三輪さんのアジア〜チベット自転車放浪記
-Bicyle wondering around Asia & Tibet by Kazumoto MIWA-

VOL.3 インド亜大陸放浪編

この日記は、三輪さんから送られてくるhotmailをもとに不定期にUPしています

注意!*3月14日以降の日記は、下記に移動しました
http://homepage1.nifty.com/kunori/weblog2/miwablog.html
上記HPでは、
インド日記を、自分でリアルタイムで
書き込むBLOG形式にしました。さて、これで、リアルタイムの
三輪コラムを読むことができます!

お詫び:このHPでは三輪さんからのメールを転記してお伝えしてましたが、
一部の読者の方が、12月3日以来更新がないことで不安になる旨のメールを
いただきました。「知らせのないのはいい証拠」は過去の話で、インターネット
時代の“情報”の扱い方の違いを理解しました。

「こんにちは、三輪です。
今日も元気に静養しています。
メール、ネパール以降のものもHPの方にアップしてもらえないでしょうか?
最近のは「放浪記」ではなくすっかり「沈没記」になってしまっていますが。
「HPが更新されていない。死んだのか?」
の噂が飛び交っています。
お忙しい中申し訳ありませんがよろしくお願いいたします。」
2003年3月14日

ということで、インド亜大陸放浪編として再びスタートです!


2002年12月6日 ポカラより

現在ポカラにいます。

カトマンズから200km、2日で来てしまいました。
やっぱり舗装路は楽でいいですね。
マチャプチャレやアンナプルナ連峰がとても綺麗に見えます。

ポカラはネット代が異様に高いです。
カトマンズが1時間30円くらいなのに
ここでは1時間150円くらいします。

というわけでこのへんで。

12月21日 季節は回る

拝啓

日本ではもう本格的な冬でしょうね。
私が日本を発ってから半年が経ちました。
6月に香港に来たときは夏至の頃で、北回帰線上近くにいたため
正午近くには影が無くなっていたというのに、
それがもうすぐ冬至とは。
季節の過ぎるのは本当に早いです。

私の場合は半年で季節が一回転しちゃいました。
この半年の季節の移り変わりはこう・・・

6月:とにかく蒸し暑い(広東省)
7月:蒸し暑い(貴州省)
8月:涼しい(雲南省)
9月:寒くて熱い(東チベット)
10月:寒くて涼しい(ラサ)
11月:寒すぎて寒い(ヒマラヤ越え)
12月上旬:暖かい(ネパール)
12月下旬:暑い(北インド)

多分この先・・
1月:熱い(中央インド)
2月:脳みそが沸騰するくらい熱い(南インド)

ネパールに下りてきてからというもの、夜蚊の襲撃に遭い眠れないことが
よくあります。インド産の蚊取り線香は蚊に優しく人に厳しいのでつらいです。
金鳥香取の煙が恋しい今日この頃です。

それでは皆様もお元気で。

敬具

12月21日
・インドよりナマステ!

ここはインドのバラナシです。
ヒンズー教の聖地でガンジス川で沐浴したり、
死体を焼いて灰を流したりするところです。
沢木耕太郎の「深夜特急」や、遠藤周作の「深い河」の
舞台になったところでもあります。

ポカラ以降毎日130kmくらい走ってきたので疲れました。
年越しはこのままここで迎えようと思っています。
聖なるガンジス川から昇る初日の出を見て再出発しようと思います。

・ヒマワリロード

中国生活で欠かせないのがヒマワリの種。
家の中、車の中、歩きながら、映画みながら。
食事中・会話中・喫煙中以外は常にパリポリやっています。
殻をはき捨てる快感もたまりませんね。

ところがネパールに入った途端、その週間は全く無くなりました。
何か口元が寂しいです。

以前トルコに行ったとき、トルコ人もそこら中でヒマワリを食いまくっていました。

このヒマワリ種食文化はいったいどれくらい世界に広まっているのでしょう?
皆さんの行ったことのある国ではどうでしたか?

・燃える闘魂

旅人の間では読み終えた本を交換してゆきます。
先日ポカラであった日本人と本を交換しました。
私の持っている読み終えた本の中からその日本人が真っ先に選んだものは・・
「アントニオ猪木自伝」でありました。
やはり彼も日本人の失われた精神、「燃える闘魂」を求めていたのでありました。
というかただのプロレスファンでした。

彼が読み終えたらきっとまた他の旅人の手にわたるでしょう。
こうやって本は我々もできない壮大な長い旅に出て行くのです。

馬鹿になれ、もっと馬鹿になれ。
いくぞー!
1、2、3、ダー!

・印度自転車旅行的感想

インドに入って300km、3日間だけの走行ですがこの間感じたこと。

ネパール南部からここバラナシにかけては大平原が広がっており全く山・坂無し。
上りもなければ下りもない。
曲がることもなければ、風景が変わることもない。
とにかく退屈。
暇なのでヒンディー語でも覚えながら行こうかな、と思うが、
道にノラ牛が寝そべっていたり、象がウロウロしてたり
(これは本当。家畜の象だけど)
するのでしっかり前を見てないとね。
それ以上に前から後ろからトラック・バスがすっ飛んでくるので更にコワイ。
追い越しをかける車が反対車線の路肩まで出てくるのはザラ。
でも想像していたよりはおとなしいかな〜。
(↑多分中国・ネパールを経て危険に関する感覚が麻痺している)

この道は幹線道だからか舗装状態は大変良く中国ネパール以上。
風もほとんど吹かないのでガンガン進めてしまう。
途中数キロおきに村が点在しており食事に困ることはない。
軽食・カレー・チャイなんでもあり。
カレーはもちろんお代わり無限なのでいつも腹一杯食った後に
更にもう一杯押し込んでいるので今は確実に胃拡張状態。
ちょっと食べたくらいでは全然腹の足しにならない。

道には人・自転車が溢れている。
その数は中国以上に感じる。
皆とてもフレンドリー。
手を振る人、ちょっと休んでいけ、という人。

こういう所で声かけてくれる人は9割9部9厘9毛好奇心で呼んでくれたよい人なので
無防備で飛び込んでいっても大丈夫。
でもバラナシなど観光地で親しげに声かけてくる人は9割がた
下心有りそうなので要注意!

今のところ宿に困ることは無し。
駅のある町なら駅前に必ず安宿がある。
田舎の方に行くとどうなのだろう?

都市の大気汚染は末期的にオワッテいる。
大量のトラック・三輪オートがいつも渋滞していて排ガスで目がシパシパする。
こりゃひどいなあ、と思ったカトマンズの大気が高原のさわやかな空気に感じてしま
う。

まだまだインド旅は始まったばかり。
これからもいろいろビックリさせられそうだ。

12月22日 バラなしより(ウイルス騒動)

>さて、ウイルスたくさん来ちゃいました?

多分ウイルスと思われるメールが沢山来てました。
もしかして発信元は私ですか?
そうでしたら大変申し訳ありませんでした。

私のようにフリーメールを使っているものが感染した場合、
そのネット屋のPCを使った人はすべて感染してしまうのでしょうか?
そうだとしたら恐るべき感染力ですね。
世界中にあっという間にひろまってしまうんでしょうね。
こわいです。

12月27日 

・幻の左ボディーブロー

バラナシにはノラ牛がたくさんいます。
細い路地裏はノラ牛だらけです。
先日その路地を歩いていると、ノラ牛が道をふさぐ形でごみを漁っていました。
スキをみて脇を通り抜けようとしたその時、
牛にしてみれば「ナンダコイツ?ジャマダナア。」位の気持ちだったのでしょう。
軽く首を振って私を小突きました。
そのツノが見事に私の脇腹レバー辺りにヒット、
体重差がものを言って私は吹っ飛ばされてしまいました。

これからは牛丼も焼き肉も控えます。
牛さんごめんなさい。

2003年1月4日 あけましておめでとうございます!

皆様あけましておめでとうございます!
本年もどうぞよろしくお願いいたします。

さて早速インドにおける年越しについてご報告いたしましょう。
2002年12月31日、大晦日のバラナシには冷たい雨が一日中降っていました。
寒くて外を出歩くこともできず、寝袋に入ってごろごろしていました。
現在私のいる宿はホテルと言うより、ホームステイに近い環境で、
ツーリストゾーンからも離れているのであたりはいつも静かです。

夕食は家族と一緒に食べることになり、「ズペシャルディナーだ」というので
期待していましたが、この家庭は皆ベジタリアンなので
イモカレーが豆カレーに変わっただけでした。

食後、20人近くいる家族のうちほとんどの人はさっさと寝てしまい、
私を含めた数人だけが起きていました。
時計が12時を指します。
すると「バンバンバン」と外で音がします。
屋上に上がると、街のあちこちからかわいい打ち上げ花火が
あがっているのが見えました。

起きていた家族と「ハッピーニューイヤー!」と挨拶をし、
年頃の娘たちはラジオから流れる音楽に合わせ、
セクシーインディアンダンスを披露してくれました。
私も調子に乗ってタコ踊りみたいなのを披露したら笑われました。
30分くらい騒いだところで皆寝に入りました。
静かに2003年が始まりました。

夜が明けそうです。
日の出前に早起きしてガンジス川から昇る初日の出を見に行きます。
夜中のときには星も見えたのに、朝になったらまた曇ってしまいました。
でも川岸に出るとたくさんのインド人が寒い中沐浴していました。
それを見に来る観光客と、それに群がるうるさいインド人もたくさん来ていました。


結局初日の出は見れずじまい。
街も平日と何ら変わりありません。
結局インドの年越しというのは、日付が変わる通過イベントみたいなもので
ヒンズー教にはもっとド派手な祭りがいっぱいあるし、
イスラム教には別の暦の新年があるし。
元旦も特に何もなくいつもどおりの生活になりました。

結論としては、インドで年越しするより
日本で年越しソバ食って、「猪木ボンバイエ」を見て、
初詣に行き、お雑煮を食べる方が楽しい、ような気がします。

1月13日 インドナルド

5年前インドを訪れたとき、デリーの最高級住宅街に
一件だけあったマクドナルドに行きました。
日本では貧乏メシのマックも、インドでは高級レストランと同等で、
入り口にはドアボーイ、食後も自分で捨てに行くような貧乏臭い事はしなくても
係が捨てに行ってくれます。
そこの目玉メニューは「マハラジャマック」。
一見形も大きさも普通のビッグマックと同じですが、
ここは牛を神の乗る動物とするヒンズー教の国。
牛肉は食しません。
肉は100%Pure Mutton。
食べると独特の臭みがあってマックにも限界があるなー、と感じました。
そのマハラジャマックを右手だけで器用につかんで食べている
インド人を見て感心したりもしました。

時は流れ5年後、今回もマクドナルドに行ってきました。
デリー市内にも新たに数件開店したようです。
近場の店に行ってみると、マトン100%のマハラジャマックはなくなっていました。
やっぱりまずいからでしょうか?
その代りチキンマハラジャマックがありました。
肉を使わないベジタリアン用メニューも充実していて
今回私はベジバーガーを食べました。
予想はしていたのですが、やっぱりただのカレーコロッケバーガーでした。

ちなみに最高級のマハラジャセットも日本円にすれば250円くらい。
なんだ安いじゃん、と思うなかれ。
そのお金を出せばお替わり無限のカレー定食が7回食べられます。
やっぱりマクドナルドは高級レストランでした。

1月16日 冬は寒いもの

現在北インドは40年ぶりというインド人もびっくりの
大寒波に襲われています。
ここ数日で今いる州だけでも数百人が死亡、
小中学校も無期限の学級閉鎖中で子供大喜び。
暖かいインドを想像して薄着で来てしまった旅行者も
こぞって体調を崩しています。
私も寒さを言い訳にしてなかなか出発できないでいたら
バラナシについて1ヶ月が経ってしまいました。
来週あたりそろそろ重い腰をあげようと思っています。

2月3日 腰が重い

バラナシで長居しすぎたためにハガネの肉体は再び鉛化し、
そう簡単には重い腰を上げることが出来ませんでした。
と言う訳でさらに2、3週ほどバラナシで筋トレしてから出発します。
自己最長沈没記録エジプトカイロの2ヶ月を抜くのも時間の問題。

2月7日
・入院してました

冒険塾の皆さんこんにちは。
三輪です。
お久しぶりです。
お元気ですか?
私は元気です、というのはうそで、
元気じゃなくなっちゃいました。
2月頭頃から原因不明の体調不良が続き、
10日くらいしたら体中がまっ黄色になりました。
肝炎です。
結局2週間入院し先日退院できましたが
しばらくの安静と食事療法は続きます。

ここ1ヶ月ほどほとんど寝たきりだったので
筋肉がすっかり無くなってしまいました。
ただでさえ厳しいインド生活の中で
どうやって体力回復させていこうか、考え中です。
とほほ。

・今いる宿のこと

バラナシの宿といえばガンジス川ぞいの川が見渡せる宿が一般的ですが、
私が1ヶ月半過ごしている宿はガンジス川やツーリストゾーンから
やや離れた所にひっそりとある小さな宿です。
3世帯同居の20人以上いる大家族の中で、客は多くてもせいぜい5人くらいで
宿というよりは間借りといった風。
だから一般インド人の生活をそのまま体験できます。
寝起き食事から頻繁にある祭りごとまで家族と一緒に参加させてもらっています。
だから気分は客というより家族に混ぜてもらっている感じ。
チベットラサにいるときもチベット家庭に混ぜてもらって
色々貴重な体験をさせてもらいましたが、あの時は正真正銘の居候だったので
やっぱりちょっと引け目負い目のようなものがあったのですが、
今は宿代は収めている身なので(といっても1泊100円くらいですが)
その辺も気にすることがありません。

外に出るとウジャウジャうるさいのが寄ってきて疲れてしまうので
近所のお店にお菓子を買いに行く以外は一日の大半は家にいて
朝から晩まで10人以上いる子供たちと遊んでいます。
これだけ長居しても全く飽きることなく楽しませてもらっています。

・日本VSインド

最近突発的な下痢に見舞われることがある。
何が原因かはよく分らないが、なんとなく「水」のような気もする。
人によっては歯磨きまでもミネラルウォーターを使うけど
私は飲み食いに関しては全く無頓着で、
ネズミがチョロチョロ走りまわっているいかにも汚い屋台の怪しげな
食べ物も気にせず食べちゃうし、水道の水や汲み置きの水も
平気で飲んじゃう。
で、よくわからず下痢になるのでセイロガンを飲むのだけど
それも水道水で飲むので、治っても薬の効果なのか、
自然治癒なのかもよくわからない。

食事等は問題ないとして、セイロガンをインドの水で飲み続けた人は
果たして下痢になるか、ならざるか!!
日本の伝統薬vsインドの自然の勝負やいかに?!

ちなみに「ワニの腕立て」と「カメの腹筋」並みに
「インドで便秘」は「無理だ!!」

・足

インド人の多くは靴をはかない。(上流階級は知らない)
裸足かビーサンである。
そういう人の足の指は見事にまっすぐだ。
ヒンディー語の辞書に「外反母趾」の文字はないとみた。

以前砂漠の民で今まで靴・サンダルのたぐいを履いたことがない、
という人に会った。
その人の足の裏は見事に角質化していた。
いや、それは通り越して岩みたいだった。
足自体が靴と化していた。

今まで色んなすごい人を見てきた。
山のような荷物をボロ自転車で運ぶ中国人、
希薄な空気の中を元気に走り回るチベット人、
ボロビーサンで荷揚げするネパール人ポーター、
歯でビンのふたを開けるエジプト人(←これは違うか)。
そういう人らに比べ、自分を含め「先進国」といわれる国の人々の
何と貧弱なことか。
何をもってして「先進」なのか?
「先進」どころか人間としては「退化」しきってしまっている。

これではいかん、と修行のため裸足で買い物に出てみた。
角を曲がったところで牛のウンコを踏んでしまった。
慣れないことをするもんではない。

・感動そして感動

初訪問だった中国・チベットでは見るもの聞くこと全てがめずらしく楽しく
その異文化性に素直に驚き感動したことを「中国的〇〇」という形で
書き込んできましたが、ネパールインドに来てからの書き込みの何と少ないことか。

これは決してインドが驚くに値しない日本と変わらない環境であるから、
と言う訳では全くなくて、
牛や猿がそこらじゅうにいたり、コジキがあふれていたり、
ハンセン氏病の人にまとわりつかれたり、カレーを手で食べたり、
尻を手で洗ったり、いろんな宗教・神様がいたり、
歌い躍る映画を見て狂喜乱舞する人々がいたり、
騙し騙される人がいっぱいいたり、バスの屋根に乗ってみたり、
カースト制度があったり、沐浴してみたり・・・
と、挙げればきりがないくらいスゴイことがいっぱいあるんだけど、
書けない理由はひとえにこれが私にとって2度目のインド訪問であり、
1度目に既に驚きまくってしまっているためである。
それはインド人がそれらを見てもいちいち驚かないのと同じ事で
私にとってはもはや驚きではなくなってしまっているのだ。
当時の新鮮な驚きを今記すには時間が経ちすぎてしまった。
その驚きを今書こうとしてもその間に本やTVから得た
情報が混じってしまってなんかウソっぽくなりそうなので。

だからインドがどんなとこか知りたい人はぜひ自分の体で、目で確かめて下さい。
やっぱりすごいよ、ここは。

3月8日
・インドの病院

「インドの病院」、こう聞くだけで、野戦病院みたいなところで、
ムシロに寝かせられた患者がたいした治療も受けられずバタバタ死んでゆく。
薬は赤チン、注射器は使いまわし・・・
などと想像してしまうかもしれません。
しかし下の方にはそういうのがあるのかもしれませんが
上の方はスゴイです。
世界一流水準です。

私の入ったところは大病院ではなく私立の町医者でしたが、
インドにしては快適なサービスが受けられ満足してました。
看護婦さんは揃いの白いサリー。
でもやっぱり看護婦さんの中にもカースト制度は守られているようで、
医師助手・食事・部屋掃除・トイレ掃除の係はそれぞれ厳格に決まっていて
掃除係の人に「水ください」と頼んでも「それ私じゃない」と
むげなく断られてしまいました。

入院中で困ったのはトイレ。
トイレは普通のしゃがみ式インドトイレでしたが、
点滴したままトイレに行ってしゃがむと下まで管が届かず
片手を挙げたまま頑張らねばなりません。
また、針は左腕に刺さっていたため尻が洗えない!!!
悩んだ末、6年前初めてエジプトで水洗いに挑戦して以来、
純潔を守りぬいてきた黄金の右腕を使って洗ってしまいました。
私の右手はけがれてしまいました。

しかし長年の慣れとは恐ろしいもので、
右手ではどうもしっくり来ないのです。
何か物足りない、中途半端、不完全燃焼な気分でトイレをあとにしました。

これを読んでる日本の皆さんはおそらく紙派だと思いますが、
試しにいつもと反対の手で拭いてみてくださいな。
私のその時の気分が味わえると思います。

・ザ☆肝炎

A型ウイルス性肝炎:
潜伏期や発病初期の患者の便で汚染された水や食物から感染する。
潜伏期間は15−45日。
初めは発熱と同時に消化器系症状や全身倦怠感、筋肉・間接痛が
現れるが風邪に似ているために気づかないことが多い。
数日後に黄疸・尿の色が紅茶のような褐色になる。
治療は入院が原則で、おもに安静・食餌療法・薬物治療を行う。
(地球の歩き方より抜粋)

2月頭、原因不明の体調不良からそれは始まりました。
常態はまさにこれにある通りです。
しかしそのどれもが中途半端で、何となく熱っぽかったり、
何となくだるかったり、何となく下痢ってたり、と放っておいても
治りそうなくらいだったので放っておきました。
実際治りました。
しかし今度は小便が突然紅茶色になりました。
ここですぐ病院に行っていればもっと軽く済んだのかもしれませんが
この時はこれ幸いとばかりミルクと砂糖を入れてアフタヌーンティーを
楽しんだりしたのが良くなかったようです。
結局初期症状が現れてから10日後、
ふと鏡を見たら目玉・肌がまっ黄色になっていました。
正真正銘のイエローモンキーです。

病院に着くなり即入院。
2週間にわたり、7時起床から10時消灯までの15時間、
ひたすら点滴を受ける毎日でした。

入院直後の血液検査の結果は最悪で、医者から帰国命令が出ました。
しかし悪運強いのかその後急激に回復。
前言は撤回されましたが退院後の今でも安静と食事規制は続いています。
マサーラー(カレー味)と油っこいもの、
その他不衛生な所で準備されたと思われるものは禁止。
つまり今まで喜んで食べていたインドの外食のほとんどが
食べられないという厳しいものです。

病気なんて他人事、と無頓着に何でも飲み食いしてたのが
悪かったみたいですね。
医者にありのままの食生活を話すと
「君のようにいいかげんな外国人にはじめて会った!」
と驚かれました。
鼻高々です。

これに懲りて、今後は
・明らかに汚れている汲み置きの水を飲むときは、
 歯で濾しながら飲むようにする。
・道に落ちているウンコをカレーと間違えて食べてしまう前に
 手を石鹸でよく洗ってから食べる。

この2点を守ることを誓います。

・インドのお医者様

当然インドでも医者はエリートです。
我が主治医もそれはそれは立派な紳士でした。
しかし、というか、やはり正体はエロオヤジでした。

回診での会話
医者:何か必要なものはあるかね?
私:そうですねー、ジキジキが欲しいです。
(ジキジキが何かはあえて述べない)
医者:それならこのナースを使いたまえ。1時間貸そう。
私:しかし点滴しながらのジキジキは無理です。外してください。
医者:外すと君は死ぬよ。生きるのとジキジキと両方とろうなんて虫がよすぎる。
   どちらか選びたまえ。
私:ではジキジキをとります。
医者:さすが見上げた男だ!2時間に延長しよう。

ナースの軽蔑の眼差しが印象的でした。

またある時・・・
医者:やあ元気かね?
私:はい元気です。

この時私はベッドの上にあぐらをかいて座っていたのだが、
パンツの端から自家製ロッテアーモンドビッグバーが先生に挨拶したく
ちょっと顔を出していた。それを見て・・

医者:うむ、確かに君のロッテアーモンドビッグバーは元気そうだ。
  この調子で退院後はジキジキに励みたまえ。
私:ハハー、師匠ありがたきお言葉!

それ以外にも日本製インド製ロッテアーモンドビッグバー比較論、
カジュラホ寺院的体位可不可論、
家庭外的妻所有論など
医学見地に基づいた有益な議論が毎日繰り返されました。

でもある時私が「今度結婚式に招待されているのだが着ていくシャツが無い」
という話をしたらドレスシャツをプレゼントしてくれました。
ただのエロオヤジではなく、気前のいいエロオヤジだったようです。

(ジキジキとはなんでしょうね?>くのり)

・進むべき道

入院中、司馬遼太郎「竜馬がゆく」を読みました。
いやー、すごい人たちがいたもんですね。
久々感激しました。
竜馬の生き様は私の今度の人生の指針となりました。

まず帰国後、私と同じく旅中で肝炎を病んだ同志を見つけ出し
フォークグループ「肝炎隊」を結成。
デビュー曲「肝に捧げるバラード」をひっさげ芸能界に殴り込みをかけます。
・・今も聞こえるあの点滴の音・・
その後ドラマ「3年B組肝八先生」に主演、若者に肝炎のつらさを説きます。

CD出たら買ってね!!

・W杯開催中!
今インドはワールドカップの話題で持ちきりです。
え?何古い話してるの、だって?
それは世間知らずってもんです。
ワールドカップとは勿論クリケットのワールドカップのこと。
クリケットとは野球みたいな球技で、
イギリス、インド、パキスタン、オーストラリア、南アフリカなど
旧英国植民地を中心に盛んなスポーツです。

ある時インド人とクリケットの話をしていて
「日本ではクリケットをやる人はほとんどいない」
と言ったら、その人は
「クリケットは競技人口第2位の世界的スポーツなんだぞ!」
といばってきました。
またインド人お得意のホラフキばなしか、と思ったのですが
よくよく考えてみると「インド人がやる」というだけで
世界総人口の5分の1がやっている、と同義であり、
あながちウソでもないような気がしてきました。

そう考えれば世界で最も愛されているメニューは
ハンバーガーでもパスタでもなくカレーってことになるし、
世界で一番ヒットした映画はETでもタイタニックでもなく
「ムトゥ踊るマハラジャ」みたいなのになるわけだ。

おそるべし人口爆発大国・・・

(つづく)

Copy Right by Kazumoto MIWA   ★  Edit by Noriyasu KUNORI

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