ロバート=ブラウニング(1812-89) イギリス・ロンドン生れ
ブラウニングのことについて調べている。しかし名前はきいたことがあっても、この人の作品はどうやら日本語にはあまり紹介されていないらしいということがわかってきた。英文学時点のようなものを引くとかなり詳しく出ていて、英文学史上では重要な人と思われるのだが、ヨーロッパ文学が日本に紹介される段階であまり熱心に取り上げられてこなかったということなのだろう。
ブラウニングの詩で一番日本で有名なのは、上田敏の『海潮音』にある「春の朝」という詩だろう。
時は春、
日は朝(あした)、
朝(あした)は七時、
片岡(かたをか)に露みちて、
揚雲雀(あげひばり)なのりいで、
蝸牛枝(かたつむりえだ)に這(は)ひ、
神、そらに知ろしめす。
すべて世は事も無し。(青空文庫を使わせていただきました。)
友人にブラウニングの名を上げたら、みな異口同音にこの詩を上げた。『海潮音』に取り上げられている他の詩を読んでも、上田敏の訳がいかに優れているかということは驚くばかりである。私は知らなかった、というか忘れていたが、これは萩尾望都の『ポーの一族』に引用されているとのことで、それで我々の世代は知っている人が多い、ということなのかもしれない。
ブラウニングという人はビクトリア朝の最盛期の詩人で、一生働かずに詩を書いて暮らしていくと決意し、それを実行した人である。相続税も財産税もない当時はそれが実行できたわけである。彼の父の財力と遺産によって彼は自分の作品を読みたくない人は読まなくていい、という態度を一生貫いたわけである。初期の詩集はすべて父の手によって自費出版されている。難解でかつ韻律も必ずしも整っていない彼の詩はごく少数の人に読まれただけだったが、『指輪と本(指環と書物)』の成功によって一躍有名となり、テニスンと並ぶ詩人とされるようになったという。
ブラウニングはアンソロジーの中で断片的に紹介されることが多いらしく、それゆえにその紹介される文脈に左右され、誤解が広くなる傾向があるという。それは日本だけでなく、イギリスでも同じような傾向があるらしい。作家の死後、その作品のたどる運命はさまざまだなぁと改めて思う。
『指輪と本』は訳書があるようだが、古書店などで熱心に探す必要がありそうだ。単独の本では『男と女』という詩集の訳書は出版社に注文すれば手に入るようである。
今回私がブラウニングのことについて調べ始めたのはアシモフの「宇宙の小石」という作品の中に引用されている「ラビ・ベン・エズラ」という作品がきっかけである。
我とともに老いてゆけ!
最良のときは今だ来たらず。
人生の終わりのために、人生の始まりは作られた。
我々の時は彼のひとの手の中に。
彼は言う、「人生のすべては私の意図したもの、
若さは人生の半分に過ぎない、ためらいは神に委ねて、おそれずにすべてを見よ!」と。咲き乱れる花たちが問題なのではない、
若さはため息まじりに言う、「どの薔薇が我がものとなるのだろう、
どの百合が去って行き、そして最良の思い出となるのだろうか?」と。
感嘆すべき星たちが問題なのではない、
若さは切々たる声で望む、「木星でも火星でもない、
わが星は美しい姿の恋人、すべてを合わせ、すべてを超えた炎なのだ!」と。
「宇宙の小石」に引用されているのは最初の3行だが、この作品は全部で192行あり、訳すには少し時間がかかりそうだ。そして上田敏に比べるとその手際の悪さが目立つことはやむをえない。
ブラウニングの作品は、懐疑に流れがちな私たちの心を確信に引きとどめ、この世に立って前に進むことを励ましてくれるように感じる。そういうものは押し付けがましいのではないかという懐疑がそこには生まれてしまうけれども、それをどう受け取るかがそのときのその人の位置を示してくれる、そんな作品でもあるかもしれないと思う。
少しずつでも、この作品を訳してみたいと思っている。
参考にしたサイト University of Tronto Library, Robert Browning 16, Rabbi Ben Ezra