郭沫若少女を救う

 1962年10月のある日、郭沫若は風光明媚な東海の蓬莱……普陀山を訪れたと伝えられている。普陀山は舟山群島の南の小さな島である。秀麗な景色、幽幻な岩窟、雄大な古寺、厳粛な宝殿、見渡す限りの海と空は、尽くしがたい詩情と画意を写している。  郭沫若は普陀山に立ち広漠とした東海を眺めつぎつぎと空想にふけり二行詩を書いた。

        万牛回首丘山重 万牛は連なる丘に首を廻らし、          
        鯨魚破浪滄溟開 鯨は大海原に青い浪をたてる

 まさに人民海軍の潜水艦を、大海を突き進む巨大な鯨にたとえてその気力は非凡である。郭沫若は二行詩を書き終わると夫人と女の秘書を連れて“千歩金砂”と“兩洞潮声”を遊覧し、梵音洞の崖の上で観光客の落とし物を見つけ身をかがめて拾うと、緑色の小さなノ−トであった。郭沫若は少し疲れて、岩の上に腰を下ろすと興味深くこのノ−トを開けてみた。扉のペ−ジに蓮の花のコ−ナ−の枠に囲まれた2寸大の全身の写真が1枚あった、背景は雁蕩山合掌峰である。写真の右下の角に“風華正茂写す1959年夏”と書いてある、写真の中の少女は17、8歳位で学生のようである、賢そうな目と凛々しい顔で美しく、ふっくらしている。裏を返して見ると裴多菲の詩が書いてある。             

       生命誠可貴 生命は誠に貴く               
       愛情価更高 愛情は更に高いが             
       若為自由故 もし自由のためならば             
       二者皆可抛 二つとも捨てもいい

 誰かに記念に贈ったものらしいが名前は塗り潰されて読めない。下は彼女の名前と住所であろう。ノ−トの2ペ−ジには一つの二行詩が書いてあった。              

      年年失望年年望 年々失望し年々望む   
      処処無尋処処尋 尋ねる処なく処々を尋ねる    

 “春はどこに”と添え書きしてある。
 3ぺ−ジには一首の五言絶句が書いてある。

      三春花又落 三度の春も花は散る   
      何処再尋春 再び尋ねる春は何処
      解脱煩悩者 煩悩を解脱した者は
      蓬来観世音 蓬来の観世音のもと

 またペ−ジをめくると七言絶句が書いてある、大半の字はもうはっきりしない、ただ下のほうのいくつかの字はよく見ればやっと読みとれる。

      来生魂魄系普陀 来生の魂は普陀に結ばれる

 それと今日の日付。 このペ−ジの中ほどは湿っていて、この詩を書いたあとで泣いたのかインクが涙で滲んでいる。郭沫若はこのペ−ジにに目をとめ眉を曇らせ、突然、振り返って夫人と秘書に向い「アッ、これは遺書の詩だ」と言い、すぐ秘書に写真を渡して、早くこの少女を捜しに行くように言った、秘書は「もしかするともう……」郭沫若は「まさか昼間大勢人がいる時は選ばないだろう」と言い、「余り騒ぎたてないように」と注意した。

 秘書が行ったあと郭沫若はもう遊覧する気もなくなり、夫人と重い足でホテルに帰ると、二人掛けのソフア−に斜めに横たわり目を閉じた、心は翼を広げて飛び、大海原を越えて古代中国の大陸に思いを馳せ、しばらくは浙江省東部の昔の大河の岸に身をおき、その昔、父を追って投身した少女曹娥を想像し、またしばらくは洛水の岸辺の美しい女神のさまざまな姿を思い浮かべた……  
 やがて、秘書が帰ってきた。秘書が少女を見つけだせなかったと言うと、郭沫若はよく考えてから「すまないがもう一度梵音洞へ行ってくれ、そこでぼんやりしているかもしれない」と言った。
 郭沫若が予想した所へ秘書が行ってみると、果たして写真の少女が梵音洞の前を行ったり、来たりしていた。何かを捜しているようだ、秘書は誰がとは言わず、ある遠方の方があなたにお会いしたいと言っていると告げた。  

 ホテルの二階のロビ−で郭沫若は、この憂鬱な顔色をした少女に会った。郭沫若はソフア−に彼女を座らせ、夫人は少女にお茶を運んで来た。郭沫若は笑いながら「あなたは李真真さんですか」と尋ねると少女は驚いて「あなたはどうして私を知っているのですか」 「雁蕩南村の人、そうでしょう」娘は疑いの目で郭沫若を見ながらうなずきました。
 郭沫若は朗らかに笑いながら「あなたの事情を私は少し知ってますよ、あなたは3回大学の試験に落ちて、そのあとで失恋しましたね。世間の噂や家庭に耐えられずここにきたのですか」と言った、李真真は否定もできず、まして会ったこともない人の前でその事実を認める勇気もなかった。
 彼女は目を涙でうるませながら「あなたは大学入試関係の方ですか」と聞いた、郭沫若は答えずあの緑色の小さな日記帳を出して「これはあなたのですか」と言った、少女は緑色のノ−トと秘書が渡してくれた写真を見てやっと気がついた……

 郭沫若は少女を諫めるのではなく、穏やかに「あなたは立派ですね、旧体詩が書けるとは素晴らしい」と言い、それからまた李真真の手のあのノ−トをとって「しかし少し消極的です。この対句を書き替えてもいいですか、上の句は動かず、下の句と添え書きを直しましょう」と言いながらペンをだして添削した。書き直した句はこうである。   

      年年失望年年望 年々失望し年々望む
      事事難成事事成 全ての難事を全て成す 

 添え書きは“春在心中”(春は心の中にある)
 李真真は噛みしめるようによく読んで、実にうまいと感じた。彼女は目の前にいる人が自分のずっと尊敬してきた現代文学の大家郭沫若とは知らず、ただ学識のある高級幹部だと推測するだけだった。彼女は温和で親しみのある自分を助けてくれた品格のある人に感動し、涙ぐみながら自分の身の上を話し始めた。

 「初め私はどうしても“春は心の中にある”ではありませんでした、大学の試験に合格して、作家か詩人になりたかったのですが、運命の神は私を弄び3回の受験に失敗するし、何度投稿しても原稿は返されるし、私の心は理想の峰から深い失望の淵に落ちたのです。しばらくして大学で勉強していた好きだった男の友人から私が3年前に愛をこめて送った写真を返されました、ノ−トの写真がそれです。こうして私は冷ややかな嘲りや批判を受け、父母にさえ私は毎日のように責められて……私は耐えられませんでした、こうしたつぎつぎと起こることをどうして、“事事成”できるでしょうか。今こそ花が散り、弦が切れたのです、私の心は枯れ木と冷えた灰でした、どうして“春在心中”と言えるでしょうか。目の前に私を待っている道は一つだけ……」

 ここまで話すと彼女は悲痛のあまり話せなくなり、涙をポタポタと落とした。夫人と秘書は急いで彼女の前に行き慰めた。
 郭沫若は立ち上がって机の前に行き、紙を広げ筆をとり龍が風に舞うように書き始めた。そして2分たらずで一幅の二行詩を書いた。   

      志有者、事境成、破釜沈舟、百二秦関終属楚  志あれば遂になす、背水の陣を敷き、楚、秦を下す       苦心人、天不負、臥薪嘗胆、三千越甲可呑呉   人は苦しみ、天に負けず、臥薪嘗胆して、呉を呑む  

 更にその下に“蒲松齢落第自勉聯”(蒲松齢は落第すると自分で学習した)と書いた。
 それからまた郭沫若は一首の詩を書いて李真真に贈った。
 その大意は「眼の前に春の光があり、春を求める心があれば、何処にでも春はある」である。

 そして意欲を持って勉学するように彼女を励まし導いた。 李真真は目の前の文才の勝れた人に敬服するばかりでなく、この老いた人が、人生に自信を失った平凡な少女の精神を高めることに力を尽くしてくれたことに感動した。
 人は “独り異郷にあれば異邦の客になる”と言うが、この“天涯の果て”に来てこのような親しくしてくれる人に会えるとは思いもよらなかったのである、突然、彼女は暖かい流れが全身にみなぎり、涸れて冷えていた心が潤ってきたのだった……

 李真真は丁寧にこの書を見て、この二行詩は本当に“事事難成事事成”のよい解釈だということを味わった。彼女の目に楚の霸王が背水の陣で軍を率い、秦の兵を大敗させる勇壮な場面が現れ、そしてまるで越王の勾践が10年の辛苦をしてついに呉を滅ぼし雪辱した悲壮で英雄的な情景を見ているように思い、そしてあの蒲松齢が落第しても挫けず、茶店を開き、民間文学を集め不朽の傑作<聊斎志異>を創作した強い意志をもった人物像を心の中に掘り起こした……
 「そうだ、この人の言うことは正しい、春を求める心があれば、何処にでも春はあるのだ。私はどうしてこんなにいい春を投げ捨ててしまったのだろうか」李真真はこう考えて、生きる希望をまた心の中にとり戻し、理想の新しい芽が胸の内に萌え始めた……

 李真真はこの詩と二行詩を書いて自分の精神に影響を与えてくれた年老いた人に名前を書いてくれるように頼んだ。郭沫若は彼女を見て優しく笑いながら少し考えて、詩の最後に“郭沫若1962年秋”と書いた。
 少女は喜び驚き、郭沫若の胸にすがり低い声で泣きながら、きっと心を奮い起こすことを誓った……  郭沫若は北京に帰り、しばらくしてから李真真に手紙を送り、彼女のこれからの人生の道を厳粛に歩むよう親切に述べてから、近況を話しに来るよう知らせた  李真真は手紙を受け取ると、とても興奮してすぐに返事を送り、決してご期待に背きませんと書き、そして思いきって旧体詩一首を最後につけ加えた。

      梵音洞前几傍徨  梵音洞の前を徘徊し
      此身巳欲付汪洋  この身を大海に投げんとす
      妙筆境蔵回春力  妙筆に回春の力を蔵す
      感激恩師救迷航  迷える我を救いし師の恩に感激す  

      当代流伝故事選                                         1993・8・17    

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