
私の研究成果の一部をご紹介します。
| 1 「リゾートマンションの売買契約違反による解除」(水辺芳郎先生との共著)日本法学64巻2号441〜451頁(平成10年9月) 2 「無権代理人の履行責任」日本法学65巻4号〔水辺芳郎教授古稀記念号『私法学をめぐる現代的諸問題』〕455〜483頁(平成12年3月) 3 「民商法講座(3)権利外観法理における過失の意義」(山川一陽教授監修)月刊民事法情報167号125〜130頁(平成12年8月) 4 小野幸二編『演習ノート親族法・相続法〔全訂版〕』(法学書院,平成14年4月) 5 「民法初学者教育に関する一試論」日本法学68巻2号569〜587頁(平成14年10月) 6 「商工ローン業者から融資を受けた者のために500万円を限度とする根保証をした者につき,200万円を超える部分の責任を,錯誤無効又は信義則違反を理由に否定した事例」判例タイムズ1125号〔平成14年度主要民事判例解説〕16〜17頁(平成15年9月) 7 「抵当権者の同意を登記した賃貸借の対抗制度の創設」/「根抵当権についての改正」山川一陽=山田治男編著『改正担保法・執行法のすべて』97〜117頁(中央経済社,平成15年10月) 8 「民商法講座(43)債務者の無資力とその実体法的効力」(山川一陽教授監修)月刊民事法情報207号44〜52頁(平成15年12月) 9 「物権法」小野幸二=高岡信男編『法律用語辞典〔第2版〕』82〜96頁(法学書院,平成17年11月〔初版,平成16年2月〕) 10 「期限の利益喪失を前提にした貸金の一括弁済請求が信義則違反とされた事例」判例タイムズ1154号16〜17頁〔平成15年度主要民事判例解説〕16〜17頁(平成16年9月) 11 「保証人に対する説明体制の確立と限定根保証の強行法規化―根保証をめぐる2つの動向」JA金融法務395号4〜14頁(平成16年11月) 12 「根保証人への請求につき,金融機関の債権回収に重大な懈怠があったとして大幅な制限が加わった事例について(名古屋地裁平成16年6月18日判決の事例紹介と検討)/本判決の検討」JA金融法務400号25〜28頁(平成17年3月) 13 「物的担保に基づく物上代位と債権譲渡担保―その競合と再構成」日本法学71巻1号〔永田誠教授古稀記念号『私法学とその周辺』〕167〜209頁(平成17年5月) 14 「農地の賃借権の時効取得と農地法3条1項所定の許可の要否(消極)」判例タイムズ1184号24〜25頁(平成17年9月) 15 「農地賃借権の時効取得と権利移動制限」日本法学71巻2号735〜769頁(平成17年10月) 16 「税理士のための重要商事判例(11)インターネットの電子掲示板上の発言による名誉毀損と当該掲示板の管理運営者の責任―2ちゃんねるプロ麻雀士事件」税務事例37巻12号62〜66頁(平成17年12月) 17 「平成16年改正民法における根保証債務の法的構成」日本法学71巻4号1121〜1135頁(平成18年3月) 18 「マンションの管理組合法人が,共用部分である駐車場躯体部分のコンクリート劣化抑制工事の一環として,被告が区分所有権を有する同駐車場壁面の塗装工事を行わせた場合につき,事務管理に基づく費用償還請求が一部認められた事例」判例時報1915(判例評論565)号184〜190頁(平成18年3月) 19 「船舶先取特権に基づく競売申立てと担保権の証明度―仙台高決平成17.11.11金判1231号24頁」金判1244号14〜17頁(平成18年7月) |
日本法学64巻2号441〜541頁(水辺芳郎先生との共著,1998年9月)。
最判平8.11.12民集50.10.2673の判例評釈。
これまでに出された同判例の評釈をふまえつつ、新たな視点から問題提起を試みた。
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| 【判例研究】 関連したスポーツクラブ会員権契約の債務不履行を事由とするリゾートマンション売買契約の解除 〔平成8年11月12日最高裁第3小法廷判決,平成8年(オ)第1056号損害賠償等請求事件,破棄自判・請求認容,民集50巻10号2673〜2701頁〕 水辺芳郎 清水恵介 【事実の概要】 Yは本件リゾートマンションを建築して分譲するとともに、スポーツ施設である本件クラブの施設を所有し、管理している。Xらは、Yから本件マンションの一区分である本件不動産を代金4400万円(手付金440万円)で買い受け、これと同時に、Yから本件クラブの会員権一口を入会金250万円(登録料50万円、入会預り金200万円)で購入した。契約書やクラブ会則には、本件不動産の区分所有権を買い受けるときは必ず本件クラブに加入しなければならず、これを他に譲渡したときはクラブの会員たる地位も失うと定められていた。 本件マンションの分譲広告等には、本件クラブの施設内容のひとつとして、屋内プールが明記されていたが、Xらの再三の要求にもかかわらずYは屋内プールの建設をしなかった。そこでXらは、Yに対し、屋内プール完成の遅延を理由として、右売買契約および会員権契約の解除の意思表示をし、売買代金等の返還及び手付金相当額の損害賠償を求めて本訴を提起した。 【本判決要旨】 X勝訴(解除肯定) 「本件クラブにあっては、既に完成しているテニスコート等の外に、その主要な施設として、屋外プールとは異なり四季を通じて使用の可能である屋内温水プールを平成4年9月末ないしこれからそれほど遅れない相当な時期までに完成することが予定されていたことが明らかであり、これを利用し得ることが会員の重要な権利内容となっていたものというべきであるから、Yが右の時期までに屋内プールを完成してXらの利用に供することは、本件会員権契約においては、単なる付随的義務ではなく、要素たる債務の一部であったといわなければならない。」 「本件マンションの区分所有権を買い受けるときは必ず本件クラブに入会しなければならず、これを他に譲渡したときは本件クラブの会員たる地位を失うのであって、本件マンションの区分所有権の得喪と本件クラブの会員たる地位の得喪とは密接に関連付けられている。すなわち、Yは、両者がその帰属を異にすることを許容しておらず、本件マンションの区分所有権を買い受け、本件クラブに入会する者は、これを容認してYとの間に契約を締結しているのである。」 「このように、同一当事者間の債権債務関係がその形式は甲契約及び乙契約といった2個以上の契約から成る場合であっても、それらの目的とするところが相互に密接に関連付けられていて、社会通念上、甲契約又は乙契約のいずれかが履行されるだけでは契約を締結した目的が全体としては達成されないと認められる場合には、甲契約上の債務の不履行を理由に、その債権者が法定解除権の行使として甲契約と併せて乙契約をも解除することができるものと解するのが相当である。」 「これを本件について見ると、本件不動産は、屋内プールを含むスポーツ施設を利用することを主要な目的としたいわゆるリゾートマンションであり、前記の事実関係の下においては、Xらは、本件不動産をそのような目的を持つ物件として購入したものであることがうかがわれ、Yによる屋内プールの完成の遅延という本件会員権契約の要素たる債務の履行遅滞により、本件売買契約を締結した目的を達成することができなくなったものというべきであるから、本件売買契約においてその目的が表示されたいたかどうかにかかわらず、右の履行遅滞を理由として民法541条により本件売買契約を解除することができるものと解するのが相当である。」 【第一審判決要旨】大阪地判平成6年12月19日 X勝訴(解除肯定) 「マンション購入者がマンションに滞在しながらその周辺に存在する娯楽施設、スポーツ施設を利用することは、当然のこととして予定され、その前提として、マンション区分と倶楽部会員権が帰属を一にするものとされているから、本件売買契約と本件会員権契約は不可分的に一体化したものと考えるべきである。」 「Xらが本件不動産を購入した日から相当期間内に屋内プールを建設して、これをXらに利用させるYの債務は、本件会員権契約のみならず、本件売買契約にとっても必須の要素たる債務であるといわなければならない。」 【原審判決要旨】大阪高判平成8年1月31日 Y勝訴(解除否定) 「本件不動産と本件会員権とは財産権としては別個独立のものであり、売買契約の客体としても別個のものであることは明らかであって、『会員権付きのコンドミニアム』というのは通俗的かつひゆ的な表現にすぎないから、本件不動産と本件会員権とが一個の客体として本件売買契約の目的となっていたものとみることはとうていできない。すなわち、法律的には、本件契約は本件不動産の売買契約と本件会員権の購入契約の2個の契約より成り、両契約が『一体のもの』と認めることはできないというべきである。」 「2個の契約のうち一方の契約上の義務の不履行を理由に他方の契約を解除することができないことは当然のことであるが、本件のように、会員権の購入契約が不動産の売買契約を同時に、かつそれに随伴して締結されたような場合であって、会員権購入契約にもとづくYの義務が約定どおり履行されることが不動産の売買契約を結んだ主たる目的の達成に必須的でありかつそのことが売買契約において表示されていたのにこれが履行されないときには、いわゆる付随的義務の不履行の場合と同様、売買契約の要素をなす債務が履行されない場合に準じて、その不履行を理由に売買契約を解除することができるものと解するのが相当である。」 「Xらとしては、屋内プールを利用することが本件不動産購入の重要な動機となっていたことが窺われないではないけれども、…本件不動産売買契約を締結するまでの間にその旨をY側に表明したことはなく、…そうすると、仮に屋内プールの完成の遅延が本件会員権購入契約上の債務不履行にあたるとしても、それを理由に、本件不動産の売買契約の要素をなす債務が履行されない場合に準じてこれを解除することはできないといわなければならない。」 【上告理由】 Xらの上告理由 本件不動産売買契約と本件スポーツクラブ会員契約は一体不可分のものと解すべきであるから、屋内プールを建設してこれを利用に供すべき会員契約の債務の不履行は、一体としての本件売買契約の解除事由となる。 また、Yは新聞広告・案内書において屋内プール、ラウンジ等の施設が利用できることを売りものにして購入を勧誘したのであるから、これらの事項は契約内容に含まれている。 【評釈】 一 問題の所在 本件訴訟は、買主がリゾートマンションを手放して、既払いの売買代金等(会員権契約における入会金を含む)の返還及び手付金相当額の損害賠償を求めるものであり、その請求が認容されるためには前提として本件会員権契約及び本件売買契約につき法定解除権の発生(民法541条)が肯定されなければならない。 この点、本判決(最高裁)は、@本件会員権契約上で屋内プールの完成がYの債務となっており、しかも、Aその債務は付随的債務ではなく要素たる債務であるとした上で、B屋内プール完成の遅滞を本件会員権契約上の債務不履行とし、C本件売買契約と本件会員権契約を形式において2個の契約と解しつつ、Dこれを理由に本件売買契約をも解除できるとの法律構成によりXらの請求を認容している。 学問的関心としては、タイトルにもあるように、CDが最も注目を集める点ではあるが、本評釈では、これら5つの点全てにつき順次検討を進めていくことにしたい。 二 屋内プールの完成が本件会員権契約上の債務となっているか(広告・パンフレットの記載と債務内容の形成)。 まず、本件では、屋内プールの完成予定が、契約証書ではなく、新聞紙上に掲載された販売広告や購入者に頒布した案内書(パンフレット)の方に記載されており、このことをもって本件会員権契約上、屋内プール完成についての当事者間の合意を認めうるかが問題となる。 この点、第一審判決は、Yが屋内プール等の施設を利用できることを売り物にして本件マンションの販売を宣伝し、Xらに対しても同様の趣旨を明言して購入を勧誘したことが認められるから、単なる販売のための口上としてその施設の未完成が不問に付される性質のものではなく、相当期間内にその完成が確約されたものとしてマンション購入者に理解されてしかるべきであるとし、Yの屋内プール完成義務を認めている(1)。本判決も、この結論につき異論がない(もっとも、原判決はこの点につき結論を留保している。)。 確かに、当事者間の契約内容は契約証書上に記載されるのが通常であるとはいうものの、交渉過程において当然の前提とされる事項につきあえて記載しない場合も存するのであり、上記認定事実を前提とすれば、プール完成の合意を認めるのは相当と解される(河上判時評釈179頁参照)。 三 屋内プールの完成は付随的義務ではなく本件会員権契約上の要素たる債務であるか。 541条の文言上は解除原因である「債務」不履行につき何らの制限を加えていないが、解除は、契約締結の目的を達成するために必要不可欠な「要素たる債務」の不履行について認められ、「要素たる債務」を履行する際の「付随的義務」の不履行については原則として認められないものと解されている(2)。そこで、本件において、屋内プールの完成が「要素たる債務」といえるかが問題となる。 この点、本判決では、近いうちに完成予定であった屋内温水プールが、屋外プールとは異なり四季を通じて使用できる本件クラブの主要施設と考え、これを利用し得ることが本件クラブ会員の重要な権利内容となっていたとして、屋内プールの完成を本件会員権契約上の要素たる債務の一部であるとした(3)。 本件の場合、Xらとしても、屋内プールを利用することが本件マンション購入の重要な動機となっていたことが窺われるのであるから、屋内プールの完成は、これが履行されなければ契約締結の目的が達成できないという意味で必要不可欠な「要素たる債務」であるものと解される。 四 本件における屋内プールの完成遅滞が本件会員権契約上の債務不履行となるか(広告・パンフレットに予定された施設の提供開始時期)。 この点は、他の評釈ではあまり注目されていない点であるが検討を要する。本件のようなリゾートクラブでは会員募集時に施設が未完成なのが通例であるため、ある程度の遅延は会員において受忍すべきであると解される傾向にあるほか、遅延の主たる原因が企業の側にない場合に、解除原因としての債務不履行が否定されることも十分考えられるからである(4)。 この点、本判決は、完成予定の平成4年9月末からそれほど遅れない相当な時期までに屋内プールを完成させる債務があるとして、平成5年7月12日にした解除の意思表示を有効とした。また、第一審も、YがXらの再三の要求にかかわらず屋内プールの建設に未だ着手していないこと、また、Yがその具体的な建設計画さえXらに確言しえない状況にあることを認めた上で、遅延の原因であるいわゆるバブル経済崩壊後の経営環境の悪化はYの免責事由になりえないとして債務不履行とこれに基づく解除を肯定している。 本件の場合、履行時期から少なくとも半年は経過した催告・解除の時点において未だに建設の見込みすら立っていなかったとの点が債務不履行事実を認定する上で重要ではなかったかと思われる。近時の裁判例からすれば半年程度の遅延はむしろ許容される可能性が高く、その時点で完成の目途が立っていたならば債務不履行は否定されるべき事案であったといえるからである。したがって、結論は相当としても、かかる事情について債務不履行の諸要件と直結させたもう少し積極的な認定があってしかるべきであったといえよう。 五 契約の個数論 つぎに、本件では、契約の個数というものが潜在的な争点として存するものとされている。なぜならこれまで、解除原因である債務不履行は、解除の対象である当該契約に基づいて発生した債務の不履行であることが当然の前提のように理解されてきたからである。そこで、本件の場合、売買契約と会員権契約とを形式的に2個の契約とみる考え(2個説、本判決・原判決の立場)と、両契約を実質的に1個の契約とみる考え(1個説、第一審判決の立場)とが対立するものとして整理される(5)。そして、2個説では会員権契約と併せて売買契約をも解除することはできないとの結論を導きやすく、1個説では逆に解除しうるとの結論を導きやすいものと解されている(ただし、債務の一部不履行に基づく全部解除の可否の問題となる。)。 しかし、実際には両説の間にどれほど違いがあるのか疑わしい。1個説に立っても、議論の出発点として売買契約と会員権契約という外見上の区分けをしないまま、何々契約といった新たな類型の契約を突然掲げて議論する風でもないし、2個説に立ったとしても、本件のように契約締結の目的が密接に関連している場合は、これらの債権債務関係を実質的に1個の契約とみるかどうかはネーミングの問題にすぎないと考えられるからである(6)。 つまり、2個説は契約の個数を形式的単位の問題として捉え(7)、1個説は実質的単位の問題として捉えている。言葉というものの多義性に鑑みれば両説の間に矛盾はないのであり、議論を整理する意味からはむしろ契約の数え方についての二義性を率直に認めていけばよいものと思われる(8)。 本判決は、形式的には2個の契約があるものと解した上で、一方の契約の債務不履行を理由に他方の契約をも解除できる場合を判断するための実質的基準を提示しており、その点に問題はない(9)。 六 本件会員権契約上の債務不履行を理由に本件会員権契約と併せて本件売買契約をも解除できる場合(同一当事者間での2個の契約のうち1の契約の債務不履行を理由とする他の契約の解除の基準) この点、解除の余地を認めないような硬直した考えはみられない。したがって、問題はその先、解除を認める実質的基準とその当否にあるといってよい。そこで以下、本判決の掲げた基準のうち問題となりうる点に絞って検討する。 1 目的の表示の要否 本件では特に、契約締結時までにXらが、屋内プールの利用が本件マンション購入の目的であったことをYに表明しなかったことが認定されており、かかる目的の表示を本件売買契約解除の要件として設定すべきか否かが問題となる(これを表示を要求して解除を否定したのが原判決で、要求せずに解除を肯定したのが本判決ということになる。)。 この点、表示を要求しない本判決は、前述した「要素たる債務」の理論や法定解除の条項の底流にみられるような、債務不履行による契約目的の不達成という観点から基準を定立しており、解除の伝統的理論にむしろ忠実な立場と解しうる。これに対し、表示を要求する立場は、動機の錯誤や動機の不法に関する判例理論の思考様式を採り入れ法的安定性をはかった考え方といえるが、これを解除の理論に組み込む積極的な根拠を見いだしがたい。 それゆえ、目的の表示は不要と解するのが相当であり、目的の不表示という事実は目的認定の一資料として考慮すれば足りるものと考える。 2 目的の相互密接関連性 つぎに、本判決が解除の要件として掲げるところの「それらの目的とするところが相互に密接に関連付けられてい」るとの部分について若干の問題点を指摘したい。 本件の場合、解除の要件との関係では、本件会員権契約の目的は屋内プールの利用にあり、本件売買契約の目的も本件マンションに宿泊しながら屋内プールを利用する点にあったものと解される。したがって、本件売買契約の目的が屋内プール利用の点で本件会員権契約の目的と密接に関連付けられていることは認められるものの、本件会員権契約の目的自体はそれ自身完結的であるとみる余地があるから、逆に本件会員権契約の目的の方も本件売買契約の目的と密接に関連付けられているという意味で「相互」の関連性までは認めにくい側面がある。例えば、本件と同様の契約関係において、本件とは逆に売買契約の方でYに債務不履行があった場合(本件マンションを引き渡さないといったような場合)、もしXらが会員権だけでもかまわないと考えていたならばどうか。そこからは、本件売買契約と併せて本件会員権契約をも解除できるとの結論は導きにくい。つまり、本件のようなリゾートクラブにおいては、会員権契約の方が全体としての目的に直結している点で主たる契約といえ、(代金はより高額であるが)これに対して売買契約の方が従たる地位におかれるという点で、両契約の目的の間には、対等な関係での「相互」の関連性といったものは必ずしも認められないことに留意すべきものと思われる。 3 解除する契約の選択の可否 最後に、本判決が「甲契約と併せて乙契約をも解除することができる」と判示している点につき検討する。 まず、「甲契約と併せて」としているのは、甲契約上の債務不履行を理由に乙契約だけを都合よく解除することは許されず、乙契約を解除するときは必ず「甲契約と併せて」解除しなければならない趣旨と解される。この点は正当であり、本判決が提示した理論に対する最高裁の細やかな配慮がうかがわれる(10)。 では、本判決が「乙契約をも解除することができる」として、乙契約の解除は任意であり、甲契約だけ解除することも認めるような表現をしている点はどうか。 これは、実質的に1個とみうる契約の一部を解除することの可否とその基準の問題であるということができる。この点、前述の2個説の立場からすれば当然解除できるということになり、実質的に不可分な2個の契約について1個の契約のみの解除を否定するとの結論を導きにくい。 しかし、かかる場面においても実質を考慮すべきは当然であり、抽象的にいえば、両契約が不可分な関係にある場合は解除は否定されるべきと解する。そして、その不可分の意味は、本判決の言葉を使えば、まさに、それらの目的が密接に関連付けられていて、社会通念上、いずれかの契約が履行されるだけでは契約を締結した目的が全体としては達成されないと認められる場合であるといえよう(11)。つまり、本判決の判断基準と重なり合うのであって、一方の契約の債務不履行を理由として他方の契約をも解除しうる場合は、そもそも一方の契約のみを解除することはできないものと解すべきである。この点、本判決は、本件会員権契約のみの解除を認めるかのような表現をとっている点に問題がある。 したがって、民法541条にいう解除の対象たる「契約」は、不履行となった債務によって達成しようとした目的との関連で実質的に1個とみうる「契約」(12)の全体であると解すべきであり、そう解することで、一見異質な本判決の理論を同条に直接結びつけることが可能となる。 4 本件における解除の可否 Xらは本件マンションを、屋内プールを含むスポーツ施設の利用を主要な目的とする物件として購入しており、この事実認定の下では、契約目的の密接関連性及び履行遅滞による契約目的の不達成はいずれも肯定できるから、本判決のとおり、本件両契約の解除は認められるものと解する(13)。 七 まとめ 以上によれば、本判決の結論自体に異論はない。しかし、次の4点につき、議論を整理する意味を込めて若干の問題提起を試みることとし、本判決の評釈を終えたい。 @ 屋内プール完成遅延の債務不履行につき、近時の下級審裁判例への配慮から、遅延が許容される限度を積極的に提示すべきではなかったか。 A 契約の個数の捉え方については、形式的単位と実質的単位との二義性を率直に認めればよいのではないか。 B 本判決が解除の要件として掲げた契約目的の相互関連性について再考の余地がありはしないか。 C 本件の場合、解除できる契約に選択の余地はないから、本件会員権契約のみの解除を認めるような表現は避けるべきではなかったか。 (1) このような理解のもとでは、購入者の合理的期待を惹起したとの理由でYの真意とは無関係に禁反言的な責任を認めているかのように受け取れるが、本件ではYの債務負担意思が十分認定できるから、これに対するX側の黙示の承諾を認めれば足りたものと思われる。 (2) もっとも、外見上は「付随的義務」の不履行であっても、これにより契約締結の目的の達成に重大な影響を与える場合は解除が認められる。最判昭43・2・23民集22・2・281はそのような事案であり、土地の売買契約において、代金完済までは地上に建物等を建築しないとの付随的約款の不履行から解除を認めた。 (3) この点、第一審では、屋内プールの完成が、本件会員権契約のみならず、本件売買契約にとっても必須の要素たる債務であると解している。しかし、第一審は本件売買契約と本件会員権契約とを不可分的に一体化したものと捉えているから、本件会員権契約上の債務にすぎないと解してもその不履行から本件売買契約の解除を導くことができ、あえてそう解するまでもなかったものと思われる。もしこの点を強調するならば、Xとしては解除する契約を理論上自由に選択できることとなり、屋内プールの完成遅延を理由にマンションの売買のみを解除するといったおかしな結論を是認することになりかねない。 (4) 特にゴルフクラブにおけるゴルフ場開場の遅延につき近時下級審での否定例が目立っていたが(東京高判平6・9・26判タ883・199、東京地判平6・10・28判タ892・207、東京地判平7・3・6判タ908・190、東京地判平7・11・21判タ915・143、東京地判平8・4・18判時1594・118、東京地判平8・7・26判タ925・210、東京高判平9・7・22判時1628・23、東京高判平9・8・21判時1634・77など)、最近になって最高裁でも解除を否定する判例が出されるに至った(最判平9・10・14判時1621・86)。 この最高裁判決では、ゴルフ場を利用させる債務の履行期を、開場が予定されていた「平成元年以後であって、その後のゴルフ場建設工事の進ちょく状況並びに当時の社会経済状況に照らして、右工事の遅延に関して予想される合理的な遅延期間が経過した時」という不確定期限と解することで、債務不履行の成否を立証の困難な債務者の帰責事由ではなく履行期到来の要件の存否で決しうるようにするとともに、遅延の社会通念上の相当性や解除時における近い将来の確実な開場見込みといった事情を不確定期限到来の有無の判断に盛り込ませて妥当な結論を導き出せるようにするなど、巧みな理論的工夫が施されている。 (5) 山本評釈49頁参照。大村評釈69頁では、一個説を「総合的アプローチ」、二個説を「分析的アプローチ」と呼んで区別する。なお、一個説に立つと理解されるものとして渡辺評釈・山本評釈・金山評釈、二個説に立つと理解されるものとして北村評釈がある。 (6) この実質的に1個の契約を、製造物供給契約のような混合契約と区別する意味で「複合契約」であるとか「ハイブリッド契約」であるなどと呼ぶことがある。しかし、判例上は用いられることがなく、法律用語としてはいまだに定着をみない。 (7) 原判決は、本件契約を2個と解する理由について、マンションと会員権とが財産権として別個独立であり、契約の客体としても別個のものであることを述べるが、もし客体別に1個の契約が成立するとするならば、議論の出発点として直感的常識的即時的に判断すべきところの形式的解釈において既に不合理な結論を生じさせることになろう(複数の物を同時に購入する契約の例はいくらでも考えられる。)。あくまでも契約書の数といった外形的表象から当事者の法律行為の個数を簡潔に認定していくべきであり、この点、本判決は、端的に2個の契約であることを前提として論理を展開している。妥当な方向と思われる。 (8) この点、「枠契約」(スポーツ施設の利用権を含むリゾート・マンションの購入)と「支分的契約」(「枠契約」に包含されたマンション売買契約・会員権契約)との重畳的契約構造を想定するのが有益との提案もあり示唆に富む(河上判時評釈180頁)。 (9) もっとも、評釈によっては、「2個以上の契約から成る場合であっても」と仮定的な表現を用いている点を捉えて、本判決は、契約が2個であることを必ずしも認定していないと解するものもある(河上判時評釈178頁)。しかし、ここでいう「であっても」は、複数の契約が存する場合に一方の契約の債務不履行を理由に他方の契約をも解除することは通常できないと解されていることから、例外的に解除できる場合「も」あることを指摘する趣旨で用いた表現にすぎないと考えるのが自然であり、本判決は、形式的に2個の契約が存することを認定した上で判決しているものと解すべきである。 (10) したがって、本判決の理論を、甲契約上の債務不履行が甲契約の解除権とは別個である乙契約の解除権の発生原因にもなるとの形で還元することは適切でないといえる。 (11) 可分の意味は、別の言葉を使えば、当該部分だけを解除してもなお、当事者が独立的な対価的計算関係を形成していると評価できる場合であるということもできる(不可分はそう評価できない場合ということになる。河上判時評釈178頁参照)。言葉は違うがどちらを用いても結論において異なることはないものと思われる。 (12) 形式的に2個ある契約を実質的には1個と解すべきその他の場合としては、不動産業者が自己の所有する業務用不動産を一定額単位の共有持分に小口化して投資家に販売するとともに、投資家はこれを直ちに当該業者に賃貸し、当該不動産を業者が事業運営して得た収益の中から定期的に賃料として金員を受け取るような場合における小口化不動産の売買契約と賃貸借契約を挙げることができる。これらは不動産投資を目的として密接な関連性を有する1個の契約とみることができ、現に賃料不払の債務不履行を理由として賃貸借契約だけでなく売買契約の解除をも認めた下級審裁判例も存する(東京地判平4・7・27判時1464・76)。もっとも、この控訴審判決である東京高判平5・7・13金法1392・45は売買契約の解除を否定した。これらの判決の評釈には、星野豊「不動産小口化商品の解約」ジュリスト1067号131〜134頁(1995.6.1)がある。 (13) もっとも、本件のような事案では、施設の建設が遅延していることに乗じ、マンションの時価下落による損失を取り戻すためにかかる訴訟を起こした可能性も否定できない。それゆえ、契約目的の認定には慎重を期すべきであろう。 【参考文献】 一 本判決の評釈 河上正二・判例時報1628号175〜180頁(判例評論470号13〜18頁、1998.4.1) 河上正二・判例セレクト’97 20頁(1998.3.1) 本田純一・私法判例リマークス1998〈上〉35〜38頁(1998.2.25) 渡辺達徳・法学新報104巻4=5号161〜183頁(1998.2.5) 北村實・法律時報69巻12号103〜107頁(1997.11.1) 山本豊・判例タイムズ949号48〜52頁(1997.11.1) 大村敦志・平成8年度重要判例解説68〜70頁(1997.6.10) 金山直樹・法学教室201号114・115頁(1997.6.1) 池田真郎・NBL617号64〜67頁(1997.5.15) 近藤崇晴(最高裁判所調査官)・判例時報1585号21〜26頁(1997.2.1)、判例タイムズ925号171〜頁(1997.2.15)、ジュリスト1107号130・131頁(1997.3.1)、法曹時報49巻8号261〜280(2099〜2118)頁(1997.8.1) 二 その他の参考文献 池田真郎・「『複合契約』あるいは『ハイブリッド契約』論」NBL633号6〜16頁(1998.1.15) 窪田充見・「演習 民法2」法学教室204号145頁(1997.9.1) 道垣内弘人「一部の追認・一部の取消」『星野古稀・日本民法学の生成と課題(上)』293〜327頁(1996.6.30) 河上正二「複合的給付・複合的契約および多数当事者の契約関係」法学教室172号48〜57頁(1995.1.1) 小野剛「付随的債務の不履行と契約の解除」判例タイムズ494号17〜34頁(1983・6・15) |
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日本法学65巻4号(水辺芳郎教授古稀記念号『私法学をめぐる現代的諸問題』))455〜483頁(2000年3月)。
最判平10.7.17民集52.5.1296をも視野に入れた上で、
「無権代理と相続」問題に関し最新の研究成果を述べた。
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| 一 序論 二 無権代理人相続型における当然有効説 1 人格承継説(穂積説)・資格融合説(四宮説) 2 代理権追完説(於保説) 3 信義則有効説(杉之原説) 4 当然有効を認める諸説の評価 三 非当然有効説 1 抗弁否定的説明 2 完全併存説 四 当然有効説と判例の流れ 1 最判昭和37年4月20日民集16巻4号955頁(本人相続型) 2 最判平成5年1月21日民集47巻1号265頁(無権代理人共同相続型) 3 最判平成10年7月17日民集52巻5号1296頁(追認拒絶後相続型) 4 最判昭和63年3月1日判時1312号92頁(二重相続型) 五 信義則の個別的適用の可否 1 追認拒絶権の行使と信義則 2 最判平成6年9月13日民集48巻6号1263頁(後見人就任型)の検討 3 相手方の「過失」解釈による処理 六 特定物の処分と無権代理人の履行責任 1 「他人物売買と相続」の問題との比較 2 目的物承継型 3 責任承継型 七 総括 一 序論 大判昭和2年3月22日民集6巻3号106頁のリーディング・ケースを皮切りにして、いわゆる「無権代理と相続」の問題が古くから論じられてきた。にもかかわらず、最判平成10年7月17日民集52巻5号1296頁において新たな問題提起がなされるなど、依然として議論は冷めやらぬ感が強い。70年以上にわたって学者を魅了し続けてきたこの問題は、まさに古稀の記念にふさわしいといえよう。 「無権代理と相続」というと偶発的要素があり、机上の議論としての色彩が強いとの印象を抱きかねないが、これは決してレアケースではない。無権代理行為がなされる場合、代理人において、実印や印鑑証明書など代理権があるかのような外観を備えているのが通常であるところ、それは、相続の起こりやすい同居の親族間において最も容易に行うことができるものと考えられる上、効果の帰属・不帰属をめぐって紛争になると、その解決に長期間を要するため、その間に当事者が死亡して相続が開始する可能性が高いからである。したがって、実務上も重要な問題である。 本論文では、「無権代理と相続」に関する判例理論のうち、いわゆる無権代理人相続型(無権代理人が本人を相続した場合)における当然有効説を俎上の中心に据え、その検討を通じて無権代理人の履行責任というものを考えてみることにした。この当然有効説については理論構成面でかねてから学者の反対意見がみられ、実体要件面でも近年その妥当性を疑問視する声があがっている。最高裁もそれを受けてか、徐々にその適用範囲を狭めつつある。しかし、それもあくまでその場しのぎの理論構成にすぎず、事案によっては妥当性を確保できなくなる場合がでてくるように感じられる。やがて訪れるかもしれない判例変更の運命に対し、些かでもその後押しができることを願いつつ、これまでの議論等をまとめてみた次第である。 二 無権代理人相続型における当然有効説 戦前の大審院時代は専ら無権代理人相続型の判例が中心であった(1)。しかも、旧家族法下の家督相続時代であったからいずれも単独相続の事案である。その状況下において、大審院は、「無権代理人カ本人ヲ相続シ本人ト代理人トノ資格カ同一人ニ帰スルニ至リタル以上本人カ自ラ法律行為ヲ為シタルト同様ノ法律上ノ地位ヲ生シタルモノト解スルヲ相当トス」(前掲注(1)の大判昭和2年3月22日)との判示に代表される当然有効説の立場を明らかにした。 この当然有効説を理論的に根拠付けるにあたっては、学説上もいくつかの考え方がみられる。 1 人格承継説(穂積説)・資格融合説(四宮説) 両説は同一視されることが多いものの、論者及び主張の時期が異なり(穂積説は昭和2年判決の評釈、四宮説は昭和17年判決に対する評釈において主張された。)、趣旨も若干異なっている。 まず、人格承継説は、相続の理論構成につき個々の権利義務の承継とみる考え方に対して主張され、相続をもって法律上の地位(人格)の承継とみ、被相続人と相続人とを法律上「同一人」として扱うとの考えである。そして、これに照らして判例の理論構成を「至極の見解」(穂積昭和2年評釈88頁)と評価している。 しかし、相続により「同一人」となった時点から遡って、無権代理行為当時に本人自ら法律行為をしたと解するにはやはり無理がある。いわば「比喩的な説明」(於保評釈314頁)にとどまり理論的説得力はおよそ感じられない。 つぎに、資格融合説は、本来代理行為は代理権がなければ効果は帰属しないが、相続により無権代理人が本人たる資格(人格ではない当該代理行為における資格)を承継し、本人たる資格と無権代理人たる資格とが同一人格に融合すれば、もはや代理権の媒介は不要となり、当然に代理行為の効果が帰属するに至ると考えるもので、「一種の追完を説くものではあるが」(四宮評釈46頁)、相続の理論構成から直接当然有効を導く人格承継説に対して理論的説明を更に付加したものと考えることができる(2)。無権代理人相続型における判例の主たる理論的根拠とみられている。 しかし、これらの説に対しては、当然有効の効果を認めると、@本人相続型(本人が無権代理人を相続した場合)において本人に不測の不利益が及ばないか、A無権代理人相続型であっても共同相続をした場合において他の共同相続人の利益を害しないか、B無権代理人が無能力者であったり、相続財産について管理処分権がない場合(遺言執行者がいる場合(民1013条)等)において無能力者保護(民117条2項)や管理処分権喪失の趣旨が貫徹されないのではないか(3)、といった批判が向けられる。 2 代理権追完説(於保説) 昭和9年判決に対する評釈において主張された。「無権代理人が本人を相続して相続財産を拘束すべき債務行為を為し又は処分する権限を取得した時には代理権の欠缺は治癒され」ると考えるものである(4)。昭和2年判決でも、前説の理論的根拠と併せ、「恰モ権利ヲ処分シタル者カ実際其ノ目的タル権利ヲ有セサル場合ト雖其ノ後相続其ノ他ニ因リ該処分ニ係ル権利ヲ取得シ処分者タル地位ト権利者タル地位トカ同一人ニ帰スルニ至リタル場合ニ於テ該処分行為カ完全ナル効力ヲ生スルモノト認メサルヘカラサルト同様ナリ」と判示しており、本説的な根拠付けがなされている(5)。 この説によれば、本人の処分権を取得しても、無権代理人に管理処分権がなければその制限が解かれない限り当然有効とはならない(6)。しかし、この説でも、本人相続型では、処分権等を有している本人のもとに無権代理人の地位が承継されるという形でやはり代理権の欠缺は治癒されるものと考えられるから、前記@の批判はなおも妥当することとなる。 3 信義則有効説(杉之原説) 昭和13年判決に対する評釈において主張された。無権代理人は相続によって本人の有する追認権を取得するが、その追認を拒絶することは、「実質的には無権代理人をして自己が欲してなしたる法律行為の効力の発生を自ら阻止し得ることを認めることとなり、私的自治の精神に反し信義則にもとるところ大なるものがある」とし(杉之原評釈1031頁)、その結果、追認を待たずに無権代理行為は追完され、当然有効の効果を生ずると考えるものである。昭和2年判決でも更に、本説的な根拠付けとして、「単ニ無権代理行為ナリトノ理由ニ基キ叙上ノ如ク無権代理人カ本人ヲ相続シタル場合ト雖同人ハ其ノ本人タル資格ニ基キ追認ヲ拒絶シ得ヘク従テ又無権代理人タル資格ニ於テ損害賠償ノ責ニ任スルコトヲ得ヘシト謂フカ如キハ徒ニ相手方ヲ不利益ナル地位ニ陥ルル結果ヲ生スルコトヲ免レ難ク其ノ許スヘカラサルコト言ヲ竢タサル所」とも述べているほか、昭和17年判決や、最高裁になってからも本人相続型に関する昭和37年判決や共同相続型に関する平成5年判決などで根拠付けに用いられている。 この説によれば、本人相続型では本人が追認拒絶することは何ら信義則(1条2項)に反しないから当然有効とはならず、妥当な結論を導きうる。したがって、資格融合説や追完説に対する前記@の批判を回避できる(7)。 4 当然有効を認める諸説の評価 以上述べた諸説は、無権代理人相続型において当然有効を認める考え方としては一致しており、ただ本人から何を承継することによって追完を生ずるのかにつき、被相続人の人格(人格承継説)、本人たる資格(資格融合説)、債務行為・処分の権限(代理権追完説)、追認権(信義則有効説)のうちいずれを採るかの違いであると考えることができる。無権代理人相続型(しかも単独相続型)に問題を限定して考えたとき、要件・効果面ではさほどの差はなく、ただ、実質的理由付けとしての説得力及び本人相続型における結論の妥当性という観点からして信義則有効説に分があるというにすぎない。 三 非当然有効説 1 抗弁否定的説明 しかし、より重要なのは、そもそも当然有効と解すること自体妥当なのかという点である。この点まず、@民法117条による無権代理人の責任が肯定される場合、当初はこれにより「履行又ハ損害賠償」とで相手方の選択が認められていたのが、相続を契機に当然有効となることで、選択の自由が封じられるとの批判が向けられる。 これに対しては、相手方は契約当初こそは有効となることを望んでおり、当然有効とすれば望み通りの効果を得られるから、選択の自由が封じられても構わないとの反論も考えられ、実際、特定物給付を目的とする場合はそれでよいと解する余地もある。しかしながら、特に本人の履行態度(誠実に弁済してもらえそうな人か)に重きをおいて契約したような場合を考えてみるとどうか。本人の生前に代理行為が有効となり、その後履行が完了する前に相続が開始したならばやむを得ないとしても、相続によって初めて有効となった場合に、はたして無権代理人(というだけで不誠実さがうかがえる。)たる相続人との間で契約関係を必ず成立させようと望むかは疑問であろう。かかる場合にも当然有効の効果を認めるとかえって相手方に不利となりうるのである(8)。また、無権代理人が本人の地位を限定承認によって相続した場合、当然有効とすれば、相手方はもはや無権代理人としての責任を追及しえないから、本人が無資産で履行責任を果たせないときに不利益を生ずることもになる(9)。 そこで、相続の事実だけで確定的に当然有効の効果を生じさせるのではなく、少なくとも、相手方から当然有効の効果を主張してきた場合にそれを否定できないと解すれば足りると考えられる(10)。つまり、相手方が当然有効を望まなければ損害賠償や取消(民115条)の選択も可能となる。その根拠としてはもっぱら信義則が援用されることになろう。平成5年判決では三好裁判官の反対意見が付され、「無権代理人が相手方から…無権代理行為の効果を主張された場合には、追認がないことを理由として、これを否定することはできないとするものであるにすぎない」として、この立場を支持している。 2 完全併存説 ところが、以上により、抗弁否定的説明を採って先の批判に対応しえたとしても、当然有効説に対してはなお、A相続という偶然の事情により、表見代理はもちろんのこと、無権代理人の責任をも追及しえないはずである(無権代理行為であることにつき)悪意又は有過失の相手方(民117条2項参照)をも保護してしまい、望外の利益を与える結果となる点に批判が向けられる。 確かに、代理権がないにもかかわらず代理行為をする者は、それだけでも詐欺的な要素が感じられ、相手方は専ら被害者にすぎないとの意識を生じがちである。その場合、無権代理人に対する制裁的措置として当然有効説の主張を生む。また、無権代理人相続型では、自ら無権代理行為をしておきながら、いざ本人たる地位とともに無権代理行為の追認拒絶権を相続するや、これを行使して履行を拒絶するのは、自己の先行行為に矛盾する態度としていわゆる禁反言に当たり、それゆえ信義則に反するとも考えられる。これは一応の説得力を有する。また、その結果、相手方としては、無権代理人が本人の相続人であることを主張・立証(具体的には戸籍謄本等の提出)しさえすればよく、立証の容易化による予測可能性の確保という大きな利点が得られる。取引の動的安全保護を強調する立場からは強く支持されてしかるべきといえるかもしれない。 しかし、代理行為の効力をめぐる訴訟において、代理権も立証できなければ追認も立証できない上、更には、表見代理の成立はもちろん無権代理人の責任すら追及できないといった相手方が、たまたま相続が開始したために戸籍謄本1枚で途端に勝訴してしまうというのは何とも不合理な印象を拭えない。かえって、近い将来本人の死亡が予見できる状況のもとでは、相続開始をまって代理行為の効果を主張するとの悪質な戦術を容認する結果となるし、場合によっては、むしろ相手方主導で無権代理行為を誘導することも十分考えられるところであるから(11)、単に予測可能性の確保による法的安定性ということを強調するだけでは繕いがたい欠陥を露呈するように思われる。 したがって、先の抗弁否定的説明を採るまでもなく、そもそも相手方から当然有効の主張をすること自体認めるべきでないと考える。つまり、無権代理人たる地位と本人たる地位が併存している状態を率直に認め、無権代理人相続型といえども、本人たる地位に基づいて追認を拒絶できるものと解するのである(12)。あとは善意無過失の相手方に対し、無権代理人たる地位に基づいて117条責任を負うと考えればよい。 四 当然有効説と判例の流れ しかも、最高裁は、無権代理人相続型において当然有効説を採ることに固執しながらも、学界における批判的論調や実際上の不都合に鑑みてか、実際上の適用範囲を徐々に狭めつつある。 1 最判昭和37年4月20日民集16巻4号955頁(本人相続型) 前に触れたとおり、最高裁は本人相続型については信義則を理論的根拠に用いており、「相続人たる本人が被相続人の無権代理行為の追認を拒絶しても、何ら信義則に反するところはないから、被相続人の無権代理行為は一般に本人の相続により当然有効となるものではないと解するのが相当である」として非当然有効の立場に与している(13)。 それゆえ、無権代理人と本人とが相互に相続し合う関係にある場合は、いずれが先に死亡するかによって結論が相違し、本人が先に死亡したときにのみ当然有効の結論が導かれるという点で適用範囲が狭くなる。 2 最判平成5年1月21日民集47巻1号265頁(無権代理人共同相続型) また、以上触れた判例はほとんどが単独相続の事案に関するものであったが、戦前の家督相続の時代とは異なり、現行法では共同相続となりうるのがほとんどであるから、特に無権代理人が第三者とともに共同相続した場合にどう解すべきかが問題とされていたところ、最高裁は近年、かかる事案のもとで、「他の共同相続人全員の追認がない限り、無権代理行為は、無権代理人の相続分に相当する部分においても、当然に有効となるものではない」と判示した。なぜなら、「無権代理行為を追認する権利は、その性質上相続人全員に不可分的に帰属する」と解されるため(14)、「共同相続人全員が共同してこれを行使しない限り、無権代理行為が有効となるものではない」からである(15)。 そのため、無権代理人としては、他に共同相続人がいる限り、相続と同時に当然有効となることだけは免れられる。そして、近しい親族である他の共同相続人に対し、追認をすることや相続放棄をすること(16)を止めるよう働きかけることによって、最終的にも当然有効の結論を回避できることになろう(17)。したがって、この判例により、当然有効説の適用範囲は事実上かなり狭められてしまったものと解される。 なおここで、共同相続型において、相続放棄との関係から、遺産分割の場合も比較検討しておきたい。まず、相続放棄の場合、放棄をした者は完全に相続人としては扱われないこととなり(民939条)、その結果、承認をした相続人のもとに無権代理人又は本人の地位が集中的に帰属することになる。しかし、これに対して、遺産分割の場合、無権代理人又は本人の地位が財産的価値を有するかは疑わしく、分割対象とはなりにくいと考えられるから、その地位が特定の相続人に集中することはないものと解され、それゆえ、例えば特定物売買をめぐる無権代理人共同相続型において、遺産分割の結果、無権代理人が目的物の所有権を単独相続することになったとしても、なお本人の地位は共同相続人全員に分属しているものとして処理すべきように思われる。目的物の単独承継の点は、履行責任の負担を前提とした特定物処分の効果の問題として捉えるべきものであり、後述する。 3 最判平成10年7月17日民集52巻5号1296頁(18)(追認拒絶後相続型) そして、最高裁は最近になって、更に当然有効の途をかなり狭める判決を出している。それは、本人が生前、無権代理行為による結果の原状回復を求めて訴え(具体的には根抵当権設定登記抹消登記手続請求訴訟)を提起していたことから、これを追認拒絶ととらえ、「その後に無権代理人が本人を相続したとしても、無権代理行為が有効になるものではない」としたものである。なぜなら、「本人が追認を拒絶すれば無権代理行為の効力が本人に及ばないことが確定し、追認拒絶の後は本人であっても、追認によって無権代理行為を有効とすることができず、右追認拒絶の後に無権代理人が本人を相続したとしても、右追認拒絶の効果に何らの影響を及ぼすものではないからである。」(19)実は、この点は平成5年判決の事案においても同様であり(20)、むしろ追認拒絶と認定しなかったことにつき疑問が提示されていたところ(奥田論文17頁)、これを認めたわけである(21)。 したがって、そもそも代理行為の効力について争いがあるときは、無権代理とされる場合において本人に追認拒絶の意思を認めうるから、相続の事実のみで当然有効とはされないことになる(22)。 4 最判昭和63年3月1日判時1312号92頁(二重相続型) 以上によれば、3つのしかも出現頻度の高い類型において非当然有効の立場が採られ、その結果、当然有効説がかなりの部分で骨抜きにされていることが分かる。そのこと自体、当然有効説の不合理性を明らかにしているとみることができないわけではないが、ただ、最高裁は、いわゆる二重相続型(第三者が本人と無権代理人双方を相続する場合で、順次相続型ともいう。)のうち無権代理人死亡先行型(第三者が無権代理人をまず相続し、その後に本人を相続する場合)において、当然有効説が生き残る道を確保している。つまり、「当該相続人は本人の資格で無権代理行為の追認を拒絶する余地はなく、本人が自ら法律行為をしたと同様の法律上の地位ないし効果を生ずる」と判示しており(23)、無権代理人相続型と同様に処理すべきことを明らかにしている。 しかし、最高裁の立場では、本人死亡先行型(第三者が本人をまず相続し、その後に無権代理人を相続する場合)の場合には本人相続型と同様に処理されることが推測され、当該相続人は追認拒絶しうることになる。そこで、いずれが先に死亡するかといった偶然的事情によって結論が変わるのは不合理だとの批判を招いている(24)。特に、机上の議論かもしれないが、不慮の事故により無権代理人と本人とが同時に死亡したとの推定を受けたような場合(民32条ノ2、同時相続型)を考えてみるとこの理論は破綻をきたすことになろう。 また、この判例理論は、その背景にある信義則ないしは禁反言則の適用につき、先行行為との矛盾を当該無権代理人個人の内部的事情を超えてその包括承継人にまで拡張して判断する立場と考えられるところ、民法177条における背信的悪意者からの転得者の議論にみられるように、信義則は当該個人について属人的に判断すべきものと解されるから、第三者は原則として本人たる地位に基づき追認拒絶しうるものと考える(25)。もちろん、そもそも当然有効の結論自体不当と解する立場では、二重相続における無権代理人死亡先行型においても非当然有効とならざるを得ない。 なお、他の類型から二重相続型を特に抽出するのは、一つには、無権代理人でも本人でもない第三者がその地位を相続した場合を考察するためであるが、他にも、無権代理人又は本人の地位を部分的に相続したにすぎない者が他方の地位を相続した場合を考察しうるという点にも意義がある(26)。その場合にもなお、全面的に当然有効の効果を生じさせてよいかが問題となるからである。そこで、同じ無権代理人死亡先行型であっても、無権代理人たる地位を全面的に承継(単独相続)した場合(平成10年判決はこの類型に属する。)だけでなく、部分的に承継(共同相続)した場合を更に抽出して考えることが議論を精緻化する上で有益である。しかし、おそらく最高裁は、後者の類型においても当然有効と解するものと思われる(27)。 結局のところ、かかる最高裁の立場は一見理論的でありながらも、実はかなり大雑把な理屈の上に成り立っている印象を抱く。そして、もしこれらの欠点に鑑みて、無権代理人死亡先行型における当然有効の立場をも放棄することにでもなれば、当然有効説の基盤は、維持の必要すら感じられない極めて脆弱なものになるはずである。 五 信義則の個別的適用の可否 そこで、完全併存説の立場に与するとしても、それとは別に、具体的な当事者間で信義則を個別的に適用できないかが問題となる。相続という事実だけで信義則違反を認定すべきでないことは先にみたとおりであるが、相続に加えて、あるいは相続とは切り離された形で個別的な事情を勘案し、信義則を適用して「追認」と同様の効果を導き得ないだろうか。とりわけ、有過失であるため無権代理人の責任を追及し得ない相手方につき、無権代理人の背信性などとの相関関係で有効と認めた方が妥当という場合には有益な考えとなりうるため、以下検討してみる。 1 追認拒絶権の行使と信義則 無権代理行為の場合、一般には、追認拒絶権を信義則上行使しえないとして「追認」と同様の効果を導いているから、まず、追認拒絶権の本質について考えてみることにする。 この点、追認拒絶権の行使は追認権の行使と二者択一の関係にある。前者は無権代理行為の効果を不帰属に確定させ、後者は帰属に確定させるからその効果は正反対である。したがって、一方を行使すれば他方が消滅する。また、追認権が放棄や時効等によって消滅すればもはや効果不帰属の道をたどるしかなく、追認拒絶をしたのと同様の結果となる。ここまでは両者の権利は表裏一体である。 ところが反対に、追認拒絶権が消滅した場合はどうか。無権代理行為は本来的に効果不帰属であるから、追認拒絶ができなくなったとしても、それゆえ直ちに効果帰属に転化するという論理にはならない。追認を拒絶できない結果、あるいは追認権を放棄できない結果、本人は追認権を抱えたままの状態におかれる。しかし、追認権という権利は当然に追認義務を包含しないから追認をしたくなければ追認権不行使の状態を続ければよい(そのうちに時効消滅すれば結局効果不帰属に確定してしまう。)。追認拒絶権の消滅そのものは法律関係の確定にとって用をなさないのである。つまり、先に述べた信義則有効説に対しては、理論的にみて「追認」と同視しえないといった批判が向けられることになる。 また、先に共同相続型において、追認権は「その性質上相続人全員に不可分的に帰属する」から「共同相続人全員が共同してこれを行使しない限り、無権代理行為が有効となるものではない」と述べたが、これを追認拒絶権にそのまま当てはめるならば、拒絶もまたその性質上共同相続人全員での行使が必要となる。しかし、追認権を共同行使とする以上、相続人の一人が追認拒絶の意思を表示しさえすれば効果不帰属に確定するはずであり、双方の権利ともに不可分的帰属と解することは論理的に明らかな矛盾を生じる。 したがって、追認拒絶権を追認権とは別個の同等な権利として並列的に理解することはできない。一般に権利の放棄については、放棄権などという捉え方をしない点に鑑みれば、条文に「追認」の「拒絶」とあるのは単に「追認」の放棄と捉えれば足りるようにも考えられる。また、訴訟上「追認」の「拒絶」が主張立証されるのは、相手方から「追認」による代理行為の効果を主張してきた際、これに対する抗弁として、「追認」前に「追認」の「拒絶」をしていたというやや例外的な場面においてのみである。このように考えると、追認拒絶権という概念は理論的にも存在価値的にも重要性の低いものであるから、その行使が信義則に反するから当然有効だと言われてみても、あまり説得力を感じるべきものではないことが理解できる。 にもかかわらず、なお「追認」と同様の効果を導きたいというのであれば、追認拒絶を認めるべきでないという消極的事情ではなく、より積極的に、少なくとも黙示の「追認」と同視できるような事情が存在しなければならないであろう。無権代理の場合、「追認」は効果不帰属から効果帰属へと転化させるものであるから、初めから有効な法律行為を有効なものに確定させる、取消うべき行為の「追認」(民122条)よりも積極的な事情が必要であり、それは法定追認(民125条)の諸事情を超える程度のものであると解しえないだろうか。 2 最判平成6年9月13日民集48巻6号1263頁(後見人就任型)の検討 では、信義則違反から「追認」と同様の効果を導くとした場合に、当事者間において具体的にいかなる事情を要求すべきか。これを考える際に参考となるのが、いわゆる後見人就任型(無権代理人ないしはその親族がのちに後見人に就任したような場合)に関する最高裁平成6年9月13日判決である。 この点、同判決は、「禁治産者の後見人が、その就職前に禁治産者の無権代理人によって締結された契約の追認を拒絶することが信義則に反するか否かは、(1) 右契約の締結に至るまでの無権代理人と相手方との交渉経緯及び無権代理人が右契約の締結前に相手方との間でした法律行為の内容と性質、(2) 右契約を追認することによって禁治産者が被る経済的不利益と追認を拒絶することによって相手方が被る経済的不利益、(3) 右契約の締結から後見人が就職するまでの間に右契約の履行等をめぐってされた交渉経緯、(4) 無権代理人と後見人との人的関係及び後見人がその就職前に右契約の締結に関与した行為の程度、(5) 本人の意思能力について相手方が認識し又は認識し得た事実、など諸般の事情を勘案し、」追認の拒絶「を代理してすることが取引関係に立つ当事者間の信頼を裏切り、正義の観念に反するような」「例外的場合に当たるか否かを判断して、決しなければならない」旨判示している。 つまり、後見人の追認拒絶が信義則に反する場合を例外的なものとしており、後見人に就任した(無権代理人相続型における相続の事実に相当する。)だけでは無権代理行為の効果は当然に帰属しないものとしている。なぜなら、相続の場合と異なり、追認拒絶を否定することにより履行責任を負うのはいまだ生存している被後見人(28)であり、当の無権代理人ではないからである。確かに、本判決前に出された最判昭和47年2月18日民集26巻1号46頁のように、無権代理人がそのまま後見人に就任した場合であれば、事後の追認拒絶は禁反言となるから、信義則適用の素地はあるかもしれない(29)。しかし、本判決は無権代理人(長女)と追認拒絶をする後見人(次女)とが食い違う事案である上(30)、「後見人は、禁治産者との関係においては、専らその利益のために善良な管理者の注意をもって右の代理権を行使する義務を負う」のであり(民869条・644条)、追認拒絶が本人の利益になるのであれば必ずしも信義則に反するとはいえない。そこで、原則的には追認拒絶できるとしつつも、「取引関係に立つ当事者間の信頼を裏切り、正義の観念に反する」場合に限って例外的に追認拒絶を否定し、本人への効果帰属を認めたのがこの判決である。 ただ、問題なのは、救済判決としての当該事案限りでの信義則適用を超えて、より一般的な形で判断準則を立てる意義がどこにあるのかということである。本判決は、信義則違反を認定した原判決を破棄差し戻したものであり、むしろ追認拒絶を広く認めていく方向(原則効果不帰属)での判示と解しうる上、無権代理人当人による追認拒絶という禁反言則の基本的枠組からもやや外れた事案で信義則の適用を問題にしている。それゆえ、本来は信義則を正面から採り上げる必然性は低いといえる。しかし、実務上いわゆる「事実上の後見人」のした無権代理行為について、相手方の取引の安全を保護する必要性が感じられるところ、これに表見代理の規定(民110条・112条)を適用するには、法定代理において本人の帰責性を認めにくく困難を生じるため、これに代わる帰責の要件(それは少なくとも黙示の「追認」と同視できるようなものでなければならないであろう。)を設定することには一応意義が存するように思える(31)。それゆえ、本判決を契機に、法定代理、特に成年後見の事案で一定の判断準則に従い信義則を適用していくのはよいとしても、それこそが例外的場合であり、無権代理人相続型で多く問題となる任意代理の事案では、表見代理の要件を満たす場合こそが「追認」と同視できるような事情として法定されているのであるから、その要件を満たさない以上、更なる救済策として信義則を用い、相手方の信頼を保護する意義は存しないと考える。 したがって、追認拒絶後相続型に関する平成10年判決が、「追認拒絶の効果を主張することが信義則に反すると解すべき事情」を考慮し、個別的適用の余地を認めていることは妥当でない。 3 相手方の「過失」解釈による処理 では、背信性があるような無権代理人に対して、「過失」のある相手方は117条責任を追及しえないのであろうか。 この点、同条にいう「過失」を重「過失」ととらえる見解がある。これは、無権代理人の責任を表見代理不成立の場合における補充的責任とみる立場からの主張として、同条の存在意義を認めるには軽「過失」を有するため表見代理が成立しない場合であっても無権代理人の責任は追及できるものとしたいがためである。この見解によれば、無権代理人側において、相手方に故意に匹敵する重過失があることを証明しない限り責任を追及できるから、妥当な結論を導きやすい。 しかし、117条を補充的責任とみる立場自体採り難く、判例もこれを採らない(32)。条文に「重過失」とされていない以上、「過失」は軽「過失」とみるのが自然な解釈態度である。 しかも、私見によれば、それでもなお、具体的に妥当な結論は十分導きうるから、結局、「過失」ある相手方は117条責任を追及しえないものと考える。なぜなら、117条責任は、無権代理人において代理権があるかのような外観を作出したのに対し、それを相手方が信頼して取引をしたことに基づくものと解されるのであり、それを無「過失」として評価するものであるところ、およそ背信性のある無権代理人は積極的に代理権の外観を作出して相手方の信頼を誘引していると考えられるのであり、そうであるならば、相手方に若干軽率さが認められるとしても、無権代理人の帰責性との相関関係において、なお相手方は無「過失」であると評価できるからである(33)。 六 特定物の処分と無権代理人の履行責任 したがって、無権代理人相続型といえども無権代理人は本人の地位で追認を拒絶でき、あとは117条責任の問題として処理すべきことになるが、そうすると、つぎに問題となるのは、特定物売買の無権代理行為において善意無過失の買主である相手方が履行責任を選択したときの処理である。このとき、無権代理人が特定物の処分権を有していないときは、履行責任を選択しても、その結果として無権代理人との間で他人物売買(民560条)が成立するにすぎないから、結局履行不能として金銭賠償で満足するほかないことになる。これに対し、相続その他の原因によって特定物の処分権を有するに至ったときは、履行不能が履行可能に転換するものと考えられるから(34)、これにより相手方は所有権を取得できないかが問題となるのである。 1 「他人物売買と相続」の問題との比較 この点、「無権代理と相続」の問題については、他人物売買において所有者の地位と他人物の売主の地位とが相続により同一人に帰属した場合がよく比較の対象とされる。しかし、それは履行責任の発生そのものではなく、(当然有効としても117条を介在させたとしてもいずれにせよ、)履行責任発生を前提とした特定物処分の効果の側面において比較をしているにすぎない。このことは、他人物売主の無権代理という複合事例を考えてみれば容易に理解できよう。この場合は、本人への効果帰属を認めても本人に特定物の処分権がないため、当然には相手方は所有権を取得できない。したがって、無権代理と他人物売買との根本的な違いとして、当初から当然に履行責任を負担するかどうかという点が挙げられるが、無権代理の側で比較されるのは、特定物売買であり、かつ履行責任を負担しているという場合がそもそも前提となっており、かかる相違点は比較にあたってさほど重要ではなく、基本的には他人物売買の場合とパラレルに考えてよいと思われる。 2 目的物承継型 そこでまず、特定物売主の無権代理人が目的物の所有権を承継した場合を考えてみる。その際、承継の原因が何かは重要な要素ではない。目的物を所有者から直接譲り受けた場合が事例として分かりやすいが、相続によって承継した場合ももちろんこれに含まれてくる(35)。 この点、相手方が履行責任を選択した以上、処分の効果を否定すべき理由は存しない。最高裁判例(最判昭和41年4月26日民集20巻4号826頁)もこれを認めている。また、他人物売買では、売主が所有者から目的物を譲り受けること自体が債務の内容となっているのであるから、所有権を承継すれば当然履行可能となり、処分の効果が生ずる点には問題がなく、その比較からしても処分の効果は認められるものと解される。 3 責任承継型 では、以上とは逆に、目的物の所有者が無権代理人の責任を承継した場合はどうか。この場合は、無権代理人たる地位を承継しなければならないから、包括承継の場合に限られ、したがって相続の場合が念頭におかれることになる。 この点、他人物売買で目的物の所有者が他人物の売主の地位を相続した事案において、最高裁(最大判昭和49年9月4日民集28巻6号1169頁)は、「権利者は、相続によって売主の義務ないし地位を承継しても、相続前と同様その権利の移転につき諾否の自由を保有し、信義則に反すると認められるような特別の事情のないかぎり、右売買契約上の売主としての履行義務を拒否することができる」と判示している。これとパラレルに考えれば、無権代理の場合も本人相続型のときは、追認拒絶をして無権代理人としての責任を負担し、相手方が履行責任を選択したとしてもなお履行を拒否しうることになろう。ところが、最高裁は、無権代理における本人相続型については、本人は相続後も追認拒絶しうるとの判例(最判昭和37年4月20日民集16巻4号955頁)や追認拒絶した場合でも無権代理人の責任を負うとの判例(最判昭和48年7月3日民集27巻7月751頁)を示しているものの、更に進んで、無権代理人の責任を追及する際、相手方が履行責任を選択した場合についてはいまだ立場が不明のままである(36)。 そこで考えるに、目的物の所有権と無権代理人の責任とが同一人に帰属した場合、それが目的物の承継によって生じたか、責任の承継によって生じたかでは若干の違いがある点に注目すべきと思われる。すなわち、目的物の承継では、譲渡を受けた場合はもちろんのこと、相続による承継の場合であっても、相続放棄の余地があるほか、共同相続であれば遺産分割による事後的な帰属主体の変更が可能であり、にもかかわらず、無権代理人が目的物の所有権をあえて承継した以上、処分の効果を認めても差し支えないと考えられるのに対し、責任の承継では、専ら相続の場合が問題となる上、相続放棄や限定承認の余地はあるものの、無権代理の事実を知らずにいったん単純承認してしまうと、相続債務は一般に遺産分割の対象と解されていないことから、もはや処分の効果を免れられないことになるのである(37)。 それゆえ、かかる相違から、責任承継型では目的物承継型と異なり、履行を拒否しうると考えることもできるが、責任承継型でも履行回避の余地が全くないわけではないこと、また、目的物の所有権を有しかつその移転・引渡債務を負担していながらなお履行を拒否しうるというのはあまり理論的ではないことに鑑みれば、責任を承継した以上、原則として履行を拒否しえないものと解しつつ(38)、事情によっては履行請求を例外的に権利濫用として排斥することで妥当性を確保すべきと考える(39)。 七 総括 以上みてきたとおり、無権代理行為は相続によって当然に有効とはならず、かつ信義則の個別的適用も原則として否定した上(事実上の後見人による無権代理行為の場合を例外とする。)、特定物売買の無権代理における責任承継(本人相続型)の場面で権利濫用の余地を残すといった処理の方法を支持したいと思う。結局のところ、目新しい結論を見いだしたわけではなく、その思考過程も先に出された論文の成果によるところが大きい。もっとも、本論文はこの問題につき、現在までに蓄積された判例及び学説の成果の総括をふまえつつ、更に新たな分析の視点を得ようと試みたものであり、新たに平成10年判決が出された現在において、それは決して無駄な作業ではなかったと感じる。しかし、他方、まだまだ分析の視点は至るところに眠っているようにもみえ(40)、この研究成果が先々において更なる研究の一助となればとも感じている。 (1) 前掲大判昭和2年3月22日、大判昭和7年1月13日法学1巻5号647頁、大判昭和9年9月10日民集13巻20号1777頁、大判昭和9年10月31日法学4巻4号486頁、大判昭和10年8月8日新聞3881号12頁、大判昭和10年12月28日裁判例民事9巻360頁、大判昭和13年11月16日民商9巻5号1022頁、大判昭和17年2月25日民集21巻4号164頁。但し、最後の昭和17年判決は二重相続型のうち無権代理人死亡先行型(四4参照)に属する。 (2) したがって、現在では、資格融合説だけを視野に入れて議論をすれば足りると思われる。 (3) もっとも、ABの点に関し、四宮評釈47頁は、相続により無権代理行為が通常の法律行為となるにすぎないから、かかる場合には当然有効の効果を生じない旨主張する。 (4) 於保評釈314頁。なお、同評釈でも、「恰も本人が自ら為したと同様な効力を生じて来る」ことを認めており、前説の論理を完全に否定しているわけではないことがうかがわれる。 (5) もっとも、穂積昭和2年評釈や杉之原評釈1029頁において批判されたためか、以後の大審院・最高裁判決では理由付けとして用いられていないようである。しかし、うち杉之原評釈の批判が見当違いであることにつき、奥田論文13頁参照。 (6) その限りで当然有効というわけではない。なお、無権代理人が無能力者であった場合についても、「能力者となる」ことで初めて追完される旨説かれるが(於保評釈314頁)、無能力者は一般に取り消しうべき行為であるものの有効な法律行為をなすことができ、しかも、代理行為については行為能力を必要とせず(102条)、無能力を理由に取り消し得ないものとされているから、当然有効の効果を阻止しえないのではないかとの疑問を感じる。 (7) 前記Aの批判に対しても、かかる場合は追認拒絶をしても信義則に反しないと解することで回避できるものと考える。 (8) 例えば、相手方が貸主の金銭消費貸借で当然有効とすれば、期限が到来するまで返還請求しえないこととなり、その間に財産の逸失や逃亡を企てるおそれが高くなる。 (9) 金判963号20頁参照。 (10) 能見法教6頁では、この立場を「抗弁否定的説明」と呼び、前記の当然肯定説を「追認介在的説明」と呼んで区別する。 (11) かかる事案がたまたま無権代理人の単独相続となった場合、その紛争が最高裁まで上がることがあれば、判例変更を促す絶好の機会となるであろう。 (12) 併存貫徹説とも呼ばれる(高森論文参照)。 (13) もっとも、この点に関してはかねてから、無権代理人相続型で資格融合説的根拠付けを述べているのと理論的一貫性を欠く旨批判を受けている。 (14) 根拠条文としては、準共有に関する264条・251条を挙げることができる(井上判解855頁)。 (15) もっとも、共同相続人のうち無権代理人だけは追認拒絶が「信義則上許されない」ため、「他の共同相続人全員の追認」をもって足りるとされる。 (16) 他の共同相続人全員が相続放棄をすれば単独相続と同様に扱われる結果、当然有効の効果が生じる(最判昭和40年6月18日民集19巻4号986頁)。 (17) もっとも、他の共同相続人が未成年の子であった場合に、子を代理して子の有する追認拒絶権を行使しうるかは、判例の立場では信義則上問題となりうると思われる。 (18) 本判決の評釈については、近時の論文等では紹介されていないため、後掲参考資料二において特に詳しく挙げておいた。 (19) 追認拒絶の効果を撤回しえない絶対的なものと解すれば、自ずと本判決の結論に至ることとなろう。その意味で、最高裁は極めて形式的な論理に基づく解決を指向しているものと考えられる。しかし、私見ではそれでもなお、後述するとおり、相手方の「過失」の要件を通じた柔軟な紛争処理が可能であるから、理論的に明解な最高裁の立場をもって妥当と解する。なお、理論的明解さは欠くものの、他として、「本人が訴訟上の攻撃防禦方法のなかで追認拒絶の意思をも表明していると認められる場合であっても、その訴訟係属中に本人と代理人の資格が同一人に帰するにいたった場合」に当然有効を認める本件原審の判決(大阪高判平成6年2月22日金判963号19頁)の立場や、「追認拒絶の意思表示はなされたが、まだ原状回復をしない間に本人が死亡し、無権代理人が相続したという場合」にも本人の追認拒絶の援用を許さず当然有効を認める学説(安永論文792頁)の立場もみられる。 (20) 民集掲載判決の事案では請求異議の訴え、同日判決の事案では抹消登記請求の訴えをそれぞれ本人が生前に提起している。 (21) 山本評釈12頁では無効確定説と呼び、援用違反説と対立させる。 (22) 奥田論文23頁は、「本人が健在であるような通常の場合には、本人による追認拒絶後に相続が開始することが多いであろう」とし、「本人が追認も追認拒絶もせぬままに死亡し相続が開始するという事態」は、例外的なものである旨述べている。 (23) 前掲平成10年判決も同様の類型である。また、大判昭和17年2月25日民集21巻4号164頁は家督相続の事案だが、同様の類型において同じ結論を導いている。 (24) もっとも、このことは二重相続型に特有の問題ではないし、二重相続型であっても、平成10年判決の事案のように代襲相続によって二重相続が起こるような場合はいずれが先に死亡するかによって結論を異にしない。 (25) もちろん、背信的悪意者の相続人は信義則上の地位をも包括的に承継し、転得者とは違って当然に民法177条の「第三者」たりえない。しかし、これと無権代理人の相続人とは別異に解すべきである。なぜなら、背信的悪意者の場合は物権の譲受行為自体に非難すべき事由が存するのに対し、無権代理人の場合は無権代理行為自体に必ずしも非難すべき事由はなく(無権代理であることにつき代理人自ら善意である場合も含まれているし、もしそれ自体信義則に反するというのであれば、117条責任に関する相手方の善意無過失その他の要件は不必要となるはずである。)、本人を相続して追認拒絶権を行使する段階で初めて禁反言としての信義則違反が問題となるため、その間に相続による主体の変更があれば属人的にみてもはや禁反言とはいいえないからである。 (26) 部分的な地位を取得するためにはいったん第三者が共同相続によって承継しなければならないため二重相続型とならざるを得ない。 (27) 昭和63年判決は無権代理人共同相続の事案であるが、引き続き本人の地位を相続する際、同時に無権代理人の地位の残りの部分も承継しており、最終的には全面承継しているから、前者の類型に属するとみる余地もあるゆえ断定はできない。 (28) 平成11年改正民法により、「禁治産者」や「無能力者」の語は、それぞれ「成年被後見人」「制限能力者」へと改称された(改正後の民法8条・19条など参照)。 (29) もっとも、昭和47年判決も、先の禁反言的状況に「加えて、」「後見人に就職する以前においても乙のため、叔父として事実上後見人の立場でその財産の管理に当っており、これに対しては何人からも異議が出なかったのであって、しかも、本件売買契約をなすについて乙との間に利益相反の事実は認められない」との事情から信義則違反による効果帰属の結論を導いている。したがって、最高裁は、後見人就任型では、就任の事実に諸般の事情を加味して信義則の適用を判断する立場を貫いているものと解される。 (30) 信義則違反を認めた最判平成3年3月22日家月43巻11号44頁も、無権代理人(両親)と追認拒絶をする本人(無権代理行為当時未成年だった子)とが食い違う事案であった。 (31) ここでは、要件内容の妥当性には立ち入らない。 (32) 最判昭和62年7月7日民集41巻5号1133頁。 (33) したがって、悪意の無権代理人は善意有過失の相手方に対しても117条責任を負うべきであるとの考え(辻法教43頁)や、一般的不法行為(民709条)で処理すべきとの考え(能見法教8頁参照)を採る必要性も認められない。 (34) 加藤論文19頁はこの点を明言する。 (35) ここで、限定承認による相続の場合について検討しておく。限定承認においても、目的物や無権代理人たる地位(117条責任とはいっても内実は一種の債務である。)が包括承継される点では単純承認と異ならない。それゆえ、先にみた当然有効か否かのレベルの議論ではさほど区別の実益がない。しかし、限定承認では、「相続によって得た財産の限度においてのみ被相続人の債務及び遺贈を弁済」すれば足りるという意味で責任が限定されるため(民922条)、被相続人の資力の有無が影響を及ぼすことになるばかりか、特定物の履行責任の面で単純承認の場合とは異なる扱いがなされることにもなる。とりわけ、特定物売主の無権代理人たる地位を相続するのに際して限定承認をすれば(本人相続型が考えやすいが、平成10年判決のような二重相続型の場合も同様である。)、責任財産が被相続人の遺産に限定される結果、相続人が目的物の処分権を有していても履行責任を許否しうるものと解される点は重要な差異といえよう。 (36) この点に関する学説としては、相続開始前に本人が明示的に追認拒絶していた場合には履行責任を負わずに損害賠償責任のみ負うべきとするもの(高森=高森論文42頁)や、より一般的に、特定物の給付義務が内容である場合にはおよそ履行責任を負わせるべきではないとするもの(川井健「判批」ジュリ576号50頁)がある。しかし、いずれの説も結論はさておき、理論的根拠の弱さに難点があるものと思われる。 (37) 本人共同相続型では、本人は第三者とともに無権代理人の責任を承継することとなるが、かかる部分的な責任であっても、特定物の所有権移転・引渡債務は性質上不可分であるから、全部の所有権が相手方に移転し引き渡されるものと解される。 (38) 「他人物売買と相続」に関する前掲昭和49年判決も、「信義則に反すると認められるような特別の事情」がある場合には履行を許否しえない旨留保を示している。しかし、私見は、それをむしろ原則と解すべきとする。 (39) 加藤論文21頁と結論同旨。 (40) たとえば、民法117条の存在意義をめぐる要件事実論(司法研修所『増補民事訴訟における要件事実第1巻』105頁以下(昭和61年3月)参照)についても若干言及すべきであったが、この点は更に詳しい検討が必要であり、本論考では枚挙にいとまがないため、やむなく他日を期することとした。ご容赦願いたい。 【参考資料】 一 「無権代理と相続」に関する論文等 千葉和則「無権代理行為と相続」民情154号80頁 能見善久『民法総則第5版』295〜298頁(平成11年4月) 高森八四郎「民法総則の基礎と応用−無権代理人の責任」法教213号35〜41頁(平成10年6月) 能見善久「再発見・民法基本判例−無権代理人の本人相続」法教205号4〜9頁(平成9年10月) 山田卓生「無権代理と相続」山田卓生ほか『分析と展開民法T[第2版]』100〜108頁(平成9年2月) 奥田昌道「『無権代理と相続』に関する理論の再検討」法学論叢134巻5・6号1〜23頁(平成6年3月) 辻正美「無権代理・他人物売買と相続」法教131頁39〜43頁(平成3年8月)〔判例に学ぶ民法(有斐閣、平成6年)所収、39頁以下〕 安永正昭「『無権代理と相続』における理論上の諸問題」曹時42巻4号773〜801頁(平成2年4月) 加藤雅信「無権代理・他人物売買と相続−『履行不能』転換説提示のために−」民研386号9〜23頁(平成元年6月) 磯村保「矛盾行為禁止の原則について1〜4−信義則適用の一場面」法時61巻2号90〜95頁・3号74〜79頁・6号120〜125頁・13号80〜86頁(平成元年2月〜11月) 高森八四郎・哉子「無権代理と二重相続」関法39巻1号1〜70頁(平成元年4月) 高森八四郎「無権代理及び他人物売買と相続」関法37巻5・6号1291〜1322頁(昭和63年3月) 鈴木直哉「無権代理と相続」早稲田法学会誌37巻1号123頁(昭和62年3月) 水辺芳郎「無権代理と相続」内山・黒木・石川還暦・現代民法学の基本問題下411〜431頁(第一法規、昭和58年7月) 二 「無権代理と相続」に関する判例(判例解説・評釈を含む。) 最判平成10年7月17日民集52巻5号1296頁(追認拒絶後相続型) 佐藤陽一「判批」主判解平成10年度(判タ1005号)40頁(平成11年9月) 山本敬三「判批」リマークス1999下(19号)10頁(平成11年7月) 塩崎勤「判批」金法1550号24頁(平成11年6月) 磯村保「判批」重判解平成10年度(ジュリ1157号)56・57頁(平成11年6月) 右近健男「判批」判時1670号185頁(判評484号23頁)(平成11年6月) 伊藤進「判批」銀法562号28頁(平成11年5月) 内田貴『民法T[第2版]』158・162頁(平成11年3月) 安永正昭「判批」セレクト98(法教222号別冊)12頁(平成11年3月) 佐久間毅「判批」法教221号120頁(平成11年2月) 西尾信一「判批」銀法556号58頁(平成10年12月) 江口浩一郎「判批」銀法556号1頁(平成10年12月) 最判平成6年9月13日民集48巻6号1263頁(後見人就任型) 田中豊「判解」曹時48巻6号1433頁 大阪高判平成6年2月22日金判963号19頁(追認拒絶後相続型・平成10年判決の原審) 最判平成5年1月21日民集47巻1号265頁(共同相続型) 井上繁規「判解」曹時46巻4号836頁 最判平成5年1月21日判タ815号121頁(共同相続型) 最判平成3年3月22日家月43巻11号44頁(後見人就任型?) 最判昭和63年3月1日判時1312号92頁(二重相続型・無権代理人死亡先行型) 東京高判昭和60年6月19日判タ565号107頁(二重相続型・無権代理人死亡先行型) 最判昭和49年9月4日民集28巻6号1169頁(「他人物売買と相続」) 田尾桃二「判解」曹時29巻2号333頁 最判昭和48年7月3日民集27巻7号751頁(本人共同相続型) 田尾桃二「判解」曹時26巻6号1013頁 最判昭和47年2月18日民集26巻1号46頁(後見人就任型) 宇野栄一郎「判解」曹時24巻6号1182頁 最判昭和41年4月26日民集20巻4号826頁(目的物承継型) 最判昭和40年6月18日民集19巻4号986頁(無権代理人相続型) 栗山忍「判解」曹時18巻7号1122頁 最判昭和38年12月27日民集17巻12号1854頁(「他人物売買と相続」) 枡田文郎「判解」曹時16巻3号433頁 最判昭和37年4月20日民集16巻4号955頁(本人相続型) 川添利起「判解」曹時14巻6号939頁 大判昭和17年2月25日民集21巻4号164頁(二重相続型・無権代理人死亡先行型) 四宮和夫『判民昭和17年度』12事件42頁 大判昭和13年11月16日(無権代理人相続型) 杉之原舜一「判批」民商9巻5号1022頁 大判昭和10年12月28日裁判例民事9巻360頁(無権代理人相続型) 大判昭和10年8月8日新聞3881号12頁(無権代理人相続型) 大判昭和9年10月31日法学4巻4号486頁(無権代理人相続型) 大判昭和9年9月10日民集13巻20号1777頁(無権代理人相続型・破産管財人主張) 於保不二雄「判批」民商1巻4号310頁 穂積重遠『判民昭和9年度』126事件413頁 大判昭和7年1月13日法学1巻5号647頁(無権代理人相続型) 大判昭和2年3月22日民集6巻3号106頁(無権代理人相続型・代位債権者主張) 穂積重遠『判民昭和2年度』21事件86頁 大判大正8年7月5日民録25輯1258頁(「他人物売買と相続」) |
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(原題「…過失の意識」は誤り。)
月刊民事法情報167号125〜130頁(山川一陽教授監修,2000年8月)。
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| [一] 本講座の趣旨 「権利外観法理」は、民商法を学習する際、分野の如何を問わず横断的に散見され、避けて通ることのできない重要な概念である。その一般的な概念内容を知る機会は多い。しかし、その概念が個々の具体的規定の中でどのように生かされ機能しているか、を考える機会はそれほど多くないのではないか。特に、権利外観法理において重要な機能を営む「過失」の概念については、不法行為における「過失」の概念に比べると、概説書の記述が明らかに不足しているばかりか、抽象的な論述に終始する傾向にもある。そのため、従来の議論をより具体的かつ仔細に検討し直してみると、新たな解釈の可能性や種々の問題点に気づかされることとなる。今回はこれをみなさんに追体験していただきたい。 [ニ] 権利外観法理の意義と内容 1 意義 権利の発生・変更・消滅といった法律効果が認められるためには、その要件となる事実や権利関係が真実存在しなければならない。したがって、(契約を中心とする)法律的行為(*1)によって一定の法律効果の発生を目指す場面においては、当の行為者としては、当該行為を行う前段階で、それが確定的に有効となるための本来的な要件が真実存在するか否か確認すべきこととなる。ところが、法律要件の中には、他者における権利の処分権能の帰属や内心の意思といった外部からは容易に認識しえないものが多く含まれているため、安易に行為をすれば、真実は要件を欠いていると判断されて無効となり、不測の損害を被るおそれがあるし、そうであるからといって、どこまでも慎重に確認の手続を踏もうとすれば、円滑さが特に重視される経済活動において重大な支障をきたす結果となる。 そこで、経済活動に関する財産法制を包摂する民商法中には、権利等の外観を信頼して行為をした者を保護する趣旨の規定が随所に置かれている(*2)。例えば、民法九四条二項は、内心的効果意思の欠缺により通謀虚偽の意思表示が無効であること(同条一項)を善意の第三者に対抗できないものとしている。これは、通謀虚偽表示の事情を知らず、それが有効であることを前提とする権利関係の外観を信頼して行為に及んだ第三者を保護する趣旨である。また、民法一一〇条は、基本代理権の範囲外であってその限りで代理権を有せず本人に法律効果が本来帰属しないはずのいわゆる無権代理行為(民法一一三条一項)について、相手方が権限ありと信ずべき正当の理由を有するときは法律効果の帰属を認めている。これは、真実に反する代理権授与の外観を信じ代理人との間で取引行為に及んだ相手方当事者を保護する趣旨である。ここに保護というのは、信頼した通りに要件が存在するものとして扱うことを指し、要件を満たす結果として権利変動を生じさせる。権利外観法理(*3)という語は、この例に掲げたような、必ずしも当事者の意思に基づかない権利変動を容認する諸規定やこれらをより広く類推適用すべき諸場面につき、その統一的説明に資する法理論として用いられてきたものである。 2 内容 権利外観法理の内容、つまり、権利外観法理に基づく諸規定に共通する統一的な要件を抽出したものとして、従来から、(a)権利の外観、(b)外観の作出に関する真の権利者の帰責性、(c)外観に対する相手方の信頼、の三点が指摘されてきた。しかし、ここでは、もう少し厳密にみておきたい。 まず、(1)本来的な法律要件である事実や権利関係の不存在、がその背景(真実)に存することは疑いない。その上で、(2)真実と異なる要件事実の外観、が存することになる。「権利の外観」などということがあるが、権利自体は観念的な目に見えぬ存在であるから、権利関係の不存在が問題となる場合でも、より直接的には権利を変動させる要件となる事実の外観が問われることとなろう。そして、(3)外観の作出に関する真の権利者の帰責性、である。これは、別に「帰責性」という一般的抽象的な要件が存するわけではなく、具体的諸規定においてはある程度類型化されている部分である。先に挙げた例でいえば、通謀虚偽表示における通謀虚偽の事実、権限踰越の表見代理における基本代理権授与の事実がこれに当たる。また、他方で、(4)外観に対する相手方の信頼、も必要である。これも、「信頼」という文言が規定中に用いられることはなく、規定によって表現が異なるものの、善意や善意無過失といった形で解釈されている。そして、かかる意味で信頼をした結果、(5)法律的行為(契約や弁済など)、に及んだことが必要となる。 なお、これらはあくまで各規定に共通する統一的な要件を、ある程度抽象化させて抽出したものにすぎない。したがって、これらの要件を最低限満たせば信頼通りの法律効果が発生するといった意味で、権利外観法理それ自体を、具体的な条文の規定と同じような形でそのまま適用しうるものと考えてはならない点に注意を要する。 [三] 権利外観法理における過失の一般的意義と特質 以上述べた権利外観法理の内容のうち、本稿では、(4)として掲げた「外観に対する相手方の信頼」を中心に採り上げる。特に、信頼の中身を善意無過失と解釈すべき規定における「過失」の有無は、実際の訴訟において中心的争点となる場合が少なくないと思われる。そこで、権利外観法理における「過失」の概念が、実際上いかなる意義を有するものとしてとらえうるかを考えてみることにしたい。 まず、「過失」といえば、私法の一般原則の一つである過失責任主義が想起される。人は、自己に故意・過失がなければ損害の発生について責任を負わされないとの原則である(民法七〇九条参照)。しかし、そこでいう「過失」は権利外観法理でいう「過失」と明らかに異なる。前者の「過失」は、損害賠償といった責任を積極的に負担させる要件としての「過失」であり、その内容としては、権利侵害の結果を予見し回避する義務の違反と解しうる。これに対し、本稿の課題である後者の「過失」は、それ自体保護を否定する理由にしかならず、構成の仕方としてはむしろ「過失」の不存在、つまり無「過失」が、真の権利者の犠牲において善意の相手方を保護するための要件となってくる。本来的には要件を欠く場合が想定されているから、たとえ「過失」があっても損をするのは過失ある行為者本人であって、その相手方に損害を及ぼすことはない。その内容としては、本来的な法律要件である事実や権利関係の不存在を見抜くため調査すべき義務の違反と解することができよう。したがって、逆に、無「過失」というのは、かかる調査義務がそもそもないか、義務があるとしても期待される調査を実施し、それでもなお要件の不存在を見抜けなかった場合(しかも、社会通念上もそのことが相当と認められる場合)ということになる。 このように、権利外観法理における無「過失」の要件は、調査といったある程度積極的な行動を法律的行為前の段階で既に期待できる前提のもとに設けられているものとみることができる。そのため、いわゆる契約締結上の過失(ここにいう過失は先に述べた前者の過失に属する。)の理論における信義則上の義務と同様に、契約交渉過程における当事者の行動を規律する大きな要素となってこよう。 また、この無「過失」の要件は、外観の作出に関する真の権利者の帰責性とは別個独立の要件とされているものの、両者の間にはある程度の相関関係がみられるということも、先に述べた「過失」内容から結論づけることができる。なぜなら、真の権利者の意思に基づいて巧みに真実が隠蔽されたような場合(帰責性が大きい場合)は、調査をしたとしても要件の不存在を見抜けず無過失と評価すべきこととなるし、逆に、真の権利者の関与がほとんどないような場合(帰責性が小さい場合)は、周囲が虚偽の外観によって埋め尽くされることはなく比較的容易に真実を発見しうる環境になりやすいと考えられるため、それでも誤信をすれば過失ありと評価できるからである。 なお、とりわけ商事法において、無「重過失」を保護の要件とする規定が見受けられるが(手形法一六条二項など)、そこにいう「重過失」は、悪意に比すべき著しい調査義務違反と解することができ、つまりは、最低限度期待可能であるようなより緩やかな調査義務すら果たさなかった結果、真実を見抜くことができなかった場合を指すものと考えられる。 [四] 権利外観法理の過失に関する具体的諸問題 1 民法九四条二項及び九六条三項の「善意ノ第三者」と無過失の要否 前述した九四条二項に加え、詐欺による意思表示の取消の場面においても、同条と同様に第三者を保護する規定が置かれている(九六条三項)。条文は、いずれも第三者保護の要件として「善意」を要求するのみである。ところが、この点、それで足りるものと解する判例の立場(無過失不要説)と(*4)、「善意」に加えて無過失まで要求する学説の採る立場(無過失必要説)とに分かれている。ここで、「善意」とは、通謀虚偽表示がなされ、あるいは詐欺による意思表示がなされたのを単に知らないことと一般に理解されている。つまり、不知だけで保護に値すると考えるのが無過失不要説であり、場合によっては事前に何らかの調査を期待してもよいと考えるのが無過失必要説であるといえる。 もっとも、無過失不要説の根拠は文言だけでなく、利益衡量の点にも及んでいる。すなわち、とりわけ通謀虚偽表示の場合において、それが真の権利者の故意に基づくものであって帰責性が大きく、これとのバランスから第三者の保護要件は緩やかでよいと考えるのである。これはある程度の説得力を有する。 しかしながら、この根拠に対しては、無過失を必要としてもそのことから第三者の保護要件がそれほど厳しくはならないとの指摘が可能である。例えば、A所有の土地がAからBCへと順次売却される場合に、AB間の売買契約中の意思表示が通謀虚偽表示ないしはBの詐欺による意思表示であったとする。このとき、第三者であるCとしては、Bから売却を受ける前に所有権の帰属に関し実際どのような調査が期待できるかといえば、差し当たり登記簿上の所有名義と土地の利用状況の確認くらいであろう。そして、登記簿上の所有名義がいまだAのもとにとどまっている等の特殊事情があって初めてAB間の契約関係について調査すべきこととなる。つまりは、通謀虚偽や詐欺といった前主の取引に関する事情を遡って調査すべき義務が生ずる場合はそれほど多くはなく、通常は登記名義が直接の売主になっているのを確認すれば、いわゆる登記の推定力により(動産の場合は占有の推定力(民法一八八条)により)、別段の調査義務は生じないものとして無過失と評価できよう。登記簿というのは不動産取引における初歩的確認事項であることを考えれば、無過失が必要か不要かによって、要件の緩やかさは見た目ほど大きくならないといえる。 また、無過失を不要として調査義務を免除したとしても、それは通謀虚偽表示及び詐欺による意思表示との関係においてのみにすぎず、善意無過失を要するものと一般に解されている他の規定との関係ではいまだ調査を行わざるをえない立場にある。相手方が代理人を立てた場合における代理権の調査が典型例であるが(民法一一〇条参照)、先の事例に近い場面においても、民法九四条二項と一一〇条とを重畳適用すべき場合に善意無過失を要求する判例の立場からすれば、やはり何らかの調査義務が発生する余地はどうしても残ってしまう。しかし、第三者からみれば、前当事者の取引事情が通謀虚偽表示かそれに比すべき類推適用のケースか、あるいは詐欺による意思表示かは結局調査をしてみないと分かりえない話であるから、無過失不要説の採用が善意の第三者の行動を規律する上で特段のメリットをもたらすものとも思えない。 むしろ、登記簿すら確認もせずに安易に誤信して取引をした不知の第三者をも保護してしまうところに無過失不要説の難点がある。したがって、無過失必要説が妥当とも考えられるところであるが、その前に、もう一つの解釈可能性について検討してみることも有益である。 それは、「善意」の要件の中に信頼の要素を取り込み、単に知らないだけでなく、意思表示の結果作出された外観を積極的に信じたことをもって「善意」の内容とする解釈である。つまり、半信半疑は「善意」に含まれず、知っていた場合と合わせて「悪意」に含まれる。こういった解釈は、時効取得(民法一六二条)などにおける「善意」占有の意義において既に展開されてきているものである。また、権利外観法理的な相手方保護の規定である制限能力者の詐術の制度(民法二〇条)においても、結果的に同様の解釈論が展開されている。すなわち、ここにいう詐術が外観に相当する帰責性の要件であるところ、同条の適用を認めるためには、かかる詐術を原因として相手方が誤信することが必要であり、行為能力の制限について相手方が既に悪意であった場合はもちろんのこと、詐術とは無関係に誤信した場合にも、取消権の不発生による相手方の保護は与えられないものと解されているのである(*5)。初めから善意に加えて無過失が必要であると解されている諸規定については、単に知らないことをもって「善意」と解したとしても、信頼の要素は全て無過失の要件の中で判断しうるから問題がない。しかし、九四条二項や九六条三項のような「善意」で足りるとも考えられる諸規定については、一般的に無過失を要求しないまでも、各規定上真の権利者が作出の帰責性を有するものとして類型化されている外観(例えば、通謀虚偽でない意思表示の存在を推認しうべき移転登記のようなもの)のみを、最低限度調査し信頼すべきものとして「善意」の要件の中に取り込んでしまう解釈の途もまた模索されてしかるべきといえよう。かかる類型的な外観を信頼することは、原則として無過失を基礎づけることが多いものと考えられるから(例えば、即時取得(民法一九二条)における占有の信頼は無過失と推定される(民法一八八条参照)ものと解されている。)、結局、無過失必要説との違いは、例外的状況下において、その外観を超えた調査を要求すべきか否かの点にある。この考えはいわば無過失不要説と無過失必要説の中間に位置づけられる折衷的な考えである(*6)。 もっとも、この考えにも弱点はある。真の権利者が作出の帰責性を有する外観がさほど重要なものではないため、そもそもその外観に対する調査が期待できないような場合にまで、積極的な信頼を要素とするこの考えの下では、それに対する調査・信頼を要件とすべきこととなるからである。とりわけ、通謀虚偽表示というものは抽象的一般的な外観を指し示す言葉であり、可能性としては不動産登記のような重要な外観から果ては簡単な契約の覚書程度のものまで含みうるため問題が生じうる。他方、無過失を一般的要件とすれば、重要でない外観についてはそもそも調査義務がないといえ、問題は生じない。ただしこれは、通謀虚偽表示の適用・類推適用の限界に関する問題とみることもでき、重要でない外観はそもそも通謀虚偽表示に当たらないと解することもできよう。実際に判例の事案のほとんどは不実の不動産登記に関するものである。つまり、外観の要件自体が調査義務の範囲によって制約を受けうるものと考えられる。 以上の三つの立場の中でいずれが妥当かみなさんにも考えていただきたい。 なお、実際の訴訟における保護の実効性を考えるにあたっては、無過失要件の証明責任をいずれに分配させるかが重要である。この点、先にみたとおり、過失があるのがむしろ例外的場合と考えられること、また、無過失要件が保護の要件を規定する条文上に存在しないことに鑑み、保護を否定する相手方が逆に過失の証明責任を負うものと解される。 2 権限踰越の表見代理における「正当ノ理由」の意義、無権代理人の責任追及における「過失」の意義 それでは、つぎに、第三者保護の要件として解釈上善意無過失が要求される点問題のない規定の代表である権限踰越の表見代理(民法一一〇条)を採り上げてみよう。これは先にも少し述べたが、真実に反する代理権授与の外観についてその信頼を保護するものである。そして、相手方保護の要件について、条文上は「正当ノ理由」とあるが、信頼について正当理由があること、つまり、調査に基づいた正当な信頼であることが必要なのだから、善意だけではなく無過失が要求される点争いがない。 問題は、相手方の善意無過失に加え、更に本人側の帰責性に関する事情を考慮した上で、総合的に「正当ノ理由」を判断すべきか否かである。例えば、権限踰越の程度が大きければ大きいほど本人側の帰責性はより低くなりうるものといえるが、その反面、調査義務の負担を重くして無過失の認定を厳格に解すべきか(*7)といった問題である。 この点、先に述べたように、外観の作出に関する真の権利者の帰責性に関する要件と無過失要件とはある程度の相関関係がみられることは確かである。しかし、それは、相手方が調査義務を負うべき一定範囲の外観に対する真の権利者の関与の度合いによって過失となったり無過失となったりする関係を指して述べたにとどまり、そもそも真の権利者の外観に対する関与の度合いに応じて調査義務を重くしたり軽くしたりできるかはまた別問題である。かかる関与の度合いというものは相手方の本来知りうべき事情ではないから、それによって調査義務の内容を変化させたとしても、慎重な相手方の行為規範としては調査義務が最も重い場合に合わせて行動すべき結果となり、そもそも権利外観法理の趣旨が全うされないおそれがある。また、外観作出に関する関与の度合いと調査義務の軽重とをどのようにリンクさせてよいかの明確な基準を欠く以上、総合判断といっても裁判官のさじ加減次第ということになって恣意性を排除できないおそれもある。仔細に検討してみるとこのような問題点の存在に気づかされる。 この点もみなさんに検討していただきたい。 なお、相手方が善意無過失であることにより表見代理が成立する場合は、同時に、無権代理人の責任追及(民法一一七条)の要件をも満たす場合が多いものと思われる。いずれの規定も不実の代理権授与について善意無過失であることが要件とされているからである。しかし、この点、一一七条の解釈においては、責任追及の要件を善意無重過失に緩和すべき旨の主張がなされることがあり(つまり、同条二項にいう「過失」を重過失ととらえる。)、これには二つの場面がある。一つは、無権代理人の責任を表見代理不成立の場合の補充的責任と解する立場からの主張である。すなわち、この立場は、無過失要件をそのように緩和しないと一一七条の存在意義がかなりの部分減殺されてしまうものと考える。また、もう一つは、いわゆる「無権代理と相続」の問題において非当然有効説を採り、無権代理人が本人を単独で相続しても当然には有効とならず、なお追認拒絶権を行使しうるが、無権代理人は軽過失の相手方に対しても一一七条の責任を負うべきと解する立場からの主張である。すなわち、この立場は、自ら無権代理行為をした張本人が軽過失の相手方に対しても責任を免れることについての理不尽さに由来している。 もっとも、これらの立場自体、最高裁によって支持されてはいない(*8)。また、そのことを度外視したとしても、前者の立場に対しては、本人側に類型的な帰責性が認められる場合についての制度が表見代理であり、かかる帰責性が認められない場合についての制度が無権代理人の責任であるという形で各々存在意義が認められるとの指摘が可能である。そして、後者の立場に対しても、かかる理不尽さを感じるのは、無権代理人自身が詐欺同様に代理権授与の外観をあれこれ作出したようなケースにおいてであり、そのような場合には、そもそも真実を見抜きうるような外観の調査は期待できず無過失と評価できるから問題ないとの指摘が可能である。 結局、権利外観法理に基づく規定における相手方の保護要件は、明文の規定に反しない以上、善意無(軽)過失を基本と考えつつ、とりわけ取引の円滑・迅速を旨とする商事法の分野では善意無重過失とすることも許容されるが、それ以外にも、損害賠償法の分野では、信頼通りの法律効果ではないとはいえ、軽過失であっても賠償責任を負担させた上でその過失を過失相殺によって斟酌し、賠償額を減額調整する立場(*9)が穏当と思われるがどうであろうか。 *1 ここで、あえて「(契約を中心とする)法律行為」と断言せず、「法律的行為」としたのは、契約の他にも、民法四七八条・四八〇条のように、弁済といった準法律行為に保護を与える規定も存し、これもまた権利外観法理に基づくものと理解されていることによる。また、民法九四条二項において、必ずしも契約関係にない差押債権者に「第三者」的地位を認める一般的な解釈に配慮すべき必要があるのも理由である。 *2 民法については、石田喜久夫「民法上の善意者保護制度」『民法学1《総論の重要問題》』四六頁以下(有斐閣、昭和五一年)掲載の表に善意者保護に関する規定が網羅されている。これは、権利外観法理の射程範囲よりもずっと広いものであるが参考になる。 *3 他にも権利外観理論や表見法理など多様な用語法がみられ必ずしも統一性がないが、本講座では一貫して権利外観法理の語を用いることとした。 *4 通謀虚偽表示につき、大判昭和一二年八月一〇日新聞四一八一号九頁参照。 *5 つまり、詐術の結果として相手方が行為能力を誤信したという因果関係が必要であるとされる。大判昭和二年五月二四日民集六巻七号二八三頁も、詐術の効果が相手方に及ばない場合には民法二〇条の適用はないものとしている。 *6 「善意」の内容につき、伊藤滋夫「事実認定と実体法」司法研修所論集創立五〇周年記念特集号第一巻民事編T(九七号)九頁(平成九年)参照。同論文は、その他九四条二項の第三者の保護要件に関する問題についても具体的な検討を加えており参考になる。 *7 具体的には、例えば、実印を押捺された委任状と印鑑証明書とを調査すれば無過失といえるところを、本人の帰責性が弱い場合には、更に加えて本人の意思確認が必要であると解すべきか、といった問題としてとらえうる。 *8 前者につき、最判昭和六二年七月七日民集四一巻五号一一三三頁が重過失に限定しない旨明確に述べ、後者につき、最判昭和四〇年六月一八日民集一九巻四号九八六頁が、そもそも無権代理人が本人を単独相続した場合、本人が自ら法律行為をしたのと同様な法律上の地位を生じると述べ、いわゆる当然有効説に立つ旨を明らかにしている。 *9 判例は、取引的不法行為による使用者責任(民法七一五条)に関し、その行為が職務権限内において適法に行われたものでない点につき善意無重過失の相手方に対する損害賠償責任を肯定している(最判昭和四二年一一月二日民集二一巻九号二二七八頁参照)。 |
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日本法学68巻2号269〜287頁(2002年10月)。
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| 一 序論 昨今の法科大学院(ロースクール)構想を契機として,法学教育論がにわかに盛り上がりをみせている。その成果にみるべきところは多い。また,私自身,大学において民法教育に携わっている関係上,これまでに得たわずかばかりの経験を踏まえつつ,法学教育方法について,民法学を中心に論じてみたいと考えた。 もちろん,民法教育全般という壮大なテーマはあまりに荷が重く,また,確固とした自説を持ち合わせているわけでもない。ここで論じておきたいのは,専ら初学者に対する民法教育のやり口をどうすべきかという問題である。 ここで「初学者」とは,初めて六法を手にし,民法学はもちろんのこと,法律学自体,他の学問と比べていかなる特色をもつものかが理解されていない段階にある学生を指し,概ね大学の1年次生(1)を想定している。その段階における民法教育の方法を本稿では採り上げたい。 大学に籍をおく民法学者は,多かれ少なかれ民法の研究と教育という2つの大きな責務を負っている。初学者教育の方法論は,民法学者が負う教育の責務において要の存在と考えられるのである。なぜなら,ある程度学習の進んだ法学部生に対する教育であれば,自己の研究成果をそのまま伝達していくだけでもある程度の教育効果は期待でき,それで十分とみることもできるのであるが,これが初学者に対する教育ともなると,民法研究の分野に精通するだけでは決して培われることのないであろう独自の配慮がなければそもそも教育効果は期待できないと考えられるからである。 特に,法的思考の海にどっぷり浸かり続けてきた我々法学教育者にとっては(自身も初学者の時期を通過してきたにもかかわらず),初学者がいかなる思考構造をもっており,法学教育に際していかなるアレルギーやエラーが引き起こされがちなのか,なかなか想像しにくい立場にあることは間違いない。 ところが,初学者に民法のエッセンスをつかんでもらうため,ひとまず第一段階として何をどう教えればいいのか,といった初歩的な問題に対しては,実際上,幾多の教育実践が存在し,教員間に問題意識だけは共有されているはずであるにもかかわらず,論稿としてまとまった解決策を示すものが少ないのが現状である(2)。そこで,浅知恵としてご批判を賜るであろうこと百も承知の上で,初学者教育に対する一つの方向性を示してみようというのが本稿の目的である。 二 民法教育の現状と段階的学習論 1 民法教育の困難性 学生の声に耳を傾けていると,民法の学習は他の法律科目と比べても困難であるとの言をよく聞く。それは,他面,民法教育が困難であることをも意味している。その原因は何か。以下の3点が考えられよう。 まず第1として,民法が適用される対象の広範性である。民法は特に条文数が多く適用対象も広範であるがゆえに,民法全体をいくつかの科目に分割せざるを得なくなり,今度はそうする結果,いわゆる縦割り教育の弊害として,全体を見通すことが困難となる。とりわけ財産法内部では,科目相互間の結びつきが強いため,1つの科目で積み残し(科目の全体を講義し終える前に授業年度を終了させてしまうこと)が発生してしまうと,他の民法科目の理解度に悪影響を及ぼし,ひいては,積み残しをフォローする分,他の民法科目の進行度にも連鎖的な悪影響を及ぼすこととなる。 つぎに第2として,パンデクテン体系による条文の配列である。出来ることならば条文の配列順に講述していくのが望ましいが,そうすると,パンデクテン体系を採用する日本民法では,物権法・債権法の前に民法総則,個々の契約法の前に債権総論・契約総論といった形で,抽象度の高い規定を先行して教えなければならない。そのため,理解が困難であろうことが懸念されるのはもちろんであるが,その他,条文上,初期の段階で現れざるを得ない法人制度や法律行為概念の高度な技術性や哲学性を前に,民法学習を挫折するおそれ(特に,法人は民法の躓きの石であるなどといわれる。)や,信義則・権利濫用を知識として最初に植え付けるために,一般条項への安易な逃避といった良くない傾向を生み出すおそれも懸念される。 そして第3として,民法に属するいずれかの科目(多くは民法総則)が法律専門科目の中でも初期の段階(多くは1年次)で配当されることである。これは,民法が私法の一般法であり,他の私法科目を学ぶ上での共通基盤となっていることからくる宿命でもある。しかし,いくつかに分割された民法の各科目はそれぞれが独自の範疇をもつもので,そこで展開される個別の解釈論議自体,難易度に科目ごとのレベルの違いがあるわけではない。したがって,1年次配当科目であるからといって,新入生に対して解釈論議をいきなりぶつけてみても,おそらく表面的にしか理解されない結果に陥ることとなる。 2 民法教育の困難性を打破する従前の試み これまでに存在していた民法教育改革論議というのも結局,これらの困難性を認識した上で,初学者を含む学部の学生に対し,取っ付きにくい配列と厖大なる数の条文とをもつ民法という法律を,いかに分かり易く教授するか改革を試みる動 |