa@hotmail.com

ラベル:

.: posted by kazumoto 11:03 午前


金曜日, 9月 30, 2005

「タイクツな日々」

ここ龍勝は小さな町なので普段これといったイベントがなく基本的に退屈である。
だから火事でも起ころうものなら(実際あった)、めしの最中だろうが、赤んぼが泣き喚こうが、自分の家が火事になろうがとりあえず見に行かねば損だ!とばかりに大騒ぎになる。

そんなこの町で先日、町内バスケットボール大会に毛の生えたようなイベントがあった。
それでも滅多にない貴重なイベントなので開会式には獅子舞が出たり、民族舞踊があったりと主催者の気合が感じられる。

試合そのものは取りたてて述べることはないのだが、試合開始・終了の合図に「ジャーーーーーン!!!」と銅鑼が鳴らされたのがいかにも中国的。
表彰式の小姐がチャイナドレスだったのもGood!
中国バンザイ。

ラベル:

.: posted by kazumoto 1:51 午後


「生日快楽」

先日33歳の誕生日を中国で迎えました。
今年は女子高生に囲まれ祝ってもらい、幸薄き私の人生で最良の誕生日になりました。
塾生らが買ってきてくれた大きな誕生日ケーキは見た目も素晴らしいですが、味も見た目通りものすごく甘くて、甘党の私ですらウップとなるくらい。
でも塾生らも「甘すぎる」とブーブー言っていたので私の味覚はまだ狂っていないようです。

つまるところ何が言いたいかというと、ただの自慢です。
失礼いたしました。

ラベル:

.: posted by kazumoto 1:50 午後


「漢字テスト」

以下の中国語の意味を答えよ。

<初級>
1.麻雀 2.酒鬼 3.手球 4.平頭 5.雪人 6.火車 7.空中小姐
<中級>
8.手紙 9.自来水 10.太太 11.老婆 12.宝宝 13.百姓 14.手機
<上級>
15.暗算 16.三明治 17.一級方程式 18.巴西 19.黄色書 20.熊猫

<解答>
1.すずめ。マージャンは「麻将」と書く。
2.のんべえ。のんだくれ。
3.ハンドボール。「足球」はサッカーのこと。
4.角刈り。中国男性オフィシャルヘアスタイル。
5.雪だるま。
6.鉄道。
7.スチュワーデス。
8.トイレットペーパー。Letterのことは「信」と書く。
9.水道。
10.嫁さん。中国語の「太」にデブの意味はない。
11.これも嫁さん。謙譲の精神??
12.赤ちゃん。子は宝ですね。
13.一般庶民。もちろん放送禁止用語ではない。
14.携帯電話。
15.計略にはめること。中国で「暗算が得意です」と言うと友達を失います。
そらで計算することは「心算」という。
16.サンドイッチ。音の当て字。「サンミンジー」と読むのだが・・。
17.F1。フォーミュラワンの直訳ですね。
18.ブラジル。これも音の当て字。「バーシー」と読むのだが・・。
19.エロ本。中国のエロは桃色ではない。
20.パンダ。


<判定>
0-1:合格可能性20%以下。受験校の再考を要する。
2-4:あなたは横浜の中華街に行ったことがありますね。
5-7:あなたはチャイナドレスを着ている人に興味がありますね。
8-10:あなたは「少林寺三十六房」を見たことがありますね。
11-13:あなたは少林寺で修行したことがありますね。
14-16:あなたはサモ・ハン・キンポーですね。
17-19:あなたは毛沢東ですね。
20:一度専門の医師に看てもらうことを勧めます。

ラベル:

.: posted by kazumoto 1:47 午後


火曜日, 9月 13, 2005

「最近の生活」

私は今中国南部の龍勝という、端から端まで歩いて30分もかからない小さな山間の町にいます。
すでに2ヶ月近く経とうとしていますが、そんな何もない町で一体何をしているのだ?!と言う声は聞かないけどこっちから先に報告させていただきます。
無論最大の目的は日本語を教えることなんですが、それは夕方2時間(今は1.5時間)にすぎません。

まず午前。
今日やる授業のためのプリント作りと合間に話す小ネタ作り。
飽きられないような、難しくなりすぎないような、しかも有効で効率的な内容を考えるのは大変な作業ですが大変面白くもあります。
私のやっていることには「人生を教える」ようなことは含まれないのでその分お気楽ですが、本物の教師というのは更に大変な仕事なんだろうなあ、とつくづく感じさせられました。

午後は自らの中国語上達のための実地訓練。
といってもただその辺の暇そうな人と喋るだけです。
宿には喋り好き・世話好きのおばちゃんがいて、私の話す言葉をいちいち直してくれて大変ありがたく思っていたのですがその言葉はどう聞いても普通話(共通語)ではない。
この辺りの方言(桂林話)かな?と思っていたら更にそれを通り越して少数民族トン族の言葉でした。
という訳で最近は日・中・トンのトリリンガルです。

夕方は日本語のお勉強会。
そして夜はみんなでテーブルを囲んでの夕食です。

この前までは夏休み中で、バイトの若い人が住み込みで何人か働いていたのでよい話相手になってくれていたのですが、9月に入って皆復学してしまったため、話相手がいなくなり暇になってしまいました。
そこで老板(ボス)に「何か仕事を手伝わせてくれ」と頼み併設されているレストランの服務員になりました。
さっそくもっとも忙しい接客部門にまわされたのですが、客のオーダーが聞き取れないという致命的欠陥があることが判明、
わずか30分でクビ。
皿洗い兼掃除という誰でもできる部門に配置され今に至ります。
報酬は夕食無料招待。
その夕食は主にその日の残り食材で作られるので客の入りが悪いと魚ドーンの豪華食卓になるのですが、忙しい日には菜っ葉と肝だけの鍋だったりして巨大ポリバケツいっぱいに捨てられていく客の残飯(ブタの餌になる)の方がはるかに美味そうに思えることもあります。

こんな感じで毎日やってます。

ラベル:

.: posted by kazumoto 4:49 午後


「6月6日にUFOが・・・」

よく行く食堂で、おばちゃんが問う。
「あんたこの町に2ヶ月近くもいるけど一体何してんの?」
私答える。「フフフ、よくぞ聞いてくれました。
私はここで日本語『会話』を教えているのだ。しかも無料で。」
おばちゃん「アイヤー!それなら私達にも教えてちょーだいよ!」
私「もちろん歓迎光臨!」

そして数日後、本当におばちゃんはやって来た。
息子を連れて。
ちょうどその時授業中だったので、取り合えず今日のところは見学してもらうことにして2人を部屋に招き入れて内容の説明をする。
しかしなぜかおばちゃんらは「?」顔。
私の発音が悪いのかと思い、塾生に説明を頼む。
しばらくやり取りした後、おばちゃんと息子は恥ずかしそうに「ゴメンゴメン」と言って出ていってしまった。
塾生が「あのおばちゃんはここを『絵画』教室だと思って来たらしい」と言う。
なんでそんな勘違いが起きたのか塾生らも腑に落ちない様子で「おばちゃんになんて説明したの?」と聞く。
「ただ『会話』を教えている、と言っただけなんだけど・・・?」と話すと塾生一同「それだ!!!」

聞けば「会話」と「絵画」は「hui(下がりぎみ)hua(下がりぎみ)」でまったく同じ発音。
そこで勘違いが生じたようだ。
いわれて初めて気がついた。

中国語の漢字一文字が持つ発音は約400種。
それぞれに4種の抑揚があるので計1400種(ない発音がある)。
漢字2文字の組み合わせとなると単純に計算して
1400×1400=約200万通り。
わずか200万分の1の偶然に出くわすとは・・・。
おばちゃんゴメンネ。
お詫びの印に、今度日本の代表的絵画手法である「ドラえもんの絵描き歌」を伝授しようかと思っています。
まるかいてチョン!

ラベル:

.: posted by kazumoto 4:42 午後


「タコ社長」

情報の出所は忘れてしまったのだが、外国人(この場合は欧米人)が日本の文化を勉強しようと思い「男はつらいよ」を見たときに、必ず驚くことがあるという。
それは夕食のシーン。
寅さん達がちゃぶ台を囲んでいるところへ、ひょっこりタコ社長がやってくる。
すると寅さん「おうタコ社長!一緒にメシ食ってきやがれってんだべらぼうめ! 結構毛だらけ猫灰だらけ!」
タコ社長「はあ、それじゃあ遠慮なくお呼ばれしていこうかね」
・・・・・・
欧米人から見ると、明らかに食事をしているだろう時間帯にアポもなく訪れる失礼さもさる事ながら、それをあっさり受け入れてしまうというおおらかな文化に驚くらしい。
欧米では前もって日時を決め、招く側も招かれる側もそれなりの準備をして、というのが常識的であるからだ。

しかし残念ながら日本のこの古き良き文化も今ではほとんど絶滅してしまった。
でも!
中国の田舎ではまだしっかり健在であった!!

最近の夕食は毎日宿の一家と一緒にテーブルを囲んでいるのだけど、固定メンバー7人の他に、毎日必ず3・4人は部外者が混じっている。
それは親戚だったり、近所の人だったり、友達だったりで、つまり偶然そこにいた(あるいは来てしまった)人は何の遠慮もなく仲間に入れてもらえる訳だ。
中国の食事は大皿に盛られた料理をみんなでつつく方式なので数人増えようが、茶碗と箸を準備するだけでよくまことに都合がよい。
そしてこの輪に入れてもらえた時が中国を旅していて一番喜びを感じる時でもあるのだ。

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.: posted by kazumoto 4:38 午後


木曜日, 9月 08, 2005

「ゆとり教育」

長い旅のせいで少々のことには動じなくなってしまった私であるが、最近久し振りにビックリタマゲタことがあった。
それは中国の教育スケジュールである。

うちの塾生らは、公立高校普通科の2年生なのだが、一日の授業は朝7:30から夜10:00まで。
うち昼と夕方に2時間ずつの食事休憩があるが実質はそれでも一日10時間授業・・・。
(日本語はその夕方休み中にやっている)
さらに驚くべきは、何と週休0日制!!
ただ土曜だけ夜の部がなくなる。
それ以外は一週間ビッチリ時間割は埋まっている。
週67時間、一ヶ月約300時間・・・。
年度末には2ヶ月の夏休みがあるが、うち40日は補講期間となり上記と同じスケジュール。
あとは旧正月と秋に数日ずつの休みがあるだけ。

日本では「ゆとり教育」とかでどんどん授業時間は減っていく傾向にあるのとはまったく正反対の教育方針。
どちらの方式が果たして有益なのか?
答えは20年、30年後に出るのかな?

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.: posted by kazumoto 4:34 午後


木曜日, 9月 01, 2005

「犯人は誰だ?!」

私は今中国の100元札(=1300円)の偽札を持っている。
100元の偽札は国内に相当蔓延しているようなのだが、最高額紙幣がこの100元札なので、銀行で両替したとき以外は入手する機会はないはずだから自分とは無縁の話だろう、とまったく油断していた。
(銀行も信用ならん、という話も聞いたことがあるが・・・)

しかし金儲けしていなくても実際中国を旅すると100元札を入手する機会は結構ある。
というのは多くの中国の宿ではデポジットを必要とするので、チェックアウトの時の返金に100元札を受け取ることになるのだ。
私はまさにこのパターン(広州のユースでやられた!)。

国が保証して正札と取り替えてくれる、ような甘っちょろいことは中国ではしてくれないので一度手に入れてしまったら、ババ抜きの要領で誰か他人に押し付けるしかない。
しかしあまりにも有名なために誰もがこれでもかというくらい執拗にチェックするのでとても使う機会が見つからない。(一見わからないのだが、よくよく見るとかなりアラが目立つ)

つまりババ抜きといっても、中国人には裏の透けてみえるトランプで勝負しているようなものなので勝てるわけがない。
負の土産として諦めるしかなさそう。
恐らくチェックすることのない、チェックの仕方も知らない外国人は格好のターゲットだろう。

ここでフト思う。
偽札を作って儲かるのは果たして誰か?
狭い目で見れば、もちろん偽札を作った人らである。
しかし広ーーい目で見てみて、私のような愚かな外国人の手にすべて集結しているとすると・・・
これはほとんど元手のかからない外貨獲得になっているではないか!!
そうか!わかった!!
犯人は中国政府だ!
ここの政府なら涼しい顔してこれくらいのことやるね、絶対。

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.: posted by kazumoto 3:26 午後


月曜日, 8月 22, 2005

「日本人の利点」

日本人が中国人やその他多くの国の人に比べて、得だなー、と思う点は例えばちょっとアルバイトするだけで(他国に比べて)莫大な金が手に入る、世界中ほとんどの国のビザが簡単に取れる、などが挙げられる。
しかし今日本語を教えていて切に思うのは、この日本語という恐ろしく難解な言語を、誰もが全く苦労することなく自然と身につけてしまえる、ということこそ最たる利点ではないだろうか。

過去形について教えていたときのこと。
江田島:私が江田島平八であある!!
過去形は語尾を「た」にすればよいのであある!!
応用例!あなたは昨日何を食べたか?
塾生:私は昨日魚を食べました。
江田島:それは美味しかったか?
塾生:はい、それは美味しいでした。
江田島:いや、その場合は「美味しかったです」というべきであある!
塾生:でも塾長、過去形は語尾を「た」にするのでは?
江田島:こ、これは形容詞の過去形に丁寧語の「です」を
つけたものだからこれでいいの。
塾生:じゃあ、形容動詞の場合は?
形容詞と形容動詞の違いって何?
動詞とは述語のことじゃないの?
動詞とかは述語になるけど名詞とくっつくと主語になるのはなぜ?
動詞の活用形の見分けかたは?
文節と単語って何が違うの?
そもそも動詞とかはなんで活用しなければいけないの??
江田島:ううんと、えっと、それは、実に、かくかくしかじか、
つまり、何といいますか・・・・・・
はいっ、今日の授業はここまで!
あとは各自教科書を読んでおくように!

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.: posted by kazumoto 3:08 午後


「クレヨンしんちゃん」

クレヨンしんちゃんは中国でも「蝋筆小新」という名でテレビや漫画で人気者。
我が「男塾」の塾生も大ファン。
そのためベトナムに来た家族に、彼女らへのお土産として日本製の「クレヨンしんちゃん」を頼んでおいた。
そのベトナムから中国への帰路にて。

国境を越えてしばらくで、バスは検問のため停車。
車内に能面ヅラの公安が5人ばかり入ってきて
「今から全員の荷物検査をする」
私の番になり、ザックの中に詰められた小袋一つ一つの中身を説明してゆき、ある袋に手がかかったとき私は叫んだ。
「それは気をつけて!!」
危険物かと一瞬身を固くした公安が開けた袋に入っていたものは、
そう、「クレヨンしんちゃん」。

中国語で「気をつけて」は「小心」。
そして「しんちゃん」も「小新」で、発音は完璧に同じ。
このしょーもないダジャレに能面公安も苦笑してしまい、場は一転和んだものに。
あとで一緒にバスに乗っていたフランス人からも
「あの中国公安を笑わせるとは!ブラボー!ブラボー!」と大絶賛。
鼻が1cmほど高くなりました。

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.: posted by kazumoto 3:07 午後


木曜日, 7月 21, 2005

「男の夢」

数日前まで私は肩書き無き一介の風来坊でしたが、現在は何と「日本語教師」です。

3年前今いる町を訪れた時に知り合った少女たちは、今や華の女子高生。
その彼女らが日本語を教えてほしい、と言ってきたので日本語塾を開設したわけです。
一日2時間ずつ、日?土まで毎日。
授業料はもちろんタダで、教科書を買ってあげたり、授業後みんなで食事したりするので、台所は真っ赤っ赤に燃え上がっていますが時々塾生の家で夕食をごちそうになったりするので大丈夫です。

現在生徒は4名。
宿の部屋に招いて細々とやっています。
が、将来的には日本語検定一級合格率99%(バカは受験させない)、中国各都市に支部を置く巨大学校法人にしようと考えています。

ちなみに塾名はズバリ「魁!男塾」。
塾生には私のことを「江田島平八(ジャンティエンタオ-ピンバー)老師」と呼ばせています。

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.: posted by kazumoto 4:30 午後


水曜日, 7月 13, 2005

「三年大昔」

今私は3年前にこの旅を始めた時と全く同じルートを走っている。
当時お世話になった人々にもう一度会うためだ。
会った瞬間に思い出してくれる人、説明して思い出してくれる人、当時の写真を見せてやっと思い出してくれる人、いろいろいるけど、皆一様に喜んでくれ、歓待してくれる。
その笑顔を見るだけでも、厚い中ヒーコラ自転車漕いでやって来た苦労が報われる。

ただ今中国は大発展期にある。
3年前とは町の様子が跡形もないほどに変わってしまっていたり、新しい町が丸々一つ出来ていたりする。
古い建物は容赦なく壊され、ボロ宿が豪華ホテルに生まれ変わっていたりする。
そのためせっかく訪ねて行っても、たった3年間なのに当時を知る人が全くいなくて虚しく引き上げることもあった。

今の中国にとっては3年は一昔どころか大昔なのだ。