Miwa's bicycle trip around Tibet & India
9 Jun 2002, Miwa started bicyle trip from japan to India via Yungnang,China,
Tibet,Nepal.
The trip is still going on!
Please stop by Miwa's real time funky column!
Origenal Blog from http://homepage1.nifty.com/
kunori/miwa.html
火曜日, 4月 03, 2007
「チベットの恩返し その5『父と娘』」
それはラサでの馴染みのチベタン飲み屋から帰ろうとした時だ。帰り道一緒になった客のオヤジがこっそりオレに告げてきた。 「実は私の娘が今インド・ダラムサラの学校で勉強している。6年前に亡命させたのだが、それ以来娘の姿を見ていない。お前はこの後ダラムサラへ行くのだろう?娘の学校を訪ね、成長した姿を写真に撮ってラサへ送ってくれ。」 この手の頼まれ事はもうお手の物だ。二つ返事で承諾し、オヤジの写真もそこで撮っておき、オレはダラムサラへ向かった。
そしてその亡命チベット人の子どもが多く寄宿している学校へやって来た(実はその学校はダラムサラにはなく、100kmくらい離れた所にあって探し出すのに随分苦労したのだが・・・)。そこの先生に事情を話し、その娘の名を告げるとすぐさま連れて来てくれた。15歳の小柄な女の子だった。 ラサであなたのお父さんに会いましたよ、と写真を渡すとそれだけで止め処もなく涙が彼女の頬を伝った。思わずこちらももらい泣きしてしまいそうになるのを堪え、彼女の話を聞く。 「少しの間だけでもいいからラサに帰ってお父さんお母さんに会いたい」 パスポート無しの亡命の身分ではそれはちと難しいかも・・・とはとても言えず、ご両親はあなたがここで頑張って勉強し続けることを望んでいるはずだよ、と言うと、 「じゃあ頑張って勉強して大学卒業してからラサへ帰る!」 と力強く答えてくれた。
彼女が立派に学を修め、堂々と祖国へ凱旋できることを強く願いつつ、オレは帰路についた。獅子の描かれたチベットの国旗がポタラ宮の上にはためくことを夢見ながら・・・。ラベル: インド, チベット
.: posted by kazumoto 7:41 午後
「あとは帰るだけ」
涼しく快適だったダラムサラをあとにし、インドの首都デリーにやって来た。 山から下界へ下りて来てみると既にそこは40℃近い灼熱地獄。 2ヶ月間ダラムサラで充分すぎる静養をとってしまったために、この暑さは体にこたえた。 しかしこれでもうお仕舞いだ、と思うと多少無理も効いて、その炎天下の中150km以上を連日走り続けた。さすがにバテた。 でももうあとは日本に向けて飛ぶ日を待つだけだ。ラベル: インド
.: posted by kazumoto 7:35 午後
火曜日, 3月 20, 2007
「真説・法王に謁見」
それは乾季にもかかわらず冷たい雨の降り続く日だった。 私を含めた日本人30人、他に韓国・台湾・ベトナムなどのアジア仏教国の人々のための特別謁見が王宮で行われた。普段は固く閉ざされた門の奥深くにある謁見の間に通された我々は、法王の到着するのを祝福のカター(白い布)を手にじっと待つ。やがて侍従に付き添われ法王が現れた。優しい笑顔で有り難いお言葉を頂く。 「皆さんの国の仏教の歴史に比べ我々チベットの仏教の歴史は短い(チベットに仏教伝来したのは7世紀)ので皆さんの方が先輩です」と言って深く頭を下げられた。その姿に自称仏教徒の私をはじめ一同驚いてしまい慌てて頭を垂れるが、顔を上げてみるとまだラマは深々と頭を下げており、更に驚いて頭を下げた。
して国ごとに一緒に記念撮影。撮影が終わるとみなラマに群がってその手を握る。ラマの手は73歳とは思えぬくらい柔らかく福よかで、そして温かかった。 その手を握った時、私の5年弱の旅もこれで本当に気持ち良く終わることが出来るな、と思った。ラベル: インド, チベット
.: posted by kazumoto 8:20 午後
日曜日, 3月 18, 2007
「チベットの恩返し その4 『幸せ配達人』 」
私がダラムサラに来た目的の一つが小包配達であった。 その荷物は、ラサのお寺にいる尼さんに私がこれからダラムサラへ行くということを話した際、「それなら私の兄(僧侶)が亡命してそこの寺にいるので荷物を届けてほしい」と託された物だった。
チベット(中国領)⇔ダラムサラ(インド領)でも電話で話すことはでき(もちろん中国当局により盗聴されている)、手紙も送れるし(もちろん検閲される、そしてたまに消える。私が以前インド→ラサで出した手紙は届いていなかった)、荷物も送れる(がやっぱり開封される)。しかし何といっても確実なのは郵便局を通さず人の手を通しての配達だろう、ということで私に白羽の矢が立ったわけだ。
果たしてどんな大切な物を託されるのだろう?とドキドキしながら取りに行ってみると、渡されたものは何と「豆」。しかも小型枕くらいの大きさでかなり重い。これからヒマラヤ越えねばならぬのに…と少々たじろいでしまったが「この豆はロサール(チベット正月)のお供え物として欠かせないのですが、インドでは採れないものなのです」と説明され俄然やる気が起きた。絶対届けます!!
という訳でその豆担いでヒマラヤ越えてタライ平原を西に突っ切って標高1800mのダラムサラへ到着した。あとはその人のいる寺へ行って渡すだけなのだが、数千人規模の亡命僧のいる寺もいくつかあるくらいなので探すのに四苦八苦するかも、と心配していたが、その寺内でブラブラしていた坊さんに名を告げるとアッサリ見つけ出してくれ、アッサリ手渡すことに成功した。通じる言葉がチベット語しかなかったので説明するのが大変かと思われたが、その妹(ラサの尼)の写真と共に渡すとすぐ理解してくれた。どうもありがとう、と出してくれたコーヒーはインド風のとても甘い味だった。
9年振りに添えられた豆と共に2月18日、チベットの新年は明けた。ラベル: インド, チベット
.: posted by kazumoto 6:32 午後
「法王に謁見」
重厚な扉には50数年前この地球上から公式的に姿を消してしまった国の国旗がモールドされていた。私は緊張に手を震わせながらその扉をノックした。中から低い声で「どうぞ」と聞こえ、私はその重い扉を開いた。
彼はゆったりとした椅子に深く腰掛けたまま静かな笑みをたたえていた。私達はしばらく近況を報告しあった。話題が途切れたのを見計らって、私は以前からあたためていた事を意を決して切り出した。
「法王!2008年の北京オリンピックの開会式にはぜひインド選手団の旗手となってチベット国旗を掲げ堂々入場してください!忌まわしき中国共産党の度肝を抜き、チベット独立を世界にアピールする最大のチャンスです!」
あまりの唐突な申し出にさすがの彼も驚きの表情を隠せず、沈黙のまま遠く東の方を見つめた。それは、そう、本来彼の住むべき天空の城のある方角だった。
どれくらいの沈黙が続いたろう。私はまんじりともせず彼の返事を待っていた。やがて彼はその遠くを見つめたまま、あの静かな菩薩の笑みを取り戻し、ゆっくりと、そして深くうなずいた。
(了)ラベル: インド, チベット
.: posted by kazumoto 6:21 午後
「非行よ非行よ」
ついに最終目的地ダラムサラに着いた。 その足で私は郵便局に向かい局員に告げた。 「電報を打ちたいんですけど…用紙はどこにあるんですか?」 しかしカウンターのヒゲ面の太った典型的インド人のその男は、まるで私の声がまったく聞こえないかのように新聞に目を落とし続けている。私は台をバンバン叩き、足でボコボコ蹴って注意を引こうとした。さすがにうるさく思ったか、男はモッソリ顔を上げ面倒臭そうに言った。 「君はここから電報は打てない」 私は、どうしてなのか、と少し強い調子で訊ねた。 「ここは電話局じゃない」 「えっ?」 私には彼の言っている意味がわからなかった。 「電報は電話局から打つんだよ」 「あっ!」 ようやく私は自分の誤りに気がついた。電報は郵便局からではなく、電話局から打つのだという。言われてみれば当然のことだった。私は恥ずかしくなり小さな声で訊ねた。 「電話局はどこにあるんでしょう」 すると相手は本物の笑い顔になって言った。 「どこでもいいんだよ」 「どういうことでしょうか…」 「電報は電話から打てるんだよ」 「!」
歩きながら次第に私はおかしくなってきた。電報は電話のあるところならどこからでも打てるらしい。ということはダラムサラのどこからでも可能ということになる。いやもうそこがダラムサラである必要はないのかもしれない。 クックックッと笑いが洩れそうになる。私はそれを抑えるのに苦労した。これからまだ旅を続けたって構わないのだ。旅を終えようと思ったところ、そこが私の中央郵便局なのだ。
私は近くの電話屋のボックスに入った。そして受話器を取り上げると1ルピーも入れずにダイヤルを廻した。 <725872-7258> それはダイヤル盤についているアルファベットではこうなるはずだった。 SAKURA-SAKU <サクラ咲ク>と。ラベル: インド, チベット
.: posted by kazumoto 6:03 午後
火曜日, 6月 07, 2005
「そして奇跡は起こった」
もう一台のカメラは長年愛用しているオリンパスのミュー・ズーム。 いわゆる普通の「バカチョンカメラ」というやつだ。
3ヶ月前インドのホーリー祭の時。 この祭りは色水をぶっ掛けあう狂った祭りである、というのは以前ここに書いた。 その色水はプラスチック製品や衣類に強力に浸透してしまって色が取れなくなるので宿の屋上で色水を掛け合う前に、ビニール袋の中にカメラと身に着けていたお守りの品々を外して入れておいたのだ。
ビシャビシャギャーギャーやっていたその時、一匹の大きなサルがノソッと寄って来てその大切なビニール袋を強奪してしまった。 ワーワー追っかけてもサルは屋根から木へとヒョイヒョイ飛び移ってしまって手が出せない。 サルは悠々と袋の中を調べるが、食べ物がないと知るとアッサリその袋を放棄してしまった。 といってもそこは地上5階に匹敵する木の上。 あわれ私のカメラの入った袋は(重力加速度)×(地上に達するまでの時間)のスピードで地面に叩きつけられた…。
気を失いそうになる身を立て直し、ダッシュで階段を駆け下り、頑丈に施錠してある扉を「緊急事態だ!すぐ開けろ!!」と開けさせ、袋の所へ駆け寄る。 袋の中にはグチャグチャに潰れたカメラの残骸が……なかった。 プラスチック製のスライド式レンズカバーが割れて外れていたが、他は何にも問題なく作動する。 地上15mから落下してこれだけの損害で済むのか?! そんなことってあるのか?!?!
しかし、同じく袋の中に入れてあった、以前チベットのラサを発つ時もらった石の腕輪がグシャッと潰されたようにひしゃげていた。 チベットのお寺で買った木製の数珠に傷がついていた。 この2つがクッションとなりカメラを守ってくれたというのか?!
今でもそのカメラはレンズカバーはないものの何の支障もなく写真を撮り続けている。 チベットの神様、ありがとう。 オリンパスの方々、ちょっとの間でもミノルタに浮気してしまった私をお許しください。 それ以降チベットとオリンパスの方向には足を向けて寝られない。 なるべくミノルタの方向に足を向けて寝るようにしている。ラベル: インド, シンガポール
.: posted by kazumoto 3:19 午後
「自転車空輸」
よく聞かれる質問。 「自転車を飛行機に載せる時お金取られるんですか?」 答えは「NO」。 タイヤを外して梱包すれば、一般の預け荷物と同じ扱いとなる。 ただし引っ掛かってくるのは重量の方。 自転車本体だけなら15kgぐらいだが、諸々の付属品があるため。 アジア便エコノミー客は原則20kgまで。 25kgまでなら何も言われずに受け取ってくれ、 25-30kgだとちょっとシブイ顔をされるが「頼む!」で切り抜け、 30kgを超えると「減らせ」と言われ機内持ち込みに移す、 というのが今までのチェックインのパターンだった。 チェックインカウンターで秤に巨大な輪行バッグを載せるときは減量に失敗したボクサーの計量のような心境となり、揺れる数字を見ながら「頼む、30kgを超えないでくれ…」と祈るような心境になる。
で今回カルカッタ空港にて。 生意気にもシンガポール航空を選んだ私はカウンターに並んだ。 自分の番が来て、カートから輪行バッグを持ち上げる。 その時今まで持ったことのないとてつもない重量を両腕に感じた。 揺れが止まったデジタル数字が示したのは 「38.9kg」 係員、ため息一つ。「重すぎる」 私、引きつり顔で。「て、手荷物に移しますから…」
しかし、カウンターの陰には既に重量級の荷物でいっぱいの45Lのザック。アッサリ係員に見つかり 「これはデカ過ぎる。機内に持ち込むのは許さん。これも預け荷物にせよ。」 ドーン。 更に14kg。加えて52kg。弁解の余地なし。 示された超過重量代金、痛恨の160USドル。 「我々シンガポール航空は英国航空に準じた厳しいルールの元で運営しております。規則ですので払っていただかなければお客様を機内にご案内するわけにはまいりません」 インド人とは思えぬテキパキした反応の能面のような男が話す。 私はこの時ほど、機体はオンボロでサービスは最悪だが、規則はナアナアのアエロフロートやエアインディアを恋しく思ったことはない。
しかし私は戦った。 平身低頭、額の皮が剥けるほどカウンターに頭を擦りつけ30分ほど戦った。 戦果は多少あった。 160ドル→120ドル。 だが元々のチケット代330ドルと加えて計450ドル。 4時間のフライトに5か月分のインド生活費が吹っ飛んだ。 こうなったら機内でビール150本飲んで元を取ってやる!! …つもりだったが9ヶ月ぶりのアルコールのせいで1本飲んだだけでフワフワになってしまっていた…。ラベル: インド, シンガポール, 旅行
.: posted by kazumoto 3:12 午後
金曜日, 6月 03, 2005
「スターウォーズと私」
「スターウォーズ・エピソード3」をカルカッタで観てきました。 ヒンディー語あるいはベンガル語吹き替えで、ユアン・マグレガーが「チョロ!(行くぞ)」とか「アッチャー!(よし)」とか言うのを期待していったのですが、さすがここは国際都市カルカッタ。 英語そのまんまでした。 そのせいかヒンディードンチャカ映画を見に来るような客層とちょっと違った 「ワシら英語も理解できるハイクラスですねん。忙しい身でんねんから、携帯電話は手放せまへん。」 といった人が多く、劇中ひっきりなしにあちこちで液晶画面がピカピカ光り、その度にロビーに出て行くので気が散って仕方がないですねん。
思い起こせば8年前、マーク・ハミル主演の「スターウォーズ・エピソード4・5・6」のデジタル再処理版(アラビア語吹き替え)は全てエジプトで観て、「エピソード1」(英語+日本語字幕)だけは日本で観たものの、 「エピソード2」はニューヨーク(英語)と中国(中国語吹き替え)で。 そして今回「3」はインド(英語)。 私の旅には何故かスターウォーズがつきまとっているようで。
しかしながら「1・2・3」の最重要テーマである 「なぜダースベーダーはダークサイドにはしってしまったか?」 は結局理解できずじまい・・・。 オソマツ。ラベル: インド
.: posted by kazumoto 6:25 午後
水曜日, 6月 01, 2005
「ブータンへ」
「ブータン」と聞いて、ああ、あそこにあって、首都はティンプーね、と即答できる人は少ないのではないでしょうか。 ブータンは中国(チベット)とネパールとインドとバングラデシュに囲まれるようにひっそりと存在するチベット仏教を信仰する山国です。 半鎖国政策をとっていて、入国しようと思ったら一日に付き240ドル(!)のビザ代を払わねばならないので、貧乏旅行者には縁のないところですが、1ヶ所だけインドと国境を接する町が開放されているのでそこへ行ってきました。
そこは1つの町を横切るように国境線が引かれ、「ブータン版ベルリンの壁」とも言うべき幅2mくらいのドブ川が国境となっています。 若者はジャンプで飛び越えたりしていますが、町の中心にはちゃんとしたゲートがあって普通はそこを通ります。 地元民も外国人も何のチェックも無く自由に行き来しているのでインド側にモンゴロイド顔のブータン人やチベット僧がいたり、ブータン側にサリーのインド人がいたり、混ぜん一体となっている感じでどちらがどちらというような堅苦しいことはあまり感じません。
ただ、町で店に並ぶ品々を比較すると、国力の歴然たる差、というものを感じます。 しかし唯一、インド側には無くて、ブータン側にはこれでもか、とある品があります。 それは「酒」。 インドの食堂にはコーラやファンタが並べられていますが、ブータンの食堂にはビールにウイスキー。 スーパーマーケットでも冷えたビールが・・・ そういえばここ9ヶ月ほどアルコールは口にしていなかったなあ・・・。ラベル: インド, ブータン
.: posted by kazumoto 10:51 午後
土曜日, 5月 28, 2005
「交通ルールを守ろう!」
カルカッタの街を自転車で走っていて、とある大きな交差点を渡ろうとしていた時のこと。 車の流れが一瞬なくなり、待っていた人がいっせいに渡り始める。 私もそれに続いて移動し、間もなく反対側の歩道へたどり着く、その時だった。
突然一人の男が私の自転車をガシッと掴み車道の方に引きずり出そうとする。 一瞬自転車泥棒かと思った。 しかし白昼堂々、周りには何十人も見ている中だ。 どうもそうではない。 途切れていた車の流れがまた迫ってきたのでとりあえず歩道につけたかったのだが、その男は執拗に食い下がって、なにやら大きな声でわめき続けている。 その声の中に「ポリス!ポリス!」というのが聞こえた。 向こうに交通ポリスの姿が見える。 そこでピンときた。 この男は信号無視した人を捕まえ、警察に引っ立てる役なのだ。 というと「春の交通安全週間、取り締まり実施中!」みたいだが、ようはポリとグルになってとった罰金(ワイロ)のおこぼれをいただこうという算段なのだろう。 インド警官の腐敗ぶりはこと有名なので、これはマズイことになった・・・ と思ったが、ポリのほうは私のほうをチラと見て外人なので面倒だと思ったのかすぐどこかへ行ってしまったが、その男だけはしつこくわめき続けた。 でもポリがいなけりゃこっちのもの。 弾みでブレーキのスプリングが外れたので 「お前のせいで自転車が壊れたじゃないか!」 と仰々しく自転車をひっくり返し、タイヤを外し大修理・・・ を見せかけているうち、男も諦めてどっかに行ってしまった。
道路上で私らがギャーギャーもめている間、周りの人はじっと見守るだけだったが(警察絡みなので止むを得ないだろう)、開放されたのを見ると「可哀想に、災難だったね、これからは気をつけなよ、ウンウン」と慰めてくれる。
信号無視したことは事実なので弁解の余地はないのだがこの国では渡らない方がおかしいし、誰もが、警官までもがそうしている。 バングラデシュ、インドの悪徳警官の話はこれでもか、というくらい聞かされてきただけに自分が危うくその被害を被りそうになり肝を冷やした。
赤信号はみんなで渡っても怖いときがあるのだ。ラベル: インド
.: posted by kazumoto 6:54 午後
「経済学入門」
ここら辺りの国には、お金には大変興味はあるものの、経済にはいまいち暗い、という人がたくさんいる。 そういう人らとの代表的な会話例。
インド人:1米ドルは40ルピーで、1英ポンドは80ルピーだ。で、1日本円は何ルピーになるのだ? 私:0.4ルピーくらいですね。 インド人:そんなバカな!日本円がそんな安いわけないじゃないか!
この彼の言い分の根底にある理論は「通貨単位1」の持つ価値は、それぞれの国において同じである、というところにある。 つまり、インドで1ルピーで買えるのは飴玉2つだが、アメリカで1ドル払っても、イギリスで1ポンド払っても、ヨーロッパで1ユーロ払っても、日本で1円払っても、中国で1元払っても、タイで1バーツ払っても、サウジアラビアで1リエル払っても、買えるのは飴玉2つでなければならない。 そして1米ドル=40インドルピーというこの40倍の差がその国の経済力の差である、という考えにつながっていく。 だから世界で一番強い通貨は80倍の差がある英ポンドであり、日本円も、1円=0.4ルピーではなく60ルピーくらいあって当然なわけだ。 その考えでいくと、超インフレ国家トルコの経済力はインドの1千万分の1くらいしかないことになってしまう。 哀れトルコ国民よ。。
このとんでもない勘違いをしている人々は驚くほど多く、いろいろな人と話した感触からして、インド10億人のうち8億人はそう思っているだろう。 バングラ1.5億人のうち1.2億人はそう思っているだろう。
彼らに1円は間違いなく0.4ルピーの価値しかないことをわからせてやりたいのだが、そのためには「現地語で」間違いを説明する、というとてつもない難題を越えなければならない。 だから私はこう言ってしまうのだ。 「ごめん、私が勘違いしていたよ。1円は60ルピーだった・・・・」ラベル: インド
.: posted by kazumoto 6:51 午後
火曜日, 4月 26, 2005
「今晩の献立は何にしようかしら・・・」
今回のバラナシ滞在の4ヶ月間は、昼食・夕食は全て泊まっていた宿の家庭料理を食べた。 しかし宿の一家には申し訳ないが、この4ヶ月間の食生活は本当に苦痛だった。 メニューが5種類くらいしかないのである。
この家はおそらくインドの中流家庭の典型で、メシ自体ははっきり言って、美味しい。 それにこのコラムで何度も書いているが、私は味の好みはうるさくない。 しかし5種類のひたすら繰り返しではやっぱり「飽き」が来てしまうのだ。 5種類、と言っても日本のように、今日はハンバーグ、明日は焼き魚、次は鍋料理・・・といったものではなく、昼食メニューはごはん・チャパティー(ペラペラパン)・ダール(豆汁)は毎日変わらず、付け合せの大さじ一杯分くらいのカレー味のおかずの具がイモだったり、豆だったり、ナスだったり・・・ といっただけの変化なのだ。 夕食はさらにひどくて、チャパティーとイモカレー煮込みのみが連日。 おまけにこの家庭はピュアベジタリアンなので、卵・肉・魚、一切ご法度。 メニューの少ないのも無理ないか・・・
料理するお母ちゃん達も、料理番組見て新メニューを・・・なんて気は全くこれっぽっちも思ってないようで、料理してやるだけありがたいと思いな、って感じ。
今回は初めからバラナシ滞在は4ヶ月限定!と決めていたので何とか耐え抜いたが、もしこれが永久にだったら・・・と考えると本当に心からインド人に生まれなくてよかったと思う。
それにしても、当のインド人はこんな食生活で満足しているのだろうか??と疑問に思っていたところ、ある象徴的なテレビCMを見た。 それはインド風ヤキソバを作るためのインスタント麺のCMなのだが、ストーリーはこんな感じ。
子供達:パパ、今日のご飯はなんだろうね? パパ:チャパティーとカレー煮込みじゃないかな? 子供達:えー!またなのー!?(子供達ガッカリ顔) そこへエプロン姿のママがヤキソバのお皿を持って登場 ママ:今日はヤキソバなのよ! パパ・子供達:わーい!ママ大好き!!
インド人だってやっぱりいろんなもの食いたいわな。ラベル: インド
.: posted by kazumoto 12:33 午前
「ボクねぱあるジンデス」
道中、自転車を停め、メシ食ったり、休んでたりすると集まってきた地元インド人が話す声の中に「ネパリ、ネパリ」と言うのが聞こえる。 どうやら私のことをネパール人だと言っているようだ。 真っ黒に日焼けし、埃まみれで、この酷暑の中を、大荷物を載せて、自転車で行く。 一般インド人の想像する金満ニッポンとは遠くかけ離れた姿にネパールの奥地から来た行商人と思われても仕方あるまい。 ただしこれが一度や二度の話ではなく、自転車移動中の数十件、ほぼ100%の割合で「ネパール人」と言われたのはちょっと驚いた。
「日本人だ」と明かすと 「何でまたこのクソ暑い中を? 何かの罰なのか??」 なかなか理解してもらうのに苦労する。
これが、午後のこっちがクタクタになっている頃になると説明するのも億劫になってしまい、ある時「ネパール人」で通してみた。 設定はこう。 「私はカトマンズに住むシェルパ族。 自転車のパーツを日本から輸入するビジネスをしている。 だから今は休暇中の自転車旅行。 東京にも2度行ったことがある。」
どうやら相手は完全に信じてしまったようで 「日本はどんな国だった? いい所か?」 とかいろいろ聞いてくる。 「シブヤという街にはこんな短いスカートを穿いて化粧をした16-18歳のストリートガールがいっぱいいたぞ!」と言うと 「いくらだろう?日本は金持ちの国だから2000円くらいではないか?」 といろいろ会話がはずんだ。
熱風吹きつけるある日の午後の話。ラベル: インド
.: posted by kazumoto 12:31 午前
「暑い所を走ると・・・」
バラナシからカルカッタにやってきました。 今がインドでは一番暑い季節。 天気予報では連日40℃以上を伝えています。 しかしこれは「地面から1m離れた風通しの良い日陰」で測った温度なので、直射の元、アスファルトの照り返しの中ではプラス5-10℃くらいなものでしょうか。
当然そんな中を自転車で走るわけだからとっても暑いです。 吹きつけてくるのは熱風。 熱い風呂に入ると体を動かすよりジッとしていたほうが暑さを感じないように、この場合の熱風は苦痛でしかない。 ただ道中水だけはふんだんにあるので(井戸水)、それを頭からザバザバかぶってパンツまでビショ濡れになった状態で走れば気化熱が奪われてかなりヒンヤリ気持ちいい! しかし天然の乾燥機の中を走っているようなものなので、15分もすればパリパリに乾ききってしまい、また熱風地獄。 井戸を見つけてはまたズブ濡れになり・・・をひたすら繰り返して何とか生き延びました。
水は一日で10L以上は飲んでいたでしょうか。 それでも汗(液体)は全くかかないし、小便も全然したくならない。 いったい水はどこへ行ってしまったのでしょう??
あと、これは走っている時の話ではなく、バラナシにいたときの話ですが、あるすごく暑い日、ちょっと熱っぽさを感じたので体温を測ろうと水銀体温計を取り出したところ、既に「40」の所まで水銀柱が伸びてました。 振って戻しても目前でミヨヨーンと「40」まで戻ってしまいます。 普段あまり見られない光景なので思わず自分の熱を測るのも忘れて何度も繰り返してしまいました。ラベル: インド
.: posted by kazumoto 12:29 午前
木曜日, 4月 07, 2005
「インドを知る」
蔵前仁一著「ホテルアジアの眠れない夜」の中に「威張るなビンボー旅行者」という項があって、そこには 「ビンボー旅行者の中には過剰に倹約に徹し『こうしないとインド民衆の真実は分からぬ』と説く人がいるが貧乏な民衆の誰一人として外国に来れるような『ビンボー旅行者』のことを自分たちと同じ貧乏人とは思っていない」とある。 これはまさにその通りであって否の打ち所はないのだが、全く別の観点から考えると、ビンボー旅行者というのはどのインド人よりもインドのことを知っている、あるいは知ることができる、といえると思う。
インドの列車には常時ギュウギュウ激混みの自由席車両から飛行機代よりも高い一等車両まである。 宿には南京虫ウジョウジョお布施式巡礼宿からマハラジャの邸宅を改造した宮殿ホテルまである。 ビンボー旅行者といっても胴巻きにはそれなりの金は入っているのだからちょっと奮発すれば物価の安いインドにおいては最高ランクの経験もできるのだ。 カーストにこだわることなく誰とでも普通に接することができる。 ヒンズー教の寺だって、イスラム教のモスクだって気兼ねなく入ることができる(異教徒入場禁止の所も多いが)。 広いインドの北から南までどこだって行ける(パーミッションが必要なところもある)。 その辺で知り合ったオッチャンの家でチャイをごちそうになることもあれば、日本に留学してるインド人の友人があれば上流階級のお宅で食事させてもらえることもあるだろう。
対してインド人の場合はどうだろう。 貧乏な庶民がマハラジャホテルに泊まれないのは明白として、金持ちが敢えて「貧乏暮らしを経験したい!」といって南京虫宿に泊まるとは考えられない。 カースト・宗教・男女性差によって行動も大きく制限されるだろう。
そう考えれば貧乏外国人の方がはるかに多種多様なインドを知ることができる立場にある訳だ。 もちろんこれは「広く浅く」知ることができるだけであって「狭いが深い」生活をしている彼らにかなわないことも事実ではあるのだが。ラベル: インド
.: posted by kazumoto 9:32 午後
「バラナシでホーリー その2」
2年前と同じくバラナシでホーリーを迎えた。 ホーリーとは男女も年齢もカーストも関係なく無礼講で色水を掛け合うお祭りなのだが、ここバラナシにおいては無礼講の解釈の度が過ぎて破壊・強姦・殺人なんでもあり。 こと外国人は格好のターゲットなので宿はどこも終日外出厳禁になる。
という訳なので、おそらく世界中のどんなガイドブックや写真集にも「バラナシのホーリー」をまともに写したものはないのではないだろうか? 「危険な撮影」といえば真っ先に戦場カメラマンが思い浮かぶが、あれはあくまで戦争当事者の間に入った第三者的立場であって、石ころや木と同じようなもの。 もちろん流れ弾に当たれば死ぬが、狙われている訳ではない。 ところがバラナシでホーリーの時出歩けば、間違いなく集中砲火を浴びるのである。 周り全員が敵。 しかも何されたって「そんな時出歩く奴が悪い」と同情もされないだろう。
さあ、勇気あるカメラマン諸君、ピューリッツァー賞はここにある。 毎年3月の満月の晩、バラナシに集結せよ。ラベル: インド
.: posted by kazumoto 8:53 午後
水曜日, 3月 09, 2005
「人種」
物心つき始めた頃、テレビなんかを見て、どうやらこの世には自分らとは異なる顔つきや異なる肌の色の人間がいることを知る。 肌の白い人=「アメリカ人」 肌の黒い人=「クロンボ」 自分らと似てるけど違う言葉を話す人=「ジャッキーチェン」
このあたりはインドの子供も同様に分類するようだが、日本人と決定的に違うのは、肌の白い人を見ると「イングリージェ(イギリス人)」と言うことだ。 長い植民地支配の影響だろうか。
以下はとある本で読んだ話なのだが、200年ほど前までは人類学者による人種分類法は 1.白人 2.黒人 3.黄色人種 4.野蛮人(!) 5.化け物(!!) と大真面目に考えられていたそうである。
イエティよ永遠なれ。ラベル: インド
.: posted by kazumoto 6:50 午後
「牛角」
先日ガンガー沿いのメインガート(ダシャシュワメード)で爆発事故があってインド人数名が死亡、外国人を含む数十名が怪我で病院に運ばれた。 そこはバラナシに来た人が、インド人外国人問わず間違いなく訪れる最重要ポイントなので、この程度の被害で済んだのが不思議なくらい。 警察の発表ではチャイ屋のガスボンベの爆発、となっているけど、そのあまりの破壊ぶりに爆弾テロの噂もある。 ニュースや新聞には白目をむいて倒れている死体とか飛び散った肉片とかがバンバン映りまくっていてマニアが見たら大喜びしそう。 わたしも久し振りに焼き肉が食べたくなりました。
追記 後日、バラナシのメイン寺(ビシュワナート・ゴールデンテンプル)近くはじめ計3個所で爆弾が発見された(不発)。 それとは別件で警官同士が大喧嘩をして5人死亡(←勝手に死ね)。 今日も何か起こりそうな予感のするステキな街、バラナシ。ラベル: インド
.: posted by kazumoto 6:37 午後
「おふくろの味」
インドの雑貨屋の店頭には壷に入った多種の飴が並んでいて、多くは普通の甘い味なんだけど、中には「ソルト・チリ味」の飴がある。 これはその名の通りのヒリヒリ辛い味の飴なのだ。 一見普通の飴と変わらないので、知らずに大量に買い込んでしまってサクマのドロップ缶からハッカ味のが出てきた時の100倍悲しい気持ちになった。
まったくこんなのを作るなんてインド人の味覚は信じ難い!と思ったが、フト考えてみれば日本にも「塩コンブ飴」がある。 もし外国人が知らずに口にしたらきっとブッたまげるだろうなあ。ラベル: インド
.: posted by kazumoto 6:22 午後
木曜日, 2月 24, 2005
「身分制度」
ヒンズー教には有名な「カースト」という身分差別制度がある。 そのカーストの下には、カーストを持たない「不可触民」という人らがおり、このような人らは上位カーストにとって見るのも汚らわしい存在であるという。 厳密に言えば我々外国人というのは、カーストを持っていないのだからこの不可触民に区分されるらしい。
日本において「見るのも汚らわしい」に当てはまるものを考えてみると酔っ払いが駅にぶちまけたゲロ(締めに食ったラーメン入り)とか、公衆便所の流されていないウンコ(下痢気味)とかが挙げられる。 つまりインドにおいて、我々は常に自分がゲロやウンコであるという自覚をもって行動すべきなのだ。
だから何かの奥様番組のように、誰かさんちの冷蔵庫をちょっと拝見、なんてやってしまうと、中身が全部汚されてしまったことになり大変なことになる可能性がある。 私自身も以前上位カースト(僧)に握手を拒否されたことがあり差別される者の悲哀を味わった。
もちろんこういう衛生観念はインド人自身の生活も束縛しているようで(彼ら自身はそう思ってないのかもしれないが)、例えば毎日行う神へのお祈りの前には必ず綺麗に体を洗って新しい服に着替えなければならない。 で、いざ神棚へ向かう途中に急に腹が痛くなり便所に駆け込んじゃったら振り出しに戻って体洗いからやり直しとなる。
その他食事や洗濯などにもいろいろ決まりがあって知るに連れてそのタブーのあまりの多さにウンザリしてくる。 前まで世界で一番面倒な宗教はイスラム教だと思ってたけど、ヒンズー教に比べればかわいいものだ。
今私はインド人家庭内に身を置く生活をしていて過去通算すれば一年近くインドに居るのだがいまだに新たな発見が多い。 もしこのまま10年経ったとしても完全に理解するのは不可能なような気がする。ラベル: インド
.: posted by kazumoto 8:57 午後
「中年のツブヤキ」
大学生の春休みシーズンに入り、インドにも大勢の若者がやって来ている。 最近は同じ干支の人に会うことも、もはや驚きではなくなった。 ウザイおやじと思われたり、オヤジ狩りに遭ったりしないようナウいヤングの話題に迎合しようと空しい努力をしてみたりするわけだが、彼らの言動を見ていてどーしても一言物申したい衝動にかられることがある。
それは一部に見られるザックの背負い方。 肩ベルトをいっぱいまで伸ばし、だらりと後方に垂れ下がらせた背負い方。 本体胸元で締めるはずの左右を結ぶベルトが首の後ろ辺りにあったりしてザックの設計者が見たらさぞかし嘆き悲しむことだろう。 通学用デイパックならまだしも、それなりの容量・重量のザックをその方法で背負っているのを見ると、インパール作戦で敗走続ける旧日本兵のような痛々しさすら覚えてしまう。 あれは腰ベルトを腰骨に乗るようにし、下から上へと各ベルトを締めてゆけば体にぴったり密着し、同じ重量を持ったときの感覚がまるで違ってくるのだ。
まあもしかして彼らは、ただでさえ苦難の多いインドの旅に自ら更に苦役を課すことで己を鍛え上げるつもりなのかもしれないな、と思いつつ、注意したくなる誘惑を抑え続ける32歳の私であった。ラベル: インド, 旅行
.: posted by kazumoto 8:55 午後
「インドで結婚式2」
たとえば日本で結婚式に参列する場合、女性は着ていくものを選ぶとき主役の新婦より派手にならないように気を遣ったりするものだと思うが、インドにはその気配りはないようだ。
普段あまり外に出る機会のない女性達はここぞとばかりに飾り立てる。 ゴージャスサリーに身を包み、額・鼻・耳・髪・手の指・甲・手首・足首・足の指・・・、体の中で出っ張っている部分、引っかけられる部分、空白の部分を全て埋め尽くすべく投入された金銀財宝は自らの体重の約30%(推定)。
数百人の集う披露宴では、新婦は赤いウェディングサリーを着ているのでかろうじて判別できるものの、もし一般サリーに着替えたら誰が主役なんだかさっぱり判らないだろう。
結婚式が女のためにあるというとは、やはり洋の東西を問わぬもののようである。ラベル: インド
.: posted by kazumoto 8:09 午後
火曜日, 2月 01, 2005
「インドで結婚式」
結婚式に参加しました。 2年前もしたのですが、その時は知り合いの知り合いので一部のみでしたが、今回のは身を寄せている一家の中の一人(男30代後半)の結婚なので10日以上にわたるイベントの全てを見ることができました。
形式にこだわるヒンズー教の儀式らしく、それはそれは長ったらしくしつこいくらいいろいろありました。 披露宴は、一昔前日本のでゴンドラに乗って登場するなんてのがありましたがそれが子供だましに思えるほど派手で、名古屋人の私もびっくりです。 大行列を従え白馬に乗って街をパレードしたりしていました。
そして夜・・・。 男として生を受けた以上、なさねば死ねぬ大切なイベント・・・。 これまでの人生で溜めに溜めた莫大なエネルギーを一気に放出させたため強烈な摩擦熱によって急激な上昇気流が発生、巨大な雷雲を呼び、気象観測史上最高の豪雨、突風が吹き荒れ、ガンガーの水位が50m上昇、 床上浸水家屋8万5千戸、死者行方不明者15万人、死牛行方不明牛7000頭にのぼる驚天動地、阿鼻叫喚、空前絶後の大惨事を引き起こしました。 が、理由が理由だけにインド政府が緘口令を敷いたため海外ニュースに載ることはなかったようです。
おふたりさん、お幸せに・・・。ラベル: インド
.: posted by kazumoto 10:07 午後
日曜日, 1月 02, 2005
「火事・オヤジ」
インドネシア地震で発生した津波はインド東海岸に甚大な被害を及ぼし、多数の死者・行方不明者を出した。 バラナシは内陸なのでもちろん何の影響もなかったが、テレビでは連日このニュースばかり。
で、ここで私はふと思うのだが、このような深刻な災害を、政府やその関係者はむしろ歓迎しているのではないだろうか? というのは、こういう時に真っ先に亡くなるのは税金も納められない最下層の人たちであって、国にとっては存在価値はなく、逆に人口が減って食糧問題解決になる、と喜んでいるのでは? 更に嬉しいのは海外から大量に送られてくる援助物資を横流ししてガッポリ儲けられる絶好のチャンスであること。 事実、しょっちゅう洪水に遭うお隣の「被」援助大国バングラデシュには横流しマーケットなるものが公然と存在する。 そこに集まる古着の中にはビンテージジーンズのような掘り出し物が時々見つかるとかでマニアが買い付けに来るらしい。 と言うわけで今頃インドの高官たちは笑いが止まらぬのではないかと思うのだ。
余談であるが、「津波」のことを英語で「Tsunami」と言うことを今回初めて知った。ラベル: インド, バングラデシュ
.: posted by kazumoto 7:48 午後
「明けましておめでとうございます」
謹賀新年。
2年前と同じくインドのバラナシでの年越しとなりました。 といってもヒンズー教の総本山的なこの街では「正月」の「し」の字もない(「クリスマス」の「ク」の字もなかった)、ただカレンダーを2005年のに取り替える程度の日でしかありませんでした。
アジア諸国で新暦の1月1日にお正月を祝うのは日本とあとどっか一国(フィリピン辺りか?)しかない、と聞いたことがあります。 その他は旧正月や、イスラム暦・ヒンズー暦・チベット暦などの宗教正月に盛大にお祝いします。 我々が何の疑いも持たず正月を祝っていることは、実はアジアの中では「西洋かぶれした例外的な国」だった訳ですね。
まあそれはともかくとして、本年もどうぞよろしくお願いします。ラベル: インド, 旅行
.: posted by kazumoto 7:45 午後
木曜日, 12月 16, 2004
「ありがたや、ありがたや」
バラナシに2年ぶりにやって来て「今までどこで何してたんだ?」と聞かれたので 「本当はもっと早くインドに来るつもりだったのだがインド大使館がビザをくれないのでパキスタンとかチベットへ行って時間稼ぎしてたんだ。 ついでにカイラス山にも行ったよ。」と答えた。
すると急にみんなの顔付きが変わり 「何!カイラスに行った?! おーい、みんな集まれ!!!」 と、一家総出(20人くらい)で次々と私の前に膝まづき、水虫はないけど時々ウンコを踏んだりするとてもきれいとは言い難い足に触れ、ありがたがるではないか。
ヒンズー教徒にとっても、カイラス山はガンジス川の源として(本当は違うが)最大の聖地の一つであり、 山の形をシヴァリンガ(男性のチンポコ)に見立て(かなり無理がある)崇め奉っている、ということは知っていたがここまで有り難がられるとは思ってもみなかった。
翌日には話を聞いた近所のジイさんとかもやって来て 「どれワシも冥土の土産に一触りさせてもらおうかの」 みたいな感じでペタペタ。
そこでピンと閃いた。 これはゼニになる! 1回1ルピー(2.5円)で触らせても、ヒンズー教徒人口は8億人くらいいるので20億円!! こりゃ帰国は自家用ジェットだな。 ただし1人10秒ずつで1日4000人さばいたとしても、550年かかるが。ラベル: インド, チベット
.: posted by kazumoto 8:55 午後
火曜日, 12月 07, 2004
「モーニングコール」
インド、というと不潔・汚いのイメージ強く、実際街はゴミ・ウンコ・死体が散乱していて確かに汚いのだけど、私の見るところ一般のインド人はとても清潔である。 服は毎日こまめに洗うし、宗教と関係する沐浴の習慣はあるし、道端の共同水道ではパンツ一丁で泡まみれになって体を洗っている姿をよく見かける。
歯磨きもかなり熱心だ。 苦い粉をブラシにつけて磨いている。 また木の枝を口に突っ込んでいる人もいて、はじめは 「さすがインド人!木の枝まで食うのか?!」 と驚いたが、そうではなくてこれは歯磨き用枝なのだった。 私もやったことあるが、枝をガジガジ噛むと先がブラシのようにボサボサになり、それで歯をゴシゴシやる。 枝からは殺菌作用がある(らしい)苦い汁が出てまことに理にかなっているようだ。
また「舌磨き」の習慣もちゃんとある。 やったことある人は分かると思うが、あれは舌の奥の方までしっかりやろうとすると必ず「オエッ!」となるものだ。 だからインド人用の宿で水場に近い部屋に泊まったりすると朝早くから「オエッ!」「ウエッ!」「オエッ!」「オエッ!」と連発で響いてきて、心地よい目覚めができること請け合いなのだ。ラベル: インド
.: posted by kazumoto 2:59 午後
「殺意」
今こうしてコンピューターを前にしてあああの時のことを思い出すだけで、いいいいい怒りが込み上げてきて手の震えを抑えるこここことができなklづいんふぇあklhvだな4ふぁjdk・・・
うー、申し訳ない、キーボードにあたってしまった。 いやはや、何に対しこんなに怒っているかというと、それは在ネパールのインド大使館で働く虫ケラどもに対して、である。
ここでインドビザを申請するためには 1.テレックスの申請(本国、私の場合は日本へ怪しい奴かどうか 身元照会する。当然金とられる) 2.ビザの申請 3.ビザの受け取り と三回足を運ばねばならない。 この面倒な手続きを2年前一度経験している。 その時はまだよかった。 用紙配布窓口・テレックス窓口・ビザ窓口がそれぞれ分かれていたのだ。 当時から仕事ぶりはメチャメチャ遅く、各窓口に行列ができ非難轟々だったものの一応処理はされていた。
しかし、しかしである。 ここの虫ケラどもは訪れる外国人のために便宜を図ろう、などとは微塵も考えないらしく、何を血迷ったか窓口を一つにまとめやがったのだ!! 当然2年前とは比較にならぬ人間が一箇所に集中する。
初日、私はバカ正直にも開門の9:30に行ったのだが、そこは既に数十人の大行列ができていた。 先頭の人は7:00に既に並んでいたという。 日本シリーズじゃあるまいし・・・
しかしサッサと仕事をすれば充分処理できるはずなのだが、虫ケラ中の虫ケラである窓口の奴ときたら、10分くらい遅れて窓口を開いたと思ったらいきなり新聞を読み出すのだ! 一通り目を通すと業務に取り掛かるが、一人片付けては茶を飲み、一人片付けては虫ケラ同士でダベリ、電話をかけ、便所に行き、書類にサインし、鼻クソをほじり・・・
しかも一人一人に渡航理由の面接をしていて、たとえば私の場合 虫「理由は?」 私「観光です、サー」 虫「どこへ行くつもりだ?」 私「バラナシです、サー」 虫「バラナシなんて見所ないところに行くのになぜ6ヶ月要るのだ?」 私「い、いやその、友達に会ったり、他にも行くかもしれないし、それにインドは広いから時間かかるし・・・」 虫「観光なんてどうせ嘘だろう!怪しい商売でもしているに決まっている!本当のことを言え!!」 私「本当に観光なんです、サー!私はインドを愛しています!あなたも含めインド人を尊敬しています、サー!!」
と心に思うことと全く逆のことを言って何とかOKされた。 私だけでなく多くの人がこんな感じでやり取りしているのだが、結局みんな6ヶ月貰っているところを見ると、どうもこの虫ケラはいろいろ難クセをつけて我々がアタフタ困るのを見て楽しんでいる節がある。
こんな感じなので列は遅々として進まない。 初日、12:00になると 「今日はここまで!明日また来い!」 と私の目の前で無情にも窓口は閉まった。
コイツが一回鼻クソをほじってなければ私の番まで回ってきたはずだ! 業務開始前にしっかりウンコしてあったら更に後ろ2人分まで相手できたはずだ! 難クセつけてなければ全員分処理できたはずだ!!
私はこの日生まれて初めて「殺意」を覚えた。ラベル: インド, ネパール
.: posted by kazumoto 2:06 午後
月曜日, 11月 29, 2004
「白人旅行者のフシギ(1)」
多くの白人さん達も世界各地を旅しています。 現地人の生活風習を見るのも面白いですが、彼ら白人ツーリストの行動も私にとっては興味深い異文化の一つ。 そんな中で「??」と思ってしまう彼らの行動パターンをいくつか。
<その1.外で食うのが好き> ここで言う「外」とはキャンプとか屋台の話ではありません。 れっきとしたレストランで「外」で食う話です。 たいてい白人が好む場所は、屋上レストランのある宿とか道に面したオープンテラスのあるレストランとか。 日光を浴びながらの食事は気持ちがいい、という気持ちは分からないでもないのでそこは百歩譲るとして、 問題は、本当にこの環境が気持ちいいのか?!と疑うような場所でも悠然と食っていること。 道路脇は埃っぽいし、車の排ガスモクモクだし、乞食が次々現れるし、牛はそこらじゅうにウンコしていくし。 屋上ならばどうかというと、日差しサンサンといってもチベットなんかでは日差しはジリジリと肌を焦がすようでとても快適とは言い難い。 もちろん賢明な地元民は屋内で食います。
ある時北パキスタンでフランス人グループと一緒に夕食を摂ることになりました。室内で食うとばかり思っていたら、彼らは従業員にテーブル・椅子をベランダにセットするよう指示し食事もそこに運ばせました。 季節は春でしたが標高3000m位の所なので夜はかなり冷えます。 「そこまでして外で食いたいかー!」とブルブル震えながら食べました。 (オゴってもらったので文句は言えない)
余談ですが、この時のフランス人がすごい訛りの強い英語を話す人らで「バッチパッチ」がどーのこーの、と初めは何のことかよく分からなかったのですが、どうやらこれは「Back Pack」のことを言っているらしい、と推測できるようになりました。 「ch」=「チ」というんだな、と分かると他の意味不明だった単語も理解できるようになります。 インド人も訛りの強い英語を話し、「R」を全部読んでしまうので「Brother」=「ブラザル」、「Four」=「フォル」になります。 バングラでは「Lunch」=「ランス」、「Visa」=「ビシャ」。
余談の余談ですが「ザジズゼゾ」の発音を正確にできない国は結構多いようで「ジャジジュジェジョ」になってしまいます。 だから私の名前の「カズ」も「カジュ」に。 南アジア一帯では「カジュ」は「ナツメヤシ」を意味するようで覚えてもらいやすい。 で、ところ変わってアラビア語圏に入り自己紹介すると私の名前を聞いてクスクス笑う人がいるのです。 人の名を聞いておきながら笑うとは無礼千万な輩かな! と思ったのですが、どうやらアラビア語で「カジュ」は「ウンコ」のこと。 まあ確かにアメリカ人が 「ワタシノナマエハ『ウンコ・マクドナルド』デス」 などといったら笑えるわな。 名前がこうなんだから、私のコラムにウンコネタが多いのもこれで納得していただけたことでしょう。ラベル: インド, チベット, バングラデシュ, パキスタン, 中東, 旅行
.: posted by kazumoto 2:24 午後
火曜日, 10月 19, 2004
「海外危険情報」
9月初め、イラクでネパール人が誘拐・殺害されたことに対し、怒ったネパール国内のヒンズー教徒がイスラム教との店を襲撃。 大規模な暴動へと発展し、軍が出動。 1週間外出禁止令がしかれ、店はすべてシャッターを下ろし町はゴーストタウンに。 勝手にうろうろすると撃たれる、というおっそろしい事態にみまわれました。
危険情報として真っ先に思い浮かぶのは外務省の発表するものですが、彼らも神サマではないのでこのような偶発的な事態には対応できないのが痛いところ。 しかもそれがあんまり頼りにできないのは、何か起こった後に危険度があがるのですが、その時点ではすでに治安が強化され、逆に一番安全な状態だったり、とっくに沈静化しているのにいつまでも「危険」なままだったりすること。(以前のイスタンブールがそうだった)
外務省よりは期待できるのは、旅行者同士の情報交換ですが、これは思いっきり個人の主観が入ってしまうので本当は危ない所なのに運良く何もなく行けてしまった人は「全然大丈夫だよ」と言うでしょうし、平和な国のはずなのにスリに遭ったりすれば「泥棒だらけのヒドイ国だ!」と言うでしょう。 更に困るのは人ずての噂に尾ヒレどころか、胸ビレ腹ビレ背ビレフカヒレエイヒレとヒレが付きまくって たいしたことない話がとんでもない話になって聞こえてきたりすること。
やっぱり一番信用できるのは地元民のくれる情報ですね。 バラナシのホーリー(祭)は出歩くな!(殺される) バングラの夜行バスには乗るな!(バス強盗に遭う) などなど。 でもこれにも落とし穴があって、たいてい他民族同士は「あいつらは泥棒だ、ウソツキだ、誘拐犯だ」といがみあっているのに、第三者の立場ではどっちも正直でやさしい良い人達だったりするのです。
こうなると一体誰の話を信じてよいやら。 結局頼りになるのは、取捨選択できる自分自信の「勘」ということになるのでしょうか・・・ラベル: インド, ネパール, バングラデシュ, 旅行
.: posted by kazumoto 2:11 午後
日曜日, 7月 25, 2004
「インド人とカイラス山」
カイラス山は仏教・ボン教のチベット系宗教の聖地である以外に、ヒンズー教・ジャイナ教のインド・ネパール系宗教の聖地でもある。 よってカイラスに行くと、見慣れたモンゴロイドに混じって大勢のインド人・ネパール人巡礼ツアー客が来ている。 突然あの濃ーーい顔が多数出現するもんだから、それだけでマクー空間に引きずり込まれたような感じがする。
外国に来れるようなインド人だから当然彼らは金持ち。 インド人の金持ちと言えば、タイコ腹のおとっつぁん+サリーからブヨブヨ肉のはみ出たおっかさん+英語スクールに通う生意気なガキ、の3点セットに決まっているのだがやっぱりここでもそうだった。
で、もちろん彼らもコルラ(山を一周)する。 しかし「金持ち汗かかず」とインドの格言にある通り彼らは歩かないのである!(歩く人もいるけど) 行ける所までジープで行き、後は馬に乗り、荷物はポーターが運び、また車が来れる所で拾ってもらって帰る。 ズルイ!
さてここで問題です。 彼らの夕食メニューは何だったでしょう? 3.2.1.ピンポン!ピンポン! その通り、カレーです。 香辛料はわざわざインドから運んだんだってさ。ラベル: インド, チベット
.: posted by kazumoto 11:52 午後
「地雷」
西チベットでトイレがあったのはアリとサガだけ。 あとの町や村ではその辺で適当にする。 普通中国の村では肥料になったり野ブタが食べたりするので残らないが、西チベットではその過酷な環境のせいで農業は成り立たず、ブタも生きられないため、ブツはそのまんまとなる。
ある町でのこと。 やっぱり「その辺でしてこい」と言われたので建物の裏に回ってみたらビックリタマゲタ。 その数に驚いたのではない。 まず壁に沿って1mの等間隔でズラリ一列。 壁の端まで来ると1m前進し、先ほどのと正三角形の頂点の位置に配置されるようにズラリ。 それが27列続いていた(数えてみた)。 まるでダイヤモンドゲームの升目のようだ。 もちろん私もその隊列を乱さぬよう、正しい位置に地雷をセット。 このままのペースでいけば数年後には地平線の向こうまで達するんじゃないか、くらいの勢いである。
その地平線の先にはインドがある。 その町のあたりはアクサイチンと呼ばれる国境線の定まっていない地域なのでいつインド軍が攻めてきてもおかしくない。 しかしこの果てしなく広がる整然と並んだウンコを見たらビックリして逃げ帰るだろう。
戦わずして勝つ。 中国人民解放軍バンザイ!!ラベル: インド, チベット, 中国
.: posted by kazumoto 11:51 午後
木曜日, 3月 11, 2004
「お前のものは俺のもの」
パキスタンとインドは北部カシミール地方の領有権を巡り現在も対立しています。 中国も含めこの3国間の国境線ははっきりしないところが多いです。
パキスタン発行の地図ではインド側にグワーとせり出しているし、インド発行の地図ではパキスタン側にグワーとせり出しています。 中国発行の地図にはインド北東部に、シッキム(首都ガントク)という小さな独立国が見られます。(この問題は去年の中印首脳会談で解決したか?)
この手の状況はほかの地域にも見られ、例えばシリア発行の地図には「イスラエル」という国は存在しません。 そこには「パレスチナ」という国があるからです。
またトルコ発行の地図には、キプロスが南北2つの国に分かれています。 北キプロスはトルコのみが認める国です。 戦前の日本のみが認めた満州国と似たような状況でしょうか。 しかし実際行ってみましたが、そこは明らかに2つの国が存在し、南北間には鉄条網の国境がしかれ、行き来するにはパスポートに判子を押す出入国審査が必要です。 通貨も南北で違います。
そうだ、もっと身近にありました。 おそらくロシア発行の地図には北方四島はロシア領になっているのでしょう。
果たしてこの世界には、何通りの世界地図が存在するのでしょうね。ラベル: インド, パキスタン, 中東, 日本
.: posted by kazumoto 5:32 午後
水曜日, 3月 03, 2004
「文化の壁」
私の旅では、ある国に行ったらその国の文化風習に従うのが大原則である。 しかしたまに例外もあって、紙拭き文化の中国で水で洗っていたら変な目で見られた、というのは以前書いた。
そしてもう一つあった。 それはインド・バングラデシュにおける座りション文化である。 一度試しにやってみたのだが、長年の癖でしゃがんでしまうとウンコをしてしまいそうになるのだ。 これはアセった。
しかしこの座りションもこの国の文化に合っているのだ。 男でも足首まである長い巻きスカート(ルンギ)をはくので、立ちションしようとすると、ガバッとたくし上げなければならず、座ってチョロチョロやった方が都合がいいようだ。
ちなみにズボンの人も座りションする。 ズボンを脱いじゃうわけではなくてチャックだけ開けてする。
また便所には座りション用便器まである。 便器といってもただ足置き用のブロックが2個あるだけで穴はない。 前方に溝がある。
お隣ビルマでは男女共にルンギ着ていて、男は同じように座りションだが、何と女性は立ちションである。 道端で難しい顔してジッと立っている人は、もよおし中か考え中である。 もちろん足元やすそはビショビショになるが一日に何度もルンギつけたまま水浴びしているので問題無いらしい。
いやはや、所変われば、ですね。ラベル: インド, バングラデシュ, ビルマ
.: posted by kazumoto 8:31 午後
木曜日, 2月 26, 2004
「インドに向かいし者たちへ」
インドのデリーは世界最悪である。 ちなみに2位はモロッコのタンジェである。
何事もなくデリーを脱出できたらインド旅行の危険の90%は回避できたといってよい。 以前デリーの騙し屋と話したことがあって、面白いネタをいろいろ聞いたので一部を紹介しよう。
彼らは非常によく人を見て選んでいる、ということである。 いかにも長期旅行者風は相手にしない。 まずワナにかからないし、たいした金も持っていないから。 彼らが狙うのはピカピカのバックパックを背負った(←ここがポイント)1人か2人組(3人以上は警戒心が強くなり駄目らしい)、男女は関係ない。 そして3月が一年のうちで一番の稼ぎ時である(学生の春休みシーズン)。 この1ヶ月がんばって働けば(騙せば)、残りの11ヶ月は充分遊んで暮らせるそうである。
まもなくその3月。 いまやインド中のワルがデリーに集結していることだろう。 そして今年も多くの日本人旅行者が彼らのエジキに…ラベル: インド
.: posted by kazumoto 8:16 午後
「バングラデシュ・インド比較概論第一(2回目)」
インドにはさまざまな手段を使って旅行者から金を騙し取ろうとする奴が大勢いる。 (ズドンと一発とかボコボコにして力づくで、とかはあまり聞かないが)
中でも最も注意すべきは巧みな日本語使いである。 旅の上級者はその辺よく知っているので相手にしないが、インド初心者にとっては、困っているところにサッと現れ親切に助けてくれるのでコロリと騙され、後でドカンと持っていかれてしまう。
対してバングラデシュ。 実はこちらにも大勢の達者な日本語使いがいる。 町を歩いていると結構頻繁に日本語で話しかけられる。 しかし警戒する必要はない。 彼らは以前日本に出稼ぎで働いたことのある人たちで日本人を見て懐かしがって話しかけているだけなのだ。
昔はバングラ人は簡単に3ヶ月のツーリストビザがもらえた。 しかし来日しても3ヶ月で帰るはずがなく、多くは10年とか15年とか不法滞在して働き、最後に警察に捕まって強制送還される。 そのあまりの多さに大使館は個人の申請ではビザを出さなくなった。 (↑これは聞いた話です。詳細は違うかも)
時々小さな村の中に豪華な家が建っていたりする。 それは「日本ハウス」と呼ばれる出稼ぎ組の家なのだ。 当然それを見ている他の人らも日本に行きたがる。 だが決してビザは下りない。 お前の力で何とかしてくれ、と私に頼んでくる。 しかし悲しいかな、私は何の力も持たないただの旅人。 それは難しい、と諭してもなかなかわかってもらえない。
バングラデシュ人の親切にいつもあやかりながらこういうところではまったく力になってあげられない… 己の無力さを痛感する。ラベル: インド, バングラデシュ
.: posted by kazumoto 8:14 午後
土曜日, 2月 21, 2004
「バングラデシュ・インド比較概論第一(5回出席で2単位)」
バングラデシュとインドの違いは何か?と考えたとき、ほとんど変わらない、と思ってさしつかえない。 言葉・食事・衣服・乗り物・宗教などなど細かい点に違いは見られるが、大方はよく似ている。
しかし私は長期にわたる現地調査の末、ある一つの決定的な違いを発見した。 それは「ノープロブレム」の使い方である。 まずは例を見てみよう。
インドの場合…
・バスに乗っていたらトラブル発生、修理が始まる。 私「いったいいつになったら出発できるんだい?」 運ちゃん「ノープロブレム」
・町を歩いていたらリキシャに足を踏まれた。 私「痛い痛い!」 リキシャ引き「ノープロブレム」
対してバングラデシュの場合…
・宿の部屋を案内してもらう。文句なし。 宿ボーイ「Anyプロブレム?」 私「ノープロブレム」
・食堂で頼んだものが並べられた。 食堂ボーイ「Anyプロブレム?」 私「ノープロブレム」
これらから見て分かるように、インドでは明らかに問題があるときにそれをはぐらかすために現地人がよく「ノープロブレム」を使う。 対してバングラデシュでは明らかに問題がないのにわざわざ気を遣ってくれたことに対し旅行者が「ノープロブレム」を使うのだ。
これこそ両国の決定的な違いである。ラベル: インド, バングラデシュ
.: posted by kazumoto 1:58 午前
木曜日, 1月 29, 2004
「タイにはあってインドにはないもの」
バンコクで夕暮れ時になると公園に大勢の人がやって来て ジョギングしたり、サイクリングしたり、セパタクローしたり、 エアロビクス(!)したりしています。 日本でもジムなどで頑張っている人が沢山いますが、 よく考えてみれば、せっかく得たカロリーを自ら苦労して消費するなんて、 なんて無駄な事なんでしょう!! インドでは見たことない!
もちろんインドでも上流階級の人はカロリー過多ですが 大抵なすがまま、ブヨブヨに太っています。 それが金持ちの証でもあるわけです。
あとタイにはあってインドにはないもの、それはペットフード。 スーパーの棚にずらり並ぶ「猫まっしぐら」。 富める国ならでは、ですね。
国によっては犬・猫自体が食われてしまうというのに・・・ラベル: インド, タイ
.: posted by kazumoto 10:21 午後
月曜日, 12月 01, 2003
「分別回収」
インドなんかだと家庭から出るゴミはガラスでも金属でも生ゴミでも全部一緒くたにして路地のゴミ捨て場にドバーと捨てている。 分別する、なんて面倒臭いこと一切無し。 日本だってちょっと前までは似たようなもんなんだからインドくらいなら当たり前だろ、なんてインドを見くびってはいけない。 インドこそ完璧なリサイクル国家なのだ。
そのゴミ捨て場をしばらく注目してみよう。 やがて大きな袋を担いだちょっと身なりの汚い方々が、ガラスならガラスだけを、ペットボトルならペットボトルだけをそこから拾ってゆくのだ。 生ゴミはノラ牛が食べてしまう。 そしていつしかそのゴミの山は跡形もなくなってしまう。
こうして集められたペットボトルには水道水を詰めて「ミネラルウォーターだよ!」といって外人に売ってしまう。 エコロジー先進国インドなり。ラベル: インド
.: posted by kazumoto 2:39 午後
水曜日, 10月 08, 2003
「インド人とは」
本で読んだ話で恐縮ですが・・・
かなり昔、インドのデリー空港で日航機が事故を起こし多数のインド人が死亡。 その時滑走路にいたインド人も巻き込まれ一人死んだ。
日航側は保証金として全員に一律30万円を払うことを決めた。 するとインド政府からクレームがついた。 その内容はなんと、、
「一人30万円は多すぎる! そんなに払ったら、以後滑走路にインド人が殺到してしまう! 半額にしてくれ。」
ウソのようなホントの話です。ラベル: インド
.: posted by kazumoto 10:25 午後
金曜日, 9月 12, 2003
「人口爆発大国PART2」
ご存知の通り現在中国では一人っ子政策実施中。 といっても誰も彼もが子供は一人!というわけじゃなくて省ごとにルールが違います。 厳格に「一人だけ」と決まっているのは東海岸を中心とした都市周辺。 人手を必要とする農家や少数民族には適用されません。
またこの定めは何十項目にもわたる長い規則で、それがかかれた大判のポスターが人の集まるところ(食堂など)に張ってあります。 読んでみると「結婚は男23歳以上女20歳以上」とか「もし第一子が障害者だった場合4年後以降に第二子をもうけてよい」とか。
それでいてもやはりできてしまうと巨額の罰金を払わなければならないので戸籍のない子供がたくさんいるらしい。 そういう子はもちろん学校には行けません。 中国の人口は公称12億、実際は15億人とか。
インドも人口は増加の一途をたどっています。 政府は産児制限を呼びかけているけど強制力がないので,そんなの俺の知ったことか!とみんなポコポコ産んでしまいます。 ヒンズー教徒に聞くと「イスラム教の奴らが嫁を何人ももらって10人も20人も子供を産むから悪いんだ!」と言います。 人口で劣るムスリムが挽回しようと頑張っているんですかねえ。
現在人口10億のインド、このままだと50年後には20億人に達するとか。
トルコでのこと。 子供が10人いる家に居候していました。 その家は農家ではなく人手を必要としているわけでもないし、お金持ちというわけでもないので「10人もいたらお金がかかって大変ではないのか?」と聞くと「たくさん子供を作って、その中に一人でも優秀な人間ができればそれで家族全員を養うことができるからそれでいいのだ!」と・・・
「下手な鉄砲・・・」の原理ですね。ラベル: インド, 中国, 中東
.: posted by kazumoto 1:34 午後
水曜日, 6月 11, 2003
「マイノリティ」
インドにおける宗教人口割合は、ヒンズー73%、イスラム15%ぐらい。 バングラにおいてはそれがほぼ逆転し、イスラム88%、ヒンズー10%。
インドにおいては宗教マイノリティーであるイスラム教徒たちは、男はみなトルコ帽にムスリムスーツ、女は顔まで覆う真っ黒なチャドルを着ている。 しかしバングラにおいてはムスリムでもその格好をしているのは少数派で、男は洋服だし女はサリーを着ている。 やはりマイノリティーたちは自分たちのアイデンティティを誇示するためにそうせねばならないのだろうか。 乾燥しているならまだしも、蒸し暑いカルカッタにおいてはさすがにつらいのか、顔の覆いだけは外している女性が多かった。 やっぱり暑いんだろう。
この点は中国において大多数の漢民族が洋服なのに、少数民族は普段から民族衣装を着ている、というのも同じ理由なのかも。ラベル: インド, バングラデシュ, 中国
.: posted by kazumoto 5:54 午後
「文化の境界」
インドにおいてうなずきの仕草は首を横に振ります。 バングラデシュ人は縦に振ったり横に振ったりとあいまい。 お隣のビルマではどうかな? もし縦振りだったらバングラデシュが境界ということになりますね。
他の例として5本の指先をくっつけて手をすぼめる形はエジプト・ヨルダンあたりでは「止まれ」を意味するのですが、トルコにおいては「ベリーグッド!」を意味するのです。 間のシリア北部の人たちは両方の意味で使っていてややこしかった。
また中国において「ありがとう」の言葉は、 普通話では「謝謝(シェイシェイ)」、 広東話では「多謝(ドーチェ)」。 ちょうどその境界あたりの山間の村では「ドーシェイ」と言っていました。
こうなるとサリー着用の境界、手掴み食いの境界、尻水洗いの境界も気になるところですね。ラベル: インド, バングラデシュ, 中国, 中東
.: posted by kazumoto 5:53 午後
「ものすごいドナドナ」
インド・カルカッタに着いたときにまず不思議に思ったことは牛が全く見当たらないこと。 私が歩いて見た限りではなく、他のツーリストに聞いてもやっぱり見たことない、と言うのです。 他の土地では必ずどこに行ってもいて、インドの風景に溶け合っていたのでカルカッタは何かインドのようでインドでない感じ。
考えられる理由としては・・・ 1。町の近代化、交通渋滞防止のために政府が駆除(?)した。 2。牛肉OKのイスラム教徒が食べてしまった。 3。たくさんいる乞食の方々が背に腹は変えられず食べてしまった。 4。宇宙人に拉致された。
結局なぞは解けぬままバングラデシュに来てしまったのですが、あるバングラ人がこう言っていました。 「バングラデシュは食用としてインドから牛を輸入している」
1億4千万人のムスリムバングラ人の胃袋を満たすためバングラデシュから目と鼻の先にあるカルカッタから大量の牛が輸出されてしまったため消えてしまった・・・ 考えられなくもないですね。
インドでは過保護にされ、八百屋の商品をのうのうと盗み食いしたりしている牛たちも、うかうかしてたらバングラ人に食べられちゃうぞ〜!ラベル: インド, バングラデシュ
.: posted by kazumoto 5:52 午後
土曜日, 5月 24, 2003
「イケニエ」
カルカッタにカーリー寺院という寺があります。 ここでは毎朝カーリー神への生け贄としてヤギの首がはねられます。 もがくヤギの首を押さえつけ巨大なナタでスパン! 首が落ちるとそのままグデッとなるかと思ったら、ヤギは結構しぶとく30秒ほど足をバタバタさせもがくのです。 その足がさっきまでついていた自分の頭を蹴っ飛ばし、間近で見ていた私の足元へコロコロと転がって来たからビックリ!! ヤギさんと目が合ってしまいました。 おお神よ!!ラベル: インド
.: posted by kazumoto 3:01 午後
「ある日・・・」
ついにここを去る日が来ました。 いつもはただ過ぎてゆく時間が、今日は一分一分がその時までのカウントダウンのようで貴重に感じられます。 「明日からは子供たちの『カジュー!カジュー!(私のこと)』という声がなくなって静かになっちゃうね。」 そう言われるとますます寂しさ募ります。
5ヶ月過ごした部屋を整理していると、次々と家族の人がやって来て、旅の安全を祈って、と首・腕・指にいろいろなお守りをいただきました。 せっかく荷物を少しでも軽く、と思っていたのにすげー重い壁絵などももらってしまって嬉しいやら困るやら・・
出発の時間は刻々と迫って来ます。 みんななぜか無言。 言わねばならない、でも言いたくない・・・。 よし、あの秒針が12の所を指したら言おう、思わず顔を伏せてしまいました。 この顔を上げなければ秒針はもう一回り猶予を与えてくれる・・・ しかし顔を上げるとちょうど針は12の所を指していたのでした。 「じゃあ、もう出発するよ。」
玄関まで総勢20人以上の家族全員が見送ってくれました。 一人一人と握手し別れの挨拶。 みんな複雑な表情。 こっちも思わずジーンと来てしまいます。 すると中の一人が言いました。 「またきっと戻ってくるんだよ!」
そうだ、私はまたここに戻ってくるんだ。 メソメソなんかしてられない! 込み上げてくる熱いものをグッとこらえて笑顔に戻って言いました。 「また、会いましょう!!」
バラナシの、ある暑い日の出来事です。ラベル: インド
.: posted by kazumoto 2:59 午後
火曜日, 5月 06, 2003
「モンキーマジック」
バラナシには猿がいっぱいいます。 しかも結構狂暴で洗濯物を持っていってビリビリに引き裂いたり、家の中にも堂々と入ってきて物を奪っていったり。 私がベランダの扉をあけたままにして寝ていても勝手に入ってきてお菓子や果物を何度か盗られました。 被害総額はかなりなもんです。 地元の人もほとほと手を焼いているようで棒を振りかざして追い払っている姿をよく見かけます。
そんなんでも決して退治したりはしない。 なぜならヒンズー教には「ハヌマーン」という猿の神様がいるからです。 先日道に猿の死体が転がっていました。 みんなでお線香を立て、供養してました。
牛といい猿といい、えらいもんを神にしてしまったもんですね。 でも逆に考えれば、この程度ですんでよかったのかも。 ハエ・蚊まで神様だったら、それこそ「生類あわれみの令」状態ですからね。ラベル: インド
.: posted by kazumoto 10:44 午後
日曜日, 5月 04, 2003
「超犯罪都市」
人通りの少ない路地裏を歩いていた時のこと。 一人の男が話し掛けてきた。
「私はガイドではなくただあなたと話がしたい。」 典型的なガイド勧誘パターンなのでムゲなく断るとその男はアッサリと引き下がっていった。 妙に弱気だな?と不思議に思って再び歩き出したその直後にまた別の男が寄ってきて話し掛けてきた。
「俺はポリスだ。お前は今アイツと何を話していたのだ? お前をボディチェックする必要がある!」 その男はどう見ても普通のそこら辺にいるインド人オッサンだったので、こりゃニセ者だな、とすぐピンと来た。
「だったらポリスの証明書を見せてくれよ。」 「い、いや、今はないが私はポリスである!」 「だったらこんな路地裏じゃなくてポリスステーションでならボディーチェックを受けますよ」 そう言って逆にオッサンの腕をつかんで大通りの方へ引きずり出そうとしたら腕を振り払って逃げていった。
ニセポリスに逢ったのはこれで2度目だ。 1度目はトルコのイスタンブールでのこと。 道を歩いていたら横に車が停まって、中の男が 「私はポリスだ。ボディチェックする!」ときた。 「手帳を見せろ」というと、その男はちゃんと手帳を持っていた。 でもその手帳の表紙にはトルコ語で「POLIS」と書くところ、ワザワザ英語で「POLICE」と書いてあったオモチャの様な手帳だったので素早くその手帳を奪って道の向こうに放り投げてダッシュで逃げた。
長らくこの町に居たせいで、やや危険に対する警戒が薄れていたところだったので気を引き締め直す丁度いいきっかけになりました。ラベル: インド, 中東
.: posted by kazumoto 2:50 午後
金曜日, 4月 25, 2003
「流行モノ」
今バラナシでは風疹が流行っています。 どれくらい流行っているかというと、なっていない子は学校でいじめられたり、親に「みんな風疹にかかっているから僕もかかりたい!」と言うと「どうせ2〜3人だけなんでしょ!」といわれるくらい流行っています。
卵や肉から伝染すると考えられているようで(真偽は知らない)私がゆで卵を食べていると怖がって誰も近寄らず、間違って私や私の物に触れてしまった子は体から服から全て石鹸でゴシゴシ洗わなくてはならなくなります。 だから親連中から「しばらく卵は食べないでちょうだい!」と怒られてしまいました。
夜な夜な町のあちこちからは、チャンチャカ鐘の音にあわせて家族の唱えるお経の声が聞こえてきます。 祝詞によって病気を封じようというまじないなのです。ラベル: インド
.: posted by kazumoto 3:51 午後
日曜日, 4月 13, 2003
「それゆけスキンヘッダーズ!」
先日宿の一家のおじいさんが亡くなりました。 計らずもインドのお葬式に参加することとなり、大変不謹慎かもしれませんがその模様をレポートさせていただきます。
それは自宅で寝込んでいたおじいさんの元へ毎日回診にやってくる医者の一言から始まりました。 「おそらくもってあと1〜2日でしょう・・」
すぐにその場に呼ばれてやって来たのはブラーミン(高僧)と子牛。 幾束かの花輪をおじいさんに握らせ、それを子牛の首へ。 お経を唱えてブラーミンと子牛は帰ってゆきました。
そして医者の診断正しくおじいさんは2日後に息を引き取りました。 玄関に寝かせられた遺体の元に、親戚・友人・近所の人などが次々とやって来て最後のお別れをします。 数時間のあと、服を脱がされ体全体に油を塗りたくられ、三重の布にくるまれ竹で編んだ担架に乗せられます。 そこへ家族友人から山のように花輪をかけられ、いよいよガンガー沿いの火葬場に出発です。 原則的に火葬場に行けるのは男性のみ。 女性・子供は家に残ってオイオイ泣き続けるのです。
火葬中は沸騰した脳みその湯気が耳の穴から吹き出してびっくりするなど、興味深いこともあるのですが 火葬の様子は世にゴマンとあるインド旅行記に詳しく記されているのでここでは省略。
男達が火葬場に行っている間に女たちは家の中を水で洗い流し、服は全て替え洗濯、体を洗って清めておきます。
火葬から帰って来た男達は家に入る前に口をゆすぎ、小さな甘いお菓子を食べます。 でも食べる前にひとかけらをとっておじいさんに捧げる皿に盛ってゆきます。 この盛られたお菓子は牛に食べさせることでおじいさんへの贈り物となるのです。
男達も家に帰るとすぐに服をかえ、体を清めます。 そしてその日は食事抜き。 これが死んだ当日丸一日かけて行われる出来事です。
そして死後10日間は喪に服す期間。 この間は毎朝男達はガンガーに沐浴に行きます。 女性は7日目のみ。 食事は一日一回でスパイス抜きの質素なメニュー。 ここでも毎食少しずつおじいさんに捧げる分を集め牛に与えるのです。
10日目、この日は全員でガンガーへ。 男達はここで全員頭を剃りあげます。 つるつるの頭になったところで男女揃って沐浴。 12日目にはおじいさんも含めた御先祖様全員に捧げる祈りの儀式。 17日目にはお世話になった人へのお礼の意味を込めた大食事会。
その後も1ヶ月・半年・一年後に大きな儀式が続くそうです。
私は最初から最後まで家族と同様に儀式に参加しました。 というわけで私もスキンヘッドになったのです。 今はちょっと伸びてカツオ君状態です。
ここの儀式の面倒くささ・長さは並みでなく、僧への御布施、火葬代、食事会代など合わせると10万円近くかかり(インドでは超大金!)家族にとっては大変な負担となるわけですが、家族を何よりも大切にし、 「死」や「生まれ変わり」に関して独特の考え方を持つインド人にとっては、この葬式というイベントは 何よりも大切なイベントであるのだなあ、と感じさせられました。ラベル: インド
.: posted by kazumoto 1:44 午後
水曜日, 4月 09, 2003
「人生の節目」
人生の節目となる大イベントといえば結婚。 ここバラナシでその結婚式に参列させてもらうことができました。 一言で結婚式といっても数日にわたり数々の儀式・イベントがあるわけですが、その内の私が参加したのは、花婿が花嫁の家へ白馬に乗ってお迎えに上がる、といったくだり。 笑っちゃ駄目だよ、当人はいたって真剣だよ、というわけではじまりはじまり。
まず招待を受けた一家はピカピカのドレスに着替えます。 顔には白い粉を塗ります。 (肌は白い方が良い、という見方があるようです。そんなこと思わなくてもいいのに・・・) それを塗るとツヤを失い血の気のひいたような顔色になるので式場はゾンビの集会みたいでちょっと不気味です。
親達は「式に呼ばれるとお金ばっかかかって仕方ないわ」とブツブツ文句をたれながら御祝儀を包みます。 (ヒンズーのしきたりでは、めでたい時は101、201ルピーのように末が「1」の数を。逆に香典は「0」になる額を包む。)
会場に着くと振る舞われる菓子・タバコ・料理(酒はない)などをパクつきながらダベっています。 いったいいつになったら始まりやがるんだい!とイライラが頂点に達するころ、やっと白馬に乗ってギラギラに着飾った王子様の登場! しかしすぐ王女様と対面、というわけではなくまずは町内にお披露目のパレード。
パレード隊がこれまた派手で、まず先頭には轟音立てる発電機(人力で運ぶ)。 その電気は続く電飾隊(頭上にネオンランプを乗せて歩く)20人へ。 更に続くはタイコ・トランペットなどの楽器隊10人。 そしてその音楽に合わせ踊り狂う人(ラリっている)数十名。 やっと最後尾に白馬の王子様。
この一隊が1時間くらいかけて町内を巡るのです。 所々で止まって撮影会があったり、御祝儀の小銭をふりかけられたり。 小銭がばらまかれると、そこへウワーっとガキや乞食が群がってすごいことになります。 当然交通渋滞がおこるが我関せず。
やっとのこさ戻ってきた頃には既に王子様は疲れきっているけどやっとこれからが本番です。 王子様は玉座に座らされ、王女様の登場を待ちます。 またここでもじらせるだけじらせて、やがて家の奥からすっぽりベールに顔を覆い隠された王女様が シズシズと登場。 王子様は立ちあがり王女様を迎えます。 王子様は王女様のベールをめくり首に花輪をかけると周囲から「おめでとう!」の声。
ここでやっと2人並んで席に着くんだけどここからがまた長い。 あとはひたすら招待客との記念撮影。 ニコニコ笑っているのは後ろの取り巻きばかりで、本人等はぐったり疲れきっちゃった表情が印象的でした。
その晩王子様は王女様の家で初めて一緒の夜を過ごすわけです。 これまでの人生、溜めに溜めたエネルギーをドカン!と爆発させ、摩擦熱で周囲の気温が2度上昇しそうだけど、あの疲れ切った顔で大丈夫かねえ、などと要らん心配をしながらわれらは家路に就くのでした。
当人よりも周りの方が盛り上がり、やたらと金のかかるのはどの国も同じなようで・・・
====================== ところで今私はスキンヘッドです。 なぜ突然丸めてしまったか? については次回、インドで冠婚葬祭編PART2 「それゆけスキンヘッダーズ!」にて!ラベル: インド
.: posted by kazumoto 3:34 午後
「教育ママ」
勉強させたい親と何とかその手から逃げようとする子の戦いはどの国も同じようです。 この宿の親子もしかり。 先日は体操までさせてました。 片足立ちバランストレーニングの次は、手を頭の後ろで組んでひざをピョコピョコ。 スクワットです。 しかしただのスクワットではありません。 これこそ正真正銘、本家本元のヒンズースクワット! それに気がついた時ガンガーで100回くらい沐浴したくなるようなすがすがしさを覚えました。
以前マルタ島でノラ犬(多分雑種)を見た時、これぞ本物のマルチーズ!と驚き、地中海を50m位素潜りしたくなった気分と似ています。ラベル: インド
.: posted by kazumoto 2:59 午後
水曜日, 4月 02, 2003
「マッサージ!」
宿のオヤジに「肩がこっている」という話をしたらオイルマッサージを呼んでくれることになった。 いわゆる「出張個室マッサージ」である。 この魅惑の響きに、思わず期待にコカンを膨らませ待っているとやって来たのは普通のジイさんだった。 しかしさすが熟練の腕前、何度も昇天しそうになるのをこらえながら快楽のひととき。 ただ私は普段から体を洗うとき石鹸を塗って流すだけでゴシゴシやらないので、オイルマッサージなのに垢がボロボロ出て来てジイさんは不思議顔。
そういえば以前韓国で本物のあかすりに行ったときもあまりに大量の垢に 「日本民族はこんなに垢が出るものなのか!?」 とアカスリオヤジに驚かれてしまった。 その時のあかすりは観光あかすりではなく、普通の銭湯あかすりだったからなのかもしれないが、客もオヤジも完全全裸でベッドで横向きにされたときは目の前にオヤジの自家製粗びきフランクがブラブラしており 大変素敵な気分になったことを思い出した。
さてタップリ1時間、頭のてっぺんから足の先までみっちりマッサージしてもらって130円ポッキリ。 チップを弾めばジイさんの歯抜けの口でエキストラサービス・・・ なんてことは微塵も考えず、すっきりした体で今日もカレーがうまいのだ!!ラベル: インド, 韓国
.: posted by kazumoto 3:34 午後
「駅前留学」
宿の家庭の子供たちは幼い頃から外国人が常に周りにいるせいで皆大人顔負けの達者な英語を操る。 インドの小学校は1年生から英語の授業があり、先日そのテストの結果が返ってきたのだが、一番巧みに英語を話す小3の少年の成績はなんと3点(75点満点)! 母親からも「この子は英語が駄目だから教えてやってくれ」と言われるが何を教えられようか。
耳で覚える英語と教科書で覚える英語は全く別物であるのですねえ。 教科書英語が実に使えないのは世界共通なのか?? 頑張れ!文部省!!ラベル: インド
.: posted by kazumoto 3:34 午後
「バラナシでホーリー」
3月17.18日はホーリーという大きな祭りでした。 これは春の到来と豊穣を祝い、色水色粉を掛け合う祭りです。 貧富・カーストの差無く、この日は無礼講でインド中が盛り上がります。
ただしここバラナシにおいては(他の町がどうかは知らない)この無礼講の度が過ぎて、夜通し酒をのみ泥酔し(インド人は普段酒飲まないので弱い)、その勢いでインド人同士でも暴行・殺人・レイプなどが起こってしまうらしいです。(今年も外国人を含め何人か死んだそうです) 略奪を恐れ店は全て閉店。 そんな中外国人が出歩こうものなら格好のターゲットとなってしまうため宿からは終日完全外出禁止。 前日のうちに食糧を買い込んでおきます。 祭りというより、テロか暴動でも起こったかのよう。 それを恐れ前日までに多くの旅行者は次々とバラナシを脱出していきました。
インドの祭りでは、他にも町を行く山車に自ら下敷きとなり身を捧げたり、沐浴祭で押し寄せる人波に逆らうことなくガンジス川に流され至福のまま溺死したり・・・と命懸けで参加するものであり、外国人がカメラを構えのんきに見物できる雰囲気がまるでない。
というわけで結論。 インドを旅する時は祭りを外したスケジュールを組むべし。 以上。ラベル: インド
.: posted by kazumoto 3:32 午後
「トラ!トラ!トラ!」
いよいよ戦争が始まってしまったようですね。 もちろんここインドでもテレビや新聞では連日のように報道されています。 しかし私の今いる家のテレビはいつもインド映画や子供アニメにチャンネルが合わされていることもあり、詳しいことはよく知りません。 町の雰囲気も、所詮は対岸の火事といったところで目立った変化はなくいつも通りの生活です。
しかしパキスタンのことになると話は別。 小学生のチビですら「パキスタン」には敏感に反応します。 先日クリケットW杯でこの宿敵同士の一戦があって、結局インドが勝ったのですが、勝利が決った瞬間バラナシの町じゅうから花火があがりまくりました。
また世界的にはあまり知られていない事実ですが、インドは世界有数の地雷埋設国です。 その地雷は踏むとズルッと滑ります。 そして周りの子供に笑われ、精神的ショックで死に至るという恐るべき兵器です。 いくら除去してもすぐに新しい地雷がセットされてしまうため国連も頭を抱えているそうです。ラベル: インド
.: posted by kazumoto 3:27 午後
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