私が教員を志望したのは修士2年の夏休み明けです。一般的な就職活動の時期を考えると遅いのは重々承知です。学部4年次の「教育実習(公立中学校)」の強烈な体験。論文が読めるようになり楽しくなってきた院生生活。モラトリアムだったのでしょう。
修士1年までは「研究」と「教育」の選択で悩んでいた日々でした。修士2年になり後輩を指導する機会が増え、これを機に教職への道を決意したのでした。
ところで、私が修士の頃はすでに就職難の時代です。
という時代だったのです。修士1年の後期から色々と勉強を始めました。教職教養は本格的な学習経験は無かったのですが、教員採用向けの書籍や雑誌(「教職課程」や「教員養成セミナー」)などで対応しました。また、高校レベルの数学の感覚を取り戻すために、大学入試向けの雑誌(「月刊 大学への数学」)の問題に取り組みました。修士論文作成の合間をぬっての勉強で少々大変でしたが、今では良い思い出です。
私立高校志望のだったので、公立高校志望の人よりはチャンスが多かったと思います。以下は採用試験の結果です。
- 東京都教員採用試験を受けました。(一次不合格)
- 大学院時代の先輩が採用されていた高校の採用試験を受けました。(不採用)
- 私学教員適性検査を受けました。1校から声がかかりました。(辞退)
- 栃木県の私立高校の採用試験を受けました。(採用)
栃木の私立高校の採用試験は1日かかりましたが、運良く専任採用されました。自分の全く知らない土地、栃木県での高校教師生活が1998年にスタートしたのでした。
私が教員を志望したのは修士2年の夏休み明けです。一般的な就職活動の時期を考えると遅いのは重々承知です。バイト、麻雀、コンパ、インターネット、ゼミ(?)と、院生生活を満喫していたので、就職活動のことを完全失念してました。(ノTдT)ノ
学部4年次の「教育実習(公立中学校)」は強烈な体験で、生徒と戯れたり、運動会で走ったり、一緒に給食食べたり、他の教育実習生と飲みに行ったりと、チョットした青春でした。教育実習終盤に先生方の飲みに連れて行かされたのが大変でしたが・・・。まあ、良い思い出にしておきます。(^^;
ゼミ発表の少し前に予習すればゼミ発表が切りぬけられるようになったりました。当時騒がれていたインターネットが院生室で使いたい放題になったこともあり、残った時間はネットサーフィンしたり、自分のサイトを試験運用したりとンターネットライフです。修士論文そっちのけのモラトリアムインターネット満喫生活でした。
修士1年までは「研究」と「教育」の選択で悩んでいたその日暮らしだった日々。修士2年の時に後輩を指導するの質問に冷や汗を垂らしながら答える機会が増え、これを機に教職への道を決意した高校数学だったら答えられそうだと思ったのでした。
ところで、私が修士の頃はすでに就職難の時代でした。
といった外的要因だけでなく、
- 大学受験で2浪した
研究やゼミ活動がバイトやインターネットが中心の生活をしていた
- 教員の就職活動を9月に開始した
- だいたい、教員を本気で志望したのが修士終了の半年前だった
といった内的要因(=日頃の行いの悪さ)もあったのです。修士1年の後期から色々と勉強を始めましたが、時すでに遅すぎ。教員採用向けの書籍や雑誌を読んでもチンプンカンプン。高校レベルの数学の感覚を取り戻すために、「月刊 大学への数学」を始めるも、解法がまったく思い出せない。修士論文作成インターネットライフの合間をぬっての勉強で少々大変でしたが、後輩にはとても聞かせられない生活でした。
教員採用の結果
- 東京都教員採用試験を受けました。(一次不合格なのは当たり前)
- 大学院時代の先輩が採用されていた高校の採用試験を受けました。(不採用なのは当たり前)
- 私学教員適性検査を受けました。1校から声がかかりました。(諸事情で辞退)
- 栃木県の私立高校の採用試験を受けました。(なぜか専任採用)
栃木の私立高校の採用試験は1日かかりました。前日の夜に駅前のホテルに宿泊し、「割れ目でポン」を夜遅くまで見ていたにもかかわらず、運良く専任採用されました。宇都宮の餃子と佐野ラーメンしか知らない土地、栃木県での高校教師生活が1998年にスタートしたのでした。
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