未復刻白土作品 (雑誌編)
(雑誌:B5サイズ,付録本:B6サイズ)
  
「風の石丸」 (全24回)★★★

雑誌 「週刊少年マガジン」(講談社)'60年29号(7月17日号)〜'60年52号(12月25日号)本誌連載。
のちに講談社から貸本(全3巻)で発行。第1巻「岩石なだれ渡りの巻」('60.10発行)、第2巻「龍煙の書の巻」('60.12発行)、第3巻「魔の谷の巻」('61.2発行)。
 
内容: ここは信州霞郡、みみずく谷の一角。龍煙の玉とよばれる真珠の玉があった。この玉の中には、甲賀流忍者によって守り伝えられてきた秘密が隠されていた。これを守る甲賀流忍者甲賀石雲は、ある日、拾い育てた弟子石丸に龍煙の玉の秘密を語った。石丸は、母を探し旅をしているあけみと出会う。だが平和な時は長く続かず、突如石雲を殺され奪われた龍煙の玉(のちに割れ天の巻・地の巻の二つの巻物になる)を追うことに。伊賀忍者はやて小僧、九州の忍者剣流、無刀流の少年ね太郎、かすみのおばば、真田幸村と真田の忍者、牧十馬、服部半蔵、柳生十兵衛、徳川家光、越後屋、謎の少女など、様々なキャラクターが登場。石丸は巻物を求め戦い続ける、しかし石丸に恋をする立場の異なる二人の少女達には悲しい運命が待っていた…。

多忙な初の週刊連載のため、ストーリーは作品「甲賀武芸帳」(1957年-1959年)から取ってきている部分が多い。貸本版は、雑誌連載時広告が入っていた部分に、「真田剣流(第二部)」と同様忍者解説コマを入れている(「狼小僧」貸本化の時と同じく、コマを広げ広告スペースを消している部分も多い)。比較的手に入りやすいものとして「少年マガジン漫画全集(講談社コミックスデラックス)」('92.5.23発行)の第1巻に雑誌「週刊少年マガジン」1960年44号(10月30日号)に載ったものが収録されている。2007年8月、マンガショップから全一巻で復刻(「風の石丸 [貸本版]」)。
 

雑誌「少年マガジン」1960年28号P92より
雑誌「少年マガジン」1960年44号P96より
雑誌「少年マガジン」1960年44号P95より
雑誌「少年マガジン」1960年29号P71より
雑誌「少年マガジン」1960年29号P66より
            
●雑誌連載扉

    
    

※左上から雑誌「週刊少年マガジン」1960年29号(新連載)〜36号、39号、43号連載扉
            
以下は貸本に載った白土三平による前書的な文章(貸本「風の石丸」第1巻カバーより)。

忍術漫画の意義    白土三平
忍術のおもしろさ、それは不可能なことも可能にするところにあると思います。従来忍術は、空想的な、不可思議なものとして扱われてきましたが、もっとリアルで、合理的な見方があるのではなかろうか?例えばどんなにあざやかな手品や奇術にも、種や仕掛があるように、忍術も、長い経験から生れた科学的知識と、血の出るような鍛錬によって悟得した秘術との総合的集積であるわけです。この「風の石丸」も、そうした意味からかいた忍術まんがで、ここに一個の玉をめぐって、多くの忍者や剣客が登場し、すさまじい闘争がくりひろげられるが、主人公石丸が、あくまでも正義と平和のために戦い抜く、その崇高な姿を充分に描いて見るつもりです。

この作品は残念なことに最後打ち切りとなり、キャラクターの布石を全て消化できていない。その点について白土は貸本最後に謝罪の文を載せている。以下、作品後記(貸本「風の石丸」第3巻最終頁より)。

後記
これで「風の石丸」はおわりました。長い間ご愛読くださったファンの皆さまに感謝いたします。しかし、物語がこのような終り方をしたのに、さぞご不満な方もいらっしゃることでしょう。「ね太郎は何のために出てきた?」「霞のおばばはどうなったのか」というようなお便りもきています。もっともなことです。初めこの物語は、もっと筋も広く、登場人物も多くでてきて、少年マガジン誌上に長くつづく予定だったのですが、いろいろな都合で完結を急ぐことになり、残念ながら筋を石丸だけにしぼって完結にいたしました。読者の皆さんに充分ご満足を与えることのできなかったことを、作者として、ふかくおわびします。(白土三平)

作品「風の石丸」自体はきちんと完結しているため、これは連載終了後の読者からの投書への回答以外のなにものでもない。不本意な結末は、当時の出版社側の理解の無さに拠るところであるが、作者には「甲賀武芸帳」を意識した構想があるので、ここから無念な感情が多分に伝わってくる。面白いことに、続いての連載「狼小僧」ラストにも貸本化の際同じような後記が追加されている、つまり、これは繰り返しているのである。ラストの酷似という点でも共通するし、なんとこのラストは1962年作品「宮本武蔵」でも使用している。1958年「霧の千丸」、1960年「風の石丸」、1961年「狼小僧」「少年王者」「シートン動物記」、1962年「宮本武蔵」「死神少年キム」…初期白土の雑誌連載はもう打ち切りスパイラルである。

            
●かすみのおばば VS牧十馬(まきじゅうま)

貸本では、この戦いの結果がどうなったのか、また、なぜ牧十馬が溺れていたのかが、「読者のみなさんのしっているとおり……」(註:牧十馬のセリフ)とは書いてあるが、全くの不明となっている。必要かと思われるので、以下に欠落の8頁分を載せておく。ここは五十鈴初登場のシーンでもある。ちなみにマンガショップの復刻版「風の石丸 [貸本版]」ではP266とP267の間に入る部分であり、この「週刊少年マガジン」1960年43号連載扉(上に掲載)はP266の場面、最後おばばが上から覗いているのはP267の場面である。
 

※雑誌「週刊少年マガジン」1960年43号より

            
●扉絵構図の類似 

   
※「甲賀武芸帳」第7巻表紙(1958年10月頃発行/日本漫画社)
※「風の石丸」第5回扉(雑誌「週刊少年マガジン」1960年33号所収/講談社)(参考拡大画像460KB)
※「宮本武蔵」第二回扉(雑誌「小学六年生」1962年5月号所収/小学館)
※「サスケ」最終回扉(雑誌「少年」1966年3月号付録「少年パンチ」所収/光文社)(参考拡大画像400KB)

1960年33号扉は貸本「甲賀武芸帳」第7巻表紙と全く同じ構図。後にも似た構図で「サスケ」扉を二枚描いている。細かな描きこみが「石丸と戦う真田の忍者たち」から、「戦う百姓たち」(首・腕の飛んでいる者もいる)に変わっているところに大きな変化がみえる。「カムイ伝」が始まっている時期でもあるのでその影響も否めないが、この数年間で少年誌に白土三平らしさが出せるところまでいった、というのがよく分かる変化だ。ちなみにこの時期の作画はもう白土ではなく赤目プロ、細かくいえば小島剛夕だろう。以前の原稿を見せ「こんな感じで」と指示を出した可能性もあるのでは。「宮本武蔵」第二回の扉絵も似た構図であり、ここには木の棒で対決し合う武蔵が描かれている。この「木の棒で殴る描写」のタブーから白土はこの連載を辞めざるをえなくなってしまったので、これもまた象徴的な扉絵だ。余談だが「サスケ」の文字の「ス」からはみ出し見える四本の指は何を意味しているのだろうか。

 
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