伊奈波界隈の町屋と町並を見学する会

伊奈波界隈まちづくり会の方々からも,空家の利用の仕組みづくりを考えてはどうか,また金華に魅力を感じてすんでみたいという若い人たちからも地元を接点を持つ機会がつくれないだろうかというお話しを頂いておりました.

今年の5月7日(日)に,その最初のきっかけとして地元出身の方が現在お持ちで利用方法を考えておられる建物の見学と,交流の食事会(「極」)もったところ好評を得ることができました.

さらに継続して取り組みを進めたいということで,第2回めを7月30日(日)に企画しました.
第一に,町屋などをお持ちの方,お住まいの方のご協力を頂いて,今度も数軒の見学とご案内を頂きました.
第二に,暑い盛りでしたが,午前中に見学し,今回は昼食と交流会を徳広さんで行いました.

町家の風情に感激し,またお住まいの方々の実際のお話を伺うこともできて,「ぜったいここに住みたい」と宣言されたご夫婦もおられました.
空き家利用には,家賃や修復費用,大家さんのご意向や借り手の信用など,いろいろな課題もあるわけですが,こうした仕組みづくりをこれをきっかけとして作ろうということで締めくくられました.

当日の様子や,途中で伺った話などをまとめてみました.ご案内頂いた伊奈波界隈の方々,見学させて頂いたお家の皆様に感謝します.

■まず,オルガンデザイン室に集合して,参加者の紹介.

この7月から事務所と住居として使われているこの建物は,以前は画家の方が住まわれていたそうです.
改装後のゆったりとした板の間や書棚がうらやましい.
来月(8月8日,18時半)のまちづくりセンターの景観サロンも,またここをお借りします.

水琴亭の少し北にあるこの当たりは「靱屋(うつぼやちょう」で,信長が尾張から商人を連れてきた町と言われています.
うつぼ(空穂)とは,矢を入れるケースのこと.今でも剣道の道具のお店が近くにあります.

前日(7月29日)の「信長とまちづくり」のシンポジウムでは,仁木先生が明治の地積図を用いて,道三時代に作られた,
この北の本町(七曲がり,井口村の住民),大桑(百曲がり,高富の大桑(おおが)の山城と城下から移転)よりも,
南北の現在の西材木町と今町の2つの通りにそった東西の地割の並びが優勢なことと,地形的にもこの2つの通りが
長良川から舌状に延びる少し高い場所に当たることから,それ以前からの町の成り立ちが考えられることを指摘されて
いました.靱屋町の北はカーブして,東材木町の通りとは,少しずれています? 昔は突き当たりには何もなかったそう.

■Kさんご夫婦(J社を経営,出版業なので岐阜でも仕事ができるから戻られたとか)
格子窓と暖簾がいかにも涼しげ.忠節用水に面しているので,水や風の流れも涼しさをもたらしてくれるとか.

ちなみに,この水路は江戸時代は尾張藩の奉行所だった場所で,それを囲んでいた堀が,昭和に入って忠節用水
の市内をめぐる農業用水の一部に使われていました.案内をしていただいたAさんは,子どものころ,前の知事と
一緒に泳いで遊んでいたとか.

北側の用水 南側,左側は補修されています

 

■後で昼食をいただく「徳広」さん.昔は「大浜屋」というお店だったそうです.
お店の中の落ち着いた風情もご好意で見せていただきました.
南側手前は「織甚」の番頭さんのが住んでいたらしい.


末広町,現在は駐車場ですが,元はお風呂屋さんがあったそうです.


■昔は置屋だったお宅.文部政務次官を務められた方がお住まいで,金華の神輿を奉納されました.
置神輿だったものを,Kさんの寄付で棒をつけて岐阜祭りで釣るようになったんですが,重いし,
しっかり接着されているので動きに遊びがなくて,釣りにくいんだそうです.


■5月7日の一回目の見学会でも拝見させてもらったTさんが使い方を検討中のお宅.仏具屋さんで
通路は土間,二階との天井板が外せるようになっていて,仏壇を上げ下ろししていたそうです.
屋根瓦に屋号がありました.


■大和町のF屋さんの元のお宅.玄関の灯がユニークで,入り口にも引き下ろしの戸がありました.
もともと工場もあったそうですが,現在の米屋町の方に移られて,住居も新しくされたあとで,
寒かった記憶しかなかった町家の良さにかえって気がつかれたそうです.洋風建築は完成時がピークでだんだん
落ちてくるけども,町家は長く住んでいくとむしろよくなっていくというお話にみんなうなずいていました.


お庭からは伊奈波の周りの山がきれいに眺められました.


■最後はみんなで食事.左は5月のときに行った山形そば・懐石の「極(みわみ)」さん.
右か今回の「徳広」さん.うわさは聞いていたものの,なかなか機会がなかったので,今回がひょっとすると
こちらがメインだったという人も.鮎やだし巻き卵,牛を炒ったものなど絶品でした.