Miwa's bicycle trip around Tibet & India
9 Jun 2002, Miwa started bicyle trip from japan to India via Yungnang,China,
Tibet,Nepal.
The trip is still going on!
Please stop by Miwa's real time funky column!
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土曜日, 12月 29, 2007
「チベット鉄道」
ラサから北京へは2006年に開通したあのチベット鉄道に乗っての移動。 超期待していたのだが結果は・・・、うーん、いまいち。 理由は明瞭。 暖かい車内にいて、その車窓から見る部分的に切り取られた風景というのは、まるで家でテレビでも見ているようなもので、既に幾度もあの大地を自転車で走り、フルパノラマの風景をこの目で見、寒さをこの肌で感じたことのある者にとってはすべてが物足らなく感じて当然なのだ。 未だチベットに行ったことの無い人が初めてラサに向かうときに乗ると本当に楽しめると思う。 実際他の乗客らも、もうこの風景には見飽きたか寝てる人ばかり。
この列車の売りの一つは、高地を走るため飛行機のように車内を与圧する装置がついていることだ。 密閉されているので全面禁煙のはずなのだが、なんと車掌が窓を開けてタバコを吸っていた・・・。 外の方が気圧が低いため煙は自動的に外へ流れていくので理にかなっているといえばかなっているのだが・・・。ラベル: チベット
.: posted by kazumoto 4:41 午後
「お土産」
今回でラサ訪問は4回目。 当然行けば行くほど知り合いは増えてくる。 毎回ラサを離れるときには各家庭を訪ねお別れの挨拶をするのだが、その際「餞別に」とツァンパをいただく事が多い。 私が自転車旅中にはツァンパを常食していることを知っているからだ。 でも今回はそうじゃないので断るのだが「またまたそんな遠慮して!」とどうしても押し付けられてしまうので仕方なくいただくこと約10回。 出発前夜いざパッキングしようとしたところで青くなった。 「お、重すぎる・・」 貰うにまかせたツァンパ袋はいつしか10数kgに。 45Lのバックパックが完全に白い粉で一杯になってしまった。 仕方ないので農民ご用達のズダ袋にその他生活用品を入れ持ち帰る羽目に。 今回往路は中国人チベット人へのお土産で一杯で、すべて渡し切った復路は軽々と帰って来られるはずだったのに。 うれしい誤算?!ラベル: チベット
.: posted by kazumoto 4:33 午後
「チベットの恩返しその5『父と娘』のその後」
今回のラサ訪問最大の目的は3月に訪れたインド・ダラムサラの学校で撮った娘の写真を父へ手渡すことにあった。(これについては9つ前のコラムをお読み下さい)
5:00PM オヤジに電話。ラサに来たことを伝えると「すぐ宿まで迎えに行く!」 5:10PM オヤジに再会。立ち話は何なので飲み屋へ行こうと言われる。 5:20PM 席について娘の写真を渡す。 ダラムサラで娘に会った時のことを話す。 両親を想い涙を流したこと、ラサへ戻って一目でもいいから会いたいと言ったこと、学校の様子、寮の様子、日々の生活、などなど私が見たこと聞いたことをそのまま伝えた。 オヤジの目から涙があふれた。 男泣きを見た。 5:40PM 「ありがとう、ありがとう」とビールやチャンをつがれる。 7:00PM 「ありがとう、ありがとう」とビールやチャンをつがれ続ける。 8:00PM 「ありがとう、ありがとう」とビールやチャンをつがれ続ける。 9:00PM 「ありがとう、ありがとう」とビールやチャンをつがれ続ける。 10:00PM 「ありがとう、ありがとう」とビールやチャンをつがれ続ける。 11:00PM 「ありがとう、ありがとう」とビールやチャンをつがれようとしたら店の女将から「アンタ達いい加減にしなさい。もう閉店よ」と追い出される。 11:10PM 他の店をいくらかあたるがどこも閉まっているので、ならばうちへ来いと言われお邪魔する。 11:20PM 部屋に飾ってある娘の写真を見ながら「ありがとう、ありがとう」とビールやチャンをつがれる。 0:00AM 「ありがとう、ありがとう」とビールやチャンをつがれ続ける。 1:00AM 「ありがとう、ありがとう」とビールやチャンをつがれ続ける。 2:00AM 「ありがとう、ありがとう」とビールやチャンをつがれようとしたが、さすがに2人とも飲みすぎで眠くなりそのまま倒れこむように寝る。 ・・・・・・ 11:00AM 目が覚めてそのまま出かける。どこへいくかと思ったら飲み屋だった・・・。 そして「ありがとう、ありがとう」とビールやチャンをつがれる。 12:00AM 「ありがとう、ありがとう」とビールやチャンをつがれ続ける。 2:00PM 「ありがとう、ありがとう」とビールやチャンをつがれ続ける。 4:00PM 「ありがとう、ありがとう」とビールやチャンをつがれそうになったが、これ以上感謝されたら死ぬと思い、おいとまする。
以上計約13時間口に入れたのはビールとチャンのみ。 感謝してくれるのは全くもって嬉しいことなのだが、はじめの2時間以降は苦痛でしかなかった・・・。
ちなみに今回も娘に送るためにオヤジの写真を撮ったのだが、写っているのは酔っ払ってる姿ばかり・・・。ラベル: チベット
.: posted by kazumoto 4:12 午後
「トラップ」
今回のラサ入りは雲南省から2泊3日の直行寝台バスにて。 このバスのフシギなところは、雲南のバス停では外国人だろうが何人だろうが誰でもチケットが買える(窓口の係が英語で対応してくれる)のに、「やったー!これで安くラサへ行ける!」と喜んだのもつかの間、途中に外国人狩りの検問があること。 見つかると5000円程度の罰金を払わされることもある。 窓口と公安の連係プレーとしか思えないのだが…。
私が乗車した時は、40人乗りの車内に外国人は私一人だけ。他に中国人旅行者が2人で、あとは全員チベット人だった。 しかしそのチベット人のうち10人くらいはこれからインドへ亡命するつもりという人で、更にそのうち4人はインド帰りで身分証無し、というかなり見つかるとヤバイ人々。 運ちゃんもチベタンで、そういう人らの対処は慣れているのか、早朝に検問所に着いた時にその訳アリな人々(もちろん私もその一人)を起こして「1kmくらい向こうまで歩け」と指示し車から追い出し、その後公安を起こしに行って乗客全員の身分証チェックを済ませたあと再び我々を拾ってくれた。
鉄道によるラサ入りも、パーミット代払った人払ってない人まちまちで未だ統一されていない。いかにも中国的。ラベル: チベット
.: posted by kazumoto 12:59 午前
火曜日, 4月 03, 2007
「チベットの恩返し その5『父と娘』」
それはラサでの馴染みのチベタン飲み屋から帰ろうとした時だ。帰り道一緒になった客のオヤジがこっそりオレに告げてきた。 「実は私の娘が今インド・ダラムサラの学校で勉強している。6年前に亡命させたのだが、それ以来娘の姿を見ていない。お前はこの後ダラムサラへ行くのだろう?娘の学校を訪ね、成長した姿を写真に撮ってラサへ送ってくれ。」 この手の頼まれ事はもうお手の物だ。二つ返事で承諾し、オヤジの写真もそこで撮っておき、オレはダラムサラへ向かった。
そしてその亡命チベット人の子どもが多く寄宿している学校へやって来た(実はその学校はダラムサラにはなく、100kmくらい離れた所にあって探し出すのに随分苦労したのだが・・・)。そこの先生に事情を話し、その娘の名を告げるとすぐさま連れて来てくれた。15歳の小柄な女の子だった。 ラサであなたのお父さんに会いましたよ、と写真を渡すとそれだけで止め処もなく涙が彼女の頬を伝った。思わずこちらももらい泣きしてしまいそうになるのを堪え、彼女の話を聞く。 「少しの間だけでもいいからラサに帰ってお父さんお母さんに会いたい」 パスポート無しの亡命の身分ではそれはちと難しいかも・・・とはとても言えず、ご両親はあなたがここで頑張って勉強し続けることを望んでいるはずだよ、と言うと、 「じゃあ頑張って勉強して大学卒業してからラサへ帰る!」 と力強く答えてくれた。
彼女が立派に学を修め、堂々と祖国へ凱旋できることを強く願いつつ、オレは帰路についた。獅子の描かれたチベットの国旗がポタラ宮の上にはためくことを夢見ながら・・・。ラベル: インド, チベット
.: posted by kazumoto 7:41 午後
火曜日, 3月 20, 2007
「真説・法王に謁見」
それは乾季にもかかわらず冷たい雨の降り続く日だった。 私を含めた日本人30人、他に韓国・台湾・ベトナムなどのアジア仏教国の人々のための特別謁見が王宮で行われた。普段は固く閉ざされた門の奥深くにある謁見の間に通された我々は、法王の到着するのを祝福のカター(白い布)を手にじっと待つ。やがて侍従に付き添われ法王が現れた。優しい笑顔で有り難いお言葉を頂く。 「皆さんの国の仏教の歴史に比べ我々チベットの仏教の歴史は短い(チベットに仏教伝来したのは7世紀)ので皆さんの方が先輩です」と言って深く頭を下げられた。その姿に自称仏教徒の私をはじめ一同驚いてしまい慌てて頭を垂れるが、顔を上げてみるとまだラマは深々と頭を下げており、更に驚いて頭を下げた。
して国ごとに一緒に記念撮影。撮影が終わるとみなラマに群がってその手を握る。ラマの手は73歳とは思えぬくらい柔らかく福よかで、そして温かかった。 その手を握った時、私の5年弱の旅もこれで本当に気持ち良く終わることが出来るな、と思った。ラベル: インド, チベット
.: posted by kazumoto 8:20 午後
日曜日, 3月 18, 2007
「チベットの恩返し その4 『幸せ配達人』 」
私がダラムサラに来た目的の一つが小包配達であった。 その荷物は、ラサのお寺にいる尼さんに私がこれからダラムサラへ行くということを話した際、「それなら私の兄(僧侶)が亡命してそこの寺にいるので荷物を届けてほしい」と託された物だった。
チベット(中国領)⇔ダラムサラ(インド領)でも電話で話すことはでき(もちろん中国当局により盗聴されている)、手紙も送れるし(もちろん検閲される、そしてたまに消える。私が以前インド→ラサで出した手紙は届いていなかった)、荷物も送れる(がやっぱり開封される)。しかし何といっても確実なのは郵便局を通さず人の手を通しての配達だろう、ということで私に白羽の矢が立ったわけだ。
果たしてどんな大切な物を託されるのだろう?とドキドキしながら取りに行ってみると、渡されたものは何と「豆」。しかも小型枕くらいの大きさでかなり重い。これからヒマラヤ越えねばならぬのに…と少々たじろいでしまったが「この豆はロサール(チベット正月)のお供え物として欠かせないのですが、インドでは採れないものなのです」と説明され俄然やる気が起きた。絶対届けます!!
という訳でその豆担いでヒマラヤ越えてタライ平原を西に突っ切って標高1800mのダラムサラへ到着した。あとはその人のいる寺へ行って渡すだけなのだが、数千人規模の亡命僧のいる寺もいくつかあるくらいなので探すのに四苦八苦するかも、と心配していたが、その寺内でブラブラしていた坊さんに名を告げるとアッサリ見つけ出してくれ、アッサリ手渡すことに成功した。通じる言葉がチベット語しかなかったので説明するのが大変かと思われたが、その妹(ラサの尼)の写真と共に渡すとすぐ理解してくれた。どうもありがとう、と出してくれたコーヒーはインド風のとても甘い味だった。
9年振りに添えられた豆と共に2月18日、チベットの新年は明けた。ラベル: インド, チベット
.: posted by kazumoto 6:32 午後
「法王に謁見」
重厚な扉には50数年前この地球上から公式的に姿を消してしまった国の国旗がモールドされていた。私は緊張に手を震わせながらその扉をノックした。中から低い声で「どうぞ」と聞こえ、私はその重い扉を開いた。
彼はゆったりとした椅子に深く腰掛けたまま静かな笑みをたたえていた。私達はしばらく近況を報告しあった。話題が途切れたのを見計らって、私は以前からあたためていた事を意を決して切り出した。
「法王!2008年の北京オリンピックの開会式にはぜひインド選手団の旗手となってチベット国旗を掲げ堂々入場してください!忌まわしき中国共産党の度肝を抜き、チベット独立を世界にアピールする最大のチャンスです!」
あまりの唐突な申し出にさすがの彼も驚きの表情を隠せず、沈黙のまま遠く東の方を見つめた。それは、そう、本来彼の住むべき天空の城のある方角だった。
どれくらいの沈黙が続いたろう。私はまんじりともせず彼の返事を待っていた。やがて彼はその遠くを見つめたまま、あの静かな菩薩の笑みを取り戻し、ゆっくりと、そして深くうなずいた。
(了)ラベル: インド, チベット
.: posted by kazumoto 6:21 午後
「非行よ非行よ」
ついに最終目的地ダラムサラに着いた。 その足で私は郵便局に向かい局員に告げた。 「電報を打ちたいんですけど…用紙はどこにあるんですか?」 しかしカウンターのヒゲ面の太った典型的インド人のその男は、まるで私の声がまったく聞こえないかのように新聞に目を落とし続けている。私は台をバンバン叩き、足でボコボコ蹴って注意を引こうとした。さすがにうるさく思ったか、男はモッソリ顔を上げ面倒臭そうに言った。 「君はここから電報は打てない」 私は、どうしてなのか、と少し強い調子で訊ねた。 「ここは電話局じゃない」 「えっ?」 私には彼の言っている意味がわからなかった。 「電報は電話局から打つんだよ」 「あっ!」 ようやく私は自分の誤りに気がついた。電報は郵便局からではなく、電話局から打つのだという。言われてみれば当然のことだった。私は恥ずかしくなり小さな声で訊ねた。 「電話局はどこにあるんでしょう」 すると相手は本物の笑い顔になって言った。 「どこでもいいんだよ」 「どういうことでしょうか…」 「電報は電話から打てるんだよ」 「!」
歩きながら次第に私はおかしくなってきた。電報は電話のあるところならどこからでも打てるらしい。ということはダラムサラのどこからでも可能ということになる。いやもうそこがダラムサラである必要はないのかもしれない。 クックックッと笑いが洩れそうになる。私はそれを抑えるのに苦労した。これからまだ旅を続けたって構わないのだ。旅を終えようと思ったところ、そこが私の中央郵便局なのだ。
私は近くの電話屋のボックスに入った。そして受話器を取り上げると1ルピーも入れずにダイヤルを廻した。 <725872-7258> それはダイヤル盤についているアルファベットではこうなるはずだった。 SAKURA-SAKU <サクラ咲ク>と。ラベル: インド, チベット
.: posted by kazumoto 6:03 午後
日曜日, 12月 03, 2006
「ラサ観光都市化計画」
今年のラサは鉄道開通、内外の観光客ワンサカいらっしゃいませ、に向けて都市改造したところが随所に見られる。
特にポタラ宮周辺は激変。まず正面の広場に「平和的開放記念塔」なる巨大な塔が建てられた。チベットが『平和』的開放なら、南京にも虐殺博物館なんかじゃなくて「日本軍入城熱烈歓迎記念塔」でも建ててもらいたいものである。
その広場は夜になるとライトアップされるのだが、池や橋につけられた紫やピンクのライトがチカチカ(ゲスに)輝いてまあきれい!極めつけは池の周りにグルリと「卍」のマークのライト。「中国では信仰の自由が守られています」アピールのつもり?? ちなみに五体投地していい場所というのが決まっていて、それ以外の場所ですると逮捕されてしまうとかしないとか。(未確認情報)
ポタラ宮の周りにも巡礼路があって、以前は一休みのためのチベタン茶舘や露店がズラリと並んで賑やかだったのだが、今は全て撤去されてしまって植木遊歩道になっていた。してそこかしこにスピーカーがあってチベット語で歌われている中国の流行歌が(ゲスに)ガーガーピーピー流されていてまあいい雰囲気!「中国では言語の自由が守られています」アピールのつもり??
もしダライラマ法王が50数年ぶりにラサ帰還!成ったとしても、この変貌振りを見たら「インドの方がマシじゃ」と帰っちゃうかもしれない。ラベル: チベット
.: posted by kazumoto 12:55 午前
木曜日, 11月 16, 2006
「昨日の敵は…」
とあるチベットの小さな町で子供らと遊んでいた。一緒に家へ戻るとその子供らが母親に「日本人って悪い奴だと思っていたけど、この人はいい人みたいだよ」と話している。いい人、と言われたことは嬉しいけれど、やはりフクザツな気分。
しかしこの子がこういう感想を持つのも致し方ない。テレビをつければ24時間必ずどこかのチャンネルで反日番組やっているし、学校では低学年の教科書に「日本鬼子(日本人に対する蔑称)」の文字が堂々と出ている。こういった徹底的な対日感情悪化洗脳政策にあっては、純粋な子供らが何の疑いもなくそう信じてしまって当然だろう。
しかしここはチベット。 君らの本当の敵はもっと最近の、もっと身近にいるんだよ、ということを誰かが語り伝えねば、やがてその歴史は風化し忘れ去られ、別の歴史にすりかえられてしまう…。 チベットの将来を担う子供たちが今こんな状態にあるとダライラマ先生が知ったらさぞ嘆き悲しむことだろう。ラベル: チベット, 中国
.: posted by kazumoto 3:10 午後
「ダイエット中」
風邪気味だったその日は朝からあまり食欲がなかった。 あるキツイ峠を越えようとしていた時、未だかつて経験したこともないような強烈なハンガーノックに見舞われた。自転車から下りて押すどころか立っていることさえできず、そのままその場に倒れこんでしまった。しばらく休めば復活するかも、と2時間くらい道端で寝転んでいたが、まったくその兆しなし。
その時フト思い出した。以前にバスに乗った日本人のツアーグループに会い「これでも食べて」と日本の飴をいくらかもらっていたのだった。 そうだ、それを食べて気合を入れなおして頑張ろう! はいつくばりながらバッグからその飴を取り出したところでガクゼン。その袋に記されていた文字は… 「シュガーレス」「カロリーゼロ」
ちなみに7月に再始動して10月にラサにたどり着く間に失った体重は13.7kg。ラベル: チベット
.: posted by kazumoto 2:59 午後
日曜日, 11月 05, 2006
「御用だ!!」
今回でチベット滞在都合9ヶ月。ずっと許可証なしの非合法旅行をしてきたのだが(自ら出頭したアリは除く)、ついに今回公安に捕まってしまった。場所は東チベット非開放の町、昌都。
鉄道開通したせいか、間もなくチベット入域許可が必要なくなる、という噂が外国人旅行者間を駆け巡った。実際雲南省方面からのラサ行きローカルバスは中国人料金で外国人も乗れるようになり、道中数ヶ所あるチェックポストはゲート開きっ放しで見張りは居らず、こりゃいよいよ本当か?!とまったく何の警戒もなくその町の宿に泊まっていたのだ。 して滞在4日目の深夜2時…。 突然ドアを激しくノックする音で飛び起きた。強制的に鍵を開けられ中に入ってきたのはMP含む公安5人。「身分証を見せろ!」どうやら違法外国人旅行者狩りではなく、安宿に潜む不穏分子チェックのようで「なんだ、外人か」とさっさと帰ってしまった。そこで機転の利く者ならその後に起こりうる事態に備え素早く手を打つところだろうが、何しろ真夜中で公安に対してもナメ切って考えていたので、のん気に二度寝に入ってしまった自分が今となっては恨めしい。 して数時間後の朝8時、またしても激しいノックの音。入ってきたのは紛れもなく中華人民共和国公安部外事課の男。「この町は非開放だ。パスポートをよこせ。そして今すぐ署へ同行してもらう。」万時休す。パトカーに乗せられ、向かった署内でアーだコーだ説教され、有無を言わさず罰金400元(6000円)の刑。これだけで済めばまだよかった。何しろ法律を犯しているのは明らかなのだから。しかし外国人、特にサイクリストや徒歩旅行者が最も恐れているのは「追放」。ここまで何日もかけて必死に頑張ってきたのを全て無にしてしまう恐怖の宣告。まさにそれを受けてしまった。 「即刻バスターミナルへ行き、即刻チケットを買い、即刻雲南行きのバスに乗り、即刻チベットから出て行け。」 親切な公安さんはパトカーに乗って一緒にバス停まで行ってくれ、国家権力を利用し窓口前の行列に横入りし、240元(3600円)のチケットを買わされた。合計一万円の大出費、それ以上に「追放」という処分の重さのショックに倒れそうになっていた。
しかししかし。 やはり毎日あのまずいツァンパを食べ続けるような信心深さが天を我に味方させた。その日のバスはすでに満席で明日のしかない、と言われたのだ。悔しそうな公安は窓口の女に「もしこいつが払い戻しに来ても取り合わないように」と言い残し去っていった。去ってゆく公安の背中は心なしか寂しそうだった…なんて気にするはずもなく、すぐさまダッシュで宿へ戻り荷物をまとめてチェックアウト。そして一路西へ、逃げろや逃げろ。しばらくは後方からの車が逃走した私を追ってきた公安ではないかとビクビクしていたが、十数kmも離れればもはや堕落した公安が追ってくるはずもない安全地帯。 いやはや、とんだ捕り物劇かな。ラベル: チベット
.: posted by kazumoto 2:53 午後
「グレートジャーニー」
地方のチベタンは農閑期に入るとラサへの巡礼の旅に出る。ある者は家族と、ある者は友人と、またある者は村総出で。行き方も、飛行機で、ランクルで、バスで、トラックの荷台に乗って、トラクターで、歩いて、など様々。中でも、最もチベットらしく、最も皆から尊敬されるのが、五体投地で尺取虫のように少しずつ進んでゆく巡礼だ。
彼らの方法は、五体投地部隊と荷運び部隊に分かれ(役は日替わり)、荷運び部隊は大八車、トラクターなどに生活用品全てを積み込み先行し、水のあるところでテントを立て、牛の乾燥ウンコ(焚き火の燃料となる)を集め火をおこし、茶を沸かし食事を作って後続の巡礼部隊を待つ。そう分業しても五体投地前進は絶望的に遅いので一日に移動できるのはせいぜい10km。ほとんどのグループは、ラサまで半年近くかかると言っていて、その長さに唖然とさせられたものだが、さらにその上をゆく物がいた。
それは「一人」五体投地巡礼。
17歳の少年僧が行っていたそれは一人なので全ての作業を自分で行わねばならない。まず荷の積まれた大八車を100m引っ張る。そこに車を置いてさっきの所まで戻って五体投地を開始し100m前進。また大八車を100m引っ張って…をひたすら繰り返す。もちろん水汲み・テント立て・食事作りも自分でやらねばならない。食料がなくなれば托鉢も行わなければならない。そのため団体巡礼者に比べ一日に移動に費やせる時間もはるかに少なくて、丸一日使って移動できる距離は平均で4km、上り坂だと3kmくらいしか進めない…。赤ちゃんのハイハイより遅いのでは?? 出発してからすでに一年少し経った、と言っていたが、彼の田舎からラサまでは約2500km。平均4km/日で二年弱かかる訳だ…。
エベレストに登ることが冒険でもなんでもなくなった現在、身の回りの者以外特に認められることもなく、世に知られることもなく、チベットの山奥でひっそりとこんなハードな冒険をしている者がいたとは!!彼から「自転車だと一日どのくらい進めるの?」と聞かれ答えるのが恥ずかしかった。
「地球一周一人五体投地!」 これを成し遂げれば冒険史に残る大偉業になること間違いなし!!しかし一日4km進むとしても地球一周4万kmにかかるのは約30年…。やっぱり無理か。ラベル: チベット
.: posted by kazumoto 2:32 午後
「魔法の食べ物」
食べても食べても減らない不思議な食べ物ってなーんだ? 3.2.1.ブー。 答えは「ツァンパ」。
今回バアちゃんの家に居候したのは2週間。何でそんなに長くいたのかというと、ちょうどその時ツァンパの原料となる大麦の収穫の時期でそれを手伝っていたから。 出発の時には餞別としてサイドバッグ一つが丸々いっぱいになるほどの大量のツァンパ(推定5kg)、バター、チーズ、ヨーグルトを頂いてしまった。あまりの多さに困惑したが、せっかくの頂き物を粗末にすることなどできるはずもなく、その後は朝昼晩、約1ヶ月間ひたすらツァンパを食べてひたすら荷物減量に努める。道中道端で休んでいる巡礼者などに呼ばれ「ツァンパ食うか?」と言われた時も「自分のがあるから」と自分のを出してお茶だけ頂く。そうしてあれだけあったツァンパも徐々に減っていった。 が、泊めてもらったり、一緒に野営したりしたお礼にラマの写真を渡すと、さらにそのお返しに「せめてツァンパでも持っていってくれ」とまたドサッと増えてしまうこと3回。結局ラサに到着した今でもサイドバッグ一つは丸々ツァンパの入ったまま…。ラサに居てまでも朝食はツァンパ食ってます。 こりゃあと数ヶ月はもちそうだ…。
とあるチベタン曰く「大麦は種さえまいておけば勝手に成長するのでタダみたいなもんだ」(もちろん畑の準備・収穫などは大変な作業だけど)ラベル: チベット
.: posted by kazumoto 2:20 午後
金曜日, 11月 03, 2006
「ツインズ」
中国で施行されている一人っ子政策は誰も彼もが子供一人だけ、という訳じゃなくて、省ごとにいろいろ細かいところで違いがあって、漢族以外の少数民族はおおむね2人までは認められているようだ。チベタンも2人。しかしそのバアちゃんちには子供が4人もいる。
一番上(女17歳)は在家の尼さん。2番目(女13歳)は小学生。しかし3番目(女8歳)は学校には行っておらず、放牧担当で朝早くから牛羊を追って草原へ行き、夕方それらを連れて家へ戻ってくる。ああ、やっぱり3人目じゃ多額の罰金を払わされるので出生登録しないで戸籍のない子供となってしまい学校には行けないんだな…と思っていた。 しかしある日その家庭の戸籍手帳を見せてもらってビックリ。なんと3番目の子もしっかり戸籍があるじゃないか。さらにその中身をよく見てみて2度ビックリ。なんと2番目と3番目の子の誕生日が同じ日になっている!! その2人は5年の年齢差があり誰が見てもとても双子とは思えないのだが、こんな裏ワザがあったとは…。登記された誕生日は上の子の日になっていたので3番目が生まれたときに局で「ゴメン、そういやうちの子双子だったんだけど一人申請するの忘れちゃってさあ」とでもやったのだろうか?!
しかし残念ながら4番目(男3歳)の戸籍はなし。しかも現在母さんは妊娠中…。やっぱり「ゴメン、そういやうちの子4ツ子だったんだけどさあ」ってやるのかな?ラベル: チベット, 中国
.: posted by kazumoto 5:17 午後
「4年振りのチベットの恩返し」
(まずは「チベットの恩返しその2 母の想い」http://homepage1.nifty.com/kunori/miwa2.html をご覧ください)
オレはあの村へ戻ってきた。あの老婆のいるあの家へ。この4年間、ただ気がかりだったのは67歳だったあの老婆が既に天に召されてしまっているのではないか、ということだった。しかしそれは杞憂に終わった。しっかり健在だった老婆は、突然現れたオレを温かく迎えてくれ、あの時と同じようにバター茶を振舞ってくれた。まずは4年前のお礼に、これまでバッグの奥深くに大切に隠し持ってきたダライラマの写真をドサッと渡した。目を丸くして驚く姿を期待したのだが、返ってきた言葉は逆にオレの目を丸くさせた。 「アンタもダラムサラへ行ったのかい?」
4年前は確かに「もう老いてしまってラサにも行けない」と言っていたはずなのに?!聞けば去年子供たち(10人)がお金を出し合ってインド巡礼ツアーに招待したのだそうな(亡命ではなくてもちろん合法ルート)。しかも夏…。そしてさらにその後カイラス巡礼にも行き、カイラスコルラを五周(一周52km、最高5630m)、マナサロワール湖を一周したんだそうな。オレが正直に「カイラスは行ったが一周だけでヘバッて、湖は見ただけ、インドは何回も行ってるけどダライラマに会ったことはない」と言うと「若いもんがダメだねえ。もしまたインドに行くなら絶対ラマに会いに行きなさい」とお説教されてしまった。
この調子ならこのバアちゃん、100歳までは大丈夫そうだ…。ラベル: チベット
.: posted by kazumoto 4:55 午後
「A列車で行こう!」
青蔵鉄道が開通し1ヶ月ほどして「既に線路の沈下が起こっている」と耳を疑うような話を聞いた。「標高4000mの高原の永久凍土の上に鉄道を敷くという難工事を、偉大なる中華人民共和国の土木建築技術を結集して成し遂げた世紀の大事業」と謳っていたのに?!
今回通ってきた道のうち、ラサ手前約300kmは鉄道と併走する。白く雪の被った山々をバックに3輌の気動車が16輌の客車を引っ張って進んでゆく姿はまさに圧巻。しかしふと下を見るとアチコチの橋げたを補修工事している…。やはりその噂は真実?! しかも橋は無数に架かっている。チベット独立要求過激派の爆破ターゲットとしては格好の対象ではないか!やはり世界中にアピールできる北京オリンピックあたりが狙い目か?!
鉄道ファンの皆さん、青蔵鉄道ご乗車はできるだけ早目をお勧めします。ラベル: チベット
.: posted by kazumoto 4:45 午後
「僕らのアイドル」
ダライ・ラマ14世。 チベット仏教界において政治面・信仰面、両面においての最高権力者。1989年にはノーベル平和賞も受賞し、世界にも認められる大人物であるが、残念ながら中国にとっては「偉大なる中華人民共和国分裂をもくろむ第一級政治犯」的人物。そのため国内ではダライ関連のニュースは一切流れず、インターネットでも規制に遮られ閲覧不可能。写真なども手に入れることができない。外国人が国外から持ち込み、チベタンに渡すのも法律に引っかかってしまう。 ……と知りつつ持ち込んでしまいました、150枚。もちろん闇で売りさばいて一儲け!なんてするわけはなく、お世話になったチベタンへの御礼にするつもりで。道中、泊めてくれた一家、ツァンパ・バター茶を振舞ってくれた農民、つらい巡礼の最中声をかけてくれ一緒に野営した巡礼者、などなど。「どうぞこれを」と差し出すと、まるで長年恋焦がれた人についに巡り合ったかのように一様に目を丸くしてそして頭にかざします。肉体はチベット本土から遠く離れたところへ行ってしまったけれど、彼の精神はしっかりと皆の心の中に留まっているようです。
ある一人の巡礼者が言いました。 「私たちは辛い巡礼中、苦しくなると彼のことを頭に思い浮かべるのです。」ラベル: チベット
.: posted by kazumoto 4:33 午後
水曜日, 7月 12, 2006
「今は山中 今は浜」
7月1日、チベット高原北部を縦断しラサへ到達する青蔵鉄道が開通した。当日はテレビでは朝から晩まで特番が組まれていて、式典の様子、一番列車の発車、こんな難工事をやり遂げた中国は偉大です、これでチベットの経済も飛躍的に発展しチベット人も大喜びです、的報道をひっきりなしにやっていた。
確かにこれは偉大な難工事だったろうし、経済も少しは発展するだろうが、2年前ラサを訪れたときに知り合いのチベット人にこの件を尋ねたところ「きっと中国人がもっとたくさんやってきて私たちの住む所が無くなっちゃうかも…とっても心配している」と言っていた。私の聞いたのは3人だけなのでもしかしたらその他の599万9997人のチベタンは鉄道大歓迎しているのかもしれないが、やっぱりきっとしてないとみた。実際、この鉄道の目的はチベットで産出される鉱物の輸送(←これはテレビでも言っていた)とインドとの有事の際の軍隊の輸送(←これは私の勝手な予想)にあると思われ、チベット人のことなんかハナっから考えてもいないだろう。以前新疆カシュガルのウイグル人が「鉄道が開通してから中国人がどっと押し寄せ我々の町をメチャメチャにしてしまった」と怒っていた。結局のところ、中国政府がチベットやウイグルにしている政策は、大日本帝国が中国の地に勝手に満州国を作って富を貪った行為となんら変わりないのだ!
…と知ったような口を利いてしまいましたが、小難しい政治的思想的なことは抜きにして、4000m以上の高原をひた走る列車に一度揺られてみたいなー。「世界の車窓から」もビックリな雄大な風景が見られること間違いなしだろうしね!
追伸:鉄道開通に伴い、ポタラ宮入場料が120元(1800円)から一気に最大300元(4500円)まで上がったそうだ。ヒエー。ラベル: チベット, 中国
.: posted by kazumoto 7:36 午後
木曜日, 12月 16, 2004
「ありがたや、ありがたや」
バラナシに2年ぶりにやって来て「今までどこで何してたんだ?」と聞かれたので 「本当はもっと早くインドに来るつもりだったのだがインド大使館がビザをくれないのでパキスタンとかチベットへ行って時間稼ぎしてたんだ。 ついでにカイラス山にも行ったよ。」と答えた。
すると急にみんなの顔付きが変わり 「何!カイラスに行った?! おーい、みんな集まれ!!!」 と、一家総出(20人くらい)で次々と私の前に膝まづき、水虫はないけど時々ウンコを踏んだりするとてもきれいとは言い難い足に触れ、ありがたがるではないか。
ヒンズー教徒にとっても、カイラス山はガンジス川の源として(本当は違うが)最大の聖地の一つであり、 山の形をシヴァリンガ(男性のチンポコ)に見立て(かなり無理がある)崇め奉っている、ということは知っていたがここまで有り難がられるとは思ってもみなかった。
翌日には話を聞いた近所のジイさんとかもやって来て 「どれワシも冥土の土産に一触りさせてもらおうかの」 みたいな感じでペタペタ。
そこでピンと閃いた。 これはゼニになる! 1回1ルピー(2.5円)で触らせても、ヒンズー教徒人口は8億人くらいいるので20億円!! こりゃ帰国は自家用ジェットだな。 ただし1人10秒ずつで1日4000人さばいたとしても、550年かかるが。ラベル: インド, チベット
.: posted by kazumoto 8:55 午後
火曜日, 12月 07, 2004
「食事の話」
私はどんなものでもおいしく食べられてしまうくちなので旅先でも困ることが少ない。 ツァンパはまずい、と書いたけどあれはネタ上のことであって本当はおいしく食べている。 腐っているもの食べても、この料理はこういう変な味付けなんだな、ウマイ!と食べてしまって翌日腹壊す。 だから「この辺でウマイ店知ってますか?」と聞かれると大変に困ってしまう。 どこだって美味しく思えるからだ。
ただ、たった一つだけどうしても食べられないものがある。 それは「レバー」。 これはもうウマイ・マズイの話じゃなくて人間がプラスチックを食べられないように、私にはレバーは食べられないのだ。
で、ある時チベットで。 明らかに貧しそうなお宅に泊めてもらえることになった。 「今日は特別なお客さんだから、特別料理ですよー!」 てな感じでおかみさんがワザワザ買ってきたものは、バケツに山盛り入った理科の解剖実験直後のような内臓の山。 それを、素材の味を究極に活かし切る料理法「塩茹で」にしたものが私の前のさらにドサッと盛られた。 せっかくのもてなしを「これは食えません」などと言って断ることはできぬ。 オートリバースしてしまいそうなうごめく胃袋(私のね)を押さえつけ、冷や汗タラタラ、ひざガクガク、涙目になりながら何とか食べれば 「どう、おいしい?」 「はい、おいしいです」 ドサッ、再び山盛り・・・。ラベル: チベット
.: posted by kazumoto 10:48 午後
月曜日, 11月 29, 2004
「白人旅行者のフシギ(1)」
多くの白人さん達も世界各地を旅しています。 現地人の生活風習を見るのも面白いですが、彼ら白人ツーリストの行動も私にとっては興味深い異文化の一つ。 そんな中で「??」と思ってしまう彼らの行動パターンをいくつか。
<その1.外で食うのが好き> ここで言う「外」とはキャンプとか屋台の話ではありません。 れっきとしたレストランで「外」で食う話です。 たいてい白人が好む場所は、屋上レストランのある宿とか道に面したオープンテラスのあるレストランとか。 日光を浴びながらの食事は気持ちがいい、という気持ちは分からないでもないのでそこは百歩譲るとして、 問題は、本当にこの環境が気持ちいいのか?!と疑うような場所でも悠然と食っていること。 道路脇は埃っぽいし、車の排ガスモクモクだし、乞食が次々現れるし、牛はそこらじゅうにウンコしていくし。 屋上ならばどうかというと、日差しサンサンといってもチベットなんかでは日差しはジリジリと肌を焦がすようでとても快適とは言い難い。 もちろん賢明な地元民は屋内で食います。
ある時北パキスタンでフランス人グループと一緒に夕食を摂ることになりました。室内で食うとばかり思っていたら、彼らは従業員にテーブル・椅子をベランダにセットするよう指示し食事もそこに運ばせました。 季節は春でしたが標高3000m位の所なので夜はかなり冷えます。 「そこまでして外で食いたいかー!」とブルブル震えながら食べました。 (オゴってもらったので文句は言えない)
余談ですが、この時のフランス人がすごい訛りの強い英語を話す人らで「バッチパッチ」がどーのこーの、と初めは何のことかよく分からなかったのですが、どうやらこれは「Back Pack」のことを言っているらしい、と推測できるようになりました。 「ch」=「チ」というんだな、と分かると他の意味不明だった単語も理解できるようになります。 インド人も訛りの強い英語を話し、「R」を全部読んでしまうので「Brother」=「ブラザル」、「Four」=「フォル」になります。 バングラでは「Lunch」=「ランス」、「Visa」=「ビシャ」。
余談の余談ですが「ザジズゼゾ」の発音を正確にできない国は結構多いようで「ジャジジュジェジョ」になってしまいます。 だから私の名前の「カズ」も「カジュ」に。 南アジア一帯では「カジュ」は「ナツメヤシ」を意味するようで覚えてもらいやすい。 で、ところ変わってアラビア語圏に入り自己紹介すると私の名前を聞いてクスクス笑う人がいるのです。 人の名を聞いておきながら笑うとは無礼千万な輩かな! と思ったのですが、どうやらアラビア語で「カジュ」は「ウンコ」のこと。 まあ確かにアメリカ人が 「ワタシノナマエハ『ウンコ・マクドナルド』デス」 などといったら笑えるわな。 名前がこうなんだから、私のコラムにウンコネタが多いのもこれで納得していただけたことでしょう。ラベル: インド, チベット, バングラデシュ, パキスタン, 中東, 旅行
.: posted by kazumoto 2:24 午後
日曜日, 11月 07, 2004
「朝食」
私がポカラに着いた9月中旬はまだ雨季の最中で、一日中雲がかかって山が見えることはほとんどなかったのですが、最近はすっかり気候が変わり、特に朝方は雲一つ無い快晴、朝日に映える7000m級のアンナプルナの山々が奇麗に見えます。
その山々を見ながらの朝食のメニューは・・・ 「ツァンパ」 このコラムでも度々登場しマズイマズイと酷評してきたチベットの主食です。 しかしながら「イヤヨイヤヨもスキのうち」「マズイマズイもウマイのうち」。 いつしかなくてはならぬ朝食の定番メニューになってしまいました。
ラサを発つとき、餞別に、とサイドバッグ一つ埋まる程の大量のツァンパを貰い受け、どうしたものか・・・と途方に暮れたのも今は昔。 それも結局食べ尽くし、新たにネパールで買い入れたものを食べています。 はじめどこに行けば買えるのか分からず、その辺を歩いていたチベット人のおばちゃん(ネパールにも沢山チベット人は住んでいる)を見つけ「この人について行けばチベタン御用達ツァンパ屋に行くかも」と尾行を開始したところ、程なく感付かれ 「アンタ何やってんのよ?」と問われ 「イヤハヤ私は怪しい者でもスパイでもストーカーでも中国の回し者でもございません。実はかくかくしかじか・・・」 と正直に答えたところ、 おばちゃんはあっさりツァンパのありかを教えてくれました。 はじめから聞けばよかったところです。
で、そのツァンパですが、これまた以前このコラムで「カレー粉とかいろいろ混ぜたけどやっぱりマズイ」と書きましたが、その後も数々の試行錯誤の末、遂に完成したのが以下のツァンパ。 レシピを記すと、 1。約150ccのお湯に 2。はちみつスプーン2杯 3。砂糖スプーン1杯 4。粉ミルクたっぷり 5。以上にツァンパを適量加えグチャグチャ混ぜて団子にして食べる。
ちなみにダライラマ法王のお好みもミルクツァンパだとか。 あなたも「観音菩薩の味」を試してみてはいかがかな?ラベル: チベット, ネパール
.: posted by kazumoto 5:16 午後
火曜日, 10月 19, 2004
「読書週間」
ここ最近でチベットに関する本をいくつか読みました。 1.「ダライラマ自伝」ダライラマ 2.「チベット旅行記」河口慧海 3.「セブンイヤーズインチベット」ハインリヒハラー 4.「秘境西域8年の潜行」西川一三 5.「チベット旅の百日」李奈
1.は言わずと知れたチベットの最高権威・観音菩薩の化身による自伝、 2.3.4.は50年前以前のチベット鎖国時代に密入国した人の話、 5.は中国人によるチベット旅行記 で、どれも興味深い話がずらり。
面白かったのは2.3.4.が皆口を揃えたように 「チベット人は想像を絶するほど不潔、汚い、衛生観念がない」 と、一度ならず何度も何度も言っていること。 私が見た現在でも、田舎の方に行けばとても黄色人種とは思えぬほど真っ黒な顔の人がいてびっくりします(日焼けの黒さではない)。
また私独自の調査で、 「チベット人はクソした後、拭きも洗いもしてないのでは?」 と密かに思っていたのですが、これについてもやはり3人ともが指摘していて私の推測が正しかったことを証明してくれました。
5.に登場するチベット人は皆 「1951年に中国がチベットを『平和的開放』してくれたおかげで生活向上し今はこんなに幸せな生活を送っています。毛沢東万歳!」 と口々に言っており、プロパガンダの香りがおもいっきり漂っていて苦笑させられてしまいます。ラベル: チベット
.: posted by kazumoto 2:10 午後
「西チベット総括」
2年前、東チベットを横断したときは秋から冬にかけてでえらい寒い思いをしたので、今回の西チベットは夏にした。 しかしそれはとんでもない過ちで、雨季にあたるこの時期は毎日のように雪・雨に悩まされてしまった。 道路状況は最悪の泥沼。 山からの濁流が道を横切り何度もずぶ濡れになる。 腰まで浸かることもあり、もしあそこでツルリ足を滑らせていたらドザエモンとなり、ブラマプトラ川の藻くずと化し、今頃はベンガル湾でお魚の餌となってたことだろう。
そもそも夏といっても夜はやっぱり寒いのだ。 逆に冬といっても太陽の下にいれば十分暖かい(もちろん夜は死ぬほど寒い)し、 晴れ渡って山もはっきり見えるので、チベットに行くなら暖かい装備を持って冬に行くことをお勧めする。
<西チベットデータ> 日数:90日 自転車移動日:65日(72%) 移動距離:3500km(54km/日) 総出費:5万円(560円/日) ・・・ただしうち4万円はラサにいた18日間に使ったのでそれ以外の移動しているうちは140円/日。 使いたくても店も食堂も無い!!ラベル: チベット
.: posted by kazumoto 2:08 午後
月曜日, 8月 16, 2004
「アジアカップ」
カトマンズに着いて日本の新聞を見ると、先日行われたサッカーアジア杯決勝での日本人批判問題の記事が載っていました。 私は当時チベットにいてその試合のことも知っていました。
日本勝利の晩、いつものチベット飲み屋に行くと、客(チベット人)が皆口々に「日本よくやった!!」と誉めたたえます。 そう、チベット人にとって中国は敵。 それを日本が破ったもんだから、ザマミロってなもんです。
チベット流酒の注ぎ方は、普通に嬉しい時(注ぐ人が)は一口飲むのを3回、4回目はカップ全部飲み干すのですが、すごく嬉しい時(注ぐ人が)は4回とも全部飲み干さねばなりません。 みんな次々と祝福のチャン(チンコー酒)を注ぎに来てくれます。 私も決勝点となる必殺のタイガーショットを外のドブにたたき込んだりしてみました。ラベル: チベット, 中国
.: posted by kazumoto 12:44 午後
「カトマンズ到着」
天上のチベットから下界のカトマンズへ下りてきました。 日本ほどではないでしょうが、やっぱりムッとする湿度を感じます。 タバコがあっという間に燃えてなくなってしまいます。 思わず沸かしたてのお茶を飲んで口を火傷しました。 (チベットでは沸点が低いのですぐ飲んでも問題無い) 当たり前のことが当たり前じゃなくなってしまいました。ラベル: チベット, ネパール
.: posted by kazumoto 12:33 午後
「さらばラサ」
夢のような日々は過ぎるのが早いものです。 あっという間に19日間のラサ滞在は終わってしまいました。
この間、多くの人たちと再会することができ、皆一様に優しい笑顔で迎え入れてくれました。 今ラサの街は日に日に確実に変わっています。 2年後鉄道が開通すれば更に大きく変わってしまうでしょう。 でもチベット人・中国人関係なく、人々の優しさだけはきっと変わらないと思います。
さらば、ラサ。ラベル: チベット, 中国
.: posted by kazumoto 12:29 午後
水曜日, 8月 04, 2004
「ガンバレ日本!」
ラサには2年前見つけた行きつけの飲み屋(チベタンOnly、中国人お断り)がある。 そこの常連にやたら元気なおばちゃんがいる。 こういう飲みの場で話題が下ネタに向かっていくのはこの世の常というものだろう。 そのおばちゃんが「日本人は毎晩何回なのよ?」と聞くので 「2-3回がせいぜいかな(2003年度厚生省白書参照)」と言うと、 「日本人はだめねえ。チベット人はツァンパとバター茶でみんな健康、精力絶倫。うちのダンナなんて毎晩8回よ!」 とおっしゃる。 5回でもなく10回でもなく、8回という中途半端な数字がこの話の信憑性を物語っている。
その後閉店時間となるが、おばちゃんまだ飲み足りないようで 「うちで2次会やるからついてらっしゃい!」とおっしゃる。 ヒョコヒョコついて行ってお宅にお邪魔し飲んでいると既に寝ていたダンナが顔を出した。 さっきの話からしてダンナはチョコボール向井風のマッチョかアブドーラ・ザ・ブッチャー風の恰幅のいい男を想像していたのだが、出てきたのはチョコボールどころか、大泉晃風のインチキひげを生やしたヒョロっとしたおっさんだった。 急にさっきの8回の話が嘘っぽく思えおばちゃんに尋ね直すと、 「昔はもっとガッシリしてて毎晩8回だったんだけどね。今は痩せちゃってもうだめね」 どうやらおばちゃんに精力すべて吸い取られてしまったらしい。
ラージャロー!(神に勝利あれ!)ラベル: チベット
.: posted by kazumoto 1:27 午後
水曜日, 7月 28, 2004
「神の住む街」
私は神など信じないが、ラサに来てそれを信じたくなるような出来事があった。
2年前、ラサでお世話になった家に娘さんがいて、ラサを去った後も度々メールのやり取りがあった。 しかししばらくして連絡がなくなり、その後そのアドレスも消滅してしまった。 (ホットメールは1ヶ月アクセスしないと消える)
そして月日は流れ、先日ラサに2年振りにやって来てメールボックスを開くと何とその娘さんからのメールが来ているではないか! 発信日を見れば到着の2日前になっている。 もちろん彼女は私が今ラサにいることなど、それ以前にチベットを再び旅していたことさえ全く知らない。 その後実際に会ってみると彼女もビックリ。
やっぱりラサは神の住む街である。ラベル: チベット
.: posted by kazumoto 5:43 午後
「ラサに来たのは…」
西チベット方面から東に向かうと、途中で道が二手に分かれる。 北東方向はラサへの道、南方向はネパールへの道。 結局ネパールに行くのでショートカットして直接ネパールに下りることもできた。 しかし片道750km、往復1500kmの遠回りをしてでも私はラサに行きたかった。 安くてうまい中華が食べたい、ポタラ宮の雄姿を再度拝みたい、しかしもっと大切なことがある。 それは2年前に訪れたときに会った人達にもう一度会うためだ。
ラサに着いて早速彼らの元に向かった。 忘れられているかもしれないので当時撮った写真を持って。 しかしそんなものは不要だった。 宿の服務員、毎日通った食堂のおじさんおばさん、カメラ屋の小姐、みんなみんな顔をあわせたとたん「アンマ?!」 わずかの期間滞在しただけなのにみんなしっかり覚えていてくれた。 笑顔で2年前の話に花が咲く。 もうそれだけでラサにわざわざやってきた甲斐があったというもんだが、これらはほんの序章に過ぎない・・
そう、最大の目的は1ヶ月間居候させてもらった一家を訪れることにある。 (なぜ居候することになったかは http://homepage1.nifty.com/kunori/miwa2.html 「チベットの恩返しその2 母の想い」 を参照してください)
門をくぐると懐かしい顔が「アンマ?!」 しばらく近況報告をした後はみんな普通の生活に戻る。 2年振りに会ったのに、なんか仕事か学校から帰ってきただけのような淡白さで、もう少し大騒ぎしてくれてもいいのにな、と思う反面、この特別扱いされない感じが逆に嬉しかったりもするのである。ラベル: チベット
.: posted by kazumoto 5:40 午後
火曜日, 7月 27, 2004
「Capital of TIBET」
カイラス山の麓の村でのこと。 不本意にも白人の皆様と一緒に飯を食うことになりました。 本当は行きたくなかったのですが、私が行かないと彼らは料理の注文すらできないから仕方がありません。 そこで私がこれからラサに向かうことを言うと、彼らは次々とラサの悪口を始めました。
「広い道に高いビル、ラサなんてただの中国の街だぜ。ポタラ宮なんて博物館じゃないか。行くだけ無駄だよ。」
ラサは私の最も好きな街、黙って聞いている訳にはいきません。
「君たちはジョカン(チベット仏教の総本山の寺)の開門に参加しましたか?(巡礼者が殺到し大騒ぎになる) シャカムニ(御本尊)に触れた後の彼らの笑顔を見ましたか? 毎朝地元チベタンのするリンコル(市内を一周)を共に歩きましたか? 1日と15日に行われるお祭りに彼らと共に参加しましたか? もし一つでも体験してたら、ラサを中国の街、なんて呼べないはず。 ラサは紛れもなくチベットの首都ですよ。」
彼らは一つも参加してませんでした。 彼らが見たのは中国風のラサの街、そして外国人用ホテルに、外国人向けメニューの置いてあるレストランのみだったのです。
続けて私は言いました。 「あなたたちにとってラサは観光地、だけど私のとってのラサは大切な旅の目的地。だからポタラ宮もあなたたちには博物館だけど、私にとっては重要な旅のシンボルなのです。」
白人さんたちは黙ってしまいました。 私の勝ち。ラベル: チベット
.: posted by kazumoto 1:04 午後
「キューピー30秒クッキング」
本文を読まれる前に「ツァンパ」豆知識!
「ツァンパ」とはチベット人の主食で、大麦を炒った物を粉にし、バター茶(しょっぱ生臭い)でこねて食べます。 食べ方にもいろいろあり、 1.粉のまま舐める(舐める時息を吸うと必ずムセる) 2.バター無しの塩茶でこねる(遊牧民が放牧中によくやっている) 3.バター茶でこねる(お手軽) 4.3にチーズバターを加える(一般家庭はこれがスタンダード) 5.4に砂糖も加える(飛び込みアッパー昇竜拳並みの破壊力を持つスーパーウルトラハイグレードな食べ方。これを出されたらもてなされている、と思っていいだろう)
「ツァンパ」は保存が利き、軽いので携帯食としては抜群で、調理(といえるかどうか…こねるだけ)も簡単。 しかもあまり量を食べられない(食べたくない)のでなかなか減らない、腹持ちがいい(消化が悪い)、といいことづくめのチベット料理の代表選手です。
…以上を踏まえた上で本文へどうぞ。
<今日の献立> バラエティーツァンパ ○毎日毎食同じ味のツァンパだとさすがに飽きるものです。 料理に大切なのはやっぱり味付け! ツァンパにいろいろ混ぜてみてあなたのツァンパライフを何倍にも楽しくしちゃいましょう! これを食べれば今日の放牧の疲れも吹っ飛んじゃいますよ!!
<用意するもの> ・ツァンパ(いっぱい)・チキンスープの素・レーズン・カレー粉・胡椒・唐辛子パウダー・ケチャップ
<調理法> ツァンパとそれぞれを混ぜてこねるだけ
<結果> ・チキンスープツァンパ:チキンスープは別で飲むべき。マズイ ・レーズンツァンパ:レーズンパンを生で食っているかのよう。マズイ ・カレーツァンパ:期待度と裏腹にかなりマズイ ・胡椒ツァンパ:絶望的にマズイ ・唐辛子ツァンパ:切腹したくなるほどマズイ ・ケチャップツァンパ:「哀しいけどこれってツァンパなのよね!」と言いたくなるほどマズイ
<結論> 下手な小細工はするもんでない。 素材の味を大切に・・・ラベル: チベット
.: posted by kazumoto 1:01 午後
日曜日, 7月 25, 2004
「インド人とカイラス山」
カイラス山は仏教・ボン教のチベット系宗教の聖地である以外に、ヒンズー教・ジャイナ教のインド・ネパール系宗教の聖地でもある。 よってカイラスに行くと、見慣れたモンゴロイドに混じって大勢のインド人・ネパール人巡礼ツアー客が来ている。 突然あの濃ーーい顔が多数出現するもんだから、それだけでマクー空間に引きずり込まれたような感じがする。
外国に来れるようなインド人だから当然彼らは金持ち。 インド人の金持ちと言えば、タイコ腹のおとっつぁん+サリーからブヨブヨ肉のはみ出たおっかさん+英語スクールに通う生意気なガキ、の3点セットに決まっているのだがやっぱりここでもそうだった。
で、もちろん彼らもコルラ(山を一周)する。 しかし「金持ち汗かかず」とインドの格言にある通り彼らは歩かないのである!(歩く人もいるけど) 行ける所までジープで行き、後は馬に乗り、荷物はポーターが運び、また車が来れる所で拾ってもらって帰る。 ズルイ!
さてここで問題です。 彼らの夕食メニューは何だったでしょう? 3.2.1.ピンポン!ピンポン! その通り、カレーです。 香辛料はわざわざインドから運んだんだってさ。ラベル: インド, チベット
.: posted by kazumoto 11:52 午後
「地雷」
西チベットでトイレがあったのはアリとサガだけ。 あとの町や村ではその辺で適当にする。 普通中国の村では肥料になったり野ブタが食べたりするので残らないが、西チベットではその過酷な環境のせいで農業は成り立たず、ブタも生きられないため、ブツはそのまんまとなる。
ある町でのこと。 やっぱり「その辺でしてこい」と言われたので建物の裏に回ってみたらビックリタマゲタ。 その数に驚いたのではない。 まず壁に沿って1mの等間隔でズラリ一列。 壁の端まで来ると1m前進し、先ほどのと正三角形の頂点の位置に配置されるようにズラリ。 それが27列続いていた(数えてみた)。 まるでダイヤモンドゲームの升目のようだ。 もちろん私もその隊列を乱さぬよう、正しい位置に地雷をセット。 このままのペースでいけば数年後には地平線の向こうまで達するんじゃないか、くらいの勢いである。
その地平線の先にはインドがある。 その町のあたりはアクサイチンと呼ばれる国境線の定まっていない地域なのでいつインド軍が攻めてきてもおかしくない。 しかしこの果てしなく広がる整然と並んだウンコを見たらビックリして逃げ帰るだろう。
戦わずして勝つ。 中国人民解放軍バンザイ!!ラベル: インド, チベット, 中国
.: posted by kazumoto 11:51 午後
土曜日, 7月 24, 2004
「中国的少数民族問題」
中国人サイクリストと一緒に行動していた時こんなことがあった。 西方民族であるウイグル人ばかりの工事事務所で一休みし、いざ出発しようとすると彼らはこっそり私にだけ耳打ちし 「おまえだけ残れ」。 ご飯やお茶でもてなしてくれた。
そして彼らは言った。 「俺は漢民族は嫌いだ。数年前までカシュガルはウイグル人の街だった。しかし数年前(鉄道開通時か?)から突然大量にやって来て街をどんどん変えてしまっている。」
TVを見ていて戦争ドラマで日本兵が漢族を殺したり犯したりするシーンが出ると(こんなのをよくやっている)「いいぞ日本人!漢族なんてメチャクチャにやってしまえ!」と息巻く。
同じような思いをチベット族やその他の少数民族もきっと抱いていることだろう。
しかし考えてみれば、西方民族(ウイグル・キルギスなど)、キョウド(モンゴル族)などの異民族を支配下に置くのは秦の始皇帝以来の漢民族の長年の夢であり、今を生きている彼らにとっては不幸だが、一時期は彼らが漢民族を脅かしていたこともあったのだ。 だからもし中国に何らかの事態(革命??)が起これば今の立場なんてアッサリひっくり返っちゃうかもしれませんね。ラベル: チベット, 中国
.: posted by kazumoto 10:07 午後
「僕の検問突破術」
始めに言っておきますが、このコラムは偉大なる毛沢東主席のお作りになった、偉大なる中華人民共和国の、偉大なる法律を明らかに犯すものなのであまり自慢できる話ではないのですが、こういうこともできる、という参考程度にどうぞ。
チベット全域は都市を除き公安の許可なく訪れてはならぬ非開放地域である。 ツアーを組んで、しかるべき金を払えば許可が取れるのだが、個人で自転車で、となるとほぼ不可能である。 でも行ってみたい人はどうするか? とりあえず行っちゃうんである。 でも敵もさる者。 そうはさせじと検問が存在する。 そこを通るとき、全くフリーパスのこともあれば、パスポートチェックだけの時もある。 最悪は「許可証を見せろ」と言われることで無いことがばれれば、良くて罰金。 悪ければ圏外追放。
みんなこれを恐れていて深夜にコソコソ通り抜けたりしているが、私はいつも白昼堂々と挑む。 結局パスポート見せただけで終わることが多いからだ。
しかし一度「許可証を見せろ」と言われてしまった。 や、やばい・・・ しかし私には一つの策があった。 取り出したる一枚の紙。 それは大学の卒業証明書(英文)。 私は知っている、中国の多くの公安が英語を話すことも読むこともできないことを。 それはそれらしきフォーマットで書かれ、それらしき判子やサインが載っている。 それをさも当然のように堂々と見せる。 この時注意すべきは 「あなたは英語が読めますか?」 などといったような、誇り高き中国公安のプライドを傷つけるようなことを決して言ってはいけない。 彼がそれを「許可証」だと認め(卒業証明書だが)、そこに「この者の通行を許可する」と書いてあると読んだのなら(○○学部××年卒業としか書いてないが)それでよいではないか。
さらに効果をあげるためには、素早く係の名札を見てその名前から漢族かウイグル族かチベット族か判断する。(漢族なら王○○、李××のような3文字なのですぐ分かる) そしてそれにあった言葉で対応するのだ。 するときっと笑顔で「一路平安!」と見送ってくれることだろう。ラベル: チベット, 中国, 旅行
.: posted by kazumoto 10:02 午後
「NOと言えないニッポン」
新蔵公路は現在道路拡張工事の真っ最中。 そこを通るとき、ただでさえ厳しい道が、川の中を通らされたり掘り下げられた沼の中を通らされたりと苦難を極める。
しかし悪いことばかりではない。 そこでは工事に従事する人々の住むテントがある。 食事どきにそこを通ると、大抵「飯食ってけよ!」と声がかかるのだ。 行けばブッカケご飯ドンブリ超大盛り3杯。 ありがたく頂き出発すると、またすぐ隣のテントからも誘いの声が。 もちろん断ってもいいんだけど、この先もしかしたら食事できるような所が無くなるかも・・・の恐れからまたゴチになってしまう。 こんな調子で一日8食なんて日もあった。
空腹に悩まされることは想定していたが、まさか胃拡張で苦しむことになるなんて・・・ うれしい誤算。ラベル: チベット, 中国
.: posted by kazumoto 10:01 午後
「雪やコンコ」
前回東チベットの旅では靴を一度も履くことはなく全てサンダルで通した。 その反省を生かし今回は靴を持ってこず。 それは当たりだった、前半においては。 道路工事中では迂回路が川の中だったりして膝までズブズブ浸かって歩かねばならずサンダルの方が便利であった。
しかし後半、状況が一変。 平均標高3000mを越えると毎日のように雪が降った。 たいていニワカ雪程度なので大丈夫だったが、時折一晩中降り続くときもある。 朝テントから出ると一面銀世界。 どこが道なのかすらも分からない。 トラックの残した轍だけが唯一の道しるべ。 それを伝っていくのだが、午前は踏まれた雪が凍ってツルツル滑り脇の新雪にはまり込むと裸足がピリピリ痛い。 でも昼過ぎると融けて道が泥沼と化すのでやっぱりサンダルの方がいいかな。
夜は毎晩氷点下。 前回冬のチベットで寒さに苦しんだ経験を全く生かさず、今回も長年愛用している+10℃仕様の寝袋しかないのでやっぱりつらかった。 夏だから大丈夫だろう、とタカをくくったのが甘かった。 夏の新蔵公路(カシュガルーアリ)は冬の中尼公路(ラサーネパール)より寒かった。
教訓 「備えなければ憂いあり」ラベル: チベット, 旅行
.: posted by kazumoto 9:58 午後
「狼が来たぞう!」
狼に遭った。 結論から言うと襲われることはなかったが。
アリの西、数百kmに渡って人の全く住んでいない地域がある。 そこがすなわち狼出没地域である。 行く前は散々地元民におどされた。 「独りで行くと死ぬぞ!」と。
ならばどうすればよい?と問えば、 「銃を持て」 こんなことになるのならパキスタンのおかしらにトカレフ1丁譲ってもらうんだった。
私にも一応武術の心得はあるものの、珠算3級程度なので狼相手には心もとない。 それ以外の対処法としては・・・ ・石を投げる ・棒を振り回す ・とにかく逃げる ・あきらめる ・・・など。 ギャートルズとかわらんではないか。
で、本当に狼はいた。 「ウォーー!」 私を見て天に向かって高らかに吠え上げた。 まるで映画のワンシーンを見ているかのようだ、などと感激に浸っている場合じゃない! 逃げろや逃げろ。 しかし、のち走る狼も見たが、そのスピードといったらとても自転車で逃げ切れるものではなかった。
狼に襲われないためにはどうすればよいか。 答えは一つ。 神に祈るのみである。 ただし注意点が一つ。 出没地域はウイグル族自治区とチベット族自治区の境界にまたがっている。 アラーに祈るべきか、ダライラマに祈るべきか、そのところ間違えのなきよう。ラベル: チベット
.: posted by kazumoto 9:53 午後
火曜日, 12月 09, 2003
「猛犬注意」
「危ない目に遭ったことはないんですか?」 こういう旅をしているとよく聞かれる質問である。 しかしそういう目には全く遭ったことがないのだ。 ほとんど田舎にいるのだから、外人をだましてやろう、なんていう悪い輩もそうそういない。 ただ運が良かっただけなのかもしれないけど。
しかし田舎だからこそ、という目には遭っている。 それは犬に襲われることだ。 遊牧民の多いチベットでは番犬が放し飼いにされている。 しかもこの地の犬は狼に近い種でとても強暴。 そこへトロトロ自転車で走っていくと、遥か遠くの方からガウガウ狂ったように吠えながら近寄ってきて 威嚇とか無しにいきなりガブッと噛みついてくるのだ。 こんな所で予防接種などしているはずないので死亡率100%の狂犬病になったらアウトである。
初めて犬に襲われた時のこと。 その時偶然バックパックの腰ベルトがダラリと垂れていてそれに噛みついてきた。 グイグイ引っ張られながらも「助けて〜!」と叫ぶと気付いた遊牧民が追っ払ってくれて助かった。
それ以後は、わざとベルトを垂らしておいて、もしも襲われたとしてもまずそれに噛みついてくれるようにしておいたおかげで体を噛みつかれることなくすんだ。
今でも私のバックパックの腰ベルトには2つの牙の穴が開いている。 それを見るとチベットを思い出す。ラベル: チベット
.: posted by kazumoto 10:01 午後
月曜日, 12月 01, 2003
「脱プン!その7(チベット編)」
中国の一般的公衆便所には扉が無いことを御存知の方も多かろう。 これがチベットのド田舎なんて行くと、掘建て小屋のような建物で、大きな穴の上に丸太が渡してあってその数ヶ所開いた隙間にする、なんて所もある。 さすがに男女は分かれているけどお隣でキバっているオッサンの姿は丸見えなのだ。
そんな公衆便所が一つだけあるチベットの小さな村にいた時のこと。 その村で私は体調を崩して寝込んでいた。 腹の調子悪くその公衆便所に駆け込んだ。 すると既に先客のオッサンがキバっている。 そんなの気にする余裕無く私はゲリった。 ゲリりながらもオッサンには挨拶し自己紹介もしておいた。
翌日、まだ体調は思わしくない。 再び便所に駆け込むとなんとまた昨日のオッサンがいるではないか。 オッサンは私のくだり便を見て「まだ調子悪いようじゃのう」と声をかけてくれた。
それから2-3日調子は戻らなかった。 そして、なぜか、なぜか、便所に行く度にそのオッサンに会ってしまうのだ。 その度にオッサンは私のことを気遣ってくれるのだ。 私は涙した。
そして数日後、体が軽い!これなら!と便所に行くと、いうまでもなく今日もオッサンがキバっていた。 そして私の見事な一本グソを見て「おお!今日はいい感じじゃないか!」と。 「そうなんですよ!今日は調子いいからやっと出発できます!お世話になりました!」
我々は固い握手を交わした。 もちろん、洗っていない手で。ラベル: チベット, 脱プン
.: posted by kazumoto 2:51 午後
「潜入!村祭り!」
チベットでのこと。 山あいの小さな村でお祭りをやっていた。 老若男女皆綺麗に着飾って輪になって歌い踊っている。 そこへちょいとお邪魔して見物させてもらうことにした。 すると私の存在に気付いた人々が周りに集まってきた。 その騒ぎがさらに人を呼びこむこととなり、いつしか大群衆に囲まれてしまっている。 村祭りは毎年やってくるけど、外国人が来るなんて滅多にない!ヤンヤヤンヤの大騒ぎ!! これはちょっとマズイかなあ、と思ったとおり、やがてある人が「申し訳ないが出ていってくれんかのう?祭りが成り立たんのじゃ」
この時以外にも中国でもバングラデシュでも田舎の祭りで似たようなことが起こってしまった。 せっかく祭りが見れるチャンスだったのに・・・ こっちも向こうも残念残念な気分になりました。ラベル: チベット
.: posted by kazumoto 2:44 午後
水曜日, 9月 10, 2003
「永遠なれチベット仏教」
「チベット仏教」と聞いてどんなイメージを思い浮かべますか? 4000m以上の険しい山の中の寺で、黙々と五体投地で祈る厳しい宗教・・・ そんな感じではないでしょうか。 でもそのイメージを持ってラサに行くとビックリしますよ! あずき色の袈裟を着た坊さんが町でビリヤードやっていたり、VCD屋で香港映画を見てゲラゲラ笑っていたりするんですから!
本山ジョカン寺の前では多くのチベット人が五体投地を繰り返していてこれもイメージに近いのですが、よく観察してみるとみんなおしゃべりをしながら楽しそうにやっている。 ある時まるで筋トレをしているかのようにものすごいスピードで五体投地をしている人がいたので不思議に思って聞いてみたところ、 「腹が減っているからさっさと済ませて帰りたいんだ」 とのこと・・・。 食欲と信仰欲とのせめぎあいですね。ラベル: チベット
.: posted by kazumoto 2:15 午後
土曜日, 9月 06, 2003
「ハッピーバースデー!」
一年前私は30歳になった。 いったいどこでこの記念すべき日を迎えるのだろう、とだいぶ前から気にしていたのだが、結局東チベットのとんでもない山深い中で、しかも周りに人も住んでいないような所なのでその辺の空き地にテントを張ってキャンプしていた。 暗くなるとやることもないのでさっさと寝た。 静かな30歳の訪れだった。
しかし翌朝目が覚めて外に出てみると、昨日は雲がかかっていてわからなかったのだが目の前にドカ〜ンと巨大な三角形の雪山が顔を見せていた。 誰にも祝ってもらえなかったけどこの山だけが祝ってくれているような気がした。
しかしそもそもチベット人は誕生日を祝う習慣はないらしい。 それどころか一般の人は自分の誕生日すら知らないのだ。 (ダライラマだけは特別で、ラマの誕生日はチベットの祝日) 大切なのは日ではなく生まれた曜日である。 これはビルマ仏教でも同じで、各曜日ごとに自分の守護動物(?)があり、それに願をかけるのだ。
日−トリ、月−トラ、火−ライオン、水(午前)−牙ありゾウ 水(午後)−牙なしゾウ、木−ネズミ、金−モグラ、土−竜
あなたは何曜日生まれですか?ラベル: チベット, ビルマ
.: posted by kazumoto 1:46 午後
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