尺物
| 「尺」。鯨尺では三七・八センチ。かね尺は三0・三センチ。とある。二十九センチではどうかというところだが、三十センチあれば、まあ「尺物」として立派に通用するだろう。 岩魚の尺物ならば、お目にかかる機会も多いし、現に十五年も渓流に通いながら、いっこうに腕のあがらぬ私でも、何匹かは魚篭に収めることができた。しかし、こと山女魚となるとそう簡単にはいかない。東京近郊のいわゆる渓流は、どこもご他聞にもれず魚影は薄く、したがって型も落ちる。絶対数が少ないのに加えて、釣技拙しときては彼女に遭遇できる確率はぐっと下がることになる。それでもチャンスがまったく無かったわけでもない。渓流釣り初体験の日原川の岩場で、にっちもさっちもいかなくなって、無理やりひきぬいてばらした山女魚は、確かに尺はあったはずだ。突然飛びだした大物にびっくりして、合わせをくれそこない、何度も何度も空しく毛針の追い打ちを繰り返すうちに、日が暮れてしまったこともある。不用意な徒渉で尺物とおぼしきやつを追い込んでしまい、ほぞをかんだ思いは、渓流師ならだれにでもあるのではないだろうか。 大井川水系は、アマゴの尺物の期待をいだかせるのにじゅうぶんな渓だった。長大な流程と峻険な地形が天然の保護区となり、豊富な餌料が幅広の見事なアマゴを育てることで知られていた。いつも渓流行では二人三脚を組む釣友のTと、一時期そんな尺物を夢みて足繁く富士見峠を越えたものである。 そのころは、林道工事で荒れたとはいえ、寸又川の源流や逆河内に入れば尺級はおろか、四十センチクラスも夢ではないと釣雑誌などに喧伝されていた。しかし釣場まで車で五時間、一日しか休みがとれず、夜討ち朝駆けならぬ夜駆け朝討ちの釣行を余儀無くされていた私達には、それらの宝庫の入口でお茶を濁す他はなかった。地元の釣人や要領のよい者は、通行禁止の林道に車やバイクを乗り入れ、いっきに核心部に入渓し、相当な釣果をあげている人もいると聞いていた。しかし私達はそのような厚かましさを持ち合わせていなかったし、よしそのようにして尺アマゴを得たとしても魚拓の墨を塗るのをためらうだろう。そんなわけで、私達は日帰りの効く釣場に熱心に通ったのだが、当然尺物に巡り合う僥倖には、なかなか恵まれなかった。 こじんまりとした寸又峡温泉のはずれにも、一般車両通行止めのゲ−トがあった。当時はゲ−トも開いていることが多く、ワゴン車にミニバイクを積んでいくことも可能だった。しかし例によって、Tと私は、二、三時間の仮眠を車のなかで済ませ、漆黒の闇のなか、そのゲ−トを徒歩で後にした。めざすは寸又川の支流、大間川である。 アプロ−チが短いとはいえ、歩いて行けば入渓点までは約二時間。かなりのアルバイトである。それでもいつものことながら、竿をだすまでの苦労は期待感に減殺され、なんとも感じないから不思議である。山の端が白んできたかなと思うころ、ようやく大間川の瀬音がはるか下の方から聞こえてくるようになった。発電所の取り入れ口をガレ下にみやり、入渓点の黒松沢出会いに着いた時には、辺りはもうすっかり夜の装いを脱ぎすてていた。 Tは、はや仕掛けをつけおえ、堰堤下の好ポイントを流している。いちばんこころの急くときである。渓流の早起き者、カワガラスが「ビィッ、ビィッ」と岩かげから飛びだしていった。 春とはいっても、解禁直後である。川虫を採るために流れに入れた手は切れるように痛い。北斜面の山肌にはまだびっしりと残雪がはりついている。水温三度。しかし魚はすでに瀬にもでていた。回復の早いこの地方のアマゴは、もうすっかりサビも落とし、鮮やかな朱点をいっそう鮮やかにみせていた。 この日は私達にしてみれば割と好調で、十時頃までに二十センチ位の良型をそれぞれ数匹ずつ魚篭に収めていた。平坦な渓相ではあるが、適度な落ち込みなどもあり、ふたりは予定地の広河原をめざして、快調に釣り上がっていった。 何の変哲もない落ち込みだった。手前のポイントでアタリがなく、向こう岸の大岩の下のエゴに餌の亀チョロを送りこんでいるときだった。うまく巻きこみの流れの筋に乗り、目印がゆっくりと上流へと移動していく。と一瞬目印がとまり、糸がふけた。反射的に手首を返すと、ガッとてごたえはあったが、後に続くはずの魚の躍動感はつたわってこない。二、三度小さく竿先をあおってみたが、その度に道糸がピンと張るばかりである。 ―――根がかりか? 緊張感のゆるんだ思いが脳裏をよぎり、針をはずすべく、今度は大きく竿先をあおってみた。次の瞬間、目印がさっと下流へ走ったかと思いきや、竿をひったくるような強烈なあたりが手もとにつたわってきた。不意をつかれた私は、とっさに竿を立てようとしたのだが、敵は次の落ち込みの上の瀬尻にまで逸走していた。道糸と竿の角度をせばめようと、脇をしめて、竿を上流にねかせたときだった。頼りない感触が手もとにもどり、穂先を見ると、目印が空しく風になびいている。 仕掛けをひきよせて、点検してみるとハリス切れではなく、針はずれであった。いわゆるスッポ抜けである。それにしても今までに味わったことのない重量感であった。尺上はまちがいなかろう。 ―――しまった!油断していた。竿を下に運ぶべきだった。 早鐘のような胸の動悸がひくにつれ、後悔の気持ちが広がっていく。徒労とは知りながら、何度か同じ所を流してみたが、もちろん水面に何の変化も起ころうはずはなかった。 下の方の淵でねばっていたTがやってくる気配にきづくまで、私は川原にへたりこんで、つい今までの場面を、こま落としのVTRを見るように、頭のなかで反芻していた。 「どうだった?でたかい?」 Tの声にやっと我にかえった私は、むしょうに何かをしゃべりたい衝動にかられ、事の顛末をTにまくしたてた。あいずちを打つ間もなく私の話しを聞いていたTはようやくこちらの話しが終ると、餌をつけかえて、汀に立った。愛すべき釣師の習性である。無駄な努力であることぐらいTもじゅうぶん承知のはずである。しかしその直後に起こった場面をだれが予想できただろう。 「来たぁ!」 Tの鋭い声が、まだしゃがみこんだままの私の耳に飛びこんできた。私が掛けたのとまったく同じポイントで、しかも一投目であった。私は我が耳を疑いながら、スクッと立ちあがると、Tの近くに駆けよった。すでに竿は手元まで曲がり、獲物がかなりの大物であることを教えている。 ―――そんなバカな!もう一匹ついていたのか。 岩魚ならともかく、一度バラしたアマゴがすぐに餌に飛びつくはずはない。とすればまったく同じ場所にもう一匹潜んでいたとしか思えないが、未練がましく再三そこを攻めなおしてみた私には、それも信じられないことだった。しかし、今、目の前で展開している光景は現実のものである。 最初の襲撃をかわしたTには余裕があった。糸鳴りをさせながらタメていたが、なおも下流へと逃走を試みる魚の引きにたえられないとみるや、小さな落ち込みの流れに魚を乗せると、下の瀬に移動していった。私もふらふらとTの後を追った。そこは十メ−トルほどのゆるやかな瀬になっており、足場も良いところだった。取り込みには絶好の舞台である。Tはカ−ボンロッドの弾性をフルに生かしながら、敵の猛走をかわし、何度か寄せの体勢に入ろうとした。しかし、おいそれと寄ってくるような代物ではなかった。 水面を縦横に切りさいていく道糸を目で追いながら、私はしだいに夢から覚めていった。 「でけぇぞぅ。あせらないで、ゆっくりやれよぉ。」私はうわずった声でTを励ました。無事釣りあげてくれることを願う気持ちは確かにあった。しかしそのことばとはうらはらに、意地の悪い感情も生まれていたことを正直に告白しなければならないだろう。もっとも懸命に針から逃れようとしている水中のアマゴにしてみれば、歓迎すべき思いなのだが。 ―――できることならば、バレてほしい。 それは遊びともだちに、私物を横取りされ、気分を損ねた幼児が抱くのと同じ次元の感情だったかもしれない。ともかく私の心は時計の振り子のように、Tの釣運を願う気持ちとアマゴの幸運を祈る気持ちとの間で揺れていた。 数分が経過していただろうか。私のそんな心の葛藤を知るよしもないTは、フィニィッシュにかかろとしている。さしもの大物もようやく力尽きたか、水面で、ひらをうちはじめている。 「スレだ。」 今まで無言で魚とわたりあっていたTのことばにつられて、糸の先をよくみると、確かにエラのあたりに針がかかっているではないか。疑問は一挙に氷解した。なんのことはない。私の針を逃れたアマゴを、Tがスレでかけてしまったという訳だ。 魚は人影をみると、最後の抵抗をみせたが、もはや竿の弾力を振りきる力はなかった。砂地にずりあげるようにして水をきると、Tはさっとかけより、両手でそのアマゴをすくうようにして、川原に放り投げた。 「やったぜ!」 私とは好対称、冷静・沈着で感情をあまり表に出さないタイプのTにしては、めずらしく大声で叫んだ。ふたりの眼下で、砂にまみれてばたついている魚体は、実にみごとなものだった。一目で、優に尺は越えているとわかる、まるまると太ったメスのアマゴだった。 興奮をかくしきれず、魚篭の上蓋につけた目盛で、二度にわけて大きさを計っているTに、どんな祝福のことばをかけたのかはっきりと覚えていない。ただ素直な気持ちで喜べなかったのは確かだと思う。くちおしさとも、くやしさとも、みじめさとも、何とも説明のしようがない複雑な心境であった。 くだんの尺アマゴが私のバラしたのと同一のものであったことが、わりきれなさに拍車をかけていた。もし別のアマゴだとしたら、自分の腕の未熟を悔いる気持ちが勝って、またちがったわりきれなさだったろう。循環小数と無理数の違いといったところか。そしてTはTで別の意味でのわりきれなさが残ったのだろう。ふたりの間には不思議な空気が流れ、その後にかわした会話には、どこか地につかないぎこちなさがあった。そんなその場の雰囲気がふたりの腰をあげさせた。そしてつい今しがたのドラマの余韻もそこそこに、ふたりは釣りを再開した。二度めの奇跡がその後に待っているのもしらないで。 渓はどこか殺風景だった。まっさきに彩りをそえるコブシの花もみかけなかったし、山桜にいたってはようやく芽吹きが終ったばかりのようであった。緑の密度の薄い樹々のすきまをぬけてくる風はまだ冷たかった。日陰の岩肌には、長くたれさがった氷柱が冷たく光っている。石の間の黒い土から顔をのぞかせる蕗の塔だけが、ようやく春の訪れを告げていた。 私はどこかおこったふうに釣りをしているのが自分でもわかった。あせってもいた。根の優しいTである。そんな私の気配を察してか、あるいは多少の後ろめたさみたいなものがあってか、私を先行させて、好ポイントを譲ってくれた。しかし攻めかたの荒くなった私には、ぱたりとアタリがなくなってしまった。 予定地の広河原はまぢかだった。あせる気持ちはいつしかあきらめの気持ちに変っていた。望む方が無理というものだが、私はやはり尺物の幻想を描いていたのだった。 小沢、といってもほんの二、三条の流れが注ぎこんでいる合流点に、畳半分位の大石が突きでていた。あきらめの気持ちが無心の境をひらき、自然に餌が流れたのだろうか。大石の裏のタルミを通過しようとした目印が、クンと落ちたかと思うと魚はもう竿にのっていた。そのあとのシャ−プなひきこみは「尺」を予感させるものだった。幸い、そこも取り込みに都合のよい場所だった。しかも、つい先ほど予行練習ずみである。すぐ下手にいたTのアドバイスにいちいちうなずけるほど、私は冷静であった。そしてTが取り込んだのと同じ手順で、無事手元に収めることができた。快哉を叫ぶ言葉までおんなじに・・・・ それはTの獲物よりひとまわり小さいが、三十センチはまちがいない、幅広の立派な尺アマゴであった。下顎の突きでた精悍な顔つきをしたおすである。パ−マ−クが薄れているぶん朱点がなお印象的であった。 「よかったねぇ。こんなこともあるんだなあ。」 「このままおわっちゃあ、あまりにかわいそうだってんで、神さまが思し召しをかけてくれたんだろうよ。」 「それにしても、オス、メスつがいで釣れちゃうなんて、こいつらきっと夫婦だぜ。」 「夫婦げんかで別居中で、むしゃくしゃしてて、ドジふんじゃったというわけか。」 ふたりは川原に腰をおろし、おたがいの尺物を見比べながら、陽気にいいあった。 現金なものである。さきほどまでの、もやもやした胸のつかえはいっきにすっとび、痛快無比の気分である。たわいないといえばまことにたわいないのだが、釣師の釣りに対する思い入れなんて、この程度のものかも知れない。それだからこそ遊びとしての釣りも成り立つのだろうし、真剣にものごとに拘泥していったら、釣りも殺伐としたものになってしまうだろう。 ともかく本をたよりに、いっしょに渓流釣りを始めて九年目。ふたりの夢は一挙に実現したことになる。それにしても、なんという巡り合せの妙であろう。どんな名演出家でもこうはうまくは仕組めないだろう。 土師清二はその著「魚つり三十年」でいっている。 「友だちと釣に出かける。野川を歩いて鮒を釣る。同じ舟で海の魚を釣る。 そのときの心持の一つは、友だちに釣り負けたくないということ、その半面には、友だちも釣れますようにと願う心がある。 満点は、友だちも釣れ、自分も釣れて、しかも友だちより少々釣り勝っているというところであろう。 世の中のことに満点が少ないのと同じように、釣も満点になりにくい。・・・・・」 私たちの場合はおたがい、まさに百点満点といってよいだろう。Tは三センチ分私に釣り勝っていたし、私はスレではなく餌であげた分Tに釣り勝っていた。 広河原でおそい昼食をすますと、私たちは渓をあとにした。何度も尺物を釣り上げたポイントを振り返りながら。 翌年、夢よもう一度とばかり、ふたりで釣行してみたが、度重なる出水で渓相は一変し、まったくの平っ川になってしまっていた。そしてアタリらしいアタリもないまま、それこそあっというまに広河原に着いてしまった。もちろん、ふたりを興奮させた、あのドラマの舞台もすっかりとりはらわれ、尺物をかけたポイントも、どこがどこやらわからなくなってしまっていた。 |