| 「風の石丸」 (全24回)★★★
雑誌 「週刊少年マガジン」(講談社)'60年29号(7月17日号)〜'60年52号(12月25日号)本誌連載。
多忙な初の週刊連載のため、ストーリーは作品「甲賀武芸帳」(1957年-1959年)から取ってきている部分が多い。貸本版は、雑誌連載時広告が入っていた部分に、「真田剣流(第二部)」と同様忍者解説コマを入れている(「狼小僧」貸本化の時と同じく、コマを広げ広告スペースを消している部分も多い)。比較的手に入りやすいものとして「少年マガジン漫画全集(講談社コミックスデラックス)」('92.5.23発行)の第1巻に雑誌「週刊少年マガジン」1960年44号(10月30日号)に載ったものが収録されている。2007年8月、マンガショップから全一巻で復刻(「風の石丸
[貸本版]」)。
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| ●雑誌連載扉
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| 以下は貸本に載った白土三平による前書的な文章(貸本「風の石丸」第1巻カバーより)。
忍術漫画の意義 白土三平
この作品は残念なことに最後打ち切りとなり、キャラクターの布石を全て消化できていない。その点について白土は貸本最後に謝罪の文を載せている。以下、作品後記(貸本「風の石丸」第3巻最終頁より)。 後記
作品「風の石丸」自体はきちんと完結しているため、これは連載終了後の読者からの投書への回答以外のなにものでもない。不本意な結末は、当時の出版社側の理解の無さに拠るところであるが、作者には「甲賀武芸帳」を意識した構想があるので、ここから無念な感情が多分に伝わってくる。面白いことに、続いての連載「狼小僧」ラストにも貸本化の際同じような後記が追加されている、つまり、これは繰り返しているのである。ラストの酷似という点でも共通するし、なんとこのラストは1962年作品「宮本武蔵」でも使用している。1958年「霧の千丸」、1960年「風の石丸」、1961年「狼小僧」「少年王者」「シートン動物記」、1962年「宮本武蔵」「死神少年キム」…初期白土の雑誌連載はもう打ち切りスパイラルである。 |
| ●かすみのおばば VS牧十馬(まきじゅうま)
貸本では、この戦いの結果がどうなったのか、また、なぜ牧十馬が溺れていたのかが、「読者のみなさんのしっているとおり……」(註:牧十馬のセリフ)とは書いてあるが、全くの不明となっている。必要かと思われるので、以下に欠落の8頁分を載せておく。ここは五十鈴初登場のシーンでもある。ちなみにマンガショップの復刻版「風の石丸
[貸本版]」ではP266とP267の間に入る部分であり、この「週刊少年マガジン」1960年43号連載扉(上に掲載)はP266の場面、最後おばばが上から覗いているのはP267の場面である。
※雑誌「週刊少年マガジン」1960年43号より |
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| ●扉絵構図の類似
1960年33号扉は貸本「甲賀武芸帳」第7巻表紙と全く同じ構図。後にも似た構図で「サスケ」扉を二枚描いている。細かな描きこみが「石丸と戦う真田の忍者たち」から、「戦う百姓たち」(首・腕の飛んでいる者もいる)に変わっているところに大きな変化がみえる。「カムイ伝」が始まっている時期でもあるのでその影響も否めないが、この数年間で少年誌に白土三平らしさが出せるところまでいった、というのがよく分かる変化だ。ちなみにこの時期の作画はもう白土ではなく赤目プロ、細かくいえば小島剛夕だろう。以前の原稿を見せ「こんな感じで」と指示を出した可能性もあるのでは。「宮本武蔵」第二回の扉絵も似た構図であり、ここには木の棒で対決し合う武蔵が描かれている。この「木の棒で殴る描写」のタブーから白土はこの連載を辞めざるをえなくなってしまったので、これもまた象徴的な扉絵だ。余談だが「サスケ」の文字の「ス」からはみ出し見える四本の指は何を意味しているのだろうか。 |