第6章 遺言
遺言(testament,letztwillige Verfügung)とはある人が自己の死亡の後法律上の効力を生ぜしむる目的をもって為したる意思表示すなわちこれなり。けだし遺言は各国の法律皆認むる所にして相続人の指定,後見人,後見監督人または親族会員の指定,私生子の認知,養子縁組の意思表示,相続人の廃除またはその取消の意思表示等皆遺言によりてこれを為すこと多く(829,2項,848,901,2項,910,945,2項,976,977,4項,981)また遺言をもって遺産の処分を為すこと多し。すべてこれらの場合において遺言はいかなる方式によるべきかまたいかなる効力を有すべきかを規定せざることを得ず。しかして遺言をもって定め得べきこと千差万別にして右に例示せるものの中にも相続に関係なきもの少なからず。しかりといえども遺言の主たる目的は家督または遺産の相続に関するものにして例えば1の遺贈を為す場合においても受遺者は広義においては遺言者の相続人たるべくまた受遺者の権利はすなわち相続人の権利を減殺するものなるが故にこれまた相続に関する問題たるを失わず。故に相続編においてこれを規定せり。但し本章の規定は相続に関係なき事項に付いてもまたこれを適用すべきこと固より疑をいれざる所なり。
本章を分かちて5節と為し第1節を総則とし遺言の条件に関する一般の規定を掲げ第2節を遺言の方式としその形式上の条件を規定し第3節を遺言の効力とし遺言がいずれの時より効力を生ずべきかその他遺贈の効力に関する解釈的規定を掲げ第4節を遺言の執行とし遺言を執行するに付き必要なる条件及び遺言執行者に関する規定を掲げ第5節を遺言の取消とし遺言はいかなる場合においてこれを取消し得べきかまたその取消の方式いかん等を定めたり。
第1節 総則
第1060条 遺言は本法に定めたる方式に従ふに非ざれば之を為すことを得ず(取368)
古語に曰わすや人のまさに死せんとするその言や善しと。故に遺言は最も神聖なるものにして各国の法律がこれに重要なる効力を認むるは固より当然といわざることを得ず。殊に財産に関しては死者が生前自由に処分し得られたる財産を死後においていかに処分すべきかを定めんと欲するは人情まさに然るべき所にして法律は公益を害せざる範囲内において死者の希望を満たすことをつとむべきこと固よりなり。また財産以外の事項に付いても遺言は概して死者の家,子孫等の為め有益なる意見を述ぶること多くこれに法律上の効力を認むべきことまたその当を得たるものというべし。しかりといえどもあたかも遺言がこの如く重大なる効力を有すべきをもってその遺言は必ず死者の真意を示すものたることを要す。しかるに一方においては遺言は往々にして臨終の際これを為すものなるが故に遺言者は動もすれば既に健全なる意思を有せず。従ってまたその周囲にある者はこの不健全なる意思を利用して自己の利益を謀らんと欲すること稀なりとせず。また遺言の利害に関すること重大なると死人に口なしの俚諺に違わず遺言者死亡の後に在りては何人といえどもその真意を証明すること困難なるに乗じ動もすれば死者の遺言を矯めて己を利せんと謀る者あるを免れず。欧州の立法者はここに見る所ありて古来遺言の方式を厳定せり。我民法においてもこれに倣いほかの意思表示はほとんど皆一切の方式を必要とせざるに拘らず唯り遺言に限り最も厳密なる方式を必要とせり。すなわち本条において遺言は本法に定めたる方式に従うにあらざればこれを為すことを得ざる旨を明言せり。故に遺言は諸外国におけるが如く我邦においてもこれを要式行為とせり。
第1061条 満15年に達したる者は遺言を為すことを得(4,取357,4号)
遺言もまた1の法律行為なるが故にもし特別の明文なくんば遺言の能力もまた総則編の初に規定せる所によるべきこと固より疑を容れず。しかりといえども右に論じたるが如く一方においては遺言は神聖なるものとし最も死者の意思を重せんと欲する立法の精神によりほかの法律行為の如くあるいは法定代理人をして代えてこれを為さしめあるいは一定の人の同意を得てこれを為さしむるが如きことを認むること能わず。ほかの一方においては通常の法律行為は必ずしも一定の時においてこれを為すことを要せず。例えば未成年者が成年に達するを俟ちて始めてこれを為すも可なること多し。しかるに遺言は必ず死亡前に為さざることを得ずして到底後日を期し難きこと多し。故にその能力を寛にするの必要あり。故に外国においても大抵遺言に関しては特別に低度の能力を認むるが如し。すなわち本条においては満15年に達したる者はなお未成年者たるに拘らず既に遺言を為すの能力を有するものとせり。しかしてこの年齢を択みたるはもっぱら国情を察しまた結婚年齢(765)養子縁組の年齢(843,1項,844)等と権衡を得せしめんが為めなり。
第1062条 第4条,第9条,第12条及び第14条の規定は遺言には之を適用せず(4,9,12,14,取357)
本条の必要は既に前条の説明によりて略明らかなるべし。すなわち第4条によれば未成年者が法律行為を為すにはその法定代理人の同意を得べくその同意なき行為はこれを取消すことを得るものとしまた第9条によれば禁治産者の行為はこれを取消すことを得べくまた第12条によれば準禁治産者が不動産または重要なる動産に関する権利の得喪を目的とする行為を為すにはその保佐人の同意を得べくその他場合によりては他の行為に付いてもなお同一の制限を付することあり。しかしてその同意なき行為はこれを取消すことを得るものとしまた第14条によれば妻が同一の行為を為すには夫の許可を受くべくその許可なき行為はこれを取消すことを得るものとせり。しかるは遺言は既に論じたるが如く遺言者が最も自由に為し得るものたることを要し決して他人の意思によりて制限せらるべきものとすべからざるをもってすべてこれらの規定を遺言に適用せざるものとせり。すなわち15年未満の者が為したる遺言は全然無効にしてまた15年以上の者が為したる遺言は仮令その者が未成年者なるも全然有効なるものとす。その他禁治産者といえどもその本心に復したる間において為したる遺言は全然有効なり。(1073参観)また準禁治産者もしくは妻といえども敢えて保佐人もしくは夫の同意を得ることを要せず有効に遺言を為すことを得べし。
第1063条 遺言者は遺言を為す時に於て其能力を有することを要す
遺言はいずれの時において成立するかは学者間に議論ある所なり。けだし遺言は後に詳論すべきが如く原則として遺言者の死亡の時にその効力確定するものにして(1087)その効力より言えば遺言はあたかも遺言者の死亡の際に為したるに均し。故に遺言は遺言者死亡の時に成立するものにしてすなわちその時において遺言の成立に必要なり。一切の条件具備することを要するものとする者あり。この説によれば遺言者の能力もまたその死亡の時に観察すべきものにして仮令遺言者が事実遺言を為したる時に在りてはいまだその能力を有せざるももし死亡の時において既に能力者たるときは遺言は有効なり。これに反してその事実遺言を為したる時に在りては充分の能力を有せしも後日その能力を失い死亡の時に無能力者たるときは(例えば心神を喪失したる場合の如し)その遺言は無効なりといわざることを得ず。余の信ずる所によればこの説は行為成立の時期とその効力発生の時期とを混同したる謬説たるに過ぎず。けだし遺言が死亡の時よりその効力を生ずべきことはまことに論者の説の如しといえども遺言なる行為はいずれの時に成立するかといえば遺言者がその意思表示を為したる時において成立することけだし疑を容れず。その証は遺言は遺言者の死亡の時までいつにてもこれを取消すことを得るに拘らずもしこれを取消さざればその効力を存すべきを本則とすることは論者といえども敢えて争わざる所なり。もししからば一旦成立したる遺言が取消によりて消滅するものにしていまだ成立せざるものを取消すのいわれなし。しかして遺言もまた1の法律行為にして意思表示を基礎とせることはけだし人の争わざる所なり。故に遺言は意思表示ありたる時に成立すべくしかして行為の要求は成立の時に具備すべきことまた疑を容れざる所なり。故に能力に関してもすべからく意思表示の時において観察すべく決して死亡の時において観察すべきにあらざるなり。故に遺言者が意思表示の際能力を有するときは後日その能力を失うも遺言は為めにその効力を失うことなし。また意思表示の際無能力なるときは仮令死亡の際には既に能力者たるも遺言は為めに効力を生ずることなし。これ本条の規定する所なり。
第1064条 遺言者は包括又は特定の名義を以て其財産の全部又は一部を処分することを得但遺留分に関する規定に違反することを得ず(取354)
本条の規定はほとんど言うを俟たざる所なりといえども法典としてはもし本条の規定を存ぜざればあるいは欠点と為すべきが如し。けだし何人といえども適法の行為によりてその財産を処分することを得るは疑を容れざる所なり。しかりといえども法律は相続に関する規定を設け死者の財産は当然一定の相続人に移転すべきことを定むるが故にもし法律が明文をもって遺言者の処分権を認むるにあらざれば法律の力により自己が権利を失いたる後に付いてその財産を処分することとなり法律上あるいはこれを無効とせざるべからざるが如し。殊に所謂包括名義の処分(disposition à titre universel)は権利と同時に義務をも移転するものにしてこれ通常法律の認めざる所なり。しかるに包括名義の遺贈は各国の法律皆認むる所にしてその必要あるべきことけだし疑を容れず。
殊に遺産相続に在りては遺留分権利者なき場合稀なりとせざるが故に(1131)遺言をもってその総財産を処分するもまた可なり。この場合においてもし受遺者は権利のみを承継して義務を承継せざるものとせば債権者の損害を被むるべきこと固より言うを俟たず。故に包括名義の遺贈は我民法においてもこれを認めたり。しかして理論上これを明言するにあらざればあるいはこれを不能なりとする者あるべきをもって特に本条の規定を設けたり。
包括名義の処分とは既に述べたるが如く資産と共に負債をも処分するをいう。但し絶対包括なる場合と一部包括なる場合とあり。例えば遺産相続の場合において遺言者がその総財産を遺贈したるときはこれ絶対包括なるものなり。これに反して遺言者がその財産の半分,3分の1,4分の1等を遺贈したる場合においてはこれ一部包括なるものなり。すなわち甲の場合においては遺言者の負債の全部を負担すべく乙の場合においてはその半分,3分の1,4分の1等を負担すべきのみ。なお第1092条を参照せよ。(相続人に付いても同一の区別をもって包括承継人〔ayant cause â title universel, Universalsuccessor〕なる名称を用うるなり。)
特定名義の処分(disposition â title particulier)とは甲の不動産,乙の動産の所有権を遺贈するが如く一定の権利に限りこれを処分するをいう。但し負担付遺贈に在りては受遺者は権利を得ると同時に義務を負担することありといえどもこれ遺言者の義務を負担するにあらずして自己が遺贈を受けたるにより新たに負担する所の義務なり。また財産の価額はいかに巨多なるもその種類はいかに複雑なるもいやしくも包括名義にあらざる以上は皆特定名義の処分なり。例えば遺言者が自己の所有に係る不動産もしくは動産の全部を遺贈すべき旨を言える場合においてはその財産の価額より見るもまたその種類より見るも頗る巨多なること多しといえどもしかもこれまた特定名義の処分に過ぎず。外国においては一般にこれを包括名義とし受遺者はその不動産または動産の価額に応じ遺言者の債務を負担すべきものとせるが如しといえどもこれその当を得たるものということ能わず。何となれば遺言者が1の不動産を有する場合においてこの不動産を遺贈するの特定名義たることはけだし人の争わざる所なり。しかるにもしこの者が2個の不動産を有せんが某の不動産と某の不動産とを遺贈するといえば特定名義たるべく自己の所有に係る不動産の全部を遺贈するといえばすなわち包括名義たるべきが如く稍々児戯に類するものあり。もしこれらの場合において包括名義の処分を認むるときは遺言者が某の家屋の中に有する財産の全部を遺贈すというもまた包括名義なりといわざることを得ざるべし。これを要するに所謂包括名義の処分とは財産の全部またはその何分の1というが如く遺言者の権利義務を集めて一団と為しその全部またはこれを瓜分したる一部分を処分するをいう。
遺留分なるものは畢竟遺言者の処分権を制限したるものに過ぎず。故に本条において特に遺留分に関する規定に違反することを得ざる旨を明らかにせり。
第1065条 第968条及び第969条の規定は受遺者に之を準用す(1,721,968,969,993,997,人2,取292,354)
本条においては受遺者の資格に関し相続人の資格に関する規定を準用せり。
1 胎児
第1条によれば胎児は権利の主体たることを得ざること固よりなり。しかりといえども法律は必要に応じ仮定を設け胎児を既に生まれたる者と看做しその一定の権利を認めたり。例えば損害要償権に関し第721条の規定あり。また相続に関し第968条及び第993条の規定あり。すなわち相続に付いて言えば相続人は相続開始の時より被相続人の権利義務を承継すべき者なるが故にその時において生存する者にあらざれば敢えて相続人たること能わざるが如し。しかりといえども従来の慣習によりまた一般の人情に基き相続開始の時既に孕胎せし児はあたかも既に生まれたるが如く相続権を有するものとせり。遺贈に付いてもこれに同じくもし遺言者の死亡の時において既に孕胎せる児は後日生存して生まるる以上はあたかも遺言者の死亡の時に既に生まれし者の如く遺贈を受くる権利を有するものとす。これけだし人情に適するものなるのみならず相続の場合と権衡を得せしむる為め必要なる所なり。
2 無資格者
第969条及び第997条によれば故意に被相続人または相続に付き自己と利害相反する者を死に致しまたは死に致さんとして刑に処せられたる者または被相続人の殺害せられたることを知りてこれを告発もしくは告訴せざりし者その他詐欺もしくは強迫により被相続人の遺言の自由を妨げたる者または遺言書を偽造,変造,毀滅もしくは蔵匿したる者は皆相続の資格なきものとせり。これらの者は同一の理由によりまた遺贈を受くる資格なきものとせざることを得ず。けだし速に遺贈の利益を受けんが為めその恩人を殺しまたは恩人の殺されたるを傍観しまたは遺贈に付き反対の利益を有する者を殺しその他不法行為により遺言に関し不当の利益を得んと謀る者は遺贈を受くる資格なきものとするにあらざれば往々にしてこの如き非行を企つる者を生ずべし。かつ相続の場合と権衡を得せしめんが為めにもまた同一の規定を準用すべきものとせざることを得ず。故に本条においては第969条の規定を準用せり。但し同条の準用に付き多少の疑義を生ずる虞なきにあらざるをもって左にこれを説明せん。
甲 第969条第1号には「家督相続に付き先順位に在る者云々」といえり。今これを遺贈に準用するときは甲に対し一定の遺贈を為しもし甲死するときはこれを乙に遺贈すべきことを言える場合において乙が甲を殺しまたは殺さんとしたるときは右の適用を受くべし。なお一定の財産を甲乙2人に遺贈すべくもし1人死するときは全部をほかの1人に遺贈すべきことを言える場合においてその1人がほかの1人を殺しまたは殺さんとしたるときまた同じ。(997,1号参観)
乙 同条第3号ないし第5号において「相続に関する遺言」と言えり。もし相続に関係なく単に遺贈のみを目的とせる遺言に関して右の非行ありたる者は果して本条の適用を受くべきや否や曰く固よりなり。法律が相続に関する規定において「相続に関する遺言」といえるはあたかも遺贈に関する規定において「遺贈に関する遺言」というが如し。しかして相続に関する遺言は必ず同時に財産に関するが故に(986,1001,1130)相続に関する遺言は必ず遺贈に関すべく従って第969条をここに準用するときは「相続または遺贈に関する遺言云々」と為るべし。
第1066条 被後見人が後見の計算終了前に後見人又は其配偶者若くは直系卑属の利益と為るべき遺言を為したるときは其遺言は無効とす
前項の規定は直系血族,配偶者又は兄弟姉妹が後見人たる場合には之を適用せず
後見人はその被後見人に対する地位を利用し被後見人をして自己に利益ある行為を為さしめんと謀ること往々にしてこれあり。故に第840条においては後見人は被後見人を養子と為すことを得ざるものとしまた第939条においては未成年者の後見に関し後見人またはその相続人と被後見人との間に為したる契約を取消すことを得るものとせり。殊に被後見人がまさに死せんとするに当りては既に世欲を離るること多きをもってこの時に乗じて後見人が自己の利益を謀らんと欲することはけだし稀なりとせざるべし。故に本条においては被後見人が後見の計算終了前に後見人またはその配偶者もしくは直系卑属の利益となるべき遺言を為したるときはその遺言は無効なるものとせり。けだし後見の計算終了前に在りては被後見人は自己の財産の実況を詳にせず。従ってその遺言が自己もしくはその相続人にいかなる不利益を与え後見人にいかなる利益を与ふるかを熟知せざること多ければなり。
本条においては直接に後見人の利益と為るべき遺言のみならずその配偶者もしくは直系卑属の利益と為るべきものもまたこれを無効とせり。これほかなし。後見人は動もすればその配偶者もしくは直系卑属の名義の下において自己の利益を図ることあるべければなり。但し配偶者もしくは直系卑属以外の者の名義を用うるも事実において後見人が利益を受くべき証拠あるときはその遺言は固より無効なり。唯配偶者もしくは直系卑属の利益と為るべき遺言は法律上当然後見人の利益となるべきものと看做しなんらの証拠を要せずこれを無効とせるなり。なお仮に配偶者もしくは直系卑属の利益が後見人の利益と為らざるものとするも配偶者及び直系卑属は後見人が最も慈愛すべき者にしてまたその将来の利益を慮るべき位置にある者なるが故に仮令自己の利益と為らざるも特にこれらの者の利益と為るべき遺言を為さしめんと謀ること稀なりとせざるべし。故に仮令その遺言が直接もしくは間接にあたかも後見人の利益と為らざる証拠あるもまたその遺言は無効なり。
利益と為るべき遺言とはその範囲極めて広汎にしていやしくも事実において利益と為るべきことの証明あるときは皆本条の適用を受くべきものとす。故に後見人またはその配偶者もしくは直系卑属に対する遺贈は勿論これらの者を家督相続人に指定せる遺言の如きは固より本条の適用を受くべきものとす。また被後見人が後見人またはその配偶者もしくは直系卑属を養子と為す遺言の如きもまたその利益と為るべき遺言と視るべきが如し。但し被後見人がその子の為めに後見人,後見監督人もしくは親族会員を指定するの遺言はその指定せられたる者の利益と為るべき遺言ということを得ざるべし。唯実際においてはこの種の遺言は極めて稀なるべし。何となれば未成年者は親権を行わずしてその親権者または後見人代わりてこれを行うべく(895,934,2項)また禁治産者は理論上親権を行うことを得るといえども多くは事実においてこれを行うこと能わざるべし(877,2項,900,1号参観)。しかるに後見人,後見監督人または親族会員を指定することを得る者は現に親権を行う者ならざることを得ざるが故に右に言えるが如き遺言は実際極めて稀なるべし。
右の規定は直系血族,配偶者または兄弟姉妹が後見人たる場合にはこれを適用せざるものとせり。けだしこの場合においては一方に在りてはこれらの者は被後見人に対し愛情に富める者なるべきをもってその死亡に際し自己の利益を謀るが如きことは稀なるべくほかの一方に在りてはこれらの者は遺言者がその遺言によりて利益を与ふべき正当の関係にある者なるに会々その後見人たるが為め(しかしてこれらの者が後見人たること最も多かるべし)竟に遺言の利益を受くること能わずとせば遺言者の意思にも反しまた法律が遺言の自由を認めたる趣意にも反すること多かるべし。故に本条第2項においてこれを除外せり。
第2節 遺言の方式
遺言の要式行為なることは既にこれを論じたり。しかしてその方式に2種あり1は普通方式(第1款)にして通常の場合において要するものなり。1は特別方式(第2款)にして特別の場合における変例なり。
第1款 普通方式
第1067条 遺言は自筆証書,公正証書又は秘密証書に依りて之を為すことを要す但特別方式に依ることを許す場合は此限に在らず(取368,1項)
本条は普通方式の種類3あることを示せり。曰く自筆証書(testament olographe)曰く公正証書(testament autbentique)曰く秘密証書(testament mystique)これなり。遺言者はこの3種に付きその便とする所によることを得べし。しかして自筆証書は健全にして証書を作るに付き困難を感ぜざる者多くこれを用うべく公正証書は無筆者,重病者等自ら証書を作ること能わずまたはこれを作るに付き困難を感ずる者もっぱらこれを用うべく秘密証書は署名を為すに付いては困難を威せずといえども証書の文言をほか人に書かしむるを便利とする者もっぱらこれを用うべし。なお詳細は次条以下の規定により自ら明らかなるべし。
遺言の要式行為なること既に屡々言えるをもってその方式は必ず法律に限定したるものたることを要す。しかして右に述べたる3種の証書は普通方式としては必ずその1を用うべきものにしてほかの方法によることを得ず。唯次款に規定せる特別方式はまた特別の場合に限り法律が認許せるものなるが故にその有効なること固より論を竢たずといえども本条においては特にこれを明らかにする為め但書を加えたり。
第1068条 自筆証書に依りて遺言を為すには遺言者其全文,日付及び氏名を自書し之に捺印することを要す
自筆証書中の挿入,削除其他の変更は遺言者其場所を指示し之を変更したる旨を附記して特に之に署名し且其変更の場所に捺印するに非ざれば其効なし(取369)
本条は自筆証書の方式を定めたるものなり。自筆証書とは遺言者がその全文,日付及び氏名を自書しこれに捺印したるものなり。この場合においては一切他人の筆跡を混えざるが故にその遺言が遺言者の真意に出でたることけだし疑なし。故にこの場合においては証人その他一切の方式を要せざるものとせり。但し挿入,削除,改竄等の変更は本人がこれを為したるがはた他人がこれを為したるが後日に至り分別ならざる恐あるが故にこの場合においては遺言者自らその場所を指示しこれを変更したる旨を付記して特にこれに署名しかつその変更の場所に捺印することを要するものとせり。もしその方式を欠くときは変更はその効なく従って変更前の遺言書をもって真正の遺言書と為すべし。例えば数個の文字を挿入したるもその挿入あらざりしものの如く看做すべく,遺言の一部を削除したるもあたかもこれを削除せざるものの如く看做すべく,改竄の場合においては当初記載せしものをもって真正とするの類これなり。
第1069条 公正証書に依りて遺言を為すには左の方式に従ふことを要す
1 証人2人以上の立会あること
2 遺言者が遺言の趣旨を公証人に口授すること
3 公証人が遺言者の口述を筆記し之を遺言者及び
証人に読聞かすこと
4 遺言者及び証人が筆記の正確なることを承認したる後各自
之に署名捺印すること但遺言者が署名すること能はざる場合
に於ては公証人其事由を附記して署名に代ふることを得
5 公証人が其証書は前4号に掲げたる方式に従ひて作りたる
ものなる旨を附記して之に署名,捺印すること(取370)
本条は公正証書の方式を定めたるものなり。けだし公正証書の公証人が作りたるものなることは固より疑を容れずといえども法律の遺言に付き特に別段の方式を必要とせり。
第1 証人2人以上の立会あること
これ公証人規則第28条に対する例外なり。同条によれば公証人が嘱託人の氏名を知り面識あるときは1名の立会人あるをもって足れりとせり。しかるに遺言に付いては仮令遺言者に面識あるもなお証人2人以上の立会を必要とす。これけだし特に遺言の方式を鄭重にしたるものにして錯誤,詐欺の危険を少なからしめんと欲したるなり。
第2 遺言者が遺言の趣旨を公証人に口授すること
これ実際すべての公正証書を作るに付いてほとんど必要なる条件なりといえども公証人規則においては特にこれを要件とせず。従って時としては嘱託人まず貸借,売買等に付き証書を作るべきことを告げ公証人自らその文案を作りこれを嘱託人に示しその承諾を得て本書を作るが如きこと稀なりとせず。しかして公正証書の効力としては固より欠点なきのみならず多数の場合においてはむしろこの如き方法によるを安全なりとすべくあるいは法律が公証人を設けたる趣旨に副うものというべし。しかりといえども遺言は遺言者の真正の意思を表示したるものたることを要するが故に公証人といえどもみだりに自己の意見によりて証書を作ることを許すべからず。すなわち遺言者をして遺言の趣旨を口授せしむることとせり。但し遺言者は必ずしも文学に明らかならざるをもって敢えてその文言を書取らしむることを要せず。唯その主意を述べ文書は公証人をしてこれを作らしめて可なり。否公正証書によりて遺言を為す場合には遺言者が無筆なること多かるべく従って公証人が文章を作るの必要あること最も多かるべし。
第3 公証人が遺言者の口述を筆記しこれを遺言者及び証人に読み聞かすこと。
これけだし公証人規則第34条第1項の規定と敢えて異なることなかるべし。唯同条には単に関係人に読み聞かすべきことを言えるをもって果して遺言者及び証人に読み聞かす必要あるや否やを明らかならず。しかるに遺言者は第1の関係人なるが故にこれに読み聞かすべきは勿論証人は錯誤,詐欺等なきことを証すべき者なるが故にこれにも読み聞かす必要あることはけだし論を俟たざるべし。
第4 遺言者及び証人が筆記の正確なることを承認したる後各自これに署名,捺印すること。
これまた公証人規則第34条第1項の規定に異ならざるべしといえども唯同条には関係人の署名,捺印を要することを言いその関係人中に遺言者と証人とを包含せるや否やを明らかにせざることなお前段において論じたるがごとし。かつ署名,捺印は固より筆記の正確なることを承認したる証左と視るべきこと固よりなりといえども本条においては特に遺言者及び証人が筆記の正確なることを承認したる後署名,捺印を為すべきものとし特に遺言者及び証人の注意を惹くこととせり。
遺言者が無筆の為めまたは疾病,負傷等の為め署名すること能わざる場合においては公証人その事由を付記して署名に代ふることを得るものとせり。これ固より当然の規定といわざることを得ず。唯公証人規則第34条第3項によれば証人が署名すること能わざる場合においてもまた同一の規定によるべきものの如し。しかるに本条においては証人に関し同一の規定なし。これほかなし。証人は必ず自ら署名することを得る者に限るものとしたるなり。けだし無筆者は一切遺言を為すこと能わずとせばその不当なること固よりなりといえども証人は一定の資格を具ふる者の中より(1074)2人を選べば足れるが故に特に無筆者を選ぶの必要なかるべし。故に証人は必ず自ら署名すべきものとせり。
本条その他法文中署名なる文字を用うる場合においては常に本人その名を署するをいうことはけだし疑を容れず。しかして本号の規定は最も署名の意義を明らかにするものというべし。何となれば法文には「遺言者が署名すること能わざる場合」と言えり。しかるにもし署名の意義にして他人をして氏名を代書せしむるも可なるものとせばけだし何人といえども代書を為さしむること能わざる者あらざるべく現に公証人及び証人がその面前にあるにおいてをや。故にこの署名の自ら名を署するものたることはけだし明々白々というべし。
第5 公証人がその証書は前4号に掲げたる方式に従いて作りたるものたる旨を付記してこれに署名,捺印すること
これまた公正証書の一般の規定に異なるものなり。公証人規則第34条第1項によれば関係人に読み聞かせたる旨を記入するの外公証人及び関係人の署名,捺印のみをもって足れりとせり。しかるに本号においては特に前4号に掲げたる方式に従いて作りたることを付記せざることを得ず。これによりて法律は特に公証人の注意を惹き実際に遺漏あらざらしめんことを計りたるなり。
本条は特に遺言の方式に必要なる事項を定めたるに過ぎずしてこのほか公証人はほかの公正証書に必要なる条件を守らざるべからざるは固よりなり。唯遺言の証人の資格に付いては後に第1074条の特別規定あるが故にこれに公証人規則第20条及び第29条の規定を適用すること能わず。
第1070条
秘密証書に依りて遺言を為すには左の方式に従ふこ
とを要す
1 遺言者が其証書に署名,捺印すること
2 遺言者が其証書を封じ証書に用ひたる印章を以て之に封印すること
3 遺言者が公証人1人及び証人2人以上の前に封書を提出して自己の遺言書なる旨及び其筆者の氏名,住所を申述すること
4 公証人が其証書提出の日附及び遺言者の申述を封紙に記載したる後遺言者及び証人と共に之に署名,捺印すること
第1068条第2項の規定は秘密証書に依る遺言に之を準用す
(取371)
本条は秘密証書の方式を定めたるものなり。その方式左の如し。
第1 遺言者がその証書に署名捺印すること。
秘密証書はなお自筆証書のごとく遺言者自ら作りたる証書なり。唯秘密証書は自筆証書の如く遺言者がその全文を自書することを要せず。唯署名,捺印を為せば足れり。これこの2方式の相異なる所なり。但し遺言者がその全文を自書したるに拘らず秘密証書の方式によらんと欲するときは固よりこれによることを得べしといえどもこの場合において万一秘密証書の方式に欠くる所あらば自筆証書としてその効力を有すべきことは次条に明らかなる所なり。
第2 遺言者がその証書を封じ証書に用いたる印章をもってこれに封印すること。
これ秘密証書の秘密証書たる所以にして公正証書をもってする場合の如く遺言の趣旨を公証人及び証人に知らしめすその証書を自筆すると他人をしてこれを筆記せしむるとに拘らず必ずこれを封緘し証書中に押捺したる印章と同一の印章をもってその封印を為すべきものとせり。
第3 遺言者が公証人1人及び証人2人以上の前に封書を提出して自己の遺言書なる旨及びその筆者の氏名,住所を申述すること。
秘密証書は前号の条件の外公正証書と略々同一なり。すなわち公証人及び証人2人以上の干渉を必要とす。唯遺言者が遺言の趣旨を口授する代わりに封印したる遺言書を公証人及び証人の前に提出しその自己の遺言書なる旨及びこれを筆記したる者の氏名,住所を申述すべきものとせり。しかして遺言者自らその証書を筆記したるときはその旨を申述すればすなわち足れり。しかして筆者の氏名,住所を申述せしむる所以のものほかなし。後日その遺言に付き争を生じたる場合においてその者に就き果して相違なきや否やを尋問するの便を得べければなり。
第4 公証人がその証書提出の日付及び遺言者の申述を封紙に記載したる後遺言者及び証人と共にこれに署名,捺印すること。
これほとんど当然の手続というべきも唯日付及び申述を別紙に記載せしめずして必ず封紙に記載せしむる所以のものほかなし。これを別紙とするときは果して公証人の前に提出したる遺言書が別紙に表示したるものなるや否やを確知し難きが故に必ずその封紙に記載すべきものとせり。
あるいは曰わん公正証書に付いては特に日付の必要を言わずして唯り秘密証書に付いてのみこれを言えるもの果していかんとこれほかなし。公正証書に関しては公証人規則第30条第5号により必ず証書を作りし場所及びその年月日を記載せざることを得ざるが故にいやしくも遺言に付き別段の規定を必要とせざる限は特にこれを前条に明言するの必要なければなり。これに反して秘密証書は公正証書にあらざるをもって敢えて公証人規則により難きものあればなり。
第5 証書中の挿入,削除その他の変更は遺言者その場所を指示しこれを変更したる旨を付記して特にこれに署名しかつその変更の場所に捺印すること。
これ自筆証書におけると同一の理由によりこれを必要としたるなり。唯特に注意を要するは変更の付記及び署名,捺印は皆遺言者これを為すべきものとすることこれなり。しからずんば筆者は遺言書に署名,捺印する者にあらざるをもってその変更の実正なるや否やを知ること能わず。いわんや筆者はあるいは遺言者の意を承けて証書を筆記したる後自己の意見によりて変更を加ふることなしとせず。為めに遺言者の意思に変更を加ふることなしとせざるにおいてをや。
あるいは問わん秘密証書には第1068条第2項の規定を準用し公正証書にはこれを準用せざる理由果していかんとこれまた公証人規則の一般規定によるべきものなればなり。その第33条に曰く「証書に追加,改正を為すときはその文字並びに何行に追加,改正を為したることを欄外または末尾の余白に付記し公証人並びに関係人捺印すべし。また文中消字を為すときはその消字のなお明らかに読み得べきことを要す。かつ何行に若干字を消したることを欄外または末尾の余白に付記し公証人並びに関係人捺印すべし。これに違いたるときは追加,改正,消字の効を有せず。」と。故に公証人規則の規定はむしろ第1068条第2項の規定より一層綿密なるものなり。しかして前条においてこれに異なりたる規定を設けざるが故に右の第33条の規定は当然公正証書による遺言にも適用すべきこと固より疑を容れざればなり。
第1071条
秘密証書に依る遺言は前条に定めたる方式に欠くる
ものあるも第1068条の方式を具備するときは自筆証書に依る
遺言として其効力を有す(取372)
秘密証書もまた往々にして遺言者自らその全文を記載することあるべきことは既に言えるが如し。これほかなし。遺言者が特に自己の死亡に至るまでその遺言を秘密に付せんことを欲ししかして特にこれを鄭重にしもって紛失その他の危険を避けんと欲する場合において自ら遺言の全文を記載したるに拘らずこれを秘密証書とせんと欲することあるべし。しかして自らその全文を記載するはあたかも秘密を守らんが為めかつは錯誤を避けんが為めにすることあるべし。この場合において不幸秘密証書の条件中欠くる所あるときは秘密証書としては固より無効なりといえどもしかも第1068条に規定したる自筆証書の条件を具備するときは自筆証書としてこれを有効とせざることを得ず。けだし遺言者が秘密証書の方式によらんと欲したるには相違なきも固よりその遺言の効力を生ずることを希望したること敢えて疑を容れざればなり。
第1072条
言語を発すること能はざる者が秘密証書に依りて遺
言を為す場合に於ては遺言者は公証人及び証人の前に於て其証書
は自己の遺言書なる旨並に其筆者の氏名,住所を封紙に自書して
第1070条第1項第3号の申述に代ふることを要す
公証人は遺言者が前項に定めたる方式を踏みたる旨を封紙に記載
して申述の記載に代ふることを要す
第1070条第1項第3号によれば遺言者は自己の遺言書なる旨及びその筆者の氏名,住所を申述せざることを得ず。故にもし遺言者にして唖者なるかまたは疾病,負傷等の為め言語の自由を失いたる者はこの方式によること能わざるが如し。しかりといえども秘密証書を作る遺言者は無筆者にあらざることを前提とせるが故に口頭にて申述する代わりに筆記にてその趣意を述べしむればすなわち可なり。これ本条の規定ある所以なり。すなわち本条の規定によれば遺言者は公証人及び証人の前においてその証書は自己の遺言書なる旨並びにその筆者の氏名,住所を封紙に自書し公証人もまたその次第を封紙に記載すべきものとせり。
第1073条 禁治産者が本心に復したる時に於て遺言を為すには
医師2人以上の立会あることを要す
遺言に立会ひたる医師は遺言者が遺言を為す時に於て心神喪失の
状況に在らざりし旨を遺言書に附記して之に署名,捺印すること
を要す但秘密証書に依りて遺言を為す場合に於ては其封紙に右の
記載及び署名,捺印を為すことを要す(取357)
本条は禁治産者が遺言を為す場合において必要なる条件を定めたるものなり。けだし禁治産者は心神喪失の常況に在る者なるが故に意思を要する遺言を為すこと能わざるを常とす。しかれども既に論じたるが如くもし禁治産者にして一時本心に復したるときはその間においては遺言を為すことを得るものとせざることを得ず。唯その果して本心に復したるや否やは医師といえども往々にして診断し難きをもって本条においては特に医師2人以上の立会を必要としなおその医師は遺言者が遺言を為す時において心神喪失の状況に在らざりし旨を遺言書に付記しこれに署名,捺印すべきものとせり。しかして自筆証書及び公正証書に在りては右の付記は遺言書中にこれを為すことを得べしといえども秘密証書に在りては遺言の趣旨を秘密に付する目的を有するものなるが故にその封紙に右の記載及び署名,捺印を為すべきものとせり。
第1074条
左に掲げたる者は遺言の証人又は立会人たること
を得ず
1 未成年者
2 禁治産者及び準禁治産者
3 剥奪公権者及び停止公権者
4 遺言者の配偶者
5 推定相続人,受遺者及びその配偶者並びに直系血族
6 公証人と家を同じくする者及び公証人の直系血族並に筆生,
雇人(取373)
本条は遺言の証人及び立会人の資格に関し規定せり。すなわち第1069条以下に規定したる証人及び前条に規定したる立会人は原則として何人にても可なりといえども左に掲げたる者はこれを無資格者とす。
第1 未成年者
遺言は最も重要なるものなることは既に屡々論じたる所なり。しかるに自己の為めに法律行為を為す能力をも具へざる未成年者にしてこれが証人を為りもしくは立会人と為りもって遺言の欠点なきことを証すること能わざるはほとんど言うを俟たざる所なり。公証人規則第28条によるも立会人は必ず成年者たることを要するものとせり。
第2 禁治産者及び準禁治産者
禁治産者にして全く心神喪失の状況に在るときは証人たること能わざるは固より言うを俟たず。けだし証人もまた意思表示を為すべきが故にいやしくも意思能力なくんば決して証人たること能わざるは固よりなり。唯禁治産者が本心に復したる間といえどもなお遺言の証人または立会人たることを得ず。けだし禁治産者が果して本心に復したるや否やは最も断定し難き所なるが故に前条において特に医師2人以上の立会を必要としたるにあらずや。しかるにその立会う者もまた禁治産者なるときは焉そその証言に信用を措くことを得んや。しかしてこれ遺言の証人に付いてもまた同じき所なり。また準禁治産者は自ら法律行為を為すの能力なきにあらずといえどもしかも保佐人の同意を得るにあらざれば重大なる法律行為を為すことを得ざる者なるが故に未成年者を証人もしくは立会人たらしめざると同一の理由により準禁治産者もまたその資格なきものとせり。
第3 剥奪公権者及び停止公権者
これらの者は重罪もしくは軽罪を犯したる者にしてその人物は社会の信用を失いたる者なり。しかるに焉そ遺言の如き重要なる行為に付き証人または立会人と為りもってその遺言の欠点なきことを証するの資格あらんや。故に公証人規則第20条第1号及び第29条第2項によるもこれらの者は公正証書の証人たることを得ざる者なり。
第4 遺言者の配偶者
配偶者は多くは遺言に付いて利害の関係を有する者なり。故にこれを証人とするときはあるいは由てもって自己の利益を謀るの恐なしとせず。故に遺言の証人または立会人たる資格なきものとせり。なお公証人規則第29条第1号にはすべて公証人及び嘱託人の親族は立会人たる資格なきものとせるを参観すべし。
第5 推定相続人,受遺者及びその配偶者並びに直系血族
本号に掲げたる者もまた遺言に付き利害の関係を有する者なり。故に前号と同一の理由によりこれに遺言の証人または立会人たるべき資格を認めず。なお公証人規則第29条第1号を参観せよ。
推定相続人とは法定の推定家督相続人のみならず法定の推定家督相続人なき場合において被相続人が指定したる相続人その他法律の順位において当然相続人たるべき地位に在る者は皆推定相続人なり。しかして家督相続人と遺産相続人とを分かたざることはけだし言うを俟たざる所なり。
第6 公証人と家を同じくする者及び公証人の直系血族並びに筆生,雇人
本号は公証人が遺言の作成に関与する場合においてのみその適用あるべし。すなわち公正証書または秘密証書においてのみその適用を視るべし。この規定はほとんど公証人規則第29条第1号に同じきも(第1)同条には公証人の親族全体を包含ししかもこれと家を同じうする者を包含せず。これ両つながら欠点といわざることを得ず。けだし公証人の親族といえどもその遠系の者に至りてはほとんど他人に同じかるべくまた仮令親族にあらずといえどもいやしくも家を同じうする以上は却って遠系の親族より親しき者なるが故にこれを包含せしむるの妥当なることはけだし論を俟たざる所なり。故に本条においては「公証人と家を同じくする者及び公証人の直系血族」といえり。(第2)公証人規則は公証人が公正証書を作る場合における証人にのみ適用すべきものにして(1)秘密証書に付いてはこれを適用すること能わず(2)前条の医師に付いてもまた然り。故に本号は決して公証人規則と重複するものにあらず。
「公証人と家を同じくする者」とは公証人が戸主なる場合においてはその家族全体また公証人が家族なる場合においてはその戸主及びその家の家族全体をいう。
第1075条 遺言は2人以上同一の証書を以て之を為すことを得
ず(取368,2項)
本条は共同遺言を禁じたるものなり。けだし2人以上同一の証書をもって遺言を為すときは自らその一方を取消してほかの一方を取消さざること能わずの事情を生ずべく従って後に論ずべき理由によりて遺言の取消を自由にしたる趣旨に反すべくあるいは一方の遺言がほかの一方の遺言の条件と為り従って法律上一方の遺言の存廃がほかの一方の遺言の存廃によりて定まることなしとせず。これまた遺言を自由にしまたその取消を自由にしたる趣旨に反すべく殊に2人以上同一の証書をもって遺言を為すときはその一方はほかの一方に対する斟酌によりて充分自由の遺言を為すこと能わざることあるべし。故に共同遺言は全くこれを禁じたり。
第2款 特別方式
本款においてはおよそ前款に規定したる3種の普通方式によらざることを得る場合はすべてこれを網羅せり。すなわち疾病(1076,1079,1081)伝染病の流行(1077)戦争(1078,1079)艦船乗込(1080,1081)外国在留(1086)等の事由により普通方式により難き場合を規定せり。
第1076条 疾病其他の事由に因りて死亡の危急に迫りたる者が
遺言を為さんと欲するときは証人3人以上の立会を以て其1人
に遺言の趣旨を口授して之を為すことを得此場合に於ては其口授
を受けたる者之を筆記して遺言者及び他の証人に読聞かせ各証人
其筆記の正確なることを証人したる後之に署名,捺印することを
要す
前項の規定に依りて為したる遺言は遺言の日より20日内に証人
の1人又は利害関係人より裁判所に請求して其確認を得るに非ざれば其効なし
裁判所は遺言が遺言者の真意に出でたる心証を得るに非ざれば之を確認することを得ず
本条は疾病,傷痍等の事由によりて既に死亡の危急に迫りたる者が遺言を為さんと欲する場合に必要なる方式を定めたるものなり。けだしこの場合においては自筆証書を作ること能わず。また公正証書もしくは秘密証書によるの暇なきこと多かるべし。故に例外としてこの場合には口頭遺言の効力を認めたり。これに要する条件2あり。
第1 証人3人以上の立会を必要とす。しかしてこの証人が第1074条の条件を具備せざることを得ざることは第1084条に明らかなる所なり。しかしてこの証人中1人は遺言者の口授を受けこれを筆記し遺言者及びほかの証人に読み聞かせ各証人その筆記の正確なることを承認したる後これに署名,捺印すべきものとせり。
第2 裁判所の確認を得ることを要す。けだしこの場合においてはあるいは遺旨を矯めて虚偽の遺言書を作るの虞なきにあらず。また仮令虚偽ならざるも死に垂々たる病者を捉えその精神の不健全なるに乗じてその本旨にあらざる遺言を為さしめまたは精神の衰耗,言語の不自由等の為めその意思を誤聞するの恐あるをもって特に裁判所をしてその確認を為さしむることとせり。しかして裁判所は形式的の確認にあらずして遺言が遺言者の真意に出でたる心証を得るにあらざればこれを確認することを得ざるものとせり。これが為めにあるいは医師その他の証人により遺言者が遺言を為したる当時の病状その他を訊問しあるいは遺言の証人の平生の性行を調査し果して信用するに足る者なるや否やを確めその他一切の事情を斟酌してこれを決すべくしかしてもし裁判所にして些少にても遺言が遺言者の真意に出でたるにあらざるの嫌疑を挟むときは決して確認を為すべからず。これ本条第3項の特に規定する所なり。」右の確認の請求は証人の1人または利害関係人より速にこれを為すべきものとし特に遺言の日より20日内の期間を設けたり。これほかなし。日子を経るに従い遺言当時の実情を調査すること益々困難と為るべきをもってなり。なお確認の手続に付いては非訟事件手続法第109条及び第110条の規定あり。就いて看るべし。
第1077条 伝染病の為め行政処分を以て交通を遮断したる場所
に在る者は警察官1人及び証人1人以上の立会を以て遺言書を作
ることを得(取376)
本条は伝染病の為め行政処分をもって交通を遮断したる場所に在る者の為め遺言の特別方式を認めたるものなり。この場合においては2人以上の証人を得ること難くいわんや公証人をその場所に立入らしむること能わざるべし。しかして警察官は安寧,秩序を保持し人民を保護する職務を帯ぶる者にして概して充分の信用を為すべき者なるが故に警察官1人と証人1人以上との立会あるときは遺言に錯誤,詐欺等の恐少きものと認めざることを得ず。しかして警察官は交通遮断の場所にも立入ることを得る者なるが故に当事者の為めにはその立会を求むること容易なるべし。なお本条の特に必要なる所以は交通遮断の場合の如きは激烈なる伝染病の流行に際すること多く従ってその伝染病の為め死に瀕したる者が遺言を為さんと欲すること多かるべきをもってなり。
第1078条 従軍中の軍人及び軍属は将校又は相当官1人及び証
人2人以上の立会を以て遺言書を作ることを得若し将校及び相当
官が其場所に在らざるときは準士官又は下士1人を以て之に代ふることを得
従軍中の軍人又は軍属が疾病又は傷痍の為め病院に在るときは其
院の医師を以て前項に掲げたる将校又は相当官に代ふることを得
(取374,375)
本条は従軍中の軍人及び軍属の遺言に付き特別の方式を認めたるものなり。けだしこれらの者は戦地に在るが故にいつ戦死するかを測り難く殊に傷痍または疾病の為め既に死に瀕する者に至りては自ら遺言書の全文を書すること能わず。しかも公正証書もしくは秘密証書によらんと欲するも公証人なきをいかんせん。しかるに将校,相当官等は軍中に在りては部下の兵卒を指揮する重職を帯ぶる者にして概して充分の信用を置くを得べきが故にこれをもって公証人に代えもって遺言を為すの便を得せしめたるなり。すなわち将校または相当官1人及び証人2人以上の立会をもって遺言書を作ることを得るものとせり。但しもし将校及び相当官が遺言の場所に在らざるときは準士官または下士をもってこれに代ふることを得るものとせり。
右の軍人,軍属が疾病または傷痍の為め病院に在るときは病院は往々にして将校または相当官なきが故にその院の医師をもってこれに代ふることを得るものとせり。けだし陸海軍の病院にしてその院に軍医あるときはこれ将校の相当官なるが故に固より本条第1項の規定によりて遺言を為すことを得べしといえどももしその病院に軍医なくほかの赤十字社等の医師をして治療を掌らしむる場合においてはその医師は将校相当官にあらざるもまた遺言に立会うことを得るものとしたるなり。これ事情やむことを得ざればなり。
「従軍中」の文字の解釈に付いては稍々困難なる問題を惹起するの虞なしとせざれどもこの文字は軍事に関する各種の法規に見ゆる所にして陸海軍において自らその解釈を一定すべきをもって本条においてはその解釈に拠るものとして別に詳細の規定を設けざるなり。
第1079条
従軍中疾病,傷痍其他の事由に因りて死亡の危急に
迫りたる軍人及び軍属は証人2人以上の立会を以て口頭にて遺言
を為すことを得
前項の規定に従ひて為したる遺言は証人其趣旨を筆記して之に署
名,捺印し且証人の1人又は利害関係人より遅滞なく理事又は
主理に請求して其確認を得るに非ざれば其効なし
第1076条第3項の規定は前項の場合に之を準用す
本条は従軍中の軍人及び軍属が疾病,傷痍その他の事由によりて死亡の危急に迫りたる場合において特に容易に遺言を為すことを得せしめんと欲したるものなり。しかして本条の規定は通常人に関する第1076条の規定と同一の精神に出でたるものなり。唯(第1)陣中に在りては有資格の証人を得ること困難なるべきをもってその人員を2人以上に減じ(第2) 多忙の際一々遺言者をしてその遺言の趣旨を口授せしめ直ちにこれを筆記し遺言者及びほかの証人に読み聞かせたる後署名,捺印を為すが如きは事実困難なる所なるべし。故に本条においては単に証人をしてその趣旨を筆記しこれに署名,捺印せしめたり。(第3)本条の場合においては確認の請求はこれを裁判所に為さずして理事または主理に為すべきものとせり。けだし理事または主理は陸海軍の法官にして法律に通暁せる者なるが故にこれをして裁判所の職務に属する事項を掌らしむるも敢えて困難を感ぜざるべくしかしてもし裁判所に確認の請求を為すべきものとせば動もすれば数月の後にあらざればこれを為すこと能わざるべし。もししからば確認を為すこと極めて困難なるべく動もすれば有名無実におわらんのみ。これに反して理事または主理は戦地に在るべきが故にこれをして確認を為さしむることは比較的容易なるべし。故に理事または主理に請求すべきものとせり。(第4)第1076条においては20日の期間を与えたりといえども本条においては単に「遅滞なく云々」と曰えり。これほかなし。軍事の繁忙ならざる場合においては20日の期間は長きに失すべく殊に本条の場合においては第1076条の場合におけるよりも簡易なる手続によれるが故にこの場合においては23日中に確認の請求を為すべくまた軍事の繁忙なる場合においては勢い数十日を待たざることを得ざるべし。殊に理事または主理が遠隔の地に在る場合においては一定の期間内にその請求を為すこと能わざる場合稀なりとせざるべし。故に唯「遅滞なく云々」と曰いたるなり。なおこの場合の手続に関しては明治33年2月7日法律第13号の規定あり。
第1080条 艦船中に在る者は軍艦及び海軍所属の船舶に於ては 将校又は相当官1人及び証人2人以上其他の船舶に於ては船長又は事務員1人及び証人2人以上の立会を以て遺言書を作ることを得
前項の場合に於て将校又は相当官が其艦船中に在らざるときは準士官又は下士1人を以て之に代ふることを得(取377,378)
本条は艦船中に在る者の遺言に付き特別方式を認めたるものなり。けだしこの場合においては公証人を召喚すること能わざるは固より言うを俟たざる所なり。しかるに艦船中において死亡する恐あるときは上陸を待って遺言を為すの余裕あらざるべし。故に勢い便法を設けざることを得ず。その便法いかん曰く軍艦及び海軍所属の船舶に在りてはあたかも従軍中の軍人,軍属におけるが如く将校または相当官1人及び証人2人以上の立会を要しもし将校または相当官がその艦船中に在らざるときは準士官または下士をもってこれに代ふることを得るものとせり。またほかの船舶に在りては船長または事務員1人及び証人1人以上の立会をもって遺言書を作るべきものとせり。けだし船長は法律上の資格を具ふる者にあらざればその職に任ずることを得ず。また事務員はあるいは法律上の資格を要しあるいはこれを要せざるも相当の地位を有する者なるが故に概して信用を措くことを得べき者なるべし。なお「事務員」とは船長以外の船舶職員すなわち運転士,機関長,機関士(29年4月7日法68号船舶職員法1,2項によれば船舶職員とは船長,一等運転士,二等運転士,機関長及び一等機関士をいうものとせるも本条の解釈としては無論二等機関士,三等機関士等も事務員中に包含すべきものとす。)及び会計方,医師等をいう。
第1081条 第1079条の規定は艦船遭難の場合に之を準用す
但海軍の所属に非ざる船舶中に在る者が遺言を為したる場合に於ては其確認は之を裁判所に請求することを要す
艦船遭難の場合においてはあたかも軍人,軍属が従軍中疾病,傷痍等により死亡の危急に迫りたる場合とその事情を同じうす。故に本条においては第1079条の規定を戦艦遭難の場合に準用せり。唯海軍の所属にあらざる船舶に付いては主理をして確認の請求を受けしむる理由なきが故にこの場合においてはその確認は第1076条の場合におけるが如くこれを裁判所に請求すべきものとせり。
「艦船遭難の場合」とは沈没,捕獲等の場合において乗込人中死亡の危急に迫りたる者ある場合をいえるなり。
第1082条 第1077条,第1078条及び第1080条の場
合に於ては遺言者,筆者,立会人及び証人は各自遺言書に署名,捺印することを要す(取379,1項)
第1077条,第1078条及び第1080条の場合においては遺言者自ら遺言書を筆記するかまたは筆者をしてこれを筆記せしむる場合なるが故に遺言者及び筆者もまた遺言書に署名,捺印すべきものとす。なお立会人及び証人が署名,捺印すべきことはあたかも第1076条,第1079条及び第1081条の場合におけるが如し。これほとんど言うを俟たざる所なり。
第1083条 第1077条乃至第1081条の場合に於て署名又
は捺印すること能はざる者あるときは立会人又は証人は其事由を附記することを要す(取379,2項)
以上の場合においては皆危急もしくは多忙の場合なるが故に第1076条の場合を除く外すべて自ら署名を為すことを得る者のみを選ぶこと能わず。殊に遺言者が署名を為すべき場合においてはあるいは無筆なるが為めあるいは疾病,傷痍等の為め署名を為すこと能わざる場合なしとせず。またその場所に印形を所持せざる者多かるべし。故に第1077条以下の場合において法律が署名,捺印を命ずるも署名または捺印を為すこと能わざる者あるときは立会人または証人はその事由を付記しもって署名,捺印に代ふることを得るものとせり。
本条の規定により自ら証人の資格に差異を生ずべし。すなわち普通方式及び第1076条の場合においては証人は無筆者たることを得ず。これに反して第1077条ないし第1081条の場合においては証人は無筆者たるも可なることこれなり。
第1084条 第1068条第2項及び第1073条乃至第107
5条の規定は前8条の規定に依る遺言に之を準用す
本条は普通方式の規定中特別方式にも準用すべきものを掲げたり。
第1 第1068条第2項
遺言書中挿入,削除その他の変更は遺言者その場所を指示しこれを変更したる旨を付記して特にこれに署名しかつその変更の場所に捺印するにあらざればその効なし。但し遺言者自ら証書を作らざる場合においてはその筆者においてこの手続を為すべし。あるいは曰わん第1070条第2項においては筆者が遺言書を筆記したる場合においてもなお遺言者自ら第1068条第2項の手続を為すべきものとせるに本条においては筆者をしてこの手続を為さしむるものいかんと曰くこれ規定の性質上しからざることを得ざる所なり。第1070条においては筆者が遺言書に署名,捺印せざるが故に筆者をして第1068条第2項の手続を為さしむるももって担保と為すに足らず。故に遺言者をしてその手続を為さしむるといえども特別方式の場合においては筆者もまた遺言書に署名,捺印するが故にこれをして右の手続を履ましむることその当を得るのみならず特別方式の場合においては往々遺言者が署名,捺印を為さざることあるをもって到底第1070条と同一の適用を為すことを得ざるなり。
第2 第1073条
これ禁治産者が遺言を為す場合に医師2人以上の立会を必要とする規定にして特別方式の場合においてもまた同一の規定を必要としたるなり。
第3 第1074条
これ遺言の証人及び立会人の資格を定めたるものにして特別方式の証人,立会人にもまたこれを準用せり。しかして普通方式に在りては証人の外立会人なるものは禁治産者の遺言に関し医師あるのみなりといえども特別方式に在りては警察官(1077)将校,相当官,準士官,下士,病院の医師(1078,1080)船長または事務員(1080)もまた第1074条の資格を具ふべきものとす。
第4 第1075条
これ共同遺言を禁ずるものにして特別方式においてもまたこれを準用すべきものとしたるなり。
第1085条 前9条の規定に依りて為したる遺言は遺言者が普通方式に依りて遺言を為すことを得るに至りたる時より6个月間生存するときはその効なし
以上論じたる特別方式は皆急迫やむことを得ざる場合において簡易の方式によれるものなり。しかりといえども遺言に錯誤,詐欺等の危険ある上より論ずればその普通方式に及ばざること真に遠しといわざることを得ず。故にもし遺言者が直ちに死亡せずして普通方式によることを得るに至りたるときは例えば病平癒して自筆証書,公正証書または秘密証書を作ることを得るに至りたるときまたは交通遮断の解かれたるときまたは戦争の終了したるときまたは艦船が帰港したるときは更に普通の方式によりて遺言を為すべきものとせり。唯普通方式によることを得るに至るや否や直ちにこれによりて遺言を為すべきものとせば実際に行われ難きをもって法律は特に6か月間の期間を与えもし遺言者が普通方式によることを得る時より6か月間生存するときは特別方式によりたる遺言はその効を失うべきものとせり。故に遺言者の意思にして変更せざらんが更に普通方式によりて同一の遺言を為すべきのみ。
第1086条 日本の領事の駐在する地に在る日本人が公正証書又
は秘密証書に依りて遺言を為さんと欲するときは公証人の職務は
領事之を行ふ(取380,381,旧法例4,2項,9,新法例 8,
1項,26)
本条は外国に在留する日本人が遺言を為すに付き特別なる事項を定めたるものなり。けだし法例第26条の規定によれば遺言は遺言者の本国法によるを原則とし唯行為地法によることを妨げざるものとせり。故に外国に在留する日本人がその国の方式によりて遺言を為さんと欲するときは固より妨なしといえどもむしろ日本の法律に従いてこれを為すを本則とするものなり。しかるに自筆証書は何処に在るもこれを作ること容易なりといえども公正証書及び秘密証書は必ず公証人の関与を要するものなるが故に外国においては日本の公証人なく外国の公証人または自国以外の法律に従いて証書を作ること能わず。いわんや国によりては公証人なきものあるにおいてをや故に本条においては日本の領事の駐在する土地に限りその領事をして公証人の職務を行わしむることとせり。故に領事の駐在せざる土地に在る日本人が公正証書または秘密証書によりて遺言を為さんと欲するときは勢い領事の駐在地に至りてこれを為さざることを得ざるべし。
本条の規定はあるいは普通方式に関するものなりということを得べきも唯普通方式に在りて公証人の行うべき職務を領事に行わしむるが故にこの点において普通方式に異なるものあり。よりてこれを本款中に収めたり。
第3節 遺言の効力
本節においては各種の遺言に関する規定を網羅せりといえどもしかもその大多数は遺贈に関せり。けだしほかの遺言は概して簡単にしてその効力に付き疑義を生ずる虞少きをもってなり。
第1087条 遺言は遺言者の死亡の時より其効力を生ず
遺言に停止条件を附したる場合に於て其条件が遺言者の死亡後に
成就したるときは遺言は条件成就の時よりその効力を生ず(取3
90,1項乃至3項)
本条は遺言が効力を生ずべき時期を定めたるものなり。けだし遺言は欧州においては最後の意思(derniéres volontés, letzter Wille)と称する程にして遺言者が死亡前最後に有せし意思を表白するものたらざることを得ず。故に遺言は遺言者においていつにてもこれを取消すことを得るものとせり(1124ないし1128)。かつ遺言者の意思を推測するにその効力は自己の死亡の後において生ずべきものとするに在りたるやけだし疑を容れず。故に遺言は必ず遺言者の死亡の後にその効力を生ずるものとすべきこと各国皆然る所にして固より当に然るべき所なり。唯遺言は遺言者の死亡の時より直ちにその効力を生ずべきやはた遺言によりて利益を受くる者が承認を為したる時より効力を生ずるものとすべきやは大に勘考の価値あるものというべし。けだし相続の場合において相続人の権利義務は常に相続開始の時より生ずるものとせるものほかなし。しからずんば一時権利義務の主体を失うべければなり。これに反して遺言に付いては遺贈以外の場合には大卒必ずしもいずれの時より効力を生ぜざるべからざるの理由なくまた遺贈に付いてはその目的たる財産は一旦相続人の有に帰し受遺者が承認を為したる時より更にその有に帰するものとするも法理上あたか末の支障を見ることなし。また一方より論ずれば遺言によりて利益を受くる者は自己の知らざる間に権利者または義務者と為るものとするは頗るその当を得ざるが如く殊に遺言者は受遺者に対してなんらの権力をも有せざるに拘らず遺言者の意思によりて法律上覊束を受くるが如きは従来なんらの関係もなかりし受遺者に取りては却って迷惑なりといわざることを得ず。故に遺言はむしろ受遺者が承認を為したる時よりその効力を生ずるものとするを妥当とすべきが如し。しかりといえども退いて考ふるときは遺言者の意思は通常遺言者をして自己の死亡の時より直ちに効力を生ぜしむるに在るべくもししからずんばあるいはこれに期限を付しあるいはこれに条件を付することを得べし。故になんらの期限,条件等をも付せざるときはこれ遺言者の死亡の時よりその効力を生ぜしめんと欲したるものと推測せざることを得ず。しかして受遺者の為めには往々にして迷惑なる場合なきにあらざるべきも概してこれを言えば受遺者の利益と為ること多くもしその利益を受くることを欲せざればいつにても放棄を為すことを得べきが故に純理上より言えば多少の覊束を受くるが如しといえどもしかも実際において拘束を受けざるものというべし。これに反してもし遺言が承認の時より始めてその効力を生ずるものとせばその間に遺言の目的より生じたる利益は皆相続人に帰し為めに受遺者の利益を害すること多かるべく甚しきに至りては相続人がその間に遺言の目的を処分したるときはあるいはその処分をもって有効と看做さざることを得ざるに至るべし。故に外国においても大抵遺言の効力は遺言者の死亡の時より生ずるものとせり。唯細目に至りては各国その規定を1にせずといえども今煩を避けてこれを説かず。なお遺贈外の遺言に付いては既に法律に特別の規定を設くるもの少なしとせず。例えば第829条第2項によれば遺言によりて私生子の認知を為すことを得べくしかもその効力は出生の時に遡りてその効力を生ずべし(832)。また遺言をもって養子を為すの意思を表示したるときは養子縁組は素と契約によりて成立すべきものなるが故に一方の意思のみによりて直ちにその効力を生ずること能わず。故に一方の意思表示としては通則に従い遺言者の死亡の時よりその効力を生ずるといえども養子たるべき者が承諾を為すにあらざれば養子縁組は成立せざるべし。唯所謂遺言養子はこれに家督を相続せしめんが為めにすること多く従って遺言者の意思は自己の死亡の時より養子が自己の子と為るべきことを希望したるものと看做すべきが故に特にこの場合における養子縁組の効力を遺言者の死亡の時に遡らしめたり(848)。また遺言をもって相続人を廃除せんと欲する場合においてその廃除の意思表示は通則に従い遺言者死亡の時よりその効力を生ずべしといえどもしかも相続人の廃除は必ず裁判所の判決を要するものなるが故に廃除その物は右の判決確定の時に成立すべきものとす。しかりといえどもこの如くんば相続人を廃除する目的を達すること能わざるべし。何となれば相続人の資格は相続開始の時に確定すべきものなればなり。故にこの場合においては廃除の効力を遺言者の死亡の時に遡らしめたり。これ廃除の取消に付いてもまた同じき所なり(976,977,4項,1000)。遺言をもって家督相続人の指定またはその取消を為さんと欲するときはその意思表示は通則により死亡の時よりその効力を生ずべしといえどもしかも相続人の指定またはその取消なる行為は屈出によりて成立すべきが故に必ず数日月の後に行わるること固よりなり。しかれどもその効力は遺言者の死亡の時より生ずるにあらざればその目的を達すること能わざるが故に特にその効力を遺言者の死亡の時に遡らしめたり(981)。しかれども特別の規定なき場合においてはすべて本条の通則によるものとす。例えば後見人,後見監督人または親族会員の指定(901,910,945,2項)相続分の指定(1006)遺産分割の方法の指定(1010)遺産分割の禁止(1011)その他分割に関する遺言(1016)遺言執行者の指定(1108,1項)その他遺言執行者の権利に関する遺言(1118,1119,1項,1120,1項)等の如きこれなり。なお遺贈に付いては全然本条の規定によるべきこと固より言うを俟たざる所なり。故に遺贈の目的が特定物に関する物権なるときはその権利は遺言者死亡の時より受遺者に移転すべく,不特定物の給付なるときは受遺者はまた遺言者死亡の時よりその給付を受くべき債権を取得すべきものとす。ほかは類推すべし。
遺言に期限あるときは固よりその期限を守るべしといえどもしかもその効力は同じく遺言者の死亡の時より生ずるものとす。唯その執行または効力消滅の時期に付き別段の定あるに過ぎず。また遺言に解除条件を付したる場合においても遺言は遺言者の死亡の時よりその効力を生ずべく唯後日解除条件が成就したるときはその効力自ら消滅すべきのみまた遺言に停止条件を付したる場合においてはあるいは条件成就の後その効力を遺言者死亡の時に遡らしむることを得ざるにあらずといえども本条第2項においてはむしろ通則に従い条件成就の時より始めてその効力を生ずべきものとせり。けだし一旦総則において条件の効力既往に遡らざるものと定めたる以上は(127)唯り遺言に付き反対の主義を採用するの理由なきが故にこの場合においては条件成就の時よりその効力を生ずべきものとせり。唯その条件が遺言者の死亡前に成就したるときは第1項の本則に従い遺言者の死亡の時よりその効力を生ずべきことほとんど言うを俟たざる所なり。畢竟第2項の規定は法文の完全を望むが為めに設けたるものに過ぎずして仮にこれ明文なしとするもあるいは通則の当然の結果により同一の決定を得べきか。
あるいは問わん第127条第3項によれば当事者が条件成就の効果をその成就以前に遡らしむる意思を表示したるときはその意思に従うべきものとす。故に遺言者がその遺言に条件を付しなおその条件の効力は自己の死亡の時その他成就以前に遡らしめんことを欲したる場合においてはその死亡の時その他指定したる時期より遺言の効力を生ずべきものとすべきやいかんと曰く固よりなり。いやしくも公益を害せざる限は当事者は意思表示の自由を有するものなり。しかるに原則として遺言の効力は公益に関するものあらざるが故に遺言者において自由にこれを定むることを得ずんばあるべからず。本条第2項は既に述べたるが如く唯一般の通則の結果本条第1項に対し例外の場合を生ずることを示したるに過ぎずして敢えて遺言に関し特別の規定を設けんと欲したるものにあらず。けだし後の第1096条第2項但書において停止条件付遺贈は受遺者がその条件の成就前に死亡したるときはその効力を生ぜざるべきことを定めたる原則に対し遺言者の反対意思を認めたるによりて立法者の精神を見るべし。但し本条第2項に同一の但書を設けざりしはほかなし。第1096条は遺言の失効の場合を定めたるものにしてあるいは命令的規定なるかを疑はしむるをもって特に但書の明文を要したりといえども本条は唯遺言の効力を生ずべき時期を定めたるに過ぎざるが故にその命令的規定にあらざることほとんど疑なく殊に条件の効力を遺言者の死亡の時に遡らしむる特別意思あることは極めて稀なるべければなり。これを要するに本条の規定は遺言者が特別の意思を表示せざりし場合に付いて定めたるものにして遺言者はその遺言の効力を死亡前に遡らしむることを得ざるは遺言の性質上固よりなりといえども(1128参照)その死亡後に付いてはいずれの時期より遺言の効力を生ぜしむるも可なりといわざることを得ず。
羅馬法においては遺言に付き不確定期限をもって条件に均しきものとせりといえどもこれ理由に乏しき所なるが故に我民法においてはこれを取らず。
以上論じたる所は遺贈に付いては常にこれを適用することを得べきもほかの遺言に付いてはその性質上適用すべからざるものあり。例えば後見人,後見監督人または親族会員の指定(901,910,945,2項)相続分の指定(1006)等の如きはその性質上期限または条件を付することを許さざるものなり。これに反してその他の場合においては皆条件を付することを得べし。例えば私生子の認知は一定の事実の発生を期してこれを為すべき旨を遺言することを得べし。唯この場合においては第832条の特別規定あるが為めその効力は本条の規定によらずして出生の時に遡りて生ずるものとすべし。あるいは曰わん私生子の認知は通常屈出によりてこれを為すべきものにしてその屈出の条件付たることを得ざるはけだし疑を容れざる所なり。然りしかして遺言に限り条件付にて可なりというものいかんと曰く屈出はある事実が確定したるときこれを為すべきこと固より疑を容れずといえども遺言はその性質上条件付たることを得るものにしてこの場合においては別に屈出の手続を要せざるが故に無条件の遺言に在りては遺言者死亡の時,条件付の遺言に在りては条件成就の時認知なる事実成立しあたかもこの時に屈出ありたると同一の効力を生ずべきものとせざることを得ず。しかしてこれあたかも公益に害なきをもって敢えて不法なりと為すことを得ず(829,2項)。養子の遺言の如きもまた条件付たることを得べし。殊に同条には「遺言が効力を生じたる後云々」といい暗に「通常の場合においては遺言者死亡の時より,条件付遺言に在りては条件成就の時より云々」の意味を包含せしめたるが如し。唯養子縁組は第848条第2項の規定により遺言者の死亡の時より成立するものとす(4巻296頁)。相続人廃除の遺言及び取消の遺言に付いてもまた同じ(976,977,4項,1000)。家督相続人の指定またはその取消の遺言もまた同じ(981)。但これらの場合においてはあるいは立法論として条件付遺言を許さざるもまた可ならんがその他遺産の分割に関する遺言(1010,1011,1016)遺言執行者に関する遺言(1108,1項,1118,1119,1項,1120,1項)等の如きはこれに条件を付することを得ること固よりなり。
あるいは問わん右の遺言にはまた期限を付することを得るや否や。曰く遺言の性質によりこれを付することを得るものと得ざるものとあり。例えば私生子の認知の如きはこれに期限を付することを得ず。何となれば認知の結果その効力は必ず出生の時に遡るべきものなるが故に仮令期限を付するもなんらの効力なきものとす。また養子縁組の遺言,相続人廃除またはその取消の遺言,家督相続人の指定またはその取消の遺言等の如きは一旦その遺言が効力を生じたる以上はその効力は必ず遺言者の死亡の時に遡るべきものなるが故にまたこれに期限を付すること能わず。なおこれらの身分上の行為に消滅期限もしくは解除条件を付することを得ざるは言うを俟たざるが故に特にこれを論ぜず。また分割に関する遺言は理論上これに期限を付すること能わざるにあらずといえども実際ほとんどその適用なかるべし。何となれば分割の方法を定むるに当り遺言者死亡の後何年を経れば某々の方法によるべきことを遺言するが如きことはけだしこれあらざるべし。また分割を禁ずるに当りても相続開始の時より何年の間は分割を禁ずる旨を定むることは稀なりとせざるべきも相続開始の時より何年の後は分割を禁ずる旨を遺言することはけだしまたこれあらざるべし。共同相続人間の担保の義務に付き遺言を為すに当たりてはあるいは期限を付することなきにあらざるべしといえどもこれまた極めて稀なるべきのみ。但しこの場合においては解除条件を付することは敢えて稀ならざるべし。また消滅期限を付することも絶無とはいい難きが如し。また遺言執行者に関する遺言に在りてはこれに期限を付することは固より稀なるべしといえどもしかも以上の場合に較ぶればあるいはその例多きやも測られず。例えば遺言者死亡の時より何年の後某をもって遺言執行者と為す旨を定むることあるべくまた遺言執行者は直ちにこれを指定するもその死亡後何年を経れば第三者をしてその任務を行わしむるも可なりと定むることあるべくまた数人の遺言執行者を指定したる場合において何年の後は各自専断にてその任務を執行するも可なりと定むることなしとせざるべくまた遺言執行者就任の後何年または何月を経たるときはこれに一定の報酬を与ふべきことを定むることあるべし。その他消滅期限もしくは解除条件を付することもまた必ずしも稀なりとせざるべし。
第1088条 受遺者は遺言者の死亡後何時にても遺贈の放棄を為
すことを得
遺贈の放棄は遺言者の死亡の時に遡りて其効力を生ず(1039,
1項,取390,4項)
本節の規定は本条以下皆遺贈に関するものなり。故に一切の遺言に関する条文は前条1か条のみなり。
前条に付いて述べたるが如く我民法においては欧羅巴の一般の例に倣い遺言は遺言者の死亡の時より直ちにその効力を生ずるを本則とせり。しかしてこれ遺贈に付いて最も適用多きことはまたこれを述べたり。しかるに何人といえども自己の意思に反して遺贈を受くべき理由なきが故に法律上は一旦遺言がその効力を生ずるといえども受遺者はいつにても遺贈の放棄を為すことを得べし。唯遺言者の生前に在りては遺言いまだ効力を生ぜざるが故に別に放棄を為すの必要なく従って遺贈の放棄は遺言者の死亡後においてのみこれを為すべきものとす。
遺贈の放棄を為すことを得ることは既に述べたるが如しといえどももしその放棄にして将来に向いてのみその効力を有するものとせば遺言者の死亡の時より放棄の時に至るまで遺言その効力を生じ例えば動産または不動産の所有権を遺贈したるときはその所有権一旦受遺者に移り更に受遺者よりほかの者に移転するものとせざることを得ず。従ってその中間において生じたる果実もまた受遺者の有に帰すべきが如く畢竟受遺者が遺贈の放棄を為したる趣旨に反する結果を生ずべし。故に本条第2項においては遺贈の放棄は遺言者の死亡の時に遡りてその効力を生ずべきものとせり。
第1089条 遺贈義務者其他の利害関係人は相当の期間を定め其
期間内に遺贈の承認又は放棄を為すべき旨を受遺者に催告するこ
とを得若し受遺者が其期間内に遺贈義務者に対して其意思を表示
せざるときは遺贈を承認したるものと看做す
前条の規定によれば受遺者はいつにても遺贈の放棄を為すことを得るが故に遺言者死亡の後数年間受遺者はなんらの意思を表示せずして突然その放棄を為すことなしとせず。この如くんば遺贈履行の責に任ずべき者は勿論その他債権者,債務者等の利害関係人はその権利義務不確定にして大に不便を感ずることあるべし。故に本条においては遺贈義務者その他の利害関係人は相当の期間を定めその期間内に遺贈の承認または放棄を為すべき旨を受遺者に催告することを得るものとせり。しかしてもし受遺者がその期間内に遺贈義務者に対してその意思を表示せざるときは遺贈を承認したるものと看做せり。これ第19条,第114条,第547条,第556条第2項と同一の趣旨に出でたるものにして速に利害関係人の権利義務を確定せしめんが為めに設けたる便法に過ぎず。しかして受遺者がなんらの意思表示をも為さざるときは遺贈を承認したるものと看做すものほかなし。遺贈は素と法律上は遺言者の死亡の時より既にその効力を生じたるものなるが故に受遺者が特にこれを放棄せざる以上はすなわちその効力を継続すべく換言すれば遺贈を承認したるものと看做さざることを得ざればなり。
本条の場合の外受遺者が承認を為すこと稀なりとせざるべし。しかして承認に付いては別段の規定なきが故にいかなる方法をもってこれを為すも可なり。すなわち遺贈義務者に対し口頭または書面にて遺贈を承認する旨を明言するは最も普通の方法なるべしといえどもあるいは訴訟中において法廷に遺贈承認の意思を表示するも可なるべくあるいは債権者,債務者等に対して自己が遺贈を承認したる旨を明言するもまた可なるべくあるいは遺贈義務者が遺贈の履行としてその目的物を引渡すに当たりなんらの異議を述べずしてこれを受取りたるときあるいは遺贈義務者に対して遺贈の履行を請求するが如きこれ皆黙示の承認なり。要するに受遺者の行為にして遺贈の利益を受くるの意思を明らかにするものは皆これを承認と看做さざることを得ず。あるいは曰わん受遺者はいつにても遺贈の放棄を為すことを得るが故に特に承認を為すの必要なかるべく従って承認を為したるや否やを究むるの必要なかるべしと曰くしからず。次の2条の規定により受遺者が承認を為したると否とによりその権利義務に重大の差異を生ずべければなり。
「遺贈義務者」は通常相続人なり。しかりといえども(第1)相続人数名ある場合においてその1人のみ特にある遺贈を履行する義務を負うことあり。(第2)甲の遺贈の負担として乙の遺贈を履行すべきことを定むることあり。この場合における遺贈義務者は甲の受遺者なり。およそこれらの事項はすべて遺言の趣旨によるべきものとす。
「相当期間」の意義に付いては既に屡々論じたるが如く事情によりてその長短を異にすべし。例えば受遺者が懸隔の地に在る場合においては自ら長期の必要あるべくしかして承認,放棄等の意思表示に付いては特に例外の規定なきが故に第97条原則によりその到達の時に始めて成立すべきものなるが故に必ずその到達に必要なる期間を存ぜざることを得ず。また遺贈の目的が複雑にしてこれを承認するの利害に関し多少の勘考,調査を要する場合においては自らその期限を長くせざるべからず。これに反して近隣に住する受遺者に対し簡単なる遺贈の承認または放棄を求むる場合においては自らその期間を短くすることを得べし。しかしてもし当事者間において争あるときは固より裁判所の認定によるの外なきなり。
本条の催告に対する確答を遺贈義務者に対して為すべきものとしたる所以のものほかなし。本条の催告を為す権利を有する者は一切の利害関係人にしてその何人よりこの催告を為すも可なりといえども一旦催告の結果遺贈の承認または放棄が確定する以上はその効力は一切の利害関係人に及ぶべきものなるが故に例えば数多の債権者または債務者の中その1人に対して確答を為しこれによって主たる利害関係人たる遺贈義務者及びほかの一切の利害関係人皆その効力を受くべきものとするはその当を得ず。故に確答は必ず遺贈義務者すなわち主たる利害関係人に対してこれを為すべきものとせり。
第1090条 受遺者が遺贈の承認又は放棄を為さずして死亡した