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Miwa's bicycle trip around Tibet & India

9 Jun 2002, Miwa started bicyle trip from japan to India via Yungnang,China, Tibet,Nepal. The trip is still going on! Please stop by Miwa's real time funky column! Origenal Blog from http://homepage1.nifty.com/ kunori/miwa.html

土曜日, 12月 29, 2007

「チベット鉄道」

ラサから北京へは2006年に開通したあのチベット鉄道に乗っての移動。
超期待していたのだが結果は・・・、うーん、いまいち。
理由は明瞭。
暖かい車内にいて、その車窓から見る部分的に切り取られた風景というのは、まるで家でテレビでも見ているようなもので、既に幾度もあの大地を自転車で走り、フルパノラマの風景をこの目で見、寒さをこの肌で感じたことのある者にとってはすべてが物足らなく感じて当然なのだ。
未だチベットに行ったことの無い人が初めてラサに向かうときに乗ると本当に楽しめると思う。
実際他の乗客らも、もうこの風景には見飽きたか寝てる人ばかり。

この列車の売りの一つは、高地を走るため飛行機のように車内を与圧する装置がついていることだ。
密閉されているので全面禁煙のはずなのだが、なんと車掌が窓を開けてタバコを吸っていた・・・。
外の方が気圧が低いため煙は自動的に外へ流れていくので理にかなっているといえばかなっているのだが・・・。

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.: posted by kazumoto 4:41 午後


「お土産」

今回でラサ訪問は4回目。
当然行けば行くほど知り合いは増えてくる。
毎回ラサを離れるときには各家庭を訪ねお別れの挨拶をするのだが、その際「餞別に」とツァンパをいただく事が多い。
私が自転車旅中にはツァンパを常食していることを知っているからだ。
でも今回はそうじゃないので断るのだが「またまたそんな遠慮して!」とどうしても押し付けられてしまうので仕方なくいただくこと約10回。
出発前夜いざパッキングしようとしたところで青くなった。
「お、重すぎる・・」
貰うにまかせたツァンパ袋はいつしか10数kgに。
45Lのバックパックが完全に白い粉で一杯になってしまった。
仕方ないので農民ご用達のズダ袋にその他生活用品を入れ持ち帰る羽目に。
今回往路は中国人チベット人へのお土産で一杯で、すべて渡し切った復路は軽々と帰って来られるはずだったのに。
うれしい誤算?!

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.: posted by kazumoto 4:33 午後


「チベットの恩返しその5『父と娘』のその後」

今回のラサ訪問最大の目的は3月に訪れたインド・ダラムサラの学校で撮った娘の写真を父へ手渡すことにあった。(これについては9つ前のコラムをお読み下さい)

5:00PM
オヤジに電話。ラサに来たことを伝えると「すぐ宿まで迎えに行く!」
5:10PM
オヤジに再会。立ち話は何なので飲み屋へ行こうと言われる。
5:20PM
席について娘の写真を渡す。
ダラムサラで娘に会った時のことを話す。
両親を想い涙を流したこと、ラサへ戻って一目でもいいから会いたいと言ったこと、学校の様子、寮の様子、日々の生活、などなど私が見たこと聞いたことをそのまま伝えた。
オヤジの目から涙があふれた。
男泣きを見た。
5:40PM
「ありがとう、ありがとう」とビールやチャンをつがれる。
7:00PM
「ありがとう、ありがとう」とビールやチャンをつがれ続ける。
8:00PM
「ありがとう、ありがとう」とビールやチャンをつがれ続ける。
9:00PM
「ありがとう、ありがとう」とビールやチャンをつがれ続ける。
10:00PM
「ありがとう、ありがとう」とビールやチャンをつがれ続ける。
11:00PM
「ありがとう、ありがとう」とビールやチャンをつがれようとしたら店の女将から「アンタ達いい加減にしなさい。もう閉店よ」と追い出される。
11:10PM
他の店をいくらかあたるがどこも閉まっているので、ならばうちへ来いと言われお邪魔する。
11:20PM
部屋に飾ってある娘の写真を見ながら「ありがとう、ありがとう」とビールやチャンをつがれる。
0:00AM
「ありがとう、ありがとう」とビールやチャンをつがれ続ける。
1:00AM
「ありがとう、ありがとう」とビールやチャンをつがれ続ける。
2:00AM
「ありがとう、ありがとう」とビールやチャンをつがれようとしたが、さすがに2人とも飲みすぎで眠くなりそのまま倒れこむように寝る。
・・・・・・
11:00AM
目が覚めてそのまま出かける。どこへいくかと思ったら飲み屋だった・・・。
そして「ありがとう、ありがとう」とビールやチャンをつがれる。
12:00AM
「ありがとう、ありがとう」とビールやチャンをつがれ続ける。
2:00PM
「ありがとう、ありがとう」とビールやチャンをつがれ続ける。
4:00PM
「ありがとう、ありがとう」とビールやチャンをつがれそうになったが、これ以上感謝されたら死ぬと思い、おいとまする。

以上計約13時間口に入れたのはビールとチャンのみ。
感謝してくれるのは全くもって嬉しいことなのだが、はじめの2時間以降は苦痛でしかなかった・・・。

ちなみに今回も娘に送るためにオヤジの写真を撮ったのだが、写っているのは酔っ払ってる姿ばかり・・・。

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.: posted by kazumoto 4:12 午後


「トラップ」

今回のラサ入りは雲南省から2泊3日の直行寝台バスにて。
このバスのフシギなところは、雲南のバス停では外国人だろうが何人だろうが誰でもチケットが買える(窓口の係が英語で対応してくれる)のに、「やったー!これで安くラサへ行ける!」と喜んだのもつかの間、途中に外国人狩りの検問があること。
見つかると5000円程度の罰金を払わされることもある。
窓口と公安の連係プレーとしか思えないのだが…。

私が乗車した時は、40人乗りの車内に外国人は私一人だけ。他に中国人旅行者が2人で、あとは全員チベット人だった。
しかしそのチベット人のうち10人くらいはこれからインドへ亡命するつもりという人で、更にそのうち4人はインド帰りで身分証無し、というかなり見つかるとヤバイ人々。
運ちゃんもチベタンで、そういう人らの対処は慣れているのか、早朝に検問所に着いた時にその訳アリな人々(もちろん私もその一人)を起こして「1kmくらい向こうまで歩け」と指示し車から追い出し、その後公安を起こしに行って乗客全員の身分証チェックを済ませたあと再び我々を拾ってくれた。

鉄道によるラサ入りも、パーミット代払った人払ってない人まちまちで未だ統一されていない。いかにも中国的。

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.: posted by kazumoto 12:59 午前


「お久し振り」

久方ぶりの書き込みで、もう読んでくれている人もいなくなってしまっているかもしれませんが、2007年秋に再び訪れた中国・チベット旅行についていくつか書いてみようかと思います。
元々今年また中国に行くなど考えてもいなかったのですが、夏の終わりにうちの家族が突然中国旅行に行くことになり、コーディネーター兼ガイド兼通訳という形で同行することになったのでした。
上海・北京と家族で観光し、皆が帰国した後もせっかくここまで来たのだから、と一人大陸に残り、広西・雲南・チベットに知人への挨拶回りをしてきました。
今回は自転車ではなく、列車・バスを使っての移動です。
計3ヵ月半の旅でした。

.: posted by kazumoto 12:49 午前


金曜日, 4月 13, 2007

「ボクが日本に帰りたくない理由 その後」

東京ではマスクをかけている人を多く見かけたにもかかわらず、自分には何の異常も起こらなかった。結婚式の超豪華メニューも存分に満喫できた。やはり暇なとき散歩ついでにマニ車回したりするような信心深さが効いたとみえる。花粉症はなったら一生お付き合い、の定説を覆し、我が身に奇跡が起こった!!

で、名古屋に向けて自走中、浜松辺りでキコキコやっている時。そう言えばさっきから何か目が痒い。ゴミでも入ったかな?いや待てよ、この口辺りのモゾモゾ感……、これはもしや?!?!

あーあ、一年で最も快適なはずの季節は、やっぱり不快な季節のままだった…。

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.: posted by kazumoto 7:22 午後


「16年ぶりの東海道」

今から16年前、大学一年の私は夏休みに東京→名古屋の自走帰省をした。東京を深夜3時に出発し、夜は静岡掛川で一泊、翌日昼には名古屋に着いた。空荷であったが真夏だったのでさすがにバテた。

あれから時は流れ、私も「中年」印の棺おけに半分(全部?)体を突っ込み、白髪も増えた。その老体に鞭打ってこの長い旅のラストを締めくくるために久々の自走を決行した。全舗装・峠一つとはいえ約400kmの距離がある。まあ3-4日もあれば充分だろうと出発したのだが…。
軽い軽い、体が軽い!インドから帰ったままの重量級荷物に加え、礼服・引き出物まで持っているのに、東京朝8時発、宿泊無しの徹夜で翌日の午前9時に名古屋に着いてしまった。我ながら凄いと思う(自我自賛ですみません)。

それにしてもチベットを横断するサイクリストは世界に数多かれど、礼服・引き出物をぶら下げてツーリングする人はそうはいないとみた。

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.: posted by kazumoto 7:11 午後


「浦島太郎」

日本に帰って驚いたこと。

●自転車で走るのがえらくおっそろしいこと:車道が狭く、車がスレスレを凄いスピードで通り抜けていくので、インド・中国の荒っぽい運転よりも遥かに圧迫感を感じる。

●町が静かなこと:車は多い、人も多い、店も開いている、でもシーンとしている。車は無用なクラクションを一切鳴らさないし、人々はケータイに夢中、話し声も囁くような小声。まるでゴーストタウンのよう。

●そして最も驚いたこと、それは驚くような変化がなかったこと:もちろん細かい所では変化がある。しかし中国の1-2年で古い町並みが一掃され、全く面影もない新しい町が忽然と出現するような変化をこれでもかと見せられた今では、日本の変化など無いに等しい…。

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.: posted by kazumoto 7:03 午後


「最後の関門」

タバコみたいだけどそうじゃなくて幻聴が聞こえたりするような枯草を持っている人、写真集のようだけど写っている人が全然服を着ていないような本を持っている人、彼らにとって最も怖いもの、それは世界最高の眼力を持つと言われる日本の税関。あのヘビのような無表情の目で睨まれれば、何もやましい物を持っていなくてもこちらはすくみ上がったカエルも同然。
今回怪しいものは全く持ち帰ってないんだけど、さすがに5年日本を離れ、うちインドに3回、一年半も滞在しているのだから、問答無用の別室送りは免れないと覚悟していた。

係:どちらへ?
私:中国とチベットとインドとどことそことあそこと…
係:え?それ全部自転車で行ったんですか?!しかも5年ですか?!?!すごいですねー!!お疲れ様でした!はい、パスポート。
私:…。

以上。
やはり日本の税関は善悪見極める世界最高の眼力をお持ちのようで!!

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.: posted by kazumoto 6:53 午後


火曜日, 4月 10, 2007

「帰国報告」

2007年4月7日、5年間の世界(といってもチベットとその周辺諸国だけなのだが…)自転車旅を終えて日本に帰ってきました。
日本に帰ってきてまずは吉野家で牛丼を食べました。
牛丼(ほぼ)復活、おめでたいことですね。

それではこれからもよろしくお願いします。

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.: posted by kazumoto 6:57 午前


火曜日, 4月 03, 2007

「ボクが日本へ帰りたくない理由(わけ)」

この旅を始める直前の2002年春、過去にない体の不調を感じた私に、担当の医師は死刑宣告にも等しい告知をした。
「花粉症ですね」
風邪でもないのに鼻水が止まらず、悲しくもないのに涙が流れていたのだ。

しかし以来5年間日本で春を過ごすことがなかったためにあの苦痛は忘れかけていた。だが間もなくの帰国は恐らく花粉真っ只中の4月7日。しかもその翌日は友人の結婚式に出ることになっている。ツァンパやターリーじゃなくて、舌鼓をポンポコ200回くらい打ちたくなるような美味しい料理を久々に味わうことができるはずなのに鼻グズグズに詰まって味なしではあまりにも悲しい・・・。

私にとってはインド大都市の地獄の大気汚染よりもスギ花粉の方が大敵なのだ。

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.: posted by kazumoto 7:56 午後


「チベットの恩返し その5『父と娘』」

それはラサでの馴染みのチベタン飲み屋から帰ろうとした時だ。帰り道一緒になった客のオヤジがこっそりオレに告げてきた。
「実は私の娘が今インド・ダラムサラの学校で勉強している。6年前に亡命させたのだが、それ以来娘の姿を見ていない。お前はこの後ダラムサラへ行くのだろう?娘の学校を訪ね、成長した姿を写真に撮ってラサへ送ってくれ。」
この手の頼まれ事はもうお手の物だ。二つ返事で承諾し、オヤジの写真もそこで撮っておき、オレはダラムサラへ向かった。

そしてその亡命チベット人の子どもが多く寄宿している学校へやって来た(実はその学校はダラムサラにはなく、100kmくらい離れた所にあって探し出すのに随分苦労したのだが・・・)。そこの先生に事情を話し、その娘の名を告げるとすぐさま連れて来てくれた。15歳の小柄な女の子だった。
ラサであなたのお父さんに会いましたよ、と写真を渡すとそれだけで止め処もなく涙が彼女の頬を伝った。思わずこちらももらい泣きしてしまいそうになるのを堪え、彼女の話を聞く。
「少しの間だけでもいいからラサに帰ってお父さんお母さんに会いたい」
パスポート無しの亡命の身分ではそれはちと難しいかも・・・とはとても言えず、ご両親はあなたがここで頑張って勉強し続けることを望んでいるはずだよ、と言うと、
「じゃあ頑張って勉強して大学卒業してからラサへ帰る!」
と力強く答えてくれた。

彼女が立派に学を修め、堂々と祖国へ凱旋できることを強く願いつつ、オレは帰路についた。獅子の描かれたチベットの国旗がポタラ宮の上にはためくことを夢見ながら・・・。

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.: posted by kazumoto 7:41 午後


「あとは帰るだけ」

涼しく快適だったダラムサラをあとにし、インドの首都デリーにやって来た。
山から下界へ下りて来てみると既にそこは40℃近い灼熱地獄。
2ヶ月間ダラムサラで充分すぎる静養をとってしまったために、この暑さは体にこたえた。
しかしこれでもうお仕舞いだ、と思うと多少無理も効いて、その炎天下の中150km以上を連日走り続けた。さすがにバテた。
でももうあとは日本に向けて飛ぶ日を待つだけだ。

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.: posted by kazumoto 7:35 午後


火曜日, 3月 20, 2007

「真説・法王に謁見」

それは乾季にもかかわらず冷たい雨の降り続く日だった。
私を含めた日本人30人、他に韓国・台湾・ベトナムなどのアジア仏教国の人々のための特別謁見が王宮で行われた。普段は固く閉ざされた門の奥深くにある謁見の間に通された我々は、法王の到着するのを祝福のカター(白い布)を手にじっと待つ。やがて侍従に付き添われ法王が現れた。優しい笑顔で有り難いお言葉を頂く。
「皆さんの国の仏教の歴史に比べ我々チベットの仏教の歴史は短い(チベットに仏教伝来したのは7世紀)ので皆さんの方が先輩です」と言って深く頭を下げられた。その姿に自称仏教徒の私をはじめ一同驚いてしまい慌てて頭を垂れるが、顔を上げてみるとまだラマは深々と頭を下げており、更に驚いて頭を下げた。

して国ごとに一緒に記念撮影。撮影が終わるとみなラマに群がってその手を握る。ラマの手は73歳とは思えぬくらい柔らかく福よかで、そして温かかった。
その手を握った時、私の5年弱の旅もこれで本当に気持ち良く終わることが出来るな、と思った。

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.: posted by kazumoto 8:20 午後


日曜日, 3月 18, 2007

「チベットの恩返し その4 『幸せ配達人』 」

私がダラムサラに来た目的の一つが小包配達であった。
その荷物は、ラサのお寺にいる尼さんに私がこれからダラムサラへ行くということを話した際、「それなら私の兄(僧侶)が亡命してそこの寺にいるので荷物を届けてほしい」と託された物だった。

チベット(中国領)⇔ダラムサラ(インド領)でも電話で話すことはでき(もちろん中国当局により盗聴されている)、手紙も送れるし(もちろん検閲される、そしてたまに消える。私が以前インド→ラサで出した手紙は届いていなかった)、荷物も送れる(がやっぱり開封される)。しかし何といっても確実なのは郵便局を通さず人の手を通しての配達だろう、ということで私に白羽の矢が立ったわけだ。

果たしてどんな大切な物を託されるのだろう?とドキドキしながら取りに行ってみると、渡されたものは何と「豆」。しかも小型枕くらいの大きさでかなり重い。これからヒマラヤ越えねばならぬのに…と少々たじろいでしまったが「この豆はロサール(チベット正月)のお供え物として欠かせないのですが、インドでは採れないものなのです」と説明され俄然やる気が起きた。絶対届けます!!

という訳でその豆担いでヒマラヤ越えてタライ平原を西に突っ切って標高1800mのダラムサラへ到着した。あとはその人のいる寺へ行って渡すだけなのだが、数千人規模の亡命僧のいる寺もいくつかあるくらいなので探すのに四苦八苦するかも、と心配していたが、その寺内でブラブラしていた坊さんに名を告げるとアッサリ見つけ出してくれ、アッサリ手渡すことに成功した。通じる言葉がチベット語しかなかったので説明するのが大変かと思われたが、その妹(ラサの尼)の写真と共に渡すとすぐ理解してくれた。どうもありがとう、と出してくれたコーヒーはインド風のとても甘い味だった。

9年振りに添えられた豆と共に2月18日、チベットの新年は明けた。

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.: posted by kazumoto 6:32 午後


「法王に謁見」

重厚な扉には50数年前この地球上から公式的に姿を消してしまった国の国旗がモールドされていた。私は緊張に手を震わせながらその扉をノックした。中から低い声で「どうぞ」と聞こえ、私はその重い扉を開いた。

彼はゆったりとした椅子に深く腰掛けたまま静かな笑みをたたえていた。私達はしばらく近況を報告しあった。話題が途切れたのを見計らって、私は以前からあたためていた事を意を決して切り出した。

「法王!2008年の北京オリンピックの開会式にはぜひインド選手団の旗手となってチベット国旗を掲げ堂々入場してください!忌まわしき中国共産党の度肝を抜き、チベット独立を世界にアピールする最大のチャンスです!」

あまりの唐突な申し出にさすがの彼も驚きの表情を隠せず、沈黙のまま遠く東の方を見つめた。それは、そう、本来彼の住むべき天空の城のある方角だった。

どれくらいの沈黙が続いたろう。私はまんじりともせず彼の返事を待っていた。やがて彼はその遠くを見つめたまま、あの静かな菩薩の笑みを取り戻し、ゆっくりと、そして深くうなずいた。

(了)

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.: posted by kazumoto 6:21 午後


「非行よ非行よ」

ついに最終目的地ダラムサラに着いた。
その足で私は郵便局に向かい局員に告げた。
「電報を打ちたいんですけど…用紙はどこにあるんですか?」
しかしカウンターのヒゲ面の太った典型的インド人のその男は、まるで私の声がまったく聞こえないかのように新聞に目を落とし続けている。私は台をバンバン叩き、足でボコボコ蹴って注意を引こうとした。さすがにうるさく思ったか、男はモッソリ顔を上げ面倒臭そうに言った。
「君はここから電報は打てない」
私は、どうしてなのか、と少し強い調子で訊ねた。
「ここは電話局じゃない」
「えっ?」
私には彼の言っている意味がわからなかった。
「電報は電話局から打つんだよ」
「あっ!」
ようやく私は自分の誤りに気がついた。電報は郵便局からではなく、電話局から打つのだという。言われてみれば当然のことだった。私は恥ずかしくなり小さな声で訊ねた。
「電話局はどこにあるんでしょう」
すると相手は本物の笑い顔になって言った。
「どこでもいいんだよ」
「どういうことでしょうか…」
「電報は電話から打てるんだよ」
「!」

歩きながら次第に私はおかしくなってきた。電報は電話のあるところならどこからでも打てるらしい。ということはダラムサラのどこからでも可能ということになる。いやもうそこがダラムサラである必要はないのかもしれない。
クックックッと笑いが洩れそうになる。私はそれを抑えるのに苦労した。これからまだ旅を続けたって構わないのだ。旅を終えようと思ったところ、そこが私の中央郵便局なのだ。

私は近くの電話屋のボックスに入った。そして受話器を取り上げると1ルピーも入れずにダイヤルを廻した。
<725872-7258>
それはダイヤル盤についているアルファベットではこうなるはずだった。
SAKURA-SAKU
<サクラ咲ク>と。

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.: posted by kazumoto 6:03 午後


火曜日, 1月 02, 2007

明けましておめでとうございます。

2002年6月に始めた旅も既に4年半が経ってしまいました。
まだやってるのか?!まだやるつもりなのか?!
と言われそうですが、まだやってるし、まだやります。
・・・と去年も書いたような気がしますが、今年もまだやってます。

チベット高原を横断すること3回、現在はインドの聖地の一つバラナシにいます。
ここで年を越すのもこの旅の中で3回目を数えることとなりました。
しかし私の旅も残すところあとわずか。
この後北インドのダラムサラへ行って、
ダライラマに会ってこの旅を締めくくろうと思っています。
日本帰国は3月頃になるでしょうか。

それでは2007年が皆様にとってよい年であることを祈ってます。
本年もよろしくお願いいたします

.: posted by kazumoto 11:25 午後


木曜日, 12月 14, 2006

「西南西に進路を取れ!」

今年の夏ごろから、どうやってこの旅を締めくくろうか考えるようになった。3度目のラサへ向かうことは決めていたので、東からのラサ入り(川蔵北路・南路)と西から(新蔵公路)、そしてネパールへ抜ける道(中尼公路)をすべて通ったことになり(北からの青蔵公路は全線舗装なので除外)、チベットの旅もこれで一区切りかな、あとは新しく出来た鉄道にでも乗って上海から日本に帰ろうかな、と考えていた。
しかし4年以上に及ぶ旅の最後が鉄道ではなんとも締まりがないなあ、と思っていたところへ、天の声が下った。(8つ前の「4年振りのチベットの恩返し」をご覧下さい)
そうだ!ダラムサラへ行ってダライラマに会おう!これだけチベットに惚れ込んだんだから最後の締めくくりとしてこれ以上の場所はない!!

・・・という訳で3たびインドへ向かうことに決めたとさ。

.: posted by kazumoto 6:36 午後


日曜日, 12月 03, 2006

「ラサ観光都市化計画」

今年のラサは鉄道開通、内外の観光客ワンサカいらっしゃいませ、に向けて都市改造したところが随所に見られる。

特にポタラ宮周辺は激変。まず正面の広場に「平和的開放記念塔」なる巨大な塔が建てられた。チベットが『平和』的開放なら、南京にも虐殺博物館なんかじゃなくて「日本軍入城熱烈歓迎記念塔」でも建ててもらいたいものである。

その広場は夜になるとライトアップされるのだが、池や橋につけられた紫やピンクのライトがチカチカ(ゲスに)輝いてまあきれい!極めつけは池の周りにグルリと「卍」のマークのライト。「中国では信仰の自由が守られています」アピールのつもり??
ちなみに五体投地していい場所というのが決まっていて、それ以外の場所ですると逮捕されてしまうとかしないとか。(未確認情報)

ポタラ宮の周りにも巡礼路があって、以前は一休みのためのチベタン茶舘や露店がズラリと並んで賑やかだったのだが、今は全て撤去されてしまって植木遊歩道になっていた。してそこかしこにスピーカーがあってチベット語で歌われている中国の流行歌が(ゲスに)ガーガーピーピー流されていてまあいい雰囲気!「中国では言語の自由が守られています」アピールのつもり??

もしダライラマ法王が50数年ぶりにラサ帰還!成ったとしても、この変貌振りを見たら「インドの方がマシじゃ」と帰っちゃうかもしれない。

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.: posted by kazumoto 12:55 午前


木曜日, 11月 16, 2006

「昨日の敵は…」

とあるチベットの小さな町で子供らと遊んでいた。一緒に家へ戻るとその子供らが母親に「日本人って悪い奴だと思っていたけど、この人はいい人みたいだよ」と話している。いい人、と言われたことは嬉しいけれど、やはりフクザツな気分。

しかしこの子がこういう感想を持つのも致し方ない。テレビをつければ24時間必ずどこかのチャンネルで反日番組やっているし、学校では低学年の教科書に「日本鬼子(日本人に対する蔑称)」の文字が堂々と出ている。こういった徹底的な対日感情悪化洗脳政策にあっては、純粋な子供らが何の疑いもなくそう信じてしまって当然だろう。

しかしここはチベット。
君らの本当の敵はもっと最近の、もっと身近にいるんだよ、ということを誰かが語り伝えねば、やがてその歴史は風化し忘れ去られ、別の歴史にすりかえられてしまう…。
チベットの将来を担う子供たちが今こんな状態にあるとダライラマ先生が知ったらさぞ嘆き悲しむことだろう。

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.: posted by kazumoto 3:10 午後


「ダイエット中」

風邪気味だったその日は朝からあまり食欲がなかった。
あるキツイ峠を越えようとしていた時、未だかつて経験したこともないような強烈なハンガーノックに見舞われた。自転車から下りて押すどころか立っていることさえできず、そのままその場に倒れこんでしまった。しばらく休めば復活するかも、と2時間くらい道端で寝転んでいたが、まったくその兆しなし。

その時フト思い出した。以前にバスに乗った日本人のツアーグループに会い「これでも食べて」と日本の飴をいくらかもらっていたのだった。
そうだ、それを食べて気合を入れなおして頑張ろう!
はいつくばりながらバッグからその飴を取り出したところでガクゼン。その袋に記されていた文字は…
「シュガーレス」「カロリーゼロ」

ちなみに7月に再始動して10月にラサにたどり着く間に失った体重は13.7kg。

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.: posted by kazumoto 2:59 午後


日曜日, 11月 05, 2006

「御用だ!!」

今回でチベット滞在都合9ヶ月。ずっと許可証なしの非合法旅行をしてきたのだが(自ら出頭したアリは除く)、ついに今回公安に捕まってしまった。場所は東チベット非開放の町、昌都。

鉄道開通したせいか、間もなくチベット入域許可が必要なくなる、という噂が外国人旅行者間を駆け巡った。実際雲南省方面からのラサ行きローカルバスは中国人料金で外国人も乗れるようになり、道中数ヶ所あるチェックポストはゲート開きっ放しで見張りは居らず、こりゃいよいよ本当か?!とまったく何の警戒もなくその町の宿に泊まっていたのだ。
して滞在4日目の深夜2時…。
突然ドアを激しくノックする音で飛び起きた。強制的に鍵を開けられ中に入ってきたのはMP含む公安5人。「身分証を見せろ!」どうやら違法外国人旅行者狩りではなく、安宿に潜む不穏分子チェックのようで「なんだ、外人か」とさっさと帰ってしまった。そこで機転の利く者ならその後に起こりうる事態に備え素早く手を打つところだろうが、何しろ真夜中で公安に対してもナメ切って考えていたので、のん気に二度寝に入ってしまった自分が今となっては恨めしい。
して数時間後の朝8時、またしても激しいノックの音。入ってきたのは紛れもなく中華人民共和国公安部外事課の男。「この町は非開放だ。パスポートをよこせ。そして今すぐ署へ同行してもらう。」万時休す。パトカーに乗せられ、向かった署内でアーだコーだ説教され、有無を言わさず罰金400元(6000円)の刑。これだけで済めばまだよかった。何しろ法律を犯しているのは明らかなのだから。しかし外国人、特にサイクリストや徒歩旅行者が最も恐れているのは「追放」。ここまで何日もかけて必死に頑張ってきたのを全て無にしてしまう恐怖の宣告。まさにそれを受けてしまった。
「即刻バスターミナルへ行き、即刻チケットを買い、即刻雲南行きのバスに乗り、即刻チベットから出て行け。」
親切な公安さんはパトカーに乗って一緒にバス停まで行ってくれ、国家権力を利用し窓口前の行列に横入りし、240元(3600円)のチケットを買わされた。合計一万円の大出費、それ以上に「追放」という処分の重さのショックに倒れそうになっていた。

しかししかし。
やはり毎日あのまずいツァンパを食べ続けるような信心深さが天を我に味方させた。その日のバスはすでに満席で明日のしかない、と言われたのだ。悔しそうな公安は窓口の女に「もしこいつが払い戻しに来ても取り合わないように」と言い残し去っていった。去ってゆく公安の背中は心なしか寂しそうだった…なんて気にするはずもなく、すぐさまダッシュで宿へ戻り荷物をまとめてチェックアウト。そして一路西へ、逃げろや逃げろ。しばらくは後方からの車が逃走した私を追ってきた公安ではないかとビクビクしていたが、十数kmも離れればもはや堕落した公安が追ってくるはずもない安全地帯。
いやはや、とんだ捕り物劇かな。

ラベル:

.: posted by kazumoto 2:53 午後


「グレートジャーニー」

地方のチベタンは農閑期に入るとラサへの巡礼の旅に出る。ある者は家族と、ある者は友人と、またある者は村総出で。行き方も、飛行機で、ランクルで、バスで、トラックの荷台に乗って、トラクターで、歩いて、など様々。中でも、最もチベットらしく、最も皆から尊敬されるのが、五体投地で尺取虫のように少しずつ進んでゆく巡礼だ。

彼らの方法は、五体投地部隊と荷運び部隊に分かれ(役は日替わり)、荷運び部隊は大八車、トラクターなどに生活用品全てを積み込み先行し、水のあるところでテントを立て、牛の乾燥ウンコ(焚き火の燃料となる)を集め火をおこし、茶を沸かし食事を作って後続の巡礼部隊を待つ。そう分業しても五体投地前進は絶望的に遅いので一日に移動できるのはせいぜい10km。ほとんどのグループは、ラサまで半年近くかかると言っていて、その長さに唖然とさせられたものだが、さらにその上をゆく物がいた。

それは「一人」五体投地巡礼。

17歳の少年僧が行っていたそれは一人なので全ての作業を自分で行わねばならない。まず荷の積まれた大八車を100m引っ張る。そこに車を置いてさっきの所まで戻って五体投地を開始し100m前進。また大八車を100m引っ張って…をひたすら繰り返す。もちろん水汲み・テント立て・食事作りも自分でやらねばならない。食料がなくなれば托鉢も行わなければならない。そのため団体巡礼者に比べ一日に移動に費やせる時間もはるかに少なくて、丸一日使って移動できる距離は平均で4km、上り坂だと3kmくらいしか進めない…。赤ちゃんのハイハイより遅いのでは??
出発してからすでに一年少し経った、と言っていたが、彼の田舎からラサまでは約2500km。平均4km/日で二年弱かかる訳だ…。

エベレストに登ることが冒険でもなんでもなくなった現在、身の回りの者以外特に認められることもなく、世に知られることもなく、チベットの山奥でひっそりとこんなハードな冒険をしている者がいたとは!!彼から「自転車だと一日どのくらい進めるの?」と聞かれ答えるのが恥ずかしかった。

「地球一周一人五体投地!」
これを成し遂げれば冒険史に残る大偉業になること間違いなし!!しかし一日4km進むとしても地球一周4万kmにかかるのは約30年…。やっぱり無理か。

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.: posted by kazumoto 2:32 午後


「魔法の食べ物」

食べても食べても減らない不思議な食べ物ってなーんだ?
3.2.1.ブー。
答えは「ツァンパ」。

今回バアちゃんの家に居候したのは2週間。何でそんなに長くいたのかというと、ちょうどその時ツァンパの原料となる大麦の収穫の時期でそれを手伝っていたから。
出発の時には餞別としてサイドバッグ一つが丸々いっぱいになるほどの大量のツァンパ(推定5kg)、バター、チーズ、ヨーグルトを頂いてしまった。あまりの多さに困惑したが、せっかくの頂き物を粗末にすることなどできるはずもなく、その後は朝昼晩、約1ヶ月間ひたすらツァンパを食べてひたすら荷物減量に努める。道中道端で休んでいる巡礼者などに呼ばれ「ツァンパ食うか?」と言われた時も「自分のがあるから」と自分のを出してお茶だけ頂く。そうしてあれだけあったツァンパも徐々に減っていった。
が、泊めてもらったり、一緒に野営したりしたお礼にラマの写真を渡すと、さらにそのお返しに「せめてツァンパでも持っていってくれ」とまたドサッと増えてしまうこと3回。結局ラサに到着した今でもサイドバッグ一つは丸々ツァンパの入ったまま…。ラサに居てまでも朝食はツァンパ食ってます。
こりゃあと数ヶ月はもちそうだ…。

とあるチベタン曰く「大麦は種さえまいておけば勝手に成長するのでタダみたいなもんだ」(もちろん畑の準備・収穫などは大変な作業だけど)

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.: posted by kazumoto 2:20 午後


金曜日, 11月 03, 2006

「ツインズ」

中国で施行されている一人っ子政策は誰も彼もが子供一人だけ、という訳じゃなくて、省ごとにいろいろ細かいところで違いがあって、漢族以外の少数民族はおおむね2人までは認められているようだ。チベタンも2人。しかしそのバアちゃんちには子供が4人もいる。

一番上(女17歳)は在家の尼さん。2番目(女13歳)は小学生。しかし3番目(女8歳)は学校には行っておらず、放牧担当で朝早くから牛羊を追って草原へ行き、夕方それらを連れて家へ戻ってくる。ああ、やっぱり3人目じゃ多額の罰金を払わされるので出生登録しないで戸籍のない子供となってしまい学校には行けないんだな…と思っていた。
しかしある日その家庭の戸籍手帳を見せてもらってビックリ。なんと3番目の子もしっかり戸籍があるじゃないか。さらにその中身をよく見てみて2度ビックリ。なんと2番目と3番目の子の誕生日が同じ日になっている!!
その2人は5年の年齢差があり誰が見てもとても双子とは思えないのだが、こんな裏ワザがあったとは…。登記された誕生日は上の子の日になっていたので3番目が生まれたときに局で「ゴメン、そういやうちの子双子だったんだけど一人申請するの忘れちゃってさあ」とでもやったのだろうか?!

しかし残念ながら4番目(男3歳)の戸籍はなし。しかも現在母さんは妊娠中…。やっぱり「ゴメン、そういやうちの子4ツ子だったんだけどさあ」ってやるのかな?

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.: posted by kazumoto 5:17 午後


「4年振りのチベットの恩返し」

(まずは「チベットの恩返しその2 母の想い」http://homepage1.nifty.com/kunori/miwa2.html をご覧ください)

オレはあの村へ戻ってきた。あの老婆のいるあの家へ。この4年間、ただ気がかりだったのは67歳だったあの老婆が既に天に召されてしまっているのではないか、ということだった。しかしそれは杞憂に終わった。しっかり健在だった老婆は、突然現れたオレを温かく迎えてくれ、あの時と同じようにバター茶を振舞ってくれた。まずは4年前のお礼に、これまでバッグの奥深くに大切に隠し持ってきたダライラマの写真をドサッと渡した。目を丸くして驚く姿を期待したのだが、返ってきた言葉は逆にオレの目を丸くさせた。
「アンタもダラムサラへ行ったのかい?」

4年前は確かに「もう老いてしまってラサにも行けない」と言っていたはずなのに?!聞けば去年子供たち(10人)がお金を出し合ってインド巡礼ツアーに招待したのだそうな(亡命ではなくてもちろん合法ルート)。しかも夏…。そしてさらにその後カイラス巡礼にも行き、カイラスコルラを五周(一周52km、最高5630m)、マナサロワール湖を一周したんだそうな。オレが正直に「カイラスは行ったが一周だけでヘバッて、湖は見ただけ、インドは何回も行ってるけどダライラマに会ったことはない」と言うと「若いもんがダメだねえ。もしまたインドに行くなら絶対ラマに会いに行きなさい」とお説教されてしまった。

この調子ならこのバアちゃん、100歳までは大丈夫そうだ…。

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.: posted by kazumoto 4:55 午後


「A列車で行こう!」

青蔵鉄道が開通し1ヶ月ほどして「既に線路の沈下が起こっている」と耳を疑うような話を聞いた。「標高4000mの高原の永久凍土の上に鉄道を敷くという難工事を、偉大なる中華人民共和国の土木建築技術を結集して成し遂げた世紀の大事業」と謳っていたのに?!

今回通ってきた道のうち、ラサ手前約300kmは鉄道と併走する。白く雪の被った山々をバックに3輌の気動車が16輌の客車を引っ張って進んでゆく姿はまさに圧巻。しかしふと下を見るとアチコチの橋げたを補修工事している…。やはりその噂は真実?!
しかも橋は無数に架かっている。チベット独立要求過激派の爆破ターゲットとしては格好の対象ではないか!やはり世界中にアピールできる北京オリンピックあたりが狙い目か?!

鉄道ファンの皆さん、青蔵鉄道ご乗車はできるだけ早目をお勧めします。

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.: posted by kazumoto 4:45 午後


「僕らのアイドル」

ダライ・ラマ14世。
チベット仏教界において政治面・信仰面、両面においての最高権力者。1989年にはノーベル平和賞も受賞し、世界にも認められる大人物であるが、残念ながら中国にとっては「偉大なる中華人民共和国分裂をもくろむ第一級政治犯」的人物。そのため国内ではダライ関連のニュースは一切流れず、インターネットでも規制に遮られ閲覧不可能。写真なども手に入れることができない。外国人が国外から持ち込み、チベタンに渡すのも法律に引っかかってしまう。
……と知りつつ持ち込んでしまいました、150枚。もちろん闇で売りさばいて一儲け!なんてするわけはなく、お世話になったチベタンへの御礼にするつもりで。道中、泊めてくれた一家、ツァンパ・バター茶を振舞ってくれた農民、つらい巡礼の最中声をかけてくれ一緒に野営した巡礼者、などなど。「どうぞこれを」と差し出すと、まるで長年恋焦がれた人についに巡り合ったかのように一様に目を丸くしてそして頭にかざします。肉体はチベット本土から遠く離れたところへ行ってしまったけれど、彼の精神はしっかりと皆の心の中に留まっているようです。

ある一人の巡礼者が言いました。
「私たちは辛い巡礼中、苦しくなると彼のことを頭に思い浮かべるのです。」

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.: posted by kazumoto 4:33 午後


火曜日, 10月 31, 2006

「ラサに着きました」

2002年秋、2004年夏に続いて3度目のラサに着きました。
今回は雲南省から入って、東側からラサに向かう2本ある道の北側(川蔵北路)を通ってのラサ入りです。チベット人からも「その道は寒いし、道も悪いから止めとけ」と言われるくらい寒いことで有名な地帯でしたが、その通りほぼ毎日雪が降り、早朝は零下20℃近くまで下がり、越えた4000m以上の峠は15個、とハードな旅になりました。しかし親切な農民・遊牧民・巡礼チベタンに助けられ、楽しくここまで来れました。
今年7月にラサへ通じる鉄道が開通し、ラサは確実に大観光都市へと変化してしまいましたが、知り合いの人たちに温かく迎え入れてもらい疲れも吹っ飛んでしまいます。

ラサは、そしてチベットはこの先どこへ向かっていくのでしょう?

.: posted by kazumoto 1:48 午後


土曜日, 8月 26, 2006

「チベットに来ました」

現在雲南省の北の端(標高3200m)にいます。
ここは行政上は雲南省ですが、すでに完全にチベット文化圏です。
草原が広がり、ヤクが放牧され、チベット民族衣装を着た人が農作業をしています。
ここからは川蔵北路を通ってラサへ向かいます。
そして再び隠密行動開始なのでしばらくは連絡おあずけとなります。
それではごきげんよう!

.: posted by kazumoto 4:03 午後


火曜日, 8月 15, 2006

「自転車王国」

4年前初めて中国を訪れた時、観光地にいる中国人観光客がみな高級一眼レフカメラやビデオカメラなどをもっているのに驚いたものだが(今思えば彼らは公務員で公費使い込みの可能性大)、今ではそれらが全てデジタル化し、私のカメラを見て「おや?お前のカメラには液晶がついてないのか?」とバカにされてしまう始末。

まあそれはさておき、国内団体旅行→個人旅行→若者バックパッカー旅行という変化とともに、長期自転車旅行というのもまだまだ少ないながら確実に広まっているようだ。4年前にはほとんど見かけることはなかったが、今年はそこかしこで中国人サイクリストに出会う。しかも乗っている自転車が日本で買えば10万円以上しそうなShimanoXTフル装備の高級車だったりして…。すごいのは自転車だけじゃなくて、1000mアップの峠が連続する平地のない貴州省を毎日200km走ってきたというレーサー車に乗る65歳とか、青海→チベット→雲南の大高原地帯5000kmを3ヶ月で走ってきた60歳とか、カシュガルからチベット高原完全横断してきたカップルとか、やってることも超難度。

さすが自転車王国、ツール・ド・フランスを中国人が中国製人民号で制する日もそう遠くないとみた!

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.: posted by kazumoto 10:17 午前


土曜日, 8月 05, 2006

「抗日戦争大勝利記念日」

「ああ言えば上祐」の中に書いた「日中戦争で5000万人の中国人が殺されたために…」というのがもし仮に真実だったとした場合、10数年の期間でこれだけの人を殺すためには一日に大体一万人殺さねばならぬ計算になる。一発一発手動で装填する三八式歩兵銃でこんなにも殺すにはメシ抜きで頑張ってもちょっと無理なような…。
もしかすると旧日本軍には歴史の闇に葬られた秘密特殊部隊が存在し、とっくに核開発を終えていたのかも。「少年」とか「肥満男性」とか名付けられた新型爆弾を中国各地で250発くらいピカドンピカドン。そういうことなら日本(の一部)の言う「南京大虐殺などなかった」という主張と、中国の言う「南京で30万人が殺された」という主張の矛盾が矛盾でなくなる。
それにしてもなぜ中国でそんな華々しい戦果をあげられる戦力を持ちながらインパール作戦では出し惜しみしたのだろう?
もったいないことだ。

まもなく8月15日。果たして小泉さんは靖国神社に参拝するのだろうか?するとまた鬼の首をとったかのように中国人にいろいろ議論を吹っ掛けられるんだよなあ。いやだなあ。

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.: posted by kazumoto 7:40 午後


「四年大昔」

自分でも忘れつつあったが、今回の中国再訪の最大の目的は以前お世話になった人々を訪ね歩くことにあった。が、3年ぶりに訪れた中国の町は変化が大きく、居なくなって会えない人が多い、というのは去年の今頃書いた。

そしてさらに一年が過ぎた現在。再訪する街する町、こんなに大きなところだったかなあ?というくらい横へ横へと拡張され、ボロ宿ボロ食堂などはきれいサッパリ取り壊され巨大なビルに変わっていた。再会成ったのは開発から取り残されたような途中の小さな村の人くらい。おかげでここまでの再会率は20%を割ってしまった。あの時笑顔で見送ってくれたあの人たちはいったい今どこで何をしているのだろう…?

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.: posted by kazumoto 7:28 午後


「点灯虫」

中国の建物の廊下や階段などには音感知式の電灯があって、パタパタと足音高らかに歩いてゆくとパッと点灯ししばらくして消える。
とある安宿に泊まっていた時のこと。
その建物は建築費をケチったか部屋の壁の上方が開いていて隣の部屋や廊下と筒抜けだった。
そして草木も眠る丑三つ時…。
どうやらここは夜のお仕事をするお姉様方の職場でもあったようで、私の隣の部屋へ男を連れて入ってきた。一応声をひそめてはいるものの、安レンガの壁で上が開いているので声も音も筒抜け。あんなことやそんなことをしている様子が手に取るようにわかってしまう。いやはやタダでこんなに聞かせてもらってラッキ、じゃなかった、うるさくて眠れやしないじゃないか全く!
そしていい汗かいて二人は出てゆき、やっとこれで安眠…と思ったとたん、一階のロビーでそのお姉様がなにやらママさんに訴えている。理由はさっぱりわからないのだが、絶叫・怒号・号泣。ウギャギャギャー!ビェー!ビェー!ウギャギャギャギャー!ビェー!ビェー!そのあまりの声の大きさに三階の廊下のセンサーまでがいちいち反応してしまいパカパカ点灯。それが約2時間くらい続いたところで泣き疲れたかやっと静かになった。
もう今日は寝坊でいいや…と思ってしばらく、そこはバスターミナルの近くであったため、始発を知らせるバスのクラクションがブー!ブー!ブー!またその音で電気がパカパカ…。

このスリルと興奮こそが安宿の醍醐味。

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.: posted by kazumoto 6:19 午後


水曜日, 7月 12, 2006

「今は山中 今は浜」

7月1日、チベット高原北部を縦断しラサへ到達する青蔵鉄道が開通した。当日はテレビでは朝から晩まで特番が組まれていて、式典の様子、一番列車の発車、こんな難工事をやり遂げた中国は偉大です、これでチベットの経済も飛躍的に発展しチベット人も大喜びです、的報道をひっきりなしにやっていた。

確かにこれは偉大な難工事だったろうし、経済も少しは発展するだろうが、2年前ラサを訪れたときに知り合いのチベット人にこの件を尋ねたところ「きっと中国人がもっとたくさんやってきて私たちの住む所が無くなっちゃうかも…とっても心配している」と言っていた。私の聞いたのは3人だけなのでもしかしたらその他の599万9997人のチベタンは鉄道大歓迎しているのかもしれないが、やっぱりきっとしてないとみた。実際、この鉄道の目的はチベットで産出される鉱物の輸送(←これはテレビでも言っていた)とインドとの有事の際の軍隊の輸送(←これは私の勝手な予想)にあると思われ、チベット人のことなんかハナっから考えてもいないだろう。以前新疆カシュガルのウイグル人が「鉄道が開通してから中国人がどっと押し寄せ我々の町をメチャメチャにしてしまった」と怒っていた。結局のところ、中国政府がチベットやウイグルにしている政策は、大日本帝国が中国の地に勝手に満州国を作って富を貪った行為となんら変わりないのだ!

…と知ったような口を利いてしまいましたが、小難しい政治的思想的なことは抜きにして、4000m以上の高原をひた走る列車に一度揺られてみたいなー。「世界の車窓から」もビックリな雄大な風景が見られること間違いなしだろうしね!

追伸:鉄道開通に伴い、ポタラ宮入場料が120元(1800円)から一気に最大300元(4500円)まで上がったそうだ。ヒエー。

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.: posted by kazumoto 7:36 午後


月曜日, 6月 26, 2006

「世界杯開催中!」

今回のW杯には中国は出場していないにもかかわらず、テレビでは全試合完全生中継を含め朝から晩まで24時間、足球、足球、足球。
それは大変よろしいのだが、ただ一つ不満なのは試合終了のホイッスルが鳴って30秒くらいで「ご視聴ありがとうございました。再見」とスタジオに返してしまうこと(これは先のオリンピックのときもそうだった)。自分としては勝って喜びに沸く姿、負けてうなだれる姿など、悲喜こもごもの様子を試合の興奮の余韻に浸りながら見てみたいと思うのだが…。

映画館でもそうで、最後のクライマックスシーンが終わると、エンディングシーンを見ることもなく観客は一斉に帰り始め、スタッフロールが始まるころには客席には私一人、何てこともしばしば。
傑作だったのは「キングコング」を見た時。島でコングが生け捕りにされたところをラストシーンと勘違いした観客らがその後のニューヨークシーンを見ずしてドワーっと帰ってしまったこと。

君らそんな1分2分を争って早く帰らねばならないほど時間に追われる生活してるわけじゃなかろうに…、と言いたいところだが、この現象は中国に限らずアジア・中東・アフリカ諸国で映画見たときも同じで、もしかしてスタッフロールを最後まで見るような奇特なヒマ人は日本だけ?!と心配になってきた。
ヨーロッパとかアメリカとかではどうなんだろう?
誰かそちらでの経験のある方、教えて下さい。

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.: posted by kazumoto 9:02 午後


火曜日, 6月 20, 2006

「ああ言えば上祐」

中国人と話していて日中関係のこじれについての話題が出たとき、以前は無条件で「私ら日本人が悪うございました、すみません」と謝って済ませていたのだが、最近は謝るばっかが能じゃなくてやっぱり言いたいことは言うべきだな、と考えを改め反論、というか話題すり替え・問題はぐらかし作戦をするようにしている。
こんな風に…

・南京大虐殺についてあやまれ、の話題が出た時……確かに日本人は謝罪すべきだ。しかし中国も元寇の時対馬で大虐殺を行っている。我々は750年近く待っているが未だ中国政府は謝罪していない。謝るのはそっちが先だ。そもそも中国の歴史教育では南京についてはこれでもかと教えるのに、自分らの行った殺人についてはほとんど言及していない。不公平な教育方針だ…と話題を逸らせてゆく。

・南京大虐殺で30万人(中国発表)も殺すなんて、の話題が出た時……天安門事件の死者数は諸外国メディア発表が1万人なのに対し、中国政府発表は5人(第一回の報告)。つまり中国政府は2000倍のサバを読む可能性がある。おそらく南京でも30万人ではなく実際は150人程度だろう。その程度の死者なら戦争じゃなくても当時の南京なら自然に発生してるよ。そもそも政府発表の数字をそのまま鵜呑みにする方がおかしい…と話題を逸らせてゆく。

・靖国神社参拝の話題が出た時……靖国には確かに戦犯も祭られているが何百万人という一般兵も祭られているのだ。首相が参拝するのは当然だ。それなのに中国のニュースでは首相が戦争犯罪者を英雄視している、そればかり。中国のニュースの内容なんてごく一段面からしか見ていないウソっぱちだ…と話題を逸らせてゆく。

・中国の偉い誰かさんが言った「日中戦争で5000万人が殺されたために中国の発展は50年遅れた」の話題が出た時……もしかしたらそれは事実かもしれない。ならば文化大革命と共産党一党独裁のために中国の発展は1000年遅れたね。もし毛沢東がいなけりゃ今頃中国は宇宙を支配し、タイムマシンも光速ロケットも発明していただろうね…と話題を逸らせてゆく。

・尖閣諸島の話題が出た時……うむ、もしかしたらあそこは日本の領土じゃないかもしれない。その時は諦めて放棄するが、その時は台湾に返すよ。そもそも台湾は中国の一部、なんて思っているのは世界中で中国人だけ。もし台湾に行ったら本屋で世界地図を見てみな。そこには「中華人民共和国」なんて国はどこにもないんだぜ…と話題を逸らせてゆく。

・歴史教科書の話題が出た時……もし教科書に「進出」と記してあったところであの行為が「侵略」であったことくらい日本人の誰もが理解している。帝国主義は許されない、批判されて当然だ。しかしその帝国主義を批判し続けている中国が、チベットに対して行った行為(派兵・破壊・虐殺・強制労働・言語統制)こそ帝国主義そのものではないか?まもなくチベットに鉄道が開通するがこれを歓迎するチベット人など皆無であることを知れ!…と話題を逸らせてゆく。

…などなど。これによって相手を黙らせることができるか、火に油を注ぐことになるかはあなたの話術次第!
しかしなあ、731部隊についてはだけは逃げ道が全く見つからないんだよなあ。ありゃやっぱり日本人が悪いわ。日本政府は即刻中国人に謝罪すべし。

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.: posted by kazumoto 9:15 午後


土曜日, 6月 17, 2006

「無題」

前々項にて腐敗はイカン!との内容を記したが、社会主義国である中国においては、あくまで主役は政府であり、民衆はその引き立て役。そこが我々の民主主義国とは根本的に違う。
だからその国の人がその制度をフルに利用し利益や幸福を手にしようとするのはその国に生まれてしまった人々の一つの知恵であって、一概に非難もできないのでは、と思う(もちろん汚職を肯定しているわけではない)。

というのは、ある公務員から「日本人が中国を旅行するのは簡単だが、中国人が日本を旅行することは大変難しい。日本人はちょっと働くだけであなたのような長い旅ができるが、我々には絶対不可能だ。不公平だ!」と言われたこと(腐敗者に言われたくはなかったが)。

確かに私は日本という経済的に恵まれた国にタマタマ生まれたおかげで、他国(特に貧乏国)との経済格差を利用することによって今のような旅ができている訳で、不公平だ!といわれると返す言葉がない。
(本当は、1945年(抗日戦争勝利)とか1989年(天安門事件)とか豊かになれるチャンスは幾度となくあったのにそれを全部お上が潰した。君らの貧困の原因は全て「一党独裁」にあるのだ!という返す言葉があるのだが、ちょっと危険思想なのでまだ言ったことがない)

つまるところ何が言いたいかというと、私の旅というのは決してひけらかしてはならぬ、どちらかというとちょっと恥ずかしい旅であるのだなあ、と5年目に突入した今、思う。

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.: posted by kazumoto 8:02 午後


「これぞ中国!」

バスターミナルでバスを待っていたときのこと。
広い待合室の中にテレビが一台。W杯の試合が放送されていてテレビの前には多くの客が観戦していた。するとそこへ切符モギリの服務員(若い女)がテレビのリモコンを持ってツカツカと現れ、チャンネルを連続ドラマに換えてしまった。当然客からはブーイングが起こるが「チャンネル権は私にあるのよ!」と言わんばかりに完全無視で腕組みしてドラマに熱中していた。もちろんこれ公務中の出来事である。
そういえば香港に向かう時乗ってきたバスは途中お客を拾わない特急バスだったのだが、突然ある所で停車。何事かと思ったら運ちゃんが道端の農民直売のスイカを2玉買っていた。

中国のバス会社で働きたいなー。

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.: posted by kazumoto 7:29 午後


「フハイ」

4年前に知り合った友人を訪ねていったところ、こりゃまいった!と唸ってしまいそうな素晴らしく豪華な接待を連日連日怒涛のように受けてしまった。というのもその人の家族、友人たちが皆揃って公務員だからである。

中国の官僚・公務員の腐敗ぶりはつと有名だが、この度その実態を目の当たりにしてあらためて中国の一般庶民に生まれなくてよかった、と思った。
まずその豪華接待の後一度もお金を払っているのを見たことがない(サイン一つで全部公費もち)。車であちこち連れて行ってくれるがその車は公用車である。広い自宅は公務員特権で半額で購入できる。各人毎年一回一万元(15万円)クラスの旅行がタダ。これすべて人民の税金によって賄われている…。
中国でも中央に近い地域ではそれなりに取り締まっているらしいが、ここは地方都市なのでナアナアの野放し状態、汚職は当然の権利だと思っているフシがある。

まあしかし2000年以上昔の話である「項羽と劉邦」なんかを読んでも役人の腐敗は既に存在しており、ということは、汚職は即ち故宮や万里の長城よりもはるかに長い歴史を持つ中国の一つの伝統文化といってよいだろう。
ここはひとつ中国政府に開き直ってもらって、汚職の歴史を集めた「腐敗博物館」を開設し、参加料を払って食事からジキジキまで各種様々な使い込みを体験できる「汚職実体験コーナー」を設け、更には毎年最も汚職を働いた役人を国の重要無形文化財として表彰する…なんてのはどう?

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.: posted by kazumoto 6:46 午後


金曜日, 6月 02, 2006

「自由」

中国に変換されながらも今なお自治を保っている「自由」の土地、香港。
「自由」、ああなんという魅惑の響き!
「集会・結社・言論・宗教の自由」、ああこれこそ人間の住むべき本来の姿!
約一年振りに不自由な世界から自由の世界に舞い戻った私はスピーカーを準備し、惑うことなく人々の集まる公園に行き大声で叫んだ。

「毛沢東主席・中国共産党万歳!!」
「社会・共産主義だけが真の平等な世界を築けるのだ!」
「人民公社は生産の雄!」
「打倒帝国主義!チベット・ウイグル、全民族一致団結して植民地支配を叩き潰せ!」
「進め人民解放軍!日本鬼子を皆殺しにせよ!」

あ、そうだ、あとひとつ。

「中国政府は直ちに元寇の際の大虐殺について日本国民に謝罪せよ!!!」

ふう、すっきりした!

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.: posted by kazumoto 2:28 午後


「ビザ延長」

今中国ビザ再延長のために香港にいます。
普通ビザ取得のためには専用の紙にいろいろ記入して写真張って…と面倒なことこの上ないものですが、なぜか香港だとお金と写真一枚とパスポートをエージェントに渡すだけで翌日にはアッサリ長期ビザがとれてしまうのです。
なんだ、つまりは金がほしいだけのことかって気もしますがね。

ちなみに過去、ビザ・入国書類で「えっ?そんなこと書かせるの?!」って思わせたベスト(ワースト?)3は…

第3位:宗教を書け(1996年シリア 入国カード)
無難に「仏教」と書いておいたが、もし「ユダヤ教」と書いたら入国拒否か?!

第2位:瞳と肌の色を書け(2003年ビルマ ビザ申請)
「肌色」じゃ答えになってないし、さりとて「黄色」と書くのもなんか嫌だったので「茶色」と書いておいた。実際日焼けしていて真っ黒だったからね。

第1位:ここ3年納税している現地人2名の名前を記入し納税レシートを添付せよ(2004年バングラデシュ ビザ延長)
「ツーリストなのにそんな都合のいい知り合いがいるわけないでしょう!」と係官に文句を言うと「なら諦めな。それとも…」とワイロの請求。なんだ?ユスリのネタか?!無論拒否。クサレバングラ役人。

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.: posted by kazumoto 2:10 午後


金曜日, 5月 26, 2006

「下から読んでも山本山」

中国のスーパーで味付け海苔を発見。
5枚1組で包装されていて、味も大きさも日本のと全く同じ。
しかしその大袋の裏側に書かれている内容が・・・。
そこには「こんなときにどうぞ」の絵と説明が載っていて、1つはベランダで音楽を聞きながら本を片手にクールに海苔をつまむ男の姿。
もう1つは、若いカップルが公園でイチャつきながら楽しそうに海苔を食べる姿。

日本人のカップルがデートの時「ちょっと待ってて、ジュース買ってくるから」のノリで、中国では「ちょっと待ってて、味付け海苔買ってくるから」ってやるの??
と中国人の友人に問えば、
「別に普通だよ」の答え。
ホンマかいな!?

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.: posted by kazumoto 12:28 午後


水曜日, 5月 10, 2006

「中国と私」

私が中国という国を初めて意識したのは、幼き頃テレビでドリフのやっていた人形劇「飛べ孫悟空!」を見て「あの加トちゃんというキャラは何者だろう?」と思ったことだが、二番目に意識したのは中国残留孤児のニュースを見た時だったろう。

姉(日本に帰れた)と妹(中国に残された)感激の再会!の映像で、妹の方が姉より20歳くらい老けてしまっているのを見て
「ウウム、中国で生活するとこんなに老化が早いのか…。くわばらくわばら」
と幼心に強い衝撃を受けたのを覚えている。
それから時は流れ、急激な経済成長を遂げた今の中国にいて、そういうのはもう過去の話、と思っていたのだが…。

私の泊まっている宿で働く農村出身の服務員さんたち。私よりはるかに年上と思って「おばちゃん」と呼んでいた人が実は同い年、あるいは年下だったりして…。
(そりゃ個人差ってもんじゃないのか?!というツッコミはなし)

貧しい農家の子は中卒後都会へ出て3Kバイト(含ジキジキバイト)に身をおく苦労の生活。実際この前参加した田舎の誕生日会でも、お客はチビッコか中年以上の人ばかりで、20-30代は皆無に近かった。

中国貧富の差解消の道はまだまだ険しい…か?

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.: posted by kazumoto 8:42 午後


「八十大寿」

知り合いの人から「今度うちの田舎のバアさんが80歳の誕生日でお祝いするからアンタも来るかい?」と言われたので参加させてもらうことにした。
親戚一同集まって、おめでとう!ってやるのかと思ったら全然規模が違って、

参加者200名以上(そこの村人ほぼ全員)!
食材になる動物:豚七頭、牛一頭、鴨十数羽!
各テーブルにはあふれるほどの肉肉肉料理(野菜ゼロ)!
飲め飲め白酒(焼酎)!
これが朝昼晩三回!
そして三日間続く!

最後には、ううっ、もう肉は当分いらない…ってなってしまった。
「まあ田舎の生活は普段娯楽が少ないのでこういう大イベントは楽しみなんでしょうね!」と主催者側に問うと、
「とんでもない!金はかかるし、準備は大変だし、本当はやりたくないのだが、さりとてやらぬとケチな一家だと陰口たたかれるし…ブツクサブツクサ」
ううむ…。

ならば同じ質問を参加者側に問えば、
「とんでもない!毎年のようにアッチコッチで同じような会があって(結婚・出産・60歳・70歳・80歳…)、毎回ご祝儀出さなきゃならんし(500-1000円程度)、参加しないと付き合いの悪い奴だと言われ、さりとて三日間全て参加するとズーズーしい奴だと言われ…ブツクサブツクサ」
ううむ、ムラ社会…。

ちなみにこういう習慣があるのはこの辺りの少数民族の一部(トン族・ヤオ族)で、漢族の人に言わせれば「そんな面倒なこと漢族はしないね」とサラリ…。

ラベル:

.: posted by kazumoto 8:40 午後


「求人広告 その後」

実は女子大生にムフフな家庭教師をしてもらっていたのは旧正月休み前後の計2週間だけで、その後地元でブラブラしているネーちゃんを雇ったところ、これがとんでもなく使えない代物で、自称堪忍袋の尾の長い私をわずか3日でキレさせクビにし、更にその後「私は元教師で標準語が話せます」とバリバリの訛り言葉で自己紹介するおじさんを雇ってしばらく勉強してました、というか雑談してました。

そういう訳であんまり中国語の上達には役立ってないですが、この最後のおじさんは文化大革命の時農村で強制労働させられた経験を持つ苦労人で、当時の話とか、毛沢東から今の政府までをボロクソに批判する話(外では絶対できぬ)とか聞けてなかなか興味深かったです。
私もお返しに、生中継で見た天安門事件の真実とか、去年新疆成立50周年式典に独立要求組織から爆破予告が出てた話とか、一般中国人が知ることのできない中国国内の重大ニュースをたくさん教えてあげてたいそう喜んでもらえました。

めでたしめでたし。

ラベル:

.: posted by kazumoto 8:38 午後


土曜日, 5月 06, 2006

「コネなき者は去れ!」

龍勝から30kmくらいの所に「温泉」という地名そのまんまの温泉街があって、今まで行くことはなかったのだが、まもなくここを去るにあたりどんなところか見ておくだけでも悪くなかろう、と体慣らしついでにひとっ走り行ってみることにした。

で、到着。
日本の山の温泉街と大して変わらぬ風景で、1分後には、ハイ満足、帰ろ、と思ったところ「イーユエーン(一元)」と誰かが私の名を呼んでいる。振り向けば以前龍勝の私の泊っている宿でコックをしていた男で、今この温泉街の食堂で働いているという。
「今日はここに泊っていきな。飯も宿もタダでいいから」
もちろん断る理由もないので即決。
言われるままについてゆくと、いくつかのホテル前を通り過ぎて「ここだよ」といわれた所はなんとこの温泉街NO.2の4ツ星ホテル、最低の部屋が850元(=13000円)!しかしそれは満室だったのでさらにグレードアップした1500元(=23000円)の豪華部屋にタダで泊らせてもらえることになってしまった。
こんなラッキーなことはないのだが、まさかこんなことになろうとは夢にも思ってなかったので、私の服装はいつもの自転車乗る時よりもさらにひどい格好(短パン・洗濯のし過ぎで肩に虫食いみたいな穴のいっぱいあいたボロTシャツ・ワラジ並みに底の擦り切れたビーサン)。案内してくれるボーイに運ばせる荷物すらナシ。
情けないやら恥ずかしいやら…。

してメインの露天風呂に行くぞ!ということになり、ここも顔パスでスルー(入湯料100元=1500円)。
中国人はみな海パンかパンツのまま風呂に入るようだが、まさかこんなことになろうとは夢にも思ってなかったので、パンツの替えなどもっていようはずもなく、仕方ないので一人だけフリチ○で入っていたところ、あまりのお粗末なブツに見かねたか、従業員が「これ穿きな」と商品の海パンをタダでくれた(推定10元=150円)。
情けないやら恥ずかしいやら…。

その後夜の温泉街をブラブラしているとその一角にアヤシゲな桃色の蛍光灯の光る「保健中心(センター)」なるものがあったので、
「隊長!自分はあそこで健康診断を受けたいでありますが、あれも顔パスになるのでしょうか?」と問えば、
「ウーム、タダはチト難しいが、観光客料金200元(=3000円)を地元料金50元(=750円)にしてやることはできる」とおっしゃる。
「据え健康診断受けぬは男の恥」と論語にもあるので、いっちょいきますか?!と思ったが、まさかこんなことになろうとは夢にも思ってなかったので、私の財布の中には17.2元(=258円)しか入っておらず
「やっぱり病気の問題とかあるし止めときます」
と言い訳して断念。
情けないやら恥ずかしいやら…。

ラベル:

.: posted by kazumoto 6:53 午後


「秒読みW杯!」

中国でもサッカーW杯は注目を集めている(バクチの対象としてだが)。
テレビでは各出場国のサッカー事情を紹介する一時間番組がやっていて、先日、日本のも紹介されていた。

で、番組のラスト、川淵チェアマンが日本のサッカーの将来を語るインタビューシーン。
放送では川淵さんの声(小さくだが聞こえる)に中国人ナレーターの声で翻訳をかぶせてあるのだが、川淵さんはずっと日本チームについて語り続けているのに翻訳のほうでは途中から
「いやそれにしても中国も大都市を中心にサッカー熱が高まってきているので将来アジアサッカーの中心は日本と中国になると思いますよ」
なんて訳されているではないか!
オイオイ川淵さんはそんなこと一言も言ってないぞ!

恐るべし情報操作・プロパガンダ大国、中国…。
サッカーおじさんの話まで操作するか…。

ラベル:

.: posted by kazumoto 6:46 午後


「男の夢(最終回)」

私が男塾塾長江田島平八であある!
久しぶりの登場かと思えばなんと最終回であある!!
(以下読みにくいので平文)

一年前に開講した男塾ですが、この度塾長の旅立ちに伴い閉塾することと相成りました。
初めは遊び半分で始めたつもりがいつしか受ける方も教える方も結構本気になってきて、別に専業でもないので教えるのに四苦八苦…。
日本語って普段気にすることもなく話していることをいざ説明しようとすると(助詞「は」と「が」の使い分けとかね)自分でも何でか全く分からん、という情けないこともしばしばでしたが、まあ何とか楽しく一年やってこれました。
まもなく卒業する高三の生徒の一人はこのまま大学の日本語学科へ進むことに決めたようで、助力できてうれしいことこの上ないですが、今まで教えた文法とかがテキトーであることがすぐバレてしまいそうで…。

まあ小さな日中友好になったかな!と思う江田島平八であある!!(完)

ラベル:

.: posted by kazumoto 6:40 午後


「再始動の辞」

中国に来てまもなく一年。ビザももう切れてしまうので、そろそろ日本へ帰るか…と思っていましたが、ふと思い返せば一年もの長いビザを取ったのは最後にもう一度ゆっくりじっくりチベットへ行くためであったのに、ここで帰ってしまってはなんか尻切れトンボになりそうな気もするので、ちょいとビザを延長して一年ぶりに自転車野郎に戻ることにしました。

で最近はサビサビに固まってしまった自転車を必死に整備し直して何とか元通りにし、衰えてしまった体に鞭打ってトレーニングしているところです。

.: posted by kazumoto 5:40 午後


金曜日, 2月 10, 2006

「求人広告」

昨年12月。
半年経っても一向に上達しない己の中国語に、このままじゃいかんとふと思い立ち家庭教師を雇うことにしました。
そこで紙に「教師求ム」と書いて宿の入り口にペタッ。
ちなみに私の今住んでいる所は、東京でいえば銀座にあたる商業地域のど真ん中(規模は100万分の1くらいしかないけど)にあり、この町の人の多くが前を通るため、2時間も経って散歩に出ればアチコチから「おう、先生探してるんだってなあ」と声がかかるほどです。
早くも翌日には数名の希望者が現れ、面接して厳正な審査のうえ一人を選びました。
その理由はその人が上手な普通話(共通語)を話せたからです、というのは表向きの理由で、真の理由はその人が女子大生だったからです。

で授業開始。
すると開口一番「アナタの発音はひどいアルネ」。
半年以前、CDを聞きながら自学自習していたときには確かに話せたはずの普通話の発音は、この半年間でいつしか南方方言に完全に侵されてしまったようです。
よって翌日からは小学校1年生の国語の教科書を使って基礎の基礎からやり直し。トホホ・・。

ラベル:

.: posted by kazumoto 5:39 午後


「ドラフト一位指名」

1月29日、旧暦の元旦。
中国でも年が明けました。
新年快楽!!

この半年間一ヶ所に定住したおかげで友人・知人も多数でき、年末にはいろいろな方々から「年越しはうちに来て一緒に過ごそう」の声をかけてもらってうれしい限りでした。
しかしここで新たな問題発生。
年越しというのは、23:59:59→0:00:00の一瞬一度限りであり、私の体も一つしかないので誰か一人を選ばねばなりません。
私がどこにしようか決めかねていると「あの家はケチだからやめとけ」とか「あの家の料理は不味い。うちのは美味い」とか本音トーク炸裂の悪口合戦になっていき、その中で一つを選ぶと私の立場まで危うくなる恐れがあると心配になってきました。
いつしか小さなムラ社会に私も組み込まれてしまったようで・・・。

よって最終的に私が選択したのは町から遠く離れた小さな農村で、中国の伝統的正月を迎える、というものでした。

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.: posted by kazumoto 3:36 午後


木曜日, 12月 15, 2005

「男の夢(日中友好編)」

私が男塾塾長江田島平八であある!!
(以下読みにくいので平文)

先日私の塾生らの通う高校と、私が卒業した中学校の生徒を、数十人レベルで文通交流させるよう計らうことができました。(実際は日本に居る家族がほとんどやったのだが・・・)
日本からの手紙は、まとめてこちらの学校のクラス宛で届いたので、着いたときには「何だ?何だ?キャー!キャー!私にも見せて!そこはダメ!」と狂乱の事態に陥り、死者・重軽傷者・行方不明者合計235人の惨事になったようです。
今その手紙と返信の手紙の翻訳作業で大わらわ、うれしい悲鳴です。

でも説明するときに「この中学は私が18年前に卒業した・・・」のところで「そうか、その時には日本側はもちろん、中国側の生徒も誰一人として生まれてもいなかったのだなあ・・・」とちょっと感慨深いものがありました。

この功績を称え、校庭に銅像が立つのを夢見る江田島平八であある!!

ラベル:

.: posted by kazumoto 5:40 午後


「水質汚染」

ちょっと前に中国東北部の河に工場排水が流れ込んで大騒ぎになり、それをきっかけに地方役人の腐敗ぶりまでが海外に流れる間抜けな事件があって、ざまあ見ろって感じであったが、それよりはるか前に我が身自身にも災いが降りかかっていた。

5ヶ月前、ここ龍勝に到着してからのこと。
シャワーを浴びた後、普通なら石鹸のいい香りが残るはずのところ、なぜか体から異臭がする。石鹸が体に合ってないのかと思い、変えてみたが同じ。むう、これが老齢臭ってやつなのか・・・とブルーになったが、その臭いというのが硫黄(温泉)の臭いで、どうも老齢臭とも違うっぽい。一体これはどうしたことなのだ?!としばらく奇妙に思っていたある日、その臭いの発生源が、以前インドでもらった銀の首飾りにあることに気づいた。なんとピカピカだった銀がいつの間にやら真っ黒に変色しているではないか!
それに服も洗濯するに連れ、白いシャツがなぜか少しずつ青く染まっていく。今では白シャツが青くなっていった、というより、青シャツが色落ちした、といってもいいくらいになってしまった。私は化学についてはあまり詳しくないのだが、水道水に何か混じっていることは間違いないようだ。

地元民はわかっているのか水道水は決して飲まず、地下水を湧かして飲む。その地下水も果たして大丈夫かどうかは怪しいもの。恐いねー。

ラベル:

.: posted by kazumoto 5:38 午後


「男の夢(事業拡大編)」

私が男塾塾長江田島平八であある!!
1ヶ月の昆明研修を終え、再び元の場所で本業老師に戻ったのであある!
(以下読みにくいので平文)

私の泊まっている宿には数人の服務員(掃除とか食堂で皿洗いしているバイト)がいて、ほとんどが農家出身の、貧しくて高校に行けなかった16?18才の次男坊とか娘。早朝から夜遅くまでの超激務で、超激薄給。しかも女主人は、客には愛想が良いがバイトにはハンニャの形相を見せる鬼ババ。むう、「おしん」の世界そのまま・・・。

そんな過酷な環境で働く彼らからも、わずかの休憩時間を使って日本語を勉強したい、との要望があったので「服務員のための日本語特別講座」(いらっしゃいませ、ご注文は、とか)を開設しました。もちろん目的は若い娘っ子を手なずけて・・じゃなくて、こんな地元向けのショボ宿じゃなくて、外国人も泊まるようなしっかりした宿で雇ってもらえるようにするためです。

そして「桂林」という世界的に有名な観光地のそばにあるので、ツアーガイドの生徒もできました。そこで「観光ガイドのための日本語特別講座」(右手をご覧ください、とか)も開設しました。

この調子で更に、
「ビジネスマンのための日本語特別講座」((お世話になってないけど)お世話になっております、とか)
「寿司屋に行くための日本語特別講座」(銀シャリ、オアイソ、とか)
「漫才を見るための日本語特別講座」(いいかげんにしなさい、とか)
「歌舞伎役者になるための日本語特別講座」(いよお、とか)
「日本人と結婚して合法的にビザを手に入れるための日本語特別講座」(君が好きだ!ビザが目的じゃないんだ、とか)
「同性愛者のための日本語特別講座」(そこはダメ、とか)

と事業展開していくつもりであある!!

ラベル:

.: posted by kazumoto 5:36 午後


火曜日, 11月 29, 2005

「漢字テスト 第2弾」

以下の中国の意味を答えよ。

<初級>
1.羽毛球 2.将軍腹 3.猫和老鼠(ヒント:「和」は「and」のこと) 4.筆記本電脳 5.愛人
<中級>
6.餅屋 7.加油! 8.李小龍 9.新聞 10.勉強
<上級>
11.卓球 12.麺包車(ヒント:「麺包」は「パン」のこと) 13.大頭貼 14.小人

<解答>
1.バトミントン。
2.太鼓腹・ビール腹。今中国では肥満急増中。テレビではダイエット番組や痩せるための通信販売CMがしょっちゅうやっている。
3.トムとジェリー。中国語版ではトムは「大地瓜(ダーディーグワ)」、ジェリーは「小不点児(シャオブーディアル)」と呼ばれていた。
4.ノートパソコン。
5.旦那・嫁。夫婦が自分の連れ添いのことを話すときに使う言葉。おばちゃんが旦那のことを「私の愛人」と、聞いている方がこっぱずかしくなるようなことを普通に言う。日本で言う「愛人」の意味もある。
6.パン屋・ケーキ屋。中国にも「餅は餅屋」ということわざがあるかどうかは不明。
7.頑張れ!オリンピックなどで中国人の観客が「ジャーヨー!」と叫んでいるのはこれ。
8.ブルース・リーの中国名。中国人に「ブルース・リー」とか「ジャッキー・チェン(成龍)」とか言ってもまずわかってもらえない。
9.ニュース。新聞のことは「報紙」。
10.無理やり、嫌々すること。日本人の「勉強」もある意味嫌々しているのかもしれないが…。
11.ビリヤード。テーブルテニスのことは「ピンパン球」という。
12.乗り合いライトバン。多分車の形がパンの形に似ているからだと思うが…。
13.プリクラ。
14.つまらない奴。日本に来た中国人が入場料表示で「大人200円 小人100円」とか見たらきっとビックリすることだろう。

<判定>
14-11:あなたの前世は孔子です。
11-8:あなたの前世は諸葛孔明です。
7-4:あなたの前世は鑑真です。
3-0:あなたの前世はゼンジー北京です。

ラベル:

.: posted by kazumoto 11:15 午前


「中国ハマリ度テスト」

以下の質問の答えがYesならそれぞれ加点・減点せよ。

1.中国(含台湾・香港)に行ったことがある。(+行った回数×10点)
2.行ったことはないが行ってみたいと思う。(+10点)
3.中華料理はフランス料理に勝ると思う。(+3点)
4.餃子といえば当然水餃子だ。焼くなんて邪道。(+10点)
5.2008年のオリンピックがどこでやるか知っている。(+3点)
6.現在の中国の人口がどれほどか知っている。(+5点)
7.「西遊記」「三国志」「水滸伝」「項羽と劉邦」を読んだことがある。(+読んだ本の数×5点)
8.体の調子が悪くなったらまず漢方に頼る。(+10点)
9.今着ているシャツはユニクロ製だ。(+3点)
10.少林寺拳法を習ったことがある。(+10点)
11.女子十二楽坊のCDを持っている。(+3点)
12.上野動物園でパンダを見たことがある。(+3点)
13.麻雀で役満であがったことがある。(+5点)
14.「731部隊」について知っている。(+10点)
15.チャイナドレスを着てみたいと思う。(あなたが女なら+10点、あなたが男なら-20点)
16.山崎豊子「大地の子」を読んで(あるいはドラマを見て)泣いた。(+20点)
17.「中日友好」という文字を見ると「ドラゴンズのファンクラブのこと?」と思ってしまう。(-20点)
18.「中国」という文字を見ると反射的に「広島県」「鳥取県」…と思ってしまう。(-30点)
19.30年くらい前のテレビドラマ「西遊記」で猪八戒に扮していたのは西田敏行だが、続編では配役が代わった。それが誰だか知っている。(+80点)
20.中国国歌が歌える。(+100点)
21.「ブルース・リー」というのは「青三号」つまり「ブルー1(ワン)、ブルー2(ツー)、ブルー3(スリー)」のことだと思っていたことがある。
あるいは「テレサ・テン」というのは「テレサ十号」つまり「テレサ1(ワン)、テレサ2(ツー)…、テレサ10(テン)」のことだと思っていたことがある。(-60点)
22.「知っている中国人」と言われて真っ先に思い浮かぶのはゼンジー北京だ。(-100点)

<注釈>
4.中国に餃子屋はそこら中にあるが、普通水餃子・蒸餃子で焼くのを出すのは極まれ。
5.もちろん北京。
6.公式発表は13億人、実際は14億15億とも…。
14.太平洋戦争中旧満州国で毒ガス兵器を開発していた部隊。未だに中国が日本の戦争責任を追及する最大の要因の一つ。
17.日本では「日中友好」だが中国では「中日友好」という。「早慶戦」と「慶早戦」みたいなものか。
19.左とん平。
22.自称広島県出身なので「中国人」と名乗ってもあながち出鱈目ではない。

<判定>
201点以上:ハマリ度100%。あなたこそ師父(マスター)!今すぐ中国行き片道航空券を買いに行きましょう!
151-200点:ハマリ度80%。師父まであとわずか!一度中国に留学してみてはいかが?
101-151点:ハマリ度60%。あなたなら次の休暇も中国旅行でしょうね。
51-100点:ハマリ度40%。中国・香港にも良質の映画がたくさんあります。お試しあれ。
1-50点:ハマリ度20%。近所のラーメン屋じゃなくて、本格的な中華料理を一度味わってみて下さい。
0点以下:ハマリ度0%。中国とは縁がないようです。来世で会いましょう。

<ちなみに>
自分でやってみたら、左とん平と国歌が効いて292点!

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.: posted by kazumoto 11:10 午前


「中国でホームステイ」

昆明にやって来た目的の一つに、3年前ここらを走ったときに知り合った中国人サイクリスト親子を訪ねることがあった。引っ越してしまって行方不明になっていることが心配されたが、実際引っ越してしまっていて探し出すのに四苦八苦したものの、何とか再会に成功。3年振りということで熱烈歓迎祝賀行事目白押しで、結局そのままそちらのお宅に10日間ほどホームステイさせてもらった。

……とここまで書いて思ったのだが、「ホームステイ」と英語で言うと「言葉の勉強と文化交流のためやってきました。オーそうですか!それは遠いところようこそ!」と歓迎ムードいっぱいなのに、これを日本語で「居候」と言ってしまうと「このお呼びでない無駄メシ食いめ、いったいいつまで居やがるんだ。とっとと帰りやがれ!」と、突然肩身の狭い、三杯目にはそっと出すような存在になってしまいますね。後者にならぬよう努力したいところです。

まあとにかく実際に現地の人と寝起きを共にするとやっぱり学ぶところは多いことを再確認しました。

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.: posted by kazumoto 10:00 午前


金曜日, 11月 18, 2005

「男の夢 休暇編」

私が男塾塾長江田島平八であある!
塾生たちの本体の学校が中間試験シーズンに入ったのでそっちに集中させるためしばらく男塾は休講にし、雲南省昆明に来ているのであある!
知人がここの大学に語学留学しているので、そのつてを使って中国語講座に参加しているのであある!(モグリ受講なのでタダ)
無論将来の男塾のライバル学校の敵情視察が真の目的であある!

だが・・・
そこでショーゲキを受けたのが、みんな高だか2ヶ月そこそこの勉強でペラペラ中国語を話していること。外国人相手だからといってまったく容赦することのない近所のおばちゃんの爆裂的中国語を必死に聞き取りつつ何ヶ月もかけてやっと身につけた私のレベルを遥かに凌駕していた。
それに教える方もプロだけあって、ポイントを押さえた無駄のないしかも興味の持てる内容の授業をやっている。
自分の話すレベルも教えるレベルもぜんぜんなってなかったのだなあ…と意気消沈。

お、いかん、ショックで言葉が普通になってしまった。
フム!
ここでの体験を生かし、男の夢実現に向けて江田島は更なる精進をすることを誓ったのであある!!

ラベル:

.: posted by kazumoto 7:06 午後


木曜日, 10月 20, 2005

「男の夢 その後」

私が男塾塾長江田島平八であある!
開塾以来3ヶ月が経ち、第一期塾生らが日検四級レベルに達したので(たった3ヶ月だけど本当だよ。塾長うんぬんより塾生らの努力と才能による)
そろそろ閉塾し元の旅人に戻ろうと思っていたのであある!
とその時、第2期・第3期塾生希望者が現れたのであある!
「NOと言えない日本人」である私は「次の年越しはラサで」
という目標をかなぐり捨てこのままここで老師生活を続けることを決めたのであある!

という訳で現在は、
正午・学生の部(初級)、午後・社会人の部(初級)、夕方・学生の部(中級)
の三部制でやっているのであある!
言うまでもなく塾生は女性限定であある!
男性が来ても門前払いであある!!!

以下求人広告:
日本語教師求ム。
条件:日本語堪能。漢字が書けること。年齢・国籍・性別・容姿一切問わず。
勤務場所:中国 広西省 龍勝鎮
待遇:時給0円。交通費・必要経費など一切支給せず。
希望者は以下まで。
kazumotomiwa@hotmail.com

ラベル:

.: posted by kazumoto 11:03 午前


金曜日, 9月 30, 2005

「タイクツな日々」

ここ龍勝は小さな町なので普段これといったイベントがなく基本的に退屈である。
だから火事でも起ころうものなら(実際あった)、めしの最中だろうが、赤んぼが泣き喚こうが、自分の家が火事になろうがとりあえず見に行かねば損だ!とばかりに大騒ぎになる。

そんなこの町で先日、町内バスケットボール大会に毛の生えたようなイベントがあった。
それでも滅多にない貴重なイベントなので開会式には獅子舞が出たり、民族舞踊があったりと主催者の気合が感じられる。

試合そのものは取りたてて述べることはないのだが、試合開始・終了の合図に「ジャーーーーーン!!!」と銅鑼が鳴らされたのがいかにも中国的。
表彰式の小姐がチャイナドレスだったのもGood!
中国バンザイ。

ラベル:

.: posted by kazumoto 1:51 午後


「生日快楽」

先日33歳の誕生日を中国で迎えました。
今年は女子高生に囲まれ祝ってもらい、幸薄き私の人生で最良の誕生日になりました。
塾生らが買ってきてくれた大きな誕生日ケーキは見た目も素晴らしいですが、味も見た目通りものすごく甘くて、甘党の私ですらウップとなるくらい。
でも塾生らも「甘すぎる」とブーブー言っていたので私の味覚はまだ狂っていないようです。

つまるところ何が言いたいかというと、ただの自慢です。
失礼いたしました。

ラベル:

.: posted by kazumoto 1:50 午後


「漢字テスト」

以下の中国語の意味を答えよ。

<初級>
1.麻雀 2.酒鬼 3.手球 4.平頭 5.雪人 6.火車 7.空中小姐
<中級>
8.手紙 9.自来水 10.太太 11.老婆 12.宝宝 13.百姓 14.手機
<上級>
15.暗算 16.三明治 17.一級方程式 18.巴西 19.黄色書 20.熊猫

<解答>
1.すずめ。マージャンは「麻将」と書く。
2.のんべえ。のんだくれ。
3.ハンドボール。「足球」はサッカーのこと。
4.角刈り。中国男性オフィシャルヘアスタイル。
5.雪だるま。
6.鉄道。
7.スチュワーデス。
8.トイレットペーパー。Letterのことは「信」と書く。
9.水道。
10.嫁さん。中国語の「太」にデブの意味はない。
11.これも嫁さん。謙譲の精神??
12.赤ちゃん。子は宝ですね。
13.一般庶民。もちろん放送禁止用語ではない。
14.携帯電話。
15.計略にはめること。中国で「暗算が得意です」と言うと友達を失います。
そらで計算することは「心算」という。
16.サンドイッチ。音の当て字。「サンミンジー」と読むのだが・・。
17.F1。フォーミュラワンの直訳ですね。
18.ブラジル。これも音の当て字。「バーシー」と読むのだが・・。
19.エロ本。中国のエロは桃色ではない。
20.パンダ。


<判定>
0-1:合格可能性20%以下。受験校の再考を要する。
2-4:あなたは横浜の中華街に行ったことがありますね。
5-7:あなたはチャイナドレスを着ている人に興味がありますね。
8-10:あなたは「少林寺三十六房」を見たことがありますね。
11-13:あなたは少林寺で修行したことがありますね。
14-16:あなたはサモ・ハン・キンポーですね。
17-19:あなたは毛沢東ですね。
20:一度専門の医師に看てもらうことを勧めます。

ラベル:

.: posted by kazumoto 1:47 午後


火曜日, 9月 13, 2005

「最近の生活」

私は今中国南部の龍勝という、端から端まで歩いて30分もかからない小さな山間の町にいます。
すでに2ヶ月近く経とうとしていますが、そんな何もない町で一体何をしているのだ?!と言う声は聞かないけどこっちから先に報告させていただきます。
無論最大の目的は日本語を教えることなんですが、それは夕方2時間(今は1.5時間)にすぎません。

まず午前。
今日やる授業のためのプリント作りと合間に話す小ネタ作り。
飽きられないような、難しくなりすぎないような、しかも有効で効率的な内容を考えるのは大変な作業ですが大変面白くもあります。
私のやっていることには「人生を教える」ようなことは含まれないのでその分お気楽ですが、本物の教師というのは更に大変な仕事なんだろうなあ、とつくづく感じさせられました。

午後は自らの中国語上達のための実地訓練。
といってもただその辺の暇そうな人と喋るだけです。
宿には喋り好き・世話好きのおばちゃんがいて、私の話す言葉をいちいち直してくれて大変ありがたく思っていたのですがその言葉はどう聞いても普通話(共通語)ではない。
この辺りの方言(桂林話)かな?と思っていたら更にそれを通り越して少数民族トン族の言葉でした。
という訳で最近は日・中・トンのトリリンガルです。

夕方は日本語のお勉強会。
そして夜はみんなでテーブルを囲んでの夕食です。

この前までは夏休み中で、バイトの若い人が住み込みで何人か働いていたのでよい話相手になってくれていたのですが、9月に入って皆復学してしまったため、話相手がいなくなり暇になってしまいました。
そこで老板(ボス)に「何か仕事を手伝わせてくれ」と頼み併設されているレストランの服務員になりました。
さっそくもっとも忙しい接客部門にまわされたのですが、客のオーダーが聞き取れないという致命的欠陥があることが判明、
わずか30分でクビ。
皿洗い兼掃除という誰でもできる部門に配置され今に至ります。
報酬は夕食無料招待。
その夕食は主にその日の残り食材で作られるので客の入りが悪いと魚ドーンの豪華食卓になるのですが、忙しい日には菜っ葉と肝だけの鍋だったりして巨大ポリバケツいっぱいに捨てられていく客の残飯(ブタの餌になる)の方がはるかに美味そうに思えることもあります。

こんな感じで毎日やってます。

ラベル:

.: posted by kazumoto 4:49 午後


「6月6日にUFOが・・・」

よく行く食堂で、おばちゃんが問う。
「あんたこの町に2ヶ月近くもいるけど一体何してんの?」
私答える。「フフフ、よくぞ聞いてくれました。
私はここで日本語『会話』を教えているのだ。しかも無料で。」
おばちゃん「アイヤー!それなら私達にも教えてちょーだいよ!」
私「もちろん歓迎光臨!」

そして数日後、本当におばちゃんはやって来た。
息子を連れて。
ちょうどその時授業中だったので、取り合えず今日のところは見学してもらうことにして2人を部屋に招き入れて内容の説明をする。
しかしなぜかおばちゃんらは「?」顔。
私の発音が悪いのかと思い、塾生に説明を頼む。
しばらくやり取りした後、おばちゃんと息子は恥ずかしそうに「ゴメンゴメン」と言って出ていってしまった。
塾生が「あのおばちゃんはここを『絵画』教室だと思って来たらしい」と言う。
なんでそんな勘違いが起きたのか塾生らも腑に落ちない様子で「おばちゃんになんて説明したの?」と聞く。
「ただ『会話』を教えている、と言っただけなんだけど・・・?」と話すと塾生一同「それだ!!!」

聞けば「会話」と「絵画」は「hui(下がりぎみ)hua(下がりぎみ)」でまったく同じ発音。
そこで勘違いが生じたようだ。
いわれて初めて気がついた。

中国語の漢字一文字が持つ発音は約400種。
それぞれに4種の抑揚があるので計1400種(ない発音がある)。
漢字2文字の組み合わせとなると単純に計算して
1400×1400=約200万通り。
わずか200万分の1の偶然に出くわすとは・・・。
おばちゃんゴメンネ。
お詫びの印に、今度日本の代表的絵画手法である「ドラえもんの絵描き歌」を伝授しようかと思っています。
まるかいてチョン!

ラベル:

.: posted by kazumoto 4:42 午後


「タコ社長」

情報の出所は忘れてしまったのだが、外国人(この場合は欧米人)が日本の文化を勉強しようと思い「男はつらいよ」を見たときに、必ず驚くことがあるという。
それは夕食のシーン。
寅さん達がちゃぶ台を囲んでいるところへ、ひょっこりタコ社長がやってくる。
すると寅さん「おうタコ社長!一緒にメシ食ってきやがれってんだべらぼうめ! 結構毛だらけ猫灰だらけ!」
タコ社長「はあ、それじゃあ遠慮なくお呼ばれしていこうかね」
・・・・・・
欧米人から見ると、明らかに食事をしているだろう時間帯にアポもなく訪れる失礼さもさる事ながら、それをあっさり受け入れてしまうというおおらかな文化に驚くらしい。
欧米では前もって日時を決め、招く側も招かれる側もそれなりの準備をして、というのが常識的であるからだ。

しかし残念ながら日本のこの古き良き文化も今ではほとんど絶滅してしまった。
でも!
中国の田舎ではまだしっかり健在であった!!

最近の夕食は毎日宿の一家と一緒にテーブルを囲んでいるのだけど、固定メンバー7人の他に、毎日必ず3・4人は部外者が混じっている。
それは親戚だったり、近所の人だったり、友達だったりで、つまり偶然そこにいた(あるいは来てしまった)人は何の遠慮もなく仲間に入れてもらえる訳だ。
中国の食事は大皿に盛られた料理をみんなでつつく方式なので数人増えようが、茶碗と箸を準備するだけでよくまことに都合がよい。
そしてこの輪に入れてもらえた時が中国を旅していて一番喜びを感じる時でもあるのだ。

ラベル:

.: posted by kazumoto 4:38 午後


木曜日, 9月 08, 2005

「ゆとり教育」

長い旅のせいで少々のことには動じなくなってしまった私であるが、最近久し振りにビックリタマゲタことがあった。
それは中国の教育スケジュールである。

うちの塾生らは、公立高校普通科の2年生なのだが、一日の授業は朝7:30から夜10:00まで。
うち昼と夕方に2時間ずつの食事休憩があるが実質はそれでも一日10時間授業・・・。
(日本語はその夕方休み中にやっている)
さらに驚くべきは、何と週休0日制!!
ただ土曜だけ夜の部がなくなる。
それ以外は一週間ビッチリ時間割は埋まっている。
週67時間、一ヶ月約300時間・・・。
年度末には2ヶ月の夏休みがあるが、うち40日は補講期間となり上記と同じスケジュール。
あとは旧正月と秋に数日ずつの休みがあるだけ。

日本では「ゆとり教育」とかでどんどん授業時間は減っていく傾向にあるのとはまったく正反対の教育方針。
どちらの方式が果たして有益なのか?
答えは20年、30年後に出るのかな?

ラベル:

.: posted by kazumoto 4:34 午後


木曜日, 9月 01, 2005

「犯人は誰だ?!」

私は今中国の100元札(=1300円)の偽札を持っている。
100元の偽札は国内に相当蔓延しているようなのだが、最高額紙幣がこの100元札なので、銀行で両替したとき以外は入手する機会はないはずだから自分とは無縁の話だろう、とまったく油断していた。
(銀行も信用ならん、という話も聞いたことがあるが・・・)

しかし金儲けしていなくても実際中国を旅すると100元札を入手する機会は結構ある。
というのは多くの中国の宿ではデポジットを必要とするので、チェックアウトの時の返金に100元札を受け取ることになるのだ。
私はまさにこのパターン(広州のユースでやられた!)。

国が保証して正札と取り替えてくれる、ような甘っちょろいことは中国ではしてくれないので一度手に入れてしまったら、ババ抜きの要領で誰か他人に押し付けるしかない。
しかしあまりにも有名なために誰もがこれでもかというくらい執拗にチェックするのでとても使う機会が見つからない。(一見わからないのだが、よくよく見るとかなりアラが目立つ)

つまりババ抜きといっても、中国人には裏の透けてみえるトランプで勝負しているようなものなので勝てるわけがない。
負の土産として諦めるしかなさそう。
恐らくチェックすることのない、チェックの仕方も知らない外国人は格好のターゲットだろう。

ここでフト思う。
偽札を作って儲かるのは果たして誰か?
狭い目で見れば、もちろん偽札を作った人らである。
しかし広ーーい目で見てみて、私のような愚かな外国人の手にすべて集結しているとすると・・・
これはほとんど元手のかからない外貨獲得になっているではないか!!
そうか!わかった!!
犯人は中国政府だ!
ここの政府なら涼しい顔してこれくらいのことやるね、絶対。

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.: posted by kazumoto 3:26 午後


月曜日, 8月 22, 2005

「日本人の利点」

日本人が中国人やその他多くの国の人に比べて、得だなー、と思う点は例えばちょっとアルバイトするだけで(他国に比べて)莫大な金が手に入る、世界中ほとんどの国のビザが簡単に取れる、などが挙げられる。
しかし今日本語を教えていて切に思うのは、この日本語という恐ろしく難解な言語を、誰もが全く苦労することなく自然と身につけてしまえる、ということこそ最たる利点ではないだろうか。

過去形について教えていたときのこと。
江田島:私が江田島平八であある!!
過去形は語尾を「た」にすればよいのであある!!
応用例!あなたは昨日何を食べたか?
塾生:私は昨日魚を食べました。
江田島:それは美味しかったか?
塾生:はい、それは美味しいでした。
江田島:いや、その場合は「美味しかったです」というべきであある!
塾生:でも塾長、過去形は語尾を「た」にするのでは?
江田島:こ、これは形容詞の過去形に丁寧語の「です」を
つけたものだからこれでいいの。
塾生:じゃあ、形容動詞の場合は?
形容詞と形容動詞の違いって何?
動詞とは述語のことじゃないの?
動詞とかは述語になるけど名詞とくっつくと主語になるのはなぜ?
動詞の活用形の見分けかたは?
文節と単語って何が違うの?
そもそも動詞とかはなんで活用しなければいけないの??
江田島:ううんと、えっと、それは、実に、かくかくしかじか、
つまり、何といいますか・・・・・・
はいっ、今日の授業はここまで!
あとは各自教科書を読んでおくように!

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.: posted by kazumoto 3:08 午後


「クレヨンしんちゃん」

クレヨンしんちゃんは中国でも「蝋筆小新」という名でテレビや漫画で人気者。
我が「男塾」の塾生も大ファン。
そのためベトナムに来た家族に、彼女らへのお土産として日本製の「クレヨンしんちゃん」を頼んでおいた。
そのベトナムから中国への帰路にて。

国境を越えてしばらくで、バスは検問のため停車。
車内に能面ヅラの公安が5人ばかり入ってきて
「今から全員の荷物検査をする」
私の番になり、ザックの中に詰められた小袋一つ一つの中身を説明してゆき、ある袋に手がかかったとき私は叫んだ。
「それは気をつけて!!」
危険物かと一瞬身を固くした公安が開けた袋に入っていたものは、
そう、「クレヨンしんちゃん」。

中国語で「気をつけて」は「小心」。
そして「しんちゃん」も「小新」で、発音は完璧に同じ。
このしょーもないダジャレに能面公安も苦笑してしまい、場は一転和んだものに。
あとで一緒にバスに乗っていたフランス人からも
「あの中国公安を笑わせるとは!ブラボー!ブラボー!」と大絶賛。
鼻が1cmほど高くなりました。

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.: posted by kazumoto 3:07 午後


木曜日, 7月 21, 2005

「男の夢」

数日前まで私は肩書き無き一介の風来坊でしたが、現在は何と「日本語教師」です。

3年前今いる町を訪れた時に知り合った少女たちは、今や華の女子高生。
その彼女らが日本語を教えてほしい、と言ってきたので日本語塾を開設したわけです。
一日2時間ずつ、日?土まで毎日。
授業料はもちろんタダで、教科書を買ってあげたり、授業後みんなで食事したりするので、台所は真っ赤っ赤に燃え上がっていますが時々塾生の家で夕食をごちそうになったりするので大丈夫です。

現在生徒は4名。
宿の部屋に招いて細々とやっています。
が、将来的には日本語検定一級合格率99%(バカは受験させない)、中国各都市に支部を置く巨大学校法人にしようと考えています。

ちなみに塾名はズバリ「魁!男塾」。
塾生には私のことを「江田島平八(ジャンティエンタオ-ピンバー)老師」と呼ばせています。

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.: posted by kazumoto 4:30 午後


水曜日, 7月 13, 2005

「三年大昔」

今私は3年前にこの旅を始めた時と全く同じルートを走っている。
当時お世話になった人々にもう一度会うためだ。
会った瞬間に思い出してくれる人、説明して思い出してくれる人、当時の写真を見せてやっと思い出してくれる人、いろいろいるけど、皆一様に喜んでくれ、歓待してくれる。
その笑顔を見るだけでも、厚い中ヒーコラ自転車漕いでやって来た苦労が報われる。

ただ今中国は大発展期にある。
3年前とは町の様子が跡形もないほどに変わってしまっていたり、新しい町が丸々一つ出来ていたりする。
古い建物は容赦なく壊され、ボロ宿が豪華ホテルに生まれ変わっていたりする。
そのためせっかく訪ねて行っても、たった3年間なのに当時を知る人が全くいなくて虚しく引き上げることもあった。

今の中国にとっては3年は一昔どころか大昔なのだ。

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.: posted by kazumoto 10:51 午後


「水は流れてどこどこゆくの」

6月、中国南部に大豪雨。
テレビでは最も被害の大きかった梧州という街を中心に
「200万人が家を失う100年に一度の大洪水」
と、気象庁の偉そうなオッサンが言っていた。
のち、その梧州を通ったが、街は2階まで水浸しで1階の店舗はほぼ壊滅していた。

この街は3年前にも訪れているのだが、実はその時にもこの街は大洪水で沈んでいて、私も実際その被害に遭っている。
私の記憶が正しければ、その時にもテレビでは「100年に一度の大洪水だ」と気象庁の偉そうなオッサンが言っていた。
この偉そうなオッサンの言うことが本当に正しければこの先200年はこんな大洪水は起こらないことになるね。
梧州、今が行き時だよ!
いらはい!いらはい!!

余談になるが、「200万人が家を失った」と報道されたわずか2日後。
テレビでは被災者にせっせと救援物資を手渡す人民解放軍の姿。
党の幹部らしき偉そうなオッサンが
「被災者の全ての生活は無事保障できた。問題は解決した!」
と誇らしげに語る姿。
被災者のジイさんが「本当に助かりました。ありがとうございます。」
と明らかに書かれた紙を棒読みする姿が映っていた。

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.: posted by kazumoto 10:49 午後


「国家機密」

広州のユースホステルは、その昔、列強が中国に進出した際の玄関島(長崎の出島みたいな)にある。
そのため各国領事館が今もそこにあるような所だ。

そこを同宿のナイジェリア人と歩いていた時のこと。
一人の中国人女性がトコトコと寄って来てそのナイジェリア人に手紙を渡した。
おいおいこんな所でラブレターの手渡しかい?!
しかし部屋に戻って中身を読んでみてビックリの内容。
その文面は中国語で書かれていたのだが…

「私は広州○○大学核研究所の教授です。
ここは保管状態が極めていい加減で、度々危険物が盗難に遭います。
犯人はおそらくこの大学の卒業生です。
警察に訴えても動いてくれず、逆に察知されて犯人に食事に毒を盛られそうになりました。
犯人は○○食品(中国で有名な大食品会社)にその毒をばら撒く危険性があります。
親愛なる正義感あふれるアメリカ大使館に訴えます。…」

つまりこの手紙の主は、我々が偶然アメリカ領事館前をフラフラ歩いていたのでナイジェリア人をアメリカ人の黒人だと勘違いし、渡してしまった訳だ。
何というトンマな…。

しかし事は重大である。
ちょうど同室にはアメリカ人旅行者がいて、彼に領事館へ持っていくよう言ってみるとコイツが典型的なアジア人蔑視型人間で
「そんならちょうど中国の人口が減っていいじゃん」
と相手にもならぬ。
して、そのナイジェリア人は
「こういうのはうちの国で申し出れば賞金がもらえるんだ。だから国へ持って帰る」と言う。
密告制度のことだろう。
しかし全編中国語で書いてあるこの手紙を果たしてナイジェリアでどうしようというのか??

中国人の皆さん、もし広州を中心に毒物混入事件が起こったならそれはバカアメリカ人とアホナイジェリア人に強く言えなかった私の責任です。
ゴメンナサイ。。。

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.: posted by kazumoto 9:29 午後


金曜日, 6月 24, 2005

「警戒水位」

広州は連日土砂降り。
私の宿のある地域は低地にあって、川の水位が上がると真っ先に浸水する。
先日は上流でダムが大放水し、1階ドミトリーの住人は4階のトリプルへ移動になった。
ラッキー。

広州は河口に位置するので、濁流押し寄せ、家が流され…という洪水ではなく、じわじわと水位が上がり、いつしか水浸しになって、そしていつしか水が引いている、といった感じの洪水なので街中は比較的のんびりしている。
腰まで水に浸かって記念撮影する若者とか、サドルのすぐ下まで水に浸かりながらも自転車こいでるオバさんとか、釣り糸たれているジイさんとか。

中国4千年の歴史の雄大さを感じてしまった。

ラベル:

.: posted by kazumoto 10:28 午後


「食は広州にあり」

(このコラムは毎度おなじみの白人悪口コラムですので、白人の方、および白人フリークの方は読むのをご遠慮ください)

身分不相応の中国大酒店から、身分相応のユースホステルに移った初日のこと。
入ったドミトリー8人部屋には私以外全員白人(アメリカ人多し)。
話の流れで皆と一緒に夕飯を食いに行くことになってしまった(本当はいやだったが我輩の辞書にNOの文字はないので)。

どうせスパゲティーでも食いに行くのだろうと思ったら、意外にも中華へ。
でもそこは英語メニューのあるような外人向けの店なのでローカル店の3倍ぐらいの値段。
高いなー、とは思ったが人数がいるのでいろいろな料理が食べられるからまあいいか、と納得し、他の人が何を選ぶか聞いてみた。
するとなんということか!
皆ソバとか粥とかを注文するではないか!
まあこの点に関しては、白人が料理をシェアするするという事が嫌いであり、2人の白人がそれぞれ大盛りのチャーハンを一皿ずつ頼んで食ってる、しかも食いきれずに残す、という真に滑稽な姿をよく見ていたので
納得できないでもなかったが、
さらに驚かされたのは皆「肉抜き」を頼んでいたことだった。
どうやら「SARS」を恐れてのことらしいのだが「食は広州にあり」といわれるこの地で、何も病人食のような菜っ葉だけの浮いたソバなんか食わなくても…

以上のことは超健康志向の彼らの性格を考慮し、2億4千万歩譲って納得してやろう。
それにしてもこんな少量の飯で彼らは満足できるのだろうか??
疑問は部屋に戻ってから解けた。
満たされぬ腹をポテトチップスとコーラで満たしていたのだった。

私は包子(肉まん)を食べるために一人夜の街に出た。
肉汁滴るそれをかじりながら思った。
「丈夫な子に育ちやがれ!!」

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.: posted by kazumoto 10:19 午後


火曜日, 6月 21, 2005

「反日デモ」

数ヶ月前から新聞紙上をにぎわしている中国各地で起こった反日デモ。
かなり長引く状況に、行く前は相当ビビっていて、しばらく延期するか…とも考えたのだが結局来てしまった。

ここ広州も激しいデモのあった都市の一つ。
街に出て食事や買い物をするとき中国語を駆使し、日本人と悟られぬよう試みるが…。
一秒で外人とばれてしまう。

「アンタどこの国の人?」
「に、日本なんだけど…」
「なんだあ、ヤップン(広東語で日本のこと)だったのかあ!
 ようこそようこそ!日本大好き!一度行ってみたいなあ!」

あ、あれ??
日本に対する激しい抗議デモはいったい??
大使館や日系企業への投石は??

そういうことがあったのは事実。
でもそうでない方が大部分。
今年のGWは一万人以上が中国旅行をキャンセルしたとか。
SARSの時もそうだったが、日本人は報道に過剰に反応しすぎのような気が…
まあこれはオイルショックのトイレットペーパー以来の日本人の特性なのかも。

ラベル:

.: posted by kazumoto 7:16 午後


「禁臭席つくれ」

その中国大酒店での朝。
朝食ビュッフェ、すがすがしい朝を満喫しようと、窓側の禁煙席に座り納豆ご飯などをいただいていた。
そこへどやどやと白人おばさんの一団が来て私の周りに座った(AirFranceのクルーだった)。
すると辺り一帯からシャネルの5番と6番と7番と8番と9番と10番と11番を混ぜたようなすさまじい香水臭がたちこめ、納豆臭をもかき消す、まるで芳香剤の充満したトイレの中でメシ食っているような状態になってしまった。

今日も一日頑張るぞっと。

ラベル:

.: posted by kazumoto 7:15 午後


「星星星星星」

広州で働いている知り合いの方に、前もって向かうことを伝えておくと、
「豪華ホテルに泊まらせてやるぞ!ドーンと来い!」
とおっしゃるので、ドーンと向かった。
予約されたのは広州一といわれるマリオット系の中国大酒店。
「大酒店」と聞いたときからイヤーな予感はしていたのだが、現実はそれを上回っていた。

広州到着。
ホテルを探し、一般道からロビーへ向かう進入路に入ったとたん、サッと警備員が道をふさぎ、
「ここはお前のような貧乏人が来るところじゃねーんだ!すぐさまうせろ!」
「私は客で、もう予約も済んでいます」
といくら言っても
「とにかく出て行け!すぐ消えろ!!」

何とかそこは切り抜けロビー前まで来たが、再び3人の警備員がダッシュで駆け寄ってきて
「何だテメーは!さっさと出て行け!今すぐ出て行け!!」
と猛烈な勢いで怒鳴り散らす。
いくら説明してもまったく聞く耳もたず。
取り付く島もない、とはこういう状態のことを言うのだろう。
玄関前でモメているのを見た英語のできる人が来て、日本旅券をちらつかせてようやくのこと納得してもらえたのだが…。

資本主義っていやですね。
マルクス万歳。

ラベル:

.: posted by kazumoto 7:13 午後


火曜日, 6月 14, 2005

「さらばシンガポール」

シンガポール在住の皆さん、及びシンガポールフリークの皆さんには申し訳ないですが、シンガポールははっきり言ってつまらない。
空港を出て「いやー、外国にやって来たなあ!」という感激の度合いを例えばインド・エジプト辺りを100、日本を0(自国なので)とすると、シンガポールは「2」程度だろう。
街並み(日系デパート多し)、人々の顔つき(中国系多し)、交通(日本車多し)…。
私の場合、旅の途中、しかもインドからの渡航だったのでそれまでとあまりに違う世界にそれなりに驚きもしたが、日本からここだけのためにやってきた人は果たしてどう感じるのだろうか?

そんな訳でまあ特に感想もなくこの国を去ることになるだろうな、
と思っていた最終日の地下鉄で。
私の横にインド人の少女が座っていた。
ある駅で中国人のおばあちゃんが乗ってきた。
するとすかさずインド人少女はその中国ばあちゃんに席を譲った。
降りる時おばあちゃんはその少女に何度も「謝謝」と言っていた。
彼らの元々の国(インドと中国)ではまずお目にかかることのできない光景である。
さすが文化もマナーも先進国シンガポール、ちょっと心が温かくなったような気がした。

ラベル:

.: posted by kazumoto 1:37 午後


「J・A・P!」

シンガポールでは観光らしきことはせず、特に目的も決めずブラブラ歩いているだけで何かしら無料イベントとかやっていてそれなりに楽しめた。
だが一ヶ所だけ自ら望んで行った所がある。
それは太平洋戦争当時の日本軍の作った俘虜収容所跡地に建てられた博物館。
小さな建物だが、中には日本兵の行った捕虜への残虐な行為を数々の写真(さらし首とか銃殺とか)で示してありブルーな気分になる。
しかし以前韓国の同様の博物館でもかなりブルーになったが、ブルー度はいまいちである。
どうしてかな?
少し考えてわかった。
あれは「韓国に建てられた韓国人による韓国人のための博物館」だった。
しかしここは「シンガポールに建てられた英国人による英国人のための博物館」であり、多数の被害者を出したはずの地元中国人やマレー人、インド人は無視されていた。

展示物の中に日本軍を風刺した漫画があるのだが、ビックリしたのはその説明文で
「路面電車の出口から小便をする"JAP"」とか
「夜な夜なジキジキハウスで楽しむ"JAP"」とか
「戦争初期は太っていたが末期はガリガリになった"JAP"」とか
とにかく『JAP』のオンパレードなのだ。
いくら日本軍の悪行の博物館とはいえ、公共のこの場で「JAP」連発はあまりに酷いのでは…。
日本で政治家がたとえ弾みでも「バカチョンカメラ」とでも言おうものならテポドンが200発ぐらい飛んできそうなものだが…。
日本大使館は抗議できないのかな?

戦勝国の優越感+敗戦国の引け目+日本独特の遠慮。
おそらく永久にこのままだろう。
入り口に掲げられたスローガン。
「忘れてはならぬ。ジャップの行為を。」

ラベル:

.: posted by kazumoto 1:34 午後


火曜日, 6月 07, 2005

「幅5mmの攻防」

9年5ヶ月前に作ったパスポートの期限が迫ってきた。
このあと中国の1年ビザを取りたいと思っているので、ここシンガポールで更新の手続きをしなくてはならない。
日本大使館のパスポート窓口で順番を待つ。
ハンコの並んだパスポートをペラペラやりながら9年5ヶ月前の東京有楽町のパスポート発行センターでの
出来事を思い出していた。

長い行列待ちの後、やっと順番が来て必要書類と写真を差し出した。
すると窓口の男は写真に定規を当てて冷たく言った。
「頭の上の空白が4mmしかなく『1mm』足りませんね。駅前で撮り直してきてください。」
ウブだったオレは体制に反抗する、というすべを知らず、なぜ1mmくらい…と思いながらも言われるままに
写真を撮り直していた。
しかしその反抗の思いは表情に現れていた。
今自分で見ても「これは本当に自分か?!」と疑うようなムッとした顔で写っているのだ。
おかげで時々各国の入国の際、本物と写真の顔をかなり比べられる。

話は現在のシンガポールに戻る。
あの時と同様、手には必要書類と写真。
その写真は前にバングラデシュの写真館で撮ったものだったがどう見ても頭の上の空白が3mmくらいしかない。
順番が来てオレはそれを差し出した。
係の女はやっぱり写真に定規を当てシブイ顔をして言った。
「ちょっと上の空白が…」

だがオレはもうあの時のようにウブではない。
都合30カ国以上、10年のうち4年間は海外にいて、幾多の困難をくぐり抜けてきた旅のプロだ、猛者だ、
達人だ、つわものだ、やり手だ、巧者だ、老師だ、先生だ、ティーチャーだ、マスターだ、導師だ、グルだ。

オレはニコヤカな笑顔で言った。
「そんな固いこと言わないで下さいよ」
女は「ちょっとお持ちください」と言って奥へ入っていった。
上司に相談しているのだろうか。
そして戻って来た彼女もニコヤカに言った。
「これでも大丈夫です」

旅は人を一回りも二回りも大きくさせるものだ。

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.: posted by kazumoto 3:58 午後


「マーライオン」

旅人の間で語られる話の中に「世界3大ガッカリ」というのがある。
これは、有名なのでわざわざ見に行ってみたが、あまりの小ささにガッカリさせられるもの、のこと。
その一つがシンガポールのマーライオン。
見に行ってみたが、「小さい小さい」と言われ続けてどんなに小さいものか期待してしまったため、それなりに大きくて逆の逆にガッカリさせられてしまった。

ちなみに残り2つのガッカリはコペンハーゲンの人魚姫像とどこぞやの小便小僧、というのが定説だが、エジプトのスフィンクスとかオーストラリアのオペラハウスという人もいる。

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.: posted by kazumoto 3:41 午後


「タバコの吸いすぎは体に毒です」

シンガポールの物価は日本の半額程度で、香港並み、といった感じか。
税率のせいだろう、酒は日本と同じくらいの値段。
更に凄いのがタバコで、一箱700円もする。
凄いのは値段だけじゃなくて、各パッケージには
「タバコを吸うと肺が真っ黒になります」と書かれた肺の写真とか
「歯茎がヤニで真っ黒です」の口内写真とか
「母体がタバコを吸うと胎児が死にます」の赤ちゃんの写真とか
「肺ガンになるとメチャ苦しいです」の手術中の写真とか
「家族は大迷惑です」の吹かすパパと苦しがる妻と子供の写真とか。

かなりエグイ写真のオンパレードで、パッケージコレクター及び人体写真コレクターにとっては収集家魂をゆすぶられること間違いなし。
たとえ一箱700円でも買い揃えずにはおれないだろう。
シンガポール政府のタバコ政策アッパレなり。

ラベル:

.: posted by kazumoto 3:36 午後


「ショッピングと私」

シンガポールの街。
デパートにショッピングコンプレックス。
世界各国の味が楽しめるレストランの数々。
東京と全く変わらない。
いや、加えて中華街、アラブ街、インド街。
東京以上の密度でありとあらゆるものが揃っている。
日系デパートもある。
地下には巨大スーパー。
日本コーナーには醤油・味噌・お茶にお菓子。
何でもある。

でも。
店内をくまなく眺め歩き、たこ焼き・寿司・牛丼の並ぶ食堂街をやり過ごし、結局何一つ買うことなく出てしまった。
別に何を欲しいとも食べたいとも感じなかったのだ。
その後中華屋台でそばをすすりながら、自分では思いも寄らぬ自分自身の行動に自らが一番驚いていた。
長い旅の中にいたせいで頭のネジが一本抜けてしまったのではないか?
もう日本の生活には馴染むことが出来ないのではないか?
本気で心配になった。

だが。
そんなはずはないのだ。
だってついこの前までいたインドではカレー地獄の毎日にとりあえず何でもいいから他の味付けのものが食べたい!
と思い続けていたし、お菓子屋に並ぶスパイシー味だらけのポテトチップを見てはイカ姿フライ(5枚100円)や歌舞伎揚げの味を思い出し、口内に唾液をためていたのだから。

しかし。
このように「そんなに言うならこれでどうだ!文句はねーだろ!!ドドーン!!!」
と並べ立てられてしまうと、目移りして、クラクラして、もうそれだけでお腹いっぱい、勘弁してください、となってしまったようだ。

きっと。
西チベットのど真ん中にたこ焼き屋台がポツンと一軒あったなら、側にテントを張り10連泊してたこ焼きを食べ続けたことだろう。
バングラの片田舎に「寿がきや・バングラ片田舎店」があったならビザを延長してでも毎日通って肉卵入りラーメンを食べ、食後にはクリームぜんざいを注文することだろう。
(名古屋の人しか分からんネタでスマン)

手の届くところにないからそれが買いたくなる。
購買欲とはそういうものなのかも。

ラベル:

.: posted by kazumoto 3:26 午後


「罪と罰」

以前バングラデシュで会ったシンガポール人の友人が空港に迎えに来てくれた。
再会を祝し、彼のために買ってきたバングラタバコで一服しようとバッグから取り出した。
すると彼が「ダメだダメだ!しまうのだ!」と血相変える。
聞けばシンガポールはタバコの持ち込みは一切免税されず、町中で海外製品を吸っていると警察ににらまれるらしい。

服をあまり身につけていない人の写真がいっぱい載っている本も持ち込み禁止らしく、なぜだか私の鞄には
そんな本が入っていたりして、もし税関チェックがあったらヤバイところだった。

シンガポールといえば、ゴミポイ捨てには多額の罰金とか、麻薬持ち込み即死刑とかは有名だが、まだまだ私の知らないルールがいくらでもありそう。
道徳に反するような行為、他人が不快に感ずるような行為にはどんな罰が待っているか分からない。
エスカレーターの右側を塞いだら逆さ吊りの刑、
ガラスを爪でキーとやったら両腕切り落としの刑、
エレベーターの中で屁をこいたらムチ打ち100回の刑、
会議中に欠伸をしたら36ヶ月50%給料カットの刑、
なんてのもあるかもしれない。

いやはや、小心者にとっては心臓に悪い国ですな。

ラベル:

.: posted by kazumoto 3:23 午後


「そして奇跡は起こった」

もう一台のカメラは長年愛用しているオリンパスのミュー・ズーム。
いわゆる普通の「バカチョンカメラ」というやつだ。

3ヶ月前インドのホーリー祭の時。
この祭りは色水をぶっ掛けあう狂った祭りである、というのは以前ここに書いた。
その色水はプラスチック製品や衣類に強力に浸透してしまって色が取れなくなるので宿の屋上で色水を掛け合う前に、ビニール袋の中にカメラと身に着けていたお守りの品々を外して入れておいたのだ。

ビシャビシャギャーギャーやっていたその時、一匹の大きなサルがノソッと寄って来てその大切なビニール袋を強奪してしまった。
ワーワー追っかけてもサルは屋根から木へとヒョイヒョイ飛び移ってしまって手が出せない。
サルは悠々と袋の中を調べるが、食べ物がないと知るとアッサリその袋を放棄してしまった。
といってもそこは地上5階に匹敵する木の上。
あわれ私のカメラの入った袋は(重力加速度)×(地上に達するまでの時間)のスピードで地面に叩きつけられた…。

気を失いそうになる身を立て直し、ダッシュで階段を駆け下り、頑丈に施錠してある扉を「緊急事態だ!すぐ開けろ!!」と開けさせ、袋の所へ駆け寄る。
袋の中にはグチャグチャに潰れたカメラの残骸が……なかった。
プラスチック製のスライド式レンズカバーが割れて外れていたが、他は何にも問題なく作動する。
地上15mから落下してこれだけの損害で済むのか?!
そんなことってあるのか?!?!

しかし、同じく袋の中に入れてあった、以前チベットのラサを発つ時もらった石の腕輪がグシャッと潰されたようにひしゃげていた。
チベットのお寺で買った木製の数珠に傷がついていた。
この2つがクッションとなりカメラを守ってくれたというのか?!

今でもそのカメラはレンズカバーはないものの何の支障もなく写真を撮り続けている。
チベットの神様、ありがとう。
オリンパスの方々、ちょっとの間でもミノルタに浮気してしまった私をお許しください。
それ以降チベットとオリンパスの方向には足を向けて寝られない。
なるべくミノルタの方向に足を向けて寝るようにしている。

ラベル: ,

.: posted by kazumoto 3:19 午後


「何のためにここまで来たのか…」

今回私がメインに使用しているカメラはミノルタのTC-1。
いわゆる「高級コンパクトカメラ」というやつで定価は驚きのぢうご万円(中古で買ったので本当の買値は5万円だが)。
でも西チベットを越えてネパールに下りてきた時点で、まるで役目を終えたかのようにアッサリ動かなくなってしまった。
落とした訳でも、水につけた訳でもないのに…。
まあ始終振動の中にあるので止むを得ないのかもしれないが、あまりに弱すぎる。
しかしとりあえず修理しなくては、とインド周辺で探したところ、シンガポールにサービスセンターがあった。
事前にインドから国際電話で
「TC-1の修理をそちらで受け付けてくれるか?」
と聞いておいた。
返事は「もちろんOK」。
それで今シンガポールに来ているわけだ。

で、早速サービスセンターに行ってきた。
受付の小姐にカメラを渡し、状態を説明した。
中に入って1分後、小姐の口から出た言葉は、
「このカメラのパーツはここにはないので日本へ一旦送り修理することになるため1ヶ月ほどかかります。料金は2万円です。」
な、なにーーー!!!
料金の高いことは覚悟していたのでよい。
ただ問題は「1ヶ月」という期間だった。
このシンガポールで1ヶ月も耐えることはとても出来ない。
それに遅くとも1ヵ月後には中国に居なくてはならない大切な用事があるのだ。
その条件で修理を依頼するわけにはいかなかった。

失意の中、呆然として考える。
一体何のためにここまで来たのか…。
高い飛行機代まで払って…。(前項参照)
確かに受付小姐が電話で「受け付ける」言った話は間違ってはいないので彼女は責められない。
悪いのはもっと詳しく聞かなかった自分なのだから。
やり場のない怒りと激しい後悔で
「てめえのバカさ加減には父ちゃん情けなくて涙出てくらい!!」
(byあばれはっちゃくの親父)
と自ら壁に体当たりしブリキのたらいを頭上から落としたりしてみても結局はあとの祭り。

でも救いはあった。
実はもう一台、スペアのカメラを持っているのだ。
しかしそのカメラも3ヶ月前、絶体絶命の危機にさらされたことがあった…。(つづく)

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.: posted by kazumoto 3:16 午後


「自転車空輸」

よく聞かれる質問。
「自転車を飛行機に載せる時お金取られるんですか?」
答えは「NO」。
タイヤを外して梱包すれば、一般の預け荷物と同じ扱いとなる。
ただし引っ掛かってくるのは重量の方。
自転車本体だけなら15kgぐらいだが、諸々の付属品があるため。
アジア便エコノミー客は原則20kgまで。
25kgまでなら何も言われずに受け取ってくれ、
25-30kgだとちょっとシブイ顔をされるが「頼む!」で切り抜け、
30kgを超えると「減らせ」と言われ機内持ち込みに移す、
というのが今までのチェックインのパターンだった。
チェックインカウンターで秤に巨大な輪行バッグを載せるときは減量に失敗したボクサーの計量のような心境となり、揺れる数字を見ながら「頼む、30kgを超えないでくれ…」と祈るような心境になる。

で今回カルカッタ空港にて。
生意気にもシンガポール航空を選んだ私はカウンターに並んだ。
自分の番が来て、カートから輪行バッグを持ち上げる。
その時今まで持ったことのないとてつもない重量を両腕に感じた。
揺れが止まったデジタル数字が示したのは
「38.9kg」
係員、ため息一つ。「重すぎる」
私、引きつり顔で。「て、手荷物に移しますから…」

しかし、カウンターの陰には既に重量級の荷物でいっぱいの45Lのザック。アッサリ係員に見つかり
「これはデカ過ぎる。機内に持ち込むのは許さん。これも預け荷物にせよ。」
ドーン。
更に14kg。加えて52kg。弁解の余地なし。
示された超過重量代金、痛恨の160USドル。
「我々シンガポール航空は英国航空に準じた厳しいルールの元で運営しております。規則ですので払っていただかなければお客様を機内にご案内するわけにはまいりません」
インド人とは思えぬテキパキした反応の能面のような男が話す。
私はこの時ほど、機体はオンボロでサービスは最悪だが、規則はナアナアのアエロフロートやエアインディアを恋しく思ったことはない。

しかし私は戦った。
平身低頭、額の皮が剥けるほどカウンターに頭を擦りつけ30分ほど戦った。
戦果は多少あった。
160ドル→120ドル。
だが元々のチケット代330ドルと加えて計450ドル。
4時間のフライトに5か月分のインド生活費が吹っ飛んだ。
こうなったら機内でビール150本飲んで元を取ってやる!!
…つもりだったが9ヶ月ぶりのアルコールのせいで1本飲んだだけでフワフワになってしまっていた…。

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.: posted by kazumoto 3:12 午後


「シンガポールに来ました」

インドから中国へ…の間にシンガポールに立ち寄っています。
明らかに私などお呼びでないこの国になぜ来てしまったのか?
理由は3つ。
1.カメラの修理
2.パスポートの更新
3.シンガポール人の友人に会う

カルカッタから更に南へ3000kmの赤道直下。
そして周りは海。
カルカッタが地獄の蒸し暑さだっただけに、これは間違いなく熱死するな、と思っていたのですが、とんでもない。
昼間せいぜい30度止まり。
意外にもカルカッタに比べて全然乾燥していて、日本の夏なんかよりはるかに心地よい。
夜などファンだけでちょうどいい感じ。

しかし今までいた国とはあまりにもかけ離れた超文明的世界に逆カルチャーショックを受けてしまっています。

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.: posted by kazumoto 3:09 午後


金曜日, 6月 03, 2005

「スターウォーズと私」

「スターウォーズ・エピソード3」をカルカッタで観てきました。
ヒンディー語あるいはベンガル語吹き替えで、ユアン・マグレガーが「チョロ!(行くぞ)」とか「アッチャー!(よし)」とか言うのを期待していったのですが、さすがここは国際都市カルカッタ。
英語そのまんまでした。
そのせいかヒンディードンチャカ映画を見に来るような客層とちょっと違った
「ワシら英語も理解できるハイクラスですねん。忙しい身でんねんから、携帯電話は手放せまへん。」
といった人が多く、劇中ひっきりなしにあちこちで液晶画面がピカピカ光り、その度にロビーに出て行くので気が散って仕方がないですねん。

思い起こせば8年前、マーク・ハミル主演の「スターウォーズ・エピソード4・5・6」のデジタル再処理版(アラビア語吹き替え)は全てエジプトで観て、「エピソード1」(英語+日本語字幕)だけは日本で観たものの、
「エピソード2」はニューヨーク(英語)と中国(中国語吹き替え)で。
そして今回「3」はインド(英語)。
私の旅には何故かスターウォーズがつきまとっているようで。

しかしながら「1・2・3」の最重要テーマである
「なぜダースベーダーはダークサイドにはしってしまったか?」
は結局理解できずじまい・・・。
オソマツ。

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.: posted by kazumoto 6:25 午後


水曜日, 6月 01, 2005

「コレクター」

私はどの国に行っても記念の土産を買うことはまずないのだが、その代わりに集めているものがある。
それは各国のお札・コイン。
お札のデザインにはその国の代表的建造物、歴史に残る代表的人物が描かれ、よくよく細部までじっくり見るとかなり美しく楽しい。
自分の行った国は勿論、知人が私の行ってない国へ行くときには土産に持ち帰ってもらったりして、今までに集めた分が50ヶ国くらい。

先日ちょいとブータンまで行ってきたのもお札集めのため。
ブータンのお札はどれも多色刷りでまれに見る美しさ。
他のお気に入りは、エジプトの遺跡シリーズ、ネパールの動物シリーズ、一昔前の中国の多民族シリーズ(今は全部毛沢東になってしまった)。
王国の発行するお札の肖像は全額面王様。
バングラデシュは政権交代の度にお札が変わるので、同じ10Tkでも色も大きさもデザインも全く異なる札が5種類もあり混乱の極み。
香港は3つの銀行が札を発行していてこれも混乱を招く。
コレクションしきらないうちに多種多様あったヨーロッパの通貨は味も素っ気もないデザインのユーロに変わってしまった。

しかし何といっても世界でもっともつまらなく、集める気にもならないデザインのお札は米ドルだろう。
1ドルから100ドルまで色も大きさも全て同じの単色刷り。
この世界一シケプーなお札が世界一信用がある、というのも皮肉な話だが・・・。

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.: posted by kazumoto 10:53 午後


「ブータンへ」

「ブータン」と聞いて、ああ、あそこにあって、首都はティンプーね、と即答できる人は少ないのではないでしょうか。
ブータンは中国(チベット)とネパールとインドとバングラデシュに囲まれるようにひっそりと存在するチベット仏教を信仰する山国です。
半鎖国政策をとっていて、入国しようと思ったら一日に付き240ドル(!)のビザ代を払わねばならないので、貧乏旅行者には縁のないところですが、1ヶ所だけインドと国境を接する町が開放されているのでそこへ行ってきました。

そこは1つの町を横切るように国境線が引かれ、「ブータン版ベルリンの壁」とも言うべき幅2mくらいのドブ川が国境となっています。
若者はジャンプで飛び越えたりしていますが、町の中心にはちゃんとしたゲートがあって普通はそこを通ります。
地元民も外国人も何のチェックも無く自由に行き来しているのでインド側にモンゴロイド顔のブータン人やチベット僧がいたり、ブータン側にサリーのインド人がいたり、混ぜん一体となっている感じでどちらがどちらというような堅苦しいことはあまり感じません。

ただ、町で店に並ぶ品々を比較すると、国力の歴然たる差、というものを感じます。
しかし唯一、インド側には無くて、ブータン側にはこれでもか、とある品があります。
それは「酒」。
インドの食堂にはコーラやファンタが並べられていますが、ブータンの食堂にはビールにウイスキー。
スーパーマーケットでも冷えたビールが・・・
そういえばここ9ヶ月ほどアルコールは口にしていなかったなあ・・・。

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.: posted by kazumoto 10:51 午後


土曜日, 5月 28, 2005

「交通ルールを守ろう!」

カルカッタの街を自転車で走っていて、とある大きな交差点を渡ろうとしていた時のこと。
車の流れが一瞬なくなり、待っていた人がいっせいに渡り始める。
私もそれに続いて移動し、間もなく反対側の歩道へたどり着く、その時だった。

突然一人の男が私の自転車をガシッと掴み車道の方に引きずり出そうとする。
一瞬自転車泥棒かと思った。
しかし白昼堂々、周りには何十人も見ている中だ。
どうもそうではない。
途切れていた車の流れがまた迫ってきたのでとりあえず歩道につけたかったのだが、その男は執拗に食い下がって、なにやら大きな声でわめき続けている。
その声の中に「ポリス!ポリス!」というのが聞こえた。
向こうに交通ポリスの姿が見える。
そこでピンときた。
この男は信号無視した人を捕まえ、警察に引っ立てる役なのだ。
というと「春の交通安全週間、取り締まり実施中!」みたいだが、ようはポリとグルになってとった罰金(ワイロ)のおこぼれをいただこうという算段なのだろう。
インド警官の腐敗ぶりはこと有名なので、これはマズイことになった・・・
と思ったが、ポリのほうは私のほうをチラと見て外人なので面倒だと思ったのかすぐどこかへ行ってしまったが、その男だけはしつこくわめき続けた。
でもポリがいなけりゃこっちのもの。
弾みでブレーキのスプリングが外れたので
「お前のせいで自転車が壊れたじゃないか!」
と仰々しく自転車をひっくり返し、タイヤを外し大修理・・・
を見せかけているうち、男も諦めてどっかに行ってしまった。

道路上で私らがギャーギャーもめている間、周りの人はじっと見守るだけだったが(警察絡みなので止むを得ないだろう)、開放されたのを見ると「可哀想に、災難だったね、これからは気をつけなよ、ウンウン」と慰めてくれる。

信号無視したことは事実なので弁解の余地はないのだがこの国では渡らない方がおかしいし、誰もが、警官までもがそうしている。
バングラデシュ、インドの悪徳警官の話はこれでもか、というくらい聞かされてきただけに自分が危うくその被害を被りそうになり肝を冷やした。

赤信号はみんなで渡っても怖いときがあるのだ。

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.: posted by kazumoto 6:54 午後


「経済学入門」

ここら辺りの国には、お金には大変興味はあるものの、経済にはいまいち暗い、という人がたくさんいる。
そういう人らとの代表的な会話例。

インド人:1米ドルは40ルピーで、1英ポンドは80ルピーだ。で、1日本円は何ルピーになるのだ?
私:0.4ルピーくらいですね。
インド人:そんなバカな!日本円がそんな安いわけないじゃないか!

この彼の言い分の根底にある理論は「通貨単位1」の持つ価値は、それぞれの国において同じである、というところにある。
つまり、インドで1ルピーで買えるのは飴玉2つだが、アメリカで1ドル払っても、イギリスで1ポンド払っても、ヨーロッパで1ユーロ払っても、日本で1円払っても、中国で1元払っても、タイで1バーツ払っても、サウジアラビアで1リエル払っても、買えるのは飴玉2つでなければならない。
そして1米ドル=40インドルピーというこの40倍の差がその国の経済力の差である、という考えにつながっていく。
だから世界で一番強い通貨は80倍の差がある英ポンドであり、日本円も、1円=0.4ルピーではなく60ルピーくらいあって当然なわけだ。
その考えでいくと、超インフレ国家トルコの経済力はインドの1千万分の1くらいしかないことになってしまう。
哀れトルコ国民よ。。

このとんでもない勘違いをしている人々は驚くほど多く、いろいろな人と話した感触からして、インド10億人のうち8億人はそう思っているだろう。
バングラ1.5億人のうち1.2億人はそう思っているだろう。

彼らに1円は間違いなく0.4ルピーの価値しかないことをわからせてやりたいのだが、そのためには「現地語で」間違いを説明する、というとてつもない難題を越えなければならない。
だから私はこう言ってしまうのだ。
「ごめん、私が勘違いしていたよ。1円は60ルピーだった・・・・」

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.: posted by kazumoto 6:51 午後


水曜日, 5月 18, 2005

「今日の外電」

5月15日午後3時ごろ、バングラデシュ中部の込み合う渡河フェリー内で日本人旅行者Mさん(32)がスリの被害に遭った。
被害総額は、現金約1000円。
現地では約5日分の滞在費に相当する巨額なダメージだけに当人はかなりのショックを受けている模様。
コメントからもその深刻さが窺える。
Mさん談「後々考えてみれば10人がかりで仕組まれた巧妙な罠に見事にハマった感じですね。それにしてもあまりに鮮やかな手口で、全く気が付きませんでした。」
(ロイター発共同)

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.: posted by kazumoto 12:50 午前


「ケケケの毛太郎」

その大学でのこと。
バングラデシュの男たちは普段家の中ではルンギ(巻きスカート)一丁で上半身は裸、というラフなスタイル。
学生寮内でもそれは同じ。
だから私もルンギ一丁でいた。
するとある学生が
「オー!ワキゲモジャモジャ、ソレヨクナイ!」と叫ぶ。
聞けばバングラ男は脇毛は剃るのがマナーらしい。

後日、ある床屋でウダウダしていたらヒゲを剃りに来た男が
「おう、ついでに脇もあたってくれるかい?」
って感じで、おもむろに上半身裸になり腕を上げてジョリジョリ剃ってもらうのを目撃してしまった。
床屋も冥利に尽きるだろう。

ずっと以前、トルコのハマム(蒸し風呂)に行った時、垢すりを頼んだら三助が同様に
「オーワキゲモジャモジャ!ドウスル?」
と叫んだので、丁重に断った。
トルコでは剃るのではなく、トリモチみたいなのをベタッと貼り付けて引っぺがす、冷酷無比な強制脱毛法を使うのを知っていたからだ。

ちなみにバングラデシュもトルコも脇毛は剃るが、胸毛・ヘソ毛・スネ毛・耳毛・鼻毛・ホクロ毛はボーボーのまま、眉毛が繋がっていようがお構いなしである。

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.: posted by kazumoto 12:48 午前


火曜日, 5月 17, 2005

「嗚呼、日本人」

バングラデシュのとある地方農工大に去年に続き再訪した時のこと。
(このコラムにも書いた、エロビデオを学生100人くらいで集まって一緒に見る大学です)

数人の学生が「日本の文部省へ外国人向け奨学金の申請をしたらこんな返事が来たのだが見てくれないか?」と言う。
そこには「この奨学金は日本への留学が決まった者に与えられるもので、個人の申請は受け付けられません。うんぬん…」
と丁寧な『日本語』で書かれてあった。

一体全体この手紙を寄越した者は何を考えているのであろうか?
おそらく担当者は毎日のように送られてくる、主に貧しい国々からのこの種の手紙に手を焼いて形式的に作った文章をコピーし送ったのだろうが、その貧しい国の学生がこの難解な『日本語』をスラスラ読めるとでも思っているのだろうか?

まあ返事を出すだけでもマシ、と言えないこともないが、その裏には「ちゃんと返答はし、責任は果たしたのだからこれ以上何を言われても聞く耳持ちません。」
という役人的思慮がうかがえる。

よい返事を期待している学生たちにどんな顔して訳してやるべきか困り果ててしまった。

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.: posted by kazumoto 10:26 午後


火曜日, 4月 26, 2005

「今晩の献立は何にしようかしら・・・」

今回のバラナシ滞在の4ヶ月間は、昼食・夕食は全て泊まっていた宿の家庭料理を食べた。
しかし宿の一家には申し訳ないが、この4ヶ月間の食生活は本当に苦痛だった。
メニューが5種類くらいしかないのである。

この家はおそらくインドの中流家庭の典型で、メシ自体ははっきり言って、美味しい。
それにこのコラムで何度も書いているが、私は味の好みはうるさくない。
しかし5種類のひたすら繰り返しではやっぱり「飽き」が来てしまうのだ。
5種類、と言っても日本のように、今日はハンバーグ、明日は焼き魚、次は鍋料理・・・といったものではなく、昼食メニューはごはん・チャパティー(ペラペラパン)・ダール(豆汁)は毎日変わらず、付け合せの大さじ一杯分くらいのカレー味のおかずの具がイモだったり、豆だったり、ナスだったり・・・
といっただけの変化なのだ。
夕食はさらにひどくて、チャパティーとイモカレー煮込みのみが連日。
おまけにこの家庭はピュアベジタリアンなので、卵・肉・魚、一切ご法度。
メニューの少ないのも無理ないか・・・

料理するお母ちゃん達も、料理番組見て新メニューを・・・なんて気は全くこれっぽっちも思ってないようで、料理してやるだけありがたいと思いな、って感じ。

今回は初めからバラナシ滞在は4ヶ月限定!と決めていたので何とか耐え抜いたが、もしこれが永久にだったら・・・と考えると本当に心からインド人に生まれなくてよかったと思う。

それにしても、当のインド人はこんな食生活で満足しているのだろうか??と疑問に思っていたところ、ある象徴的なテレビCMを見た。
それはインド風ヤキソバを作るためのインスタント麺のCMなのだが、ストーリーはこんな感じ。

子供達:パパ、今日のご飯はなんだろうね?
パパ:チャパティーとカレー煮込みじゃないかな?
子供達:えー!またなのー!?(子供達ガッカリ顔)
  そこへエプロン姿のママがヤキソバのお皿を持って登場
ママ:今日はヤキソバなのよ!
パパ・子供達:わーい!ママ大好き!!

インド人だってやっぱりいろんなもの食いたいわな。

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.: posted by kazumoto 12:33 午前


「ボクねぱあるジンデス」

道中、自転車を停め、メシ食ったり、休んでたりすると集まってきた地元インド人が話す声の中に「ネパリ、ネパリ」と言うのが聞こえる。
どうやら私のことをネパール人だと言っているようだ。
真っ黒に日焼けし、埃まみれで、この酷暑の中を、大荷物を載せて、自転車で行く。
一般インド人の想像する金満ニッポンとは遠くかけ離れた姿にネパールの奥地から来た行商人と思われても仕方あるまい。
ただしこれが一度や二度の話ではなく、自転車移動中の数十件、ほぼ100%の割合で「ネパール人」と言われたのはちょっと驚いた。

「日本人だ」と明かすと
「何でまたこのクソ暑い中を? 何かの罰なのか??」
なかなか理解してもらうのに苦労する。

これが、午後のこっちがクタクタになっている頃になると説明するのも億劫になってしまい、ある時「ネパール人」で通してみた。
設定はこう。
「私はカトマンズに住むシェルパ族。
自転車のパーツを日本から輸入するビジネスをしている。
だから今は休暇中の自転車旅行。
東京にも2度行ったことがある。」

どうやら相手は完全に信じてしまったようで
「日本はどんな国だった? いい所か?」
とかいろいろ聞いてくる。
「シブヤという街にはこんな短いスカートを穿いて化粧をした16-18歳のストリートガールがいっぱいいたぞ!」と言うと
「いくらだろう?日本は金持ちの国だから2000円くらいではないか?」
といろいろ会話がはずんだ。

熱風吹きつけるある日の午後の話。

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.: posted by kazumoto 12:31 午前


「暑い所を走ると・・・」

バラナシからカルカッタにやってきました。
今がインドでは一番暑い季節。
天気予報では連日40℃以上を伝えています。
しかしこれは「地面から1m離れた風通しの良い日陰」で測った温度なので、直射の元、アスファルトの照り返しの中ではプラス5-10℃くらいなものでしょうか。

当然そんな中を自転車で走るわけだからとっても暑いです。
吹きつけてくるのは熱風。
熱い風呂に入ると体を動かすよりジッとしていたほうが暑さを感じないように、この場合の熱風は苦痛でしかない。
ただ道中水だけはふんだんにあるので(井戸水)、それを頭からザバザバかぶってパンツまでビショ濡れになった状態で走れば気化熱が奪われてかなりヒンヤリ気持ちいい!
しかし天然の乾燥機の中を走っているようなものなので、15分もすればパリパリに乾ききってしまい、また熱風地獄。
井戸を見つけてはまたズブ濡れになり・・・をひたすら繰り返して何とか生き延びました。

水は一日で10L以上は飲んでいたでしょうか。
それでも汗(液体)は全くかかないし、小便も全然したくならない。
いったい水はどこへ行ってしまったのでしょう??

あと、これは走っている時の話ではなく、バラナシにいたときの話ですが、あるすごく暑い日、ちょっと熱っぽさを感じたので体温を測ろうと水銀体温計を取り出したところ、既に「40」の所まで水銀柱が伸びてました。
振って戻しても目前でミヨヨーンと「40」まで戻ってしまいます。
普段あまり見られない光景なので思わず自分の熱を測るのも忘れて何度も繰り返してしまいました。

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.: posted by kazumoto 12:29 午前


木曜日, 4月 07, 2005

「インドを知る」

蔵前仁一著「ホテルアジアの眠れない夜」の中に「威張るなビンボー旅行者」という項があって、そこには
「ビンボー旅行者の中には過剰に倹約に徹し『こうしないとインド民衆の真実は分からぬ』と説く人がいるが貧乏な民衆の誰一人として外国に来れるような『ビンボー旅行者』のことを自分たちと同じ貧乏人とは思っていない」とある。
これはまさにその通りであって否の打ち所はないのだが、全く別の観点から考えると、ビンボー旅行者というのはどのインド人よりもインドのことを知っている、あるいは知ることができる、といえると思う。

インドの列車には常時ギュウギュウ激混みの自由席車両から飛行機代よりも高い一等車両まである。
宿には南京虫ウジョウジョお布施式巡礼宿からマハラジャの邸宅を改造した宮殿ホテルまである。
ビンボー旅行者といっても胴巻きにはそれなりの金は入っているのだからちょっと奮発すれば物価の安いインドにおいては最高ランクの経験もできるのだ。
カーストにこだわることなく誰とでも普通に接することができる。
ヒンズー教の寺だって、イスラム教のモスクだって気兼ねなく入ることができる(異教徒入場禁止の所も多いが)。
広いインドの北から南までどこだって行ける(パーミッションが必要なところもある)。
その辺で知り合ったオッチャンの家でチャイをごちそうになることもあれば、日本に留学してるインド人の友人があれば上流階級のお宅で食事させてもらえることもあるだろう。

対してインド人の場合はどうだろう。
貧乏な庶民がマハラジャホテルに泊まれないのは明白として、金持ちが敢えて「貧乏暮らしを経験したい!」といって南京虫宿に泊まるとは考えられない。
カースト・宗教・男女性差によって行動も大きく制限されるだろう。

そう考えれば貧乏外国人の方がはるかに多種多様なインドを知ることができる立場にある訳だ。
もちろんこれは「広く浅く」知ることができるだけであって「狭いが深い」生活をしている彼らにかなわないことも事実ではあるのだが。

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.: posted by kazumoto 9:32 午後


「バラナシでホーリー その2」

2年前と同じくバラナシでホーリーを迎えた。
ホーリーとは男女も年齢もカーストも関係なく無礼講で色水を掛け合うお祭りなのだが、ここバラナシにおいては無礼講の解釈の度が過ぎて破壊・強姦・殺人なんでもあり。
こと外国人は格好のターゲットなので宿はどこも終日外出厳禁になる。

という訳なので、おそらく世界中のどんなガイドブックや写真集にも「バラナシのホーリー」をまともに写したものはないのではないだろうか?
「危険な撮影」といえば真っ先に戦場カメラマンが思い浮かぶが、あれはあくまで戦争当事者の間に入った第三者的立場であって、石ころや木と同じようなもの。
もちろん流れ弾に当たれば死ぬが、狙われている訳ではない。
ところがバラナシでホーリーの時出歩けば、間違いなく集中砲火を浴びるのである。
周り全員が敵。
しかも何されたって「そんな時出歩く奴が悪い」と同情もされないだろう。

さあ、勇気あるカメラマン諸君、ピューリッツァー賞はここにある。
毎年3月の満月の晩、バラナシに集結せよ。

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.: posted by kazumoto 8:53 午後


水曜日, 3月 09, 2005

「人種」

物心つき始めた頃、テレビなんかを見て、どうやらこの世には自分らとは異なる顔つきや異なる肌の色の人間がいることを知る。
肌の白い人=「アメリカ人」
肌の黒い人=「クロンボ」
自分らと似てるけど違う言葉を話す人=「ジャッキーチェン」

このあたりはインドの子供も同様に分類するようだが、日本人と決定的に違うのは、肌の白い人を見ると「イングリージェ(イギリス人)」と言うことだ。
長い植民地支配の影響だろうか。

以下はとある本で読んだ話なのだが、200年ほど前までは人類学者による人種分類法は
1.白人
2.黒人
3.黄色人種
4.野蛮人(!)
5.化け物(!!)
と大真面目に考えられていたそうである。

イエティよ永遠なれ。

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.: posted by kazumoto 6:50 午後


「牛角」

先日ガンガー沿いのメインガート(ダシャシュワメード)で爆発事故があってインド人数名が死亡、外国人を含む数十名が怪我で病院に運ばれた。
そこはバラナシに来た人が、インド人外国人問わず間違いなく訪れる最重要ポイントなので、この程度の被害で済んだのが不思議なくらい。
警察の発表ではチャイ屋のガスボンベの爆発、となっているけど、そのあまりの破壊ぶりに爆弾テロの噂もある。
ニュースや新聞には白目をむいて倒れている死体とか飛び散った肉片とかがバンバン映りまくっていてマニアが見たら大喜びしそう。
わたしも久し振りに焼き肉が食べたくなりました。

追記
後日、バラナシのメイン寺(ビシュワナート・ゴールデンテンプル)近くはじめ計3個所で爆弾が発見された(不発)。
それとは別件で警官同士が大喧嘩をして5人死亡(←勝手に死ね)。
今日も何か起こりそうな予感のするステキな街、バラナシ。

ラベル:

.: posted by kazumoto 6:37 午後


「おふくろの味」

インドの雑貨屋の店頭には壷に入った多種の飴が並んでいて、多くは普通の甘い味なんだけど、中には「ソルト・チリ味」の飴がある。
これはその名の通りのヒリヒリ辛い味の飴なのだ。
一見普通の飴と変わらないので、知らずに大量に買い込んでしまってサクマのドロップ缶からハッカ味のが出てきた時の100倍悲しい気持ちになった。

まったくこんなのを作るなんてインド人の味覚は信じ難い!と思ったが、フト考えてみれば日本にも「塩コンブ飴」がある。
もし外国人が知らずに口にしたらきっとブッたまげるだろうなあ。

ラベル:

.: posted by kazumoto 6:22 午後


木曜日, 2月 24, 2005

「身分制度」

ヒンズー教には有名な「カースト」という身分差別制度がある。
そのカーストの下には、カーストを持たない「不可触民」という人らがおり、このような人らは上位カーストにとって見るのも汚らわしい存在であるという。
厳密に言えば我々外国人というのは、カーストを持っていないのだからこの不可触民に区分されるらしい。

日本において「見るのも汚らわしい」に当てはまるものを考えてみると酔っ払いが駅にぶちまけたゲロ(締めに食ったラーメン入り)とか、公衆便所の流されていないウンコ(下痢気味)とかが挙げられる。
つまりインドにおいて、我々は常に自分がゲロやウンコであるという自覚をもって行動すべきなのだ。

だから何かの奥様番組のように、誰かさんちの冷蔵庫をちょっと拝見、なんてやってしまうと、中身が全部汚されてしまったことになり大変なことになる可能性がある。
私自身も以前上位カースト(僧)に握手を拒否されたことがあり差別される者の悲哀を味わった。

もちろんこういう衛生観念はインド人自身の生活も束縛しているようで(彼ら自身はそう思ってないのかもしれないが)、例えば毎日行う神へのお祈りの前には必ず綺麗に体を洗って新しい服に着替えなければならない。
で、いざ神棚へ向かう途中に急に腹が痛くなり便所に駆け込んじゃったら振り出しに戻って体洗いからやり直しとなる。

その他食事や洗濯などにもいろいろ決まりがあって知るに連れてそのタブーのあまりの多さにウンザリしてくる。
前まで世界で一番面倒な宗教はイスラム教だと思ってたけど、ヒンズー教に比べればかわいいものだ。

今私はインド人家庭内に身を置く生活をしていて過去通算すれば一年近くインドに居るのだがいまだに新たな発見が多い。
もしこのまま10年経ったとしても完全に理解するのは不可能なような気がする。

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.: posted by kazumoto 8:57 午後


「中年のツブヤキ」

大学生の春休みシーズンに入り、インドにも大勢の若者がやって来ている。
最近は同じ干支の人に会うことも、もはや驚きではなくなった。
ウザイおやじと思われたり、オヤジ狩りに遭ったりしないようナウいヤングの話題に迎合しようと空しい努力をしてみたりするわけだが、彼らの言動を見ていてどーしても一言物申したい衝動にかられることがある。

それは一部に見られるザックの背負い方。
肩ベルトをいっぱいまで伸ばし、だらりと後方に垂れ下がらせた背負い方。
本体胸元で締めるはずの左右を結ぶベルトが首の後ろ辺りにあったりしてザックの設計者が見たらさぞかし嘆き悲しむことだろう。
通学用デイパックならまだしも、それなりの容量・重量のザックをその方法で背負っているのを見ると、インパール作戦で敗走続ける旧日本兵のような痛々しさすら覚えてしまう。
あれは腰ベルトを腰骨に乗るようにし、下から上へと各ベルトを締めてゆけば体にぴったり密着し、同じ重量を持ったときの感覚がまるで違ってくるのだ。

まあもしかして彼らは、ただでさえ苦難の多いインドの旅に自ら更に苦役を課すことで己を鍛え上げるつもりなのかもしれないな、と思いつつ、注意したくなる誘惑を抑え続ける32歳の私であった。

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.: posted by kazumoto 8:55 午後


「インドで結婚式2」

たとえば日本で結婚式に参列する場合、女性は着ていくものを選ぶとき主役の新婦より派手にならないように気を遣ったりするものだと思うが、インドにはその気配りはないようだ。

普段あまり外に出る機会のない女性達はここぞとばかりに飾り立てる。
ゴージャスサリーに身を包み、額・鼻・耳・髪・手の指・甲・手首・足首・足の指・・・、体の中で出っ張っている部分、引っかけられる部分、空白の部分を全て埋め尽くすべく投入された金銀財宝は自らの体重の約30%(推定)。

数百人の集う披露宴では、新婦は赤いウェディングサリーを着ているのでかろうじて判別できるものの、もし一般サリーに着替えたら誰が主役なんだかさっぱり判らないだろう。

結婚式が女のためにあるというとは、やはり洋の東西を問わぬもののようである。

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.: posted by kazumoto 8:09 午後


火曜日, 2月 01, 2005

「インドで結婚式」

結婚式に参加しました。
2年前もしたのですが、その時は知り合いの知り合いので一部のみでしたが、今回のは身を寄せている一家の中の一人(男30代後半)の結婚なので10日以上にわたるイベントの全てを見ることができました。

形式にこだわるヒンズー教の儀式らしく、それはそれは長ったらしくしつこいくらいいろいろありました。
披露宴は、一昔前日本のでゴンドラに乗って登場するなんてのがありましたがそれが子供だましに思えるほど派手で、名古屋人の私もびっくりです。
大行列を従え白馬に乗って街をパレードしたりしていました。

そして夜・・・。
男として生を受けた以上、なさねば死ねぬ大切なイベント・・・。
これまでの人生で溜めに溜めた莫大なエネルギーを一気に放出させたため強烈な摩擦熱によって急激な上昇気流が発生、巨大な雷雲を呼び、気象観測史上最高の豪雨、突風が吹き荒れ、ガンガーの水位が50m上昇、
床上浸水家屋8万5千戸、死者行方不明者15万人、死牛行方不明牛7000頭にのぼる驚天動地、阿鼻叫喚、空前絶後の大惨事を引き起こしました。
が、理由が理由だけにインド政府が緘口令を敷いたため海外ニュースに載ることはなかったようです。

おふたりさん、お幸せに・・・。

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.: posted by kazumoto 10:07 午後


日曜日, 1月 02, 2005

「火事・オヤジ」

インドネシア地震で発生した津波はインド東海岸に甚大な被害を及ぼし、多数の死者・行方不明者を出した。
バラナシは内陸なのでもちろん何の影響もなかったが、テレビでは連日このニュースばかり。

で、ここで私はふと思うのだが、このような深刻な災害を、政府やその関係者はむしろ歓迎しているのではないだろうか?
というのは、こういう時に真っ先に亡くなるのは税金も納められない最下層の人たちであって、国にとっては存在価値はなく、逆に人口が減って食糧問題解決になる、と喜んでいるのでは?
更に嬉しいのは海外から大量に送られてくる援助物資を横流ししてガッポリ儲けられる絶好のチャンスであること。
事実、しょっちゅう洪水に遭うお隣の「被」援助大国バングラデシュには横流しマーケットなるものが公然と存在する。
そこに集まる古着の中にはビンテージジーンズのような掘り出し物が時々見つかるとかでマニアが買い付けに来るらしい。
と言うわけで今頃インドの高官たちは笑いが止まらぬのではないかと思うのだ。

余談であるが、「津波」のことを英語で「Tsunami」と言うことを今回初めて知った。

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.: posted by kazumoto 7:48 午後


「明けましておめでとうございます」

謹賀新年。

2年前と同じくインドのバラナシでの年越しとなりました。
といってもヒンズー教の総本山的なこの街では「正月」の「し」の字もない(「クリスマス」の「ク」の字もなかった)、ただカレンダーを2005年のに取り替える程度の日でしかありませんでした。

アジア諸国で新暦の1月1日にお正月を祝うのは日本とあとどっか一国(フィリピン辺りか?)しかない、と聞いたことがあります。
その他は旧正月や、イスラム暦・ヒンズー暦・チベット暦などの宗教正月に盛大にお祝いします。
我々が何の疑いも持たず正月を祝っていることは、実はアジアの中では「西洋かぶれした例外的な国」だった訳ですね。

まあそれはともかくとして、本年もどうぞよろしくお願いします。

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.: posted by kazumoto 7:45 午後


木曜日, 12月 16, 2004

「ありがたや、ありがたや」

バラナシに2年ぶりにやって来て「今までどこで何してたんだ?」と聞かれたので
「本当はもっと早くインドに来るつもりだったのだがインド大使館がビザをくれないのでパキスタンとかチベットへ行って時間稼ぎしてたんだ。
ついでにカイラス山にも行ったよ。」と答えた。

すると急にみんなの顔付きが変わり
「何!カイラスに行った?! おーい、みんな集まれ!!!」
と、一家総出(20人くらい)で次々と私の前に膝まづき、水虫はないけど時々ウンコを踏んだりするとてもきれいとは言い難い足に触れ、ありがたがるではないか。

ヒンズー教徒にとっても、カイラス山はガンジス川の源として(本当は違うが)最大の聖地の一つであり、
山の形をシヴァリンガ(男性のチンポコ)に見立て(かなり無理がある)崇め奉っている、ということは知っていたがここまで有り難がられるとは思ってもみなかった。

翌日には話を聞いた近所のジイさんとかもやって来て
「どれワシも冥土の土産に一触りさせてもらおうかの」
みたいな感じでペタペタ。

そこでピンと閃いた。
これはゼニになる!
1回1ルピー(2.5円)で触らせても、ヒンズー教徒人口は8億人くらいいるので20億円!!
こりゃ帰国は自家用ジェットだな。
ただし1人10秒ずつで1日4000人さばいたとしても、550年かかるが。

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.: posted by kazumoto 8:55 午後


火曜日, 12月 07, 2004

「食事の話」

私はどんなものでもおいしく食べられてしまうくちなので旅先でも困ることが少ない。
ツァンパはまずい、と書いたけどあれはネタ上のことであって本当はおいしく食べている。
腐っているもの食べても、この料理はこういう変な味付けなんだな、ウマイ!と食べてしまって翌日腹壊す。
だから「この辺でウマイ店知ってますか?」と聞かれると大変に困ってしまう。
どこだって美味しく思えるからだ。

ただ、たった一つだけどうしても食べられないものがある。
それは「レバー」。
これはもうウマイ・マズイの話じゃなくて人間がプラスチックを食べられないように、私にはレバーは食べられないのだ。

で、ある時チベットで。
明らかに貧しそうなお宅に泊めてもらえることになった。
「今日は特別なお客さんだから、特別料理ですよー!」
てな感じでおかみさんがワザワザ買ってきたものは、バケツに山盛り入った理科の解剖実験直後のような内臓の山。
それを、素材の味を究極に活かし切る料理法「塩茹で」にしたものが私の前のさらにドサッと盛られた。
せっかくのもてなしを「これは食えません」などと言って断ることはできぬ。
オートリバースしてしまいそうなうごめく胃袋(私のね)を押さえつけ、冷や汗タラタラ、ひざガクガク、涙目になりながら何とか食べれば
「どう、おいしい?」
「はい、おいしいです」
ドサッ、再び山盛り・・・。

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.: posted by kazumoto 10:48 午後


「ゴミの話」

日本では当たり前のように只で手に入り、身の周りにいくらでもあるが、他の国では手に入りづらい物。
ポケットティッシュなんか代表例かもしれない。

例えばインドなどで。
このコラムはどうでもいい紙に下書きしてからネット屋に行くのだけれど、この「どうでもいい紙」というのがなかなかないのだ。
日本では広告の裏、銀行とかで勝手にくれるメモ帳、職場・学校などで出るコピーの裏紙などチョチョイと書いてポイと捨てられる紙がいくらでもある。
が、インドにはない。
よって文具屋で雑記帳を買わねばならない。

例えば中国で。
スーパーでもらえるビニール袋。
荷物を濡らさぬよう個別でくるむのに多数必要なんだけど、中国ではこういう丈夫なビニール袋がなかなか手に入らないのだ。
もちろん商店で買い物すればビニール袋には入れてくれるんだけど、これがペラペラのヘナヘナで、枝付の果物(ブドウとか)など入れればアッという間に破れてしまう。
ある時砂糖を買って帰る途中、いつの間にか穴が開いてて宿に着く頃には半分くらい無くなっていた。
ロケット飛ばす前に丈夫な袋作れ!と言いたい。
以前は大きな町の大型スーパーならしっかりしたのが手に入ったのだが、今年ラサのスーパーに行ったら「環境保全どーたら」とかかれた紙袋を10円で買うシステムになっていた。
他の中国の街でもそうなっているのかもしれない。

多くの国で。
自転車のフレームに水筒として使う1.5Lのペットボトルをつけてある。
これは日本を出た時からずっと使い続けている日本製の物。
もちろんこちらにもペットボトルに入った水は売っているので新しいボトルはいくらでも手に入る。
しかし材質が薄くてすぐベコベコになってしまうし、中国では飲み水をもらおうとすると魔法瓶に入った熱水をくれるのでシュワシュワと縮んで1.2Lぐらいになってしまうのだ。

やっぱり日本製がイチバン!
だけど考えてみれば、私の例は特別であって普通の生活の中ではどうせ捨てちゃうんだからペットボトルなんて薄くても問題ない訳だ。
ビニル袋だって家に帰り着ける程度の丈夫さがあればいい訳だ。
日本ではなんと無駄な物に資源を費やしているのだろう・・・。

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.: posted by kazumoto 10:04 午後


「モーニングコール」

インド、というと不潔・汚いのイメージ強く、実際街はゴミ・ウンコ・死体が散乱していて確かに汚いのだけど、私の見るところ一般のインド人はとても清潔である。
服は毎日こまめに洗うし、宗教と関係する沐浴の習慣はあるし、道端の共同水道ではパンツ一丁で泡まみれになって体を洗っている姿をよく見かける。

歯磨きもかなり熱心だ。
苦い粉をブラシにつけて磨いている。
また木の枝を口に突っ込んでいる人もいて、はじめは
「さすがインド人!木の枝まで食うのか?!」
と驚いたが、そうではなくてこれは歯磨き用枝なのだった。
私もやったことあるが、枝をガジガジ噛むと先がブラシのようにボサボサになり、それで歯をゴシゴシやる。
枝からは殺菌作用がある(らしい)苦い汁が出てまことに理にかなっているようだ。

また「舌磨き」の習慣もちゃんとある。
やったことある人は分かると思うが、あれは舌の奥の方までしっかりやろうとすると必ず「オエッ!」となるものだ。
だからインド人用の宿で水場に近い部屋に泊まったりすると朝早くから「オエッ!」「ウエッ!」「オエッ!」「オエッ!」と連発で響いてきて、心地よい目覚めができること請け合いなのだ。

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.: posted by kazumoto 2:59 午後


「白人旅行者のフシギ(5)」

<その5.やたらカバンがデカイ>
体も大きいから100Lのザックを背負っても平気・・・
なのかもしれないが、ハブラシやシャツが5倍もあったりする訳なかろう。
何週間ものトレッキングに出かけるのでもないのに何をあんなにたくさんの荷物持っているんだろう??
ある時気になって見せてもらったことがある。

まずは軽いジャブ、といった感じでペーパーバック五冊出てきた。
フム、本の好きな奴なんだな、と油断したところへ強烈なボディーブローが来た。
靴が三足出てきた。
しかも一足はフォーマルな革靴で木のシューキーパーまで入っている。
「パーティーなんかに呼ばれたら必要だろ」

その後もワンツーなどのコンビネーションが確実に決まる。
家族・彼女の写真(額入)、キャンドルスタンド、CD数十枚・・・

そして。
全体重をのせたコークスクリューパンチがテンプルに突き刺さった。
オレは静かにマットに沈んだ。
「枕」だった。
「これじゃないと眠れないんだ」

薄らいでゆく意識の中でオレは何度も繰り返した。
「そんなんだったら家にいればいいのに・・・」

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.: posted by kazumoto 2:53 午後


「白人旅行者のフシギ(4)」

<その4.ケチなのか金持ちなのか>
リキシャ・タクシーや土産物屋で、買い手市場を活かして1ルピー(1.5円)の単位まで鬼のように値切り倒す人がいる。
「おー、彼らも1円まで節約して細々と旅をしている倹約旅行者なのね」
と感心していると、同じ人が今度はツーリスト向けレストランで高くてマズいスパゲティーなんかをビールを飲みながら悠々と食っているのである。
ローカル向け食堂でカレー食えばその何分の一で済むのに・・

白人さん達は概してそういう薄汚い食堂で食うのを好まないようだ。
「大衆食堂でカレーを手掴みで食べるフランス人カップル」
なんてのをフィルムに収めることができれば、その年のピューリッツァー賞はほぼ手中にしたといえよう。

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.: posted by kazumoto 2:50 午後


「白人旅行者のフシギ(3)」

<その3.日光浴が好き>
夏にリゾート地に行ってごらんなさい。
そこには「白人」はいない。
いるのは「赤人」である。

「何もそんなになるまで・・・」とア然としてしまう程まっかっかに日焼け、いや火傷を負ったシミソバカスだらけの赤人さん達がウロウロしている。
あのまま熱い風呂にでも入ったら飛び上がって天井を突き抜けそうである。

ある筋から聞いたところでは、夏休み明けにあおっちろい肌をしていると「プアホワイト」といって、バカンスにも行けない貧乏人として馬鹿にされるらしい。
真実だとしたらなんとも哀れな話である。

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.: posted by kazumoto 2:47 午後


「白人旅行者のフシギ(2)」

<その2.彼らはまぶしい>
「キャー、レオ様ってステキ!輝いてるわ!」とか、ハゲばかりとかいう話ではない。
彼ら自身が日光をまぶしがっている、という意味である。

白人のサングラス着用率はかなり高い。
白色人種は色素が少なくどーのこーの、ということではあろうが、私などは幼き頃、
「サングラスをかけたる者、及び、左ハンドルの車に乗る者、これ即ちヤクザ」
という教育を受けてきたため、夏に欧米を訪れれば全国民総極道化してしまい怖くて外を歩けないだろう。

老若男女皆サングラスなので、前述の屋上レストランなどで家族揃ってサングラスをかけながらスパゲティー食ってる姿がなんとも奇妙に思えてしまう。
チベットでは雪目になってしまってヒリヒリして困ったが、そういう訳で私自身はサングラスはしないのだ。
同行のスイス人が「サングラスしないと紫外線が目に入って良くないんだゼイ」
とアドバイスしてくれてごもっともとは思ったが、それは次項とは大いに矛盾する。

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.: posted by kazumoto 2:33 午後


「殺意」

今こうしてコンピューターを前にしてあああの時のことを思い出すだけで、いいいいい怒りが込み上げてきて手の震えを抑えるこここことができなklづいんふぇあklhvだな4ふぁjdk・・・

うー、申し訳ない、キーボードにあたってしまった。
いやはや、何に対しこんなに怒っているかというと、それは在ネパールのインド大使館で働く虫ケラどもに対して、である。

ここでインドビザを申請するためには
1.テレックスの申請(本国、私の場合は日本へ怪しい奴かどうか
 身元照会する。当然金とられる)
2.ビザの申請
3.ビザの受け取り
と三回足を運ばねばならない。
この面倒な手続きを2年前一度経験している。
その時はまだよかった。
用紙配布窓口・テレックス窓口・ビザ窓口がそれぞれ分かれていたのだ。
当時から仕事ぶりはメチャメチャ遅く、各窓口に行列ができ非難轟々だったものの一応処理はされていた。

しかし、しかしである。
ここの虫ケラどもは訪れる外国人のために便宜を図ろう、などとは微塵も考えないらしく、何を血迷ったか窓口を一つにまとめやがったのだ!!
当然2年前とは比較にならぬ人間が一箇所に集中する。

初日、私はバカ正直にも開門の9:30に行ったのだが、そこは既に数十人の大行列ができていた。
先頭の人は7:00に既に並んでいたという。
日本シリーズじゃあるまいし・・・

しかしサッサと仕事をすれば充分処理できるはずなのだが、虫ケラ中の虫ケラである窓口の奴ときたら、10分くらい遅れて窓口を開いたと思ったらいきなり新聞を読み出すのだ!
一通り目を通すと業務に取り掛かるが、一人片付けては茶を飲み、一人片付けては虫ケラ同士でダベリ、電話をかけ、便所に行き、書類にサインし、鼻クソをほじり・・・

しかも一人一人に渡航理由の面接をしていて、たとえば私の場合
虫「理由は?」
私「観光です、サー」
虫「どこへ行くつもりだ?」
私「バラナシです、サー」
虫「バラナシなんて見所ないところに行くのになぜ6ヶ月要るのだ?」
私「い、いやその、友達に会ったり、他にも行くかもしれないし、それにインドは広いから時間かかるし・・・」
虫「観光なんてどうせ嘘だろう!怪しい商売でもしているに決まっている!本当のことを言え!!」
私「本当に観光なんです、サー!私はインドを愛しています!あなたも含めインド人を尊敬しています、サー!!」

と心に思うことと全く逆のことを言って何とかOKされた。
私だけでなく多くの人がこんな感じでやり取りしているのだが、結局みんな6ヶ月貰っているところを見ると、どうもこの虫ケラはいろいろ難クセをつけて我々がアタフタ困るのを見て楽しんでいる節がある。

こんな感じなので列は遅々として進まない。
初日、12:00になると
「今日はここまで!明日また来い!」
と私の目の前で無情にも窓口は閉まった。

コイツが一回鼻クソをほじってなければ私の番まで回ってきたはずだ!
業務開始前にしっかりウンコしてあったら更に後ろ2人分まで相手できたはずだ!
難クセつけてなければ全員分処理できたはずだ!!

私はこの日生まれて初めて「殺意」を覚えた。

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.: posted by kazumoto 2:06 午後


「砂丘」

ネパールでは衛星テレビでNHK海外向け放送を見ることができる。
先日「今年の流行語大賞」のニュースをやっていた。
大賞に北島康介が選ばれたようなのだが、その紹介中、オリンピックの映像が映されようとすると画面がパッと変わり、
「放送権上の都合により映像はお見せ出来ません」
のテロップと共になぜか砂丘の静止画像になってしまった。
(おそらくNHKが海外向け放送分の使用料をオリンピック協会に払っていないのだろう、ケチンボめ。)
で、音声のみで
「あー気持ちいい!超気持ちいい!!」

この何の脈絡もない「砂丘」と「気持ちいい」の取り合わせが妙に滑稽で大笑いであった。
おそらくこれを見た海外在留邦人の97%は淫らな想像をしたと思われる。

ちなみに受賞作品10個のうち、私は1つもわからなかった。

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.: posted by kazumoto 2:02 午後


月曜日, 11月 29, 2004

「白人旅行者のフシギ(1)」

多くの白人さん達も世界各地を旅しています。
現地人の生活風習を見るのも面白いですが、彼ら白人ツーリストの行動も私にとっては興味深い異文化の一つ。
そんな中で「??」と思ってしまう彼らの行動パターンをいくつか。

<その1.外で食うのが好き>
ここで言う「外」とはキャンプとか屋台の話ではありません。
れっきとしたレストランで「外」で食う話です。
たいてい白人が好む場所は、屋上レストランのある宿とか道に面したオープンテラスのあるレストランとか。
日光を浴びながらの食事は気持ちがいい、という気持ちは分からないでもないのでそこは百歩譲るとして、
問題は、本当にこの環境が気持ちいいのか?!と疑うような場所でも悠然と食っていること。
道路脇は埃っぽいし、車の排ガスモクモクだし、乞食が次々現れるし、牛はそこらじゅうにウンコしていくし。
屋上ならばどうかというと、日差しサンサンといってもチベットなんかでは日差しはジリジリと肌を焦がすようでとても快適とは言い難い。
もちろん賢明な地元民は屋内で食います。

ある時北パキスタンでフランス人グループと一緒に夕食を摂ることになりました。室内で食うとばかり思っていたら、彼らは従業員にテーブル・椅子をベランダにセットするよう指示し食事もそこに運ばせました。
季節は春でしたが標高3000m位の所なので夜はかなり冷えます。
「そこまでして外で食いたいかー!」とブルブル震えながら食べました。
(オゴってもらったので文句は言えない)

余談ですが、この時のフランス人がすごい訛りの強い英語を話す人らで「バッチパッチ」がどーのこーの、と初めは何のことかよく分からなかったのですが、どうやらこれは「Back Pack」のことを言っているらしい、と推測できるようになりました。
「ch」=「チ」というんだな、と分かると他の意味不明だった単語も理解できるようになります。
インド人も訛りの強い英語を話し、「R」を全部読んでしまうので「Brother」=「ブラザル」、「Four」=「フォル」になります。
バングラでは「Lunch」=「ランス」、「Visa」=「ビシャ」。

余談の余談ですが「ザジズゼゾ」の発音を正確にできない国は結構多いようで「ジャジジュジェジョ」になってしまいます。
だから私の名前の「カズ」も「カジュ」に。
南アジア一帯では「カジュ」は「ナツメヤシ」を意味するようで覚えてもらいやすい。
で、ところ変わってアラビア語圏に入り自己紹介すると私の名前を聞いてクスクス笑う人がいるのです。
人の名を聞いておきながら笑うとは無礼千万な輩かな!
と思ったのですが、どうやらアラビア語で「カジュ」は「ウンコ」のこと。
まあ確かにアメリカ人が
「ワタシノナマエハ『ウンコ・マクドナルド』デス」
などといったら笑えるわな。
名前がこうなんだから、私のコラムにウンコネタが多いのもこれで納得していただけたことでしょう。

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.: posted by kazumoto 2:24 午後


「読書その2」

いろいろ回ってくる本の中でよく見かける作者は、椎名誠・沢木耕太郎・西村京太郎・パウロコエーリョ など。
共通項は「旅」に関する著作が多いこと。
(西村京太郎はビミョーなところだが・・)
本の中の世界が今自分の目の前にあったりするのは感慨深いものです。

ジャンル別に見ると、圧倒的に「小説」が多いですが、意外によく見かけるのが「人生指南」的な本。
皆旅に出るとフト自分の人生を考え思い悩んでしまうもんなんでしょうね。
(それだけ暇な時間が多い、ということの証明でもあるが・・)

・・・・・夕食は時々自炊してみたり。
食後は再び中国語や読書。
こうしてポカラの毎日を過ごしているわけです。

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.: posted by kazumoto 2:22 午後


「読書その1」

午後は読書の時間。
最近では「体育会系自転車部」というより「文化系読書部」を自称するほど本に費やす時間が長くなってしまいました。

旅中では読み終えた本を他の旅行者の本と交換していくシステムがあります。以前中東を旅した時に「官能小説」が回ってきたことがありました。
「読み終えたら後ろに名前と読んだ場所を書いて次に回してください」
と言って渡されました。
そこを見てみてビックリ!
その本はタイを出発して→インド→中東→ヨーロッパ→飛んで南米をぐるり一周→再びヨーロッパに戻り→中東
で私の元へ来たのでした。
その後アフリカへ向かう旅行者に渡しました。

こうして本はそんじょそこらの旅行者じゃできないような壮大な旅をしているわけです。
まさか自分の書いたエロ小説が世界を巡る大冒険をしているなんて作者は思ってもみないでしょうね。

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.: posted by kazumoto 2:19 午後


火曜日, 11月 16, 2004

「昼食」

ネパールの国民食といえばタルカリダルバート。
タルカリ(スパイスで味付けした野菜)、ダル(豆汁)、バート(ご飯)、平たく言えば「カレーライス」です。

これの長所はオカワリ無限であること。
慢性的空腹サイクリストにとってはこの上なく素晴らしいことです。
やろうと思えば、朝行ってダルバートを注文し、そのまま夜まで食べ続ければ、1食分の値段で3食まかなえるでしょう。
巨大な胃袋と勇気のある人は試してみてください。

それ以外は、というと
サモサ(イモコロッケ、無論カレー味)、
モモ(チベットギョーザ)、
チョウメン(中国の炒麺[チャオミェン]が伝わったものであろうが本場とは似ても似付かぬヤキソバ)
などがありますが、どれもメインというよりはオヤツ程度の量しかないので結局ダルバートが主となってしまいます。
他の物はないのか、と周りの人が食っているのを見てもやっぱりダルバート。
どこかの家に招かれてもやっぱりダルバート。
ダルバート以外は恐らく存在しないのでしょう。

カトマンズといえばいろんな国の料理が美味しいことで有名ですが、ここポカラにもややレベルが下がるものの美味しい店はたくさんあります。
日本食ももちろんありますが、高く、量少なく、味はややいまいち、と3拍子揃っているにもかかわらず足を向けてしまいます。
なぜならそこには500冊以上の日本の本があるから。
100-200円で本を借りて、おまけに一食付いてくると考えれば安いものです。

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.: posted by kazumoto 3:30 午後


「午前」

朝食から昼食までの間はお勉強の時間。
お題目は「中国語」。
「中国語勉強したいなら中国に行けばいいのに」というのはごもっともな意見なのですが、なかなか現地ではじっくり落ち着いて学べる環境が無く、仕方なくネパールにて・・。

今まで私が身につけた中国語はもっぱら現地仕込みで、老師(先生)は主に南方中国出身のトラックの運ちゃん方であるため、以前北京の人と話した際
「アナタの中国語は南方のトラックの運ちゃんみたいな話し方アルヨ」
とそのままズバリ言われたことがあります。
日本でいえばズーズー弁を話すどっかの白人タレントみたいなもんでしょう。

チベットの子供たちは学校で普通話(共通語)の教育を受けているのでレベル的にも彼らと話すのがちょうどいいのですが、これは当てはめてみれば、1930年頃に韓国の人に日本語を教えてもらうようなもので、心情的に憚られるものがあるので断念。

やっぱり基礎的な発音とか文法とかしっかりやっておくべきだなと思いたち、日本から送ってもらったCD付きテキスト・辞書に加え、中国で買い込んだ小学生用漢語教科書・チビッコ向けの本やらでセコセコ勉強しています。
静かに落ちついて勉強するにはここは絶好の環境ですが実地訓練できないのが痛いところですね。

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.: posted by kazumoto 3:27 午後


日曜日, 11月 07, 2004

「朝食」

私がポカラに着いた9月中旬はまだ雨季の最中で、一日中雲がかかって山が見えることはほとんどなかったのですが、最近はすっかり気候が変わり、特に朝方は雲一つ無い快晴、朝日に映える7000m級のアンナプルナの山々が奇麗に見えます。

その山々を見ながらの朝食のメニューは・・・
「ツァンパ」
このコラムでも度々登場しマズイマズイと酷評してきたチベットの主食です。
しかしながら「イヤヨイヤヨもスキのうち」「マズイマズイもウマイのうち」。
いつしかなくてはならぬ朝食の定番メニューになってしまいました。

ラサを発つとき、餞別に、とサイドバッグ一つ埋まる程の大量のツァンパを貰い受け、どうしたものか・・・と途方に暮れたのも今は昔。
それも結局食べ尽くし、新たにネパールで買い入れたものを食べています。
はじめどこに行けば買えるのか分からず、その辺を歩いていたチベット人のおばちゃん(ネパールにも沢山チベット人は住んでいる)を見つけ「この人について行けばチベタン御用達ツァンパ屋に行くかも」と尾行を開始したところ、程なく感付かれ
「アンタ何やってんのよ?」と問われ
「イヤハヤ私は怪しい者でもスパイでもストーカーでも中国の回し者でもございません。実はかくかくしかじか・・・」
と正直に答えたところ、
おばちゃんはあっさりツァンパのありかを教えてくれました。
はじめから聞けばよかったところです。

で、そのツァンパですが、これまた以前このコラムで「カレー粉とかいろいろ混ぜたけどやっぱりマズイ」と書きましたが、その後も数々の試行錯誤の末、遂に完成したのが以下のツァンパ。
レシピを記すと、
1。約150ccのお湯に
2。はちみつスプーン2杯
3。砂糖スプーン1杯
4。粉ミルクたっぷり
5。以上にツァンパを適量加えグチャグチャ混ぜて団子にして食べる。

ちなみにダライラマ法王のお好みもミルクツァンパだとか。
あなたも「観音菩薩の味」を試してみてはいかがかな?

ラベル: ,

.: posted by kazumoto 5:16 午後


「ハッピーニューイヤー!」

明けましておめでとうございます。
年が明けました。
10月20日はネパールのお正月「ダサイン」でした。

その日人々は親類知人の家を訪ね、新年の挨拶とともに祝福のティカ(額に付ける赤い印)をもらいます。
たくさん回ればその印はどんどん大きくなって額面積の半分ほどにもなるので、町にはノーロープ有刺鉄線電流爆破デスマッチ直後の大仁田厚のような額を真っ赤に染めた人達がニコニコ顔で歩き回っています。

このダサインは一家が集まって家の中でコソコソやるのが主なため、部外者である外国人旅行者にとっては、特に大きなイベントがある訳ではないので全然面白くありません。

以前このコラムの中で
「ヒンズー今日の祭りは過激すぎて近寄り難く避けるべし」
と書いたことがありますが、今回のもまた別の意味で避けるべし。
店・食堂は閉まり、バスも止まり、不便なことこの上なし。

ただ唯一の見所らしきは、寺に行けばその日の食卓へ上げられる食材を屠る儀式があり、捧げられるニワトリ・ヤギなどの首が切られます。
巨大なナタで首をスパン!
落ちた頭がコロコロ。
血がビュービュー。
頭の無くなった胴体はしばらくジタバタ。
ひっきりなしに参拝者がやって来るので、次から次へと機械的に作業は進み
スパンコロコロビュービュージタバタスパンコロコロビュービュージタバタ
スパンコロコロビュービュー・・・
始めの数体はウワッ!と思いますが、50も100も見続けるとだんだん何とも思わなくなってきます。
戦争の狂気なんてのもこんなものなのかもしれないなー、と思ってしまいます。

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.: posted by kazumoto 5:12 午後


火曜日, 10月 19, 2004

「海外危険情報」

9月初め、イラクでネパール人が誘拐・殺害されたことに対し、怒ったネパール国内のヒンズー教徒がイスラム教との店を襲撃。
大規模な暴動へと発展し、軍が出動。
1週間外出禁止令がしかれ、店はすべてシャッターを下ろし町はゴーストタウンに。
勝手にうろうろすると撃たれる、というおっそろしい事態にみまわれました。

危険情報として真っ先に思い浮かぶのは外務省の発表するものですが、彼らも神サマではないのでこのような偶発的な事態には対応できないのが痛いところ。
しかもそれがあんまり頼りにできないのは、何か起こった後に危険度があがるのですが、その時点ではすでに治安が強化され、逆に一番安全な状態だったり、とっくに沈静化しているのにいつまでも「危険」なままだったりすること。(以前のイスタンブールがそうだった)

外務省よりは期待できるのは、旅行者同士の情報交換ですが、これは思いっきり個人の主観が入ってしまうので本当は危ない所なのに運良く何もなく行けてしまった人は「全然大丈夫だよ」と言うでしょうし、平和な国のはずなのにスリに遭ったりすれば「泥棒だらけのヒドイ国だ!」と言うでしょう。
更に困るのは人ずての噂に尾ヒレどころか、胸ビレ腹ビレ背ビレフカヒレエイヒレとヒレが付きまくって
たいしたことない話がとんでもない話になって聞こえてきたりすること。

やっぱり一番信用できるのは地元民のくれる情報ですね。
バラナシのホーリー(祭)は出歩くな!(殺される)
バングラの夜行バスには乗るな!(バス強盗に遭う)
などなど。
でもこれにも落とし穴があって、たいてい他民族同士は「あいつらは泥棒だ、ウソツキだ、誘拐犯だ」といがみあっているのに、第三者の立場ではどっちも正直でやさしい良い人達だったりするのです。

こうなると一体誰の話を信じてよいやら。
結局頼りになるのは、取捨選択できる自分自信の「勘」ということになるのでしょうか・・・

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.: posted by kazumoto 2:11 午後


「読書週間」

ここ最近でチベットに関する本をいくつか読みました。
1.「ダライラマ自伝」ダライラマ
2.「チベット旅行記」河口慧海
3.「セブンイヤーズインチベット」ハインリヒハラー
4.「秘境西域8年の潜行」西川一三
5.「チベット旅の百日」李奈

1.は言わずと知れたチベットの最高権威・観音菩薩の化身による自伝、
2.3.4.は50年前以前のチベット鎖国時代に密入国した人の話、
5.は中国人によるチベット旅行記
で、どれも興味深い話がずらり。

面白かったのは2.3.4.が皆口を揃えたように
「チベット人は想像を絶するほど不潔、汚い、衛生観念がない」
と、一度ならず何度も何度も言っていること。
私が見た現在でも、田舎の方に行けばとても黄色人種とは思えぬほど真っ黒な顔の人がいてびっくりします(日焼けの黒さではない)。

また私独自の調査で、
「チベット人はクソした後、拭きも洗いもしてないのでは?」
と密かに思っていたのですが、これについてもやはり3人ともが指摘していて私の推測が正しかったことを証明してくれました。

5.に登場するチベット人は皆
「1951年に中国がチベットを『平和的開放』してくれたおかげで生活向上し今はこんなに幸せな生活を送っています。毛沢東万歳!」
と口々に言っており、プロパガンダの香りがおもいっきり漂っていて苦笑させられてしまいます。

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.: posted by kazumoto 2:10 午後


「西チベット総括」

2年前、東チベットを横断したときは秋から冬にかけてでえらい寒い思いをしたので、今回の西チベットは夏にした。
しかしそれはとんでもない過ちで、雨季にあたるこの時期は毎日のように雪・雨に悩まされてしまった。
道路状況は最悪の泥沼。
山からの濁流が道を横切り何度もずぶ濡れになる。
腰まで浸かることもあり、もしあそこでツルリ足を滑らせていたらドザエモンとなり、ブラマプトラ川の藻くずと化し、今頃はベンガル湾でお魚の餌となってたことだろう。

そもそも夏といっても夜はやっぱり寒いのだ。
逆に冬といっても太陽の下にいれば十分暖かい(もちろん夜は死ぬほど寒い)し、
晴れ渡って山もはっきり見えるので、チベットに行くなら暖かい装備を持って冬に行くことをお勧めする。

<西チベットデータ>
日数:90日
自転車移動日:65日(72%)
移動距離:3500km(54km/日)
総出費:5万円(560円/日)
・・・ただしうち4万円はラサにいた18日間に使ったのでそれ以外の移動しているうちは140円/日。
使いたくても店も食堂も無い!!

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.: posted by kazumoto 2:08 午後


月曜日, 8月 16, 2004

「アジアカップ」

カトマンズに着いて日本の新聞を見ると、先日行われたサッカーアジア杯決勝での日本人批判問題の記事が載っていました。
私は当時チベットにいてその試合のことも知っていました。

日本勝利の晩、いつものチベット飲み屋に行くと、客(チベット人)が皆口々に「日本よくやった!!」と誉めたたえます。
そう、チベット人にとって中国は敵。
それを日本が破ったもんだから、ザマミロってなもんです。

チベット流酒の注ぎ方は、普通に嬉しい時(注ぐ人が)は一口飲むのを3回、4回目はカップ全部飲み干すのですが、すごく嬉しい時(注ぐ人が)は4回とも全部飲み干さねばなりません。
みんな次々と祝福のチャン(チンコー酒)を注ぎに来てくれます。
私も決勝点となる必殺のタイガーショットを外のドブにたたき込んだりしてみました。

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.: posted by kazumoto 12:44 午後


「カトマンズ到着」

天上のチベットから下界のカトマンズへ下りてきました。
日本ほどではないでしょうが、やっぱりムッとする湿度を感じます。
タバコがあっという間に燃えてなくなってしまいます。
思わず沸かしたてのお茶を飲んで口を火傷しました。
(チベットでは沸点が低いのですぐ飲んでも問題無い)
当たり前のことが当たり前じゃなくなってしまいました。

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.: posted by kazumoto 12:33 午後


「さらばラサ」

夢のような日々は過ぎるのが早いものです。
あっという間に19日間のラサ滞在は終わってしまいました。

この間、多くの人たちと再会することができ、皆一様に優しい笑顔で迎え入れてくれました。
今ラサの街は日に日に確実に変わっています。
2年後鉄道が開通すれば更に大きく変わってしまうでしょう。
でもチベット人・中国人関係なく、人々の優しさだけはきっと変わらないと思います。

さらば、ラサ。

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.: posted by kazumoto 12:29 午後


水曜日, 8月 04, 2004

「ガンバレ日本!」

ラサには2年前見つけた行きつけの飲み屋(チベタンOnly、中国人お断り)がある。
そこの常連にやたら元気なおばちゃんがいる。
こういう飲みの場で話題が下ネタに向かっていくのはこの世の常というものだろう。
そのおばちゃんが「日本人は毎晩何回なのよ?」と聞くので
「2-3回がせいぜいかな(2003年度厚生省白書参照)」と言うと、
「日本人はだめねえ。チベット人はツァンパとバター茶でみんな健康、精力絶倫。うちのダンナなんて毎晩8回よ!」
とおっしゃる。
5回でもなく10回でもなく、8回という中途半端な数字がこの話の信憑性を物語っている。

その後閉店時間となるが、おばちゃんまだ飲み足りないようで
「うちで2次会やるからついてらっしゃい!」とおっしゃる。
ヒョコヒョコついて行ってお宅にお邪魔し飲んでいると既に寝ていたダンナが顔を出した。
さっきの話からしてダンナはチョコボール向井風のマッチョかアブドーラ・ザ・ブッチャー風の恰幅のいい男を想像していたのだが、出てきたのはチョコボールどころか、大泉晃風のインチキひげを生やしたヒョロっとしたおっさんだった。
急にさっきの8回の話が嘘っぽく思えおばちゃんに尋ね直すと、
「昔はもっとガッシリしてて毎晩8回だったんだけどね。今は痩せちゃってもうだめね」
どうやらおばちゃんに精力すべて吸い取られてしまったらしい。

ラージャロー!(神に勝利あれ!)

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.: posted by kazumoto 1:27 午後


水曜日, 7月 28, 2004

「神の住む街」

私は神など信じないが、ラサに来てそれを信じたくなるような出来事があった。

2年前、ラサでお世話になった家に娘さんがいて、ラサを去った後も度々メールのやり取りがあった。
しかししばらくして連絡がなくなり、その後そのアドレスも消滅してしまった。
(ホットメールは1ヶ月アクセスしないと消える)

そして月日は流れ、先日ラサに2年振りにやって来てメールボックスを開くと何とその娘さんからのメールが来ているではないか!
発信日を見れば到着の2日前になっている。
もちろん彼女は私が今ラサにいることなど、それ以前にチベットを再び旅していたことさえ全く知らない。
その後実際に会ってみると彼女もビックリ。

やっぱりラサは神の住む街である。

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.: posted by kazumoto 5:43 午後


「ラサに来たのは…」

西チベット方面から東に向かうと、途中で道が二手に分かれる。
北東方向はラサへの道、南方向はネパールへの道。
結局ネパールに行くのでショートカットして直接ネパールに下りることもできた。
しかし片道750km、往復1500kmの遠回りをしてでも私はラサに行きたかった。
安くてうまい中華が食べたい、ポタラ宮の雄姿を再度拝みたい、しかしもっと大切なことがある。
それは2年前に訪れたときに会った人達にもう一度会うためだ。

ラサに着いて早速彼らの元に向かった。
忘れられているかもしれないので当時撮った写真を持って。
しかしそんなものは不要だった。
宿の服務員、毎日通った食堂のおじさんおばさん、カメラ屋の小姐、みんなみんな顔をあわせたとたん「アンマ?!」
わずかの期間滞在しただけなのにみんなしっかり覚えていてくれた。
笑顔で2年前の話に花が咲く。
もうそれだけでラサにわざわざやってきた甲斐があったというもんだが、これらはほんの序章に過ぎない・・

そう、最大の目的は1ヶ月間居候させてもらった一家を訪れることにある。
(なぜ居候することになったかは
 http://homepage1.nifty.com/kunori/miwa2.html
 「チベットの恩返しその2 母の想い」
 を参照してください)

門をくぐると懐かしい顔が「アンマ?!」
しばらく近況報告をした後はみんな普通の生活に戻る。
2年振りに会ったのに、なんか仕事か学校から帰ってきただけのような淡白さで、もう少し大騒ぎしてくれてもいいのにな、と思う反面、この特別扱いされない感じが逆に嬉しかったりもするのである。

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.: posted by kazumoto 5:40 午後


火曜日, 7月 27, 2004

「Capital of TIBET」

カイラス山の麓の村でのこと。
不本意にも白人の皆様と一緒に飯を食うことになりました。
本当は行きたくなかったのですが、私が行かないと彼らは料理の注文すらできないから仕方がありません。
そこで私がこれからラサに向かうことを言うと、彼らは次々とラサの悪口を始めました。

「広い道に高いビル、ラサなんてただの中国の街だぜ。ポタラ宮なんて博物館じゃないか。行くだけ無駄だよ。」

ラサは私の最も好きな街、黙って聞いている訳にはいきません。

「君たちはジョカン(チベット仏教の総本山の寺)の開門に参加しましたか?(巡礼者が殺到し大騒ぎになる)
シャカムニ(御本尊)に触れた後の彼らの笑顔を見ましたか?
毎朝地元チベタンのするリンコル(市内を一周)を共に歩きましたか?
1日と15日に行われるお祭りに彼らと共に参加しましたか?
もし一つでも体験してたら、ラサを中国の街、なんて呼べないはず。
ラサは紛れもなくチベットの首都ですよ。」

彼らは一つも参加してませんでした。
彼らが見たのは中国風のラサの街、そして外国人用ホテルに、外国人向けメニューの置いてあるレストランのみだったのです。

続けて私は言いました。
「あなたたちにとってラサは観光地、だけど私のとってのラサは大切な旅の目的地。だからポタラ宮もあなたたちには博物館だけど、私にとっては重要な旅のシンボルなのです。」

白人さんたちは黙ってしまいました。
私の勝ち。

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.: posted by kazumoto 1:04 午後


「キューピー30秒クッキング」

本文を読まれる前に「ツァンパ」豆知識!

「ツァンパ」とはチベット人の主食で、大麦を炒った物を粉にし、バター茶(しょっぱ生臭い)でこねて食べます。
食べ方にもいろいろあり、
1.粉のまま舐める(舐める時息を吸うと必ずムセる)
2.バター無しの塩茶でこねる(遊牧民が放牧中によくやっている)
3.バター茶でこねる(お手軽)
4.3にチーズバターを加える(一般家庭はこれがスタンダード)
5.4に砂糖も加える(飛び込みアッパー昇竜拳並みの破壊力を持つスーパーウルトラハイグレードな食べ方。これを出されたらもてなされている、と思っていいだろう)

「ツァンパ」は保存が利き、軽いので携帯食としては抜群で、調理(といえるかどうか…こねるだけ)も簡単。
しかもあまり量を食べられない(食べたくない)のでなかなか減らない、腹持ちがいい(消化が悪い)、といいことづくめのチベット料理の代表選手です。

…以上を踏まえた上で本文へどうぞ。


<今日の献立>
バラエティーツァンパ
○毎日毎食同じ味のツァンパだとさすがに飽きるものです。
料理に大切なのはやっぱり味付け!
ツァンパにいろいろ混ぜてみてあなたのツァンパライフを何倍にも楽しくしちゃいましょう!
これを食べれば今日の放牧の疲れも吹っ飛んじゃいますよ!!

<用意するもの>
・ツァンパ(いっぱい)・チキンスープの素・レーズン・カレー粉・胡椒・唐辛子パウダー・ケチャップ

<調理法>
ツァンパとそれぞれを混ぜてこねるだけ

<結果>
・チキンスープツァンパ:チキンスープは別で飲むべき。マズイ
・レーズンツァンパ:レーズンパンを生で食っているかのよう。マズイ
・カレーツァンパ:期待度と裏腹にかなりマズイ
・胡椒ツァンパ:絶望的にマズイ
・唐辛子ツァンパ:切腹したくなるほどマズイ
・ケチャップツァンパ:「哀しいけどこれってツァンパなのよね!」と言いたくなるほどマズイ

<結論>
下手な小細工はするもんでない。
素材の味を大切に・・・

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.: posted by kazumoto 1:01 午後


日曜日, 7月 25, 2004

「インド人とカイラス山」

カイラス山は仏教・ボン教のチベット系宗教の聖地である以外に、ヒンズー教・ジャイナ教のインド・ネパール系宗教の聖地でもある。
よってカイラスに行くと、見慣れたモンゴロイドに混じって大勢のインド人・ネパール人巡礼ツアー客が来ている。
突然あの濃ーーい顔が多数出現するもんだから、それだけでマクー空間に引きずり込まれたような感じがする。

外国に来れるようなインド人だから当然彼らは金持ち。
インド人の金持ちと言えば、タイコ腹のおとっつぁん+サリーからブヨブヨ肉のはみ出たおっかさん+英語スクールに通う生意気なガキ、の3点セットに決まっているのだがやっぱりここでもそうだった。

で、もちろん彼らもコルラ(山を一周)する。
しかし「金持ち汗かかず」とインドの格言にある通り彼らは歩かないのである!(歩く人もいるけど)
行ける所までジープで行き、後は馬に乗り、荷物はポーターが運び、また車が来れる所で拾ってもらって帰る。
ズルイ!

さてここで問題です。
彼らの夕食メニューは何だったでしょう?
3.2.1.ピンポン!ピンポン!
その通り、カレーです。
香辛料はわざわざインドから運んだんだってさ。

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.: posted by kazumoto 11:52 午後


「地雷」

西チベットでトイレがあったのはアリとサガだけ。
あとの町や村ではその辺で適当にする。
普通中国の村では肥料になったり野ブタが食べたりするので残らないが、西チベットではその過酷な環境のせいで農業は成り立たず、ブタも生きられないため、ブツはそのまんまとなる。

ある町でのこと。
やっぱり「その辺でしてこい」と言われたので建物の裏に回ってみたらビックリタマゲタ。
その数に驚いたのではない。
まず壁に沿って1mの等間隔でズラリ一列。
壁の端まで来ると1m前進し、先ほどのと正三角形の頂点の位置に配置されるようにズラリ。
それが27列続いていた(数えてみた)。
まるでダイヤモンドゲームの升目のようだ。
もちろん私もその隊列を乱さぬよう、正しい位置に地雷をセット。
このままのペースでいけば数年後には地平線の向こうまで達するんじゃないか、くらいの勢いである。

その地平線の先にはインドがある。
その町のあたりはアクサイチンと呼ばれる国境線の定まっていない地域なのでいつインド軍が攻めてきてもおかしくない。
しかしこの果てしなく広がる整然と並んだウンコを見たらビックリして逃げ帰るだろう。

戦わずして勝つ。
中国人民解放軍バンザイ!!

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.: posted by kazumoto 11:51 午後


土曜日, 7月 24, 2004

「中国的少数民族問題」

中国人サイクリストと一緒に行動していた時こんなことがあった。
西方民族であるウイグル人ばかりの工事事務所で一休みし、いざ出発しようとすると彼らはこっそり私にだけ耳打ちし
「おまえだけ残れ」。
ご飯やお茶でもてなしてくれた。

そして彼らは言った。
「俺は漢民族は嫌いだ。数年前までカシュガルはウイグル人の街だった。しかし数年前(鉄道開通時か?)から突然大量にやって来て街をどんどん変えてしまっている。」

TVを見ていて戦争ドラマで日本兵が漢族を殺したり犯したりするシーンが出ると(こんなのをよくやっている)「いいぞ日本人!漢族なんてメチャクチャにやってしまえ!」と息巻く。

同じような思いをチベット族やその他の少数民族もきっと抱いていることだろう。

しかし考えてみれば、西方民族(ウイグル・キルギスなど)、キョウド(モンゴル族)などの異民族を支配下に置くのは秦の始皇帝以来の漢民族の長年の夢であり、今を生きている彼らにとっては不幸だが、一時期は彼らが漢民族を脅かしていたこともあったのだ。
だからもし中国に何らかの事態(革命??)が起これば今の立場なんてアッサリひっくり返っちゃうかもしれませんね。

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.: posted by kazumoto 10:07 午後


「人種対決」

アメリカ人×1、スイス人×2、中国人×2、日本人×1(私)の計6人がほぼ同じに西チベットに挑んだ。
はじめは6人一緒だったが次第に2つのグループに分かれた。
アメリカ人+スイス人の「アングロサクソンズ」
中国人+日本人の「モンゴロイダーズ」。
これは別に私の白人嫌いがそうさせたのではなく、旅のペースが明らかに違ったからだ。

「アングロサクソンズ」の特徴はその凄まじいまでのスピードである。
長い足をフルに活用し現地人の誘いも無視しグイグイ飛ばす。
そして飯は自炊が基本。
中華料理はまずいそうである(なんと!)

対し「モンゴロイダーズ」は遅い。
短い足を頑張ってクルクル回しても全然追いつけない。
それなのによく休む。
一旦止まると休憩が長い。
人の誘いも律義に対応する。

でも結果的にはこれがすごく旅を楽しくしてくれた。
私一人では通じない言葉をカバーしてくれたし、中国語の勉強にもなるし。
食事のオーダーもやっぱり中国人のセレクトは抜群!

張くん、蘭くん、ありがとう!!

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.: posted by kazumoto 10:05 午後


「僕の検問突破術」

始めに言っておきますが、このコラムは偉大なる毛沢東主席のお作りになった、偉大なる中華人民共和国の、偉大なる法律を明らかに犯すものなのであまり自慢できる話ではないのですが、こういうこともできる、という参考程度にどうぞ。

チベット全域は都市を除き公安の許可なく訪れてはならぬ非開放地域である。
ツアーを組んで、しかるべき金を払えば許可が取れるのだが、個人で自転車で、となるとほぼ不可能である。
でも行ってみたい人はどうするか?
とりあえず行っちゃうんである。
でも敵もさる者。
そうはさせじと検問が存在する。
そこを通るとき、全くフリーパスのこともあれば、パスポートチェックだけの時もある。
最悪は「許可証を見せろ」と言われることで無いことがばれれば、良くて罰金。
悪ければ圏外追放。

みんなこれを恐れていて深夜にコソコソ通り抜けたりしているが、私はいつも白昼堂々と挑む。
結局パスポート見せただけで終わることが多いからだ。

しかし一度「許可証を見せろ」と言われてしまった。
や、やばい・・・
しかし私には一つの策があった。
取り出したる一枚の紙。
それは大学の卒業証明書(英文)。
私は知っている、中国の多くの公安が英語を話すことも読むこともできないことを。
それはそれらしきフォーマットで書かれ、それらしき判子やサインが載っている。
それをさも当然のように堂々と見せる。
この時注意すべきは
「あなたは英語が読めますか?」
などといったような、誇り高き中国公安のプライドを傷つけるようなことを決して言ってはいけない。
彼がそれを「許可証」だと認め(卒業証明書だが)、そこに「この者の通行を許可する」と書いてあると読んだのなら(○○学部××年卒業としか書いてないが)それでよいではないか。

さらに効果をあげるためには、素早く係の名札を見てその名前から漢族かウイグル族かチベット族か判断する。(漢族なら王○○、李××のような3文字なのですぐ分かる)
そしてそれにあった言葉で対応するのだ。
するときっと笑顔で「一路平安!」と見送ってくれることだろう。

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.: posted by kazumoto 10:02 午後


「NOと言えないニッポン」

新蔵公路は現在道路拡張工事の真っ最中。
そこを通るとき、ただでさえ厳しい道が、川の中を通らされたり掘り下げられた沼の中を通らされたりと苦難を極める。

しかし悪いことばかりではない。
そこでは工事に従事する人々の住むテントがある。
食事どきにそこを通ると、大抵「飯食ってけよ!」と声がかかるのだ。
行けばブッカケご飯ドンブリ超大盛り3杯。
ありがたく頂き出発すると、またすぐ隣のテントからも誘いの声が。
もちろん断ってもいいんだけど、この先もしかしたら食事できるような所が無くなるかも・・・の恐れからまたゴチになってしまう。
こんな調子で一日8食なんて日もあった。

空腹に悩まされることは想定していたが、まさか胃拡張で苦しむことになるなんて・・・
うれしい誤算。

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.: posted by kazumoto 10:01 午後


「雪やコンコ」

前回東チベットの旅では靴を一度も履くことはなく全てサンダルで通した。
その反省を生かし今回は靴を持ってこず。
それは当たりだった、前半においては。
道路工事中では迂回路が川の中だったりして膝までズブズブ浸かって歩かねばならずサンダルの方が便利であった。

しかし後半、状況が一変。
平均標高3000mを越えると毎日のように雪が降った。
たいていニワカ雪程度なので大丈夫だったが、時折一晩中降り続くときもある。
朝テントから出ると一面銀世界。
どこが道なのかすらも分からない。
トラックの残した轍だけが唯一の道しるべ。
それを伝っていくのだが、午前は踏まれた雪が凍ってツルツル滑り脇の新雪にはまり込むと裸足がピリピリ痛い。
でも昼過ぎると融けて道が泥沼と化すのでやっぱりサンダルの方がいいかな。

夜は毎晩氷点下。
前回冬のチベットで寒さに苦しんだ経験を全く生かさず、今回も長年愛用している+10℃仕様の寝袋しかないのでやっぱりつらかった。
夏だから大丈夫だろう、とタカをくくったのが甘かった。
夏の新蔵公路(カシュガルーアリ)は冬の中尼公路(ラサーネパール)より寒かった。

教訓
「備えなければ憂いあり」

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.: posted by kazumoto 9:58 午後


「狼が来たぞう!」

狼に遭った。
結論から言うと襲われることはなかったが。

アリの西、数百kmに渡って人の全く住んでいない地域がある。
そこがすなわち狼出没地域である。
行く前は散々地元民におどされた。
「独りで行くと死ぬぞ!」と。

ならばどうすればよい?と問えば、
「銃を持て」
こんなことになるのならパキスタンのおかしらにトカレフ1丁譲ってもらうんだった。

私にも一応武術の心得はあるものの、珠算3級程度なので狼相手には心もとない。
それ以外の対処法としては・・・
・石を投げる
・棒を振り回す
・とにかく逃げる
・あきらめる
・・・など。
ギャートルズとかわらんではないか。

で、本当に狼はいた。
「ウォーー!」
私を見て天に向かって高らかに吠え上げた。
まるで映画のワンシーンを見ているかのようだ、などと感激に浸っている場合じゃない!
逃げろや逃げろ。
しかし、のち走る狼も見たが、そのスピードといったらとても自転車で逃げ切れるものではなかった。

狼に襲われないためにはどうすればよいか。
答えは一つ。
神に祈るのみである。
ただし注意点が一つ。
出没地域はウイグル族自治区とチベット族自治区の境界にまたがっている。
アラーに祈るべきか、ダライラマに祈るべきか、そのところ間違えのなきよう。

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.: posted by kazumoto 9:53 午後


月曜日, 5月 24, 2004

「中国的職務熱心」

パキスタンから峠を越え、中国に入ってすぐのこと。

道路脇にポツンと立つ建物の前で車が止まった。
どうやらここで荷物検査が行われるらしい。
1人ずつ中に呼ばれ片っ端から調べられる。
小さなスーツケースの人でも15分。
私は荷物が多いので45分もかかった。
ビスケットは箱を開けられ、マネーベルトも全開、現像済みネガの1コマ1コマ、パンツの一枚まで調べられた。
せっかくのパッキングもグチャグチャ。

乗ってきた車もシートはめくられ、車の下にもぐられ、エンジンのパイプは外され調べられている。

結局全員(たった10人なのに)が終わるのに3時間もかかった。
ここはまだ標高4500mくらいあるのだ。
可哀想なのは高山病になっている人で、頭ガンガンしているのに下ることは許されない。

中身の不明なCD、公安には読めないウルドゥー語(ミミズ文字)の普通の新聞(!)まで一旦没収され、検査の末OKなら返してもらえる。
他にチェックの対象になっていそうなのは、武器、麻薬類はもちろん、台湾の国旗、ダライラマの写真、劣化ウラン弾、オサマビンラディンなどは持ち込めないだろう。

こんなこともあろうかとチベットのガイドブック・地図は寝袋に巻き込んでおいたのでセーフ。
もしラディン君と中国を旅したい人は寝袋に包んであげてね。

ラベル:

.: posted by kazumoto 7:09 午後


「パキスタン総括」

皆さんは「パキスタン」と聞いてどのようなイメージを抱きますか?
インドとの領土紛争、核実験国、テロリスト支援国…
マイナスイメージのほうが強いのではないでしょうか。
私もそうでした。

確かにそれは事実かもしれません。
でもそれだけが全てではありませんでした。

チベットへ向かうための通過点ぐらいにしか考えていなかったパキスタン。
しかしまた多くの人々から多くの親切を受けてしまいました。
私が感謝の意を述べると、彼らは決まってこう言いました。

「お礼なんていいんだ。その代わり日本に帰ったら皆に伝えてくれ。世界中の人達はアメリカのプロパガンダのせいでパキスタンが危険な国だと誤解してしまっている。本当のパキスタンは美しい自然と優しい心を持った人々の住む素晴しい国なのだ、と」

<パキスタンデータ>
○滞在日:74日
 うち変り所として‥
 ・キャンプ(首都のど真ん中)12泊
 ・民泊 12泊
 ・ドライブイン(激安宿泊施設)2泊
 ・病院(入院した訳じゃなくて宿を聞いたら紹介された)1泊
 ・警察(逮捕された訳じゃない)1泊
 ・建築中の家(侵入した訳じゃない)1泊

○自転車移動日:28日
○移動距離:2865km(102km/日)
○出費:28500円(380円/日)

ラベル:

.: posted by kazumoto 7:08 午後


「みなしごハッチ」

パキスタンの小さな村の小さな宿でのこと。

夜も更け、そろそろ寝ようと蒲団をかけたところ、突然足に刺すような強烈な痛みが!
ビックリして蒲団を跳ね除けると、そこに居たのはミツバチハッチどころか毒々しい黄と黒の大きなスズメバチ!!
スズメバチに二度刺されるとショック死すると聞いたことがあるのでかなりビビリながら何とか追っ払ったものの、刺されたところがジンジン痛い。

ここは定石通り自家製の聖水をふりかけてみたりしたが(太腿なのでかけるのは楽)ほとんど焼け石に水といった感じで、足はパンパンに腫れ、翌日からはモーレツな痒みが10日間も続いた。
とほほ、、

それにしても、安宿でダニや南京虫に刺された人はこの世にゴマンといるだろうがハチに刺された(しかも野山ではなくベッドで)人はそんなにいないだろう。
またまた体験をしてしまった次第である。

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.: posted by kazumoto 7:07 午後


「クンジャラブ峠にて」

パキスタンと中国の国境、クンジャラブ峠(4730m)。
峠までの道は急坂なくダラダラ登って行くので3000mから出発して気が付いたら峠に着いちゃいました。
高度順応の常識は無視してしまいましたが別段問題なし。

峠といってもなだらかな丘になっていて、まだ辺りは一面の雪原(道だけ除雪)。
日差しがメチャ強いのでTシャツ短パンでも暑い(熱い)くらいですが風が吹いたり日陰に入るとメチャ寒いです。
でもやっぱり高所なので空気薄く、タバコの火が自然に消えてしまう。
(しけていたせいもある)

そこへパキスタン人ファミリー(金持ち)の峠往復ツアージープがやって来て降車するなり、一人がハシ○をプカァ。
鍛え方が違う…

ちなみに峠から中国のイミグレのある町まで120kmはバス強制移動。
自転車はダメ!!

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.: posted by kazumoto 7:06 午後


「シルクロード」

ここ中国の西部の町、カシュガルはシルクロード上にあるオアシスの町です。
さすがそう言われるだけあって、イギリス人がバンドを組んで歌を歌ったりしています。

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.: posted by kazumoto 7:05 午後


「ユパ様」

北パキスタンにあるフンザは「風の谷のナウシカ」のモデルといわれる風光明媚な村です。
さすがそう言われるだけあって、オウムの大群が押し寄せて村を破壊していったりします。
布教活動をしているオウムもいます(現アレフ)。

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.: posted by kazumoto 7:04 午後


「ワンペン!」

以下のことの原因は全て自分も含めた外国人ツーリストのせいなので書かないでおこうと思ったが、ネタが出来てしまったのでやっぱり書く。

パキスタン北部、カラコラムハイウェイ(KKH)上の子供らの
「ワンペン(ペンくれ)!ワンダラー(1ドルくれ)!」
の多さはひどすぎる。
パキスタンでもここだけだ。
会う子供の8割は言ってくる。
しかも無視して通り過ぎると後ろから石が飛んでくる。
子供の投げる石でも当たると結構痛い。

小学校の下校時間に出くわした時にゃ戦慄が走る。
津波のような「ワンペン!」
雨アラレの投石。

一度運悪く後頭部に命中。
頭にきてガキの一匹を捕まえ、先生の前まで引きずっていき
「パキスタンの学校では外人に石を投げるよう指導しているのか!!」
と言うと、先生も驚き謝罪し、そのガキの頭が外れちゃうんじゃないか、と思うくらいビンタをかまし続けた。
ガキ大泣き。

さすがに私も「ちょっと大人げなかったかな」と思い直し、以降は・・・

・「ワンペン」は「ハロー」の現地語であると解釈しこちらも元気良く「ワンペン!」と返事する。
・「ワンダラー」と言われたら「1ドルが何ルピーか知っていたらくれてやる」と返す。(正答率0%)
・「アッサラームアレイコム(こんにちは)」と先制攻撃を仕掛け「ワレイコムサラーム(こんにちはの返事)」と言わせる。それをひたすら繰り返し「ワンペン」と言うスキを与えないようにする。(ちなみにこれに返事をしないことは最大級の敵意表現とみなされる)
・「ペンどころか金が無くてパンも買えないんだ。1ルピー(2円)くれ」と悲壮感漂う顔で詰め寄る。(あまりに真剣にやりすぎて家から余りパンを持ってきてくれた子供がいた。以降封印)

しかし何をやっても結局石が飛んでくる。
何かいい方法はないかなあ。

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.: posted by kazumoto 7:03 午後


月曜日, 4月 19, 2004

「裏技」

カラコラムハイウェイは急な山の斜面に無理矢理道を切ってあるので雨が降ると土砂崩れを起こしやすいそうである。
しかしある時雨が降ったわけでもないのに上からバラバラ石が降ってくる。
見上げれば50mくらい上から子供たちが私めがけ楽しそうに石を投げてくるではないか!!
おそらく子供たちは、あの外国人を殺してやろう、と思っている訳ではなく、犬に石をぶつける感覚だと思うのだが、コブシ大の石がすごいスピードで降ってくるので直撃すれば即死ものである。
しかしその子供たちの純真無垢で無邪気な笑顔を見ていると思わず心和んでしまう、というような仏の心はあいにく持ち合わせていないので、とっつかまえて横っ面に2・3発ビンタを食らわせてやりたいところだったがそんなに上に居ては手も足も出ない。

ここは落ち着いて昔ファミコンで鍛えた腕を生かし、降り注ぐ隕石群を巧みにかわして進んでいく。
3回当たるとゲームオーバーだが、上上下下左右左右BAで最強装備に成れるので安心である。
ただしレーザーは自分でつけてね。

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.: posted by kazumoto 1:44 午前


「シュート!!」

近いうちにこの日が来るとは思っていた。
撃ちました、鉄砲。
前に部族のおかしらの家で銃を見てビックリした話は書いたが、その後泊まる家泊まる家、そこそこお金がある家ならこの辺りでは銃や用心棒は常識なようだ。

ドギューン!!
中国製ライフル、1丁26000円なり。
かなり反動が強くて肩に痣が出来てしまった。

教訓
「ライフルは射撃の基本。脇を絞めえぐり込むように撃つべし撃つべし。」

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.: posted by kazumoto 12:30 午前


水曜日, 4月 07, 2004

「敵情視察」

日本で注目している人は3人もいないと思いますが、今イスラマバードでは南アジアスポーツ大会が行われています。

陸上競技を見てきました。
私は純粋に競技を見たくて行きましたが、これを見に来ているパキスタン人の9割9分9厘は女子選手の短パン姿が目的だと推測されます。(ちなみにパキスタンの女子選手だけはロングスパッツだった)

この調子で女子競泳も見に行きました。
なんてったってインド人やパキスタン人の水着姿が見れるなんて金輪際ない、あ、いやいや、純粋に競技が見たくて行ったのですが、何と男性の入場は禁止!!
プールは秘密の花園でした。

まあ、パキスタン男性にとってこれは国立ストリップ劇場(しかも無料)みたいなものだから、開放すれば全男性人口の9割9分9厘が押し寄せ、競技どころではなくなりそうなので賢明な措置かも。

先日はサッカーの決勝が行われました。
パキスタンの人気スポーツといえば、クリケットとタコ上げくらいで、サッカーの立場は日本のセパタクロー程度のものなのでそんなに期待していませんでした。
しかしそのカードは、開催国パキスタンvs宿敵インド。
これで盛り上がらないはずはありません。
5万人収容の大スタジアムに2万の観衆が集まり、そのうち9割9分9厘は男というムサイ空間で試合は行われました。

試合そのものよりパキスタン人の熱狂ぶりの方が遥かに面白く、結局1-0でパキスタンが勝ち大狂乱の事態になりました。
ゲームセットの瞬間、選手の半分くらいが西の方角に膝まづき額を地面に付け祈り始めたのが印象的。
神は偉大なり。

今度のワールドカップ1次予選で、日本はインドと戦いますよね。
5番のオーバーラップに気をつけろ、とジーコに伝えておいてください。

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.: posted by kazumoto 8:04 午後


月曜日, 4月 05, 2004

「そこのけそこのけ自動小銃が通る(その3)」

寝る前おかしらは言った。
「一人で寝るか?それともこの辺りは危険だから一緒に寝てやろうか?」
私のホモ感知センサーは瞬時にレッドゾーンを振り切った。
「一人で寝ます。」

30分後静かに部屋の扉が開いた。
おかしらだった。
おかしらは私の布団の横にドッカリと座る。
「自転車で疲れているだろう。マッサージしてやろう」

この手のシチュエーションには以前中東の旅でも何度か遭遇している。
もはや驚くことではなく、対処の仕方も熟知していた。
しかしそれらの時と今と決定的に違うのは、おかしらの腰元にはトカレフが巻かれているのである!
下手に怒らせたりするととんでもないことになりそうなので慎重に様子を伺うことにする。

おかしらはまず私の両足をマッサージし始めた。
そしてさりげなく私のMrニョロニョロに触ってくる。
それが意外にいい感じで、危うくMrスナフキンになってしまいそうになったので慌てて手で押しのけた。
するとその押しのけた手をとって今度は腕をマッサージし始める。
そしてその腕をおかしらの股間にグイグイ押し付けてくるのだ。
手の甲に当たる感触から、おかしらの自家製トカレフは既に対戦車用バズーカと化しているのがわかってしまう。
そしてついに私の掌でその砲身を握らせようとした。

「おー、ストップストップ!もう寝るよ!勘弁して!」
するとおかしらは意外にあっさりと諦めて、とても残念そうな顔をして部屋を出て行った。
しかしその後もまたいつ現れるかと気が気じゃなくて安眠どころではない。

翌朝・・・
おかしらは何事も無かったかのように元の紳士に戻っていた。
そして領内のドライブに連れて行ってくれた。
もちろんおかしらは自分で運転などせず、用心棒2人と自動小銃2丁を連れてのことである。

別れ際、「もしこの先困るようなことがあれば私の名前を出すがよい」といって見送ってくれた。
幸い困るようなことは起こらず、会う人会う人、皆暖かく親切でそして誇り高き部族達であった。

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.: posted by kazumoto 7:52 午後


「そこのけそこのけ自動小銃が通る(その2)」

家(城)には数え切れないくらいの部屋があった。
「何人住んでいるのか?」と聞いても、人によって「50人以上」「たくさん」とはっきりせず、平均で80人くらいらしい。
鳥小屋があってそれは私の家より大きかった。
そして家にはモスクがあった。
部屋の一つがお祈りスペースになっているのではない。
庭にモスクそのものが建っているのだ。
プライベートモスク・・・。

しかしこのオッサンはただの金持ちではない。
日本の居間に今日の朝刊が置いてあるかのようにロシア製自動小銃やピストルがその辺に置いてあるのだ。
食後にはみんなでハシ○をプカプカ。
目つきのメチャメチャ鋭い用心棒風の男がハ○シを仕込んでいる姿は失禁ものである。

もちろん私は誘拐されたわけじゃなく、おかしらのゲストとして迎えられているのでこの家を訪れる人はおかしらの次に私に挨拶しに来る。
NO.2である。
この気持ちよさといったら戦車に乗ったどころの比ではない。

夜もふけてきた。
20畳くらいのゲストルームの床に布団を敷いて寝る部族式である。
このままならばいつもの地元民宅お泊りのちょっと変わったパターンで終わるところだった。
しかし話はまだまだ続くのだ・・・

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.: posted by kazumoto 7:51 午後


「そこのけそこのけ自動小銃が通る(その1)」

パキスタンの危険地帯といえば北部インド国境付近のカシミール地方が有名であるが、それ以外にアフガニスタン国境付近のトライバルエリア(部族エリア)がある。
ここはパターン人という世界最大の部族の土地。
パターン人というのは大小様々な部族の総称であり、この地域には国の法律が及ばず自治が任されている。
麻薬・武器・酒が公然と売買され、外国人が誘拐されたりするおっそろしい地域である。

もちろんこの情報は前もって知っていて、今回の中部パキスタンツーリングのルートはこのトライバルエリアを大きく外した道を行った。
しかし一般パキスタン人に言わせるとその道でも誘拐があるので危ない、という。
必ずメインの国道を行くように忠告され、それに従ってさらに大きく迂回するルートをとった。

その国道上のドライブインで夕飯を食っていた時のこと。
一人の身なりのしっかりした紳士がやって来て
「この辺りも危険地帯なので私の家に泊まりに来た方がいい」
という。
その人の元には辺りの人がわざわざ挨拶に来るような
信用できそうな人だったのでついていくことにした。

車に乗って田舎道を行く。
「あれは私の家だ」
しかし車は通り過ぎてしまった。
「あれも私の家だ」
やっぱり車は止まらない。
そんなのが数回続いて
「あれが私のメインの家だ」
しかしそれはもはや「家」と呼べるような代物ではなかった。
砦、要塞、城・・・

もうここまで読まれた方はお気づきだろう。
そう、この男こそ、この地方最大の部族、6万人を率いる部族のおかしらなのであった。

これを日本に例えるなら、
神戸辺りのコンビニで肉マンをかじっていたら通りがかったオッサンに
「この辺りはヤクザの抗争があって危ないからうちに来なさい」
と言われ、行ってみたらその人は山口組の組長だった、
といったところである。

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.: posted by kazumoto 7:49 午後


「パキスタニーレディース」

パキスタンの女性は皆気絶しそうなほど美人である。
しかし都会を除けばその顔を見ることができるのはまれだ。
黒いブルカ(顔を隠す布)をかぶっていて目しか見えない。
しかし更に田舎に行くとその目すらも見えなくなる。
顔全体をスッポリ覆ってしまうのだ。
パキスタンではイランなどでも見られるこの黒いブルカの他に白いタイプのものもある。
それは頭から足までスッポリかぶるポンチョのようで、顔の前は格子状の網になっていて中身を想像することは全く不可能。
頭の先っぽがピョッコリ出ていて、まるで歩く哺乳瓶(コンドーム?)
「そんな人が5人も集まっていたら、子供はどれが自分のお母さんかわからなくなるのでは?」と聞いたら、やっぱりわからないらしい。

写真でお見せできれば皆さんにもよく理解してもらえるだろうけど勝手に写真を撮るなど言語道断。
「写真を撮っていいですか?」と聞くのも、日本人に「風呂に入っているとこを覗いていいですか?」と聞くくらい勇気が要る。
どうせ答えは「NO」に決まっているし。

誰かさんちにお世話になっても姿を見せるのは男ばかりで奥さんや娘が出てきたことは一度もない。
扉の向こうで料理しているのに。
初めの家が特別なのかと思ったらその後どの家でも同じであった。

だからパキスタンにいる今まで1ヶ月の間に女性と話したのは7歳ぐらいのチビッコに「ハロー」といわれた1回コッキリ。
この子は将来大物になろう。

来んな厳しい男女関係の国なので、結婚前に付き合うなんてありえない。
「パキスタンにはホモが多い」とよく言われるが半分は正しいが半分は間違っている。
「メチャメチャ女好きだがその環境がないので男同士で我慢している」
というのが正しい。

だからいざ結婚するとマシンと化してしまい、速攻で10人のパパである。
もはや「子供は10人」と聞いても驚かなくなってしまった。
逆に「2人」とか言われると
「どこかお体の調子でも悪いんですか?」
と心配になってしまう。

最高24人の子持ちの人がいて(妻は3人)、
「子供の名前をちゃんと覚えられるのか?」と聞くと、やっぱり覚えられないらしい。

パキスタンに「スエ男」や「トメ子」は存在しないとみた!

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.: posted by kazumoto 6:48 午後


「バングラデシュ・パキスタン比較概論第一」

1971年の独立以前バングラデシュはパキスタンであった。
元々は一つであったこの両国を比較する。

まずバングラデシュにおいて(以下は大いにインドも同様)、役所・銀行・郵便局などに勤めるものは、無能・有象無象・人の形をした虫ケラの集団である。
彼らの主な業務は、いばること、ワイロを請求すること、できるだけゆっくり仕事をすること、である。
彼らに関わらねばならなかった後は火炎放射器で全員を焼き殺したい衝動にかられる。

特に警察はひどいようで、まず警察になるためにはコネと多額のワイロが要求される。
いざ警官になるとその金を回収するために、適当に因縁をつけ罪のない市民を逮捕しワイロを請求し私腹を肥やす。
以前警察署内で外人女性がレイプされる事件もあったらしい。
メチャクチャである。
「バングラで一番の悪党は警察だ」と警官の息子が言っていたので間違いなかろう。

してパキスタン。
どうせ似たようなものだと思っていた。
しかし全然違った。
どの役人もやたら丁寧で親切でそれなりにテキパキ仕事をするのである。(地元民には厳しいらしい)

道を走っていると検問やパトカーにしょっちゅう止められる。
パキスタン国内を自転車で旅することは自由なので別に恐れる必要はないのだが、やっぱり嫌なものだ。
止まるとひと通り質問される(どこから来た、とか)。
しかしそれは尋問というよりは好奇心から出る普通のオッサンの質問と同じである。
そして質問の後には必ずチャイやジュースの接待付き。
別れ際には「腹減ったら食べなさい」とお菓子や果物を買って持たせてくれたり、「困ったら電話しなさい」と携帯番号をくれたり。
パキスタンでは警官にお世話になりっぱなしだった。

そしてこの両国を比較すると一番の特徴は一般市民は皆この上なく親切である、という点でまったく同じであるということだ。

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.: posted by kazumoto 6:44 午後


土曜日, 3月 27, 2004

「原っぱ」

インダス川中流からやや東に「ハラッパ」というインダス文明の遺跡があります。
世界史の授業の1回目か2回目をちゃんと起きていた人なら、モヘンジョダロとともに名前ぐらいは聞いたことがあるのではないでしょうか。

でもここのレンガを持ち出して、近くの鉄道建設に使っちゃって今はほとんど何も残っていない「原っぱ」と化していることは教科書にも載っていない事実です。
また入場チケットには「尊敬すべき外国人旅行者用」と銘打って現地人の20倍もふんだくっていることも教科書には載っていません。

結論「インダス文明を見たけりゃモヘンジョダロに行け」

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.: posted by kazumoto 1:02 午前


木曜日, 3月 18, 2004

「そこのけそこのけ戦車が通る」

トラックストップで一休みしていた時のこと。
もうもうと砂煙を上げながら数十台の巨大なトレーラーが入ってきた。
各トレーラーには戦車を載せている。
パキスタン陸軍の演習帰りで、トレーラーの一台がパンクし修理のため止まったようだ。
直している間ボスを中心に兵士たちは私の周りに集まり話に花が咲く。
充分打ち解けたと見計らったところで言ってみた。

私:戦車に乗ってみたいなあ。
ボス:ばかなこと言っちゃいかんよ、それは無理だ。
私:はは、冗談ですよ。

となるはずだったのだが、なんと、、、

ボス:いいよ。

戦車のコックピットは狭かった。
ちょっと前進と後退もさせてもらった。
砲身旋回して2時の方向にぶっ放したかったが代わりにボスが屁をぶっ放した。

話ついでに基地までヒッチさせてもらうことになった。
後ろに戦車30台を引き連れてのドライブは気持ちいいものである。
しかしまた別のトレーラーがパンクし大ストップ。
結局自転車で行くのと大差なかった。

それにしてもこんなにパンクばかりしていて有事の際大丈夫なのだろうか?!
いや、それ以前に国家の重要機密であるはずの兵器にどこの馬の骨ともわからん奴を乗せちゃっていいのだろうか?!

こんなオチャラケたことしてるからいつもインド軍にケチョンケチョンにされちゃうんである。
パキスタン兵士の皆さん、次の印パ戦争では頑張ってくださいよ!!

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.: posted by kazumoto 1:08 午前


木曜日, 3月 11, 2004

「お前のものは俺のもの」

パキスタンとインドは北部カシミール地方の領有権を巡り現在も対立しています。
中国も含めこの3国間の国境線ははっきりしないところが多いです。

パキスタン発行の地図ではインド側にグワーとせり出しているし、インド発行の地図ではパキスタン側にグワーとせり出しています。
中国発行の地図にはインド北東部に、シッキム(首都ガントク)という小さな独立国が見られます。(この問題は去年の中印首脳会談で解決したか?)

この手の状況はほかの地域にも見られ、例えばシリア発行の地図には「イスラエル」という国は存在しません。
そこには「パレスチナ」という国があるからです。

またトルコ発行の地図には、キプロスが南北2つの国に分かれています。
北キプロスはトルコのみが認める国です。
戦前の日本のみが認めた満州国と似たような状況でしょうか。
しかし実際行ってみましたが、そこは明らかに2つの国が存在し、南北間には鉄条網の国境がしかれ、行き来するにはパスポートに判子を押す出入国審査が必要です。
通貨も南北で違います。

そうだ、もっと身近にありました。
おそらくロシア発行の地図には北方四島はロシア領になっているのでしょう。

果たしてこの世界には、何通りの世界地図が存在するのでしょうね。

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.: posted by kazumoto 5:32 午後


火曜日, 3月 09, 2004

「飛行機心得」

はじめに。
これを読んでもよい子は決して真似しないでください。
よい大人になれません。
またよい大人も決して真似しないでください。
悪い大人になってしまいます。

なぜか私の乗る飛行機はすごい夜遅くだったりメチャメチャ朝早かったりする。(今回のもAM1:30だった)
そうなると前日から空港で泊り込みである。
皆様もご存知の通り空港では何でも高いのでなるべく消費したくない。
よって飛行機に乗込む時にはいつもハラペコである。

今までの中で一番ひどかったのは、カルカッタ→モスクワ→アテネの飛行であった。
モスクワで4日のトランジット。
しかしトランジットビザは72時間のみ。
つまり丸一日は空港内で過ごさねばならない。
ビスケットをかじって何とか生き延びたが飛行機に乗った時にはすでにフラフラである。

待望の食事が来た。
スッチーが聞く。
「肉にしますか?魚にしますか?」
あまりに飢えていた私は思わず言ってしまった。
「両方ください!」

一瞬スッチーは困った顔をしたが「もし余ったらあげますよ」。
一応全員に配り終えた後ちゃんと持って来てくれた。
パンも山ほどくれた。

皆さんも腹減ってどうしようもない時は試してみてください。

また機内でもらえる絵葉書(たいてい飛行機の写真)を書いてスッチーに出しておいてくれるよう頼むと切手無しでも届きます。(どういう仕組みかは知りません。全ての航空会社でやってくれるかどうかもわかりません。)

皆さんも切手を買うお金が無い時は試してみてください。

それでは皆さんもよいフライトを!

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.: posted by kazumoto 3:09 午後


水曜日, 3月 03, 2004

「文化の壁」

私の旅では、ある国に行ったらその国の文化風習に従うのが大原則である。
しかしたまに例外もあって、紙拭き文化の中国で水で洗っていたら変な目で見られた、というのは以前書いた。

そしてもう一つあった。
それはインド・バングラデシュにおける座りション文化である。
一度試しにやってみたのだが、長年の癖でしゃがんでしまうとウンコをしてしまいそうになるのだ。
これはアセった。

しかしこの座りションもこの国の文化に合っているのだ。
男でも足首まである長い巻きスカート(ルンギ)をはくので、立ちションしようとすると、ガバッとたくし上げなければならず、座ってチョロチョロやった方が都合がいいようだ。

ちなみにズボンの人も座りションする。
ズボンを脱いじゃうわけではなくてチャックだけ開けてする。

また便所には座りション用便器まである。
便器といってもただ足置き用のブロックが2個あるだけで穴はない。
前方に溝がある。

お隣ビルマでは男女共にルンギ着ていて、男は同じように座りションだが、何と女性は立ちションである。
道端で難しい顔してジッと立っている人は、もよおし中か考え中である。
もちろん足元やすそはビショビショになるが一日に何度もルンギつけたまま水浴びしているので問題無いらしい。

いやはや、所変われば、ですね。

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.: posted by kazumoto 8:31 午後


木曜日, 2月 26, 2004

「インドに向かいし者たちへ」

インドのデリーは世界最悪である。
ちなみに2位はモロッコのタンジェである。

何事もなくデリーを脱出できたらインド旅行の危険の90%は回避できたといってよい。
以前デリーの騙し屋と話したことがあって、面白いネタをいろいろ聞いたので一部を紹介しよう。

彼らは非常によく人を見て選んでいる、ということである。
いかにも長期旅行者風は相手にしない。
まずワナにかからないし、たいした金も持っていないから。
彼らが狙うのはピカピカのバックパックを背負った(←ここがポイント)1人か2人組(3人以上は警戒心が強くなり駄目らしい)、男女は関係ない。
そして3月が一年のうちで一番の稼ぎ時である(学生の春休みシーズン)。
この1ヶ月がんばって働けば(騙せば)、残りの11ヶ月は充分遊んで暮らせるそうである。

まもなくその3月。
いまやインド中のワルがデリーに集結していることだろう。
そして今年も多くの日本人旅行者が彼らのエジキに…

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.: posted by kazumoto 8:16 午後


「バングラデシュサイクリング事情」

今回初めてバングラデシュを自転車で移動してみて驚いた。
この国はとてもサイクリングに適した国である。
特に海外サイクリング未経験者の入門用にはもってこいの国なのだ。
理由を挙げてみよう。

・行けども行けども見渡す限りの平地である。今回800kmの走行中上ったのは2回渡った橋だけ。川はたくさん越えたがほとんど橋はかかってなくて渡し舟を使う。

・道幅は十分広く、舗装状態は驚くほど良い。日本並み。

・車の運転は荒っぽいが圧倒的に数が少ないのでヒヤリとする場面はごく稀。

・幹線は車が多いがちょっと外れればそれはそれはのんびりとした静かな田園風景の中の道を行ける。

・自転車を停めて一休みするとすぐ100人くらいに囲まれるが逆に囲まれることにより安全は守られる。自転車をほっぽいといても自動的に彼らが監視役になっているので大丈夫。

・たとえ英語もベンガル語も全くできなくてもどこかから親切な人が来て助けてくれる。

・食事、休憩ポイントはいくらでもある。宿も鉄道駅やバスの停まるような町なら間違いなくある。運悪くなかったとしてもきっと誰かが泊まりに来い、と言ってくれる。

こういうわけだ。
さあ、サイクリストよ、バングラデシュを目指せ!!

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.: posted by kazumoto 8:15 午後


「バングラデシュ・インド比較概論第一(2回目)」

インドにはさまざまな手段を使って旅行者から金を騙し取ろうとする奴が大勢いる。
(ズドンと一発とかボコボコにして力づくで、とかはあまり聞かないが)

中でも最も注意すべきは巧みな日本語使いである。
旅の上級者はその辺よく知っているので相手にしないが、インド初心者にとっては、困っているところにサッと現れ親切に助けてくれるのでコロリと騙され、後でドカンと持っていかれてしまう。

対してバングラデシュ。
実はこちらにも大勢の達者な日本語使いがいる。
町を歩いていると結構頻繁に日本語で話しかけられる。
しかし警戒する必要はない。
彼らは以前日本に出稼ぎで働いたことのある人たちで日本人を見て懐かしがって話しかけているだけなのだ。

昔はバングラ人は簡単に3ヶ月のツーリストビザがもらえた。
しかし来日しても3ヶ月で帰るはずがなく、多くは10年とか15年とか不法滞在して働き、最後に警察に捕まって強制送還される。
そのあまりの多さに大使館は個人の申請ではビザを出さなくなった。
(↑これは聞いた話です。詳細は違うかも)

時々小さな村の中に豪華な家が建っていたりする。
それは「日本ハウス」と呼ばれる出稼ぎ組の家なのだ。
当然それを見ている他の人らも日本に行きたがる。
だが決してビザは下りない。
お前の力で何とかしてくれ、と私に頼んでくる。
しかし悲しいかな、私は何の力も持たないただの旅人。
それは難しい、と諭してもなかなかわかってもらえない。

バングラデシュ人の親切にいつもあやかりながらこういうところではまったく力になってあげられない…
己の無力さを痛感する。

ラベル: ,

.: posted by kazumoto 8:14 午後


「事故った!」

時は2004年2月16日。
とある田舎の幹線道路を一台の自転車が横断しようとしていた。
常にサーキット状態にあるこの国の道を横断すること自体かなり無謀なのだが、その自転車は決行した。
そこへ猛スピードの乗用車が衝突!
自転車はグルリングシャグシャ。
周りで見ていた大勢の人々が制止しようとするが車はそのまま突っ走って逃げていった…

という事故を目撃したという話です。
私が事故ったわけではありません。
必死の形相で逃げにかかるドライバーの顔が印象的。
すぐさま野次馬の一人が後続の車を止め追跡開始!
運良く(悪く?)前方で踏切が閉まっておりそこで御用。
ものすごい量の人が群がっており、おそらくそいつは引きずり出されボコボコにされていることだろう。

私はトバッチリを避けるためさっさとその場を去りました。

ラベル:

.: posted by kazumoto 8:14 午後


土曜日, 2月 21, 2004

「スチューデントライフ」

ボリシャルではヒョンなことから大学の寮でしばらくお世話になっていた。
この大学は全寮制。
授業は8:00〜13:00、後は自由。
ずうずうしくも講義まで参加し、先生から質問され
「そうだと思いますが専門外なので確かなことは分かりません」
とアカデミックな返答で切り抜けた。

学生生活はやはり夜が面白い。
娯楽室みたいなのがあって、テレビの前にみんな集まってアメリカ映画を観る。
その中で心が洗われるようなシーンになるとピュ〜と早送りしてしまうのだ。
さすがイスラム国。

と思ったら映画が終わると低学年の学生は部屋から追い出され、高学年だけが残ってさっき飛ばしたシーンだけをワザワザ見直す。
ボリューム担当は、声が大き過ぎず小さ過ぎず調整するのが大変そう。

そしてそれからは心が洗われるような映像専門のアメリカ産ビデオを立て続けに3本見た。
100人くらいで一緒に見ている時点で既に異様なのだが、私にとってもっと不思議なのはこのビデオで大爆笑が起こることだ。

そのシーンはさくらんぼみたいなのに生クリームを塗って舐めたり、バナナみたいなのにチョコを塗って舐めたりするシーンだった。
みんなの大爆笑の中、私一人「うまい棒のチョコバナナ味は美味しいんだけど、小さいからメンタイ味にすべきか迷っていたなあ」と考えていた。

ちょっと話はそれるが、南アジアの映画は笑いが単純である。
ずっこける、叩かれる、などで大爆笑。
単純ゆえに言葉の分からない外国人にも面白いことは分かる。
以前日本で働いたことのある人に「日本の好きな番組は?」と聞いたら「シムラケン、バカトノ」と答えてくれた。
それと同じことだろう。
志村けん、偉大なり。

またどうにも理解に苦しむのがアメリカンジョークである。
どこが面白いのかさっぱり分からない。
アメリカ人の知能レベルを疑う。

話を戻そう。
そのとき見たビデオの中で2本目にはインド人が出ていてやっぱりインド女性はとても美しかった。

一応バングラ学生の名誉のため言っておくが、授業態度はきわめて真面目で私の学生時代より10倍真剣である。
ビデオを見る目は20倍真剣であったが・・・

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.: posted by kazumoto 1:59 午前


「バングラデシュ・インド比較概論第一(5回出席で2単位)」

バングラデシュとインドの違いは何か?と考えたとき、ほとんど変わらない、と思ってさしつかえない。
言葉・食事・衣服・乗り物・宗教などなど細かい点に違いは見られるが、大方はよく似ている。

しかし私は長期にわたる現地調査の末、ある一つの決定的な違いを発見した。
それは「ノープロブレム」の使い方である。
まずは例を見てみよう。

インドの場合…

・バスに乗っていたらトラブル発生、修理が始まる。
 私「いったいいつになったら出発できるんだい?」
 運ちゃん「ノープロブレム」

・町を歩いていたらリキシャに足を踏まれた。
 私「痛い痛い!」
 リキシャ引き「ノープロブレム」

対してバングラデシュの場合…

・宿の部屋を案内してもらう。文句なし。
 宿ボーイ「Anyプロブレム?」
 私「ノープロブレム」

・食堂で頼んだものが並べられた。
 食堂ボーイ「Anyプロブレム?」
 私「ノープロブレム」

これらから見て分かるように、インドでは明らかに問題があるときにそれをはぐらかすために現地人がよく「ノープロブレム」を使う。
対してバングラデシュでは明らかに問題がないのにわざわざ気を遣ってくれたことに対し旅行者が「ノープロブレム」を使うのだ。

これこそ両国の決定的な違いである。

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.: posted by kazumoto 1:58 午前


「2月14日」

さて問題です。
2月14日は私にとって何の日でしょう?

3、2、1、ブー。
時間切れ。

バレンタインデーではありません。
それは私には縁のない話です。
答えは、一年前のこの日、肝炎による黄疸が出て入院した日、でした。
あれからもう一年も経ったのか…
月日の過ぎるのは早いものです。

あなたが黄色くなったから
今日が私の肝炎記念日

ラベル:

.: posted by kazumoto 1:57 午前


「血祭り」

2月1日〜3日はコロバニイード、犠牲祭でした。
これはその昔ムハンマドがどーたらこーたらでああしたらしいという、理由はこの際どうでもいいのだけど、町中で牛・羊などが生け贄として殺され神に捧げられるというお祭りです。

祭りはその数日前から始まります。
空き地や道路に何百という牛が売られるため集まります。
その規模はドナドナどころの騒ぎでなく、強いて言うならばドナドナドナドナドナドナドナドナ…ぐらいすごいです。
そして1頭1万〜100万円くらいで買われ町のあちこちにつながれその日を待ちます。

祭り初日、朝のお祈りの後、牛は足を縛られ、倒され、数人に押さえつけられ、ナタでギコギコ首を切られます。
グェ〜という断末魔の咆哮、
ビュービュー噴出す鮮血、
ブシューブシューという気管から漏れる息。
町の川は洗い流された血で真っ赤に染まります。

事切れた牛は皮をはがれ細かい肉片になり、その日の昼食の皿に並びます。
その食事にはその辺をフラフラ歩いている外国人も気軽に招いてくれ、ご一緒させてもらえます。
また貧しい人にも肉が分けられみんな幸せになれます。

コロバニイード、スプラッターかつハートウォーミングなイスラムの大切なお祭りのひとつです。

ラベル:

.: posted by kazumoto 1:57 午前


「カユイ!PART2」

だいぶ前に書いた、映画館に行って椅子に座ったらダニの巣窟になっていてひじと背中がボコボコに腫れた、というのはバングラデシュでの話でした。

その後私も賢くなって、映画を観る時は館内に入るとすでにドッカリ座っている人に
「その席で見たいから一つずれてよ」
とお願いするようにしていました。
バングラデシュの人はとても親切なので喜んで換わってくれます。

で、今回も懲りずに映画館に行きました。
しかし!
ありがたいことに係りの人が気を利かせて入場待ちの行列をすっ飛ばして先に入れてくれてしまったのです!
つまり中には私一人。
どこが当たりかハズレか分からない。

一か八か適当に座ってみました。
お尻だけチョコンと。
しかしこの姿勢を3時間もある長いバングラ映画で続けるのはあまりにも辛い…
思わず背中もたれてしまいました。
その瞬間…

背中ボコボコ。
あなどるなかれ。

ラベル:

.: posted by kazumoto 1:55 午前


木曜日, 1月 29, 2004

「タイにはあってインドにはないもの」

バンコクで夕暮れ時になると公園に大勢の人がやって来て
ジョギングしたり、サイクリングしたり、セパタクローしたり、
エアロビクス(!)したりしています。
日本でもジムなどで頑張っている人が沢山いますが、
よく考えてみれば、せっかく得たカロリーを自ら苦労して消費するなんて、
なんて無駄な事なんでしょう!!
インドでは見たことない!

もちろんインドでも上流階級の人はカロリー過多ですが
大抵なすがまま、ブヨブヨに太っています。
それが金持ちの証でもあるわけです。

あとタイにはあってインドにはないもの、それはペットフード。
スーパーの棚にずらり並ぶ「猫まっしぐら」。
富める国ならでは、ですね。

国によっては犬・猫自体が食われてしまうというのに・・・

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.: posted by kazumoto 10:21 午後


水曜日, 1月 28, 2004

「ゾンビ」

死体博物館に行ってきました。
寺もムエタイもオカマバーも行ってないけど、死体博物館には行ってきました。

ここはある病院の一角にある標本室のようなものでいろんな病気とか事故とかで死んだ人間のエグイ標本が
これでもかと並んでいます。
お食事中の方に申し訳ないので詳細は省きますがとにかくエグイです。

どうも私はこの手のエグイのが好きで、大学で東京に初めて来た際は、いの一番に目黒の寄生虫博物館に行きました。
「樹脂で固められた人間が輪切りの標本になっている」展が上野の博物館に来た時は学校をサボって見に行きました。
エジプトのミイラ室では食い入るように凝視し、絵葉書まで買ってしまいました。
イタリアのカタコンベ(地下墳墓)の何百体というタキシードやドレスを着たガイコツを見た時は夢に出てきてうなされました。

しかしこれは人間ではなく物体として見ているので平気な気分でいられるわけですが、お葬式の時に棺桶の窓からみんなで覗いて
「あら綺麗なお顔、生きてるみたいねえ。」
といったりするのはどうも・・・。
「死んでるよ!」と突っ込みたくなります。
見る方も見られる方も嫌だろうにねえ。

伊丹十三も映画「お葬式」で皮肉ってましたよね。

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.: posted by kazumoto 9:55 午後


金曜日, 1月 23, 2004

「後日談 その2」

旅に出る前に掛け捨ての海外旅行傷害保険をかけてあったので、現地での手術・入院代、日本への飛行機代、日本での入院・リハビリ代その他諸々、全て保険で払ってくれた。

その額、総額300万円!!
こりゃもう保険無しでは怖くて旅できませんわ!

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.: posted by kazumoto 2:41 午前


「後日談 その1」

第8話にて、全身麻酔から目覚めたとき私の周りには大勢の医者や看護婦がいた。
そのときはどうも思わなかったのだけど、後日気になることを聞いた。

ごく稀にある事故らしいのだが、麻酔の量を間違えて多く入れてしまうとそのまま昏睡してしまって一生目覚めないのだとか。

もしかしてあの大勢の顔ぶれは
「こいつ全然目覚まさないじゃないか・・・」
という集まりだったのかも・・・??

あるいは、全裸(パンツも無し)にて手術を受けさせられたので
「やはり日本人のチ○コは小さかった!」
とみんなで話していたのか?!

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.: posted by kazumoto 2:39 午前


火曜日, 1月 20, 2004

「第31話 大団円」

病院にやって来た。
あの時は夜に入り、早朝に出ていったのでどんな所か分からなかったのだが来てみてビックリ。
庭・噴水付の豪華私立病院だったのだ。

懐かしい院内に入り、通りかかった人に当時一番よくしてくれた看護士さんの名前を伝えた。
しかしその人は数ヶ月前にここを辞めていたのだった。
残念な気持ちで帰ろうとすると、そこに白衣に身を包んだ男が通りかかった。
「あっ!」と声をあげたのは同時だった。

そう、その人は足の手術を担当し、入院中にいろいろ面倒を見てくれた主事の先生なのだ。
元気にピョンピョン走り回って見せるととても喜んでくれ、
「また事故ったらここに運んでもらえよ!」
とニコニコ話してくれた。
でもそれは勘弁。

・・・
2ヶ月後、ついに目的の地であるユーラシア大陸最西端、ロカ岬に立った。

         <完>

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.: posted by kazumoto 10:30 午後


「第30話 再訪」

走り始めると不思議なことに気付いた。

覚えているのである、何もかも。
店、看板、道のカーブ具合、木、普段なら目に入ってくるだけで記憶には残らないちょっとした風景が全て。

そしてしばらく進むと、突然記憶にない風景が続くようになった。
そう、そここそが2年前事故に遭った場所に違いないのだ。
私は自転車を降り、辺りの草むらを探し回った。
もしかしてそこにクシャクシャになったあの自転車の残骸があるかもしれないと思ったからだ。

何度も何度も往復したが結局それをみつけることはできなかった。
トルコで最期を迎えてしまったあの愛車に静かに手を合わせた。
学生時代の思い出の全てを共有したあの自転車に。

気を取り直し、再び漕ぎ始めた。
次なる目的地はあの9日間入院した病院である。

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.: posted by kazumoto 4:12 午後


「第29話 復活」

しかし一年間全く動くことのなかった足の筋肉はすっかり退化してしまっていた。
完全復活に向け、ピンポンダッシュや食い逃げなどの厳しいトレーニングを自らに課した。

そしてさらに時は流れ、事故から2年後の夏、私は再びトルコの大地に降り立った。
あの時、あの事故で中断してしまったあの旅を完結させるためである。

私は新しい自転車にまたがり、同じ道を走り始めた。

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.: posted by kazumoto 2:13 午前


「第28話 奇跡」

3ヶ月の入院・リハビリ生活が続いた。
この間先生に言われたことは
「たとえ反応がなくても動くのを意識して念じろ。そうすれば神経の回復も早まる」
ということだった。

時は流れた。
あの忌まわしい事故から約一年後。
私はサザエさんを観ながらもはや日課となった自己リハビリをしていた。
動くことのない左足首に手をあてながら。

・・・はじめそれは脈だと思った。
あまりにも弱いピクピクとした動きだったから。
しかしその脈は自分の意思で動かすことができるのだ。

そう、これは脈ではない!
弱々しくはあるが紛れもない、筋肉の動きなのだ!
ついに、ついに復活したのだ!
トルコの医者が行った手術は成功していたのだ!
毎日毎日念じ続けた甲斐があった!

その甲斐あって、今では手を使わずともテーブルの上の灰皿を動かしたり、女子高生のスカートをめくったりできるようにもなった。
怪我の功名である。

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.: posted by kazumoto 2:09 午前


「第27話 更に真実」

更に遅れて届いた事故証明書から事故発生の状況も明らかになる。

追越をかけた車は私に斜め前方から衝突する形になったため、私の体は道の脇に吹っ飛ばされた。
落ちた所が草地で、しかも顔面から落ちたため顔の表面を軽くこすっただけで済んだのだ。
だからそれで出来たカサブタも数日後にははがれている。(第16話参照)

もし落ちた所がアスファルトの上で、しかも後頭部から行っていたら今ごろはあの世行き、よくて植物人間か。

事故直後、右目が見えなくなったのは一時的なショックなためでこの日本帰国時点で既に回復していた。

また、右足ひざ裏の切れた個所も、その豪快なえぐれかたの割に神経切断程度で済んだのは奇跡であり、すぐ真横にある靭帯が切れていたら半年は歩行不可能、動脈が切れていたらオダブツか切断は免れなかったらしい。

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.: posted by kazumoto 1:01 午前


「第26話 真実」

日本の病院にそのまま入院することになった。

こちらの担当の先生(もちろん日本人)にトルコの病院から預かってきた診断書・手術経過書・レントゲン写真などを渡す。
診断書などはもちろん全て英語で書いてあって読んでみようと思ったのだが、一分で眠くなってしまうような代物だったのでそのまま先生に渡した。

その結果、驚くべき事実が明らかになった。
まず私が日本の病院に真っ先に期待していたのは、この動かなくなってしまった足を何とかしてもらいたいということだった。
しかしそのための処置はもう既に完璧に済んでいたのだった。

つまり、私がガスでグースカ寝ている間にトルコのお医者様は切れた神経を顕微鏡で覗きながら縫合手術をしてくれていたのだ。
ただ神経というのは、切れたのを結んだからといってすぐに回復するわけじゃなくて、切れた個所から1日1ミリずつゆっくり感覚が戻っていくらしいのだ。
ひざから下、全て戻るまで約一年。

そう言われてみればトルコでの初めての回診のとき、医者はいろいろ説明してくれていたのだが私は頭が真っ白になってしまって全然聞いていなかったのでもしかしたらその辺も言ってくれていたのかもしれない。(第9話参照のこと)

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.: posted by kazumoto 1:00 午前


「第25話 賭け」

ついに日本に着いてしまった。
しかし喜ぶのはまだ早い、大きな関門があった。
というのは、この時私のかばんの中には税関の人が見たら大喜びでカツアゲしてしまいそうな写真がたくさん載っている本が入っていたのである。

トルコを出る時処分しようとも考えたのだが、せっかく築いた信頼を本ごときで崩されちゃいかんと思い
持って帰って来てしまった。
しかしもし税関で見つかった時には
「あなた、こんな姿になりながら何考えてるんですか?!」
とお目玉食らってしまう可能性もある。
これは大きな賭けであった。

で結果、税関はフリーパス。
こんなんだったら拳銃でも麻薬でも象牙でも何でも持ち込めたかも。
密輸に携わるみなさんは、私くらい体を張ってやってもらいたいもんである。

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.: posted by kazumoto 12:59 午前


「第24話 祭り」

優しいスッチーが言う。
「もしトイレに行きたくなったら遠慮なくお申し付け下さい。肩をお貸ししますので。」

な、なにー!
これはぜひ遠慮なく肩をお借りしたい!
私は遠慮なく水やビールをがぶ飲みし、遠慮なく膀胱をいっぱいにさせ、遠慮なく言った。

「はいはーい!すみません!トイレに行きたいんですけど!」
「承知しました。少々お待ち下さいませ。」

あれれ?
スッチーはどこかに行ってしまった。
代わりにやって来たのは、フランス人大型スチュワード3人。
3人にひょいと担ぎ上げられ他の上客の視線を浴びながら通路を運ばれる。

「祭りだ祭りだ!ケンカ神輿だ!ワッショイ!ワッショイ!」

神輿はトイレに到着したが、狭い室内で四苦八苦していると外から「ドンドンドン!大丈夫か?!何かあったのか?」と必要以上に気を遣ってくれて嬉しい限りであります。

もちろん帰りもケンカ神輿。
以降水分を控えたのはいうまでもない。

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.: posted by kazumoto 12:58 午前


「第23話 上客」

パリの空港のラウンジでメシを食っていると(一応ビジネス客なので)同じ飛行機に乗るらしき日本人がドヤドヤやって来て、バカデカ声でゴルフの話とか下らぬシャレとか言いガハハと笑う。
別の所ではブランド品がどーのこーのとか免税店がどーのとか話すおばさん。
私は今からこういう人たちのいる国に行くのか、と思うと吐き気がしてきた。

ここから名古屋までの12時間はビジネスクラスの旅。
スチュワーデスは半分は日本人。
いろいろ丁寧に面倒みてくれ、気遣ってくれる。
自分はお金払っていないのにこんなにサービスしてもらっていいの?!と思うくらいで逆に恐縮してしまった。

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.: posted by kazumoto 12:56 午前


金曜日, 1月 16, 2004

「第22話 世界の車窓から」

飛行機の窓からはいろいろな風景が眺められる。

日の出の太陽でエーゲ海がキラキラと黄金色に輝いていた。
ギリシャの台地、アルプス山脈の険しい山々、フランスのパズルのような畑地帯。

細く道も見える。
もしかしたら自分はあの道を走っていたかもしれないのだ。
時速20kmでノロノロと。
それなのに今自分は1万m上空から時速800kmの速さでその道を見ているのだ。
なんでだ?どういうことなんだ?
窓の外の景色は悔しさの涙でにじんでしまった。

まもなく花の都パリに着く。

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.: posted by kazumoto 2:28 午後


「第21話 帰国の途」

入院9日目、最終日。

早朝、いよいよ病院を出る。
ここから日本までの道のりは、

病院から最寄りの空港まで救急車

イスタンブールまで飛行機(トルコ航空・前後2席)

パリまで飛行機(エールフランス・前後2席)

名古屋まで飛行機(エールフランス・ビジネス横2席)

空港から名古屋の病院まで救急車

という豪華24時間の旅である。

飛行機の搭乗者名簿の「VIP」リストにはしっかり私の名前が載っていて乗り降り時などいろいろ面倒みてくれる。

また空港に着けば、私の名前の書いてあるプラカードを掲げた人が待っていてその人が乗り継ぎの手続きとかをやってくれるのだ。

だから名古屋の病院に着くまで私がやったことといえば、飛行機の席の横までつけられた車椅子からよいしょっと席に移動するだけ。
ただこれだけであった。

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.: posted by kazumoto 2:27 午後


「第20話 準備完了!」

出発に備えての準備をする。
半年間一緒に旅してきた数々の品々。
でも全部持って帰るには重過ぎるので多くをここで処分した。
ほとんどは病室に出入りする人々がもらってくれた。
それらには折鶴と「ありがとう」の言葉を添えて。

明日日本に帰ることを話すと、みんな
「よかったねー!でも寂しいねえ。また来てね!」
と言ってくれ、うれしいのだが事故では来たくない。

中には見たことのない人まで混じっているので私が不思議そうな顔をしていると、その人は言った。
「私の声に聞き覚えがないかな?」
おー!その声は電話交換手の人ではないですか!
毎日のように話はしてたんだけど、わざわざ見送りに来てくれるとは感激!

みんな頼んでもほとんど仕事をしてくれない人達でイライラすることも多かったけど、ベッドから動けない私にとって時々現れる彼ら彼女らと話ができる時間は一時の安らぎであったことは確かだ。
病院という一種変わった世界の中にも感動的な出会いがあった。
まるでこの旅の最後を象徴するかのようだ。

そう、あと4時間後、一眠りした後にはここを出て日本への道が始まるのだから…

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.: posted by kazumoto 1:04 午後


木曜日, 1月 15, 2004

「第19話 改造人間」

入院8日目。

いよいよ明日日本に向け出発する。
朝、顔の手術担当の先生が来て、自分の作品の出来栄えを見て大変満足しておられた。
そして私の顔をあちこちなでたり押したりしてきた。
その指が目の下の所をグッと押したとき骨の方に痛みを感じたので
「痛イヨーセンセ〜!」
と言うと、先生はニコッと笑って
「君の顔のブロークンした骨はメタルワイヤーでつないである。そのワイヤーは永久にそのままだが心配はいらないよ。そう、君はこれからメタルマンなのだ!」
と冗談にしてはキツイことをおっしゃる。

空港の金属探知ゲートで裸になってもキンコンキンコン鳴り続ける自分の姿を想像してしまった。

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.: posted by kazumoto 3:01 午後


火曜日, 1月 13, 2004

「第18話 洪水」

私はベッドから一歩も降りられないので、何か用事があるときは頭のところにあるナースコールのボタンを押して看護婦さんに来てもらう。
しかしいつもは呼んでもいないのに勝手に来て話しして行くのに、こっちが用事があるときは全然来てくれないのだ。

ある時小便がしたくなってシビンを持って来てくれるよう頼もうとボタンを押すが、全く来る気配がない。
30分くらいしてようやく「どうかしたの〜?」とのん気にやって来た。

「早くシビンを!」
「ちょっと待ってね、男の人に頼むから」

そうなのだ、イスラム教のこの国では男のシモの世話は男の看護士がやるのだ。
当然彼は全然やってこない。
10分くらいしてようやく
「どうかしたのか?」

もうこの時には膀胱ははちきれんばかり。
やっと持ってきてくれたシビンにジョボジョボジョボ・・・

しかしあまりに待たされた私のお小水は、このビンには収まりきらずあふれ服を濡らしてしまったのだった。

教訓
「したくなりそうな30分前にはボタンを押せ」


<筆者注>
このネタは「旅行人」2002年6月号3ページに掲載

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.: posted by kazumoto 11:04 午後


「第17話 病院の日常」

入院7日目。

保険会社から連絡があり、2日後に日本に帰る便が準備できたと伝えられた。
事故証明などの手配も整ったということで落ち着いて残りの時間を過ごせそうだ。

各方面への連絡も済み、自由な時間が多くなった。
でも暇で暇でしょうがない、というわけでもないのだ。
この病院は地中海に面したリゾートにある大病院で、ヨーロッパ方面の外国人もよく来る所らしいのだが、日本人がやってくるのは珍しいということで医者・看護婦・看護士・事務の人が特に用もないのに次々とやって来て世間話をしていくのだ。

というわけで暇つぶしの相手としてはもってこいなのだが・・

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.: posted by kazumoto 12:02 午後


「第16話 気分爽快」

ここでは有り難いことに毎日体を拭いてくれる。
シャツも替えてくれる。
頭も洗ってくれる。

今日の体拭きは特に念入りだった。
抜糸が済んだこともあろう。
顔のすみずみまでゴシゴシ。
うれしいことにまだ生乾きのカサブタまではがそうとしてくれる。
顔はすっかりきれいになった。

次はシャツとズボンを脱がされ体と手足。
トルコの美人看護婦2人に手の先から足の先までゴシゴシされるのは天にも昇る気持ちだ。
ハンマーム(蒸し風呂)で毛むくじゃらのマッチョオヤジに垢すりされるのとはわけが違う。

体・手足もすっかりきれいになった。
さあて、次はいよいよメインのところですよ〜
ウヒャヒャ、これこそが正真正銘のトルコ風呂!
優しくお願いしますよ〜!

ア、アレ?!
おねえさま方はシーツを取り替えるとタオルを渡して出ていってしまった。
チッ、やっぱり駄目でしたか。
結局自分で拭きました。
しかもその後、痛む体を曲げてシャツを着るのにえらい難儀した。
トホホ、、

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.: posted by kazumoto 11:44 午前


月曜日, 1月 12, 2004

「第15話 いつもより余計に・・・」

入院6日目。

今朝、顔を縫ってあった糸が抜かれた。
それと鼻の骨折のために詰めてあった綿も抜かれた。

「じゃあ抜くよ」
ピンセットで鼻の穴の入り口の綿をちょっと引っ張った時ビックリした。
それにつながる感じが目の後ろの方まであるのだ。
そのまま引っ張られると、出てくる出てくる!
いったいいつまで続くのか?!
この先万国旗とかまで出てくるんじゃないかと思うくらい長い。
映画「トータルリコール」でシュワちゃんの鼻から発信機を引っ張り出すシーンがあったが、あれに負けないくらいのすごさだった。

結局小指の長さくらいの綿がすっぽり抜け出た。
眠っている時とはいえ、よくもまあこんなに詰め込んだものだなあ。

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.: posted by kazumoto 10:37 午後


「第14話 食い道楽」

昨日から精力的に動き始めたし、精神的・肉体的に落ち着いてきたこともあろう。
今日は腹が減るという感覚が久し振りにあった。

数日前は見ただけで「オエッ」となった料理も今日はペロリ。
食事する楽しみが戻ってきた。
まあ受け入れる側は良くなったのだが出す側は相変わらずヒドイ。
今日のメニューは「パン、ご飯(バター炒め)、マカロニ(ケチャップ味)、ヨーグルトスープ(きゅうりが浮いている)」というほとんど炭水化物しかない食事が、全く同じメニューで昼夜2回出た。
日本の栄養士さんが見たら気絶しそうなバランスだ。
動物園のサルの方がましなものを食っているような気がする。

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.: posted by kazumoto 2:45 午後


「第13話 顔面麻痺」

入院5日目。

昨日荷物が返ったことで視力の回復が可能となった。
それとともに鏡も戻り、事故後初めて自分の顔を見ることができた。
やはりショックだった。

しかしそのショックには2つの意味がある。
1つは当然のように、目の回りのあざ、右半分カサブタだらけで所々に縫った跡があるという惨めな顔。
そしてもう1つは意外に軽い怪我だったということだ。
実際見てみるまでは鼻の右側から唇にかけて何やらべったりと重いものが張りついているような感覚があった。
きっとカサブタの上に大きなバンソウコウでもあるのだと思っていた。
しかし実際は何もなし。
つまりこの重い感覚はそうではなく、この部分の触覚が麻痺してしまったために起こっていたのだ。
足だけでなく顔面の一部の感覚まで失ってしまった。
少なからずショックだった。

まあここでも不幸中の幸いというか、顔の縦に細い部分の麻痺だけに表情を失うことも無さそうだし、目・鼻・口も正常に動きそうだし、日常生活には問題無さそうだ。

ラベル:

.: posted by kazumoto 2:28 午後


「第12話 連絡」

荷物が返ってきたことで突然忙しくなった。
各方面への電話連絡ができるようになったのだ。
日本の実家へ、友人宅へ、そして保険会社へ。
トルコの日本大使館へ、警察へ。

ベッドからは一歩も下りられない状態なので枕もとの電話から病院の交換手を通して電話する。
電話回線が貧弱なのでなかなかつながらなくてもどかしい。

保険会社。
非常に親身に対応してくれてありがたかった。
諸々の治療費、輸送費、帰国の手配、リハビリ代、全て面倒みてくれることになった。
自分では何もできない今の状況でこれ以上の助けはない。
ありがとうございました。

大使館。
日本人大使館員が出て、全く感情のこもっていない機械的な対応で事務的なことだけ質問してきた。
「あなたのいる所はイスタンブールの領事館の受け持ちなのでそちらに連絡してください。」
ガチャ、ツーツー。
最後まで機械的な対応で締めくくりやがった。
死ね。

気を取り直して領事館。
こちらでは人間的な対応をしてくれ、警察・軍隊への証明書の発行などのサポートをしてくれることになった。
以前イスタンブールの領事館に手紙を取りに行った時、超豪華ホテル別館ワンフロア−貸し切って使っているのを見て外務省の贅沢さにあきれたものだったが、今回の対応の素早さに、それくらいは免じてやるものとする。

やはり気が重いのは日本の家族・友人への連絡である。
ドヨ〜ンとした感じで伝えるのも嫌だし明るくバカっぽく伝えるのも変だし・・・
冷静に事実だけを伝えることにした。

ラベル:

.: posted by kazumoto 2:25 午後


日曜日, 1月 11, 2004

「第11話 視界良好」

入院4日目。

足への心配が多少薄らいだことと反比例するように右目への不安感が強くなっていった。
事故直後の視界の中心が全く見えない、というようなひどい状況からはかなり回復したものの以前より遥かに視力が落ちているのが分かる。
オマケに近い所にあるものに焦点が合いにくい。
これはメガネで矯正可能なのだろうか。
ちょっと、いやかなり心配である。

さらに不安なこともある。
それは、事故の後体一つで搬送されたため今は荷物どころかパスポートもお金も何も持っていないということだ。
これでは支払いどころか自分が何者であるのかの証明すらできない。

しかしこの日の夕方やっとのこさ荷物が戻ってきた。
事故処理の管轄は軍隊にあるようで軍服姿の人が荷物を運んでくれた。
一部無くなっているものもあったが、チップということで大目にみてしんぜよう。

事故の衝撃を物語るかのように、プラスチックのケースはバキバキに割れ、缶のケースはベコベコにへこんでいた。

この時は私をはねた車の人と、警察も来ていて通訳を通していろいろ事務上のお願いもできた。
なんか事が良い方へ急展開しているようでうれしかった。

ラベル:

.: posted by kazumoto 3:28 午後


土曜日, 1月 10, 2004

「第10話 希望の光」

入院3日目。

なんとわずかであるが左足の指が動いた。
ピクピクとではあるが動いたのだ。
やっぱり私はついているなあ、先生、看護婦さん、見てよ!この足!
ほら!ほら!動くでしょ!

・・・というところで目が覚めた。
ぼんやりした頭で左足に神経を集中してみた。
何も感じない。
ピクリとも動かない。
そんな事起こるわけないよなあ、とあきらめの思い。
夢にまで出るほどのショックであることの悲しさ。

しかしいつまでもクヨクヨしていては埒があかない。
この事態を少しでも良い方向に向けられるよう考えねば。
幸いなことにひざより上は大丈夫だ。
アキレス腱も正常である。
おそらく普通に立ち上がることは難無いだろう。
あとはブラブラになる足首をテーピングなどで固定すればいいのではないか。
そうすれば多少不格好でも歩くことはできそうだ。

そう考えていたらこんな怪我たいした怪我じゃないような気がしてきた。
それより逆にこの怪我をなんとかうまく利用できないものか。
障害者手帳とって、電車に只で乗れたりしないかな。
18切符ともこれでおさらばだぜ!
何だかウキウキしてきたぞ!

しかしこのウキウキ感も心の底からの本物のウキウキ感ではないことは充分過ぎるほどその時の私には分かっていた。

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.: posted by kazumoto 9:33 午後


木曜日, 1月 08, 2004

「第9話 検診」

入院2日目。

朝の検診でドクターがやってきて包帯を取り替えたりひざの調子を診たりしていた。
彼は何も言わず黙々としているのでこっちから聞いてみた。

「左足の骨はどうだったんですか?」
「君の足の骨はNOブロークンだ」

そうか、骨は大丈夫だったのか。
しかしもう一つ昨日の夕方頃から気になっていたことがあった。
それはしびれたままの左足である。
包帯でグルグル巻きにされた足でも、ひざは微妙に前後に動く。
しかし足首や足の指は後方へ曲げることはできてもそれを戻すことができないのだ。
そのことをドクターに聞いてみた。
すると包帯の先に少し出ている指をペンでツンツンし、動かしてみろ、と言う。
しかし曲げれても戻せないことを説明すると悲しそうに首を振りまたよく分からぬ言葉でフニャフニャ話し出した。
その中に「Cut」と言う単語だけが強い衝撃を伴って耳に入ってきた。
神経が切れてしまって動かないことを説明していることは明らかだった。

私は再び聞いてみた。
「それは復活しないのか?」
「No」

事故が発生して以来私は常に気を強く持ち続けてきた。
一人で全てやらねばならぬ、今動きを止めては何も前進しないからだ。
ただ、この時初めてうろたえた。

もうあの足の感覚は永久に戻らないのか?
自由に歩いたり走ったり跳びまわったり野球したりサッカーしたり、そして自転車に乗って世界を旅することももうできないのか?
私は一生身体障害者のレッテルを貼られ不自由な生活を送らねばならないのか?

なんとなく覚悟していたとはいえ、現実に言葉に出して言われた時のショックはここに書き記すことはできない。
私の乏しい表現能力ではこの深い悲しみを表すことはできないくらいのショックなのだ。

その日1日色々な事が頭をよぎり去っていった。
今となってはもう覚えていない。
覚えていたとしてもここに書き切れない程のことを考えていただろう。

ただその日、ズタズタにされた体を心を少し癒してくれたことは事故の加害者、つまり反対車線に飛び出し、私をはね、町の病院まで輸送してくれたオッサンら三人が見舞いに来たことだった。

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.: posted by kazumoto 11:41 午後


「第8話 目覚め」

目が覚めた。
何だかすごく明るい部屋にいた。
ここはどこだろう?
そうだ、トルコだ、そして確か車にはねられ病院に連れてこられたのだ。
そしていい気分のガスを吸ったのだ。
ということはここは手術室だな。
はあ、これから足の手術か、痛いだろうな、嫌だな。
いろいろ考えた。
そして横にいた看護婦さんに聞いてみた。

「私のオペは?」
「終わったわよ」
「へ?!?!」

ビックリした。
確かに妙に明るいと思ったのは体を照らすライトの光ではなく窓から入ってくる日光の光だった。
妙に重く感じていた左足は、痛みのためではなくギプスと包帯のためであった。
体は硬い手術台ではなく、柔らかいベッドと枕の上に横たわっていた。
全てが終わっていたのだ。
全身麻酔の威力がここまですさまじいとは思わなかった。

でもこの日はその余波を受け一日中眠かった。
食事が配られても「ありがとう」と言った直後に寝ていたしもう済んだと思って食器を下げに来たとき目覚め
「は、今食べます!」
と体を動かしたところで再びお眠り。
三度目に「いいかげんに食べなさい!」と怒られやっと口をつけることとなった。
でもあんまり美味いものではなく食欲も無いのでほとんど無理矢理口に押し込んでいたようなものだ。

とにかく一日中眠くて食事以外はひたすら眠っていた。

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.: posted by kazumoto 5:42 午後


水曜日, 1月 07, 2004

「第7話 本番」

さっきの部屋に戻り顔面の裂傷部を縫う手術をした。
チクチクチクと、まあ手際よく顔の手術は終了。

さていよいよ足の方かな、と思ったら私がさっき夕食を食べたばかりだというのでしばらく待つことになってしまった。
仕方ないのでその先生相手に今までの旅のバカ話をしたところゲラゲラウケてくれたのはよかったのだけど
こっちは顔も足もグチャグチャの状態なのでつらいところ。

ネタも尽きかけたところでやっと
「それではそろそろオペします、フニャララ」
とまた流暢な英語で説明された。
相変わらず理解できてないけど、彼に任せておけば大丈夫だろう。
でもいちおう最後に彼に言っておいた。
「Don't cut my left leg!」

明るい手術室に入るとすぐ顔前に「シュー!」と音を立てるガスマスクのようなものが近づけられた。
「これは眠るためのもの?」
「Yes」
「それじゃ、おやすみなさい」
そう言ってこの気体を胸一杯吸い込んだ。

うおー!すごくいい気持ち!
体中の痛みがスゥーと消え、まさに天にも上る気持ち!
どんな麻薬もこれにはかなわないだろう!
こりゃいっぱい吸っとかなきゃ損だ!
と二口目を吸いこんでいる最中、私の意識は百億万光年遥か彼方に飛んでいった。

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.: posted by kazumoto 11:58 午後


「第6話 開始」

担架(キャスター付)に乗せられ救急口から中に入り病院の廊下を駆け足で進んでゆく。
流れゆく天井を見ながら「ううむ、テレビドラマみたいだな」と思った。
しかしドラマと違うのは、勢いよすぎて曲り角で壁にぶつかったり押し戸の部屋に入ろうとしたが扉に鍵がかかっていて激突したりすること。
そのたびに担架の上でのたうちわまる私であった。

とりあえず検査室のようなところに入り応急処置が施された。
落ち着いた雰囲気の先生が来て、落ち着いた感じで英語で説明された。
でも専門用語が多く私の達者な理解力を持ってしてもあまり理解できず、とりあえず
「ウンウン、サインですね、ハイしましたよ、もうさっさと麻酔でもしてこの痛みから開放してくださいな」
と投げやりにはなってないがとにかく何かしてもらいたかった。

担架は再びテレビドラマ風にX線室に向かい何ヶ所か写真を撮った。
そこの係の兄ちゃんが涙が出るほど不親切で、こっちの体がボロボロなの知ってるくせに
「さあこっちの台に移って!」
「もっと横だよ!」
「ハイひっくり返って!」
「もっと下へもっと下へ!」
とやたらうるさい。
少しは優しくしてもらいたいもんだ。

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.: posted by kazumoto 1:45 午後


火曜日, 1月 06, 2004

「第5話 再輸送」

揺れる車の中で私は思っていた。
たった1000円くらいの宿代をケチったためにこのような惨事になってしまったのだ。
こんなバカ者はざらにはいないだろう。
事故を引き起こした無謀なナイトランの判断を下してしまった自分をひどく呪った。
直接の原因である、あの飛び出してきた車に対する怒りは不思議と無かった。
とにかく自分に腹を立てた。
自分をののしった。
自分を呪った。

救急車は舗装状態のよくない道を結構なスピードで進んでゆく。
だから時々跳ねたりして足へショックはかなりのもの。
途中数回止まり看護婦さんが私の様子を見に来てくれる。
この時足にはエアバッグのようなものが巻きつけられており圧迫しちゃいけないという配慮で1回おきに空気を出し入れしてくれるのだが、この人らの肺活量はかなり少ないらしく空気を一杯にしても圧迫どころかあんまりショック吸収すらしてくれない。
毎日エアマットを膨らませている私の強靭な肺をお貸ししたいくらいだったがそうもいかず歯がゆい。

空気を入れた時ですらそうなのだから抜いたときはもうひどいもんだ。
車がゴトンとなると足に激痛が。
何回目かの停車でもう我慢ならず、空気は抜かないでくれ!と頼もうとしたとき、目的の町に到着したのだった。

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.: posted by kazumoto 2:16 午後


月曜日, 1月 05, 2004

「第4話 初診」

担架に乗せられ広い部屋の中央に置かれた。
医者が来ていろいろ聞いてきた。
彼は私が頭を打っていることを心配していたようで、ひたすら「黙るな!話し続けろ!」と言う。
仕方ないので「エジプトからヨルダンシリアと自転車で・・・」とお決まりのトルコ語を披露した。
もちろんそんなの誰も聞いておらず、みんなドタバタドタバタ部屋を出入りしている。
そして大概の人が私の左足を見て「こりゃヒドイ!」みたいなことを言うので、これは相当なことになっているのかとドクターに聞いてみた。
「私の体には何が起こったんですか?」
「君の左足はブロークンしている。」
やっぱりか・・・

それにしてもどんなひどい状況になっているんだろう?
私は痛む体を無理に起こし自分の左足をその時始めて見てみた。
メガネは吹っ飛んでしまって無い。
右目は全然見えない。
そんな劣悪な視界状況の中でも私にははっきり見えた。
左足ふくらはぎの皮膚を突き破って中から赤黒い物体が飛び出しているのを・・・

結局その病院でやったことは左足に水をジャバジャバかけ顔を少し拭いたくらいで、これ以上は手におえましぇ〜〜んって感じでドクターから「君を大きな町の病院に輸送する」と告げられた。
そうだろう、その方がいいよ。こんなちっぽけな病院じゃ「こりゃ直せないからちょん切っちゃった方がいいな」ってなりかねないもんね。

私の体は今度は救急車に乗せられ大きな町に向かった。
ここからそこまでは山道を70km行かねばならない。

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.: posted by kazumoto 5:54 午後


日曜日, 1月 04, 2004

「第3話 緊急輸送」

車は近くの町に向かっていた。
軽い振動を体に受けながら自分の体について何がどんな状態なのか判断していた。

この時点で一番ひどいことになっているだろうと思われたのは顔面の右半分。
特に右眼球である。
左目を隠して右目だけで見てみると視界の中心部が全く見えない。
右目が失明という事態は想定せねばならないな、と思った。

口の中は大丈夫そうだ。
歯も揃っている。
両腕、指の関節を動かしてみる。
全て問題無し。
同様に右足も問題無し。
なんだ、意外と平気じゃないか。
ただ一つだけ気がかりなことがあった。
左足のふくらはぎに強い痛みと腫れを感じ始めていたことだった。
これはもしかしたら骨折しているかもしれないな、そうなったら入院も長くなり、ちょっとやっかいだな。

なんて思っているうち町の病院に到着した。

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.: posted by kazumoto 5:46 午後


「第2話 そしてそれは起こった」

辺りはますます暗くなり道はどんどん細くなる。
そのうち町の終わりを印す看板も見え街灯も無くなった。
しかし交通量もそれほどではなく追い風なので頑張ればそのうちスタンドもあるだろう、それにもし見つからなくてもその辺の道端で寝ればいいや。
明日でトルコともお別れなのに最後に辛いことになっちゃったなあ・・・なんてことを考えながら先を急いでいた。

そんな時である。
前方から数台の車の照らすヘッドライトが見えた。
そして後方からも一台の車が来る。
このままだと逃げ場を失ってしまう!
横へそれねば危ない!
そう思った直後、横を通りすぎる車の列から一台の車が対向車線に飛び出してきた。
アッ!と思う暇はあったのだろうか?
その次には私の体は無残な形で道に転がっていた。
ヘッドライトの強烈な光と人々の声が聞こえる。
「ヤバンジュ(外人)!ヤバンジュ!」
それ以外にもワイワイ聞こえたがそれだけが聞き取れる単語だった。
どっかのおばさんだろう、ライトに照らされた私の顔を見て「ヒャッ!!」と悲鳴を上げていた。
自分でも感じていた。
生ぬるい液体が顔を滴り落ちるのを。

そして私のくしゃけた体は何人かに担ぎ上げられバンの荷台に押し込まれた。

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.: posted by kazumoto 5:43 午後


土曜日, 1月 03, 2004

「第1話 それは涙で始まった」

時は1997年9月4日。
当時私は大学一年間の休学中で地中海一周の自転車旅をしていた。
エジプトからトルコまで走り、そのトルコ生活も3ヶ月に近づいた。
そろそろ次国ギリシャに入るべく、エーゲ海沿いを行き明日国際フェリーに乗り、いよいよトルコとも
お別れになる予定になっていた。

トルコではほとんどがガソリンスタンドで泊めてもらい、それがよい出会いを生み、一番の思い出となっていた。
これがトルコ最後の夜なのだから、やっぱりこのパターンで締めたかった。

町はあったのだがここはリゾート地帯。
きっとホテル代も高いだろう。
まあちょっと走ればすぐスタンドもあるはずさ。
そこならまた新しい出会い、感動があるに違いない。
よし出発だ!

・・・と既に薄暗くなりかけた道に向かって私は走り出した。
その時、当然私は何も知らない。
その後何が起こるかについて。
それが出会いや感動ではなく、
今まで感じたことのない世界、
悪夢のような事態であることなど・・・

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.: posted by kazumoto 1:14 午前


金曜日, 12月 26, 2003

「記念撮影」

「はい皆さ〜ん、ここで写真撮ってくださ〜い!」
ピラミッドをバックにパチリ!
ツアーにありがちな光景である。

しかしこういう写真は私は嫌いだ。
理由1.自分と背景どちらかにピントを合わせるとどちらかがピンボケする。
理由2.人間が邪魔で肝心の背景の一部が隠れてしまう。
理由3.何より自分が入ることでせっかくの美しい背景が台無しになる!

おそらく多くの人は、自分が○○に行ってきた、という証拠にしたいのだと思うけど、それは実際に行った自分自身が一番よくわかっている筈なのに??

それなのになぜ人々はこのような愚行を繰り返してしまうのか?
理由1.記憶喪失になってしまった時記憶を呼び起こすため。可能性は低いがないわけじゃないかも
理由2.人間に対する背景の大きさを記したい。そうならば自分が写るのは正しくない。ハイライトか霞ヶ関ビルでなければならない。

人々が己の過ちに気付いた時、ピラミッドの前にハイライトが並ぶ日が訪れる。

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.: posted by kazumoto 10:25 午後


水曜日, 12月 24, 2003

「『旅』と『旅行』」

・友達を見つけるのが旅、友達と一緒に行くのが旅行

・ひょっとしたら帰ってこられないのが旅、必ず帰ってくるのが旅行

・浪費家がケチになるのが旅、ケチが浪費家になるのが旅行

・自分を見直すのが旅、他人と見比べるのが旅行

・風呂,食事,寝床に感謝するのが旅、それが我が家より上等でないと満足しないのが旅行

・風呂で洗濯するのが旅、風呂で泳ぐのが旅行

・自分の都合で動くのが旅、他人の作ったスケジュールで動くのが旅行

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.: posted by kazumoto 5:58 午後


火曜日, 12月 09, 2003

「猛犬注意」

「危ない目に遭ったことはないんですか?」
こういう旅をしているとよく聞かれる質問である。
しかしそういう目には全く遭ったことがないのだ。
ほとんど田舎にいるのだから、外人をだましてやろう、なんていう悪い輩もそうそういない。
ただ運が良かっただけなのかもしれないけど。

しかし田舎だからこそ、という目には遭っている。
それは犬に襲われることだ。
遊牧民の多いチベットでは番犬が放し飼いにされている。
しかもこの地の犬は狼に近い種でとても強暴。
そこへトロトロ自転車で走っていくと、遥か遠くの方からガウガウ狂ったように吠えながら近寄ってきて
威嚇とか無しにいきなりガブッと噛みついてくるのだ。
こんな所で予防接種などしているはずないので死亡率100%の狂犬病になったらアウトである。

初めて犬に襲われた時のこと。
その時偶然バックパックの腰ベルトがダラリと垂れていてそれに噛みついてきた。
グイグイ引っ張られながらも「助けて〜!」と叫ぶと気付いた遊牧民が追っ払ってくれて助かった。

それ以後は、わざとベルトを垂らしておいて、もしも襲われたとしてもまずそれに噛みついてくれるようにしておいたおかげで体を噛みつかれることなくすんだ。

今でも私のバックパックの腰ベルトには2つの牙の穴が開いている。
それを見るとチベットを思い出す。

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.: posted by kazumoto 10:01 午後


月曜日, 12月 01, 2003

「恥部」

先にも記したが中国の便所は扉はないので丸見え。
確かに最初は恥ずかしいんだけど、これは慣れの問題であり周りも全部そうなんだから、と吹っ切ってしまえば気にならなくなるものだ。

ただ一つ、とても恥ずかしくて人に見られたくないことがあった。
中国は紙拭き文化なんだけど、私は旅中一貫して水手洗いで通してきた。
便所に行くときは500ccのペットボトル持参なのだ。
しかしその扉無し便所で尻を洗っているところを中国人に見つかると
「ウワ〜!こいつ尻を手で洗ってやがる〜!!」
と変な目で見られてしまうのだ。
それがとても恥ずかしくて、洗う時は人がいなくなってからじゃないと洗えなかった。

おー、紙よ!我を救い給え!

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.: posted by kazumoto 2:54 午後


「脱プン!その7(チベット編)」

中国の一般的公衆便所には扉が無いことを御存知の方も多かろう。
これがチベットのド田舎なんて行くと、掘建て小屋のような建物で、大きな穴の上に丸太が渡してあってその数ヶ所開いた隙間にする、なんて所もある。
さすがに男女は分かれているけどお隣でキバっているオッサンの姿は丸見えなのだ。

そんな公衆便所が一つだけあるチベットの小さな村にいた時のこと。
その村で私は体調を崩して寝込んでいた。
腹の調子悪くその公衆便所に駆け込んだ。
すると既に先客のオッサンがキバっている。
そんなの気にする余裕無く私はゲリった。
ゲリりながらもオッサンには挨拶し自己紹介もしておいた。

翌日、まだ体調は思わしくない。
再び便所に駆け込むとなんとまた昨日のオッサンがいるではないか。
オッサンは私のくだり便を見て「まだ調子悪いようじゃのう」と声をかけてくれた。

それから2-3日調子は戻らなかった。
そして、なぜか、なぜか、便所に行く度にそのオッサンに会ってしまうのだ。
その度にオッサンは私のことを気遣ってくれるのだ。
私は涙した。

そして数日後、体が軽い!これなら!と便所に行くと、いうまでもなく今日もオッサンがキバっていた。
そして私の見事な一本グソを見て「おお!今日はいい感じじゃないか!」と。
「そうなんですよ!今日は調子いいからやっと出発できます!お世話になりました!」

我々は固い握手を交わした。
もちろん、洗っていない手で。

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.: posted by kazumoto 2:51 午後


「脱プン!その6(ネパール編)」

ネパールで、山の斜面に建つ眺めよい宿に泊まっていた時のこと。
その宿には共同のトイレが一つしかなかった。
朝食後お腹もいい調子に動いてきてトイレに入ろうとしたら既に先客が頑張っていた。

しばらく発って再び行くがまだ頑張っている。
ヤバイ・・・
危険度レベルは3→4にアップした・・・

またしばらくして行ってみるがまだ頑張っているではないか!!
うわー!もう耐えられん!!
ついにレベル5到達!!

やむを得ず室内でビニール袋に脱プン。
その袋は・・・・・・・・・窓からポイ。
ネパールの山々がとっても綺麗に見えました。

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.: posted by kazumoto 2:49 午後


「潜入!女子中学校!」

バングラデシュでのこと。
地元エロ兄ちゃんにいろいろ案内してもらっていた。
じゃあ次は学校を案内してやろう、と言う。
しかもそこは女子中学校。
イスラムのこの国で女だけの園、女学校に入るなんていうのは日本で言えば女子更衣室に入って行くくらいのハレンチなことなのだ。

ではあるが、外国人をダシに使って秘密の花園に入ってみたい、というエロ兄ちゃんのエロ的欲望と、バングラデシュの教育現場を見学してみたい、という真面目な私の学術的欲望が、それを実行に踏み切らせる。

まず校長室を訪れ、「私は日本から貴国の教育現場を見るためうんぬん・・」と挨拶。すると校長先生は、「それはそれはようこそ、校内を案内しましょう」
授業中の各教室を回り、紹介され、生徒の質問に答えたり。

やがて「外国人が来ている」との噂が校内に広がったようで校庭にドワーと生徒が集まってしまっていた。
私が姿を見せるとキャーキャーの黄色い声。

バングラデシュの教育現場視察は、まことに有意義なものになったのでした。

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.: posted by kazumoto 2:46 午後


「潜入!村祭り!」

チベットでのこと。
山あいの小さな村でお祭りをやっていた。
老若男女皆綺麗に着飾って輪になって歌い踊っている。
そこへちょいとお邪魔して見物させてもらうことにした。
すると私の存在に気付いた人々が周りに集まってきた。
その騒ぎがさらに人を呼びこむこととなり、いつしか大群衆に囲まれてしまっている。
村祭りは毎年やってくるけど、外国人が来るなんて滅多にない!ヤンヤヤンヤの大騒ぎ!!
これはちょっとマズイかなあ、と思ったとおり、やがてある人が「申し訳ないが出ていってくれんかのう?祭りが成り立たんのじゃ」

この時以外にも中国でもバングラデシュでも田舎の祭りで似たようなことが起こってしまった。
せっかく祭りが見れるチャンスだったのに・・・
こっちも向こうも残念残念な気分になりました。

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.: posted by kazumoto 2:44 午後


「スーパーマリオ」

ビルマでのこと。
宿の受付にファミコンが置いてあった。
宿の兄ちゃんがスーパーマリオをやっている。
しかしとにかく下手クソなのだ。
スタートしていきなりクリボーに激突!
パックンフラワーに特攻!
奈落の底へ墜落!
何度も何度も挑戦するのだが同じ所で同じ様に死んでばかり。
後ろで黙って見守り続けていたけどもう耐えられない!
ちょっとコントローラー寄越せ!

隠し土管からワープして目の玉をひん剥かせ、ノコノコを使っての無限増殖で小便を漏らさせ、ピーチ姫を助けてクリアーし失神させてやった。
電子立国日本の面目躍如である。

しかし中国では麻雀(任天堂)をやっていた中国人が「これアガれない!不良品アルヨ!」と怒っていた。
役無し麻雀しか知らない彼らにその理由を説明するのは不可能だった・・・

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.: posted by kazumoto 2:42 午後


「分別回収」

インドなんかだと家庭から出るゴミはガラスでも金属でも生ゴミでも全部一緒くたにして路地のゴミ捨て場にドバーと捨てている。
分別する、なんて面倒臭いこと一切無し。
日本だってちょっと前までは似たようなもんなんだからインドくらいなら当たり前だろ、なんてインドを見くびってはいけない。
インドこそ完璧なリサイクル国家なのだ。

そのゴミ捨て場をしばらく注目してみよう。
やがて大きな袋を担いだちょっと身なりの汚い方々が、ガラスならガラスだけを、ペットボトルならペットボトルだけをそこから拾ってゆくのだ。
生ゴミはノラ牛が食べてしまう。
そしていつしかそのゴミの山は跡形もなくなってしまう。

こうして集められたペットボトルには水道水を詰めて「ミネラルウォーターだよ!」といって外人に売ってしまう。
エコロジー先進国インドなり。

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.: posted by kazumoto 2:39 午後


「バックドラフト」

中国のある町にいたときのこと。
宿の窓からふと外を見ると、何やら大群衆がゾロゾロとある方向を目指して歩いている。
気になって私もその群れに加わって歩いてゆくと、その先にあった家が火事になっていた。
その群集は野次馬の群れだったのだ。

群れが群れを呼び、道はびっしり人で埋まってしまっていた。
そこへ遠くからウーウーサイレンの音が聞こえる。
しかし大群衆に行く手を阻まれ消防車はまったく近づけない。
火はメラメラと燃え盛って、家は全焼してしまった。
なんだ、終わっちゃったか、という感じで群衆は帰路につく。
それでようやく消防車は現場に到着できたのだけど残るは灰ばかりなり。
もう何もすること無いのでそのまま帰っていきましたとさ。

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.: posted by kazumoto 2:35 午後


水曜日, 10月 08, 2003

「インド人とは」

本で読んだ話で恐縮ですが・・・

かなり昔、インドのデリー空港で日航機が事故を起こし多数のインド人が死亡。
その時滑走路にいたインド人も巻き込まれ一人死んだ。

日航側は保証金として全員に一律30万円を払うことを決めた。
するとインド政府からクレームがついた。
その内容はなんと、、

「一人30万円は多すぎる!
 そんなに払ったら、以後滑走路にインド人が殺到してしまう!
 半額にしてくれ。」

ウソのようなホントの話です。

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.: posted by kazumoto 10:25 午後


「技術大国」

イタリアのシチリア島からチュニジアに向かうフェリーを待っていた時のこと。

乗客の大半は出稼ぎ帰りのチュニジア人だった。
みんな久し振りに会える家族へのプレゼントを大量に持っている。
しかし乗り込む際、イタリア人係員から「一人荷物は2個まで!」という命令が。
せっかくの荷物も強引な係によりポイポイ投げ捨てられている。
あまりのそのやり方に第三者としても怒りを覚える。

そして自分も自転車とともに乗り込もうとしたところ
「これは二輪車だから別の切符が必要だ!」
先に乗り込んでいたチュニジア人からも
「可哀想に、あいつもつかまったか・・・」

こうなったらコイツの鼻をあかしてやろう!
切符を買いに行くように見せかけ建物の影に隠れ自転車を輪行する。
他の荷物も全て輪行バッグに詰め込み1つにして再挑戦。

「どうだい?これなら二輪じゃないし、荷物も一つだぜ!」

係員は渋々通過を許可してくれた。
するとデッキから見ていたチュニジア人から一斉に「ウォー!!」の声。
中に入っていくと皆々から「さすが日本人!頭がいい!!」と賞賛の嵐。
船内のビデオでブルース・リーの映画をやっていて悪の白人をバタバタやっつけるのを見て(関係ないけど)ますます日本人の評判はアップしたのでした。

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.: posted by kazumoto 10:22 午後


土曜日, 10月 04, 2003

「ダイエット!」

アメリカ、ニューヨークでのお話。

こちらの外食と言えば、ハンバーガー・ピザ・ポテトにコーラ。
サイクリストならいざ知らず、普通の人にはやはりカロリー過多。
アメリカではダイエット熱が盛んとは聞きますが、想像を絶するようなデブがいっぱいいるのが事実です。
それでも食い続けたら無限に太るのでは、と心配になります。

それとは別に、回転扉が多いのもNYの特徴。
地下鉄の出口はバー式の回転出口だし、建物の入り口はたいがい回転式です。
これが結構狭いので先程のようなデブは引っ掛かるのでは、と心配になります。

で、ここで気づきました。
やはりデブは引っ掛かるのです。
身動き取れなくなって、数日間もがいているうち痩せて脱出できるようになるのです。
無限デブがいないのも、回転扉が多いのもこれで合点がいきました。
NY市制あっぱれ!って感じです。

確かにそういう目で見てみると、そこかしこに引っ掛かってもがいているデブの姿が・・・

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.: posted by kazumoto 1:29 午前


木曜日, 9月 25, 2003

「脱プン!その5(トルコ編)」

トルコではガソリンスタンドによく泊まらせてもらっていた。
敷地の隅の方にマットだけ敷いて寝かせてください、と頼むと43発43中という驚異的な成功率でOKしてもらっていた。
こちらとしては寝かせてもらうだけで充分なんだけど、さすが親日的なトルコ人、それだけでは許してくれずメシになれば一緒に食おうと誘ってくれたり、観光に連れていってくれたり、家に招いてくれたりして
ありがたい限り。

トルコ中部、カッパドキアに近いガソリンスタンドに泊めてもらった時のことだ。
やはりここでも歓迎してくれ、メシに加え、ビール2本にスイカ半玉までいただいてしまった。
しかも外じゃ危ないから事務所の中で寝なさい、と部屋の中に入れてくれた。
夜、皆は各家に帰り、そこには私一人・・・

深夜、モーレツな尿意で目が覚めた。
寝る前しこたま水分摂ったので当然だろう。
トイレは外にあったので扉を開けて出ようとしたところ・・・
何と外から鍵がかけられている!
しかも窓は開かない!
これじゃ軟禁だ!!
すでに膀胱は危険度レベル4に達している!
(レベル5で核ミサイル発射)
2Hzの自家製コンピューターをフル稼働させ、はじき出された答えは
「金魚ばちにしろ」
しかし翌朝白い腹を浮かせ全滅していたらヤバイというので却下。
続いて出された答えは
「植木にしろ」
しかしこれも臭いでばれそうなので却下。
う、う、危険度レベル5は目前である!

しかし、節分には豆まきをするような信心深さが功を奏したのだろう。
神は我をお見捨てにはならなかった。
このとき部屋には自転車ごと入れてあったのだ!
素早くボトルの中身を捨て、そこにジョ〜。
フゥ〜、助かった〜

しかーし!ここで気を抜いたのはマズかった!
直後に今度はモーレツな便意が襲ってきたのだ!
しかも猶予許さぬ緊急非常事態宣言である。
またもやレベル5は目前に迫っていた!
しかししかし、お彼岸に墓参りをするような信心深さが功を奏したのだろう。
やっぱり神は我を見捨てることはなかった。
自転車の荷物の中にはビニール袋があったのだ!
ブリブリ...フゥ〜

翌朝、みんなが戻ってきたところで何食わぬ顔して裏の畑にまいておいた。
その年の畑は豊作だったという。

ラベル: ,

.: posted by kazumoto 4:34 午後


水曜日, 9月 24, 2003

「脱プン!その4(シリア編)」

トルコ国境まであと数kmというシリアの片田舎で居候していた時のこと。
夕食に何か傷んでいたものがあったようで家の者の数人が下痢にみまわれてしまった。
みんな夜中も次々とトイレに駆け込む。
しかし田舎なので夜間は水道がストップ。
缶に汲み置きされた水がどんどん減ってゆき腹が痛いより、このままじゃ尻洗えなくなるのでは・・・の恐怖に襲われていた。

翌日、運悪くこの日がシリアビザの限界だったのでゲリゲリのまま出発しなければならなかった。
国境を越えトルコに入ったところでダウン。
その辺に野宿しようと準備していた。
すると農作業帰りのトルコ人が来て
「そんな所で寝ないでちょっとついて来な」
と誘ってくれた。
コンテナを改造した仮宿泊所へ。

深夜一人で寝ていたとき、それは襲ってきた。
ヤバイ!と立ち上がった瞬間、彼らは自由を求め旅立っていってしまった。
近くの川で蚊にボコボコに刺されながら体と服を洗ってコンテナの中も洗い流しておいた。
しかし翌朝やってきた人らが中に入るなりしかめっ面して洗浄を始めてしまった。
情けないやら申し訳ないやら・・・

強烈な思い出から始まったトルコ初日であった。

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.: posted by kazumoto 4:12 午後


火曜日, 9月 23, 2003

「宗教冒とく」

初めてのイスラム国訪問であったエジプトにて。

日本では感じることの出来ないイスラムの神秘性に酔いしれていた。
そんな中、町外れの小さなモスクに行ったところちょうどお祈りの時間。
外から中の様子をうかがっていると、それに気付いた導師さんがやってきて話し掛けてくる。

「日本人か?」
「イエス!」
「エジプトは楽しいか?」
「イエ〜ス!」
「イスラム教徒になりたいか?」
「イエ〜〜ス!!」

勢いで言ってしまった。

「それでは『ムニャムニャ(本当はもっと長い)』と2回唱えなさい。」
「ムニャムニャ、ムニャムニャ」
「よろしい、これで君はイスラム教徒だ。これからは『ムハンマド』と名乗るがよい」

ムハンマドになってしまった。

その後イスラムの基本である「五行六信」の教えを受け、礼拝前の身の清め方を習い、ペコペコやる礼拝法も伝授された。
いっぱしのエセイスラム教徒である。

しかしここでイスラム教徒になったことによるパワーは想像を超える絶大なものであったのだ。
旅の途中で会った人に宗教を聞かれ、イスラムと答えるとまるで旧知の友を迎え入れるかのような歓迎を受けてしまう。
それが楽しくて頻繁に使ってしまった。
場面に応じて「キリスト教」「仏教」も使い分けていたのだが・・・

ある時茶店で皆でワイワイやっていた時、やはり宗教を問われその時は「仏教」と答えた。
するとさっきまで楽しく話していた中の一人が突然
「この異教徒め!汚らわしい!出て行け!」
と怒り出したのだ。
周りの人が静めようとするもその怒りは収まらず、私はスゴスゴと退散した。

その時思ったのだ。神聖なる宗教を私のように遊び半分で使うものではない、と。
それ以来「イスラム教」は封印し、無難に「仏教徒」ということにしておいた。

時は流れ一年後、モロッコのカサブランカにいた。
そこには近代建築術の推移を集めた豪華絢爛の巨大モスクがある。
異教徒も観光は出来るのだが、その時は運悪く金曜昼の礼拝の時間で観光客の入場は禁じられていた。
私はまもなくカサブランカを去らねばならなかった。
しかしどうしてもこのモスクの中を見てみたい!
そして思わずしばらく封印しておいたあの禁断の技を使ってしまったのだ!!

入り口に近づくとやはり警備の人が「外人は入れません」と言ってくる。
私は言った。しかも既に身につけていたインチキ臭いアラビア語で。
「私は日本からのイスラム教徒です。このモスクで祈るためはるばる遠くからやって来ました。中に入って皆と一緒に『ムニャムニャ』と唱えたいのです!」
すると警備の人はちょっと待て、と言い残し偉い導師様を連れてきた。
その導師に同じことを繰り返すと、導師はニコヤカに
「遠いところよく来てくれました。さあ中へどうぞ」と。

中は想像を遥かに超えていた。
数千人のイスラム教徒がいっせいにしゃがんだりペコペコする様は巨大な波が揺れているようでもあった。
すがすがしい気分でカサブランカをあとに出来そうだ・・・

しかしやはり神の天罰が下ったようだ。
その日乗ることになっていたバスは、荷物だけ載せて私をおいて行ってしまった。
翌日荷物は返ってきたもののやはり神聖なる宗教を冒涜するべきではなかったのだ。
それ以来「イスラム教」は封印されたままである。

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.: posted by kazumoto 11:18 午前


日曜日, 9月 21, 2003

「海水浴」

ヨルダンとイスラエルの間に「死海」はある。
海抜マイナス394m、地表で世界一低いところにあり、年中暑くて乾燥している上、流れ出す川がないので
塩分がどんどん濃縮され、普通の海よりはるかに浮力を生む。
新聞読みながらプカプカ浮いている写真を見た人も多いだろう。

で、実際入ってみると本当にプカプカ浮いてしまうのだ!
でもあんまり安定していないので疲れるし、オマケのクロスワードを解きながら「母さんお茶」なんて言うことも出来ないので注意しよう。

また浮力が強すぎるのでうつ伏せで泳ごうとすると尻が浮いてしまい顔がドボッと水に沈む。
口に入れば辛いを通り越して苦いし、目に入ろうものなら激痛が走る。
傷口もヤバイし、痔もヤバイ。
ホモの人はもっとヤバイ。
小さく波も立っていて、波打ち際で遊んでいた子供に波がかかると大変!
アッチコッチからビエービエー泣き叫ぶ声が聞こえてくる。

でもここはアンマンから多くの海水浴客が来ていて(他にヨルダンの海は最南端がちょっと紅海に面しているだけ)ビキニパンツのおとっつぁんと真っ黒なチャドルのおっかさんが仲良くスワンボートを漕いでいたり、チャドルのまま泳いでいる女の人がいたりして面白いです。

多分対岸ではイスラエル人がトップレスで日光浴したりしてるんだろうなあ。(想像)

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.: posted by kazumoto 1:03 午前


木曜日, 9月 18, 2003

「インディージョーンズ」

ヨルダンの観光のハイライトはなんと言っても「ぺトラ」。
「インディージョーンズ3」のロケにも使われた巨大な遺跡です。
しかし入場料が30$くらいして高い!
できることなら安く入りたい。
そういう情報はまことしやかに旅行者の間を駈け抜けます。

方法はこう。
ぺトラ近くのある宿の主人は、ぺトラ入場券のモギリもやっているので、その宿に泊まってちょっとニギらせれば1/20の現地人料金で入れてもらえる、というもの。
私もその宿に泊まって早速オヤジに話を持ちかけてみました。
しかし返ってきた答えは
「わりい、オレ明日非番なんだよ。その代りいい方法を教えてやろう。」

翌日、オヤジに教わった方法で入場を試みます。
その方法とは単純なもので、夜暗いうちに出て、入場ゲートに続く道に沿って流れる川(今は乾季で枯れている)を通ってゲートをパスせよ、というもの。
ライト片手に歩いて行くとゲートの横で犬がガウガウ吠えていてちょっとビビリましたが、何の問題もなくクリア。

その先には幅5m、高さ100mくらいの岩の隙間がクネクネ続いています。
トコトコ行き、やがて空も白み始めた頃、その隙間の向こうにぼんやりと朝日に浮かび上がる巨大な遺跡が!!
この人類の遺産が今目の前に!!
しかもたった一人、私だけが見ている!!
ピラミッドに続き再び立ち尽くしてしまいました。

前回のピラミッドもここもその後普通に見物もしたのですが、一般の時間だと観光客もウジャウジャいるし、それにたかる土産物屋もうるさくていまいち。
それどころか、旅の初めにあまりにも衝撃的なこの2つを見てしまったためその後見た数々の遺跡が全て大した物に思えなくなってしまいました。

そのくらいスゴイのだよ、夜のピラミッドと朝のぺトラは。

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.: posted by kazumoto 11:46 午前


火曜日, 9月 16, 2003

「台湾の事情」

台湾には大きく分けて2つの人々が住んでいる。
1つは元々この島に住んでいた人々、高砂族という名で呼ばれたりもする。
もう1つは戦後共産党に追われ大陸から逃げてきた蒋介石率いる国民党の中国人。
現在は西部の大都市に中国人が住み、政治経済に中心を担い、元々いた人らは東部や山間部の貧しい地域で暮らしている。

そんな山間部を訪れたときのことだ。
日本統治時代を経験している年配の人はもちろん、その子供の代までもが今の日本人の忘れてしまった美しい日本語をしゃべっていた。
訪れる前は韓国と同様、日本人に対し恨みを持っているのではないか、と不安に思っていたのだが話してみると全く違っていた。

日本時代は平和に上手くやってこれていたのに(もちろんそうでない事件もいろいろあるのだけど)、あとから入ってきた奴ら(中国人)がそれをメチャクチャにしておいしいところだけ持っていってしまった、と。

日本は素晴らしい所なんでしょう?死ぬ前に一度行ってぜひ皇居を拝んでみたいです、と言う人もいた。

もしかしたら現存する真の大和魂はここにしかないのかもしれない・・・

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.: posted by kazumoto 6:50 午後


「日本人、反省せよ!」

韓国、ソウルの南に「独立記念館」がある。
何年か前に日本が教科書問題で日韓の歴史をうやむやにしようとしたことに対し韓国国民が怒り、「歴史を忘れ去ってはならない!」と、秀吉の時代から日本が韓国にしてきた悪行の数々を広大な敷地の中に模型と映像で示したものである。

展示には拷問の再現シーンや、後ろ手に縛られた韓国人が日本兵に銃で頭をぶち抜かれる映像が流れていたりと見ているとドーンと暗い気持ちになってしまうようなものばかり。
説明文には、韓・英・中・日の4ヶ国語で書いてあるのだが、見学に来ている人らの感情を察するに日本人とばれてはリンチに遭ってもおかしくないような感じがしたので顔は韓国文に向け、目だけ日本文を追ったり、切符を買うときもピッタリの額を出し、中でも一言も口をきかぬなどのささやかな努力をしてみた。
しかしこういう時に限って子供に「ねえねえ、トイレはどこ?」ときかれたりして困ってしまった。

とにかく見終わった後は、悲しいような、情けないような、申し訳ないようなひたすら反省するだけであった。
日本人は焼肉食って免税品を買うだけじゃなくてこういう所にぜひ行くべきであろう。

ただ気になったことが一つだけある。
ここは韓国の小学生の社会見学として定められているらしく全国からすごい数のバスに乗った小学生が続々とやってくる。
日本が韓国に対しひどい事をしてきたことは事実だろうし、その歴史を知ることは大切である。
しかしまだ現在の国際関係もよく理解していないような子供のうちにこのようなショッキングなシーンをこれでもか、というくらい見せ付けてもよいものだろうか?
これがトラウマになって、よくわからないけど日本人は悪いやつだ!と思い込んだりはしないのだろうか?
せめて高校生くらいの分別のつく歳になってから見せるべきではないのだろうか?

この疑問を、ソウルにいた日本統治時代を経験していた日本語ペラペラのおばあさんと、帰国後にも友人の韓国人に聞いてみた。
するとやはりこのことは韓国でも問題になっているらしかった。
しかも時は日韓共催ワールドカップ前年であり、両国は不幸な過去を忘れ、これからは協力してやっていこう、と言いながらもう一方では日本の悪を強調している。
改正すべきとの声が上がっているらしかった。

W杯が終わって一年。
今もまだ多くの小学生が見学しているのだろうか・・・

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.: posted by kazumoto 2:47 午後


「ワレ登頂セリ」

エジプト、カイロでのこと。
エジプトと言えばピラミッド。
ピラミッドと言えば登りたい。
というわけで登りに行きました。

しかし昔登ろうとして落っこちて死んだ人がいたらしく、法律でピラミッドの登頂は禁止されています。
だから夜中にゲリラ的に登るのです。

宿にお金パスポート時計などは全て置いておき、身元不明にしてわずかなお金だけを持って深夜、カイロから10km離れたギザへ向かいます。
タクシーはピラミッド入り口のちょっと手前で下り、塀を乗り越えて、隣接するゴルフ場をルパン3世のように走り抜けると砂丘にぶつかります。
その丘を越えていたとき同行していた人が「アッ!」と叫びました。
何かと思ってそちらを見てみると・・・
そこには月夜に浮かび上がる巨大な三角形のシルエットが!!
立ち尽くす、というのはこういうことを言うのでしょう。
しばし呆然。

ふと我に返り、いよいよ登頂開始。
辺の中央部は石の角が削れて危ないので四隅から登りましょう。
一つの石は高さ1mくらい。
階段状になっているので登るのは簡単です。
ウンショ、ウンショと頑張りつづけて140m、ヤッター!頂上にたどり着いたぞー!!

満天の星空の元、日の出を待ちます。
一番高いクフ王のピラミッドの頂上は石がなくなっていて10m四方くらい平らになっています。
石に彫られた落書きには数百年前のがあったりして長い登頂の歴史を感じさせます。

しかしとにかく寒い!
ただでさえ砂漠の夜は冷える上、風が吹きっさらしなので寒くてたまらない!
岩陰に身を寄せて風をしのごうとしても、なぜかそこにウ○コがあったりして臭い。

やがて東の空が白みがかるころ、カイロの町からうねりのようにアザーン(朝のお祈りのお知らせ)が聞こえてきて荘厳さはピークを迎えます。

さて日の出を見終わったところで下山。
しかしここからが本当の試練なのです。
下るのは簡単。
問題は下で警官がニコニコしながら我々の下山を待っているのです。
もちろん我々を捕まえるためです。

「コラコラキミタチ、ココニ登ッチャダメダヨ。」
「言葉わかりません」
「悪イコトシタラ牢屋ニ入ル、コレエジプトノオキテ。」
「そうだ皆さんにプレゼントがあるんですよ。」

こうして来る時ちょっとだけ持ってきた小銭(10円くらい)を渡せば無罪放免。
警官は毎日のようにやって来る登山客からお小遣いをもらえるし、我々は憧れのピラミッドに登れるし、両者利害一致し皆ハッピー。

でもこれは7年前の話です。
最近は登ると本当に牢屋に入れられちゃうらしいので登るならそのつもりでどうぞ。

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.: posted by kazumoto 2:24 午後


土曜日, 9月 13, 2003

「没有(メイヨー)!」

一昔前、中国を旅する外国人が初めに覚える言葉は「没有!」だと言われていました。
当時社会主義経済だった中国では、働いても働かなくても給料は同じなので扱いの面倒な外人が来ると、全く話も聞かずにいきなり「没有!」

しかし時代は変わり経済開放された今、この「あるのに『没有』」を聞くことはほとんどありませんでした。
相手の機嫌の悪いとき(暑いのに停電中・昼寝中・麻雀で負けている)言われたことはありますが・・・。

今回私が真っ先に覚えた中国語は「ティンプートン!」
これは「何言ってるかわかんねーよ!」です。
覚えた通りに言っているつもりなのに、いつもいつも「ティンプートン!」
それでもめげずに頑張っていたら、しばらくすると「上海人?」
これは決して言葉上手いね、の誉め言葉ではありません。
上海では一般の中国語と全く異なる上海語が話されているためで、「下手な中国語話すし、身なりも汚いし、自転車乗ってるし、上海かどっかから来た中国人だろう」と思われたのでしょう。

「あんた中国語上手いね。どこで留学しているの?」と言われるまでには3ヶ月の月日を要しました。

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.: posted by kazumoto 12:33 午前


金曜日, 9月 12, 2003

「人口爆発大国PART2」

ご存知の通り現在中国では一人っ子政策実施中。
といっても誰も彼もが子供は一人!というわけじゃなくて省ごとにルールが違います。
厳格に「一人だけ」と決まっているのは東海岸を中心とした都市周辺。
人手を必要とする農家や少数民族には適用されません。

またこの定めは何十項目にもわたる長い規則で、それがかかれた大判のポスターが人の集まるところ(食堂など)に張ってあります。
読んでみると「結婚は男23歳以上女20歳以上」とか「もし第一子が障害者だった場合4年後以降に第二子をもうけてよい」とか。

それでいてもやはりできてしまうと巨額の罰金を払わなければならないので戸籍のない子供がたくさんいるらしい。
そういう子はもちろん学校には行けません。
中国の人口は公称12億、実際は15億人とか。

インドも人口は増加の一途をたどっています。
政府は産児制限を呼びかけているけど強制力がないので,そんなの俺の知ったことか!とみんなポコポコ産んでしまいます。
ヒンズー教徒に聞くと「イスラム教の奴らが嫁を何人ももらって10人も20人も子供を産むから悪いんだ!」と言います。
人口で劣るムスリムが挽回しようと頑張っているんですかねえ。

現在人口10億のインド、このままだと50年後には20億人に達するとか。

トルコでのこと。
子供が10人いる家に居候していました。
その家は農家ではなく人手を必要としているわけでもないし、お金持ちというわけでもないので「10人もいたらお金がかかって大変ではないのか?」と聞くと「たくさん子供を作って、その中に一人でも優秀な人間ができればそれで家族全員を養うことができるからそれでいいのだ!」と・・・

「下手な鉄砲・・・」の原理ですね。

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.: posted by kazumoto 1:34 午後


水曜日, 9月 10, 2003

「広東語OK!」

現地語を話せて助かった例をひとつ。

中国南部(広東語圏)の小さな村に着いた時のこと。
暑いのに停電していて扇風機が回らずみんなイライラしていたようでどの宿に行っても「没有(ない)!」と断られ続け最後の一軒まで来たとき。
やっぱりここでも断られた。

もう他はないのでどっかで野宿することに決め、せめてシャワーだけでも使わせてくれ、と頼むとOKが出たので「多謝(広東語のありがとう)」と言った。
それまではすべて筆談で交渉していたので「おまえ広東語しゃべれるのか?」と聞かれ「少しだけど・・・」と「ヤッ、イー、サン、セイ(1234)・・・」と数だけ言ってみたら急に笑顔で親身に話してくれるようになる。
聞けば、外人を泊めると公安にパスポートを届けたり面倒なのでやりたくなかったんだけど・・・という理由で断ろうと思ったのだとか。

結局宿泊もOKだったし、メシも食わせてもらったり。
この一件から言語習得熱は更にヒートアップしたのだった。

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.: posted by kazumoto 10:04 午後


「破壊工作員」

中国語で「仕事」のことを「工作」といいます。
「あなたの『工作』は何?」と聞かれると思わず「地雷設置です」と答えたくなります。

ただそれだけのネタです。
謝謝合作。

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.: posted by kazumoto 9:49 午後


「永遠なれチベット仏教」

「チベット仏教」と聞いてどんなイメージを思い浮かべますか?
4000m以上の険しい山の中の寺で、黙々と五体投地で祈る厳しい宗教・・・
そんな感じではないでしょうか。
でもそのイメージを持ってラサに行くとビックリしますよ!
あずき色の袈裟を着た坊さんが町でビリヤードやっていたり、VCD屋で香港映画を見てゲラゲラ笑っていたりするんですから!

本山ジョカン寺の前では多くのチベット人が五体投地を繰り返していてこれもイメージに近いのですが、よく観察してみるとみんなおしゃべりをしながら楽しそうにやっている。
ある時まるで筋トレをしているかのようにものすごいスピードで五体投地をしている人がいたので不思議に思って聞いてみたところ、
「腹が減っているからさっさと済ませて帰りたいんだ」
とのこと・・・。
食欲と信仰欲とのせめぎあいですね。

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.: posted by kazumoto 2:15 午後


「悪夢」

今回の日程で最もつらかったのは、山深い東チベットでも初冬のヒマラヤ越えでもない。
それは「貴州越え」である。
「貴州」とは広東・雲南・四川省に囲まれた小さな省で、中国の中でもっとも貧しい省のひとつと言われている。
特に有名な観光地もないので知らない人も多いだろう。
貴州には3つのものがない。
「平地」「かね」「晴天」
ひたすら山、山、山ばかりで、産業もないので貧乏で、山ばかりなので雲がかかる(実際は晴ればかりで暑くて死にそうだったけど)。
つらさの例を箇条書きにすると・・・

・とにかく山ばかり。
やっと峠だ〜!と下り始めるともう向こうに次の山のつづら折の道が見えている。
・休憩ポイントが全然ない。
宿のありそうなところまで行くために毎日4・5個の峠越えをしなければならない。
・主要道であっても舗装してないことが多い。
しかも山肌を削っただけの土ダートなので、乾けばモウモウと土埃が立って息もできなくなり山からの湧き水が流れ出る所では足首まで埋まる泥沼と化す。
・そんなんでも広州−成都を結ぶ道があるのでトラック・バスがひっきりなしに通る。→ゆえに土埃ひどく体も荷物も真っ白。
・山深いといっても0〜1000mの低地の峠なのでメチャ蒸し暑い。
・村に入るには橋がないので、渡し舟で行かねばならない。

あまりのつらさにこの旅の中で唯一バス輪行を真剣に考えた。
しかしそれを思いとどまらせたのは、前日滝で水浴びしてたときバスが停まって乗客が一斉に窓から「水汲んでくれ〜」と水筒を持った手を伸ばしてきたのだ。
バスは灼熱の棺おけと化し、土埃が侵入し中まで真っ白。
これなら自転車のほうがましだ・・・と思ったのだ。

とにかくここに比べればラサ−カトマンズのヒマラヤ越えなんてオコチャマ向けみたいなもんである。

もちろんいいところもちょっとあるよ。
・メチャ物価が安い。
・山だけあっていろんな少数民族がいていろんな文化がある。
・夜になると蛍がきれい。

冒険者よ!貴州を目指せ!!

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.: posted by kazumoto 2:09 午後


土曜日, 9月 06, 2003

「ハッピーバースデー!」

一年前私は30歳になった。
いったいどこでこの記念すべき日を迎えるのだろう、とだいぶ前から気にしていたのだが、結局東チベットのとんでもない山深い中で、しかも周りに人も住んでいないような所なのでその辺の空き地にテントを張ってキャンプしていた。
暗くなるとやることもないのでさっさと寝た。
静かな30歳の訪れだった。

しかし翌朝目が覚めて外に出てみると、昨日は雲がかかっていてわからなかったのだが目の前にドカ〜ンと巨大な三角形の雪山が顔を見せていた。
誰にも祝ってもらえなかったけどこの山だけが祝ってくれているような気がした。

しかしそもそもチベット人は誕生日を祝う習慣はないらしい。
それどころか一般の人は自分の誕生日すら知らないのだ。
(ダライラマだけは特別で、ラマの誕生日はチベットの祝日)
大切なのは日ではなく生まれた曜日である。
これはビルマ仏教でも同じで、各曜日ごとに自分の守護動物(?)があり、それに願をかけるのだ。

日−トリ、月−トラ、火−ライオン、水(午前)−牙ありゾウ
水(午後)−牙なしゾウ、木−ネズミ、金−モグラ、土−竜

あなたは何曜日生まれですか?

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.: posted by kazumoto 1:46 午後


金曜日, 9月 05, 2003

「中国的多人房事情」

多人房とはすなわちドミトリー(相部屋)のこと。
小さな村のホテルではドミはなくシングルで5〜10元(80〜150円)位ですが、観光地や中都市になると値が上がるので多人房に入れば1ベッド5〜10元位で済みます。

観光地の多人房は外国人でいっぱいで英語が共通語の異様な世界ですが、観光地でない都市の多人房は地方からの出稼ぎ工事のオッサンで占められていることが多いです。
中国人はお国自慢が大好きなのでいろんな土地の話が聞けます。
それにそういう人は1ヶ月とかの長期でいるのでその町の穴場、路地裏の安ウマ食堂、楽しい飲み屋、あんなこといいなできたらいいな的店などの情報をたくさん持っていて一緒についていくといろんな体験ができます。

中国ではまだ海外からの出稼ぎには会ったことはないですが、以前ヨルダンのアンマンで同じような出稼ぎドミに泊まった時は、ヨルダン・シリア・エジプト・イラク・スーダン・イエメンのアラブ多国籍軍状態。
ポツンと現れた日本人は格好のおもちゃで、いろんな所に連れていってもらい、ホモに2回も寝込みを襲われるなどエキサイティングな経験をしました。
その点中国はちょっとおとなしいかな・・・今のとこ。

(後日談:結局中国では何もありませんでした。バングラではホモっぽい人にさすられました)

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.: posted by kazumoto 8:53 午後


「中国的自転車事情」

自転車を止めて休憩していると「ちょっと乗ってみていいか?」と言われます。
これは中東でもよく言われたことで乗せてあげるのですが、自転車にあまり乗らない中東人は重い荷物にまたぐだけでもフラフラしてしまうのに対し、さすがここは自転車大国!
皆さん容易に乗りこなしてしまいます。
ただあの前傾姿勢とギアチェンジにはかなり戸惑うようですけど。

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.: posted by kazumoto 8:49 午後


「在中国日本人旅行者事情」

そのアメリカ人と一緒にいるときは皆は私を見ると「このアメリカ人のつきそい中国人ガイドかな?」と思うようでちょっとは気にしてもらえますが、一人だと一見中国人と同じなので誰も気にしてくれません。
だから混んでいる飯屋なんかに行くと主張するのが大変で結構苦労します。
ただ一旦日本人だと分かると意志疎通できる(筆談ですが)こともありすごく親しみ持ってくれてありがたいです。

それに一見中国人なので路地裏とかアヤシゲな店とかにもズカズカ入っていけて楽しいですよ。
中東でもやりたかったけど無理だったなあ、すぐ人だかりができちゃうから。

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.: posted by kazumoto 8:47 午後


「在中国外国人旅行者事情」

先日まで3週間ほどアメリカ人サイクリストと行動を共にしてきました。
二人ともチベットを目指していたのですが、私が、4時には走るのを止め、後は町ブラブラ、地元交流、気に入った町なら1週間でも1ヶ月でもいたい、滞在・交流重視型なのに対し、彼は日が沈むまで走り続けとにかく先を急ぐ移動型でした。

その間は互いに妥協しながらやってきたのですが、このままだとお互いの旅に無理が生じるので
「今度生まれ変わったら一緒に旅しましょうね」「うん」
と納得し別れました。

それ以外にもどーにも彼とは合わず、私が現地の人が食べるものならゲテ物だろうと何でも食べ、飲むものを飲む(水道水だって生水だって)のに対し、彼はポテト・トマト・牛肉以外には箸もつけず、水は買うのみ。
私が頑張って言葉覚えるのに、彼は2ヶ月いるのに言える言葉は「プーヤオラー(辛いのなし)」のみ。
「アメリカに帰れ!」と何度出掛かったことか。

彼に限らず西洋人旅行者に多いのが旅先に自国文化を求める人が多いこと。
朝はパンとコーヒーだったり、夏なのにホットシャワーをねだったり、英語しか話さなかったり、と。
東洋人旅行者(日韓台)が現地文化に溶け込もうと努力する人が多いのに比べ彼らの傲慢さが鼻につくときがあります。
これが植民地支配を広げてきた側とされてきた側の違いかと思うのは考えすぎかな?(日本も一時してましたが・・)

旅のスタイルは人それぞれなのでとやかく言う問題ではないのかもしれませんが
「When you go to Rome, You should follow Roman rule.」
という言葉があるくらいなんだからもう少し努力してもいいんじゃないかなー、と思いました。

なーんて偉そうなこといってしまいましたが、実は私も異国文化を中国に持ち込んでいるのだ。
それはズバリ「ハンドウォシュレット」。
サイクリストにとって肛門様は生命線なのだ!!
清潔一番!!

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.: posted by kazumoto 8:46 午後


「中国的漢字事情」

中国を旅するにあたって筆談は大変心強い交流方法ですが、やはり同じ文字でも意味が違ったり、字が簡略化されすぎて分からなかったり、そもそも日本にはない文字だったりして全て理解するには勉強しないとだめ。
私も毎日すごい量の筆談をしてきて(ボールペンの芯が1週間でなくなる)かなり筆談能力はアップしました。

それに発音は土地が移るにつれどんどん変化していくのでついていくのが大変ですが、文字はずっと共通なのも便利です。
やっぱりたった1文字で意味が伝えられるというのはすごいことだと思います。

ただ時折ビックリするような文字もあって
牙科・・歯医者のことです。噛まれそうですね。
炎熱・・天気予報で、気温は高いでしょう、のこと。燃えそうです。
雑誌読んでたらアイドルのプロフィール紹介があり
「身長5尺4寸」
なんか雷電為右衛門みたいで笑えました。

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.: posted by kazumoto 8:41 午後


「中国的靴事情」

ここに来るまで靴は一度も履いたことがなく、ずっとスポーツサンダルで通してきたのですが、先日カカトが壊れたので中国人民の皆さんを見習って便所サンダルを買いました。
さすが中国4000年の歴史が生み出したものだけあって、安い、丈夫、吸水性ゼロ、そのままシャワーに入れる、などいいことずくめ。
愛用してます。

しかも人民の皆さんはこれで登山もしてしまうのでマネしてハイキング登山してみたらツルツル滑って大変でした。
やはりまだ修行が足りないようです。
それにやはり長距離サイクリングには向いていないような気も・・・。

私はもう少し修行してみますがよい子のみんなは真似しちゃだめだよ!!

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.: posted by kazumoto 8:38 午後


「中国的厠所事情」

厠所とはすなわちトイレのこと。
中国の公衆便所は通称「ニーハオ便所」。
扉がないのが普通です。
これも慣れの問題で、隣のオッサンのりきむ顔を見ながらクソするのもまた一興。
また、ブタさん便所というのもあり、下でブーブー待っていて出したものをそのまま食べちゃう。
その近くで豚肉の料理を食べると食物連鎖を感じます。

ただ自転車に乗っていて意外な所で困ったことがありました。
それは野グソポイントがなかなかないこと。
中国の土地はおよそ人の手の届く所(道路脇はもちろんのこと、山ひとつが頂上まで全て棚田になっていたりする。どうやって上まで水を供給しているのかは今もって不明)は全て耕作地になっており、草むらとかが無いのです。
そんなの畑の隅でしちゃえばいいじゃん!と思うかもしれないけど、すげー山道でもどこへいくのかトボトボ歩いている人が必ずいて、その人にこういう所でクソするのをマジマジと見られるのはなぜか恥ずかしかったりするのだ。

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.: posted by kazumoto 8:36 午後


「中国的果皮事情」

果皮とはすなわちゴミ全般のこと。
中国にしばらく居るとゴミをその辺にポイ捨てすることが気にならなくなります。
やはり初めはちょっと抵抗ありましたがある時考えを変えました。

町には多くの掃除おばちゃんがいてゴミを掃除してくれます。
それなのにもし中国共産党の大号令で「道にゴミを捨てたものは即死刑!」などという法律ができたら(共産党ならありえないこともなさそうでコワイ)在中国の何万人というおばちゃんが職を失うこととなり中国は大不況に陥ることでしょう。
ゴミを捨てることはおばちゃんの生活を守り、果てには中国経済のためだ!
そう思えばポイ捨てもミニNGOみたいなもんで、捨てた後は気分爽快!

ポイ捨て以外にも、歩きながら鼻ほじろうが、痰吐こうが、屁ここうが、一向に平気になりました。
ただ日本に帰ってからが心配ですが・・・

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.: posted by kazumoto 8:33 午後


「中国的発破事情」

道路拡張やガケ崩れなどで道路工事はしょっちゅう。
道路をふさぐ岩を除くための発破作業もしばしば。
この前トロトロ走っていたら工事のオッサンに止められ「今から発破があるからちょっとこっちに来て」と道の端に寄せられました。

数分後、わずか100m位の所で10発のダイナマイトが爆発、頭の上を石ころがヒュンヒュン飛んで行きました。
国は広いくせにこういうところは狭いです。
これが中国式。

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.: posted by kazumoto 8:30 午後


「中国的電脳事情」

電脳とはすなわちコンピューターのこと。
山奥なら話は別ですが、そこそこ人の集まっているところには必ずネットゲーセンがあり、小学生が巧みにマウスを操りブロードバンドシュミレーションで遊んでいます。
外で人力のみで巨岩を叩き割っているのとはえらいギャップを感じますが・・

ネット屋は携帯電話とともに急成長分野らしくあちこちに店があり新店舗は新マシンを入れているので環境はかなりいいです。
しかもADSLが標準。
それでいてフツーの町なら1時間20〜30円くらい。
PCの値段は日本よりも高いので買うなんてしなくてもこれで充分みたいですね。

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.: posted by kazumoto 8:29 午後


「中国的回族事情」

回族とはすなわち在中国イスラム教徒のこと。
ウイグル方面だけかと思ったら南方にもいるんですね。
町にはたいてい回族街があって、店には例のミミズ文字の看板があるのですぐわかります。

以前その回族街に1週間ほど滞在してました。
5年ぶりのイスラム世界でしたが、1日5回のお祈りはどこへやら、昼間から酒は飲むし(豚肉は食べない)、その堕落ぶりはトルコ並みか。
いや、中国のモスクはアザーン(お祈りの時間ですよーの放送)すらないのだ。

でもアゴヒゲをフサフサに生やしたおじいちゃんが「ワシは10年前にメッカ巡礼に行ったのじゃよ」と話しみんなからの尊敬を集めているのを見るとなんか嬉しくなっちゃいます。(アゴヒゲはメッカ巡礼を済ませた者の証拠)

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.: posted by kazumoto 8:27 午後


「中国的少数民族事情」

ここまで私の通ってきた道は中国南部の少数民族の居住区、これまでに10くらいの族に会いました。
それぞれの族はそれぞれの服があって(こう書くと特攻服みたいだなあ)女の人は普段からアイデンティティを誇示するかのように民族服を着ているので、見慣れない衣装を見ると、新しい地域に入ったな、と分かります。

ただ少数といっても10数億の大部分を占める漢民族に比べればの話であり、その数はかなりのもんでは?
以前ある族の人に「漢民族とは仲いいのか?どれくらいの人数がいるのか?」と聞いたところ、「民族団結、国家発展」という教科書通りの答えが返ってきて、やはり通りすがりの外国人には本音は漏らせないんだろうなあ、と思いましたが、数については「漢族よりは少ないけど○○族よりは多い」と、ちょっとライバル心も垣間見えたりして興味深いところです。

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.: posted by kazumoto 8:25 午後


「中国的裏床屋事情」

知っている人もいるかもしれませんが、中国の床屋には2種類あって、ひとつはおっさんのやっているフツーの床屋。
もうひとつはピチピチ小姐がミニスカートで迎えてくれる床屋。

以前町を歩いていたら後者の求人広告を見つけました。それには・・・
・年齢18〜22歳
・容姿端麗
・歯が揃っていること
・経験不問
結構厳しいです。
でも一応床屋だから髪も切らねばならなく、ガキを練習台にしているのを見かけました。
15分後・・・
あわれガキの頭はデコボコに。結局ママさんが仕上げ直してました。

中国で床屋に行くときは目的を明確にして行きましょう!!

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.: posted by kazumoto 8:22 午後


「中国的麻雀事情」

中国では老いも若きも男も女も4人そろえば即麻雀。
昼飯食ったらおばちゃん電話で4人集めて家の前で野外麻雀。
私も果敢に勝負を挑み続け、始めのころはよく分からない手であがられ負け続きだったのですが、中国的規則が分かってきて最近はトントンの勝負ができるようになりました。
以前中東でバックギャモン習得のためにアラブ人に100連敗くらいしたことを思えば素早い上達です。

ルールは単純で、頭2枚に3×4の組を作れば役など必要なく、ポンしようがカンしようがお構いなし(ただしチーは大陸にはないようだ。台湾にはあるらしい)。
とにかく勝負が早くて流局はありえない。
そして当然金は賭けていて、一勝負(半チャンではない)ごとに、ロンで10元(150円)、ツモれば全員から10元で30元。
なんだ、安いじゃん、と思うなかれ。
平均月収が1000〜1500元の中国では、日本で20万稼ぐ人の2000円に相当する金が一勝負ごとに動くのだ。

以前おばちゃんから50元くらい勝ってしまい、もらうのは悪いので遠慮しようとしたら、おばちゃんのプライドが許さないらしく
「いいからとっときなさい!ただし明日も勝負するから出発しちゃダメだかんね!!」
と言われ翌日見事に100元持ってかれました。
おそるべしおばちゃん。

ただ昔ジャッキーチェンの映画「プロジェクトA」の中で、サモハンキンポーの初登場シーンは麻雀をしているところであり、彼が役満を狙っているのを見て、派手好き・目立ちたがりの中国人は絶えず役満狙いの派手な麻雀をしているものとばかり思っていたのに、まさかポンジャンみたいなショボイ麻雀をしていたとは・・・。
長年信じてきたものに裏切られたような気分です。

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.: posted by kazumoto 8:20 午後


「中国的道路事情」

中国はさすが自転車大国。道路には自転車専用レーンがあってそこを走れば快適です。
道も広く、ゆうゆう人民号とともに快適なサイクリングが楽しめます。
しかしそれは大都市周辺に限ったこと。
田舎の方に入ってしまえばたとえ幹線国道であろうとも山の一部を削っただけのダート道であることが多く、一歩間違えば奈落の底へ。
しかもその道も砂利道ならまだマシなのですが、土道なので車が通れば土埃がもうもうと立ち、湧き水の出るところでは足首まで埋まる泥沼と化し、一日の平均時速が5km/hということもありました。そんな道が300km(1000m峠含)も続いたときはホントにバスに乗ろうかと思いましたね。

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.: posted by kazumoto 8:16 午後


「僕の外国語覚え方術(番外編)」

中国語の場合、下の方法に加えもっと効果的な方法があります。
それは筆談。
多少日本で使っている漢字と意味が違うものがあったり、略され過ぎて不明な漢字があったりするけど下手な英語よりよっぽど細かな感情を伝えることができます。

で、私の場合、筆談中には必ず書かれたものを読んでもらうようにしていました。
また書いた文の中におかしなところがあるときは直してもらうようにしていました。

中国語は発音は難しいけれども、なんとなく日本の熟語の発音と似ているので、アラビア語を覚えるよりははるかに簡単です。

加油!(がんばれ) 再見!(では)

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.: posted by kazumoto 7:59 午後


「僕の外国語覚え方術(暇人用)」

言葉はコミュニケーションの基本。
ほんのちょっとでも現地語を話せば全然ウケが違います。
ここでは私流の現地語マスター術を紹介しましょう。

1.あいさつ!

「こんにちは」「ありがとう」「さようなら」
最低でもこの3つは覚えましょう。
ガイドブックの会話集の中にも絶対あるでしょう。
向かう飛行機の中で覚えられるはず。

「テシェキュレデリム」(トルコ語のありがとう)
「チェーズティンバッレーカミャ」(ビルマ語のありがとう)
一見覚えにくそうだけど、本を見ながらでもいいから何度も使っていると自然と口から出てくるようになります。
これを言えば相手もきっとニッコリ笑顔を返してくれるでしょう。

これだけなら短期の旅の人でも十分覚えられますよね。
これすら覚えようとしない人はさっさと豚小屋に帰ってウ○コでも食っててください。

2.何言ってるのかさっぱりわからん!

全く未知の言語圏に入ると誰かが話し掛けてきたとしてもベラベラベラ〜と音として聞こえるだけで
質問されているのか怒られているのかすら解りません。

第2段階として「5W1H(いつ、誰、どこ、何、どちら、どのように)」に相当する言葉を覚えましょう。
その単語が聞こえれば少なくとも何か質問しているんだな、くらいは解ります。
「どこベラベラベラ〜」と言われれば、たいてい「どこから来たのか?」か「どこへ行くのか?」なのでどっちか答えればその質問文も解ることになります。

3.もっと語彙を増やしたい!

その辺で遊んでいる中学生か高校生をつかまえましょう。
この辺りの子は学校で習った英語を試したい盛りであり、外人と話したくて仕方がない。
「これは何?」と聞きまくって語彙を増やしましょう。
「寒い」「大きい」などの簡単な形容詞もわかるでしょう。

また、名前・年齢・場所の聞き方なども手に入れましょう。
このときに注意をひとつ。
会話集にもこの手の質問は載っていますが、そちらには「あなたのお名前はなんというのですか?」とか
「ここの地名は何というのですか?」といったような長々とした文章になっているので覚えにくい。
だから、「名前は?」「ここどこ?」みたいな聞き方を教えてもらいましょう。
そのほうが短くて覚えやすい。

4.更に高く!
単語だけを並べると並べるだけでも充分意思は伝わりますが、もっとしっかりした話がしたい人は大学へ行きましょう。
日本のバカ大学生と違って海外の大学生は大変しっかりした英語を話せる人がほとんどなので、そこの大学生をつかまえて過去・未来形、男性女性形、文による変格の仕方、など高度な文法を学びましょう。


聞いたところで覚えなければ意味がない。
私の場合は昨日仕込んだ言葉を紙に書いて、自転車のハンドルに張ってブツブツ唱えながら自転車こいでました。
また、ランダムに時計を見て8時42分なら「八百四十二!」と言う練習をしておけば買い物にも困りません。
こうして1日20個ずつでも覚えていけば1ヶ月もすればそこそこ会話が成り立つようになります。

しかしそれだけやっても「ベラベラベラ〜」と話し掛けられるとサッパリ解らないときがあります。
そういう時は適当に「ウンウン」とうなづいてみましょう。
そのまま話が続けばそれでいいし、もし相手が困った顔や悲しそうな顔をしたときにはあわてて「違った違った、ノーノー」とごまかしましょう。

この方法なら高い金払って留学する必要もなし!
目指せ!マイナー語マスター!!!

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.: posted by kazumoto 7:56 午後


「中国的色物事情」

香港は無法地帯です。
中国本土に入ると合法か違法なのかはわからないけどほとんど見かけなくなります。

でも「大人用品店」というのがあって、コケシみたいなのがズラリ並んでいる店がデパートの中にあったりしてビックリさせられます。
これは「一人っ子政策」の一環らしく、子作り以外の方向にエネルギーを費やすためだとか。

また、おおっぴらに本とかは売られてないけど、裏道を歩いていると「エロVCD映画館」があって入り口には「色情女子痴態暴露」とか「悶絶快楽絶頂交友」とかものすごく観たくなるようなタイトルが並んでいるので観に入ってしまいました。
しかし中身は香港製のしょーもないコメディーエロ映画だったりしてガッカリ。
漢字は罪ですねえ。

ちなみに「キモチイイ!」は中国語で「爽!」。
「爽健美茶」は中国ではかなりきわどいイメージになるらしい。

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.: posted by kazumoto 7:55 午後


「中国メシうまい!」

安そうな小さな汚い食堂があったので入ろうとしたところ、店主はちょうど麻雀の真っ最中。
「お忙しい中申し訳ないですが一品作ってくださいな」と頼むと店主は負けていたようで大変機嫌が悪く面倒くさそうに調理しぶっきらぼうに出してきた。
しかし・・・
ウ、ウマイ!
あんなに適当に作っていたのに!

ながきに渡り滞在した中国を飽きることなく楽しめた理由の一つにこの中華料理のうまさがあるのは間違いないですね。
どんな所で何食べても基本的にハズレがない。
数ヶ月居ても全メニュー食べるのが不可能なくらいバリエーション豊か。
中国人の友達と行けば調理法まで指定して、更にディープな中華を楽しめること請け合い。

でも残念なのは一皿が大量なので一人旅だと一回に一品しか食べられないこと。
やっぱり中華は大人数でテーブルを囲んでいろいろな皿をつつくのが楽しいですよね。

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.: posted by kazumoto 7:53 午後


「中国人との付き合い方」

中国人はとっつきにくいです。
初めて入る食堂・宿では
「何か知らない変なやつが来やがった」といういやな目で見られがち。
でもそこで勇気を出して入り込み、笑顔で自己紹介すると
「おやまあ、よく来てくれたねえ!」
とあたたかく迎え入れてくれます。
再度行けばもう彼らの友達同然。
周りの人に「こいつはなあ・・」と紹介してくれます。

小さな町だとすぐに町中に知れ渡ることとなり、通りを歩けばみんなから
「メシ食ったか?(仲良い人は「ニーハオ」ではなく、これが挨拶となる)」
の、箸で口にかき込むポーズをしてくれるようになります。
仲間入りできたようでちょっと気分いいです。

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.: posted by kazumoto 7:52 午後


火曜日, 8月 19, 2003

「去り難しビルマからの道」

8月15日、バンコクに向かう便に乗るため空港に向かう。
無事チェックイン、出国審査も済ませ、あとは搭乗を待つのみ。
しかし!
いつまで経っても搭乗のアナウンスが入らない。
1時間、2時間・・・やっと人の動きがあった。
でもそれは乗り込むためではなく係りに詰め寄るための動きだったのだ。
聞けばエンジントラブルのため今日の便は欠航、今日は近くのホテルに泊まってもらい、明朝の便に振り替えるとの事。
そう言えばさっきから外で「キュイーン、キュイーン」と何度もエンジンの音がしてたっけ。
別に急ぐ旅ではないので豪華ホテルにタダで泊まれるならそっちの方がいいや。
その日は豪華ディナーのあとプールで泳ぎACの効いた部屋でフカフカのベッドにもぐりこんで快眠。

翌朝・・・
指定された時間に空港に着くとそこはすでに狂乱の事態。
元々この便の予約をしていた分に昨日の客が入りこんだもんだから大量のオーバーブッキングが発生。
社会人休暇で来ている人は、「これが限界だ!会社にどう説明するんだ!」
と詰め寄るし、昨日の客は、「2便もキャンセルとはどういうつもりだ!」
と詰め寄るし。
私としては別に急ぐ旅ではないので豪華ホテルにまたタダで泊まれるならそっちの方がいいや、と早々に搭乗を放棄しホテルに戻って飯食ったりプールで泳いだり。
この日の夕方の別会社便にも振り替えがあったのだがそれにも乗れずに結局合計3便とばされ、48時間後の4便目にやっと乗れました。

しかしこの間まったく抵抗することなく、逆に嬉しそうに指示に従っている私の態度に職員も気づいていたようで「You have happy life in Yangon!」
とイヤミめいたことまで言われてしまった。
貧乏ってやだね。

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.: posted by kazumoto 11:09 午後


「成り難しリコンファームの道」

バンコク行きの航空券のリコンファームをやりに、ヤンゴン市内のインディアンエアラインズのオフィスに行った時の事である。
予定より早めの便に変更してもらうよう申し出たところ、返ってきた答えは
「早めの便どころか元々の便もないわよ。」
一体何を言っているのかよく理解出来ない。
もう一回詳しく言ってよ。
「8月に入って突然ミャンマー政府がインディアンエアラインズに対し許可を下ろさなくなったため以降の便は全便キャンセル。もしバンコクに行きたいんだったら41ドル払えば別会社の便に振り替えてやってもいいわよ。」
オイオイ!やってもいいわよじゃねーだろ!!
そっちの責任なんだからそっちが代替金保証すべきだろう!
と怒ってみるも
「今はマネージャーがいないので明日もう一回来い。」

明日もう一回行ってみる。
ターバン巻いたインド人マネージャーと対決する。
しかしさすがはインド人、こっちの話には全く耳を貸す様子はなくわびの一言もなし。
「半分しか飛んでないんだから半額返却せよ」と言っても
「これは安チケットだから返却は出来ない」とか、
「なぜ許可却下を事前察知出来なかったのか?業務怠慢ではないのか?」と言っても
「ミャンマー政府がすべて悪いのだ。こっちこそ被害者だ」とか、
「41ドルも手持ちがない(ビルマでは現在カード・TCの使用一切不可)」と言っても
「どっかで借りるかしてかき集めてこい」とか。
挙げ句の果てには
「このままごね続けてもビザが切れて不法滞在になってもっと困った事になるぞ!」
と脅しみたいな事を言われる始末。
それでも交渉の末、何とか30ドルまでまけさせるが、どうも釈然としないままバンコク行きのチケットをひとまず手に入れる事が出来た。
しかしこれで終りというわけではなかったのだ・・・

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.: posted by kazumoto 11:08 午後


「バングラビルマ比較概論第一(2単位)」

バングラデシュとビルマ。
地理的には東西に接する国同士であるが、その性質はまったくもって異なる。
海を挟んでいるわけでもなく、ヒマラヤのような巨大な山脈を挟んでいるわけでもない。
しかしありとあらゆる点が違うといっても過言ではあるまい。
気づいた点を列挙してみよう。

・顔
 彫りのふかーい顔立ちのバングラ人。日本人とそっくりのモンドロイド、ビルマ人。ビルマ人の顔はタイ人よりも日本に近いような気がする。親近感が湧きます。

・人柄
 外国人を見ればほおっておけない強烈な好奇心を持ち、熱く正義感溢れるバングラ人。シャイで静かなビルマ人。バングラでこれでもか!というくらい質問攻撃を受けてきたのに対し、ビルマではだれも話し掛けてこないので、顔が似てるから気づかないのかな?と思いきや、やっぱり外国人とはわかっているけど声かけるほどの勇気はないらしい。

・食べ物
 インドと同じようなカレー・香辛料中心のバングラ料理。いろんな味付けのあるビルマ料理。油っこいと評判の悪いビルマ料理ですが、8ヶ月間カレーばかり食べてきた私にとっては天国のような毎日です。

・服装
 男は洋服、女はサリーが標準のバングラデシュ。男性は家の中ではルンギという巻きスカートをはきます。しかしビルマではこの巻きスカートが男女ともに外出着となります。巻き方が両国でちょっと違ってバングラ巻きでビルマを歩くと「違うよ」と注意されちゃいます。でもバングラ巻きの方が緩みにくいので私は好き。

・交通
 先行く車があったら追い越さずにはおれない気狂いドライバーばかりのバングラ人。対向車が来るとライト点滅させ端により減速して道を譲るビルマ人。これは歩行者も同じで、ひたすら直進してくるバングラ人と、さっと道を譲るビルマ人。ビルマでは町で信号がちゃんと機能しているのにも驚かされました。
 どちらも日本の中古車を大量に輸入しているので、街で見るのは右ハンドルの日本車ばかり。しかし共にイギリス領だったのに、バングラは左通行でビルマは右通行。だからビルマ車は追い抜く時はすごく大変そう。輸入されたバスも右側をぶち抜いて出入り口を付けています。(左側の元々ある扉は開かずの扉)

・ボリ方
 観光大国タイとインドに挟まれ忘れられがちなこの2国。観光客が少ない分、どちらも観光ズレしていない素朴な旅が出来るかなあと思っていたのですが・・・
 バングラデシュは素朴そのもの。まずボッてくるということ自体ほとんどないのですが、ごく稀に買い物しようとしてちょっとでも相場より高い値段を言おうものならそばにいた客が「てめえ、言葉の不自由な外国人からボろうとはふてえ野郎だ!正しい値段で売ってやれ!ついでにオマケも付けてやれ!」と怒ってくれるのでいつも安心して買い物出来ます。

 しかしビルマにおいてとても驚いたのが、庶民向けの店や食堂でも平気な顔してぼってくるのです。しかもそのボリ方が相場の2倍3倍という大胆さ。ぼっている事に気づいて値切ろうとしても頑として譲らず駆け引きを知らない。特に観光地はひどい。一般市民がそれを見ても見ぬふり。政府のやっている外国人料金制度に商店も追随している感じがします。
 
しかし今回私が見たビルマは都市と観光地だけなので、一面から見ただけでこの国を判断するのは危険ですね。
もっと田舎や普通の町に行けばきっと素朴な人達に会えるんでしょうね。

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.: posted by kazumoto 11:07 午後


「経済格差」

アジアでは観光地や交通機関に外国人料金が設定されていることが多いです。
有名なところでは、
エジプトのピラミッド:5倍(外人300円、現地人60円 7年前の話です)
ヨルダンのペトラ:20倍(外人3400円、現地人170円 これも7年前)
チベットのポタラ宮:40倍(外人1200円、現地人30円)
インドのタージマハル:75倍(外人3000円、現地人40円)などなど

私の知る最高差はこのタージの75倍だったのですが
遂にそれを超えるものが現れた!!
それがビルマの国立博物館!
現地人1.2円に対し、外国人は600円!
その差怒涛の500倍!!
果たしてこれを超えるところはこの地球上にあるのか!!?
ご存知の方は下記までご一報ください!!

東京都港区 世界外国人差別撤廃委員会 日本支部

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.: posted by kazumoto 11:07 午後


「ビルマの竪琴」

今回ビルマを訪れた理由は、昔映画「ビルマの竪琴」を見ていたく感動したかの地を自分の目で見てみたい、というものでした。
実際来てみるとやはりあちこちの寺に「○○巡礼団寄付金¥30000」とかあって多くの日本人がこの地に関係していることが分かります。
そういう寺の参道の土産屋には「ビルマの竪琴そば」や「遺骨収拾に行ってきましたクッキー」が売っていたり、水島上等兵の顔をくり貫いた看板で記念撮影が出来るようになっていたりするようなことはありません。

寺がものすごい数ありもちろん僧侶も沢山います。
彼らは人々から尊敬されてはいますが、大観光地バガンにいたある僧は歩いていると近寄ってきて
「チェンジマネー?」
小坊主がワーッと近寄ってきて、写真撮ってよ、というのでパチリ撮ると
「1$」
観光地は僧侶をも腐らせるらしい。

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.: posted by kazumoto 11:05 午後


「パスポート作成料99%OFF!!」

日本で10年物のパスポートを作ると15000円。
諸外国の日本大使館で作ってもそれ相当の現地通貨を払わなければなりません。
しかし!
ビルマにおいてはそれがたったの120円で出来てしまうのだ!!
スゴイ!大安売り!!太っ腹!!!

からくりはこう。
ここビルマにおいては公定レートと実勢(闇)レートの差が130倍もある。
銀行なら1$=7チャットしかくれないのに闇なら1$=1000チャットくれるのだ。
もちろん銀行で両替する人なんて誰もいないのだが、さすがに政府機関である大使館が闇レートで換算するわけにもいかないので公定レート換算すると、たった120円ぽっちでOKとなってしまうのだ。

だからパスポートの期限が切れそうな年の海外旅行は迷わずビルマにすべし。
戸籍謄本だけもってビルマに行けば観光ついでに新パスポート作れるよ。
ページの増補だけなら15円。
ただし大使館がドルばらいのみ可、とルール変更したら終わりですけどね。
(他国の大使館はみんなドルばらい。こんなばかなことをしているのは日本大使館だけです。いかにもお役所的ですね)

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.: posted by kazumoto 11:04 午後


「遙かなりビルマへの道」

7月28日10:00、定刻通りカルカッタを飛び立ったヤンゴン経由バンコク行きインディアンエアラインズ727便は2時間のフライトの末ビルマの首都ヤンゴン上空にさしかかった。
窓からはヤンゴン郊外の風景が眺められる。
機は徐々に高度を下げその街並みもどんどん間近に迫って・・・
アレ?アレアレ??
だんだん遠ざかってゆく?!?!
錯覚ではなく間違いなく機は上昇しているのだ!
やがてアナウンス。
「何だかよく分かりませんが現在ヤンゴン空港が閉鎖されているのでこのままバンコクに向います。」

2時間後、何だかよく分からないままバンコクに着陸してしまった。
「ヤンゴンに向う方はこのまま席でお待ち下さい」
そう言ったままひたすら待たされる。
スッチーに聞いても
「何だかよく分からないのよ。この後取り合えず再びヤンゴンに向うけどまだ閉じていたらカルカッタへビューンね」
おいおい、ビューンじゃねーだろ。

ヤンゴンに向うのは私以外には、インド仏跡巡礼ツアー帰りのビルマ人団体。
さすが静かなる仏教国の人々だけあって皆おとなしく席に付いて冷静に待っている。
これがインド人だったらみんな口々にわめきたてスッチーに詰め寄りどさくさに紛れてケツを触ったりして大変なことになっていたところだろう。

私の頭の中では色々な考えが錯綜する。
突然の空港閉鎖ということはクーデターでも起こって反乱軍が空港やTV局を占拠し近づいてきた飛行機は無差別に対空砲で打ち落としたりしているのか?
カルカッタに戻らされたとしてもこっちのミスじゃないから代替出来るまで豪華ホテルでウハウハか?
もうビルマに行くのめんどくさいから3度バラナシで時間つぶすか?とか。

そうこう考えているうち機はバンコクを飛び立ち再びヤンゴン上空にさしかかる。
機は高度を下げる。
どうか打ち落とされませんように・・・!
やはり1年おきくらいに初詣に行きおみくじを引いたりするような信心深さが功を奏したのだろう。
何事も無くヤンゴン到着。
結局色々聞いても閉鎖の理由はよく分からないままだった。

今年は初詣に行ってないので、来年は行くことにします。

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.: posted by kazumoto 11:03 午後


日曜日, 7月 20, 2003

「ありがとうバングラデシュ」


いやー、バングラデシュの旅楽しかったですよ〜。
今回は基本的に観光地巡りしかしていないのですが、他のアジア諸国(特に北インド)で観光地しか行かないとうっとうしい輩がウヨウヨ寄ってきて嫌な思いをするだけで終ってしまいがち。
私が自転車旅が好きな理由の一つは、自転車だと必然的に観光地以外の所に行かなければならないのでそういう所ではボラれたり騙されたりすることが無く一般の優しい人たちに会えるからです。
しかしここバングラデシュにおいては観光地巡りのバックパック旅でもその優しさが味わえる!

この雰囲気は中東のシリアととてもよく似ていて(この例えで、なるほど!と思える人は少ないでしょうが・・)とても懐かしい気持ちになりました。
共通点として挙げられるのは・・・
1。どちらの国の人もやたら親切である。
2。どちらもやたら話し掛けてきてすぐ友達になれる。
3。友達になると親戚友人らに紹介するため町中を引きずり回される。
4。どちらも親日的である(バングラは国際援助で、シリアは日本赤軍の活躍で)。
5。バングラはインド・タイという観光メジャー大国の間にあり、
  シリアはエジプト・トルコの間にあるため忘れられがちである。
  ゆえに外国人が珍しい。

というわけでバングラデシュは観光客の少ない今が行きどき!
(今後そう増えるとも思えませんが・・)
前にも書きましたが、私が今回ここを訪れた理由は、子供の頃親から「バングラデシュに連れて行くよ!」と脅されたあの国がどんなものなのか見てみたい、というものでしたが今となっては、わざと好き嫌いして脅されたら諸手を挙げて歓迎したい、
そんな気分ですね。

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.: posted by kazumoto 2:03 午後


「ヒソヒソ話」

バングラデシュのほとんどの人は井戸水で生活しています。
しかしその地下水から砒素が検出されて問題になっています。
かといって飲まないわけにはいかないのでみんな飲んでいます。
もちろん私も普通に飲んでいます。
とてもおいしい水なので、本当に砒素なんか入っているのかな〜?
と疑問に思うこともありますが、ミネラルウォーターのラベルにはデカデカと「Arsenic(砒素) Free!」と銘打ってあるところを見ると事実なのでしょう。
こんなことが書いてあるミネラルウォーターはバングラデシュだけだろうなあ。
それでも負けずにみんな元気にやっています!!

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.: posted by kazumoto 2:01 午後


土曜日, 7月 05, 2003

「カユイ」

私としてはバングラデシュはかなり強力にお勧めしたい国であるのだが、もちろん難点もある。
それは虫が多いことだ。
高温多湿の国なのだから仕方のないことではあるが。
川・沼・湿地ばかりだから蚊が多いのも仕方が無い。
寝るとき蚊帳を張ればそれでいいのだ。
(安宿にもちゃんと蚊帳くらいはある)
ベッドに南京虫が居たりするのも仕方が無い。
安宿には付き物だ。

ただ、これはかなわん!と思ったことが一度ある。
それは初めて映画館に入ったときのこと。
席についてしばらくすると何やら体がモーレツに痒くなってきた。
どうやら木製の肘掛けと背もたれがダニの巣くつになっていたらしく、両腕・背中一面ぼこぼこに腫れてしまった。
1週間くらいカユミが引かなかった。

でもバングラ映画はインド映画の豪華さをパワーダウンし、お色気シーンだけはパワーアップしたようなB級映画でかなり笑えます。
ぜひどうぞ。

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.: posted by kazumoto 6:26 午後


火曜日, 6月 17, 2003

「ベンガル語教室」

おそらく言語学的には全くつながりのないと思われる日本語とベンガル語ですが、その中に無理矢理似た言葉を見つけてみました。

その1「コイ」
川で捕れる淡水魚で木に登るらしい。
カレーの具になるが日本の「鯉」とは全く関係はない。
使用例:「日本人はどんな魚を食べるか?」「コイ」

その2「チョット」
少し・小さい・狭い、などの意味で使われる言葉
使用例:「日本人のチ○コはでかいか?」「チョット」

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.: posted by kazumoto 5:21 午後


水曜日, 6月 11, 2003

「刺線な視線」

まだまだバングラデシュには外国人旅行者が少ないので、どこに行っても好奇の目で見られます。
しかもその見方というのがチラチラ見るとかじゃなくて、一心不乱に凝視してくるのです。
食堂にでも入れば従業員・客の全員から大注目を浴びるのは必至。
別にガンを飛ばしているわけじゃなくて気になるから見ているわけで、こっちから笑いかければ向こうもニコッ。

さすがにこういう露骨な見方をするのは男性だけであり、女性の方はもう少し遠慮気味。
ある時下校する女学生の群れに会いました。
やはり皆私の方を見ています。
そこでこっちもそちらの方に顔を向けると全員がぱっと顔を背ける。
また別の方に顔を向けるとそちらもぱっと顔を背ける。
まるで回遊している魚が一斉に向きを変える様を見ているようでした。

このような注目度は中東の方でも体験したことがあり、始めの頃はそのジロジロ感がとても気になったのですが、目の前に珍しいもの(私のこと)があるから見たいと思っているのなら、私にとっても珍しいもの(アラブ人)があったら見ても構わないんだ、と思えたら気が楽になりました。

ある時トルコで眉毛のつながった人がいました。
アラブ人トルコ人は毛深い人が多いので眉毛のつながったのは珍しくないんですが、何とその人の眉毛は横真一文字につながっていたのです!
これはじっくり見とかなきゃ損だ、とジロジロ見続けていたら、しばらくしてその人は嫌そうな顔をしてどっか行ってしまいました。
「勝った!」と思った瞬間でした。

そして時は過ぎ長い旅から日本に帰った時。
成田から都心に向かう電車の中に女子高生が乗ってきました。
久し振りに見るミニスカート・ナマ足・ルーズソックス!
その珍しさに思わずクセでジロジロ凝視してしまいました。
やがてその子は「何よこの変態!」って顔で別の車両に移ってしまいました。
「負けた・・・」と思った瞬間でした。

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.: posted by kazumoto 5:55 午後


「マイノリティ」

インドにおける宗教人口割合は、ヒンズー73%、イスラム15%ぐらい。
バングラにおいてはそれがほぼ逆転し、イスラム88%、ヒンズー10%。

インドにおいては宗教マイノリティーであるイスラム教徒たちは、男はみなトルコ帽にムスリムスーツ、女は顔まで覆う真っ黒なチャドルを着ている。
しかしバングラにおいてはムスリムでもその格好をしているのは少数派で、男は洋服だし女はサリーを着ている。
やはりマイノリティーたちは自分たちのアイデンティティを誇示するためにそうせねばならないのだろうか。
乾燥しているならまだしも、蒸し暑いカルカッタにおいてはさすがにつらいのか、顔の覆いだけは外している女性が多かった。
やっぱり暑いんだろう。

この点は中国において大多数の漢民族が洋服なのに、少数民族は普段から民族衣装を着ている、というのも同じ理由なのかも。

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.: posted by kazumoto 5:54 午後


「文化の境界」

インドにおいてうなずきの仕草は首を横に振ります。
バングラデシュ人は縦に振ったり横に振ったりとあいまい。
お隣のビルマではどうかな?
もし縦振りだったらバングラデシュが境界ということになりますね。

他の例として5本の指先をくっつけて手をすぼめる形はエジプト・ヨルダンあたりでは「止まれ」を意味するのですが、トルコにおいては「ベリーグッド!」を意味するのです。
間のシリア北部の人たちは両方の意味で使っていてややこしかった。

また中国において「ありがとう」の言葉は、
普通話では「謝謝(シェイシェイ)」、
広東話では「多謝(ドーチェ)」。
ちょうどその境界あたりの山間の村では「ドーシェイ」と言っていました。

こうなるとサリー着用の境界、手掴み食いの境界、尻水洗いの境界も気になるところですね。

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.: posted by kazumoto 5:53 午後


「ものすごいドナドナ」

インド・カルカッタに着いたときにまず不思議に思ったことは牛が全く見当たらないこと。
私が歩いて見た限りではなく、他のツーリストに聞いてもやっぱり見たことない、と言うのです。
他の土地では必ずどこに行ってもいて、インドの風景に溶け合っていたのでカルカッタは何かインドのようでインドでない感じ。

考えられる理由としては・・・
1。町の近代化、交通渋滞防止のために政府が駆除(?)した。
2。牛肉OKのイスラム教徒が食べてしまった。
3。たくさんいる乞食の方々が背に腹は変えられず食べてしまった。
4。宇宙人に拉致された。

結局なぞは解けぬままバングラデシュに来てしまったのですが、あるバングラ人がこう言っていました。
「バングラデシュは食用としてインドから牛を輸入している」

1億4千万人のムスリムバングラ人の胃袋を満たすためバングラデシュから目と鼻の先にあるカルカッタから大量の牛が輸出されてしまったため消えてしまった・・・
考えられなくもないですね。

インドでは過保護にされ、八百屋の商品をのうのうと盗み食いしたりしている牛たちも、うかうかしてたらバングラ人に食べられちゃうぞ〜!

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.: posted by kazumoto 5:52 午後


「バングラデシュよりこんにちは!」

みなさんこんにちは。
現在、バングラデシュの北西部のラジシャヒという町にいます。
まだギリギリ雨季の手前で、内陸なのでカルカッタほど蒸し暑くもなくそこそこ快適です。
そして今がマンゴーのベストシーズン!
ラジシャヒはうまいマンゴーの産地として有名らしく、そこらじゅうでマンゴーが山積みにされ売っています。
ちょっと歩けば買わなくてもその辺にごろごろ落ちています。

バングラに来て2週間が経ちましたが、まだほとんど観光もしていません。
観光なんかするよりバングラデシュ人をお話するのがとても楽しいです。
インド人異常に興味津々で、話していれば自然とおうちに招いてくれます。
今日の昼食はあちらで、明日の夕食はこちらで、とスケジュール帳がぎっしり埋まってしまいました。

バングラでネットができるのか?!って?
できるんです。
そこそこのサイズの町ならネット屋はあります。
電話回線は細いのですが、やっている人があんまりいないのでインドより快適です。
料金は1時間20タカ(40円)。インドより安い。

ああ、もうすぐビザの期限が来てしまう・・
ダッカでビザの延長、あるいは、インドに逆戻りして再ビザ取得に挑戦します。

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.: posted by kazumoto 5:51 午後


土曜日, 5月 24, 2003

「イケニエ」

カルカッタにカーリー寺院という寺があります。
ここでは毎朝カーリー神への生け贄としてヤギの首がはねられます。
もがくヤギの首を押さえつけ巨大なナタでスパン!
首が落ちるとそのままグデッとなるかと思ったら、ヤギは結構しぶとく30秒ほど足をバタバタさせもがくのです。
その足がさっきまでついていた自分の頭を蹴っ飛ばし、間近で見ていた私の足元へコロコロと転がって来たからビックリ!!
ヤギさんと目が合ってしまいました。
おお神よ!!

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.: posted by kazumoto 3:01 午後


「ある日・・・」

ついにここを去る日が来ました。
いつもはただ過ぎてゆく時間が、今日は一分一分がその時までのカウントダウンのようで貴重に感じられます。
「明日からは子供たちの『カジュー!カジュー!(私のこと)』という声がなくなって静かになっちゃうね。」
そう言われるとますます寂しさ募ります。

5ヶ月過ごした部屋を整理していると、次々と家族の人がやって来て、旅の安全を祈って、と首・腕・指にいろいろなお守りをいただきました。
せっかく荷物を少しでも軽く、と思っていたのにすげー重い壁絵などももらってしまって嬉しいやら困るやら・・

出発の時間は刻々と迫って来ます。
みんななぜか無言。
言わねばならない、でも言いたくない・・・。
よし、あの秒針が12の所を指したら言おう、思わず顔を伏せてしまいました。
この顔を上げなければ秒針はもう一回り猶予を与えてくれる・・・
しかし顔を上げるとちょうど針は12の所を指していたのでした。
「じゃあ、もう出発するよ。」

玄関まで総勢20人以上の家族全員が見送ってくれました。
一人一人と握手し別れの挨拶。
みんな複雑な表情。
こっちも思わずジーンと来てしまいます。
すると中の一人が言いました。
「またきっと戻ってくるんだよ!」

そうだ、私はまたここに戻ってくるんだ。
メソメソなんかしてられない!
込み上げてくる熱いものをグッとこらえて笑顔に戻って言いました。
「また、会いましょう!!」

バラナシの、ある暑い日の出来事です。

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.: posted by kazumoto 2:59 午後


月曜日, 5月 19, 2003

「打ち出の小槌」

いくら貧乏旅行といってもやっぱりお金は必要。
現地通貨を得るための方法としては・・・

1。米ドルキャッシュを両替
 長所:これを両替で断られる事はない。普段の支払いがドルキャッシュでOKの場合もある。
 短所:盗まれたら一巻のオワリ。円→ドル→現地通貨の二重両替になるので目減りする。
2。トラベラーズチェックを両替
 長所:盗まれても再発行してもらえる。
 短所:多額になるとかさばって胴巻きがパンパンになる。
3。Citibankのカードで引き出し
 長所:手数料不要(残高が十分あれば、だけど)
 短所:使えるATMがそんなにない。
4。Visaカードでキャッシング
 長所:使えるATMがそこらじゅうにある。ATMが使えなくても窓口にパスポートとサインでOKの銀行・両替商多し。
 短所:借金だから当然利子がつく(ただしTCが作る時1%、両替時にも手数料取られる事が多いことを考えると、翌月返済できるならこっちの方が得なこともありうる)
5。現地人の子供に「ジャンプしてみろ!」と言って、チャリンチャリン音がしたらカツアゲする
 長所:元手が要らない
 短所:多額を引き出すのは困難

1。2。4。5。については世界のどこでも出来そうなのでここでは3。のCitibankについて今まで通ってきた国の情報を。
ただCitibankは以前Cirrusとの提携を組んでいて、CirrusマークのATMはCitibankの支店のないようなショボイ国(ネパール・エジプト・イタリア・ポルトガル・モロッコなど)でも使えたのですが、最近提携を切ったらしくかなり不便になっちゃいました。

香港・・・Citibankの支店あり
マカオ・・・ダメ
中国・・・中国全土にある「中国銀行」にCirrusマークのATMがあってこれは無敵だ!
と思ったのですが使えなくなっちゃいました。上海にはCitibankの支店あり
ネパール・・・ダメ。Cirrusならあったのだが・・・
インド・・・4大都市(デリー・カルカッタ・ムンバイ・チェンナイ)にはCitibankの支店あり。
バラナシにはないけど「PLUS」マークのあるHDFCbankならOK!

今後の国についてはまた追ってレポートします。

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.: posted by kazumoto 12:40 午前


火曜日, 5月 06, 2003

「鈴木くん佐藤くん」

突然ですが「鈴木くん」「佐藤くん」というお菓子を知っていますか?
「知ってるよ」と反射的に答えてしまったアナタ。
おそらくアナタの年齢は25歳以上ですネ。
いや、じつは私は今もそのスナック菓子のパッケージがデザインされた巾着袋を使っているのですが、それを見た人が「何ですかこれ?」とか「佐藤さんという名前なんですか?」とか聞いてくるのです。
オー、この一世を風靡したお菓子を知らない世代かー!と自分の年齢を感じてしまう瞬間でありました。

旅と全然関係ない話でゴメンナサイ。

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.: posted by kazumoto 10:54 午後


「モンキーマジック」

バラナシには猿がいっぱいいます。
しかも結構狂暴で洗濯物を持っていってビリビリに引き裂いたり、家の中にも堂々と入ってきて物を奪っていったり。
私がベランダの扉をあけたままにして寝ていても勝手に入ってきてお菓子や果物を何度か盗られました。
被害総額はかなりなもんです。
地元の人もほとほと手を焼いているようで棒を振りかざして追い払っている姿をよく見かけます。

そんなんでも決して退治したりはしない。
なぜならヒンズー教には「ハヌマーン」という猿の神様がいるからです。
先日道に猿の死体が転がっていました。
みんなでお線香を立て、供養してました。

牛といい猿といい、えらいもんを神にしてしまったもんですね。
でも逆に考えれば、この程度ですんでよかったのかも。
ハエ・蚊まで神様だったら、それこそ「生類あわれみの令」状態ですからね。

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.: posted by kazumoto 10:44 午後


日曜日, 5月 04, 2003

「超犯罪都市」

人通りの少ない路地裏を歩いていた時のこと。
一人の男が話し掛けてきた。

「私はガイドではなくただあなたと話がしたい。」
典型的なガイド勧誘パターンなのでムゲなく断るとその男はアッサリと引き下がっていった。
妙に弱気だな?と不思議に思って再び歩き出したその直後にまた別の男が寄ってきて話し掛けてきた。

「俺はポリスだ。お前は今アイツと何を話していたのだ?
お前をボディチェックする必要がある!」
その男はどう見ても普通のそこら辺にいるインド人オッサンだったので、こりゃニセ者だな、とすぐピンと来た。

「だったらポリスの証明書を見せてくれよ。」
「い、いや、今はないが私はポリスである!」
「だったらこんな路地裏じゃなくてポリスステーションでならボディーチェックを受けますよ」
そう言って逆にオッサンの腕をつかんで大通りの方へ引きずり出そうとしたら腕を振り払って逃げていった。

ニセポリスに逢ったのはこれで2度目だ。
1度目はトルコのイスタンブールでのこと。
道を歩いていたら横に車が停まって、中の男が
「私はポリスだ。ボディチェックする!」ときた。
「手帳を見せろ」というと、その男はちゃんと手帳を持っていた。
でもその手帳の表紙にはトルコ語で「POLIS」と書くところ、ワザワザ英語で「POLICE」と書いてあったオモチャの様な手帳だったので素早くその手帳を奪って道の向こうに放り投げてダッシュで逃げた。

長らくこの町に居たせいで、やや危険に対する警戒が薄れていたところだったので気を引き締め直す丁度いいきっかけになりました。

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.: posted by kazumoto 2:50 午後


金曜日, 4月 25, 2003

「脱プン!その3」

二度目は逆に灼熱40度下のインド。
夜通し扇風機の風を浴び冷えて腹を壊し「究極の下痢状態」にあった。

昼間はとにかく暑い。
パンツ一丁で仰向けで寝ていたところ5ヶ月ぶりにそれはやって来た。
「来た!」と思った瞬間、素早く身を反転させる。
0コンマ数ミリのパンツの生地を液体が浸透するよりも速い反応速度で動けたことによりベッドの汚染は回避できた。
その後汚れた体とパンツを洗い流し再び横になって30分後、何とまたまたそれがやって来たのだ。
今回も瞬間で身をひるがえし事無きをえ、その機敏さをアピールすることで来期の契約も更改できた。

教訓
「第二波は忘れた頃にやってくる」

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.: posted by kazumoto 3:58 午後


「脱プン!その2」

一度目はヒマラヤ越え中の時であった。
標高5000m弱、外気温零下10度で野営中のことである。
ありったけの服を着込んで寝袋にくるまる身は「究極の下痢状態」にあった。
寒すぎて眠れない中フト寝返りをうった時、何の前触れもなくそれは起こった。
ウワッと思ったが時既に遅し。
寒風吹きすさむ中外に出て残り物を放出しテント内に戻った時まず考えたのは、このままだと尻が凍傷になるのでは・・ということ。
しかしこの寒気の中下半身の衣服すべて脱ぐのはつらすぎたことと、もう随分はき続けていて充分汚いであろうことからパンツの交換はせずそのまま寝続けた。
あんまりいい気分ではなかったが・・・

その時ふと気が緩んだのだろう。
なんと再び何の前触れもなくそれが起こってしまったのだ!
またまた寒風吹きすさむ中後処理。
トホホ、、

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.: posted by kazumoto 3:55 午後


「脱プン!その1」

よわい30の男が公共の目に触れるこの場でこんなことを堂々と発表するのも情けないが、今回の旅中で既に8回ウンコをもらしている。
そのうち4回は下痢をしていて屁をしようとしたら実まで出ちゃった、というパターンであり、それならこれを読んでる読者諸氏も
「その経験なら僕も私もあるあるあるある・・・」
と100人に聞きました的うなずきをしてしまうところであろう。

しかし私にとってはもはやそれごときクソもらしは話題にすべき程の事ではない。
ここで取り上げたいのは更にその上を行く
「究極の下痢状態におけるクソもらし」
である。

「普通の下痢」と「究極の下痢」の境目をどこに置くかは統一的見解はなく研究者によりまちまちであるが
三輪式分類法によるところはこうである。

チベットの田舎の民家ではトイレは灰捨て場も兼ねている場合が多い。
究極の下痢状態でこの灰捨て場で脱プンすると固形物が無いためすべて浸透してしまい、跡に残るは染みのみとなる。
こういう状態を「究極の下痢」と称す。

さて、究極の下痢状態に陥った時に最も恐れるべき事態は「屁をしようとしたら出ちゃった」ではなく「何もしてないのに勝手に出ちゃった」的クソもらしをしてしまうことにある。
その体験をお話してゆくことにしよう。

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.: posted by kazumoto 3:54 午後


「流行モノ」

今バラナシでは風疹が流行っています。
どれくらい流行っているかというと、なっていない子は学校でいじめられたり、親に「みんな風疹にかかっているから僕もかかりたい!」と言うと「どうせ2〜3人だけなんでしょ!」といわれるくらい流行っています。

卵や肉から伝染すると考えられているようで(真偽は知らない)私がゆで卵を食べていると怖がって誰も近寄らず、間違って私や私の物に触れてしまった子は体から服から全て石鹸でゴシゴシ洗わなくてはならなくなります。
だから親連中から「しばらく卵は食べないでちょうだい!」と怒られてしまいました。

夜な夜な町のあちこちからは、チャンチャカ鐘の音にあわせて家族の唱えるお経の声が聞こえてきます。
祝詞によって病気を封じようというまじないなのです。

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.: posted by kazumoto 3:51 午後


日曜日, 4月 13, 2003

「それゆけスキンヘッダーズ!」

先日宿の一家のおじいさんが亡くなりました。
計らずもインドのお葬式に参加することとなり、大変不謹慎かもしれませんがその模様をレポートさせていただきます。

それは自宅で寝込んでいたおじいさんの元へ毎日回診にやってくる医者の一言から始まりました。
「おそらくもってあと1〜2日でしょう・・」

すぐにその場に呼ばれてやって来たのはブラーミン(高僧)と子牛。
幾束かの花輪をおじいさんに握らせ、それを子牛の首へ。
お経を唱えてブラーミンと子牛は帰ってゆきました。

そして医者の診断正しくおじいさんは2日後に息を引き取りました。
玄関に寝かせられた遺体の元に、親戚・友人・近所の人などが次々とやって来て最後のお別れをします。
数時間のあと、服を脱がされ体全体に油を塗りたくられ、三重の布にくるまれ竹で編んだ担架に乗せられます。
そこへ家族友人から山のように花輪をかけられ、いよいよガンガー沿いの火葬場に出発です。
原則的に火葬場に行けるのは男性のみ。
女性・子供は家に残ってオイオイ泣き続けるのです。

火葬中は沸騰した脳みその湯気が耳の穴から吹き出してびっくりするなど、興味深いこともあるのですが
火葬の様子は世にゴマンとあるインド旅行記に詳しく記されているのでここでは省略。

男達が火葬場に行っている間に女たちは家の中を水で洗い流し、服は全て替え洗濯、体を洗って清めておきます。

火葬から帰って来た男達は家に入る前に口をゆすぎ、小さな甘いお菓子を食べます。
でも食べる前にひとかけらをとっておじいさんに捧げる皿に盛ってゆきます。
この盛られたお菓子は牛に食べさせることでおじいさんへの贈り物となるのです。

男達も家に帰るとすぐに服をかえ、体を清めます。
そしてその日は食事抜き。
これが死んだ当日丸一日かけて行われる出来事です。

そして死後10日間は喪に服す期間。
この間は毎朝男達はガンガーに沐浴に行きます。
女性は7日目のみ。
食事は一日一回でスパイス抜きの質素なメニュー。
ここでも毎食少しずつおじいさんに捧げる分を集め牛に与えるのです。

10日目、この日は全員でガンガーへ。
男達はここで全員頭を剃りあげます。
つるつるの頭になったところで男女揃って沐浴。
12日目にはおじいさんも含めた御先祖様全員に捧げる祈りの儀式。
17日目にはお世話になった人へのお礼の意味を込めた大食事会。

その後も1ヶ月・半年・一年後に大きな儀式が続くそうです。

私は最初から最後まで家族と同様に儀式に参加しました。
というわけで私もスキンヘッドになったのです。
今はちょっと伸びてカツオ君状態です。

ここの儀式の面倒くささ・長さは並みでなく、僧への御布施、火葬代、食事会代など合わせると10万円近くかかり(インドでは超大金!)家族にとっては大変な負担となるわけですが、家族を何よりも大切にし、
「死」や「生まれ変わり」に関して独特の考え方を持つインド人にとっては、この葬式というイベントは
何よりも大切なイベントであるのだなあ、と感じさせられました。

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.: posted by kazumoto 1:44 午後


水曜日, 4月 09, 2003

「人生の節目」

人生の節目となる大イベントといえば結婚。
ここバラナシでその結婚式に参列させてもらうことができました。
一言で結婚式といっても数日にわたり数々の儀式・イベントがあるわけですが、その内の私が参加したのは、花婿が花嫁の家へ白馬に乗ってお迎えに上がる、といったくだり。
笑っちゃ駄目だよ、当人はいたって真剣だよ、というわけではじまりはじまり。

まず招待を受けた一家はピカピカのドレスに着替えます。
顔には白い粉を塗ります。
(肌は白い方が良い、という見方があるようです。そんなこと思わなくてもいいのに・・・)
それを塗るとツヤを失い血の気のひいたような顔色になるので式場はゾンビの集会みたいでちょっと不気味です。

親達は「式に呼ばれるとお金ばっかかかって仕方ないわ」とブツブツ文句をたれながら御祝儀を包みます。
(ヒンズーのしきたりでは、めでたい時は101、201ルピーのように末が「1」の数を。逆に香典は「0」になる額を包む。)

会場に着くと振る舞われる菓子・タバコ・料理(酒はない)などをパクつきながらダベっています。
いったいいつになったら始まりやがるんだい!とイライラが頂点に達するころ、やっと白馬に乗ってギラギラに着飾った王子様の登場!
しかしすぐ王女様と対面、というわけではなくまずは町内にお披露目のパレード。

パレード隊がこれまた派手で、まず先頭には轟音立てる発電機(人力で運ぶ)。
その電気は続く電飾隊(頭上にネオンランプを乗せて歩く)20人へ。
更に続くはタイコ・トランペットなどの楽器隊10人。
そしてその音楽に合わせ踊り狂う人(ラリっている)数十名。
やっと最後尾に白馬の王子様。

この一隊が1時間くらいかけて町内を巡るのです。
所々で止まって撮影会があったり、御祝儀の小銭をふりかけられたり。
小銭がばらまかれると、そこへウワーっとガキや乞食が群がってすごいことになります。
当然交通渋滞がおこるが我関せず。

やっとのこさ戻ってきた頃には既に王子様は疲れきっているけどやっとこれからが本番です。
王子様は玉座に座らされ、王女様の登場を待ちます。
またここでもじらせるだけじらせて、やがて家の奥からすっぽりベールに顔を覆い隠された王女様が
シズシズと登場。
王子様は立ちあがり王女様を迎えます。
王子様は王女様のベールをめくり首に花輪をかけると周囲から「おめでとう!」の声。

ここでやっと2人並んで席に着くんだけどここからがまた長い。
あとはひたすら招待客との記念撮影。
ニコニコ笑っているのは後ろの取り巻きばかりで、本人等はぐったり疲れきっちゃった表情が印象的でした。

その晩王子様は王女様の家で初めて一緒の夜を過ごすわけです。
これまでの人生、溜めに溜めたエネルギーをドカン!と爆発させ、摩擦熱で周囲の気温が2度上昇しそうだけど、あの疲れ切った顔で大丈夫かねえ、などと要らん心配をしながらわれらは家路に就くのでした。

当人よりも周りの方が盛り上がり、やたらと金のかかるのはどの国も同じなようで・・・

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ところで今私はスキンヘッドです。
なぜ突然丸めてしまったか?
については次回、インドで冠婚葬祭編PART2
「それゆけスキンヘッダーズ!」にて!

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.: posted by kazumoto 3:34 午後


「教育ママ」

勉強させたい親と何とかその手から逃げようとする子の戦いはどの国も同じようです。
この宿の親子もしかり。
先日は体操までさせてました。
片足立ちバランストレーニングの次は、手を頭の後ろで組んでひざをピョコピョコ。
スクワットです。
しかしただのスクワットではありません。
これこそ正真正銘、本家本元のヒンズースクワット!
それに気がついた時ガンガーで100回くらい沐浴したくなるようなすがすがしさを覚えました。

以前マルタ島でノラ犬(多分雑種)を見た時、これぞ本物のマルチーズ!と驚き、地中海を50m位素潜りしたくなった気分と似ています。

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.: posted by kazumoto 2:59 午後


水曜日, 4月 02, 2003

「マッサージ!」

宿のオヤジに「肩がこっている」という話をしたらオイルマッサージを呼んでくれることになった。
いわゆる「出張個室マッサージ」である。
この魅惑の響きに、思わず期待にコカンを膨らませ待っているとやって来たのは普通のジイさんだった。
しかしさすが熟練の腕前、何度も昇天しそうになるのをこらえながら快楽のひととき。
ただ私は普段から体を洗うとき石鹸を塗って流すだけでゴシゴシやらないので、オイルマッサージなのに垢がボロボロ出て来てジイさんは不思議顔。

そういえば以前韓国で本物のあかすりに行ったときもあまりに大量の垢に
「日本民族はこんなに垢が出るものなのか!?」
とアカスリオヤジに驚かれてしまった。
その時のあかすりは観光あかすりではなく、普通の銭湯あかすりだったからなのかもしれないが、客もオヤジも完全全裸でベッドで横向きにされたときは目の前にオヤジの自家製粗びきフランクがブラブラしており
大変素敵な気分になったことを思い出した。

さてタップリ1時間、頭のてっぺんから足の先までみっちりマッサージしてもらって130円ポッキリ。
チップを弾めばジイさんの歯抜けの口でエキストラサービス・・・
なんてことは微塵も考えず、すっきりした体で今日もカレーがうまいのだ!!

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