世界最大の塩湖サラール・デ・ ウユニをマウンテンバイクで渡 る九里さん ラスベガス郊外で、ちょっと ひと休み ’90年5月12日は北米最 高峰マッキンリー山に登頂 カリフォルニア湾では鯨が九 里さんを歓迎 北米大陸と南米大陸の境界に ある石碑の前で(コロンビア) 旅の最後は妻の美砂さんと一 緒だった ゴールの南米最南端の街ウシ ュアイアで地元の人と |
延々と続く真っ白な大地を、荷物を満 載したマウンテンバイクが駆けていく。 ここは、南米ボリビア。首都のラパスか ら南下したアンデス山脈の只中。白い大 地と見えるのは、実は塩である。氷河期 の終わりに約5万平方キロの湖が干上が ってできたサラール・デ・ウユニ(ウユ ニ塩原)と呼ばれる地域だ。マウンテン バイクの乗り手、九里徳泰(くのりのり やす)さんの旅は、ここまでですでに2 万キロに及んでいた。日本列島でいうと 六つ分だ。しかし、ゴールまでは、あと 日本列島二つ分の距離が残っていた。冒 険家兼ライターの九里さんが目指してい たのは、南北アメリカ大陸の北端の北極 海から南端の南極海まで、人力で縦断す ることだったのだ。 九里さんの大冒険の軌跡を追う前に、 そのプロフィールを少し紹介しておこう。 九里さんは31歳。神奈川県藤沢市の出 身で、自転車の魅力に取りつかれたのは 子供の頃。中央大学在学中はサイクリン グ同好会に所属し、シルクロードなどを 自転車で走破した。その間、ヒマラヤや アンデスの6000メートル級の高峰へ の登頂も果たしているが、ふだんの彼は 笑顔のさわやかな好青年。とても命懸け の旅に出かけるような人には見えない。 しかし、今回のアメリカ大陸縦断は、 九里さんが過去のそうした経験で養った 気力と体力と知力の限りを尽くして挑ん だ旅だった。出発したのは’89年7月。 北極海に面したカナダ北西部のタクトヤ クタックという村がスタート地点となっ た。九里さんはそこからマウンテンバイ クで南下、途中、アラスカのマッキンリ ー(6194メートル)登頂を果たし、 カナダとアラスカの雪の国境チルクート 峠は徒歩で越えた。ユーコン川は組立式 のカヌーで下降。さらにカナダ西岸の沿 岸水路をカヌーで下り、’90年8月に はバンクーバーに達した。この間、九里 さんは何度か日本に帰っているが、「ぼ くにとっては、1区間90日が限度なん です」と彼はいう。「それ以上だと感動 がなくなり、ただ前に進むだけの意味の ない旅になってしまう」。 合衆国に入ってからも”シャクトリ虫” のように、しばらく鋭気を養ってはまた 進む旅。銃の危険のある都市部は避け、 ワシントン州、ネバダ州のラスベガス、 アイダホ州などを経由し、メキシコのサ ンフェリーペに達するまでは、マウンテ ンバイクによる74日間の旅だった。 ’92年の2月から3月にかけてはカリ フォルニア湾をカヌーで南下したが、そ の途中では、湾内を遊泳する鯨に出会う という幸運もあった。「振り返ってみる と、この区間が全行程の中でも一番静か な旅でしたね」と九里さんはいう。 実は、この先に大きな困難が九里さん を待ち受けていたのだ。というのも、今 もなお混乱の続くパナマと、麻薬取引を めぐってメディシンカルテルなどの組織 が暗躍するコロンビア。この両国を陸路 で旅するのはきわめて危険なことで、昨 年、中米諸国の安定を背景に再開通した トランスアメリカン・ハイウェイも、こ の区間だけはフェリーでの海上サービス が行われているほどなのだ。 実はギャングたちは、警察に追われる 毎日に疲れると、付近のジャングルにし ばし潜むのだという。だが、現地の人間 の案内で「南北アメリカの境界」といわ れる石碑を見学できたのは収穫だった。 誰もが敬遠するこのジャングルで何事も なかったのは、行く先々ですぐに友だち を作ってしまう九里さんの明るい性格が 幸いしたのかもしれない。彼はその後の ’93年5月にトレッキングガイドをし ている林美砂さん(36)と結婚。半年 ほど新婚生活を送り、’94年1月には 再び南米にもどり、蚊とブヨに悩まされ ながらのアマゾン下りを開始する。 アマゾン川3000キロをカヌーで下 降し、’95年3月にはようやくボリビ アに到着した。ところが、ここでパラチ フスに感染。急遽帰国したが、チフス菌 が脊髄と脳にまで達し、生死の境をさま よいながら22日間も入院する羽目にな ってしまった。しかし、その病も癒え、 前代未聞の冒険の旅はいよいよゴールを 目指すことになる。区間は前述のボリビ アの首都ラパスからアンデス山脈を越え、 チリを縦断してパタゴニア最南端のフェ ゴ島までの4833キロ。最後のフィナ ーレを飾るパタゴニアでのカヌーの旅に は妻の美砂さんも同行した。 が、美砂さんが加わったチリのプエル トモンからプエルトナターレスまでの5 9日間に及ぶ旅は、荒れ狂う海と強風、 降り続く雨に悩まされる最も過酷な旅だ った。何しろ、空に黒い雲が出ると立っ ていられないほどの風が吹き、テントな どは紙屑のように吹き飛ばされてしまう のだという。生命の危険にさらされたこ の区間について、「涙を流してただ祈る しかなかった」と九里さんは回顧する。 そうした苦難を乗り切り、彼がついに 南米最南端のウシュアイアという街にた どり着いたのは今年の2月23日のこと である。かかった費用は日本との行き来 に要した航空運賃などを含めて総額40 0万円。目的を達成した九里さんはいう。 「ヒマラヤもアマゾンも見たし、もう大 自然はお腹いっぱいという感じです。今 後はヨーロッパをゆっくり旅してみたい ですね」。実は、南北アメリカを旅して、 その人と文化の背景にある「ヨーロッパ 的なもの」を見極めたくなったのだ。 ちなみに、現在、九里さんの友人の冒 険家・関野吉晴さん(47)は、九里さ んとは逆に南米最南端から出発し、ベー リング海とアジア大陸を越えてアフリカ のタンザニアを目指す旅を続けている。 「秘境」がなくなった今、こういう旅が 新しい冒険の形らしい。 |