心の叫び

 5月2日午前、新屯街8号楼第3門の前に5、60人の人が集まり、門の両側に大きな喜の字が貼ってありました。入り口の電柱には千発の大きな赤い爆竹が2本かけてあります。言うまでもありません、これは結婚式です。 

 9時かっきりに“パンパンパン”と爆竹が鳴り始め、遠くから花で飾った大小2台の車が“ス−”と来て8号楼の前にとまりました。大きな車のドア−が“ガチャ”と開いて何人かの人が下りて来ました、綺麗な服を着た新郎が前に進んで小さな車のドア−を開けました。
 すると結婚衣裳の花嫁がまず右足を車の外に出し、つぎに左足を出そうとしましたが“オヤ”花嫁はやめてしまいました。花嫁は大きな目で外を見ると、出した右足も引っ込めてしまい“ポン”と車のドア−を閉めてしいました。どうしたのでしょう、これはこの地方の風習で、花嫁は車を下りると、新郎の母親に紅い盆を手渡すのです、俗に言う“接金盆”です。
 ところが花嫁が見ると新郎の母がいないので、花嫁は車を下りなかったのでしょう、新郎は慌てて、誰か代わって貰おうと思っている時、白衣を着た男が自転車に乗り、素っ飛んで来ると新郎のところに行って、何やら言いますと、新郎は溜め息をついて、人の群れの中の叔母に出て貰い、1分半ほど話してやっと花嫁は車から不安な顔つきで下りて来ました。
 こんな大事な時に新郎の母親は何処に行ったのでしょう、何処かと言うと、精神病院です、誤解しないで下さい、精神病になったわけではありません、患者の治療に行ったのです。彼女は精神病院の主治医で名は常序嵐と言います。

 このわけは昨夜から始まります、常先生の家では明日息子さんが結婚するので大忙しでした、父方、母方の叔母、叔父、たちがみんな来ていました。
 そこへ一人の青年が「常先生、常先生は御在宅ですか」と駆け込んで来たのです「誰、ああ、あんた、どうしたの、奥さんまた悪いの」 「ちがいます」 「じゃあ、どうしたの」 「小艶に子供が生れるのです」 「ええっ、それなら早く病院に連れていかなくちゃあ」 「それが駄目なんです、小艶は常先生の病院でなくては駄目だと言うのです。先生は小艶の性質を知っているでしょう、行かないといったら絶対きかないのです、いま陣痛で汗を流しています、どうしたらいいでしょう、常先生ならきっと小艶を助けてくださると思って」 「じゃあ、車を捜して早く病院に連れて行きなさい、わたしもすぐあとから行くから」青年は急いで出て行きました。

 息子が出てきて「お母さん、また病院に行くの」 「ああ、李小艶はわたしじゃなくちゃあ駄目だから」 「お母さんの働き過ぎに僕は今まで何も言わなかったけれど、今度は特別だよ、行ってもきっと早く帰って来てよ、明日は僕のお嫁さんが来るんだよ」 「心配ないよ、分かってるから、間違いなくお前のお嫁さんを迎えてあげる。お前、わかっておくれ、じゃあ、行って来るからね」
 息子はこの李小艶夫婦のことをよく知らないのです。常先生の息子さんが明日結婚するというのにどうして夫婦は他の病院を捜さないのでしょう、それに病気にしろ出産にしろ他の医者でもいいのに、どうして常先生でなければ駄目なのでしょう、これには訳があるのです。

 その事情は1967年に始まります。李小艶の両親は二人共中学の教師でしたが文革の中で迫害を受け死んでしまいました。たった一人の兄さんも思想改造のために地方に送られました。その時小艶はまだ4歳で祖母に育てられて大きくなりましたが12歳のときにその祖母が病気で亡くなると、付近のならず者たちがたった一人の小艶をいじめだし、夜中に家のガラス戸を叩いて脅かすのです、これが長く続いてとうとう小艶は情緒不安定になり、近所の人が小艶を精神病院に入れたのです、その時、診たのがが常序嵐先生だったのです。

 先生は小艶を診て、いじめと脅かしがもとで被害妄想になったと診断しました。入院した時、小艶は二日間何も食べていないかったので薬で胃に重い負担をかけてはいけないと、おそばを食べさせようとしましたが、小艶は「毒がはいっている、みんなは私を殺そうとしている、食べたくない」と言って、おそばのお椀をひっくりかえしてしまいました。仕方がないので看護婦が常先生に相談しますと先生はまたおそばを持ってこさせ彼女に食べるように言いました。
 常先生のまるで母親と同じような慈愛の心が彼女を感動させたのでしょう、李小艶がおそばを食べようとした時、看護婦たちが“フウ”と溜め息をつくと、突然、李小艶はおそばをみんな常先生の頭にかけてしまったのです、さいわいお椀はプラスチック製だったので常先生の首に熱いそばの汁がかかっただけでしたが、看護婦は怒ってすぐ彼女に電気ショック療法をしようとしましたが、常先生は看護婦たちをとめ、タオルで首を拭き、またおそばを持って来させました。それで看護婦たちは 「常先生はとても優しい人だ」と思いました。

 61年から今まで常先生はいろいろな患者にどれだけ頭に料理をかけられたかわからないくらいです。それを考えればこれはまだいいほうです。ある発作をおこした患者がもう少しで先生を死なせようとしたこともあったのですから……  
 おそばを先生はまず自分で食べてみせ「私も食べたから、これには毒は入っていないわよ、私が食べさせてあげるから食べなさい」李小艶はやっと口を開けて食べはじめました。
 こうして何時も常先生が一口食べると、李小艶に食べさるようになり、それから李小艶は起きると誰の言うことも聞かず何時も常先生を頼りました。
 常先生は毎日小艶の顔を洗い、体を洗い、髪をとかし食事を食べさせてやりました。3ケ月で李小艶は良くなり退院する時、彼女は涙を流して「常先生、お願いがあります」 「どんなこと言ってごらん」 「わたし、わたし先生をお母さんと呼びたい」 「えっ」常先生は驚きました。しかし先生はすぐ、小艶の心がよくわかり黙ってうなずきました。「お母さん」李小艶は常先生の胸に顔をうづめ声を上げて泣きました、常序嵐先生も泣きました。

 それから常先生は母親と同じように李小艶の面倒をみました、李小艶も常先生を母親のように慕いなんでも序嵐お母さんに相談するようになりました。去年、李小艶は真面目な石油工場の劉忠と結婚し、そして可愛い赤ちゃんが生まれることになったのですから常先生は黙っていることはできなかったのです。
 病院に着くと先生はすぐ看護婦に出産の準備をするように言いました、看護婦は嘘かと思いました、だって精神病院がどうして産婦人科になるのかと思ったからです、でも産婦が李小艶だと聞いてすぐわかりました、李小艶は12時半に来ましたが5時になっても赤ちゃんは生まれません。
 小艶は苦しんで唇を噛み血をだしていました、常先生は一歩も離れないで見守っていましたが、やっと7時40分になって赤ん坊は生まれ、処置が終わり李小艶がこんこんと眠ったのは8時でした。

 急いで手を洗い白衣を脱ぎ着替えているとまた劉忠が来て「常先生、小艶が熱をだしました大丈夫ですか」というのです、常先生は急いで病室に戻り小艶の額に手をあてると焼けるようです、はかると39度9分「常先生は急いで点滴の薬を作りあとを看護婦にまかせ、安心して帰ろうと一歩踏み出しますと目の前が真っ暗になり倒れてしまいました。
 気がついてみると先生は当直室のベットに寝かされ、看護婦たちがみんな心配そうに囲んでいました「常先生、気がつきましたか、よかった」 「大丈夫よ、私はもともと高血圧で、ここのところ息子のことでよく寝ていなかったから、少し休めばよくなると思うわ」でも壁の時計はすぐ9時になります「息子の結婚式だからすぐ帰らなくては」看護婦たちはこの様子では無理だと思い急いで誰かを知らせに行かせ、先生は寝かして置くことにしました。

 すると外でガヤガヤ声がします、ドア−を開けてみると「常先生はどうしたの」 「常先生はどうしたの」と患者が泣いたり叫んだりしていました、家族が持ってきた果物や缶詰を持ってきて「常先生に上げてください」と言う患者もいます、常先生は笑いながら「私は大丈夫だと言ってみんなを病室に帰して」と言いました。

 常先生が疲労回復の注射をして家に帰ったのは2時過ぎていました、夫も息子も嫁も不機嫌な顔をしているので常先生は「今日はおめでたい日なのに、どうして晴れのち曇りなの、みんな楽しく食べましょうよ」と言い先生は「私は飲めないけど今日は私も飲むわ」と葡萄酒をとったのでみんなもコップを持って立ち上がり飲もうとすると、“カチッ”とドア−が開いて青年が入って来るやいなや跪いて「常先生、いや、常お母さん、あなたは小艶を救い私を救ってくれました、私は叩頭の礼を尽くします」と言いました、劉忠でした。先生は「立ちなさい、小劉、患者に尽くすのが医者の役目なのよ」 「わかっています、でも、先生が小艶にしてくれたことはとてもとても大きいのです、だからわたしはこうしたいのです」 「もう何も言わないで。丁度よかったあなたも一緒に飲みなさい」と先生はこう言って劉忠にコップを渡しました「さあ、私の息子の結婚と小艶の生んだ赤ちゃんのために乾杯」“カチッ”みんな杯をあわせて一緒に喜びの声をあげました。              

        撫順職工故事選                                        1993・6・16

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